1 :
大人の名無しさん:
2 :
大人の名無しさん:2001/08/11(土) 15:05
3 :
大人の名無しさん:2001/08/11(土) 15:07
4 :
大人の名無しさん:2001/08/11(土) 15:14
っていうか お涙頂戴はもう退場してって感じ。(w
ageるでない、皆の衆。
ハイハイ皆さん、バカがまた糞スレを乱立し始めたので、
相手をしないように。
8 :
大人の名無しさん:2001/08/11(土) 19:27
>>4 何度も何度も何度も何度も 皆が言っているように
「じゃ、来なきゃいいじゃん」
削除依頼の出してあるスレと同じ展開(藁
>>8 _______________
|
|★★荒らしは放置が一番キライ!★★
|
|●重複スレには誘導リンクを貼って放置!
| ウザイと思ったらそのまま放置!
|
|▲放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います!
| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け!
|
|■反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです
| アラシにエサを与えないで下さい
|
|☆枯死するまで孤独に暴れさせておいて
| ゴミが溜まったら削除が一番です
|
| 。
. Λ Λ /
(,,゚Д゚)⊃ ジュウヨウ!
〜/U /
. U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
sage
sage
14 :
大人の名無しさん:2001/08/16(木) 12:20
せっかく嗚咽は良かったのに…。
なんで2はこうなったの?
スレタイトルって大切なんだなぁ。
痛感。
15 :
大人の名無しさん:2001/08/16(木) 12:37
こちらで続けませんか?
せっかくだし。
>>14-15
_______________
|
|★★荒らしは放置が一番キライ!★★
|
|●重複スレには誘導リンクを貼って放置!
| ウザイと思ったらそのまま放置!
|
|▲放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います!
| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け!
|
|■反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです
| アラシにエサを与えないで下さい
|
|☆枯死するまで孤独に暴れさせておいて
| ゴミが溜まったら削除が一番です
|
| 。
. Λ Λ /
(,,゚Д゚)⊃ ジュウヨウ!
〜/U /
. U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つわけで、荒れたスレと荒しのレスは無視して、このスレでマターリと再開しましょう。
18 :
女医:2001/08/17(金) 20:04
あらあら、もう次スレたってたんですね〜。失敗しちゃったかな?
前スレの818のちちさんへ、前スレの919でレスつけたので、
ちちさん、よろしくです!
このスレは、書く人も見る人も癒されると思うので、まったり長く続いて欲しいです・・。
19 :
大人の名無しさん:2001/08/18(土) 16:00
前のスレッド半分しか見れなかったのに見れなくなっていました。残念です。
泣きました。皆さんはきっと周りの方には何もいわずにいらっしゃるのでしょう。
そう思うと もっと泣けました。
友人を放火で亡くし、未だに引きずっています。
でも周りの人には何も言えません。
職場の方で、同じ気持の方もまだいらっしゃいますから。
思いだし供養は辛いのでしたくなかったんです。
全く関係の無い人に「こんな事があったんだよー」
って事も言うわけにはいかないし。
ここで少しずつ思ったことをかかせてください。いろいろありました。
20 :
大人の名無しさん:2001/08/18(土) 16:12
その2もこちらに落ち着いたようですね。
>>19 私も前スレに書き込んだことがありますが、周りの人には何も言ってません。
このスレはそういった場所だと思ってます。
少しづつ書いていけばいいんじゃないですか。
離婚に向けて話し合いが始まったよん。
いろいろあった思い出がこわれてくよん。
これ書いている間も涙がでてくるよん。
子どものこと考えると胸がつぶれそうだよん。
一家心中しようかしらん。
つらいんだよん・・・
家裁の調査官が広川君みたいな人だったらいいのにな。
このスレで離婚話は荒れる元なのでごめんね、もう書かないから。
22 :
大人の名無しさん:2001/08/20(月) 07:44
皆さん。
気を取り直してボチボチ続けましょう。
23 :
1はこれでした:2001/08/20(月) 07:46
30歳すぎて人前で泣いてしまいました。
それも車の中で10歳年下の女の子の前で。
ちょっと前に悲しいことがあって突然それを思い出したからです。
涙もろい訳じゃないけれど、嗚咽を止めることができなかった。
泣いてる理由が分からなかった彼女は一生懸命慰めてくれたけれど
ちょっと恥ずかしかったです。
24 :
名作選 1の129:2001/08/20(月) 07:56
父が肝臓癌で死亡して10年になります。
年に一度くらいの割合で同じ夢を見ます。
私は病院の中庭に立っていて、父の病室を屋外から窓越しにのぞき込んでいます。
窓にはまっているのは半透明のすりガラス。
ベッドから上体を起こす父のシルエットに、私はつとめて冷静を装いながら
話しかけます。夢の中の私はもちろん、父が死んだことを知ってます。
「お父さん、お見舞いに来たよ」
「うん」
「どう?」
「ちょっと寒いけど心配すんな」
「そう・・・」
ここまで来ると、涙が滝のようにあふれて会話が成立しません。
朝起きると枕がぐしょぐしょになってます。
25 :
大人の名無しさん:2001/08/20(月) 19:44
19です。
友達の電話で起きてTVつけたら、もう報道番組で友達の家が焼けてた。
急いで現場に行ったよ。友達に車をだしてもらって。車中では
「2●歳の大人が火事で逃げ出せないわけ無いよ」ってぶつぶつ言いながら。
TVではもう死んだ可能性があるって言ってたけどね。
だめだったよ。もう現地で近所の人達がいっぱいいてた。皆泣いてた。
あきらめきれなくて、ご近所に避難した人の噂を聞いたので探しにいった。
悪いけど友達だけ生きてればいいって それだけずっと思ってた。(ごめんなさい)
だめだったんだよ。死んでたんだよ。
外の友達に連絡しなくちゃいけなくて、近くの病院で公衆電話した。
「●●ちゃん死んだよ。火事にあって。会社に連絡しなくちゃ」
友達が理解できなくて、聞きなおしてきた。
もう一度説明しようとしたら、涙がな、あふれて。膝がくずれてしまった。
「あー」って大きな声をだしてた。嗚咽かな。号泣かな。これ。
26 :
大人の名無しさん:2001/08/20(月) 19:47
27 :
大人の名無しさん:2001/08/20(月) 23:00
親が死んでも泣かなかったが
犬が死んだ時は泣いた泣いた
28 :
大人の名無しさん:2001/08/20(月) 23:10
ワカル、ワカル
3日絶食したよ。
29 :
大人の名無しさん:2001/08/21(火) 01:48
私の場合は生まれて1年経ってない子猫だった
交通事故で突然のことで
そのとき妻は「猫なんかより子供の世話が大変なんだから」と冷たく突き放したいい方だった
あの言葉も離婚の原因の1つだった
定期sage
31 :
大人の名無しさん:2001/08/23(木) 04:45
age
何だ、久しぶりに上がってると思ったら
age だけレスか・・・。
カキコなしのageレスはsageでやってくれよー。
ん?
>>30-32
つことで「定期sage」よろしく。
定期sageてれば倉庫には落ちないYO!
>>21 バカなこと言ってんなよ、心中だなんて無責任にも。
子供は被害者
漏れのドキュソ兄貴は、結婚して子供作って奥さんと別れて
最近ヨリ戻したらしい。
忙しいやっちゃ
親を絶対許さないと思ってた。
歳をとってどんなに弱そうになっても、それはずるい、自分は絶対許さないんだ
と思ってた。 縁も切った。
けれど今、本当に年老いてしまった姿を見ると、幸せにしたいと思う。
子供の頃、危惧した通りの結果になった(笑)。
けど、それで良かったと思う。
37 :
大人の名無しさん:01/08/27 07:57 ID:zv0DCRB.
age yo-yo
1
定期sage
sageるよーん。
41 :
大人の名無しさん:01/09/03 19:40 ID:ZyOrKquI
>>21 辛いだろうな、俺の状況は君とは似ても似つかないが、
人生なにがあるかわからん・・・これから先はね。
まったく見ず知らずの君が書いたことが私の心の中の何かに
訴えかけてきたよ
思い出が壊れていくのは辛いだろうなしかもその後が
もっと辛いんだろう 勉強になったよ 頑張れっ!!!
42 :
21:01/09/04 08:02 ID:GEfu0YxM
>>41 どこのどなたか存じませぬが
ありがとう・・・。
>>34 ありがとう。
そんなことできないことは自分でも分かってるんです。
43 :
大人の名無しさん:01/09/07 17:22 ID:FmkcYA9A
間違って、前スレに書いてしまいました。
もう一度・・・
前スレの411さんへ
超遅レス ゴメソ
今日全部読んで、411さんのが心に引っかかってる。
俺にも2歳の子供がいるけど、むちゃくちゃかわいい。
母親なら尚のこと、それを有責なのに取りあげるなんて
ゆるせない! そいつを張り倒してやりたいヨ。
411さん、もう見てないかもしれないけど、がんばってな。
ほんと 応援してるよ。
なんとかして 取り戻せないのかなあ・・
411さんと子供さんの幸せのためにも。(涙)
タイミング悪スギ・・・われながら(藁)
44 :
おせっかい:01/09/07 17:32 ID:4NPnRdIk
前スレ 411さんのレス
2歳になる娘がいます。私はこの子を抱き上げたりおぶったり
してあげたことがありません。
高校のときの事故で、右肘から下がほとんど動かないからです。
でも子を思う親としての気持ちは、決して人に劣っていないつもりです。
先日離婚が決まりました。
主人が有責なのに、他に女の人を作ったからなのに
腕のせいで親権をとれませんでした。
娘とはあと2ヶ月しか一緒にいられません。
買物の帰り、娘と手を繋いで歩きます。
だらりと下がった右手を、娘が精一杯の力で握ってくれて
でも、私はその手を握り返してやれない…
一杯抱っこしたり、おんぶしたりしてあげたかった。
ずっと、ずっと傍にいて成長を見守りたかった。
45 :
大人の名無しさん:01/09/07 18:36 ID:h8U3WpoU
みなさん、がんばってください。
情けないけど、そんな言葉しか思いつきません。
ファイト!!
46 :
大人の名無しさん:01/09/07 19:05 ID:FmkcYA9A
>>44 43です、ありがとう。
読み返したら、また泣けてきた。
本当にがんばってほしいと思う。
47 :
大人の名無しさん:01/09/07 20:18 ID:1oJvMxJI
悲しいね。
48 :
sage:01/09/09 09:49 ID:SR9GVK66
sage
49 :
sage:01/09/11 08:05 ID:4hQKWJIU
sage
50 :
大人の名無しさん:01/09/11 08:18 ID:7UCd4pLs
age
51 :
大人の名無しさん:01/09/17 05:36 ID:7crs78C6
は
い
52 :
sage:01/09/17 20:54 ID:8XZFeeMI
sage
53 :
sage:01/09/22 07:51 ID:YEBR47hs
sage
54 :
大人の名無しさん:01/09/27 00:29 ID:KdqQBnKs
また聞かせてよ。
何とか荒れずに作っていこうよ。
55 :
名作選 1の145:01/09/27 00:35 ID:KdqQBnKs
3年前に親父を亡くしました。
入院先の病院の8階から飛び降りて逝ってしまいました。
夜中に病院から父の姿が見えないと連絡があり、
母や弟たちと病院の中を探し回りました。
3時間程探しても見つからず、
家に帰ろうとして病院を抜け出したんじゃないかと
皆で話しながら途方に暮れていると
うっすらと夜が明け始めた頃、
一緒に探してくれていたお巡りさんが
あの人じゃないかとあわてて知らせに来ました。
教えてくれた方に走っていくと
駐車場近くに何かがあるのが遠目に見えました。
駆け寄ってみると、父でした。
ずっと冬の冷たい雨が降っていて
ずっと見つけてあげられなくて
ずっと父に寒い思いをさせてしまったと
その場で泣き崩れてしまいました。
56 :
大人の名無しさん:01/10/01 03:14 ID:OLEStSPk
母方のおばあちゃん、まだ生きているのだろうか・・・
あなたの娘である私の母の所行のせいで
私達はそちらの家の敷き居はまたげなくなったね。
おばあちゃんの家のお嫁さんが、母をなじっているときも
絶対顔を見せなかったよね、自分の娘だもんね
何があっても最後まで母をかばっていたね
でも私達にとって、親戚中にとって母は
化け物以外の何者でもなかったんだ
そんな意見の食い違いと、気まずさもあって
もう10年以上私達家族はそっちに行っていないけど、
生きているなら顔を見たいよ
またおばあちゃんの作った美味しいシチューが食べたいよ
もし、死んでしまっているのだったら
御葬式にも、お墓参りにも行けなくてごめんね
お線香の1本も上げたいけど、
きっと家には入れてもらえないよ。
57 :
大人の名無しさん:01/10/01 03:55 ID:uSPf5iUQ
パート1からずっと書き込もうか迷ってるけど
やっぱり悲しみが強すぎると書けないね。
書いてる人は、きっともういくらか気持ちに決着がついてるんだろうな。
例のアメリカのテロ事件の時、
突っ込んだ飛行機ぼ乗客が携帯電話で家族や恋人に伝えた
最期の言葉が新聞に載ってた。
それを読んでぼろぼろ泣いた。
別にあの中に知り合いがいたわけじゃない、まったくの他人のことだけど。
それでも泣かずにはいられなかったよ…
故人話ばかりでアレというわけではないですが。泣いた女子バレーの試合。
94年暮れに突然解雇を通告された、大林と吉原は、95年にイタリア・セリエAに移籍、結果を出すも、
当時の規定では「日本代表は、日本リーグ所属選手によって構成される」事になっていた為、イタリア
リーグに所属していると、日本代表に入ることはできなかった。どうしてもオリンピックに出たかった二人は、
残留を求めるチームのオファーを蹴って、帰国する事を選んだ。
ワールドカップ95、アトランタオリンピック予選を兼ねたこの大会で、女子バレーは宿敵韓国にほんの数十分で
三セットとられて負けるという敗北を喫した。試合後の吉原の呆けた表情は忘れられない。
チームはガタガタになってしまいそうになる寸前だった。次の相手は当時世界チャンピオンだったアメリカ。
アメリカ戦で黒星を喫すれば、この大会でオリンピック出場権を取るのは絶望的になってしまう。
そんなアメリカ戦の前日、チームのセンタープレイヤーで柱的存在の多治見のお母さんが亡くなった。
代表チームは、多治見を送りだした。「もし多治見がこのまま戻ってこなくても、誰も多治見を責められない」
だが、多治見は試合開始前、試合へと戻って来る。
チームは喪章をつけて試合に臨む。身長がそれほど高くない多治見のブロックが何度も決まり、王者アメリカ
相手に日本は2セット先取する、圧倒的な試合内容だった。
王者アメリカは、調子の悪かった正セッターに替えて、サブのセッターを投入。サブのセッターは、アメリカ人と
結婚し、アメリカ国籍を取得した、ヨーコ・ゼッターランド。アメリカでまた一からやり直し、アメリカ代表になっていたのだ。
ピッチ再度でレポートする益子直美とは、ティーンエイジャーの頃から知っている同世代のプレイヤー。
「よっこ、大きくなったね…」とまるでリポートになっていない事をつぶやく益子直美。
セッターを交代したアメリカも、日本の流れを止めることはできずに、そのまま3-0で日本は勝利した。
試合終了時、MVPに選ばれた多治見は、そのまま泣いて泣いて、インタビューでも「お母さん…」としか言えずに、
ただ泣いていた。
俺はそれをテレビで見て「なんだこのマンガみたいな試合は…、これが現実なのか…」と思って泣いた。
60 :
大人の名無しさん:01/10/02 01:07 ID:VvTpO6Q6
>>57 それは人それぞれだと思う。
周りの人にはいえない事をここでつぶやいたり、
書くことで自分が癒されたりする人もいれば、
書いたことを後悔したりする人もいると思う。
時間がたてば「あのときの経験があるからたいていのことに耐えられる」と
思うようになるかもしれない。
今の想いを勢いに任せて書くのも一つの手だし、
あなたが落ち着いてからでもいい。
もちろんいつまでも自分の胸にしまっておいてもいい。
ただこのスレッドはいつまでも続くから必要なときに使ってくれればいいよ。
61 :
大人の名無しさん:01/10/02 01:14 ID:Xwv31cog
>59
そういう嗚咽もあるね。
漫画みたいと言いつつ泣いた気持ちわかるよ。
62 :
大人の名無しさん:01/10/02 16:29 ID:XRE.RWWw
純粋に自分のことじゃないのですが…。
彼は中学生の頃にお母さんをくも膜下出血で亡くしていて、父子家庭で育った人です。
口下手ですが、穏やかで物静かで、老成した人です。
その彼のお父さんも先日肺がんで亡くなられました。
何度か入退院を繰り返しながらも、発見されてから半年程の比較的短い闘病生活でした。
入院中も、お通夜、御葬式でも彼は決して取り乱すことなく、
いつもと同じ淡々とした様子で、雑事を片付けていました。
私が、「気を張ってない? こういう時は泣いた方が楽になれるよ」というと、
「今はまだ実感が湧かないみたい。独りでいると、ちょっとうっと来ることも
あるけど…。ま、泣ける時が来たら泣くさ〜」
彼は、やっぱり穏やかにそう答えました。
あれから3年経ちますが、彼が結局大泣きすることはなく
ショックは日々の雑事にまぎれて、お父さんの話題も何げに話題に上っていました。
そして昨日。
仕事でちょっと辛いことが続いていた私が、愚痴半分に、
「あーもう、このまま一人で旅にでもでたいわー」と言った途端、
彼はびっくりしたように私を凝視して、
次の瞬間彼の目からは粒になった涙がぼたぼたと。
突っ伏してしゃくりあげ始めた彼に唖然としていると、すすり泣きの間から
「もうおいていかれるのは嫌だ」。
私も感情が込み上げて来て、彼の背中に覆い被さって「ごめんね、ごめんね」と泣きました。
ますます彼が愛しくなると同時に、
一人の人間の心を背負っていく重さにちょっと圧倒されました。
今後、二人の関係がどうなるかはもちろん分からないけど、
どんな結果になっても、逃げずに最後まで
心を全部遣って彼と向き合う努力をしたいと泣きながら思いました。
11月に挙式予定です。
長文失礼しました。
63 :
大人の名無しさん:01/10/02 16:54 ID:.qeSvYCc
>>62 おめでとう〜!彼とならきっと穏やかな良い家庭が築けそうだね
二人でいると悲しみは半分喜びは2倍って本当なんだよ
私も結婚してから解ったよ。
お幸せに!!
>>58 私も奥さんが留守電に入れたメッセージを聞いて泣いた
本当は直接伝えたかったんだろうに…。
>>62 な・・泣いて泣いて涙で画面がにじみます。
お幸せになってください。
65 :
:01/10/09 09:45 ID:SZ//x.Yw
お前ら、いい加減にしろよ。
涙が出すぎて仕事に支障が出るだろうが…
66 :
大人の名無しさん:01/10/11 19:41 ID:U9tsWlNk
今日の昼間、U2のライブをINETで生放送していてずーっと見ていた。
3月から始まった今のツアーはブートで聴いているからだいたいの雰囲気は
知っていたけれど、3rd Legからセットリストも代わり新鮮だった。
彼らは社会的メッセージを唄うハードなロックバンドだけど、
"One"のイントロで世界平和への想いを淡々と語り、"Peace On Earth"と続く。
そして最後の最後でNYの警察官たちをスペシャルゲストとしてステージにあげる。
"Walk On"を熱唱。見ていて涙が出てきてしまったよ。
リアルプレーヤーでの荒い画像だったし、
予定よりも開始が1時間も遅れたけれど、本当にすばらしいライブだった。
ロックを聴いて涙を流すなんて思わなかったよ。
67 :
大人の名無しさん:01/10/18 23:54 ID:gnTiJnA4
初代嗚咽スレがとうとうdat化されたようです。
68 :
おかいものさん:01/10/22 13:18 ID:HBj2tLJd
早く読みたいage
69 :
大人の名無しさん:01/10/26 17:26 ID:G9XzXQAm
このまま失うにはもったいないスレッドだぞ。
妻の持ち物にシーズーらしき犬のぬいぐるみがいる。
なんでもそいつは妻が子どもの頃、布団の景品についてきたらしい。
20年以上一緒にいて、洗濯に洗濯を重ねて、もうボロボロなんよ。
で、あるとき、あまりのほつれ具合を見た俺が、冗談まじりに
「もうボロボロだから捨てちゃおうか」
と、うっかり言ってしまった。本当に軽い気持ちで言ってしまった。
一瞬の間を置き、妻、号泣。その後、小一時間鳴咽を漏らしていた。
俺は巨大な後悔を抱えながら、おろおろするばかりだった。
自分の馬鹿さ加減に、涙こそ出なかったものの、烈しく反省した。
俺も、子どもの頃に、親におもちゃを捨てられて悲しい思いを
したことがあるってのに。物にも魂が宿るということを知っていたのに。
物を捨てる、っていうのは、その物につまった思い出を一緒に
捨ててしまうということなんだよね。
今、二歳の娘がいるんだけど、なぜか石ころが大好きでバケツ一杯分ある。
親にとってはただの石ころでも娘にとっては宝石以上の存在なのだろう。
自分の子どもに限らず、子どもの宝物は絶対に捨ててはならぬ、
汚してはならぬ、と思う。子どもが鳴咽をもらす姿なんか見たくないから。
なんか、最後に微妙にずれちゃったので、sageます。長くて、スマソ。
72 :
うりゃ!:01/10/30 01:19 ID:sX+qv+WS
上げ逃げ
横レス
1よごめんよ、ゆるせよ。
定期sageよろしく
定期sageよろしく
76 :
うりゃ!:01/11/02 00:45 ID:0fJxQ04A
じゃ、sageるね。
もうネタ切れかなぁ・・・。
78 :
定期代上げ:01/11/05 14:36 ID:ybG88RnP
たまには定期上げ
79 :
大人の名無しさん:01/11/05 14:50 ID:8NWTFail
悲しすぎると最初は嗚咽さえ出ない。
好きな人が死んだ時
手足は冷えたゴムのように冷たいのに
お腹はまだ温かい。
まだ死んでいないのに、どうして息をしないんだろう。
どうしてこんなに私が呼ぶのに目を閉じたままなんだろう。
どうして人は簡単に死ぬのだろう。
まだこれから幸せなことがいっぱいあって
私ともっと遊ぶはずだったのに。
お誕生日おめでとう……
もう歳をかぞえることも出来ないけれど、
お祝いしてもいいですか?
忘れなくても、いいですか?
定期sageよろしく
協力sage
>>62 貴女の書き込みで夜中だというのに
声を上げて泣いてしまいました。
もうすぐ式でいまごろ忙しいでしょうか?
本当におめでとう。
二人で幸せになってください。
わたしも早くそんなふうに想える相手に
めぐり逢いたいです。
84 :
大人の名無しさん:01/11/09 08:49 ID:TjcR0FyI
>>62 もうすぐですか? もう終わったのかな? 結婚式
おめでとう!
いつまでもお幸せに!!
85 :
大人の名無しさん:01/11/09 20:34 ID:APMmL/Eg
医者知らずの父が体調を悪くし、観念して病院へ。
末期がんでした。
何をしても手につかず、涙があふれます。
これから延命のためにどんなにか辛い治療が待ってるかと思うと。
残された日々、なるべく会いに行こうと思っています。
それしかできない娘ですが。
86 :
大人の名無しさん:01/11/09 20:50 ID:Xu7fuTHF
>>85 前スレッドに書いたのですが、うちの母もこの5月に亡くなりました。
ガンでした。
本人には告知していなかったので、いつものようにバカ話をして
笑って過ごしておりましたが、辛いものでした。
医者にはなるべく痛くないように、穏やかに逝かせてくれと頼みました。
痛みを訴えて、モルヒネを投与し始めてから10日足らずで亡くなりました。
母を亡くしたことが残念であるのは間違いないのですが、
安らかに送り出せたことに安堵感を感じています。
親が先に死ぬのは自然なことです。
いつかは来る日がくるだけです。
今はとてもではないけれど、そんな気持ちにはなれないでしょうが
まわりの家族が落ち着いて、優しく送り出してあげて下さい。
お父さんのいないところでは泣くだけ泣けばいいのです。
弱音を吐ける相手がいるのなら、すがりつけばいい。
ただ、お父さんにだけは、いつも通り接してあげて下さい。
定期sageよろしく
88 :
大人の名無しさん:01/11/12 22:18 ID:G1c8aFsC
おっと!
