ガイシュツでも文句言わないで。
仏教が入る前は肉食が盛んだったけど、入って来たそれを悪として、避けてた。
でも基本的に「大きい動物」はダメだけど、鳥とかは食べてたみたい。で、近世に
近付いて、日本は鎖国とかしてたけど、出島周辺では肉食文化が進んで、西洋文化
の一環として広まったと聞いた。西洋人的には「何でこんなに可愛い鳥を食べるの」
って感じだったらしい。日本人的には「大きい生物こそ、可哀想」っていう価値観
だったんだと思うけど。
202 :
天之御名無主:04/01/25 15:08
簡単に言うと、
家畜動物は一般的に食べてなく、野生の猪などは食べてたんじゃないの?
アメリカや西洋型の牛食が、いろいろと問題になってるように、
牛を飼育するのには、とてつもない場所と量の餌が必要で、中国人がみんなアメリカ型の食生活をするようになると、とてもじゃないけど全世界に供給する肉を賄いきれないし。
日本でも、江戸以前、騎馬民族が栄えてた頃、
チーズなんかも食してたらしいけど、
日本の気候では、酪農は難しいし、だいいち、場所が無いから、自ずと衰退したんじゃないの?
単純に考えて、人並み以上に食物を必要とする動物を育てるよりも、
魚を食べる方が自然。
>>202 極論すればその辺の草刈って来てポンと置いてやれば牛は育つわけで。
効率の良い肥育は難しいかもしれんが牛飼いやってやれないほどのもんでもなかったと思うぞ。
山羊や羊は相当の粗食にも耐えるし、気候の問題で適していないわけでもない。
>203
「その辺の草」というが、ある肉牛農家では成牛7頭子牛7頭飼うのに飼料畑90アールも使っているという。
この規模でも1年1産は望めないそうだ。とすれば、毎年1頭を食肉用に出荷する為にはこの倍ぐらいの規模が必要になるだろう。
180アールの飼料畑で成牛14頭、子牛14頭だ。
飼料畑を確保できない場合は当然どこかから刈って来るか、草の多い場所に放してやるしかない。
お前さん、90〜180アール分の草を確保するのがどれだけ大変か分かってるのか?
特に冬場に供えての飼料の確保は大変な労働になる。
羊や山羊の飼育はもちろん可能だったと思うが、もともと野生種として日本に生息していたものではないので
国外から持ち込まなければならない。また、それと同時に牧畜という技術も同時に渡来しなければならない。
この技術と飼育種の同時渡来が実現しなかった為に日本では「食肉用に家畜を飼育する」という概念が定着しなかったと思われる。
205 :
天之御名無主:04/01/25 20:14
>>204 そのとうりだろうね。
馬なんて、江戸時代は、蹄に草鞋を履かせて使ってたぐらいで(笑)
武士なんて天下太平の世の中で騎乗技術すら衰退したという(笑)
まぁ、牧畜文化が栄えなかったお陰で、今の日本があり、
戦争もなく平和で、食をめぐって争いもなく、
米と魚と発酵食品が発展した。
あぁ醤油様々
ゆえに、日本が、あの中国という大国より発展したんだろうね
未だに、日本の江戸時代以下の生活している部族もいるぐらいで・・・
畜産家として生活を成り立たせるのは難しいと思う。
食用肉を市場に広く流通させるのもきついものがある。
でもね、何も牛しか飼わずに生きていかねばならない事もない。
飼料供給の問題だが大型機器の使用に適した牧草地をまとめて確保するのは確かに難しい。
だが放牧地としてなら雑木林でだって用を足せる。
羊に関してだが渡来の盛んだった日本で国外からの持ちこみがなかったとはまず考えにくい。
姓に羊がつく渡来人もいるが、この人たちが主に何をやってたかは言うまでもないでしょ。
日本で畜産が不可能ではなかったと言いたいだけ。
207 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/25 22:09
>>206 馬の草鞋は蹄鉄の代用であり、山中を行くことの多かった日本ではぬ
かるんだ際の滑り止めの役目も果たした合理的なもの。
羊自体は奈良時代に上野で毛氈用に飼われていたそうですが衰退し、
平安時代から何度か輸入されましたが定着しませんでしたね。
208 :
天之御名無主:04/01/25 22:55
>>206 単純に気候の違いでしょ。
湿気が多い日本では、酪農食品の保存が難しかった。
209 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/25 23:01
一応チーズ類らしきものでしたら律令制下において中央に送られてい
たようですが、そこまでして口にする必要もありませんでしたからね。
モンゴルみたいに乳製品(とたまに肉)中心でないと生きていけない
土地ではありませんから。
>206
>飼料供給の問題だが大型機器の使用に適した牧草地をまとめて確保するのは確かに難しい。
>だが放牧地としてなら雑木林でだって用を足せる。
なおさら大変だろうが!
