子供の頃、家が貧乏でトラウマとなった人

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715大人の名無しさん
あまり思い出したくないんですが「筑豊の子どもたち」の話題が出たので私も・・・
1961生まれ筑豊在住です。生まれは別のところですが、親父が事故死したた
め1970両親の実家のある筑豊へ引っ越して来ました。
既に炭坑は殆ど閉山していましたが、当時の小学校の同級生達の1割程度は
炭坑住宅と呼ばれる長屋(だいたい2部屋、トイレは屋外にて共有)に住んでお
り、そうでない家も上の書き込みと同様、またはそれ以下の暮らしは珍しくもあり
ませんでした。給食費が払えない、修学旅行に行けない、遠足や運動会に弁当
を持って来れないという子供は1クラスに4〜5人は居たと思います。家庭科、図
画工作などの教材なんかは兄弟や近所のクラスの違う友達と使い回しです。

世の中は、今考えると急速に豊かになっていった時代で、テレビを買った日、電話
を引いた日、自転車を買ってもらった日、みんな鮮明に覚えています。
みんな貧乏だったんですよ。つい30年前の事なんです。我々より物質的に豊か
な世代の方がネタだと思うのは仕方ありませんが・・・

母は生活費のために工務店の下働き(日雇い人夫)に出ていました、