倉庫入り目前
ageなくっちゃ!!
89 :
大人の名無しさん:01/11/13 08:40 ID:Fa5Ea3li
86さんありがとう。
父も手術が終わって家に帰れたら、車を買い換えようかななんて
うきうきしているようです。
本人には最後まで絶望感など持ってほしくない。
姉妹で母を支え、がんばります!
保存sage
91 :
大人の名無しさん:01/11/22 07:53 ID:XgbEuT/U
消えないでほしいな、ココ。
92 :
age:01/11/22 09:35 ID:E6TKFgiP
age
93 :
86:01/11/25 23:43 ID:EwAlzpBf
父は、母に先立たれてから、「淋しい」ばかりを口にするようになった。
半世紀近く共に暮らしてきた妻がいなくなり、
一緒に過ごした日々を思い起こしているようだ。
毎朝仏壇に向かって読経している。
その父の様子がおかしくなった。
ろれつが回らなくなり、歩き方もよたよたしている。
いつもは浴衣に着替えるのに、風呂から上がって、また服を着る。
難聴ぎみの耳が一層聞こえにくくなったようだ。
病院に連れていったら「硬膜下出血」と診断されて即刻手術となった。
しかし大事には至らず、1週間ほどで退院できた。
手術から2ヶ月近く経った今日、9月に納骨して以来
墓参りに、田舎に帰った。
父と俺とで建てた墓だ。
「遅くなってすまんかった」とつぶやきながら父は帽子をとった。
2センチほどにのびた白髪頭を垂れながら、数珠をたぐっていた。
「もうすぐ行くところだったよ」などと言っている。
「急がずに行けよ」と、墓石に水をかけながら俺は答えた。
帰りの車中で父の寝息が聞こえた。
このところ父がいらだっていたのは、墓参りに行けなかったせいだ。
また来月行くことにした。
定期sageよろしく
>>93 「急がすに行けよ」
いい言葉ですね。涙が出ました。
定期sageよろしく
97 :
大人の名無しさん:01/11/30 09:15 ID:gGix8d64
半年前親父が死んだ。
親が離婚してから全然会ってなく、
また女クセ悪いロクでもない親父だったので、
悲しいとかの感情はほとんど無いまま葬式に行った。
そこで親父の嫁さんに、
「最後あなたに会いたいが会えない、会う資格がない」
言って死んでいったという話聞いた。
葬式では涙ひとつ流さなかったが、家に帰ってから
昔の写真引っ張り出して見てたら涙が止まらなくなった。
今更写真かざってお供え、とか気恥ずかしいので、
形見分けでもらったネクタイに時たま酒とか供えてる。
一度は酒酌み交わして腹割って話してみたかったよ、親父。
定期sageよろしく
99 :
嗚咽という程ではないけど:01/12/04 23:16 ID:BM6CPVoJ
>>99 私は犬は飼ったことがありません。
好きなんですけどね。ずぅ〜っとアパート住まいなもんで。
猫ならあるんですけど。
でも、泣けました。
101 :
定期age:01/12/05 18:18 ID:i7MpNpCU
定期age
そろそろ定期ageに切り替えましょか
103 :
大人の名無しさん:01/12/06 00:41 ID:8Ui7orHg
年取ると、家族の愛が身に染みるようになるよね。
実家に帰って、こちらに戻る時、
見送りの母が手を振っているのを見るだけで
泣きそうになるときがある。
104 :
大人の名無しさん:01/12/06 04:02 ID:z3nX0l6/
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んで
いると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの
理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていた
ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は
待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前
みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
105 :
大人の名無しさん:01/12/07 06:10 ID:zbX3UClF
>>104 こんな朝方に泣いてしまったよ。
父親の愛情表現は不器用ですから(byケン高倉)普段はウザイ存在に感じるけど
母親の甘ったるい愛情より染み入る事ってあるんだよね。
定期保守sage
107 :
大人の名無しさん:01/12/13 06:21 ID:85h2XMTI
>>104 パート1から3時間くらいかけて読んできましたが、あなたのかきこが一番
泣きました。涙がボタボタボタ〜〜〜〜!!!と落ちてきて、
こんな時間なのに、声出して泣いてしまいました。
私、父親とはもう10年以上も口を聞いていません。
でも、実家に帰ると父親は私の事を気にかけて何だかウロウロしています。
随分と口をきいてない娘に対して、何と話し掛けていいのかわからないんでしょうね。きっと。
何か、うちの父親と一緒だな〜と思って、号泣してしまいました。
108 :
107:01/12/13 06:24 ID:85h2XMTI
言い忘れた。
3個ずつ3種類の合計9個のドーナツに父親の精一杯の愛情が入ってる。
そこに禿げしく涙した。。。
お父さんはどんなにそのドーナツを囲んで、みんなで団欒したかっただろう。。。
109 :
定期age :01/12/13 10:22 ID:IV5VKwGe
そろそろ定期ageに切り替えましょか
110 :
大人の名無しさん:01/12/13 22:56 ID:T7uA9uUz
>>104 もちろん、ドーナツ9個買ってから帰ってね。
112 :
大人の名無しさん:01/12/14 00:37 ID:wZe3+qSy
オヤジとサシで・・・
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/sake/977201195/ 上記からのコピー
あちらもいい感じです。
父は高2のときに逝ったので、結局呑む事は無かった。
大学1年のとき、亡父の誕生日の晩、一緒に飲む夢をみた。
季節はなぜか夏。行ったこと無い、デパートの屋上らしきビアガーデン。
ビアガーデンなのに、実家のサイドボードに入れてあった、父がダルマ
飲むのに使ってたタンブラーで、なみなみ入ったウィスキーを
二人で水のように飲んでた。何を話したのかわからない。
起きてから思い切り泣いた
113 :
大人の名無しさん:01/12/14 17:52 ID:xc7cO2he
自分の生きかたに影響を与えた人が亡くなるとつらいね。俺の場合は
母方の大叔父だった。いっつも中折帽をかぶっているダンディーな
人だった。
ナイフフォークの持ち方、避暑地への旅行、スキーの滑り方、射的、
金魚すくい、新幹線の食堂車のビーフシチュー、楽しかったな〜。
亡くなった事を知らされて、日本に長男と一緒に帰って、葬式に出た
けど、色んな思い出がめぐって泣けたね。
長男が”どうしてお父さん泣くの?、僕も悲しい”と言った時には
親族一同泣き声のトーンが上がった。
骨になって帰ってきて、また赴任地へ戻る前叔父の家に寄って、ずっと
骨壷を触って泣いたな。
>58さん
遅レスすみません。
>例のアメリカのテロ事件の時、
>突っ込んだ飛行機ぼ乗客が携帯電話で家族や恋人に伝えた
>最期の言葉が新聞に載ってた。
58さん以外の方でも 誰かよろしかったらその内容を教えていただけないでしょうか。
お願いします。
115 :
大人の名無しさん:01/12/16 02:17 ID:xXeG73cf
>114さん
私は
>>58ではありませんが
聴いたのは、奥さんが夫に向けて留守電で
「私の乗っている飛行機がハイジャックされた。もう命は
助からないと思う。だから貴方にひとこと、『愛している』と
伝えたくて・・・・・・」
と、言葉の端々と、後になるにつれてひたすら
『I love you all』を繰り返したものでした。
かなり泣けました・・・。
116 :
大人の名無しさん:01/12/16 23:24 ID:GGO8XFAC
>115さん
レスありがとうございました。
そのことを聞いて 私は最後に誰に何を伝えるのだろう…と考えていました。
愛する人を残してこの世を去ってしまうのと
愛する人に先立たれるのは 比べられないくらい辛いのでしょうね…。
ちょっと日本語がおかしいですけど…。
117 :
大人の名無しさん:01/12/17 04:22 ID:MTU+Qw8V
>>70さん
遅いレスすみません。私もこれを拝見して、泣けました。
自分のちいささからかな。意味不明でごめん
118 :
大人の名無しさん:01/12/17 05:41 ID:WJGoM1pn
例のテロに関するいろんな話があるのですが、どれを聞いても
涙が出てしまいます。飛行機が突っ込んだ後に、あのビル内にいた
夫からの妻への電話。115さんの飛行機の乗客の家族への電話。
私の住んでいる州の新聞にはあれ以後、毎日12人ほどの犠牲者の写真
とその人についてのお話が記載されています。生前はどのような人
だったかとか何が趣味だったとかです。今でもテロの犠牲者の事を
読んだりテレビで見たりすると泣いてしまいます。あのビルが崩壊する
シーンを見るたびに、私の心まで崩壊するような気がします。
119 :
大人の名無しさん:01/12/18 23:40 ID:ENpHf9W5
どうだろ・・・・
アメリカ人に対してはそんな感情はわかないね・・・・
120 :
大人の名無しさん:01/12/19 22:01 ID:YY1tGB5z
今TVでビルが崩れるところが出たけど
やっぱり胸が痛いよ。
平気なヤツは人間じゃないね。
121 :
大人の名無しさん:01/12/20 00:06 ID:fhpjNTpf
疎遠になりつつある友達が風の噂で5歳になる子供を失ったときいた。
奴のことだからきっと気丈に振る舞っていることだるう。
詳しい原因はよく知らないがでも辛いのはよく分かるよ。
時間がいやしてくれると信じている。立ち直ってくれ、福井のK。
岐阜のEより。
122 :
大人の名無しさん:01/12/24 07:17 ID:ale2WB6e
123 :
定期age :01/12/25 14:13 ID:pFpvkcuY
124 :
名無しさんに接続中・・:01/12/25 15:09 ID:jcyju5Ki
全盲のうちのお袋が、公衆電話をかけようとしたら、
白い杖を見てチャンスと思ったらしいDQNが、
お袋のバッグをひったくろうとした。
お袋はすぐに気づいて抵抗したが、殴られて倒れた。
次の瞬間、近くで怒号が聞こえて乱闘が起きているのがわかったという。
訊くと3人のDQNに一人で飛び掛っていったDQNがいたらしい。
幸か不幸か、そいつは大層強かったらしく3人とも叩きのめした。
しかし3人の負傷が激しく、救急車が来て、その1人のDQNは警察に持ってかれた。
警察には自称被害者のDQN3人の親が来ていた。
「私の子供はふざけていただけ。」と噴飯ものの主張を
大まじめにしていた親たちに警察が同調しかけたとき、お袋はキレた。
「盲目の赤の他人のバッグを取る行為を『ふざけてた』なんて
親子揃って言い逃れする人間なんてどうでもいいです、
お巡りさん、あの子を釈放して下さい。私はあの子の知り合いでも
なければ、あの子にお駄賃をあげる約束だってしていません。
通りすがりの勇気ある少年です、青い正義感を裁かないで下さい。
さもないとあの子はもう誰も救おうとはしません。」
お袋は泣いてた。
125 :
大人の名無しさん:01/12/25 15:19 ID:RT/PI0xs
久しぶりに来ましたが、いい話ですね。
正義感あふれる青年の前途にも、おふくろさんにも幸いあれ。
126 :
大人の名無しさん:01/12/25 15:22 ID:+/lmm4an
>124
その少年は助かったのですか?
127 :
大人の名無しさん:01/12/26 14:05 ID:OGnBQTUp
>124
>お袋はすぐに気づいて抵抗したが、殴られて倒れた。
ひどい・・・。ふざけていて全盲の方のバッグを奪い、抵抗したら殴るなんて
人間じゃないよ・・・・。
128 :
大人の名無しさん:01/12/26 14:59 ID:tJjpeFKs
>>人間じゃないよ
人に非ず = 「非人」と書いて『ヨツ』と読む
129 :
大人の名無しさん:01/12/26 15:03 ID:XitBC/2y
>>128 ”DQN”と書いて、『えた』と読む・・・
130 :
大人の名無しさん:01/12/26 15:21 ID:KRVYvvz+
>124
バッグを奪おうとした三人組と、それを叩きのめした一人を
同じDQN呼ばわりはどうかと思うが。お母さんは素晴らしい人だな。
>128-129
出て行け。
>124
盗犯等防止法により、一人DQN は正当防衛となり無罪。
(強盗の人権は制限されている)
もっとも、叩きのめしたなら逃げればいいのにな。
盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律
第1条
左ノ各号ノ場合ニ於テ自己又ハ他人ノ生命、身
体又ハ貞操ニ対スル現在ノ危険ヲ排除スル為犯
人ヲ殺傷シタルトキハ刑法第36条第1項ノ防衛行
為アリタルモノトス
1 盗犯ヲ防止シ又ハ盗贓ヲ取還セントスルトキ
2 前項各号ノ場合ニ於テ自己又ハ他人ノ生命、
身体又ハ貞操ニ対スル現在ノ危険アルニ非ズト
雖モ行為者恐怖、驚愕、興奮又ハ狼狽ニ因リ現
場ニ於テ犯人ヲ殺傷スルニ至リタルトキハ之ヲ罰
セズ
133 :
大人の名無しさん:01/12/27 00:14 ID:UMymAAcm
数年前、誤診で末期がんの宣告を受けた。
淡々と病状を話す医師の傍で私は呆然とし、父は真っ白になった。
話を聞いた母は、ただただ絶句した。
検査のために腫瘍を取る手術をしたら、あろうことか手術跡が化膿し、
地獄を見た。
まるで生きながら腹を割かれるような痛み、高熱。
どうせ死ななきゃならないのなら、今死なせて欲しいと願うほどの苦しみ。
そんな私を見て、母は泣く。父はオロオロと私の傍にまとわりつく。
私も泣きたかった。迫り来る死の恐怖とこれまでの人生の後悔が
いっぺんに押し寄せて、泣きたかった。でも、泣けなかった。
私が泣いたら両親に私の苦しみも背負わせてしまう、そう思って
歯を食いしばって我慢していた。
医者からもらった強力な痛み止めはごく僅か。
家族が寝る時間に合わせて飲まないと、転げ回る私に合わせて一家が
徹夜になってしまう。
できるだけ我慢して、夜になるのを待って薬を飲んでいたのだが、化膿が
ピークに達した日、ついに私が爆発してしまった。
「今何時?」と問う間隔がどんどん短くなり、ついに私の口から悲鳴が
漏れ始めた。そして、我慢できずに、ついに大泣きしてしまった。
「もういやだぁーッ!!」
痛みを我慢するのも、泣くのを我慢するのも、死ぬのも、何もかもが
イヤになって、声を振り絞って泣いた。
すると、片時も私の傍を離れなかった父が、私の頭を抱えて「苦しいだろう、
痛いだろう、つらいだろう、かわいそうに」と言って、嗚咽した。
どんなことがあっても子供の前で涙を見せなかった父が、私のために
声を殺して泣いた。
結局誤診で、ガンとは全く関係ない病気だとわかり、私たち家族はまた
元の平穏な生活に戻った。
表面上は何事もなく毎日が過ぎていく。相変わらず私は父とも母とも
喧嘩する。
でも、私はあの日から心に誓った。
どんなことがあっても、私は両親を泣かせない。
父の、母の、あんな泣き声はもう二度と聞きたくないから。
今、できる限りで親孝行しようとしている。
あの日、私のために泣いてくれたお礼に。
酔っ払いながら書いたから分かりにくいかも。長レススマソ。
134 :
大人の名無しさん:01/12/27 11:06 ID:EqEodjs+
>133
すまん、あなたのご両親への愛情よりも、そのヤブ医者への怒りが
ひしひしと伝わってきてしまった。
135 :
大人の名無しさん:01/12/27 13:11 ID:K27UmNPc
>134
う スレ違いになってしまったかな?スマソ
紹介状を貰っていたんだけれど、たまたまその日紹介された先生がいなくて
具合が悪かったんで「誰でもいいです」って言ったらその医者にあたって
しまったのでした(T_T)
紹介状をもらったら、必ず紹介された先生に見てもらう、悪い話だったら
必ずもう1ケ所で見てもらう、が我が家の家訓となりました。
みなさんも気をつけてくださいね・・・
>133
そのやぶ医者の神経がわからん!
・・・ちがう、ここはそのスレじゃない(w
137 :
大人の名無しさん:01/12/30 23:01 ID:h0DjuTIv
ageなくっちゃ!!
138 :
大人の名無しさん:02/01/01 11:42 ID:81uM7V+q
えっと、昨日のテレビ見て泣いちったよ。
アフガンで頑張ってるお医者さんの話。
やばいな、と思うまもなくポロポロ涙出てきた。
この人こんなにカッコイイのに、俺カッコ悪すぎじゃん。
そう思っちゃった。マスコミに踊らされててもイイや。
平常生活に戻ったら、とりあえず募金だけでもしておこう。
親父が死んで、もう6年になる。
親父とは、ホントにまともに話をすることがなかった。
でも、今思えばお互い理解し合っていたことも解るし
親父の愛情も感じるし......
やっぱり、男同士だからかなぁ
素直にはなれなかった。
うちの親父も、息子と酒を酌み交わしたかったらしい。
ついに、その機会はなかったが....
俺も四十近くなって、やっと素直になれそうなんだが
遅すぎたようだ。馬鹿だなぁ....
112さんの書き込みを見て思い出してしまった。
140 :
139:02/01/03 00:05 ID:a4O+9RjD
112さんのは転載だったんだな....
ちょっと酔っぱらっちゃったかな.....
でも、いい話だよ。
ホントに......
141 :
定期age:02/01/05 14:07 ID:lDGoiY6o
定期age
142 :
名無しさん@出た目起家:02/01/06 00:38 ID:lOZfq/IH
中学の三年のとき、初めて組んだバンドでライブハウスの舞台に立つことになった。
ライブハウスってとこは、対バンと言って、だいたい2〜3のバンドが出る。
俺たち以外のバンドは、みなキャリア豊富な大学生のバンドで観客も多く、
初ライブの中学生コピーバンドは、膝が震えるほど緊張していた。
どうにかこうにか最後の曲、一番練習した「アームドアンドレディ」の
ギターソロに入ると同時に1弦と2弦が切れた瞬間、
俺の頭の中は真っ白になってしまった。
トリのバンドは俺の姉貴の友達のバンドで、打ち上げ(ファミレスだったが)
に姉貴と一緒に俺も連れて行ってもらった。
口さがない姉貴や、姉貴の友達におためごかしで慰められながら、
俺は必死に虚勢を張って平然としていたが、
ふいにトリのバンドのギターのおにいさんに
「女どもはわかってねえよな、でも俺らはわかるぞ。
あのフライングV、M・シェンカーが大好きなんだろ?
そして今日の曲目(キッス、キッス、キッス、MSG)は
バンドの中の位置関係がわかるよな。お前あの曲すっげえ練習したんだろ?