「草のいっぱいあるところに繋いで置けばいいや」ぐらいに考えてるんだろうが水はどうする?
水場と餌場が確保できる場所なんぞそうそう無い。では刈ってくるのか?
牛1頭が1日に食べる量は15kgだ。「1日」で「1頭分」で、だ。
そもそも刈る作業からして手作業だ。重労働になるのは目に見えている。
なるほど牛でなくてもいいわけだが羊の場合ではそもそも視界の悪い雑木林でどうやって絶えず数を確認するのか?
熊はもちろん当時の日本には狼という捕食獣もいた。子羊なら狐の餌にもなりうるだろう。数の確認は欠かせない。
それと、雑木林でどうやって群れをコントロールするのか?という問題もある。
こうしてみれば雑木林での放牧は無理とは言わないが困難なのは明らかだろう。
仮に放牧に適した平野があったとしてもそこは既に稲作などに使われているはず。
日本で食肉用の畜産が定着しなかったのはこの辺りに理由があるのでは?
甲斐・信濃一帯での馬の放牧は古代から盛んであったようですよ。
西日本では川辺を利用して飼育していたようです。
まあ運搬に便利な牛馬の代りはなくても羊代りの食料源ならなんとか
なりましたからね。
212 :
天之御名無主:04/01/26 01:36
やっぱり一部では飼育されてたんだね。
でも大量生産は難しいみたいだから一般的にならなかったっていうのもうなずける。
聞いた話だと、肉牛一頭を一年飼うためのの飼料(とうもろこし)用の農地などからすると、
牛一頭につき実は6人の人間を養うことができるそうだよ。
食肉用の畜産なんて、ほんと贅沢なはなしだよね。
世界にはいまだに飢えに苦しむ人々がいます。
世界全人口で食料を平等に分け合うと、腹七分目か、六分目くらいしか食べられないそうです。
飽食の時代だなんて、人類の歴史の一瞬に咲いた徒花だと思ってないと
いつか痛い目みそうな悪寒。
213 :
天之御名無主:04/01/26 11:05
>>212 アメリカって国が出現した理由は、ソコにあると思う。
地理的・気候的に貧しかった西洋人から科学がうまれ、市民革命があり、今のアメリカがある。
で、黒船で今のイラクのような理論で日本を開国させたが、
実は当時の日本人は、支配者よりも国民の方が豊かだったし、
何よりも市民平等だった。
自然や地に足を付け生きていた。
富士山に参るのも、伊勢に参るのも、基本的に全国民、徒歩だった。
今の車の元祖である、馬車が無かったのは、
飛脚や馬子の仕事が無くなるし、日本全土の道を石畳にすると、
夏の照り返しで気温が上がるし、雨季のある日本には適さない、
何より、交通事故という新たな人為的問題が発生してくる、
と幕府が分かっていたから。
>>211 「牧」という場所で古来から放牧は行ってたらしい。
>213
最後の1行以外ほとんど意味不明(特に前半)
日本で馬車が発達しなかったのは馬の体格が小さく非力だったから。
後はみんなで適当に突っ込んでやってくれや。
↓任せた。
216 :
天之御名無主:04/01/26 21:54
217 :
天之御名無主:04/01/26 22:00
>>212 なにか熱いものに燃えてるのはいいことだからいいじゃないか。
たぶんまだ高校生か大学生くらいなんでしょ?
