【懐かしき時代】昭和20年代【思い出を語ろう】

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76名無しさん@お腹いっぱい。
東京の世田谷出身ですが、子供の頃山手線は誰もが「やまてせん」でした。
それが名称決めで「やまのてせん」になったとき、「そんな電車知らねえよ」、
と思いましたが、皆さんは当時どちらで呼んでいましたでしょうか?
77名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/23 23:11:12 ID:+qXFAMF4
>>76
私は今まで「やまてせん」と呼んできました。
「やまのてせん」という人もいましたが
そういう呼び方もあるかと思っていた程度です。
「やまのてせん」が正式呼称だとはしりませんでした。
78名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/23 23:19:01 ID:+qXFAMF4
>>75
リズは「ジャイアンツ」(1956) 「愛情の花咲く樹」(1957) の頃が
かわいらしさも残っていてきれいでしたね。
「熱いトタン屋根の猫」(1958) あたりから妖艶になり
「クレオパトラ」(1963) あたりではトウがたってきた感じでした。
今ではぶくぶく。変われば変わるものです。
79名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 10:08:42 ID:bfw7bUVv
>>76
もともとヤマノテセンですが戦後進駐軍が入ってきてローマ字で行先表示を
YAMATELINEといれたあたりからヤマテセンとなったようです。
東京の人は土地柄を山の手に住んでいるとは言っても
山手に住んでいるとは言いませんでした。
80名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 16:15:52 ID:tmHGo050
>>79
山手線の読み方の変遷(復古)は、ロシアのぺテルスブルグと似てますね。

 ・ぺテルスブルグ(ピヨトル大帝の名を記念し、欧風の名に)
 ・ペトログラード(対独戦争で独逸風の名前が露西亜風に改められた)
 ・レニングラード(露西亜革命のレーニンを記念して)
 ・ぺテルスブルグ(復古)
81名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 01:00:47 ID:j047nMO8
>>79
なるほど、下町に対する山の手からとった名前なんだ。
今まで気づかなかった。簡単なことなのに。
82名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 13:17:55 ID:Bkk4No56
>>75
木村功という俳優は覚えてますか?
特別美男というわけではなかったけれど
「真空地帯」「雲流るる果てに」など
戦中、戦後の青年像を演じる俳優では彼ほど
独特の魅力を持った俳優はいなかったと思います。
木村功が亡くなったのは数年前のような気がするのですが
もう20年以上になります。
時の流れの速さを改めて感じます。
83名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 21:49:27 ID:WeF/0hE3
>>82
もう20年経つのですか? 私は「七人の侍」「雪国」をよく覚えています。
奥さんが書いた「功さん大好き」(ちょっと題名間違ってるかも)も読みました。
84名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 23:47:54 ID:5KA1lQyn
富山の薬売りが来て紙風船貰ったこと、縁の下で飼っていた鶏の卵で
カバヤキャラメルを買い、図書券を集めてカバヤ文庫を買ったこと。
思い出すと鼻の中からツンと甘酸っぱい匂いがする。
85名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/26 00:44:51 ID:D62Z+YZI
>>84
カバヤキャラメル、あったなー。
昭和20年代後半でしたよね。
箱というかパッケージの中に券が入っていて
集めるとカバヤ文庫が貰えるんでしたね。
私も貰ったけど漫画だったか小説だったか
どんな本だったかさっぱり覚えてない。
貰えたのは本だけでしたっけ?
8660歳:04/09/27 00:50:15 ID:V0lhvLOv
>>76>>77>>79>>80
昭和38年大学受験で東京に来た時、
「やまてせん」と漢字通りに読んで云ったら、
「やまのてせん」と間違いを直してもらいました。
その時、12年前の昭和26年に東京に遊びに来た時、
「やまのてせん」と云っていたのを聞いた記憶を思い出しました。
「やまのてせん」の呼び方は戦前から変わったことはありません。
>>76さんのご両親、ご近所の方々は昭和30年代以降に東京に来られた方で、
「やまてせん」が間違いであること知らない方々ではないでしょうか?