惜しいよな、あの曲はあそこっから!!カッコいいとこだったんだよな。」
と言われた瞬間、涙腺が爆発したように初めて涙と鼻水がボロボロ出てきた。
姉と姉の友達は呆気に取られていたが、もう俺は止まらなかった。
歯がガチガチ鳴って寒くもないのに体は震え、激しく俺は泣いてしまった。
「泣くな泣くな!こんなこといくらでもあるんだからな!ガハハハ!」
と慰めてくれたおにいさんは、その数年後経験を積んだ俺が、
下っ端とは言えスタジオミュージシャンにまでなったことを、多分知らない。
高知の方に帰ったあのおにいさんが、もしかしたらどこかのスナックで
歌うかも知れないと思って、俺はカラオケのレコーディングをやっている。
143 :
大人の名無しさん:02/01/07 13:12 ID:mMH5Hi9Q
144 :
借猫稼業:02/01/09 00:23 ID:bkM0YNv2
俺は夜の闇が大好きだった。
暗がりに必ず奴がいたから。
俺は夜の闇が大好きだった。
口を鳴らすと奴が現れ、甘えて擦りついてきたから。
俺は夜の闇が大好きだった。
仕事を終え、疲れているとき、それを癒してくれる奴がいたから。
奴の名前は「マロちゃん」、サバトラのネコ。
奴は同じ社宅に住んでいる先輩のネコだった。
先輩のネコだったが、俺の家族のアイドルでもあった。
夜、俺が仕事を終えて帰宅するとき、奴はたいてい待ち構えていた。
俺の家までついて来て、わが物顔で部屋に上がり込んで餌を食い、
満足するとさっさと自分のねぐらに帰っていった。
奴は本当におっちょこちょいなネコだった。
テーブルの上に飛び上がり、脚を踏み外して転がり落ちるような
野生味が欠けたネコだった。
コーヒー用の小さなカップ入りミルクが好物だと先輩に聞いたとき、
俺は自分で使いもしないミルクを奴の為に買い込んだ。
奴はペロペロとおいしそうにミルクを舐めると、
さも当然という顔をして、颯爽と帰っていった。
そのネコが一昨日、車に轢かれて死んじゃったんだ。
買い物の途中、奴の姿を見てしまった。
ガードレールの下で頭から血を流して倒れていた。
妻はポロポロと涙をこぼしていたが、二歳になる娘は
「死」というものを理解できずにキョトンとしていた。
俺は、起こったことがまったく信じられなかった。
目の前の現実を信じることができなかった。
信じたくなかった。さっきまで信じていなかった。
でも、今日、帰宅途中、奴が轢かれた場所にさしかかったとき、
ふいに涙が込み上がってきた。
歯を食いしばって泣くものかと頑張ったが、ダメだった。
どうしてもダメだった。感情が爆発するのを止められなかった。
夜の闇の中で恥も外聞も捨てて俺は声を殺して大泣きしてしまった。
家に着き、泣いたのを妻にさとられまいとして、
娘と一緒に風呂に飛び込んだ。
なんとか落ち着いてきたとき、娘がこう言った。
「マロちゃん、またミルク飲みに来るかな」
それを聞いた瞬間に、また涙が溢れてきた。
マロちゃん、もういないんだよ。冷蔵庫の中でミルクが待っているというのに。
俺はまだ夜の闇が好きだ。
でも、少しだけ夜の闇が寂しくなった。
145 :
借猫稼業:02/01/09 00:24 ID:bkM0YNv2
長くてゴメン。
何か書いていないと本当にへし折れそうだったので、
ちょっとばかし、場所を借りたよ。
自分の大事な動物や人がいなくなった時に
少しだけ気が晴れる考えでね、
早く死んでしまう生き物は、神様に気に入られて早く逝く、
っていうのがあるの。
私は神様とかあんまし信じないけど、
そうやって考えると少し楽になるよ。
神様が少しでもはやく、そいつをそばに置きたいんだってね。
大人の男の人だって泣いてもおかしくないよ。
いっぱい泣いて 泣いて そんでもって元気だせよ。
148 :
名無しさん@お馬で人生アウト:02/01/09 01:01 ID:qRxFG8QN
>>145 >さも当然という顔をして
ここがいいなあ、猫ってそうなんだよな。
149 :
借猫稼業:02/01/09 11:01 ID:hc5e75mC
書いた後、やっぱり涙が溢れてきて
レスの確認すらできなかった。
遅レス、ゴメン。
146さん、148さん、ありがとう。
もう泣かないよ、奴のためにも。
150 :
大人の名無しさん:02/01/09 22:58 ID:ohbYYsEH
思い出して泣けた。私も、7月に特別な存在だった猫を亡くした。
失った人々の代わりのような時期に、私の目の前に現れた猫。
綺麗な姿だったけど、頭のヨコをくるまにあてられて倒れてた。
いまだに、最後の夜、外に出る前に食べていったプリンと
同じ銘柄のプリンをみると、痛くなる。ツライとか悲しいを感じる前に、
自分のどっかが痛くて、それから何が起こったのかわかる。
ああそうだったな、あの時のって思い出す。
私が泣いていると頬寄せてくるような気持ちに賢い猫だったから
私が悲しんでると、神様の側に行けないかな、とも思う。
マロちゃん、美味しいミルク飲めてうれしかったはずです。
借猫稼業さん、だんだん元気になるといいな、と思います。
151 :
借猫稼業:02/01/09 23:25 ID:vSRBam1y
冷蔵庫を開ける度に、ミルクが目に飛び込んできて
まだ辛さから脱することができません。
奴が轢かれた場所に近づく度にこみ上げてくるので
帰宅ルートを変えました。
少しずつ少しずつ悲しみは薄れていくのでしょうけど
娘の口から奴の名前が出る度に思い出してしまいます。
「悲しんでると、神様の側に行けない」
この言葉、胸に刻んでおきます。
奴のことだから、きっと神様にミルクを
ねだっていると思いつつ。
150さん、ありがとうございます。
152 :
大人の名無しさん:02/01/11 07:59 ID:8IcwR1Zx
先日、アメリカ人の友人夫婦が例のテロがあったビルから発見されました。
遺体で。
信じられませんでした。
彼女の実家(実家もアメリカ)から電話が掛かってきました。
最初は何を言ってるのかわからずぼーぜんと
「ああ…はい…。」としか答えられませんでした。
そして
「あのコたち仲良く天に行ったから幸せだったのかもね。
だって、二人ともおそろいのエンゲージリングをつけて
重なり合うような形で倒れていたのを発見されたって話でしたし」
と向こうさんが言ったとたんに電話中だというのに涙が流れてしまいました。
定期sage実行中
154 :
定期age:02/01/14 01:20 ID:Z+PilSsj
定期age
155 :
とても長いです。すいません。:02/01/14 09:49 ID:ul+Q8ed1
小さいころから父のことがとても大好きだった。
今現在を含めて、これほど無条件でひとを愛したことは無いとしみじみ思います。
私は父が19歳の時の子だから、若くて、頼り甲斐があって、沢山の友人に
慕われている父がとても自慢だった。(大人視点で見ればそんな父は母の
フォローあってこそ、母もいろいろ苦労していたようだけれど。)
父がふいに家を出ていってしまったことより、その数年後、母に、
「離婚に応じろ。でないと子供達は引き取る。」
と言ってきたことがショックで、号泣しました。
離婚は母との関係が破綻してしまったということで、残念だけど仕方ないと思った。
でも当時父は、「離れても親子は親子だから。」と言っただけで、
「ついてくるか?」とは一言もいわなかった。
母は「あんたたちと離れて暮らすぐらいなら、首つって死ぬ。」
と、なんの駆け引きでもなく心から言ってくれた。
経済的にたちまち困窮することはわかりきっているのに…
父が申し出てきたとき、私と妹はすでに就職していたのに、今更…
母も正式な離婚話が持ちあがらかっただけで、別にごねていたわけではないのに
いきなり、母がいちばん嫌がることを言っての脅し。そしてその手段に私たちを
使ったことが、とてもとてもショックでした。幻滅という言葉の意味を身をもって
知ったと思います。
156 :
とても長いです。すいません。:02/01/14 09:52 ID:ul+Q8ed1
それから数年後。
父は母と離婚が成立してから速攻で再婚しています。
再婚相手の連れ子が産んだ子供と、再婚相手と、3人で私の勤める店に
仲むつまじく買い物に来たことがあります。
わざわざ来たとしか思えないほど、職場と父の家は離れています。
父にしたら、私の顔を見にきたぐらいの軽い気持ちだったのでしょうが、そして、
そんなことがあるだろうとは予測していたものの、実際起こってみると、それは
とても堪える出来事でした。
私や妹が産んだわけでもない子供を、孫として連れ歩き、なじんでいる父。
そういう光景を私が見てどう思うか、ということに思い至ってくれない
父が、辛かった。
平静を装い会話するのも限界に達したので、
「なにか買ってあげる。」と、その子をおもちゃコーナーに連れていきました。
けれど、その直前から、表情は大きく歪んでいたとは思います。
「もう沢山あるから(買わなくても)いいよー。」と父が。
血の繋がりのある自分のほうが、まるで他人のようだ…と思いました。
父たちを精一杯のひきつった笑顔で見送ると、トイレに駆け込み、
しばらく嗚咽が止まりませんでした。
父を嫌いになってしまうことは身を引き裂かれるように辛く、好きで
い続けていても、悲しいことばかり…
父への執着を断とう、と決めて、なんの見返りも求めない付き合いを
続けてきましたが、それは成功したようです。
父が後に自殺したとき、涙が出ませんでしたから。
つくづく愛情の反対は無関心だと思い知りました。確かに嫌いには
なっていません。父親を亡くすにはまだ若い年齢の妹が泣いているのが
かわいそうで、少し泣きました。
そして、父のお骨が焼きあがってきたのを見たとき…
指先がだんだん冷たくなっていき、それが肩のほうに上がっていきます。
これが血の気が引くということか…と思いました。心の表層が麻痺して
しまっていても、ちゃんと身体は深層心理に反応するのだな…これが私の
哀しみ方か…と、妙に感心。
泣くべきときに泣けず、他人から見たらどうということも無いことで
泣いてしまう自分はちぐはぐだなあ…とは、思うのですけど。
>泣くべきときに泣けず、他人から見たらどうということも無いことで
>泣いてしまう自分はちぐはぐだなあ…とは、思うのですけど。
そんなことはない。
本当の哀しみは時間が経ってからやってくる。
人は本当の哀しみと対峙したとき、
その瞬間には涙なんて出ないんだよ。
プリンでも食べて元気つけてくださいな。
スレ保守sage実行中
159 :
大人の名無しさん:02/01/15 14:40 ID:OX4aG/nB
旦那のお友達の話。
正月に旦那の実家へ帰省したとき、たまたま会った旦那の中学時代の
同級生から、別の同級生が最近脳梗塞か何かで亡くなったことを聞いた。
もちろん旦那と同い年で30歳の働き盛り。
奥さんと2歳の息子がいたそうだ。
お葬式の出棺の際、その2歳の子に「○○君、お父さんにバイバイしようね」と
その奥さんがいったところ、その子は無邪気にも、
もう返事もできないお父さんに向かって楽しげに「お父さん、バイバーイ」と
手を振ったという。
まだ物心もつかないで、人の死というものも理解できないで、
無邪気にあどけなく、眠っている父親に手を振るその子の姿を
想像すると、話を聞いただけで私は涙が流れて仕方なかった。
160 :
大人の名無しさん:02/01/15 14:59 ID:ZMwwYqTd
先日、ニュースでこんなのをやっていました。
毎年、西宮えびすで福男を決めるかけっこ(?)があって、
門を開けていちばん最初に神殿前にたどりついた
男の人がその年の福男になれるという。
あれも恒例になって、どこそこの大学の陸上部とか
ツワモノがそろっているようです。
何年か前に、毎年福男を狙っているというある青年が、
その年は運良くトップを走っていたのに神殿前のカーブで思いっきりこけて
その年も福男を取れなかったというのが、なにかのバラエティーで「お笑い」っぽく
取り上げられていました。
こないだのニュースで、彼がまた取り上げられていました。
でもいつもと何かが違っていました。
彼は昨年のバイク事故で右足が不自由になっていました。
医者からは「もう走れない」といわれたそうですが、
それでも彼は福男があきらめられず、努力してなんとか走れるようになったそうです。
自分で作った器具を装着して毎日トレーニングを続けていました。
右足の親指と人差し指はもうありません。
すねも見るに耐えない傷の跡。
そんな足に特製のシューズを履いて、自分で作った器具をつけて黙々と頑張る姿、
マイクを向けると「今年は絶対福男を取ります!」
どう見たって無理なのに。
そして1月10日。
門の一番前を陣取った彼。
太鼓の音とともに大勢の男たちがなだれ込みました。
やっぱり彼は福男になれませんでした。
友人に抱きついてわーわー泣く彼を見て、
「なんやコイツ。こんなん最初から無理って、わかってるやん!」と
言いつつ、ボロボロに涙が出て止まりませんでした。
彼は「あきらめたら自分が終わりなので、また来年も来ます」と
言って西宮えびすを去りました。
飼い猫を膝に乗っけながらボロボロ涙を流してると、最後にアナウンサーが
「彼の事故は本当は死んでいたかもしれない。それを生かせてもらっていると
いうのは、えびす様のご利益だと思っているそうです」と。
つくづくアホな男やなあとまた涙。
がんばれ!また来年ええ走りを見せろよ!!
161 :
大人の名無しさん:02/01/15 15:15 ID:IZ6A3RMV
>>160 彼有名だったよね<あのコケで…。
ニュースでチラッと見たとき「今年は彼は居ないなぁ」と思っていたら
そんな事になっていたんだ。
でも頑張っていたんだね。その頑張れるパワーの源こそ
恵比寿様のご利益なのかも!来年も楽しみにしてようっと。
>>160 他人から見たらどうでもいいこと、馬鹿馬鹿しいこと、
明らかに愚行だと思われることに意味を見出し、
己を賭けてしまうのが男と思われ。
彼はホンマもんの男だよ。
163 :
大人の名無しさん :02/01/18 16:15 ID:83FjFR72
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
164 :
大人の名無しさん:02/01/18 16:38 ID:eJkra74c
>163
私はこのスレ読んでも泣いたこと一度もなかったけど
あなたの文章で初めて泣きました。着物のくだりで号泣です。
良い父親に見守られて育ち、娘さんはとても幸せだったのですね。
娘さんの笑顔が見えるようです。
お辛いでしょうが、娘さんが心配しないよう早く元気になって下さい。
>>163 俺もあなたの文章を拝読し、涙が零れてきた。理由は聞かないでくれ。
ただ、子どもが突然にいなくなるってのは、本当に辛いよな。
俺はなんの力にもなれないけど、回線のこっち側で
ひたすらあなたの娘さんのご冥福を祈らせていただきます。
>>163 には泣かされたが、
>>165 の最後の2行にも泣かされた。
年取ってきたせいか、人の優しさに触れると
涙腺が緩みっぱなし。
167 :
大人の名無しさん:02/01/20 22:23 ID:rDwJWIIz
169 :
大人の名無しさん:02/01/22 01:15 ID:qMvPh5Z2
母の事
1年前、半年の闘病生活の後、母はガンで亡くなった。私が30になる年だった。
亡くなる2日前に彼を連れて実家に帰り、一緒にお見舞いに行った。
私達が見舞いに行った時、母は起き上がり、「お帰り。寒かったやろ?」と。
実家に滞在していた2日間は、病院のベットで辛そうだが、元気そうに起き上がり、
色々と話しを聞いてくれた。
後で聞いた話では、私達が帰る前は、かなり危ない状態で、起き上がることもできなかったらしい。
兄妹達は気を使って、その時は「危険な状態」であることを私に言わなかった。
帰りの日は凄い寒くて、帰る前に見舞いに行くと、
「2人で帰ってきて、飛行機代とか、大変やったやろ?これ飛行機代にでもしなさい。」
と、こづかいまでくれた、30にもなろうという娘に・・・。
その日実家の方では珍しく雪が降り、吹雪いていて、帰りの飛行機が遅れていた。
東京に着いて携帯の電源を入れると、妹からの電話で、「お母さんの容態が急変した!」と。
漠然と「お母さんは大丈夫。絶対死んだりしない!」と思いながら、モノレールに乗って、
浜松町の駅に着いたとき、再び妹からの電話。
「お母さん、ダメやった・・・・」浜松町の駅で、彼と二人で号泣した。
母は、私達二人のことを凄く心配していたらしい。妹には「あの子達はうまくいかない」
と言っていたらしい。
私に最後に言った言葉は、「あんた達大丈夫よ。うまくいくよ。気をつけて帰りなさい。」だった。
私は、そんな言葉に「心配すんなよ。大丈夫だよ。」と思いながらも泣き出しそうで、素っ気無く
「ぢぁね、バイバイ!」ってしか言えなかった。それが、最期の会話にだった。
最期まで心配かけてゴメンなさい。もう、心配しないでね。
私は、あなた達の娘でそれだけで幸せだから。
170 :
大人の名無しさん:02/01/22 01:29 ID:uO41Xd+P
すいません。僕、甘く生きて来たような気がします。
亡くなった人も含めて、みなさん幸せになって下さい。
お願いします。から。
171 :
大人の名無しさん:02/01/22 02:03 ID:ntLWD/1k
163さんの話を読んでいたら
いつの間にかキーボードに涙がこぼれまくってたよ…
165さんと同じく、娘さんの冥福を祈るばかりです。
172 :
大人の名無しさん:02/01/24 02:18 ID:EWqFp4xV
泣けるぜ…age
173 :
大人の名無しさん:02/01/24 07:31 ID:NTPfqP3M
両親を相次いで亡くし、自分ばかりが悲劇のヒロインのような
甘えた気持で過ごしてきましたが、
>>163さんの深い悲しみ
に触れ、甘えず生きていかなければと強く思いました。
174 :
大人の名無しさん:02/01/24 15:38 ID:6XPPJTig
>163
私も娘のいる親の1人です。
どれほど辛いことでしょうね。
涙が止まりません。
きっと貴方のお嬢さんはこの世で一番幸福なお嬢さんだったんでしょう。
そんなにお父様から愛されて・・・。
一生分をきっと凝縮されたんですよ、お父さんと一緒にいる時間を。
何も出来ませんがお嬢さんのご冥福と
貴方のこれからの幸福を祈ります。
175 :
大人の名無しさん:02/01/24 16:08 ID:BzEVEJ21
>>163 「TEARS IN HEAVEN」
お父さんが天国まで会いに行ったら、僕をおぼえててくれるかな
お父さんが天国まで追いかけてったら、また親子でいられるのかな
ゴメンよ、父さんはしっかりしなくちゃいけないね
そして生きて行かなきゃ
お父さんはまだ君の所へは行っちゃいけないんだよね
天国で会えたら、お父さんの手を握ってくれるかい
天国までいったら、お父さんが立ち直るのを手伝ってくれるかな
でもお父さんはいつか自分で自分の道を見つけるよ
お父さんは天国にはいられないんだ
長く生きていれば気が滅入ることもあるし、
イヤになって膝をつきたくもなるだろうね
長い時間の中で心をうち砕かれることもあるだろう
もう勘弁してくれよって思うようになるんだ...
ドアの向こうには安らぎがあるって信じてるよ。
それに天国では涙を流すことなんかないってこともね。
176 :
大人の名無しさん:02/01/24 16:18 ID:sAcyKk8I
高校の頃、進路や人間関係のゴタゴタでちょっと鬱が入って、暫く学校を休んでいた時期があった。
その日も学校休んで、何にもやる気がしなくてごろごろと寝っ転がっていたら、家の庭から猫の鳴き声がして、
なんか気になったから見に行ってみたんだ。そしたら、柿の木の上にガリガリに痩せた子猫がいた。
登ったはいいが、恐くて自力で降りれなくなったみたいだったから、脚立を持ってきて、
激しい抵抗をされながらも降ろしてやった。
頬も凄くこけてて痛々しかったし、ひどく怯えた様子がまるで自分を見ているみたいで、放っておけなくなって、
それから毎日餌をやるようになった。
最初は俺が見ている間は餌に近づこうともしなかったけど、餌をあげるうちに慣れてきて、呼べば遠くにいても
凄い勢いで駆けてきてくれるようにまでなった。
177 :
176:02/01/24 16:19 ID:sAcyKk8I
その猫と接しているうちに心の方も落ち着いてきて、なんとか学校に行けるようにもなった。
相変わらず悩み事はあったけど、学校から帰ってくる時、俺の足音を聞きつけて玄関の前にちょこんと座って、
毎日毎日出迎えてくれてたから、なんとか乗り越えられてた。
そんなことが一年ちょい続いて、無事に志望大学にも合格して、あとは卒業式を待つだけになった。
下宿先に猫を連れて行こうと思ってペットOKのマンションを選んだり、猫のトイレや首輪なんかも買って
楽しみにしてた。そんな矢先だった。
ちょっとコンビニに買い物に行って帰ってきたら、家の前の道路の端にグレーの塊が置いてあった。
胸騒ぎがして駆け寄ってみたら、その猫だった。さわったら、まだ暖かかった。でも、もう息はしてなかった。
車に撥ねられたみたいで、口から血を出していた。
そのまま猫を抱えて、柿の木の根元に埋めて墓を作ってやった。頭をガンガン殴られているような気がしたが、
不思議と涙は出なかった。
夜、布団に入って電気を消したらいきなり涙が溢れてきた。親兄弟に泣いているのを聞かれたくなかったから、
布団を頭から被って歯を食いしばって堪えようとした、けど駄目だった。
次から次へと楽しかった事が思い出されて、涙と声が止められなかった。
178 :
176:02/01/24 16:29 ID:sAcyKk8I
あれから十数年、実家で今飼っている猫が子供を産んだので、この間見に帰った。
四匹産まれた内、一匹だけ白い親猫に似ていない、グレーのシマトラの猫。
瞳の色もあの猫と同じ色だった。初めて会ったはずの俺に凄く懐いてくれた。
記憶がフッ、と蘇ってきて、知らないうちに涙が出てた。
今、その猫を引きとって、一緒に暮らしてます。
179 :
大人の名無しさん:02/01/24 16:42 ID:RUtjW3YK
>176 また会いに来てくれたんだろうね、ネコ
180 :
大人の名無しさん:02/01/26 01:34 ID:IUfANwnY
私が18歳になる月に、姉が死んだ。血液のガンだった。
私は絶対に治ると、何の確信もないのに信じていた。
どんなに危険な状態だと言われても、もう長くないと聞いても、信じなかった。
「何も悪いことしてないのに」「人の悪口だって言わないんだから」そんな姉が
死ぬなんて、そんな理不尽なことがあるわけないと、思っていた。
肺炎を起こし、呼吸が出来なくなった姉は「苦しい!!」と叫んだ。
…人工呼吸器が取り付けられた。
ずっと話しかけていた。気丈な姉が、最後に「行かないで」と言ったから。
意識はなくても、聞いてくれていると信じて、私はとりとめのない話しを続けた。
数日後の夜、容態が急変した。
看護婦さんや医者がバタバタと病室を出入りしていた。
心臓マッサージをしていた。
それまで閉じていた姉の目が見開いた。
私は起きたのかと思った。
それは間違いだった。
看護婦さんが時刻を言った。頭の中が真っ白になった。
それでも、あまり涙が出なかったように思う。
火葬場でのこと。
最後のお別れ。安らかな顔を見ながら2人で出掛けたことや、夜中まで喋ってた
ことを思い出しながら、今上から見てるのかなぁ…とか思っていた。
ぼんやりとしていたんだ。
それでも、棺が焼かれるための場所に押し込められる音を聞いた瞬間、嗚咽が止まらなくなった。
遺体が置かれている間、私は何度も何度も頬擦りしていた。
葬式の時、ドライアイスのせいで凍った頬に気づいた時も嗚咽した。
点滴の液が口から戻ってきていたので、こまめに脱脂綿で拭いた。
しばらく、世の中の理不尽に泣いた。
181 :
大人の名無しさん:02/01/26 11:24 ID:10gbbFzG
163です
俺はよく娘を競馬場へ連れて行った。
こう書くと、どうしようもないろくでなしのオヤジみたいだが、
動物好きで特に馬が好きだった娘に、目の前で本物の馬が走るところを
見せたかったのが、偽りない本当の動機だった。
パドックで周回する馬を見守る黒山の人だかりに娘は、
競馬という未知の世界に、大スターの「おうまさん」の存在を知り、
本馬場入場で、その大スターの登場にわきあがる喝采に加わり、
G1ファンファーレの生演奏が、レースのスタートを告げると、
周囲の大歓声に引きずり込まれるように興奮を高めていった。
そして一着でゴールインして、目の前で猛り狂うようにいな鳴くその馬に
娘は、大喜びで惜しみない拍手をしていた。
帰り道、色白の娘の頬は上気し、小さな手はピンクに腫れ上り
いつもは食が細いのに、その日は好物の天ぷらそばをペロリとたいらげた。
動物園に連れて行っても、娘はここまで喜ばなかった。
すっかり大ファンになったその「おうまさん」が再び東京のレースに
やってくるのが当分先だったのと「子供を競馬場に連れていくなんて!」
と俺が母に怒られてしまい、結局娘を競馬場に連れて行ったのはそれっきりになった。
だけど、失うとわかっていたら、誰がなんと言おうとも競馬場へ連れて行って、
俺はもう一度、あの興奮して上気した娘の顔を観たかった。
182 :
大人の名無しさん:02/01/26 22:54 ID:nIyZw7Qn
あげときます。
故・手塚治虫は言った。
「子どもには子どもの見たいものを見せろ!!」
だから、163=181さん、あなたは全然間違っちゃいない。
馬が走る姿を見て美しく感じるというのはごくごく当たり前のことだ。
大人はそこにバイアスをかけて見るから、美しいとは思えなくなる。
この世にあるものは、すべて存在する意味があり、そして美しい。
それを子どもに教えるのが親の役目だと、俺は思っている。
184 :
大人の名無しさん:02/01/28 12:37 ID:OLF4s8zE
頼む、ネタだと言ってくれ。もう涙がとまらんよ。
185 :
大人の名無しさん:02/01/28 18:24 ID:5egLcXe7
大仁田の試合見て泣いた
sage
>一着でゴールインして、目の前で猛り狂うようにいな鳴くその馬
去年の日本ダービーんときのジャングルポケットだな。
ダンツフレームなんて駄馬に勝ったあんなレースよりも、
当代随一の大御所テイエムオペラオーに勝った、秋のジャパンカップの勝ち方は
もっと劇的で凄かったから、東京だし観に行けたら、きっともっと喜んだだろうね。
悔しいよな。
スレ違いなのでさげ
188 :
ナナシ:02/01/28 22:41 ID:23au0KbT
このスレ読んでいたら、泣きすぎて目が腫れました。
明日会社なのに。
189 :
大人の名無しさん:02/01/29 01:03 ID:GOWw5lV4
まいった
ガキもんは特にダメだ
190 :
大人の名無しさん:02/01/29 18:13 ID:6rIq2gJ2
191 :
大人の名無しさん:02/01/29 18:31 ID:euDw/yvR
>>163 >>181 反省、反省、反省。
あぁ・・・ 何かと自分のことばかりかまけていた自分。
2chにはまって、小さな娘の相手もおなざりだった最近の私。
2chがやりたいばかりに、さっさか簡単な食事をつくって早く食べろとせかし。
娘にはTVやビデオを見させ、私と一緒に遊びたい、話したいってその後ろ姿が
言っているの・・・ わかっているのに。
まだ、小さい4才の娘。 私だけを頼りにしてる。
ビデオを見て笑ってるけど、ほんとは私と遊ぶ方が絶対しあわせなんだ。
お母さん座りをしている娘の小さな裸足の足を見る。
まだ、ちっちゃい、ちっちゃい、ちぃさーい アンヨ・・・
私しか、守ってあげられないんだよね。
娘を亡くした頑張ってきたお父さんの書き込み見て、猛烈に反省しました。
あすから、2ch、娘が寝てるいる時だけにしよう・・・
(今は寝てます。)
192 :
大人の名無しさん:02/01/29 20:12 ID:qaAoFa3y
昨日嗚咽。20秒ほど号泣。
台所に立っていてふと今月の予定を思い出してたら
友達の命日を忘れていたことに気がつきました。
何が悲しかったのかわかりませんが、立っていられない程、声を上げて一瞬泣きました。
8年前に無くなった友人なのですが、不幸な死に方をしたために、
その後ずっと私の中でひきずって悲しんでいたのですが・・・
引きずっていたが故に、
私はどんどんその子の思い出と離れようとしていたのだと思います。
そんな事が自分で悲しかったのかも。
Hちゃんの歳をもう6つも通り越してしまったよ。
お参りにいかなくてごめんね。なんだか行けなくて。ごめんね。
193 :
大人の名無しさん:02/01/31 00:23 ID:6Ru8Onot
age
スレ保存sage実行中
195 :
月影兵庫:02/02/01 09:17 ID:Y8DaYAjK
>>175ってエリック・クラプトンのTears In Heavenなんだね。
今まで歌詞の意味なんか気にもとめず、ただ、いいメロディの曲だなあ
ぐらいに聞いていたけど、この訳詞読んで涙がとまらなくなってしまった。
子供を早くなくした親の歌なんだよね。
>>163を読んだ後だから余計にぐっと来て、出だしの一行でもうボロボロ。
今4歳の息子は、夜毎俺の布団にもぐりこんできては腕の中で眠る。
そのしがみついてくるような仕草がたまらなくいとおしい。
今この子を失うという事は想像を絶するつらさだと思う。
どんなことをしてでも守らなくちゃ、と思う。
クラプトンの息子も4歳で死んだんだよね。
マンションの53階の階段から誤って転落。
運命というのは、時にどうしようもないものかもしれないけど。
とにかく今の俺にとってこの歌は美しく、つらすぎます。
>>163>>181 あの場所にいた俺が思わず泣いちまったじゃねえかヴォケ!!