しっかり勉強して歴史事実を学べば、有為の士はいつか花開くさ。
まあ、修行中の身の上であんまり解ったような口を利くと叩かれるから
それだけは気をつけることだね。
218 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/26 22:35
>>213 荘園で「牧」といえばそのまま牧場。肥後や信濃に多く、両地で馬刺し
がよく食されるのは当時の影響かもしれないという意見もあります。
(私はどうかと思いますが。ちなみに網野先生の御説)
諸事情によりてお蔵入りになった文をもったいないのでここに投下してみる。
鎌倉時代
『庭君往来』に記述がある初献の料・削物・生物・塩肴 全44種のうち、獣肉が塩肴として7種、
具体的には、干鹿・干海豚・豚焼皮・熊掌・狸澤渡(狸の脚)・猿木取(サルの腕)・海豚が
挙がっている。
『捨芥抄』の食べ合わせのタブー六十種中の獣肉として、大豆+猪・麻子+六畜肉・熊+塩・芹+生猪肝
・鮎+野猪肉・鮒+猪肉・李(スモモ)+牛肝・蝦+鹿肉・猿+鰤・蕎麦+猪羊肉
がある。
同じく『捨芥抄』の「十二月食物禁」に、正月に宍(しし(獣の類))、九月に猪肉が挙げられ、
『簾芥抄』の「月々くわぬもの」に「二月 い(狗)をくわず」とあり。
室町時代
もてはやされた肉魚類65種のうち、魚介が41、鳥類が17、獣肉が7種。
魚甫(一文字「いるか」)、海鹿(これも「いるか」)、鹿、猪、狢(まみ)、狸、熊
『尺素往来』に臚腸羮(皮と腸の羮?モツ煮込みか?)・笋羊羮(筍と羊の羮?)などが挙げられており、
「此の間霧雨に依りて美物得難き候といえども、四足者、猪、鹿、羚(カモシカ)、熊、兎、狸、
猯(アナグマ)、獺等(以下鳥禽類が並ぶ)済々尋ね出て候也。」という文がある。
『大草家料理書』にもむじな汁、獺の毛肉煎料理などの記述あり。
江戸前期に成立した『料理物語』では、羚・羊・牛・獺・鼠肉を上食と、鹿・猿・狗を中食、猪・狸・狼
・猫・熊肉を下食としている。
以下 桜井秀・足立勇著『日本食物史』雄山閣出版、山内昶著『「食」の歴史人類学』人文書院 より。
吉野屋問題
221 :
天之御名無主:04/02/19 21:46
>>193 >殺生戒にふれるとし禁令がで...日本人の食生活も体格も貧弱になる..
肉食禁忌のなかった同時代の琉球人の体格が長躯豊満だったという説はきかないがね。
222 :
天之御名無主:04/02/20 03:05
>>219 >塩肴として7種
熊とかマンガン全席みたいだな。
224 :
天之御名無主:04/04/18 20:50
>>193 >幕府は日本人の体躯を抑えることにより、権威の安定をはかる
庶民の肉食を禁じたことに加えて、支配階級の武士は肉食を続けて体格の維持を図らないと意味ないね。
マグロは江戸前寿司ではヅケが主だったんだろ確か。
225 :
天之御名無主:04/07/30 14:04
満漢全席では、満州風に炙るか焼くかした獣肉を出すのが決まりであ
ったとか。これが無いのはツアー客向けの詐欺料理だそうです。
支那の獣国食いについて、16世紀半ばに書かれた『塵塚物語』の作者
は「我が国は豊かな国である。しかし唐土の人は穢れた獣国を喰らい
、またなんでも食べるので食中毒で死ぬ者が多い」と記しています。
書き手が中流貴族であったという事を考慮に入れても、肉があまり求
められていなかった事は想像出来るかと。同時代の『言継卿記』には時
々獣肉入り鍋というのが出て来ますが、わざわざ求めていたものでも
無さそうです。
227 :
天之御名無主:04/08/01 03:04
228 :
天之御名無主:04/08/01 03:45
a
229 :
天之御名無主:04/09/03 01:54
>>193 蝦夷のハーフである空海も肉は食わなかったという事か。
肉をうどんに変えた空海
>>193 >殺生戒にふれるとし禁令...
