子供の頃、家が貧乏でトラウマとなった人

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533気違いの息子
進学校では不良っぽいのって、結構モテるんですよ。
私みたいなのって他にいなかったですから、特に上級生のお姉さんにはよく
モテました。 2学期の終わりころには20人くらい手篭めにしてたっけ・・・
(高校のときの自慢はこれだけ ← アホや・・・)

相変わらず夜な夜な悪さばかりしていた私でしたが、母親だけは大事にしていた。
生活保護の支給額だけでは生活できないので、夜遅くまで働く母を小学生の時から
ずっと見ていたので、私がこのまま地獄に落ちようと、母だけは幸せにしてみせる、
そう思っていました。
「カツアゲ」したお金も自分では使わず、母に「バイトした」って言って渡して
いました。(無茶苦茶な親孝行でした)

私はいつも文無しでしたから、必要なものはすべて万引きで手に入れていました。
一度だけ万引きしたのが店員にバレたことがありましたが、私の制服の襟について
いる校章をみて、秀才さんのおたわむれだから、といって無罪放免してくれました。
(進学校万歳!! ← ちょっとちがうんちゃうか?)

こんな私に立ち直るきっかけを与えてくれたのはやはり、母でした。
いつもの様に、バイトしたお金だと言って母にカツアゲしたお金を渡した時、母は、
「みんな知ってんねんで。このお金もどっかで人様のもん盗ってきたんやろ。おまえが
私のこと思うてくれてるのは嬉しいけど、人様のもんに手ぇつけてまで生きようとは
思わへん。そこまでせな生きられへんのやったら一緒に死んでくれ」
「おまえはお父さんのこと恨んでるかも知れへんけど、なんやかんや言うてもおまえの
父親には違いないんやから死ぬ前に一度、顔を拝んどき」

                       つ づ く