ダービーのジャンポケは、そりゃ興奮したろうよ、ありゃ凄い華のある馬だからな。
馬好きの、まして子供だったら、あれを目の前で見たらたまらなかったろうよ。
身銭つぎ込んで興奮する俺たちオヤジ共とは違う純粋な感動だろう。
そうだよな、ジャパンカップ見せたかったよな、
神様にもらった時間が残り少ないってわかってたらなおさらな。
小田和正「言葉に出来ない」を聞きつつ読んでしまい、号泣中。sage
>>197 あ〜、あの曲はタイミングがハマると来ちゃうなあ・・。
むか〜し小田氏本人もライブ中にぐっと来ちゃって歌えなくなってた事が
あったな (ナキワラ
小田氏の歌は確かにクルッ!
明治生命のCMを見るたび、グッとクルッ!
あの写真は一般公募なんだろぅ?
コンサートで写真展やってて、写真の主が手紙を書いてるんだよね。
これが、クルッ!
死んじゃってたりするんだよ。 その写真に写ってる、子供やオトーサン・・・
思い出して泣けてきた。<ウッ… ウッ…
197なんですけどね、自分のこと書いていいかな。
「終わるはずのない愛が途絶えた いのち尽きてゆくように
ちがう きっとちがう 心が叫んでる
ひとりでは生きてゆけなくて
また誰かを愛している
こころ 哀しくて 言葉にできない」
私は一度離婚して、そのあとの恋愛でボロボロになった。
今の夫も×1したばかりで、そのころに私たちは出会ったんだ。
彼は理性の殻で自分を保っているように見えたけど、
彼はやっとの思いで綱渡りをしているように私には見えた。
私たちが付き合い始めたころ、私の父が突然亡くなった。
しばらくしてから、彼の別れた奥さんが自殺した。
私たちは愛なんて考える間もなく、お互いを支えあった。
自分たちが深く深く絡まりあっていくのを私は感じてた。
「せつない嘘をついては いいわけをのみこんで
果たせぬ あの頃の夢は もう消えた
誰のせいでもないから
自分がちいさすぎるから
それが くやしくて 言葉にできない」
私を愛しているといっていた裏で、
元の奥さんをまた受け入れようとした彼。
その後の数々の修羅場。
でも私は、自分が彼から離れられない事だけはよくわかっていた。
そして私の妊娠、流産。
でもこれが彼との子供を持つ最初で最後のチャンスだった。
彼の会社がおかしくなり、彼は転職。
それから、私の体力が回復したあとにやってきたのは、彼の癌告知。
私たちは再婚した。
地獄のような闘病を経て、落ち着いたこの頃、
彼は言った。
―○○さん(彼の尊敬する元上司)に初めてあった時、解ったんだ。
俺は人間が浅い。
野心家だった彼のその言葉に、今までの人生の痛みと後悔を感じた私は
―そんなことないよ。あなたは心の深い人だよ。
それが発揮できるチャンスが今までなかっただけだよ。
といった。本心から。
彼の心が揺れたのか、顔が少しゆがんだ。
「あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない
lalala…言葉にできない」
最近、彼の癌の再発の疑いがある。
今、仕事で遠いところでひとりで働いている彼は、
精密検査のためにこちらに帰ってこれる日まで
何とか不安をやり過ごそうとしている。
私は2日に一度、Eメールではなく手紙を書いた。
紙の手触り、筆跡、香り…自分の分身を送るつもりで。
彼に安心感を与えるために。
自分を安心させるために。
ある日の彼からのEメールに、
―手紙が届いた。
赤い糸が見えたよ。
あなたと私をつなぐ赤い糸が。
ありがとう。
なんて言ったらいいか分からないけど、
ありがとう。
あなたが大好き。愛しています。―
どの手紙が、どんな風に彼の気持に響いたのか
私にはわからない。
私は彼を失いたくない。こんなに幸せなのに。
怖いけど、現実を受け入れていくだけ。
彼に関する事なら、苦しい事も、哀しい事も
見落としたくないから。
今は、不安も孤独も、彼に出会えた嬉しさを
上回る事はできない。
この曲を聴くと辛いけど、最後のほうの歌詞で
私は救われる。
つまらん上に長くてスマソ。
203 :
イラストに騙された名無しさん:02/02/02 15:28 ID:OA5WTKIC
age
204 :
大人の名無しさん:02/02/02 16:23 ID:1AMFr0Ye
あの時は頭が狂ってたんだと思う。
離婚のときに子供を手放した。
旦那が娘を連れて行くときに「おじいちゃんちに遊びに行っておいで」と
送ったら子供は喜んで「えっほ、えっほ」と踊ってた。
少し興奮していて私とは目もあわせてくれなかった。
旦那の実家とは仲が悪かったし、離婚のときも少しもめたので
もう二度と子供には会えないと思う。
私も今更連絡なんてできない。
街中で似た子供を見かけても、良く見ると脚の形がちょっと違ってたりして
やっぱり自分の子供とは違うんだなぁって。
離れてからやっと自分の子はあの子だけだったんだと思い知った。
だからってどうする事もできないんだけど。
205 :
大人の名無しさん:02/02/02 23:42 ID:UcBly5w2
とある板の、とあるスレで
流産経験者の方が、再び妊娠できて嬉しい と言う趣旨の書き込みがあった。
半年ほど前流産した私には、
その書き込みが幸せそうで嬉しそうですごく妬ましかった。
嫌な気分になって、読み飛ばそうとしたら
妊娠できた方に宛てたある人のレスがふと目に入った。
「忘れ物を取りにいった赤ちゃん。戻ってきてくれて良かったね」と。
そのレスを見た瞬間涙がダーッと出てきた。パソの前でしばらく泣いた。
私の赤ちゃんも忘れ物をしたのかな。戻ってきてくれるかな。
正直、産んであげられなかった自分をすごく責めてた。
あの時ああしてればもしかしたら…あの時のあれがいけなかったんじゃないか…
でもそのレスを見て心がふっと軽くなった気がした。
そして妬ましく思ってしまった自分が、たまらなく醜く思えた。
ありがたい事に、私はまだ妊娠できる可能性がある。
赤ちゃんが戻ってこられるように頑張ろうと思った。
書いてて訳わかんなくなってきちゃった。ごめんなさい。
半年間、ほとんど無気力状態だった私を立ち直らせてくれてありがとう
って事を言いたかったんです。長文+駄文スマソ
age
207 :
198:02/02/03 00:09 ID:ngNA6zBh
>>202 オレは家族と色々あって、本当の家族だと思えるのは今のカミサンだけなんだ。
彼女がいてくれるから、このしんどい世の中をなんとか生きていられるんだと思ってる。
もしカミサンが癌になったら、とか考えただけで死にそうになる・・
あんたの書き込みを読んでたら、何故かやっぱり小田和正の名曲
「生まれ来る子供たちのために」の詞を思い出した・・
「広い空よ僕らは 今どこにいる?
〜中略〜
真白な帆をあげて 旅立つ船に乗り 力の続くかぎり
二人でも 漕いでゆく
その力を与えたまえ 勇気を・・ 与えたまえ」
彼の癌が再発してない事を祈ってるよ・・
>>205 赤ちゃんはきっと両手いっぱいの「幸せ」を持って
あなたのもとへ戻ってくると思いますよ(^-^)
209 :
198:02/02/03 00:58 ID:ngNA6zBh
ところで、204は202と同じ人なん?
アンタ、健康に気を付けて長生きしてくれよな。間違っても早死にしちゃ駄目よ。
なんでかというと、子供が大きくなって、自分の意志で色々動ける頃になったら
必ずアンタにコンタクトを取ろうとするだろうから。
たとえ一緒にいたのが短い間でも、アンタがいい母親だったら、いつか必ず、子供
は会いたくなるよ。というか会おうとすると思う。
オレが消防になりたての頃、親が離婚しちゃってお袋は出てった。それ以来20数年
没交渉だったんだけど、何年か前になんとか住所を調べて、年賀状出したんだよ。
返信が来たときゃ、それこそ文字どおり「嗚咽」したよ。本当に嬉しくてさ・・
お袋が出ていくとき、「ちょっと旅行してくる」ってオレに言ったんだ確かに。
それが嘘で、二度と会えないと分かったときはこの世の終わりみたいな気持ち
になったもんだ。そのとき以来だったからね・・
210 :
大人の名無しさん:02/02/03 00:59 ID:Ful4tPII
愛すべきすべての人たちに・・・age
211 :
205:02/02/03 01:38 ID:TmuJXicP
>>208 ありがとう
そんなレスをくれる、あなたの優しさにまた涙出てきてしまった(TT)
このスレの方達がみんな幸せになれますように・・・
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凸┃┃ (/) ┃┃凸
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( ・∀・) (/)(´∀` ) <
>>205さんの赤ちゃんが戻ってきますように!
(つ つミ (/)(⊃⊂ ) \_____________
|_|_|_I(/)_|_|_|__
/////ノ,,,,,,ヽ ////|
この本を読むと、気が楽になるかも?
http://images.amazon.com/images/P/4837960820.09.LZZZZZZZ.jpg
213 :
大人の名無しさん:02/02/03 01:54 ID:qA7QhZjR
また、きっと会えるよ。
希望のある別れだから
きっとまだ出会えるよ。
みんな優しいね。 嬉しいよ。
214 :
大人の名無しさん:02/02/03 02:34 ID:jS6h2N4i
>>205 赤ちゃんきっと戻ってきますよ!
その時の為にも体も心も栄養つけてね!
寒い毎日が続いてますが、みなさんも風邪などには
気を付けて下さいね。
215 :
ロボット夫:02/02/03 05:36 ID:31vB4EIH
私は3年前に妻を病気で亡くしました。
人工呼吸器をつけていたので
心停止した後も装置をはずすまでは
しばらく呼吸だけはしているかのような状態が続きました。
血圧も無くなり、心電図はフラットになってしまったのに
シュコーシュコーと肺だけが一定のリズムを刻む音が
やけに耳に響いてしまって
医者から臨終を伝えられても、泣くどころか逆に
全く感情が沸き立たなかったです。
だからなのか、寝たように静かな妻を見ていても
頑張らせすぎたのかなとか
ああ、もう妻が、今はかつて妻だった物に変わってしまったとか
自分で自分に驚く位ひどいな事も頭に浮かびました。
その後の一通りの事を行う際も涙は一切出なかったです。
それから何となく機械的な感じで過ごしてきてたのですが
一周忌が過ぎて半年くらいたったある日
バスに乗って帰る途中、何の気なしに窓から外を眺めてたら
女性が目に入り、その格好を見て
あんな服の色が好きだった事を思い出した。
いきなり涙があふれ出てきて止まらなくなってしまった。
家に帰っても独りでずっと泣きつづけてしまいました。
初めて声を上げてしまいました。
取り留めなくてごめんなさい
216 :
大人の名無しさん:02/02/03 06:28 ID:5gSimLML
別スレをageたら、ここが目に入って。まだ全部読んだわけではありませんが・・・
>>215さん
泣くのをずっと我慢されてたんでしょうね・・・
お慰めようもありませんが、きっととてもいいご夫婦関係だったのですね。
涙って途絶えることがないのかと私も思った時期があります。
気丈にしていなきゃいけない、心配かけちゃいけない、と思えば思うほど、
大丈夫、大丈夫、がんばるから、と笑顔で・・・。
一人になった途端に215さんのように声をあげて泣き続けました。
亡くなってずいぶんになるのにフラッシュバックのように、
あのシーンが蘇り涙が出たりもします、今でも。
今、横にはイビキかいて寝ている主人がおりますが(苦笑)
いつかは別れがくるんだろうなと思うと、ワケもなく泣けてくる時があります。
誰かを愛したら その喜びと同じ重さの哀しみを 手にするのか
永遠の別れがいつか来ることに 人は皆気づいているから
君と出逢ってこんなにせつない 胸の奥が苦しいほど
ふれあい いたわり 陽ざしの中で 短い時を共に過ごしたい
いつか君を見送る時が来たなら 笑顔で別れを告げよう
君が僕を見送る時は この歌を思い出して
どんなに二人で過ごした人生が 幸せに満ちていたか
愛してる いつまでも 傍にいても 離れていても いつでも
by Shogo H.
結婚当初はこの歌の言葉が心に入ってきませんでしたが
10年経って、まだまだちょっとですが沁みるようになってきました。
それでも“永遠”はないという哀しさと焦躁感が、考えないようにと思っても
心の何処かに、重りのように静かに横たわっているような気がします。
長くなってごめんなさい。ロボット君に温かさが戻りますように・・。
>198さん、ありがとう。
あなたのレスを読んで朝っぱらから泣いてしまいました(泣笑
私も自分の生家の家族関係がめちゃくちゃで、
今の夫と一緒になって、初めて家族ができたという実感があります。
今生での真の家族です。二人だけの小舟に乗っています。
結果がどうであれ、荒波を乗り切る勇気をもっていたいです。
198さんもお体には気をつけて、奥様をおだいじに…
わたしも子供がいないんです。だめになってしまった子が最初で最後です。
だから205さんの気持、よくわかります…。
いまだに赤ちゃんや小さい子供を見るのが辛い時があります。
きっと授かりますよ。
私の周りだけでも、子供ができなくて
苦労している人達がずいぶんいたけど、大丈夫でしたよ。
夫には前妻との子がいるんですが、若い時に生まれた子なので
とっくに成人していてほぼ没交渉です。
夫は(表面的には)子供に憎まれています。そして私も。
204さんはスレが上がった時にふらりと立ち寄ったのかな…
198さんのカキコを読んでくれますように。
215さんの人生の旋律がまた流れだしますように…
あなたの笑顔を、奥さんが天国から見られる日が早く来ますように。
みなさんの幸せをお祈りします。
↑まちがえた。無駄レススマソ。
ぴよぴよ
/ ̄ ヽ
|^◇^ ヽ
( )
''ゝ'''ゝ´
/■\ ツカマエタ!!
⊂(´∀` )
/ ̄⊂ )
|^◇^ ヽ( 丿
( )(_)
''ゝ'''ゝ´
ぴよぴよ
/■\
/ ̄(´∀` ) ウフフ・・アッタカーイ!
.| ^◇^) ⊂ )
( ,ゝ',) | |
''ヽ'''ノ''(_(_)
みんながあったかい気持ちになれますよーに♥
220 :
大人の名無しさん:02/02/03 18:41 ID:qG27BZn4
163さん、元気か〜。ちょと心配。
221 :
ロボット夫:02/02/04 02:54 ID:zxtSpiw6
216さん、217さん、ありがとうございます
昨日は眠れなくて彷徨ってたら、ここを見つけました。
読んでてあの時の事を思い出して、取り留めも無く書いてしまいました。
222 :
大人の名無しさん:02/02/04 18:21 ID:FxYhrsVG
なんだかこのスレ、
スレッドの海を漂う流木か何かみたい…
泳ぎ疲れた様々な人達が、
ここに来てひと息つけるように…age
223 :
大人の名無しさん:02/02/04 22:28 ID:KZN+l+xp
ageとこーよ
>>219 ・・・あかん、あったかすぎて涙がこぼれてしまったよ。
すべての人の心の中に安らぎを。
家の父は昔酒乱で、私が生まれる前から(私は二番目の子)一升瓶を枕にしていたらしい。
わたしが幼稚園ぐらいの歳の頃、会社の敷地内の長屋みたいなところに住んでいた。
隣にひとり住まいのおじいちゃんが居た。敷地内に犬を飼っていて、私はその犬とよく遊んだ。
私は犬も好きだったけど、優しいそのおじいちゃんが大好きだった。
「○○(私)は将来△△(当時CMに出ていた和服美人)みたいな美人になるぞ」
と可愛がってくれた。
ある晩の記憶。父が泥酔して暴れたらしく、暗い土間でゆらゆらと仁王立ちになっている。
それを私が見上げている。
そこから記憶が飛んでいる。
気がつくと、隣のおじいちゃんの家で、おじいちゃんと一緒に布団に入って休んでいる。
母と兄は何処に行ったのかわからない。
でも、おじいちゃんが一緒に居てくれたおかげであの一夜を過ごす事ができた。
暖かくて少し古い、わた布団の中で。
引越しして、だんだん大人になるにつれて、おじいちゃんのことを忘れていた。
なのに、20代の半ばを過ぎてから、おじいちゃんに無性に会いたくなった。
母に訊いたら、居場所はわかった。
身寄りのない人だったはずだけど、誰か知人に引き取られていたらしい。
会いたかった。でも怖くてあえなかった。
あんまり可哀想な、惨めな状態で居たら…と思うと怖くて会いにいけなかった。
ほんとは「おじいちゃんが言ってた通りに私、綺麗になった?」
とか言いながら顔を見せたかった。
でも、自分を護ってくれたおじいちゃんがいっそう歳をとって、
弱ってしまったところをみるのが怖かった。
それからもうずいぶん月日が経ってしまった。
山本のおじいちゃん、ごめんなさい。
会いたかったのに、大好きだったのに、逃げてしまいました。自分の弱さのせいで…。
あの頃、他人の私を護ってくれた人だったのに。大好きだったのに。
ほんとにごめんなさい。可愛がってくれたのに。
思い出すたび、涙が止まりません。
大人になればなるほど、あの優しさを私は支えにしてきた事が解ってきました。
ありがとう、おじいちゃん。
227 :
大人の名無しさん:02/02/06 22:07 ID:c3xnnrYq
>>225 涙・・・まだ会えるなら会いにいってみたら?
おじいちゃん本当喜ぶと思うよ。
228 :
大人の名無しさん:02/02/06 23:57 ID:WhaD2ZCl
>>226さん
動物の思いでスレにもふさわしいと感じ貼らせて頂きました。
勝手にすみません。
泣けました。今ストレスで心が尖っていたのです。
少し丸くなった気がする。。。有難うございました。
229 :
大人の名無しさん:02/02/07 00:16 ID:alMDFDD7
230 :
借猫稼業:02/02/07 02:41 ID:p6k85WMW
>>226 悲しくない、でも、悲しくないと思っているのに
涙が出て止まらないのはどうしてだろう。
出会いがあれば必ず別れがあるのは当然だ
と知っているはずなのに、そのことに気がつくのは
別れがあったとき。実際に、私も大切な友猫を失ってから
それに気がつきました。
私が好きだった友猫はもういないけど、
今を大切にしたいと思います。
心、温まりました。ありがとうございます。
231 :
そこそこ漫画家:02/02/07 10:39 ID:p6VHnfS2
俺は漫画家なんだけど、出版社気付でファンレターが来る。
そんな大御所でもないし掲載紙もややマイナーなので、その数は
一ヶ月で数十通程度なのだが、ヒマな俺はその大半にサイン色紙を送っている。
その中に住所が病院の子からのワープロ打ちの手紙があって、
見るとその病院はうちから車で20分くらいのところにあった。
ファンレターをくれるくらいなら、きっと直接あげたらもっと喜ぶだろうと思った。
いや、それと同時にヒマな漫画家の俺がそのときはきっとスター気分に浸れるだろう
というスケベ根性ももちろんあって、俺はその病院に向かった。
行って見ると、面会受付にその子の母親が偶然そこにいて恐縮した様子だった。
バカな俺はそれでスター気分に酔い始めた。
その子に会って俺は愕然とした。「これは・・・人類なのか?」
折れそうな手足、頭蓋骨の輪郭がはっきりわかる顔つきは命の気配を感じず、
かろうじて動く手で五十音を書いた板を指して意思の疎通をする状態だった。
俺が動揺しながらも、その子に話しかけ、連載している漫画のキャラクターを
目の前で描いてみせると、その子は体を激しく痙攣させ、目から涙、鼻から鼻水、
口からよだれを流しながら、激しく震える手で五十音の板をまさぐり、
たった四文字をありったけの力で俺に伝えてきた。
う・れ・し・い
俺はその瞬間スター気分が吹っ飛んだ。その代わり(その子にとっての)スターを
演じ切って、帰りの車を運転しながら泣いた、昼間だったが声をあげながら泣いた。
藤子は、石ノ森は、そして手塚は、俺みたいな経験をしたことがあったのだろうか。
232 :
大人の名無しさん:02/02/07 13:50 ID:nVhG3KqZ
>>231 あなたは、あなたがその子に与えた以上のものを
その子から貰ったのかもしれませんね。
どうぞ、これからも良いお仕事をなさって下さい。
233 :
大人の名無しさん:02/02/07 18:33 ID:CmgBx3su
ここのスレ見てると、いかに自分が
無力で堕落した人間か、思い知らされる。
231さん、あんたきっと良いマンガ家になるよ。
234 :
大人の名無しさん:02/02/07 21:27 ID:2r8Z12cq
>>231さん
もう泣けて泣けてしょうがなかった。
今ようやく落ち着いてこうやってキーボードを打っている。
その子のためにも、どうか身体に気をつけて
人に夢を与えられる作品を生み出していってほしい。
そしていつか私もあなたの作品に触れてみたいと思うよ、
>>231 わたしがかつてヘルパーとして関わった方も難病で同じ様なご様子の方でした。
手だけがようやく動かせるという方でした。
それも腕を上げるのにもう片方の手で支えなければならないほど、筋力は
落ちていらっしゃいました。
呼吸器を常時はずせませんでしたが、マスク型のものだったのでお話をしたり
食事を摂ることができるのが唯一の楽しみにされていらっしゃいました。
大変聡明な方でわたしは彼女から本当に多くのことを学ばせて頂きました。
今でも、彼女との交流が今の自分の仕事や行き方の指針、核の一部になっている
ような所があります。
3年前、亡くなった事を聞き、慌てて職場から電車に乗って彼女の家へといそぎました。
わたしは、職を変え彼女に合わなくなって半年が過ぎていました。
一緒に歌ったり、笑ったりした事・・・
非常に気丈な方で泣き言はあまりおっしゃらない方でしたが、家族の事を思って
涙されることが時々ありました。
でも、涙を流す事は呼吸器をつけている人にとってはとてもとてもつらい事なのです。
「わたしはね・・・ 涙も流す事ができないのよ・・・」
と、おっしゃる目の端からひと筋、ふた筋と流れ落ちる涙を、そっと拭いてさし上げる
事しか、わたしにはできませんでした。
思わず、電車の窓の方を向いて涙ぐんでしまいましたが・・・
その時、丁度夕刻だったのですが・・・・
今迄、わたしが見た夕焼けの中で、一番ともいえる程の美しい空が丁度、川の上を
走っている電車の窓の外に拡がっていました・・・
彼女が好きで一緒に何度も歌った、「夕焼け小焼け」の歌を思わず思い出しました。
あぁ、あの方はようやく神様のところへ帰っていかれるんだなぁ・・・と感じました。
彼女は熱心なクリスチャンでした。
そして、わたしに・・・
「さようなら、頑張って下さいネ。」
とあの明るい声で、言われたような気しました。
あぁ、ちゃんとお返し・・・しなくては・・・ と素直に思いました。
あの美しい夕焼け・・・・
今でも、ときどき、想いだします・・・
>>232-236 少し落ち着いたその子とは、いろんな事を話した。
「せんせいのすきなたべものはなんですか」
「すきーはやったことありますか」
「おやすみのひはなにをしていますか」
俺はすべての質問に丁寧に答えた。
そして最後の質問「○○○は、○○○○をどうやってたおすのですか」
この質問に俺は思わずこう言ってしまった。
「○○○○とはね、もうすぐ決着がつくんだ。でもね、今度は
新たなる敵が登場するぞ、今度の敵は恐ろしいぞぉ!なんと○○○の
必殺技が通じないんだよ、あああ!ここまでしか言えないなあ!!!!」
その子の笑顔は健常者からみると、ただ歪んで見えるだけだったけど
明らかに、俺の話を聞いたそのか細い体の中に、
(つきなみな表現だが)熱い血がたぎっていってるのがわかった。
そう、この子は病人だけど少年、男なんだと再確認した。
俺は漫画家、少年を熱く燃えさせてなんぼの商売だ。
(本当は「萌え」させる方が金にはなる)
ってなわけで、今必死にその「新たなる敵」を描いている。
とりあえず設定まではできたけど、どうやって倒すのかなんて考えていない。
238 :
大人の名無しさん:02/02/08 02:09 ID:R47WiGrp
>>237 あんたいい人だ、、、(涙
頑張って下さい。ホント。
239 :
大人の名無しさん:02/02/08 11:54 ID:7WYBxnwc
母は俺が17の時に死んだ。44歳だった。死ぬ5年前に胃がんで胃を全摘出した後、
しばらくは元気でいたが、全身に転移し、とうとう力尽きた。
男3人兄弟で一番の悪がきだったおれは、いつも怒られてばかりいた。
ガキだった俺は、母が死ぬなんてこれっぽっちも思ってなかった。
がりがりにやせこけてるのに、どっからあの元気がでてきたのか?