犬公方徳川綱吉以前にも、個人の信心上の都合で殺生禁令を出した権力者が
いたと聞いたことがあるが、誰だったかな。
白河院でしょう。『古事談』や『古今著聞集』に、それに関係して逮捕者が出た
逸話を記しています。『今鏡』は賞賛していますが、庶民には迷惑な話。
『古事談』
「公の罰なら流罪で済みますが、武士が重科と言えば、斬首しかありません」と
言い、捕まる方がましだと、命令通り鳥を捕らえた武士を流罪に処す。
『古今著聞集』
母親のために、魚を捕らえていた僧侶を放免。
>>233 12世紀のことでしたか。魚も禁令対象とすると、何から蛋白質を摂取して
いたんだろうか。
235 :
天之御名無主:05/01/05 01:15:08
大豆
236 :
天之御名無主:05/01/05 01:16:07
要は牛や豚はそれらが役に立つ家畜だから、食べてしまうのはタブー視されてたが、
イノシシ等の野獣は家畜にはならないので、食べてもよかったって事でしょ?
>>236 >牛や豚はそれらが役に立つ家畜だから..
牛馬は農耕や運送の労役にと解るんだが、豚って何の役に?
猪は部落民の食べ物だろ
>>238 僧も賎民なのかね。坊主の隠語の山鯨を想起してみよ。
「明治まで肉をたべなかった」というのは表向きなのでは?
たぶん、食べるものが無かった人たちとかは動物の死骸、
最悪の場合、死体の肉をむさぼっていたんじゃないかと
昔から考えているんだが…。
>>237 漏れも一瞬考えたが、やめた。
絵はどれもガイシュツだし、何よりそれだけで定価980円は高すぎる。
242 :
天之御名無主:05/01/30 12:17:48
>213
・それは都の防衛上の理由
幕府が都を機動部隊で攻めさせない為に、車の製造を制限したり、車道を整備しなかった。
関所を作って通行税をとったり通行を許可制にして制限した。
関所の標語は、「出女に入鉄砲」(でおんなにいりでっぽう)。
人質として江戸に住まわせている大名の奥さんや娘が逃げるのを防止し、
暗殺用の鉄砲が江戸に入ってくるのを監視する。
・蓄財させない為の工夫
町人に「宵越しの金を持たせない」という浪費をさせて蓄財させないことを美徳としたり、
(生活を楽しむ浪費が世界最大の市民文化を生むことにもなったが。)
大名は参勤交代で浪費させ、蓄財により軍備を増強できないようにした。
車を禁止したので移動が遅く、大人数を数多くの宿場に泊め大金を使わなければならない。
謀反を起こしそうな大名は外様大名として遠隔地に領地を定め、参勤交代に莫大な費用がかかるようにした。
外様の近所には、幕府直属の天領という領地を設けて直接監視した。
>214
鍬を引かせる大きな農耕馬や大きな牛がいた。
243 :
天之御名無主:05/01/30 12:59:59
人間の中では黒人がおいしいと本に書いてあった・・・
244 :
天之御名無主:05/01/30 13:10:19
ほんなら日本人は水っぽそうだね
245 :
天之御名無主:05/01/31 00:30:53
>>214 中国西南部も木曽馬より小さくトカラ馬と同じぐらいの小型馬だが、
馬に車をひかせている。訓練すれば能力があるのだろう。
馬車は中国漢人的でモンゴルや古代高句麗、西日本に牛車はあっても、
馬車文化は無いと思うのだが。
東日本は牛車もなく、牛に犂をつけて引かせる習俗も西日本で発達し、
東日本では少ないといえる。
>>240 上田秋成の「胆大小心録」(文化五年、1808年)に京都の祇園で
「大牢滋味は知らねど、芋やら、ふぐやら、牛肉やらで」と京都では
牛肉は惣菜として食べられた。
伊勢桑名の下級武士渡辺平太夫の天保十年十二月(1839年)の
日記に、孫の誕生祝いに牛肉二百文買い、牛肉がなくなるまで毎日
孫は、牛肉をねだったとある。
「徳川禁令考」にも美濃、近江、備前、備中、備後、石見等は自粛しろ
布令が元文三年にでた。近江では牛肉味噌漬を将軍家へ献上品と
なっていたし、広島東部の備後では牛肉をヘカ(鋤)食いともいう。
現在でも西日本は、東日本より牛肉消費が多いのだろうが。
北陽の伊藤ちゃんは喰ったらうまそうだ。
247 :
天之御名無主:2005/05/07(土) 10:26:56
いろいろ面白い話がありますねぇ。
日本人の肉食に関して私が面白かったもの。
松井章『環境考古学への招待』-発掘からわかる食・トイレ・戦争-(岩波新書 2005年1月)
のびしょうじ『食肉の部落史』(明石書店 1998年11月)
佐々木道雄『焼肉の文化史』(明石書店 2004年7月)
皆様も肉食に関して面白い書籍があったら教えてください。
248 :
天之御名無主:2005/05/18(水) 00:21:53
>>247 私が、最近読んだもので面白かったものは、
市川健夫著『日本の風土食探訪』白水社。
164ページ以降に、日本人の歴史風土、地域による
食肉文化について、牛肉や馬肉から野獣肉まで書かれてます。
西日本の牛肉食習慣と牛車、犂文化の関連や牛の品種、
あるいは、大型馬より中型馬の方がおいしい等、
味についての評価もあり、とても面白い本でした。
日本に脳みそを食べる習慣がある所があると
聞いたんだが本当にあるんだろか。
脳みそ・・・クリーミーな感じかな。
250 :
天之御名無主:2005/06/19(日) 02:00:49
いわゆる「朝鮮焼き肉」
これも日本の肉食文化ですかねぇ?
