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天之御名無主:
日本に生け贄はあったのか?というテーマに対して、
縄文、古代にももちろんあったと思うが、中世まで
あったら、もう充分「日本にもあった」と確信できる。
そこで民俗学の板としては、「人身御供」を語るだけで
もう結論は出るんじゃないかな。
○諏訪神社では、三年に一度諏訪の大神に村の娘を犠牲
として供えていたと言われている。
○奈良の倭文神社の言い伝え。大蛇のいけにえとして毎
年幼児を神前に捧げる風習があった。
○尾張大国霊神社では「儺負人(なおいにん)」として
往還の村人を無差別的に捕え殴る蹴るの暴力を行いな
がら神社へ連行する祭りが近世まであった。
○七尾の山王神社へ毎年「白羽の矢が立った」美しい娘
さん一人を人身御供に差出すのがならわしであった。
「人身御供」の話は書ききれない。どこの県へ行っても
神社の伝説、祭りの起源、そして語り継がれる昔話の中
に、無数にある。日本は実は「人身御供」の国だったん
だ〜〜。
アイヌの熊送り的なものは、狩猟採集を背景に、新たな
恵みを願う平和的な生け贄であるのに対して、
「人身御供」は、農業社会において天候不順、凶作、飢餓
の恐怖が動機になっていると思われる。より残酷だぞー。