やっぱり俺たちが心配だったのか?
死ぬ前は、病院から一時帰宅していた。父と弟といろんな所に旅行してた。
しかしとうとう立ち上がれなくなったので、再入院した。
祖父がお金をだしてくれて、個室に入ってた。だから父や兄と交代で、泊り込み
で看病した。
ある夏の日、おでんが食べたいと言い出した。俺は2時間近く歩き、
何件もコンビ二を回ったが、どこも置いてなかった。ふてくされて『なかった』
と報告すると、笑顔で『ありがとね』といった。
しばらくして、ひさしぶりに俺が泊まりで看病する時があった。
その夜は機嫌がよく、父との新婚旅行の話だとか、色々しゃべってくれた。
次の日の朝、『もうすぐ、おばあちゃんが来るから、大丈夫だから、早くかえれ。
ありがとね』というので、疲れたから帰ろうとすると、母はちょっと涙目だった。
外にでると小雨が降っていたが、病室にもどるのがいやでそのまま駅にむかった。
買い物をして一時間後ぐらいに家に着くと、電話がなった。祖母だった。
様子がおかしいから、すぐにもどってこいとのこと。
タクシー代がもったいないから電車でいった。
30分くらいかかっただろう。病院に着くと、母の部屋からあわただしい雰囲気を
感じた。入るといろんな機械がおいてあり、マスクをつけた母、うなだれる兄が
目に入った。
機械を見ると心拍数0、ピーと横線がでてるだけだ。おかしいぞ?さっきはあんなに
元気だったぞ。医者は下をむいて、もうだめだみたいな顔をしてる。
おかしいぞ?13歳の弟がきた。大泣きだ。父もきた。間に合わなかったって言ってる。
おかしいぞ?さっきまで元気に新婚旅行の話してたじゃないか。楽しかったって。
医者が『ご臨終です』といってる。
おかしいぞ?さっき悪がきの俺にむかって『ありがと』って言ってたじゃないか!
俺は手から血がでるまで、壁を殴りつづけた。
死なないと思ってた母が死んだ。
もう15年も前になるが、いまだにコンビニでおでんをみると、涙がでてくる。
たべさせてあげたかった。
女の子が欲しくて、弟をしばらく女の子のように育てていた母に、俺の娘をだっこ
さしてあげたい。いまこれ書きながら嗚咽してる。もうだめだ。
長文すまそ。
240 :
通りすがり:02/02/08 12:33 ID:ML+AZiWM
>>205 遅いレスだが....。うちのかみさんも一度流産してる。
安定期に入っていたのに、夜中に突然の破水。
片端から救急病院に電話すれども受け入れ先が見つからず、かかりつけの産院の開診時間に合わせて車で搬送。
長くて短い待ち時間の後、医者の「たぶん...もう...お子さんは(この後何を言ったかは覚えていない)」の言葉を聞き、待合室の外へ。
その場で号泣。父母の「お前がしっかりしなくちゃいかん」の言葉にも虚ろに頷くのみ。
それから数年経った今では2人の子供に恵まれた。
上が男、いたずら盛り。下は女、可愛くてしかたがない。
無論幸せだ。あの時と同じ位の大きな声で叫べる。
産まれて来れなかった子供のことを忘れることはできないが、悲しみは時間が解決してくれる。
たとえ流産しても、その後、俺程度に幸せになる可能性は十分ある、ということが同じ経験をした方々の希望や心の支えになれば、と思い、キーボードを叩いてみた。
俺達も上の子供ができて産まれるまでの間、同じ不安を抱えてきたので。
駄文多謝。
>>239 思わず読み返してしまいました。
その思いはきっとお母様に届いてるよ…(涙
>>all
お前ら最高にイイよ
俺の分も幸せになってくれ
連休前age
会社で泣かすなよ・・・
>>239 辛かっただろうなぁ....
親父の時もそうだったから、解るよ。
俺も今、あんたのカキコを読んで泣いている。
泣け、泣け、すっきりするまで泣け.....
245 :
大人の名無しさん:02/02/09 01:45 ID:UiZl+MTJ
>>242 何言ってるんだ。あんたも一緒に幸せになるんだよ。
243の代わりにage
みんな、連休中に幸せのタネを蒔くんだぞ。
蒔かないタネは育たないぞ。
246 :
大人の名無しさん:02/02/09 04:38 ID:KFwIsWYD
私の家は昔からいろんな動物を育てていた。東京とは言え、結構田舎のような
場所だったので、自然も豊富だったし我が家の周りも広場や池などがたくさん
あった。
ある日小学校1年生だった妹が可愛い柴犬の入った雑種の子犬を連れて帰ってきた。
それまでも家では犬を飼った事が何度かあったし、死んだ時の辛さはイヤという
程知っていたので、先ず母が大反対した。私もそれまで育てた動物達が事故や病気
で死んでしまった時の辛さを知っていたのでやはりダメという判断をした。で、
妹は泣く泣くその子犬を元いた場所に返しにいった。
その次の日、私と妹が学校から帰ると父がいつもより早く仕事から帰っていて、
庭先で何かを作っていた。私と妹はそれが何か解らなかったので、そのまま家に
入っておやつを食べたり、宿題をしたりしていた。
夕飯の時間が近づいて私と妹は、母に言われて外にいる父を呼びに行った。
父は自分の仕事道具等を置いてあった物置に私達二人を連れて行った。で、ドアを
開いたら、そこには大きな立派な手製の犬小屋と、その前の日に妹が連れてきた
あの子犬が尻尾を振りながら喜んで待っていてくれた。
父は二人に「今日から家の家族になったんだよ。これから皆で面倒を見る事。お散
歩も毎日皆で交代。雨が降っても雪が降っても、見たいテレビがあっても必ず連れ
ていけるね? 最後まで絶対に家族として面倒見て上げられるね?」と念を押した
ように質問した。当然私と妹は喜んでそれらを全部守ると約束した。
その後家族で食事していた時に、母から聞かされた。前の日の夜に父がその子犬を
探しに小学校までの道を辿って行った事、反対する母に対し、子供達に命の大切さ
を学ばせるべきだと主張し続け、最後には母が折れた事。
その後6年程その子犬は我が家の一員として、私達にやさしく暖かい思い出の数々
を残してくれた。あの日を迎えるまで・・・・
247 :
大人の名無しさん:02/02/09 09:40 ID:E+TusWan
248 :
大人の名無しさん:02/02/09 18:21 ID:eNTiZOov
皆あったかくて、あとからあとから涙がでてきた。
私はまだ大切な人をなくしたことがないから、そういう方たちになんて言葉をかけてあげればいいのかわからない。
昔読んだ本で、誰かの死というものは周りの人にとって意味があることだ。というのを思う出だした。
私も私の大好きな人たちが死んでしまうのを想像しただけで、もう涙がでてしまう。
生きている人たちに、私が出来る事があるのならしてあげたい。
生きているから、死ぬ時もくる。だからこそ、自分も悔いなく必死で生きていこうと思う。
ここで、自分の大切な人をなくされた方。
きっと、その人達は見守っててくれると思います。元気な姿を見たいと願ってると思います。
自分たちの生あるかぎり、その思いを受け止めて生きていきましょう!!
なんかうまくいえないけど、いつまでも応援してます!
ロボット夫さん、ぐっすり眠れてるかな・・
このスレのみんなと、みんなが大切に想っている(いた)すべてのひとたち(わんこ含む)
に
250 :
続き:02/02/10 00:05 ID:oT4azYK9
・・・幸あれ。 中途半端に送信しちゃったスマソ
結婚したての頃、主人がなぜか私一人を置いて去っていく夢をよく見て、
辛くて泣きながら目が覚める、ということが多かったんです。
嫌な夢なので主人にも言えず、どうしてこんな夢ばかり見るんだろうと・・・
ひょっとして裏切られる予兆?とか、すごく気になって。
たまたま霊感の強い友人とお喋りしてる時、その夢のことを話したんです。
「なんかさ、気になるんだよね。旦那のこと信頼してないのかな、私」
彼女は私の生い立ちのことを知ってて、即答したんです。
「それはトラウマだよ。あなたは子供の頃に両親を亡くしてるから
その寂しさや恐怖心がやっぱりずっと心の奥に残ってて、
結婚しても別れ(死)がきて、また一人取り残されるんじゃないか、
という気持ちがあるから、そんな夢を見るんだと思う」と。
ああ、そうだったんだ・・・と、それを聞いたとき、
固まってたものがサーッと溶けだした気がしました。
で、彼女との話以降、一度も主人と別れ離れになる夢は見ていないんです。
・・・単純な私だからそうなのかもしれませんが(苦笑)、
違う視点、考え方で、気持ちってずいぶんラクになるのかもしれませんね。
と同時に人の「死」から受ける心の痛みというのは、
どんなカタチであれいつまでも心の奥に眠っているんだな、と。
ロボット夫さんや、239さんのカキコを読んでてそんなことを思いました。
色んな想いは残っているけど、今の時代、生きてゆくことも大変だけど
故人を思い出したときフッと微笑みがでる穏やかな日がいつか来ますように。
252 :
大人の名無しさん:02/02/10 02:49 ID:7emjkzgW
みんないろんな事があるけど、がんばろう!
父が、がんの宣告を受けた。
去年の春くらいから、ずいぶんと体調が悪かったらしい。
でも私は、一緒に暮らしていたと言うのに、その事に全然気付けなかった。
一人暮らししている妹は、帰省した時にすぐ気づいたと言うのに・・・。
一応専門的な知識はあるので、話を聞くと、もう長くないと思ってしまう。
自宅療養中の父を見ると、とても信じられないけれど。
多分、逝ってしまうまで信じられないままなんだろう。
それでもたまに、夕食の席でなんでもない会話を交わした後なんかに、
部屋に帰って布団を被って泣いてしまうことがある。
神様がいるなら頼みたい。
どうかお父さんを連れていってしまわないでください。
254 :
239:02/02/10 12:42 ID:Th9vFU02
みなさんありがと。
いまは、嫁さんと娘がいるので、かなり幸せですが、娘のちょっとおしゃまな
しぐさとかみてると、どうしても母にあってもらいたかったっておもいます。
このスレみてて、ほんと号泣して、母を思い出したので書かせてもらいました。
暖かくなったら、また嫁と娘と、墓参りに行ってきます。
>>253 なにか励ましてあげたいけど、言葉が浮かばない自分がなさけない。
253のお父さんが元気になるように、皆で祈ろう!!
>>255 了解!
俺も祈るよ。
253のお父さんが元気になりますように!
257 :
大人の名無しさん:02/02/11 21:14 ID:uUKKx5bj
こんないいレスさげとくのはもったいない!!
253のお父さん元気になりますように!!
>>253 俺の親父もガンだった。
「俺、ガンなんだよ」
と親父が俺に告げたとき、生まれて初めて親父が涙を流すのを見た。
それでも俺は親父の言葉が信じられなかった。
それから俺は、暇を見つけては入院中の親父に会いに行き、話をした。
残された時間が短いこともあって、とにかく出来る限り話をした。
そして、そのとき俺が思ったのは、「親父を安心させる」こと。
心配事をあっちの世界に持って行かせないこと。これだけを心がけた。
それでも完璧とはいかなかったけどね。
きつい言い方かもしれないが、人間は必ず死ぬ。遅かれ早かれ絶対に死ぬ。
そうであるなら、出来る限りお父さんを安心させてやってくれ。
真の親孝行とは、親に安心してもらうことだから。
俺には時間が足らず不充分だったが、253さん、どうか親孝行をしてあげてくれ。
人間の祈りの力はばかにならないものがある。
俺も253さんのお父さんの回復を心からお祈りいたします。
259 :
大人の名無しさん:02/02/12 21:28 ID:5k6ANZYr
うーむ、会社で涙をこらえるので精一杯です。仕事できねー。
悲しい話とかじゃなくて申し訳ないんですが…
去年の末に結婚しまして、今度3月に結婚式をします。
それまで一人暮らし、同棲(夫と)をしている時にはほとんど
何もいってこなかった父が、結婚してから電話口で必ず
「元気してるか」と言うようになりました。
昔、まだ一人だった頃は、実家から一人住まいの家に戻るときに
駅まで送ってと頼んでも気が向かない様子だったのに、最近は
「送っていこうか」と言ってくる。
実家にあるわたしの部屋も、まだわたしの荷物がたくさんあるんですが、
母が片づけろというのに対して父は「別にかたづけなくてもいいじゃん」
と言うのです。
何か、変わったなー、と最近思います。
スレ違いか?スンマセン。
260 :
大人の名無しさん:02/02/12 21:54 ID:xmATnzS1
実家がどろどろで、夫だけがわたしの家族です。
このスレ見てたら嗚咽止まらなくて・・
261 :
大人の名無しさん:02/02/13 07:03 ID:Q2EjgcTD
他のスレにも書いたけど、ここの方が合うと思うのでもう一度m(_ _)m。
父の酒には随分苦労させられた。
根は小心なのに、いや、だからこそ酒の力を借り飲んで帰ってはクドクドと母に絡む。
と思うと、外で飲みつぶれて倒れ、警察のお世話になったり。
その「ていたらく」に、母は「もう死ぬ!」と剃刀を首に当てたこともある。
母の苦労を見て育ったから、物事の分かる年齢に達して以降、
私は、きつい言葉で父の「だらしなさ」をなじり続けた。
そしてウン十年か前の春。
就職のため上京して賄い付きの下宿で荷物を解いたところ、バッグの中から見覚えのない紙包みが。
おかしいな、何だろう?
開くと、半紙に墨汁で押した父の手形と、小さなソーセージの缶詰が2、3個。
小さく折り畳んだ手紙が同封されていた。
「何にもないけど、かんべんして。
おかずに困った時に食べてください。
また月々変わったものを送るから。
おかあちゃん(=私の母)には内緒。
出来る限り節約して送ります。
いくら悪口をいわれても、子供は可愛いのが当たり前。
身体に気を付けて下さい。」
肉好きの私を思い、あの飲んだくれの父が、そっと……。
上京第一夜、枕が濡れるほど泣いた。
その父も、5年前から後から逝った母と空の上で一緒。
あの世ではきっと仲良く、おだやかに暮らしているだろう。
262 :
大人の名無しさん:02/02/13 08:01 ID:6+dlUOp0
死んだ母が夢に出てきた。話をするのは三ヶ月ぶり。
ありがとう、誕生日に会えるなんて思ってもみなかったよ。
263 :
阿讃王:02/02/13 12:05 ID:T+I2+O+u
仕事がうまくいかなくて、参っているこのごろ。
希望や夢を持って始めた仕事で、最初の頃はそれはもう
うれしかった。(この仕事が出来ることが)
でも最近、世間の評価、上司の評価、ライバルとの競争、
勝ち負け一喜一憂・・なんかに疲れていた。
ある意味、仕事を軽く見始めていた。そしてイヤになっていた。
ある日彼女とカラオケに行った。そこで「なつかしヒーローモノ」
みいたいなコーナーから何気なく「ウルトラマン80」を見つけた。
「おっ!!これ、たしか結構ノリがいいから、いれちゃうよ!!」と
はりきって歌おうとした。
1コーラス目の「きーみーは勇気を持っているかあー」と絶叫したとき
なにかが自分の中で外れた音がした。そして2コーラス目の
「きーみーは涙を・・」のところで文字通り嗚咽してしまった。
(彼女唖然)カラオケの画面ではウルトラマンがでっかい怪獣に投げ飛ばされ
ていた。それでもむかっていっていた。
俺の涙はいったい何なのかよく説明できないけど、なんか叱られたような、
励まされたようなそんな気がした。
俺には必殺技なんか無いけど、明日からまた頑張ろうと思った。
軽めの嗚咽です。
264 :
大人の名無しさん:02/02/13 23:16 ID:WKA7WXcZ
あげ
>>263 わかる、わかるぞ、その気持ち。
人間関係に疲れていたとき、俺は
部屋の掃除をしていて古いテープを見つけた。
そのままデッキに放り込んでスイッチオン!
流れてきたのは
♪もしも友と呼べるなら
許して欲しい あやまちを
いつかつぐなう時もある
今日という日はもうないが
生命あったら 語ろう真実
乾いた大地は 心やせさせる
乾いた大地は 心やせさせる♪
という「戦闘メカ・ザブングル」のエンディングテーマ。
本当になんでかわからないけど涙が出て止まらなかった。
泣きながら、しゃくりあげながらアニメの歌を歌ったさ。
266 :
age:02/02/14 01:22 ID:Vfxq5Bi3
あげときましょう♪
267 :
大人の名無しさん:02/02/14 02:02 ID:ZUtRn6Fm
こないだ、お父ちゃんがきたのね。実家の父親。
めちゃくちゃ仲が悪かった。十代のころは憎んでいたくらい。
わたしが結婚したときも反対して式に出なかった。子供ができたら
堕胎しろといった。ずっと憎んでた。
でもね、生まれてきた長男次男のことはすごくかわいがってくれて、
誕生日にはセンスのずっこけたプレゼント、あえば必ずわたしには
絶対買ってくれなかったようなお菓子をくれる。
寒いなかわざわざウチまできてくれたお父ちゃんは、自分で作った
ちらし寿司を持参していた。玄関で靴を脱ぐとき、ふらついて転んだ。
ずっと現場で電化工事をしていた国鉄職員で、げんこつでわたしを
殴って、とにかく屈強だったお父ちゃんがこんなことで転ぶなんて。
高い架線にも登っていたのに。
お父ちゃんを持てなして、お礼をいっぱいいって、息子どもにチュウ
させて送り出してからトイレにこもって泣いた。
268 :
阿讃王:02/02/14 08:56 ID:C5lzv/+G
>265 ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。
あなた、いいヒトだ。
269 :
大人の名無しさん:02/02/14 12:15 ID:foeNSqoA
実の両親が大嫌いで、許せない。
>>260さん、私も、家族は自分で築いた主人と娘たちだけです。
父親にも母親にも2度と会いたくないし、いっそのこと死んでくれたほうが
すっきりする。ずっとそう思っていたし、今も思っている。
それでもいつかは、生きててくれようって思うその時が来るのだろうか。
ありがとうって思えるときが来るのだろうか。
270 :
S:02/02/14 17:27 ID:B3xERtVB
オヤジさんがガンだっていうレスが少し前にありましたが、
自分の場合は逆でした。ガンなのは私。
・
大学卒業間近に、体調が少し悪くなって、入院。
なぜかみんないろいろ気を使ってくれた。遠い病院だったけど、オ
ヤジは毎日来てくれる。朝から晩まで病院にいる。
自営業だしそんな暇はないはずなのに。
そのうち、薬が強くなって、髪の毛は抜けるし、気分はいつも悪い。
自分は目が非常に良くて、ドクターが隠すように書くカルテがよく
見える。英語だけどそれとなく分かってくるんだよね。生存率とか。
ショックはショックだったけど、それよりもオヤジが気の毒だった。
私が子供の頃は深夜に飲んで帰ってきて、朝は私が学校に行く時間
には寝てて、口きかないし、飲んで暴れるし、ひどいオヤジだった
けど。
オヤジよりも先に死ぬかなと思ったらオヤジが気の毒で気の毒で。
病室であたり障りない話ばっかして、私が何か食べものの話したら、
次の日には必ず買ってくる。気分悪くて食べられないんだけどね。
・
後でオヤジの知り合いに聞いたけど、ウチにも帰ってなかったらし
い。誰かを呼び出して、小さなすし屋のカウンターで飲むんだって。
カウンターの隅から隅までビールの空き瓶が並んだら、願いが叶う
とか言って毎日のようにやるんだって。もう少しなんだけど、いつ
も出来ないでベロベロで声あげて泣くんだって。30本か40本な
んだけどね。
その話を聞いたときは親不孝な自分にマジで泣けた。
文章もヘタだし、みなさんに聞いてもらえるほどの話じゃないけど
ね。なんとなく書いちゃいました。誰にも言ったことのないお話。
↓この記事、哀しいニダね…。
http://www.asahi.com/national/update/0214/022.html 【痴ほうの妻、夫の死を理解できず 1カ月食事の世話】
東京都西東京市の住宅で、無職男性(84)が衰弱死していたことが14日、
分かった。死後約1カ月で、栄養失調の疑いが高いという。男性は痴ほう症の
妻(74)と2人暮らし。妻は夫の死亡に気付かず、2人分の食事を用意し続
けていたという。
田無署によると、同住宅の管理人の女性(52)が、男性が1月15日ごろか
ら姿を見せないことを不審に思い、2月12日夕方、部屋を訪れたところ、男
性が死亡しているのを見つけ、警察に届けた。男性はこたつに入った状態で仰
向けで横たわっていたという。
妻は痴ほう症がひどく、警察が駆け付けた時も、夫が死亡していることを理解
できなかった。
272 :
大人の名無しさん:02/02/14 21:23 ID:wJ5e99rw
Sさん、水差してごめんね。
でもそんなときにもすし屋に行って30本も40本もビール飲んでる
お父さん、私だったら嫌だと思うよ・・・
>272
不器用なとうちゃんなんだから、許してやってよ、ね。
病床の子供のことを思うと寂しくて、悲しくて
どうしたらいいか、解らない不器用な親父の姿。
274 :
36歳:02/02/15 00:22 ID:zT2/u9d0
269さん272さん、何があったのかは判りませんが、許してあげてください。
だってあなたが存在しているのは、ご両親のおかげなんだから。
親を否定したら、自分の存在を、さらには自分の家族(子供)をも否定する
事になってしまいます。
えらそ〜にと思うかもしれませんが、他の方も書いてますように孝行したく
ても出来ない人も多いんですから・・・
275 :
大人の名無しさん:02/02/15 09:48 ID:8Eo6qdVF
274さん。レスくれてありがとう。
269も272も私です。
存在している。確かにそれには感謝しています。生きているから幸せになるコトだって
できた。でもそれは親から離れて、関わらないようになれて初めて掴めた幸せ。
視界の端に親の姿が見えた頃はけして得るコトが出来なかったこと。
堕し損ねて仕方なく産まれた私は食べ物は与えられて寝るところは与えられましたが
今は、美味しく食べて幸せになれ、気持ちよく眠って幸せになれるんです。
いまさら愛されたかったとかそんなのはもう思わないけど
親が死んだときに少しでも悲しく思うのか後悔しないのかそういったのを
少し考えます。
276 :
大人の名無しさん:02/02/15 13:19 ID:CHacZR+I
>>274 >だってあなたが存在しているのは、ご両親のおかげなんだから。
もうね、これに尽きるよ。
オレ子供いないけど、そう思う。
「子を持って始めて親の有り難味がわかる」ってのはどっか違うと思う。
277 :
大人の名無しさん:02/02/15 21:48 ID:YHMPRZc+
コドモを持つと、逆にこんなにいとおしくてこんなに愛すべきものなのに
って思う。
自分のコドモを慈しむことでコドモの自分も一緒に愛してあげてる気がするよ。
自分が得られなかった分、もうおなかいっぱいって位にコドモを愛するね。
278 :
長くてスマソ:02/02/15 23:14 ID:eZ+hxzgJ
オレの親は、主観的には子供を「すごく愛していた」らしい。
でもその愛情は歪んでた。オレは自殺寸前まで追い込まれ続けたんだ。
十何年ものあいだ・・
一体何故こんな事になってしまうのか、あの親の精神構造はどうなってるのか、
オレにはずっと謎だった。訳わからんかった。
当然、現在に至るまで、親を心底憎み続けてきた。
・・・でも、最近はときどき、かわいそうな人たちだなあ、と思う事がある。
あの人たちは、世の中を何か勘違いしてた。いろんな事にびくびく怯えながら
必死で生きていた。小さな子供に理不尽な仕打ちを続けたらどんな取り返しの
付かない事になるか、経験も無ければ知識を得る余裕も無かった・・・。
そして今では「子供に裏切られた」と一方的に思い込み、よぼよぼになって
しょげ返っている・・何故そんな事になったのか、きちんと考える事も出来ずに。
なんてしょうもない、愚かであわれな人たちなんだろう・・。
オレが親を想うときの気持ちは、憎しみと悲しみの気持ち。
馬鹿馬鹿しくて悲しくて、ときどき涙が出てくるよ。
そんなオレは親が死んだらどう感じるんだろう?