>>250 「朝鮮焼き肉」
まあ今の日本にある焼肉屋さんのスタイルは、
日本に来た朝鮮の人たちが日本で商売を始めて
だんだんと一般に定着したというところが真相でしょう。
「日本で普及した朝鮮風の肉食スタイル」と言う点で
日本の肉食文化といえるのではないでしょうか。
252 :
天之御名無主:2005/07/27(水) 20:00:14
亀ですまんのだが・・・。
>251
>まあ今の日本にある焼肉屋さんのスタイルは、
日本に来た朝鮮の人たちが日本で商売を始めて
だんだんと一般に定着したというところが真相でしょう。
「在日」が嘘を付いているのを、鵜呑みにしてはいけません!!
コピペで悪いのだが・・・・・
「今のスタイルの焼肉は、七輪を使って焼いたのが起源である。そしてその七輪は、大陸や半島に
一切ない。七輪のベースとなる珪藻土は、極東で石川県でしか取れない。
焼肉は、韓国起源などと言うバカな在日がごまんと居るが、道具の歴史から見ても明らかに
日本料理であることは明白な事実である。なお、焼肉自体もスライスされた新鮮な肉を流通させる
為の社会システムは、当然中国、半島にはなく、日本で焼肉が爆発的に普及した1950〜1960年は、
朝鮮戦争で朝鮮人が料理文化を育む余地は一切ない。また、今でも海外でスライスされた肉を
簡単に入手できる地域は、半島と台湾ぐらいなものである。焼肉の本場は韓国であると言うのは
明らかな妄言で、文化乗っ取りの呈のいい例である。」
253 :
天之御名無主:2005/08/01(月) 12:45:39
死んだばあちゃんは、肉は食わなかったな…
>>250-252 つーか、「肉を適度な厚さに切って焼いて食う」なんて
世界中どこででもやってるだろ。起源もへったくれもねーだろ。
255 :
よふぁほ:2005/08/01(月) 16:50:14
又邪魔しただろ、中沢先生!
256 :
ひで:2005/08/01(月) 17:43:13
・・・・・・??
257 :
天之御名無主:2005/08/01(月) 19:53:07
仁丹、、、、、、人胆? ひぇ〜〜食人の痕跡が現代に、、、
てか、豚の家畜化の議論についてだれもふれていないのは何ゆえ?
肉食忌避は仏教伝来以来の観念なのかな? 『古語拾遺』いわく、
「御年神(田の神と考えられる)が、農民が牛肉を食したことに怒り、
イナゴをその田に放った。困り果てた農民がその理由を占うと、これは
御年神の祟りであるから、白猪、白馬、白雉を供えるべきと出た。その後怒りを
鎮めた御年神がいうには、「イナゴの害がおさまらないなら、田の水口に牛の
肉を置け」と。農民らはその教えのまにまに実行したところ、見事豊かな田が復活した」
これは単なる一挿話のあつかいではなく『延喜式』祈年祭でも、御年神だけは
その供物が馬、猪、雉と規定されている。
田の神たる御年神と、ケモノの肉との関係。よくわからないけれど
狩猟採集民が農耕民化する過渡期の、観念的混乱期というのがあったのでは
ないかとも思う
260 :
天之御名無主:2005/09/14(水) 01:31:19
>焼肉自体もスライスされた新鮮な肉を流通させる為の社会システムは、当然中国、半島にはなく
>略
>今でも海外でスライスされた肉を簡単に入手できる地域は、半島と台湾ぐらいなものである
>略
>焼肉の本場は韓国であると言うのは明らかな妄言
???