279 :
軽い話です:02/02/16 03:12 ID:kCi4kyp3
中学から大学付属の私立校に行った。
そんなにレベルの高い所じゃなかったけど、たまたまうかってしまった俺は成績が悪く、
いつも補習させられていた。
高校から大学へは全体の7割が定員だったけど、俺は理数系が苦手で勉強しても
合格のボーダーラインを行ったり来たりだった。(全科目必修だった)
で、結局上の大学には上がれなかった。周りの友達は皆楽勝で進路が決まっていく
ように見えたけど、自分は一生懸命勉強したのに結果が出せなかったと思ったら
涙がボロボロ出て声出して泣いてた。一人だけ落伍者になった気がした。
青かった18の冬です。
ちなみに、その後別に行きたい大学を見つけ、一浪して合格。
本当に勉強したい事を学べて充実した学生生活を送れた。
あのまま付属の大学に行ってたら、ただのDQN学生になってたと思う。
女房の兄貴の話なんだが・・・
小さい頃(確か4〜5歳)、小児喘息にかかり空気のいい父方の実家へ
引き取られることになり、祖父が迎えにきた。
そして、いよいよ引き取られて行く日、父が、一人じゃかわいそう、ぐ
ずったら大変だ、というので途中まで一緒の電車に乗っていくことになった。
別れの駅についたとき・・・
父は「トイレに行ってくる」と言って席を立ち、兄の見えない車両から電車
を降りた。そのことを知らない兄は帰らない父親をずっと待っていたらしいの
だが、一駅過ぎ、二駅過ぎ・・・帰ってくる気配がない。待ちくたびれた兄は
祖父に向かって「お父さん・・・お便所長いね・・・」って言ったそうだ。
この話を女房から初めて聞かされたとき、最後の「お父さん・・・」の台詞で
俺は不覚にも涙が止まらなくなった。
駄文スマソ
281 :
大人の名無しさん:02/02/17 19:33 ID:KPZMhBXR
あげちゃいます
282 :
大人の名無しさん:02/02/17 23:02 ID:li/NiXdm
家族で経営に携わっていた会社が倒産し それぞれが離れて暮らし、
父母も兄の家族も自分もなんとかそれなりに食える環境になった頃、
ホントに急に父が他界しました。 ずいぶん離れたところで。
急性心不全とかいうやつで 涙もろい自分は妻の前で友人の前で
号泣していました。 が 不思議と実感は無かったです。
その後、初七日の法要用にデパートで御供えの和菓子を買っていました。
お土産を買うような気分で どれがいいかなとか、自分も食べれる物をとか
考えていました。 お菓子を決めてお姉さんが包装してくれるのを待つ間、
「あれ? 自分は今何をしているんだろ?」って急に考えちゃって。
これは父へのお土産じゃないんだ 御供えなんだ。
自分もいよいよ父親に御供えを買うようになったんだって思い至った時、
場所柄もわきまえず涙が溢れてきました。
泣き声が出そうだったけど 必死で飲み込みました。
あの時自分の中で 疑いなく父が死にました。
私には年子の兄がいる。その2人の間に兄弟がいたって知ったのは20代の頃。
兄が生まれてすぐに妊娠、そして中絶。あまりに年が近すぎるという理由で・・
そしてまたすぐに私が生まれた。結局、兄と私は年子。
もし両親が2人目をそのまま生んでいれば、私は・・・・・・・
284 :
大人の名無しさん:02/02/19 09:31 ID:Q5SyS0OD
うち(私も)そうだ・・・
しかもうちの親は兄の前に一人堕ろしてるんだよ。
(できちゃった結婚じゃ体裁悪いからって)
1度ならず2度も堕胎するんなら、出来ないようになんとかしろよ!
水子の兄弟が2人もいる年子の兄妹・・・鬱すぎる。
285 :
大人の名無しさん:02/02/19 12:03 ID:+Y50TzDt
ここ読んでると、何だか人に優しくなれる気がするよ…
age!
定期保守sage
287 :
487:02/02/20 05:06 ID:nIbigk7L
S=(・∀・)??
とにかくよくなることを一生懸命祈ってるよ!!
288 :
大人の名無しさん:02/02/20 21:25 ID:MB3y7TNW
定期age
289 :
大人の名無しさん:02/02/21 01:05 ID:QSeQvob4
中絶は色んな事情が絡んでくるから一概にいい悪いでは決められないけどね。
中学時代、年子の姉妹がいてその妹と同級生だった。
姉妹は顔のつくりがそっくりで部活動も一緒で仲が良かった。
ある時、教室で雑談していて君は年子だからお母さんは面倒みるのが大変だったろうね
て話になった時、妹が
「私がまだお母さんのお腹のなかにいる頃、ウチで家族会議したんだって。年子は大変だから堕ろそうって。
家族全員で長いこと話し合ってそう結論がついたんだけど、最後まで黙って聞いていたお祖父ちゃんがひとコト
『産め。産まれた子供の面倒が見る奴が誰もいないなら自分がその子を育てる』と言ってくれたんだって。
お祖父ちゃんのその言葉で家族皆思い直したんだって、だからいま私がいるのはお祖父ちゃんのおかげなんだ。」
と淡々と語ってくれた。
当時の自分は感動したような人の生死の不思議さを知るような複雑な気持ちになったのを覚えてる。
ちなみに彼女は才色兼備で男女問わず皆の憧れ的存在の子だったな…。
290 :
大人の名無しさん:02/02/21 10:30 ID:ONkKH5Ao
中絶の話を子どもにするってのはどうかと思うな。子育ての最中に、つい言って
しまったりする「橋の下から拾ってきた子だよ」とは違って、「あんたにはお兄ちゃ
んかお姉ちゃんがいたのよ」って類の話は、命の大切さを説く親が、自分の存在を
左右する絶対的なものであることを思い知らされる訳で、あまりいい気分のもので
はなかった。私の場合は弟ということだったけれど…。
中絶の話は、あくまでも夫婦間の問題で、封印するべき事柄だと思う。生まれた子ど
もに話す無神経さを疑う。子どもからすれば「頼んで生まれたわけじゃねえや」と、
悪態もつきたくなるだろう。私は子どもの権利主張としてずっとこれを意識してきた。
この世に送り出したのは、すべて親の責任だからと思っている。
微妙にスレ違いかもわからんけど、嗚咽を漏らしたのは事実なので書く。
今から10年くらい前だろうか。
セガのメガドライブ用で『アドバンスド大戦略』というゲームがあった。
舞台は第二次世界大戦、ドイツ軍を率いて戦闘を行なうというシミュレーションゲームだ。
生まれて初めて買ったハードとソフトだった。
俺はこのゲームにずっぽりハマリ混んでしまった。歴史を変えてやるとまで思っていた。
当時俺は大学四年、就職活動をしなくちゃならないという時期に、架空の戦闘に明け暮れた。
講義中も飯食うときも寝るときも、頭の中にあるのは我がドイツ帝国軍のことばかり。
ハードの性能もあって、とにかく1ターン1ターンが長いゲームだった。
自ターンが終わって飯を食い、風呂に入って、画面を見たら、まだ相手ターンだった、
ということもあった。ゲーム進行の遅さには泣かされたが、
それでも俺はこのゲームの魅力から離れることはできなかった。
ポーランドを蹂躙し、デンマークを落とし、低地諸国を壊滅させ、フランスを占領、
と、とりあえず史実どおりに我がドイツ帝国軍は進撃していった。
寝る時間も飯を食う時間も惜しんで、俺は画面に向かった。
イギリスやアメリカが出てくると、調子のよかった俺の部隊は徐々に進撃の足を鈍らせた。
ロシアへの侵攻が史実どおり失敗し、ほとんど敗北間違い無しという状況に追い込まれた。
俺は実生活でも窮地に追い込まれていた。就職が決まらない。時に、バブルの最終段階。
どうにかなるとなめていたのが失敗だった。状況がここに至ってもゲームを止められなかった。
否、今考えてみると、俺は現実から逃げ、ゲームに逃避していたのかもしれない。
八月、九月、十月、そして十一月、我がドイツ帝国軍は画面の中で未だ戦闘中だった。
敗戦を一秒でも遅らせようとするかのごとく、遅滞行動を取り続けていた。
まるで自分の姿を見ているかのようだった。
画面の中のドイツ軍はまさに俺の姿のままだった。
忘れもしないその年のクリスマス、画面の中で連合軍はベルリンを取り囲み、
いっせいに俺の部隊に襲いかかった。
俺が育てた部隊が、一ユニット、また一ユニットと消えて逝く。
ポーランド時代から一緒に戦ってきた俺の戦友が画面から消えていく……。
ターンオーバーでゲーム終了、ついに歴史は変わらなかった。我がドイツ帝国軍は負けたのだ。
「まぁ、どうやったって勝てないように出来てるな、このゲーム。ま、いいか」
(実際にそうだった。マップエディットの裏ワザでも使わない限り、勝ち目が無い)
感慨にふけっているとエンディングテーマが流れ出した。
流れてきたのは、『リリー・マルレーン』のメロディ。
その瞬間、半年にも及ぶ辛く長かった戦いが甦ってきた。
心の中に、消えていった俺の部隊が、俺に向かって敬礼をしているイメージが浮かんだ。
俺はすべての兵器がいとおしかった。すべてのユニットに
「カメラード(戦友)」と呼びかけたいほどの思い入れがあった。
俺の目から熱いモノがほとばしり、口からは声にならない声が漏れ出た。
その日、俺は現実の世界に戻ってきた。
就職は恥ずかしながら、本当は使いたくないコネを使って、なんとか某社にもぐり込んだ。
あれから十年が経ち、数多くのゲームをプレイしたが、
後にも先にも、ゲームで泣いたのはメガドラ用『アドバンスド大戦略』のみだった。
多分、これから先も無いだろう。
俺はすでに齢30を越え、四捨五入すれば40になる。結婚し、子どももいる。
それでも俺は、これからもゲームを買い続け、プレイし続けるだろう。
俺が涙を流したあの日、あの瞬間を追い求めて。
294 :
大人の名無しさん:02/02/23 02:56 ID:mV+NSTs3
>>291-293 良い話だ。オレもゲームプログラマなんだけど、正直メチャメチャ
広告打ちまくって有名クソゲーを世に出したりもした。
コレ読んで、売れなくても、やった人の心に残るいいモノを残そう
って気になったよ。ありがと。
295 :
大人の名無しさん:02/02/23 04:43 ID:4TlgKGqi
アドバンスド大戦略はめちゃめちゃ名作だったね。
ドリカスでも出たけどメガドラ版が最高だった。
でもすんげぇ難易度高かったよなァ。よくクリアできたもんだ。偉い
296 :
大人の名無しさん:02/02/23 12:48 ID:WqhctzFk
7年ぐらい前の話
彼女が交通事故で死んでしまって、葬式のあと親父さんと二人きりになった
昔一度だけ顔を見たことがあったが、すごい無愛想で挨拶しても無視された。
俺を見て、親父さんが「かあさんから聞いてるよ、○子とつきあってたんだって?」
夢だったんだよ、○子が生意気そうなガキ連れてきて、二人で俺の前に正座してさぁ
「娘さんと結婚させてください」とか言うんだよ、そのガキが。
おれはめちゃめちゃ頑固で、相手がどんなやつであろうと、難癖つけて追い返すんだ。
「お父さんなんて大嫌い」とか言われたりしてな。絶対そのガキとは馴れ合ってなんかやらない。
で、孫ができたら昔のことは棚に上げてアホジジィになるんだ。
娘ができてから、何度も何度も頑固親父やってる俺を想像して一人でニヤニヤしてたんだ。
・・・最低だよ。何でこんなことに
親父さんは両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。
俺は何も言えなかった。
俺は昨年結婚して、いま嫁さんの腹の中には子供がいる。
親父さん、元気にしてますか?
297 :
大人の名無しさん:02/02/23 14:17 ID:sP+ITdQ4
>>296 ああ。あなたはその時のことを今話せるようになってよかったと、心底思った。
その親父様もあなたと同じようにかなしいけれど、笑って話ができるようになっていることを祈った。
皆幸せになりますように。
>>296 あかん、こりゃあかん。
その親父さん、俺と同じ考えしとる。
言葉が出てこん。ほんとに出てこん。
俺、これから泣く。
かみさんと生まれてくるお子さん、
大事にしたってや。
このスレに書き込んでいるみなさん、
春がきましたね。
梅も咲いたし、あと数十日で桜も花開く。
>>163 あなたのレスを読んで以来、
ハム太郎のイラストをみると、
あなたの娘さんを思います。
そして、聞いたこともないのに
娘さんが歌っていた舌たらずの声の歌が
私の頭の中で響きます。
300 :
大人の名無しさん:02/02/24 21:47 ID:IbfEf8ep
>299
私もです。
その部分だけは歌えるので「とっとこ〜・・・」
と歌うたびに娘さんを思います。
うちの娘は5歳です。
頼むから頼むからどうか自分より先に逝ってくれるなと
信じてもいない神に祈ってみたりしています。
娘さんの魂が心やすらかでいますように。
301 :
大人の名無しさん:02/02/25 02:01 ID:k5FRCWni
このスレいいね、心が洗われるよ、苦しみがあるから楽しみもあるんだよね。
人生にはいろいろな試練があるけど、乗り越えていきましょう。
みなさまが、幸せになりますように・・・。
302 :
大人の名無しさん:02/02/25 02:50 ID:TkXxNKVT
>>163です。
一人になった俺は、今でもハム太郎を欠かさず観ている。
30半ばの男が、ビール飲みながらアニメを観てる光景は異様とは思うが、
なんとなく習慣で、金曜の6時半は必ずTVをつけてハム太郎にしている。
もちろん毎週泣いたりはしていない。
今朝、仕事に行くとき車の中でラジオをつけると、子供電話相談室をやっていた。
ゲストはハム太郎とたいしょうくんの声優が来ていた。
「どうしてハム太郎は、何かするとき(たーっ!)って言うんですか?」
「どうしてたいしょうくんのおへそはバッテンなんですか?」
二人の声優は「○○くん!あのね・・・」と一人一人の名前に語りかけ、
きちんとそのキャラクターを演じて答えた。
俺はまた泣いてしまった。一人でTVを習慣で観ていても平気だったのに。
聞いてくれ、ハム太郎、そしてたいしょうくん。
俺にも娘がいたんだ、男としての自分を捨てて父親としてのみ
生きる決心をさせるにふさわしい最愛の娘だった。
何枚もハム太郎の絵を描いた。何度も懸賞に応募した。
ぬいぐるみショーは地方都市優先だったから東京にはなかなか来なかった。
ハムちゃんずは、全国の子供達のスターだからそれはしょうがない。
だけど、うちの娘もずっと疑問に思っていたことがあったんだ。
それは「どうしてまいどくんはいつも目をつぶっているのか?」という疑問だ。
どうかどうか、俺の娘の名前も呼んで語りかけて答えて欲しい。
そんなバカで無茶なことを考え、嗚咽しながら俺は車を運転した。
ダメだ、ずっと冷静に暮らしているのに、ときおりこんな些細なことで
突然こんな風になってしまう。
303 :
大人の名無しさん:02/02/25 02:51 ID:TkXxNKVT
>>303さん
誰かが見て居るというだけで心が休まるのなら…
このスレはとても大切ですね
娘さんは幸せだったのですね。
こんなに優しいお父さんと過せて。
泣きたい時は泣いた方が良いですけど
車の運転には充分気をつけてくださいね。
きっと天国の娘さんも心配しちゃうぞ!
305 :
大人の名無しさん:02/02/25 08:23 ID:3ZpAAgH6
>>163さん
私も貴方の書き込みを見て、ずーっと気になってました。
些細な事で泣いてしまうのは、仕方ないです。304さんのいうように
運転には、気を付けてくださいね。
まいどくんは何故目をつぶってるか、は、あの子は、『ツリ目』なんでは?
今日、天国の娘さんと話し合って見てください。納得してくれるかもです。
なんだか、馬鹿みたいなレスしか書けません。ウチにも子供がいて、毎週見てるんです。
だから、163さんの書きこみが忘れられないのです。私には何も出来ないのに、
涙が出ます。本当にくだらない事書いてごめんなさい。
306 :
大人の名無しさん:02/02/25 13:09 ID:nAaLemNm
163さん。
また来てください。泣きにでもいいです。
娘さんの思い出も、役立たずの神様への恨みつらみでも
私はあなたのお話が聞きたいです。
307 :
大人の名無しさん:02/02/25 17:59 ID:9ndZrCXo
みなさんいい人ですね…このスレを見てたら、辛い受験も乗り切れそうです。
いっつも受験のせいにしてわがまま言ったり、家族にあたりちらしてた自分が
恥ずかしくてたまりません。
毎日が塾と学校で苦しいけれど、みんながんばって生きてる事を忘れないようにします。
このスレは勇気を与えてくれますね…
今日もがんばるぞ!
>>307 辛いのはいまだけ。体に気をつけて頑張って!
笑顔で春が迎えられると良いね!
309 :
大人の名無しさん:02/02/25 19:28 ID:xX+Lp8ja
163サンガハヤクゲンキニナレマスヨウニ
310 :
大人の名無しさん:02/02/25 19:50 ID:XYeQrcFP
今のアパートに越して始めての冬。
布団にもぐりこんだ俺の耳にかすれるような猫の鳴き声が。
近所には結構野良猫が多かったので『うるせぇーなぁ』ぐらいに思ってた。
次の晩も声は聞こえてきた。昨日より声が弱いような気もしたが、そのまま眠りに就いた。
…4日目に声は聞こえなくなった。『静かになっていいや』と思った。
2週間ほどして配管工事の業者が俺の部屋(1階角部屋)の裏の茂みから
仔猫の死体を見つけたと大家から聞かされた。
あの声は、仔猫が最後の力を振り絞って、来るはずもない親を呼んでいたのかも知れない。
そう思った途端、なぜちょっとでも外に行って様子を見なかったのかと自分を責めた。
何故だかわからないが、見たこともない仔猫の為に泣いた。
311 :
大人の名無しさん:02/02/26 07:29 ID:jcdaiGSX
age
>>311 ID、カッコ(・∀・)イイ!
GSX−400F(古ッ)sage
313 :
大人の名無しさん:02/02/26 13:15 ID:llAiGy0d
あなたもね。
オッチセブンn・・・戦隊物みた(・∀・)イイ!!
>>312 GSX-400F、俺、昔乗ってたわ....
スレ保存定期sage実行中
んじゃ俺も保存定期さげ。
317 :
大人の名無しさん:02/03/01 01:22 ID:1EiF2Ijc
俺は、30過ぎるまでほとんど涙を流すことがなかった。こと涙腺にかけては自信があった。
リアル厨房のころなんかは、卒業式などで涙を流す奴を軽蔑すらしてた。
“なんで、こんなことで泣くんかい? 出会いがあれば別れがあるのは自明の理じゃん”
とかね。
だが、歳をとるごとにどんどん涙もろくなってきて、今じゃ箸が転がっても泣いちゃうよ(w
前置きはこれぐらいにして、まぁ、俺の戯言でも一発。
上にGSX−400Fって文字が踊ってるのを見て、突然に書きたくなった話がある。
俺は16のときに速攻免許を取って、単車に乗り出した。乗ってたのは先輩のお下がりの
GSX−400FSインパルス。デフォルトで集合管がついる、当時としては画期的な単車だ。
そもそも、なんで俺が単車に乗るようになったかというと、これが漫画なのよ。
「キャノンボールに乾杯!」。広井てつおさんって漫画家が描いてた。載っていたのは
『Mr.Bike』の1982年6月号だったと思う。
んで、どでかい事故をやったのよ。それこそ足、とれちゃうくらいの。
いや、結局ちゃんとつながったんだけど(w
それから月日はめぐって20年。実家の本棚に刺さっていた『Mr.Bike』を
何気なく広げると、目に飛び込んできたのは件の漫画「キャノンボールに乾杯!」だ。
たかだか16ページの漫画なんだけど、何度も何度も読み返しちまった。
何でか知らんけど、単車に乗っていた当時の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、
事故で死んじゃった奴の顔とか、当時付き合ってたおねいちゃんの顔とか、
単車屋の親父の顔とか、ついでに俺を手術したやぶ医者の顔までが心に浮かんだね。
いやぁ、泣いた。それこそ今まで泣かなかった分、全部吐き出したくらい泣いた。
なんで涙が出てくるのか、自分で全然わからないんだけど、もうどうにも止まらない。
でもさ、ひとしきり泣いちゃうと、変にすっきりしちゃって、もう一回読み直しても
涙なんか出てこないんだよね。あの感覚ってのはなんなんだろうね?
つまらねえ話を書いちまったな。バイク板でも逝ってくるわ。 thx>ALL
318 :
大人の名無しさん:02/03/01 18:35 ID:BPUkzwC6
インパルスか・・・俺はRZ派だったな。
つまんなくはねえけど、バイクとあの漫画を
知らない奴にわかれってのは酷だよ
>>317 ただ俺に言えることってのは、いい歳になっちまった自分だって
決して悪くはないってことだな。
319 :
大人の名無しさん:02/03/01 21:30 ID:jJcGm7Hf
いい感じの話の後、暗い話で恐縮なのだが
高校生のとき痴漢に遭った。
幸いなことにレイプには至らなかったが死ぬほど恐ろしかった。
ショックはいつまでたっても忘れられず、フラッシュバックに恐怖していた。
何かの弾みでふっと思い出すと恐怖と怒りと色々なもので
あたまのなかがぐちゃぐちゃになった。
吐き気や脱力に襲われ、食欲もなく、只々恐怖と怒りと戦った。
家族は、というか自分の中ではもう縁を切った他人なので元・家族は
そんな私にこそ怒っていたらしい。両親と姉はこぞって私を責めあげた。
過ぎたことでいつまでもぐじゃぐじゃしているんじゃない・
そんな態度で家にいられると周りの人間もいやな気分になる・
ずっと我慢してやってたけれど腹が立ってたんだ!
確かそんな感じの言葉だった。目の前が真っ暗になる感覚がした。
私が身を捩って号泣すると尚も3人は追い討ちをする。
泣けば済むと思うんじゃない
もうおまえが泣くのは飽き飽きした
何の真似だ?悲劇のヒロインにでもなったつもりか?
家族だった4人の中で私だけは異端児だと感じていた。
そしてもう決してこの人たちを家族とは思うまい
絶望に嗚咽しながら私はそのとき心の中で家族だったものを捨てた。
320 :
新参者:02/03/01 22:47 ID:k2KiD+/j
163さん、今日は金曜日ですね。
ハム太郎見ましたか?