焼肉のタレは醤油ベースなんだが。
どちらにしろ現代風の焼肉は戦後うまれたものなんだから起源を議論するのはナンセンスだな。
262 :
天之御名無主:2005/09/17(土) 04:21:04
昭和まで続いてたこと、何県までは限定しないけど。無論食うものも無くて仕方なかったらしいけど。
263 :
天之御名無主:2005/09/19(月) 23:44:43
元禄時代の日本人と縄文時代の日本人(庶民)を比較したところ、以外なことに縄文時代の方がいいものを食っていたそうだ
縄文時代は狩猟採集生活で肉食が多かったが、元禄時代は肉食が極めて制限されたことが理由だろうな
264 :
天之御名無主:2005/09/25(日) 12:37:29
一体何事? この支那&コリアンだらけスレは?
265 :
天之御名無主:2005/09/25(日) 13:12:01
狸汁は面白い。最初は狸の肉を入れて食されていたようだが、獣臭さで敬遠され、肉の代わりにこんにゃくを使用されるようになった。
でもそれでもそれを狸汁と言っている。肉を肉でないように表現(山鯨や牡丹等)して食べるのはるけど、わざわざ肉でもないものを肉の名前をつけて食べるのは珍しいのでは。
266 :
天之御名無主:2005/09/28(水) 23:16:33
ここであがる
犬をよく食べていた地域
は、今とても在日朝鮮人が多い件について
267 :
天之御名無主:2005/10/01(土) 18:41:01
ムジナ汁と言っても実際に使われる肉はタヌキよりもアナグマの方が多いのだよ
アナグマは狢と呼ばれてタヌキは混同されることが多いけど、まったく別の生物だしな
268 :
天之御名無主:2005/10/01(土) 23:28:38
>>266日本人も昔は青森とか犬を食べていたのだよ。在日とは関係ない。
269 :
天之御名無主:2005/10/01(土) 23:41:08
天保の頃は、関東でも人肉まで食ったらしいが・・・
國ゆずり最後の抵抗者タケミナカタ→諏訪が
肉食許容の土地であったことは
文才ある人ならいろんな妄想をつづってくれるはず
271 :
天之御名無主:2005/10/04(火) 07:32:49
272 :
天之御名無主:2005/10/04(火) 10:31:27
>>268 青森の豪族が食べてたとか? にんにく卵黄やずややずやみたいな?
>>1 むしろ、昭和でも食べてない。 下手すると、平成でも食べてない
人もいるくらい。肉食における日本文化というのは根が深い。
275 :
天之御名無主:2005/10/05(水) 14:17:32
あなた方のおばあさん達は肉を食べますか? 食べないでしょう?
食べないよね?
年取ると消化が悪くなるから・・・だったりしてw
277 :
天之御名無主:2005/10/06(木) 02:47:06
年寄りが好むのは、肝や腹、猪の頬あたりか?
278 :
天之御名無主:2005/10/06(木) 21:01:48
日本人は貝食文化でしょう。あれだけの貝塚を気付いたのです。
手先が器用なのも、出っ歯なのも、脚が短いのも、すべて貝食
行動に特殊進化したため。
日本人がぺこぺこおじぎするのも、太古の長かった縄文時代の
なごりで常に足元に貝がないか探している擬態行動なのである。
279 :
天之御名無主:2005/10/09(日) 16:38:18
>>278 貝がらより獣骨の多い貝塚もけっこうあるそうだ。
「歴史のなかの米と肉 原田信男 平凡社 2005」
280 :
天之御名無主:2005/10/09(日) 16:50:32
江戸時代の飢饉のとき、
じーちゃんやばーちゃんを、むしゃむしゃしてたって
ほんとでつか?
281 :
天之御名無主:2005/10/09(日) 17:01:46
日本人は犬は食わない
282 :
天之御名無主:2005/10/09(日) 17:03:38
>>279 それは大陸からやってきたツノガアラヒト等の渡来系のゴミ処理場
に違いない。
283 :
268:2005/10/09(日) 23:57:24
>>271 女優の奈良岡朋子さんがラジオで言っていたよ。子供の頃の話しだから昭和初期だな。
284 :
天之御名無主:2005/10/10(月) 01:02:40
心理学から言って、物凄い好きな人と物凄い嫌いな人、いざ食べるとしたらどっち食べるかと
尋ねるかと問われると圧倒的に前者が多いそうだ。
まあ、気持ちとしては何となくわかるわな
どっちを殺すかと問われると多分、後者を答えるだろうが
285 :
天之御名無主:2005/10/10(月) 08:12:33
286 :
天之御名無主:2005/10/10(月) 08:21:17
食糧難の時代には肉の種類を選んでいる余裕もなく食べることがあったのは当然のことだ
戦後間もない時代には私の家で飼っていた犬が盗まれてしまったこともあったらしい
盗んだ奴を探して捕まえてみると、バラしてウドン屋に売る前だったらしい
肉と骨になった犬を引き取って埋葬したそうだがな
>>285 青森の普通の農家での話しだ。朝鮮人とは関係ない。
日本人は狸とか食べるんで犬も食べてもおかしくないと思うけどな。
もちろん七曲署の捜査一課の課長も在日じゃないよ。
288 :
天之御名無主:2005/10/10(月) 13:43:19
ニポーン人はイナゴ食ってろ
289 :
天之御名無主:2005/10/10(月) 13:45:05
『料理物語』(寛永20年、1643年)にも犬の吸い物と貝焼が
載ってます。
日本人が歴史的に家畜の肉で一番多く食べたのが犬肉でしょう。
290 :
天之御名無主:2005/10/10(月) 14:54:48
家畜の肉ばかりか日本人は人肉まで食う。
実際日本の総理大臣にも人を食って生きていると公言した人もいる。
292 :
天之御名無主:2005/10/11(火) 20:21:09
人肉・犬を食った話は隣の家のじいさんが言ってた。
戦争当時、どうしても困って食べたんたそうだ。
ただし、生きてたのを殺して食べたんじゃなくて
死んでたのを食べたそうだ。
どちらの肉も臭くて食べれたもんじゃなかった。
もちろん人間や犬を食うという罪の意識で
一口食べてその後はきちんと墓に埋めた
だそうだ。近所の墓地にその墓があるよ。
293 :
天之御名無主:2005/10/12(水) 12:11:50
確か古い本に猟師が赤剥けた肌になる病気になってしまった記載がある。
書物には彼らが殺して食べたウサギのたたりだと解釈されているな
しかしこれは明らかに野兎病だろう。
人畜共通感染症の一つで、ウサギについた病原体が感染したものだ。
まあ、確かに祟りと言えば祟りと言えるかも知れないが、ともかくこのような逸話が残ることは動物を捕食して食べることは
当時は特異なことだと考えられていた根拠でもあるな
すっぽんの幽霊の話しはどうなるんだよ。
295 :
天之御名無主:2005/10/13(木) 15:56:05
>>293 >当時は特異なことだと考えられていた根拠
単なる仏教説話の類とも考えられる。
『日本霊異記』に似た話がありますが、猟師と離れた環境から、唱導用に
広められたものかもしれませんよ。
猟師絡みの因果応報譚が、唱導者から当の猟師に伝えられていた例は、
千葉徳爾先生が紹介してらっしゃいました。
>>265 それって精進料理なんかの影響もあるのかな。
ほれ、僧侶は肉を食えないから代用に、って奴。
298 :
天之御名無主:2005/11/08(火) 01:26:04
268じゃないけど
>>271-273 会津藩が下北に押し込められた後
藩士が「犬を食うまで落ちぶれた」と日記に書いたとか。
常食してたのは青森より薩摩の「ゑのころめし」じゃない?
299 :
うろん:2005/11/15(火) 17:57:22
このスレをROMりながら、
近代以前の日本(中〜近世) は
四 足 獣 厳 禁 ! !
だったという自分の常識が瓦解していくのを感じた。
何のための「がんもどき」だ。
いや、あれは違う理由で開発されたんだったか。
とにかく、じゃあ、いったいどこの日本人が(僧侶以外)
獣肉を食うのをタブーにしてたんだ?
300 :
天之御名無主:2005/11/16(水) 08:23:10
京の差別階級の人間たち