これからは毎週子供達と
ハム太郎を見るたびに
163さんの娘さんの
ご冥福をお祈りしようと思います。
163さん、お体に気をつけて・・
またこのスレに来てくださいね。
321 :
大人の名無しさん:02/03/02 00:04 ID:fU+ZEcwG
>>319 家族にも苦しみを理解されないのはつらいな・・・
確かに本人以外には分からんことかも知れんが、
あなたの家族の言い様は確かにひでえと思う。
家族を捨てたあなたが今どう暮しているのか気になります。
322 :
大人の名無しさん:02/03/02 00:42 ID:MgsAZUaY
>>319 酷いな。アンタの元家族は取り返しのつかない事をしたんだね。
自分に落ち度の無い事で責められ、誰一人味方がいない・・「家族」
の中でそんな状況に置かれる事がどんなに人の生きる力をスポイル
してしまうか、オレは知ってる。実際のはなし、心も体もガタガタ
になってしまうんだ。
だからオレも気になるよ、アンタの現在が。
>>319 月並みな言葉で申し訳無いが、辛かろうなぁ、あなた・・・。
マザー・テレサが「愛の反対は憎しみではなく、無視である」と言った意味がよくわかる。
あなたの気持ちを理解しようともせず、それどころか追い討ちをかける。
あなたの家族は、あなたの気持ちを認めずに無視したのか・・・。
このスレでなくともかまわない。どこかで思いっきり今の気持ちをぶちまけてきなさいな。
そうすれば少しは楽になるだろう。きっとどこかにあなたの気持ちに理解をしめしてくれる
人が現れると思う。
イヤな気持ちをしまい込むなよ。
324 :
大人の名無しさん:02/03/02 21:57 ID:+DRAoLbV
>321-323さん
ありがとう。275・277のレス私のです。
321さん・322さん、そんな訳で、おかげさまで今は幸せになれています。
キツイことがあっても1人じゃないと思うと乗り越えられます。
おかしな話だけど風邪もひくようになりました。
両親と住んでいたときは風邪ひとつひくことなかった。一度うっかり
腐敗した乳製品で食中毒起こしたときは、誰にも知られることなく2日間一人で
苦しみ、けして病気なんかなるもんかと決心した。
今は水やおかゆさえ作って枕元に運んでくれる主人と
だいじょうぶ?と頭をよしよししてくれるコドモがいます。
323さん、なので今はもう辛くないです。
ただこの2人を失うことだけが今の私の1番の恐怖です。
ハハオヤにたばこを押し付けられる悪夢を見ることはなくなったのに、
主人とコドモを失う悪夢はやはり時々見てしまいます。
うなされていると主人が起こしてくれてああ夢でよかった――――と
安堵するのですがどうしてもどうしてもその恐怖はぬぐえないのです。
325 :
322:02/03/03 00:03 ID:DJziiifL
>今は水やおかゆさえ作って枕元に運んでくれる主人と
>だいじょうぶ?と頭をよしよししてくれるコドモがいます。
よかった・・よかったよかったよかった本当に良かった・・
326 :
321:02/03/03 00:21 ID:JNG8ohHx
>>324 今は幸せに暮してるんだね。本当に良かったよ。
>おかしな話だけど風邪もひくようになりました。
>両親と住んでいたときは風邪ひとつひくことなかった。
風邪って気が張ってるというか緊張してるときひかんよね。
いま風邪をひくようになったってのは
精神的にリラックスできてるってことやないかな。
やさしいご主人とお子さんとお幸せに。
327 :
323:02/03/03 02:47 ID:sXGThSn9
そうか。よかった。安心したよ。
>主人とコドモを失う悪夢はやはり時々見てしまいます。
それは、ご主人とお子さんを愛しているがゆえに見る夢だから、安心してよし。
愛しているからこそ失うのが怖いんだよ。なんとも思っていなけりゃ夢も見ない。
俺だって悪夢を見ることがある。でも、夢は夢でしかないと思って、
現実を見なおすことにしているよ。
どうか、愛し、愛されてください。人間はそれがいちばん大事なんですから。
328 :
324:02/03/03 13:15 ID:hj3eUeHd
本当にありがとう。読んでいただいて、レスいただいてうれしかったです。
この板好きなのでいつもロムしてました。
今度は、誰かのお話にいいレスが付けられるよう思っています。
読んでくださった方、レス下さった方々にも幸福の神様がいらっしゃいますように。
街中で、すれ違う道行く人達はいつはも殆ど意識することもなく只、風景の一部として
通り過ぎていくのだけれど・・・
そのひとりひとりの背後には色んな人生があり、心を抱えている。
傷ついて立ち直った心もあり、今、尚悩み彷徨っている心もある。
何げなく、お互いに話している人の背後にもいろんな想いがあるんだな・・・と
このスレを読むと思い知らされる。
自分の生きてきた価値観だけで人をわかったような気になるのはとても傲慢なこと
なのでしょう。
心を留めなければならないことが何かを教わった気がしました。
330 :
大人の名無しさん:02/03/03 19:14 ID:nZeS7Dhi
大亀レスですが、
>>163さんのお気持ちがよくわかります。
私はもう三年ほどまえに、やはり息子を亡くしました。
9歳でしたが、半年間に及ぶ闘病生活のあと天に召されました。
息子は当時大流行していたポケモンの大ファンで、
夏に公開される映画を楽しみにしていました。
先生に言われてましたし、私達もおそらく夏までは、
もたないと覚悟していましたが、日に日に目に見えて衰弱していく息子は、
それでもテレビで映画の予告編を観ては、コロコロコミックの特集を読んでは、
楽しみにしているのが、健気でした。
7月に入って、病状は末期になって来ました。
もはや起きることもできず、呼吸器をつけたままの息子が、
「ルギア爆誕観たいなあ、観られたらもう思い残すことないや。」
と言ったときはさすがにこたえました。
9歳です、9歳の子供が死を見つめて言った言葉です。
それからすぐに息子は昏睡に入り、そのまま世を去りました。
私は妻と一緒に、公開の日に位牌を持って映画館へ行きました。
不吉な予感を告げる嵐の中、滑空して主人公を助けにいくヨット、
憎らしい、ポケモンコレクターの男の飛行船、
深海に鋭く光る瞳、そして巨大な渦巻きがわきあがると、
客席にあちこちから「ルギアだ!」「ルギアが出てくる!」と子供たちの声が
聞こえてきました。
当時すでに30を過ぎていた私ですが、一切アラ探しすることなく
子供の目でスクリーンに展開する冒険活劇を観て、
小声で「こりゃあ観たかっただろうなあ・・。」と何気なくつぶやいた瞬間、
私は本当に泣き出してしまいました。嗚咽なんてもんじゃありません、慟哭です。
「観たかったよね、すごいシーンだもんね。」と妻も泣いていました。
映画の最後で、世界を救った主人公を背中に乗せてルギアが空を飛ぶのを観て
「俺の息子をそこに乗せてくれ!」と本気で思いました。
その心理をうまく説明できませんが、
>>163さんの「名前を呼んで答えてくれ。」
というのが、すごくよくわかります。
どうか元気を出して下さい。
331 :
大人の名無しさん:02/03/03 21:25 ID:mftNmZOi
いい話ばかりで、泣ける
人間も捨てたもんじゃないな
怒ってばかりの自分を反省してる
たまにゃ、泣く時もないとな
332 :
大人の名無しさん:02/03/04 00:26 ID:nelEqmZE
>330さん
>「ルギア爆誕観たいなあ、観られたらもう思い残すことないや。」
お子さんの口からこんな言葉を聞くなんてどれほど
お辛かったことでしょう。
330さんが映画館に行かれた時、
お位牌を持っていかれたので
天国できっと見れてますよ。
何だか悲しみがひしひしと伝わってきます。
330さん(と奥様)の心が少しでも癒されていきますように・・…
333 :
大人の名無しさん:02/03/04 02:34 ID:Qpbg9c5f
さげないでくれ。お願いだから。
163さんも330さんにもどうか山ほどの幸せがやってきますように。
さっきから涙がとまらなくて娘に(小5)に不審な目で見られてしまいました。
天国にいらっしゃるお子さんは
きっと親御さんが泣かれるのは辛いことだと思います。
でも泣けないより泣く方がずっといい。
せめて泣く回数が徐々に減っていかれることを祈ります。
そひてどうか幸福に過ごされることを祈ります。
とりとめのない文章になってしまってごめんなさい。
335 :
大人の名無しさん:02/03/04 22:42 ID:oTjLci1w
泣きながらアゲます。
336 :
大人の名無しさん:02/03/04 23:42 ID:IadrbyOh
癌が見つかりました。子宮癌。
でも、絶対に死にません。
子ども達と子どもにネクタイだけ付けたようなダンナを置いて死ねません。
私と私の家族の幸せを自分達の幸せと思っている両親と義両親を置いて死ねません。
算数の文章問題が苦手でプリント前にして涙ぐんじゃう長男を置いて死ねません。
おじゃ魔女ドレミごっこで、おんぷちゃん役になれないと暴れる長女を置いて死ねません。
明後日入院します。内臓全部くり抜いても良いから生かして下さいを先生に言ったら
苦笑いされましたけど。
本当は、不安で不安で転げ回りたいくらいですが、ともかく私は死にません。
と高らかに宣言させてください・・・・・。
337 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:10 ID:Nyf8aDfn
336さんの手術が無事終わり、完治しますように。
治療に苦しむことがありませんように。
祈ってます…。
338 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:11 ID:aBxpfPBh
>>336 大丈夫、あなたは死なない。
根拠はないけど、こんなに文章に生きる力がこもっているあなただから。
絶対死なない。
ごめんなさい、つたない文章で。でも、あなたの宣言は受けました。
絶対実行して下さい。
そして、あなたなら絶対実行できます。
339 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:14 ID:xpPOTcwY
>336さん
絶対にあなたは大丈夫、絶対に大丈夫!!
私は信じている。
私も子宮をとって5年になります。
でも、絶対に大丈夫と信じ続けて生きてます。
336さん、通りすがりの人間だけどあなたのために祈ってます。
340 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:21 ID:OsufOFSb
>336
「だいじょうぶ。きっとすべてうまくいく。」
私の母も90年に子宮がんの手術を受けて今尚、生きていてくれています。
341 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:27 ID:ifS+uOVl
┏━━━ / |━━━━━┓
┗┳┳━ |_| ━━━┳┳┛
┃┃ / ヽ ┃┃
┏┻┻ |======| ━━┻┻┓
┗┳┳ ヽ__ ¶_ ノ ━━┳┳┛
凸┃┃ (/) ┃┃凸
.|| ┃┃ (/) ┃┃.||
∧_∧ (/) ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・) (/)(´∀` ) <
>>336さんが癌との戦いに勝ってきますように!
(つ つミ (/)(⊃⊂ ) \_____________
|_|_|_I(/)_|_|_|__
/////ノ,,,,,,ヽ ////|
342 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:36 ID:5tHGcuoN
>>336 硬膜下出血、くも膜下出血、ぼうこうガン、
もうすぐ70になるうちの親父が、ここ6年の間に罹患した病気です。
今うちの親父は何してると思いますか?
カニを買いに「ちょっと北海道まで」バイクで出かけました。
この間は、大阪城を見に「ちょっと大阪まで」バイクで行ってきました。
ネタじゃないですよ、人間は簡単には死なないんです。
343 :
大人の名無しさん:02/03/05 00:47 ID:sk1LKFL4
私も母親と妻をやってる身、他人ごとではありません。
あなたの文章は「死ねません」がいっぱいだけど
生きられる意欲がいっぱい見えます。
生きる!生きる!生きる!肯定的に生きましょう!!
通りすがりの者ですが心より祈ってます。
344 :
大人の名無しさん:02/03/05 06:02 ID:EnTy3WxJ
336さんが完治しますように(●`人´●)
163さんや330さんに幸福がやまほどやってきますように人(−_−。)
まさか2chで泣かされるとは思ってなかった・・・・またきます(ノ_<。)
345 :
大人の名無しさん:02/03/05 06:19 ID:hqhcsFK1
最近、乳ガンが肝臓に転移したけど治療してどちらも消えた人の話をきいた。
伯父の胃がんも消えた。ガンは不治じゃない。
本人の病気に立ち向かう意思の強さって大事。
あなたはきっと元気になる、今の気持ちを大切に。
自分の女房も8年前に乳がんの手術をした。
それまで、女房のいるのは当たり前の事だったが、
家族が存在しなくなる恐怖にはじめて慄いたよ。
女房のありがたさ、どんなに家庭になくてはならない
存在かが身に染みて思った。
仕事人間だった自分が人生と家庭を省みた時期でもあった。
そして、なるべく子供に心の動揺を悟られないように
頑張っている姿がいじらしく、どんな事があっても
守らないと心に誓った。
>>336さん、おそらくあなたのご主人も自分と同じ
気持だと思う。ひとりで抱え込まないで、ご主人には
素直に甘えてもいいのじゃないか?
ご主人も自分が家主なのだと自覚する転機だったりする。
少なくとも自分はそうだった。
災害や病はもちろん不幸なことだが、反面、きっかけや
気付きになる事もあります。
ご主人と支えあってこの局面を乗り切ってください。
>>336 祈ってます。
あなたが無事でありますように。
>>336 その強靱な精神力で、癌に打ち勝って下さい。
>>336 うちのおじいさんも癌だったけど、今では元気に魚を家族のために買ってきてくれます。
癌は治るんです!
私は医者じゃないからくわしくアドバイス送る事なんてできませんが、この目でみてきたことは真実です。
とても不安になるのも怖いのも人間だからしょうがない。
でも、守るものがあるとき人間いっそうは強くなれると思う。
私は人間誰でも強くなれると信じます。
勝っていく人生を送りましょう!
私たちには勝っていく力がきっと備わってます!
336さんが完治することを一生懸命祈ってます。
350 :
大人の名無しさん:02/03/05 12:28 ID:w7atPo+A
>>336 うちは、祖父母がそれぞれ乳がん、胃がん経験者ですが、術後10年以上
経ってますが、再発してません。がんは、治る病気になったんですよ。
あなたの文には、力強さと、ユーモアがありますね。こういう心の人は、
辛い事を乗り越える力を持ってるはずです。
絶対にガンなんかに負けませんように!
351 :
S:02/03/05 13:03 ID:YjrYSEzh
>336さんへ。
>>270です。
私も調子が悪かったのですが、今年で、発病して18年になります。
でも、具合はすっかりよくなりました。(まだ定期的に
ドクターにはみてもらっていますけど。)
学生の時の発病で、毛が抜けたりするのも、相当つらかったのですが、
病気後めっきり物欲も無くなり、人様のためになることはなにか、
とか、生かしてもらっている人生なんだからみんなに感謝しなければ、
なーんて考え続けています。
それが幸いしたのか、
今は、こんな私も、会社の社長です。社員さん約50人で頑張っています。
336さんもこれをこえたら大抵のことは乗り切れますよ。
私もまだまだがんばります。あなたもいっしょにがんばりましょうよ!!!
・
PS、
270で書いた、のんべえのオヤジも
大腸のポリープ手術しながらもまだ健在です。
毎日お酒、飲んでいます。
>>336 必ず生還してください。
「嗚咽 その3」、「嗚咽 その4」になっててもここのみんなは
あなたをずっと待っていますから。
「戻ってきたぜ!」の書きこみ、待ってます。
353 :
大人の名無しさん:02/03/05 22:28 ID:GqbZl9dN
私も待っています。
どうかどうかどうか、生きてこのスレに帰ってきてください。
あなたに「おかえりなさい」を言うために待っています。
>>336 みんな応援してるヨ。
そして待ってる。
いつか336さんがこのスレに戻ってきて、
「ただいま。」
というのを。
そしてそれを見ていた人が一斉に
「おかえりなさい。」
とレスを返すんだ。
壮観だろうな。
でも、その時は嗚咽どころじゃなくなりそう。
きっと涙でモニタが見えないだろう。
でもいい。そんな涙だったら、いくらでも流したい。
でも、勤務中だとチョト困る。
この前のサイボーグ009でちょっと泣きました。
356 :
大人の名無しさん:02/03/06 13:37 ID:nzDHJzxh
詳しくは書けないけど
私の両親はとても苦労して生きてきた。
今はもういない・・
私にできることは遺影に花と水を手向ける事だけ。
育ててもらったことはとても感謝してる。
どうしてこんな事になったんだろう・・・
357 :
大人の名無しさん:02/03/06 13:40 ID:nzDHJzxh
>>336 その宣言、確かに読ませていただきました。
358 :
大人のピアニスト:02/03/06 14:40 ID:6zP8QM3L
それでは336の病気がよくなるように 今から”アメイジング グレイス”を歌いお祈りします。
ガンなんかに 負けてたまるか!! 気力で勝負だ!
359 :
大人の名無しさん:02/03/06 17:03 ID:Pr2st7t3
>336
大丈夫、あなたはきっとよくなるよ。
愛しくて大切な守る者がいるってことでずっとずっと心が強くなるよ。
画面のこちら側からあなたが早く家族とともに家で楽しく過ごせるようになることを
心から祈っています。
360 :
大人の名無しさん:02/03/06 17:24 ID:i8s7KGdP
・・そういえば
>>202さんの夫さんは大丈夫だったんだろうか・・age
>>354 それ、イイ!
みんなで、「おかえりなさい!!」
絶対にやろうよ!
そのためにも、336さんは絶対に帰ってこなくっちゃ!!!
362 :
大人の名無しさん:02/03/07 10:34 ID:de46CeD2
ぐっ・・。
一通り読んで自分も書こうかと思ったが
この流れでは書きにくい・・・
でも
>>336サン、ガンバレ!!
363 :
大人の名無しさん:02/03/07 10:44 ID:BoK29BJF
>>336さんへ
私の母親、癌で3度も入院し臓器摘出手術をしましたが
命までは持っていかれませんでした。今でも元気です。
最初の入院の時、末っ子の弟はまだ小学生。
幼い子供たちを残して死ねるか!という気迫があれば絶対に大丈夫。
帰ってこれるよ。
364 :
大人の名無しさん:02/03/07 11:14 ID:sJ6yscC7
>336さん
大丈夫。絶対帰れる。
親や祖父母の時の経験からも、先生が状況を本人に説明する時は
絶対治る。信じてる。
>>362 あなたの話もお聞きしたいです。
書き込んでくださいな。
もういい加減
>>336へのレスやめれ
もうオナカイパーイだからよ
367 :
362:02/03/07 13:38 ID:gCwejsoN
では。
私は設計事務所(社員10人程度)に勤務している。
そこに古くから出入りしている大工のSさんという人がいた。
言葉遣いも汚く、見た目も山賊のようだった。
見積もりなどの苦手なデスクワークがあるときは、
何故かウチの事務所で(昼は出前までとって)仕事をしていた。
疲れたと言って、昼寝をしに来ることもあった。
でもウチの職員はみんなSさんが好きだった。
憎めない人だった・・・
ある日、一本の電話が鳴った。Sさんの奥さんからの電話だった。
私の向かいで電話に出た女性の様子がおかしい。
お通夜とか葬式の話をしている。
訃報の連絡は珍しくないのだが、その時はまさかSさん本人だとは
思いもしなかった。
まさか・・・
368 :
362:02/03/07 13:39 ID:gCwejsoN
死因は心筋梗塞か何かだと思うがあまり憶えていない。
持病は無かったと聞いた。家族にとってもあまりに急なことだったらしい。
現場で指を二本も落としたのに、1週間後の自分主催の慰安旅行を
強行開催するような人だったのに・・・
知人のお通夜に出席するのは、自分にとって初めてのことだった。
布団に横たわっているSさんの顔は、ただ眠っているかのようだった。
お通夜に出席した所員全員泣いた。
自分も大人になって初めて人前で泣いた。
どんな人も必ず死ぬ、どんな丈夫な人も明日生きているか分からないと痛感した。
あれから6、7年経って、入れ替わりの激しいウチの事務所の所員も
半分は入れ替わり、Sさんのことを知っている人も少なくなってきた。
でもOBの人と呑みに行ったりするとよくSさんの話になる。
今でもSさんの、漫画のようにガハハと笑うあの顔が忘れられない。
369 :
大人の名無しさん:02/03/07 15:52 ID:s+MmDmfy
>336さん
遅くなっちゃったけど、がんばれ!
みんなと一緒にお祝いできる日を待って、ここから祈ってます。
370 :
大人の名無しさん:02/03/07 20:39 ID:HhsUKY1O
どうしようもないことなのに
どうして人は死ぬんだよ?
どうして大事な人を残して死ななければいけないんだよ?
どうしてなんだ?辛すぎるだろ
神様は、と言うと語弊があるので、宇宙森羅万象をつかさどる大きな存在はね、
その人が耐え切れないような試練は与えないんだよ。
親族縁者どころか自分の死ですら、人は乗り越えられる。
奇麗事かもしれないけど、そう思う。
60年後か80年後か知らないけど、ここに集う大人の名無しさんたちは、
あっちの世界で一堂に会することになるんだろうな、とか思う。
それを楽しみにしながら、こっちの世界でなんとか生きていこう。
372 :
大人の名無しさん:02/03/07 23:39 ID:8IzRfYEG
ありがとう。生きていくよ
いつかあっちの世界で会おう。
373 :
大人の名無しさん:02/03/08 09:11 ID:y8pUKLEX
age
374 :
大人の名無しさん:02/03/08 14:40 ID:J0qXG18x
375 :
大人の名無しさん:02/03/08 17:10 ID:GY8WrLrZ
皆が誰かに支えられてるんだね
改めて感じます。
他人だからっうのは
ここを読んだ以上、通用しないね
人間であれる様、精一杯生き抜いてみたいと思います。
376 :
大人の名無しさん:02/03/08 18:07 ID:or1ZZ3lg
あいつに此処を見せたかったなぁ〜
そうすれば、自分で自分の命を絶つなんて考えなかったろうに・・・
女房と子供を残して、自分だけ楽になっちまった。
今頃「しまった」と思ったって遅いんだよ〜!
せめて、残された家族に、これ以上の不幸が訪れないように
見守ってやれよ。聞いてるか〜〜!!ばかやろうっ!
377 :
大人の名無しさん:02/03/08 18:14 ID:bTJSqLAY
確かに。通りすがりでカキコしてるけど、ここにいる人たちとは
実社会では出会うはずのない人たちばかりで。
そういう意味では共感を呼ぶところに「魂」が集っているのと同じかもね。
378 :
大人の名無しさん:02/03/08 22:36 ID:IrSGVOar
少し前のことだが、自分の知り合いがある日突然急死したと聞かされた。
自殺ではなく突然死だったんだけど、普段の無理がたたって心臓発作が
起こったのが彼の突然死の原因だったとのこと。
本人が普段から無茶していなければ防げることだったのにと思うと、
それはもう悔しくて悔しくて。
その後、彼の両親が語ってくれたことの伝聞だが、彼が亡くなる直前、
彼が睡眠時間も削って無理して仕事に打ち込んでいることを心配して注意したという。
すると彼は「俺は生まれたときから、今この時間を一生懸命生きているから
今やっているすべてのことが楽しくて、常に100パーセント打ち込んでいたいから、
多少の無理は平気だし、そのせいで死んでも悔いはないよ」と答えたという。
「俺がそんな簡単に死ぬはずはないよ」と軽く考えていたのかもしれない。
このような結果になってしまっても、本当に彼には悔いはないのだろうか。
楽しかった、そしてこれからさらに楽しくなるであろうはずだった日々や
時間を突然失ってしまったことで、あの世で悔しがっているのかもしれない。
突然死や事故死は思いもかけないところからやってきます、本当に。
自分も両親や知り合いを突然死で数多く亡くしています。
働き盛りの皆さん、疲れたと思ったら無理せず休んでくださいね。
具合がおかしいと思ったら、無理をしないで誰かに相談してくださいね。
「何だこれくらい」とたかをくくっていると、こういう事態になりますよ。
わけのわからん長文になってしまい、スマソ。
376さんの書き込みを見ていたら自分も書きたくなってしまいました。
スレ保存のため定期sage
ある時に大事な試験に失敗して、もう自分の目指していた道を諦めなくてはならなくなりそうだった時。
その当時付き合っていた彼女は「食べ物やさんやってみようか?今から修行したらいけるって」
と励ましてくれた。
以前同じような事があった時に、別の人は黙って去っていった。
その当時の事と今の彼女の優しさとで、胸がいっぱいになって泣いた。
それから石にかじりつく思いで頑張って、今その道に手が届こうとしている。
彼女を幸せにしてやろうと思う。
381 :
大人の名無しさん:02/03/10 20:40 ID:2+k5rNgW
泣きたくても泣けなくて
飲み込んできた涙。
思いっきり泣きたい。
その日はいつ来るんだろう。
いつになれば楽になれるんだろう。
382 :
大人の名無しさん:02/03/10 21:01 ID:9Fngh8Bk
私が抱きしめています。
思いっきり大声あげて泣いてください。
383 :
大人の名無しさん:02/03/10 22:08 ID:R2WrMPJy
私の両親はとってもとっても仲が悪かったの。
小さい時の記憶は、お母さんになぐりかかるお父さんを、私がお父さんのひざに
しがみついて「やめてぇ!」って泣いてるの。
まだ私には子供は出来ないけど、3歳の甥っ子がいるんだよ。
ちょうど私のひざくらい。
私は、こんなに小さい時にお父さんを止めてたんだよね。
高校生くらいになるまで、仲が良い夫婦がいるなんてお話の中だけだと
思ってたんだよ。
お父さんは普通の教員なんだけどさ。
子供が産まれたら、愛のある家庭にしたいと思ってた。
生まれてきてよかったって子供に思ってもらいたかったけど・・・
そんな夢もかなわないなぁ。
赤ちゃん欲しいなぁ。
384 :
381:02/03/10 22:20 ID:MubWfC+G
>>382 ありがとう!嬉しいよ。
>>383 辛かったでしょう。
どんな形になるのかわからないけれど
貴方が報われる日が必ず来ると思います。
385 :
大人の名無しさん:02/03/11 01:03 ID:hRhZWwOr
>383
3歳の小さな体が大人を止められるわけがない。
止めたのはあなたの小さな体じゃなく、あなたの心だよ。
父君に愛がなければ、あなたの心に気付き戸惑ったりはしなかったはず。
どうかあなたが早く傷を癒して、自分自身の幸せを考えてくれますよう。
386 :
大人の名無しさん:02/03/11 01:10 ID:FWVv91u/
>>383 >高校生くらいになるまで、仲が良い夫婦がいるなんてお話の中だけだと
思ってたんだよ。
それわかるよ。
うちも同じだったもの。
両親が仲良く話をしているところなんて
生まれてから1度も見たことなかった。
人前ではさすがに喧嘩はしてなかったけど
つめた〜い空気がひゅう〜と漂っていた。
喧嘩の時にもう止めてよって泣きながら父に訴えたのに
「なんだオマエ!」って面とむかって言われて
悲しかったなぁ。
こんなに喧嘩ばかりしてる両親のもとで育って
自分が凄く価値のないもののように思えて辛かった。
人前では明るく振舞ってたから
「悩みなんかなさそうよね」ってよく言われて
笑って「ホントそうだねぇ」といつも答えてたっけ。
平和な時間の流れる今の生活を大事にしたいって
思ってる。
>>383さん
悲しさを味わってる分神様が幸せをくれるよ…
387 :
大人の名無しさん:02/03/11 12:33 ID:RUccSZ9f
そうなんだよね。
両親そろっているから普通の家庭と変わらないかもって
周りや、自分たちすら思ってしまうんだよね。
でも毎日毎日両親が争って
口汚く罵ったり、暴力ふるってたり、子供(私)相手に
お互いのこと死ね。なんて悪口いってる位なら
さっさと離婚してしまえ!!って幼かった私でさえ思ったよ。
両親が揃っていることよりも
恐怖や不安におびえないで済む家に暮らしたかったよ・・・
388 :
大人の名無しさん:02/03/11 22:36 ID:I7/4MoJC
>>383さん。
私は
>>270 >>351 です。
両親の不仲さなら負けませんよ!!
母は何針も縫い、巨人の星のように、ちゃぶ台は
ひっくり返りました。口汚いののしりあい!!母にさえ、
「お前さえ生まれてこなければ、すぐにでも家を出るのに、」なんて、
しょっちゅう言われて育ちました。(それはそれでつらかった!)
だから、私は、誰とも喧嘩しません。もめごとは本能的に避けます。
兄弟げんかも生まれて記憶にあるのは1度だけ。
家内とも知り合って20年近いですが、
ただの一度もののしりあったりしたことはないです。
子供も最大限に大事にしています。
幸せですよ。
あなたも大丈夫です。ひどい親だったからこそ、
痛みの分かる人になるのですよ。
ちょっとえらそうに語りすぎましたか?
もう書き込むのは止めてROMします。
389 :
大人の名無しさん:02/03/12 01:45 ID:1Nyafxpq
良いスレですね。
今日より楽しい明日!
390 :
大人の名無しさん:02/03/12 02:01 ID:DUrh8xwH
ちょっと前にはられてた「キミとボク」のムービーを今見ました。
かなり泣きました。思い出してしまった・・・
私が7歳のころ母が拾ってきた小さな小さなオス猫。
一昨年老衰(?)で16年そこそこの生涯を閉じました。
私はもう結婚してるから実家に居ないんだけど
時々帰るたびにどうしても弱ってくのを実感してた。
最後に会った時、元々太めだったのが痩せて皮だけがモモンガみたく
広がった香箱姿でしんみりウィンクしてくれた。
その2週間後、新世紀を迎えることなく旅立った。
あのウィンクが「シアワセだったよ」だと信じてる。
長くて御免なさい
391 :
大人の名無しさん:02/03/12 02:05 ID:DUrh8xwH
ここ、30代以上の板なんですね・・・
他所から飛んできたから気づかず書いちゃった
涙ぬぐって逝ってきます
392 :
大人の名無しさん:02/03/12 02:05 ID:rqskMveR
rー、
」´ ̄`lー) \
T¨L |_/⌒/ ←さっきまでの私
`レ ̄`ヽ〈
| i__1
_ゝ_/ ノ
L__jイ´_ )
| イ
| ノ--、 r'⌒ヽ_
ゝ、___ノ二7 /´´´l、_,/}:)\
|ーi | l_/ /__ィ::. ゝ~_ィ´:; ,ゝ
__〉 { (T´ |1:::. \_>、};;_」
'ー‐┘ ! ` ̄''ァ一 、\ ヽ} ←このスレを読んだ後の私
〈` ̄ ̄^`¬ノ .::〔 ̄´
1 ヽ .:::レ ヽ、
|_イー-、_;;j|_:. ゝ、
__,,,... -- |. {―――‐フゝ、 〉 -- ...,,,__
_,, -‐ ´ ,r|__ト, 1ニノ ー'´ ` ‐- ,,_
, ‐ ´ └―'´ ` ‐ 、
393 :
大人の名無しさん:02/03/12 11:04 ID:30Y4Qr9s
夫は小学生の頃、実母を病気で亡くした。
すぐそのあと新しいお母さんが来たんだけど、お嬢様育ちで家事など使用人にまかせるものだと思っていたので、自分では全くできない。
父親は仕事と趣味にかまけて家庭などほとんど省みなかった。
夫の兄は大学を出て就職すると恋人をおいて自ら命を絶ってしまった。
そのことを周囲は「あのお母さんのことがあったからね……」と噂しあった。
夫の家庭は収入の点では裕福だったけれど、夫の学費はどこからもでなかった。バイトしながら大学に通っていた頃、私は夫と知り合った。
結婚してから、子供の頃からずっと食事の支度も自分の分の洗濯も、なにもかも幼い頃から自分でやっていたので器用だった夫に驚いた。
そして、私たち夫婦は夫の実家にはほとんど寄りつこうともしなかった。
先日、夫の父親が亡くなった。
夫は全部の遺産を継母に譲る、と言う。
「いろいろあったが、水に流したい。過去のうらみつらみにとらわれて生きたくない。遺産で足りない分があるのなら、我が家のほうから援助する」?
そういう夫に、私は中学生の頃愛読したシェークスピアの「あらし(テンペスト)」を読むのを勧めた。
夫は「ガイジンの名前が出てくるのって、ニガテだなぁ、それに戯曲なんて読んだことないぜ」と苦笑いしながら熱心に読んでいる。
394 :
大人の名無しさん:02/03/12 14:37 ID:6s7WElCj
6ヶ月の娘と、ダンナをつれて初めてこの正月、
父のお墓参りをしました。「赤ちゃん産んだよ」と声に出したら
もう嗚咽でぐちゃぐちゃになりました。やっと首が据わった娘は
「どうしたよよーままー」みたいなけげんな表情してました。
父が死ぬ前に、大好きなステーキ食べに行ったのね。
「わーい」ってみんなで食べて、それをそのまま吐いちゃった。
末期になると、ステーキも食べられなくなるんだね。
娘のために健康でいよう。
395 :
大人の名無しさん:02/03/12 22:24 ID:ZqIRTiKI
383です。みなさん、ありがとうございました。
今まで誰にも言った事がないのです。
なんか、うまくは言えないけど、すごくうれしかったです。
今すごく後悔してるのは、弟をいじめてしまったことです。
ちょっとノイローゼみたいに、小学生の時にさせてしまったのです。
でもね、お姉ちゃんの次に私が産まれて、女ふたりでがっかりしている
父の気持ちが手にとるようにわかって、子供ながらに弟が憎かったんだと
思います。
今は、弟はたちなおっていますが、いくらあやまっても謝り足りません。
でも、当時の気持ちを思い出すと、今でも涙が出てしまいます。
当時の私の複雑な気持ちが、今冷静に分析してみると、涙が出ます。
何を書いてるのかよくわからなくなりました。
すみません。
396 :
大人の名無しさん:02/03/13 00:49 ID:QJPfPJre
前スレから一気にここまで読んだ。
いい話をアリガトウ。
私の父母や祖父母は、みんな元気で暮らしてますが、
いつか来るその日までに皆に優しくしたいと思いました。
後、優しい旦那と可愛い坊主二人にも。
397 :
age:02/03/13 01:38 ID:dAg5q04a
今まで2ちゃんねるの悪い評判しか聞かなかったので
ここを知って、目からウロコがぺりぺりと涙と共に剥れ落ちました。
皆さんが優しく手を広げて迎えてくれるマリア様のようです。
心に大きな傷を与えられた方々は、その試練に打ち勝てる人だからこそだと
思います。お辛いでしょうが、きっときっとまた沢山笑ってくださいね。
私の育った家庭も、もう治らない深い傷を持っていますが
親兄弟皆、明るく前を向いて歩いています。
父親の記憶が殆どない私の娘も
とても素直に育ってくれています。
いつの日か、私の手から飛び立って行くその日が来るのが
恐いのが正直な気持ちですが、楽しみに変わるように
努力したいと思っています。
我慢できない時はここの皆さんが聞いてくれるかも、と思うと
とても素晴らしい贈り物を頂いたような気持ちです。
ありがとうございます
398 :
S39製:02/03/13 05:25 ID:oJYPaozp
14歳の時に母を亡くした。父は当時某商社マンだった(それこそモーレツ型の
典型を絵に描いたような人)。病気の事は、母が亡くなる2カ月前に父にある日
二人きりの時に聞かされた。「もうお前を一人前として話すから・・・」と、切り出し
2年前から闘病している事、あらゆる治療法を行った事(そう言えば2週間前に変な
祈とう師みたいな奴まで来ていた)家を買う為に貯めていた貯金も使い果たした事など。
そして、その日はやってきた。当日私は塾に行っていてそこに電話が入って、事務員
が受講中に教室に入ってきて「君は今日はいいから早く帰りなさい」と言われた。
{死んだのか・・・}と心の中で呟いた。家に着くと近所の母と仲のよかったおばさん
たちが3人いた。父はまだ病院から戻ってない、妹(9つ)はザ・ベストテンを見ている
しばらくして、父が戻りおばさん達への挨拶もなしに、僕ら兄弟にリビングに入る様
促した。ドアを閉めると「ママはさっき6時19分に天国に行っちゃった・・・」
何も知らなかった妹はその瞬間この世で聞いた事も無い様な嗚咽を叫び泣き始めた。
俺は父の顔を見つめ「その時病院にいたの?」と聞くと「うん、居たよ」と答えた。
なぜか冷静でいやきゃいけないと思った私は、父にしがみついて泣いている妹を置いて
部屋をあとにし、おばさん達に「生前は母がお世話になりました。これからいろいろ
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いいたします」と頭を下げ自室に戻った。
自室に戻り、不思議と涙していない自分に気ずいた。それよりどうなるんだこの先という
想いが先にたった。病院に行って霊安室に横たわった母を見ても不思議な想いで眺めていた。
父と私はずーと無言だった。遺体を自宅に運ぶと親戚が集まっていて、皆ワーワー
泣いていた。涙していないのは父と自分だけだった。「明日、朝から御経があるから
早く寝なさい」と父に言われ「うん、おせんこう絶やさないでね、お休みなさい」
と答えて寝た。不思議と寝れた。
夢を見た。夢枕だ。母は白装束姿で泣きながら「ごめんね、ごめんね、がんばるのよ
兄弟仲良くするのよ、パパをたすけるのよ」とあやまっている。私は当然なんの事
だか分らず「なにいっているの?なに泣いているの?」と答えているのだが「ごめんね
本当にごめんね、しっかりするのよ・・」
目が覚めると泣いていた、尋常な状態でないくらい枕が濡れていた。飛び起きて
母が安置されている部屋に駆けつけ、「ママ−!やだよー、行くなよー、しっかりできないよー
こんなのやだ!なんでだよー」母にしがみついて泣き叫んだ。もうまわりはどうでも
良かった、大人のふるまいなんかどうでもいいと思った。ついさっき会話を交わした
はずじゃないか!なんか奇跡が起こるんではないかと思った。
落ち着き始めた私に、父が肩をたたき「ちょっと来い」。別室で
「気は済んだか」
「・・・・・うん」
「じゃ、もう泣くな、葬式済むまで泣くな」
「なんでパパは泣かないの?」
「パパ泣かない、ママの為に泣かない」
「どうゆう事?」
そこで父なにやら赤い手帳を出した。母の手帳だ。とあるページを見せてくれた
そこには震える弱々しい字で
追悼ミサおねがいします。
と書かれていた。
「なあ、すごいだろうママ、病気の事、知らなかったんだぞ、なのに多分死ぬちょっと
前に書いたんだと思うよ、書いた事言わなかったんだぞ最後まで・・・。最後まで意識
あったんだからなあ。強いよなあ、ママ」
「最後まで意識あったの?最後はどうだったの?」
「うん、パパがちょっとたばこ吸って来るけどいいかって聞いたら{少しは本数減らしたら
どうなの?どうぞいってらして}てな、それで、ちょっと喫煙所に行って戻ったら
もう逝ってよ」
その遺書と父の話で全てふっきれた。もう泣かないって。
あれから24年その間、父は再婚し海外のあっちこっちと活躍し最後は社長となって
定年退職した直後、長年患っていた糖尿病からくる心不全で5年前に他界した享年62歳
そして私は4年前に結婚し、年末には親父になる予定です。とりあえずは、最低でも
父より長生きしなければいけないと思う今日この頃です。長文スマソ。
399 :
大人の名無しさん:02/03/13 07:35 ID:LSye5OIk
400 :
:02/03/13 15:58 ID:FL19gaBx
>>398 アナタはぜーーーっったいに長生きしてください(涙)・・・
401 :
大人の名無しさん:02/03/13 19:21 ID:DD4Zdh44
私は3人兄姉の末っ子です。
私が生まれる前母は流産しています。
それを知ったのは小学5年生くらいだったかな。知ったときは
やはりショックでした。
反抗期になって親兄弟にしかられたりした時には、いつも
「私なんか産まれてくるべきじゃなかったんだ」って
自殺しかけた事もあります。事ある度に「私なんか…。」って
思ってました。20歳になったある日、母が私にあるものを渡して
くれました。それは、母が私を妊娠した時の母子手帳、幼稚園の時の
連絡帳でした。姉や兄のは紛失したけど私の分は大事にとっていて
くれてたらしいです。
昨年の秋、私は子供を産みました。分娩室にいる間、時間が許す限り
母は傍についていてくれました。難産で結局帝王切開になったけど、
陣痛に耐えている間、ニコニコ微笑んで「ガンバレ〜ガンバレ〜!!」
って励ましてくれてました。そういえば母は励ますときいつも笑顔だった
なあ。 そんな母がある日「私は占いで65になったら体こわすんだって。
もし、死んだら散骨してくれる?そろそろ身の周りの片付けして
おかないとね。」と言いました。家に帰ってふと母の言った事を思い
出し、母がいなくなることを思うと嗚咽…。 自分の子供にも母のように
子供から泣かれるような母親でいたい、と思いました。
402 :
大人の名無しさん:02/03/13 20:56 ID:NynbAQCq
自分が高校2年のとき、一緒に住んでた祖母が危篤状態に陥った。
半年以上ボケた祖母の介護をしてきた両親を見ていた私は不思議と悲しくなかった。
正直、「これでお父さんとお母さんが楽になれる」と思っていた。
祖母の死に際、駆けつけた従兄弟たちは「おばあちゃん起きて!!」と泣きながら叫んでいた。
呼応するように目を開ける祖母を見て「がんばって!!」と繰り返していたところに、父が
「もう休ませてやってくれ。」と一言声をかけたとき、涙があふれた。
両親が楽になれるなんて考えた自分が恥ずかしかった。
>>398 ヘビーだ・・。
妹さん共々、長生きしてください。
小学校の時に性的いたずらを受けたわたしは
異性が信用できない
そんな中である人とであった
その人は「そのまんまのわたし」を愛してくれていると思っていた
事実 こわいぐらいにやさしかった
けれど、きのうわかった
その人は
「PTSDをもっているひととつきあっている」
ということにしか わたしに興味がないことを
よのなか そういう人ばかりではないとおもうけれども
やっぱり異性は信用できない
405 :
404:02/03/14 02:44 ID:zTDlzd/Y
えーい 長く書かせてもらいます。
くどかったらごめんなさい。
小学校の時、校庭で遊んでいたお兄さんに
声をかけられたんです。
「一緒に遊ぼうよ」
素直だったわたしは、ついていきました。
誘拐とか、そういうことする人はお菓子で釣るもんだって
思っていましたから。
そして、いたずらされたわけです。
しばらく記憶からそのことは消えていましたが
初体験の時に思い出しました。
泣き叫びました。
その後、なんとなく男性不信になっていました。
そんなときにであったのが彼でした。
全て話しても「大丈夫、大丈夫」と言ってくれました。
そして、わたしもやっと信用できる男性もいるのかも、と思って
彼に身体を許しました。
付き合いはじめて半年のことです。
けれども、心にきざまれた恐怖は消えずに
行為のたびにわたしは泣き叫びました。
たしかに、そんなことをしたわたしも悪かったのかもしれない。
そして、そんなこんなで昨日彼から言われたのです。
「付き合ってだいぶたつけど、あなたが普通だったのは
半年間だけだった。もう、耐えられないからわかれよう」
半年というと、わたしと彼がからだの関係をもつ前のことです。
そして、そんなことを友達に話したら こう言われました。
「確かに、彼は 性行為に恐怖感を抱くあなたのことを
自慢のように話していた」
>>404 おつきあいを始めた段階ではPSTDは関係なく、普通に君に
好意を持った男性が、PTSDの現実に耐えきれず別れが訪れた
んだと思うな。別に、彼はあなたがPTSDをもっているからつき
あっていた、とかではなく。
友達の、「自慢のように」っていう表現も、彼を悪者にしたほうが
あなたが傷つかないという優しさからのような気がする。
気がするだけだけど。。
何が言いたいかというと、あなたはちゃんと普通の恋愛ができて、
今回は彼とあなたは、あなたのPTSDのために半年でおつきあい
が終わったかもしれないけど、今度は、そういった現実に打ち勝つ
ことができる(というか、あなたが許せる)恋愛があるかもしれない
から、あんまり悲観しちゃだめだよってことです。
嗚咽しないレスだからsage。
407 :
_:02/03/15 00:52 ID:Poev7mYM
「○○おにいさん、こんにちは。
僕のお母さんが、今度○○おにいさんのお父さんと結婚するので、
僕と○○おにいさんはきょうだいになることになりました。
僕はお父さんができることと同じくらい、自分におにいさんができるのが
とてもうれしいです。」
俺のおふくろは、俺が18のときに親父が迎えた後妻だが、
メス犬だった前のおふくろではなく、本当のお袋だと思ってる。
結婚が決まってから、初めて俺はおふくろと新しい弟に会った。
半ズボンにブレザー、緊張した9歳の坊主から俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったから、
かなり無愛想にその手紙を受け取った。
だけど新しい弟に会ったのはそれが最初で最後になった。
弟はそれからすぐ事故で死んだ。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたらエロ本をくれてやるつもりだった。
学校でいじめられたら、仲間連れてお礼参りしてやるつもりだった。
タバコをおぼえ始めたらぶん殴って兄貴風吹かして叱り付けるつもりだった。
単車だって、俺のお古をくれてやって兄弟で走りに行くつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、
そして彼女ができたら、からかってやるつもりだった。
弟の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の邪魔をする。
「ふざけんなよ兄貴ぃ!」なんて言われたらとっくみ合いの喧嘩をして、
おふくろが止めに入って、二人してどやされる、そんな光景を夢に見てた。
葬式では、おふくろよりも俺の方が激しく泣いた。
友達が心配するくらいに狼狽して、一人で立っていられないくらいに。
タイムマシンがあったら、ほんの一週間前の自分にあって
胸ぐら掴んでやりたいくらいに後悔した。
もっと優しくしてやればよかった。どんな想いで手紙を書いて、
どんなに緊張して俺に手紙を渡したんだろうに。
俺は弟の代わりにおふくろを大事にしている。
この人こそが俺のおふくろだと思ってる。
「俺のおふくろを粗末にすんじゃねえぞ兄貴」
「わかってらぁ!るっせえよヴォケ!!」
弟とのそんなやりとりを、今でも空想しながらおふくろに接してる。
生きていたら、俺の弟は今年の春、大学に入学していたはずだ。
たった一回しか会わなかったが俺には弟がいた。
408 :
大人の名無しさん:02/03/15 02:50 ID:6X04MAAH
>>407 切ないなあ。墓参りした際におせんこうあげる時に見ず知らずの
私の分も手を合わせてあげてくだい。御願致します。
409 :
大人の名無しさん:02/03/15 03:13 ID:xLP1xfTF
>>407 >「俺のおふくろを粗末にすんじゃねえぞ兄貴」
>「わかってらぁ!るっせえよヴォケ!!」
きっとこの台詞を言っている二人はいい顔してるんだろうなぁ・・・
ってな事を思ったり
いい兄貴で良かったね・・・
胸が痛いよ
407さんの言葉の一つ一つに涙がこぼれます
弟さんは今ごろ胸を張ってるよ
良い兄貴だろうって、皆に自慢してると思う
411 :
大人の名無しさん:02/03/16 00:44 ID:FrU+IzMo
8年前、17歳の従兄弟がバイク事故で逝った。
当時23歳のわたしは両親、弟、母方の祖母と暮らしていて、
亡くなった従兄弟は母の妹の長男だったから小さい頃はよく遊びに来たし
一緒に旅行へ行ったりもしたけれど、
彼が中学に入った頃からはうちへの足も遠のき、亡くなったという電話を受けて
「最後にあったのはいつだったろう」と考えても思い出せなかった。
それほどに遠い関係になってしまっていたので、
彼本人は確かに、若くして亡くなったのだから気の毒にとは思ったけれど、
お通夜や葬式では動転している叔母たちに代わって、
弔問客などにしっかりと対応しなければ、と思い最後まで冷静に振る舞うつもりでいた。
のだが・・・
葬式の終わりの方で、お棺の釘を石で叩きながら泣き崩れる祖母を見て
もう涙が後から後から・・・
子供に先立たれることだって死ぬ程辛いだろうに、孫だもの。
小さい頃から喘息で、うちに来てははしゃいで夜になると発作起こして
おばあちゃんいつも背中さすってあげていた。
前日、お通夜の後で「長生きしてもいいことないね」って泣いていた。
・・・しゃくりあげて嗚咽してしまいました。
祖母のこの先の人生、嬉しいことや楽しいことだけで過ごさせてあげたいと思いました。
従兄弟の死から2年してわたしは結婚し、
祖母に息子、娘を見せてあげることができました。
すこしはおばあちゃん孝行できているかな。
ちょっと耳は遠くなったけれど、わたしやひ孫達の誕生日にプレゼントを送ってくれ、
夏になると甚平さんを縫ってくれたり、とても元気です。
このイキオイで玄孫(やしゃご)も見ていって欲しいです。
数年前、道端で目があってしまった猫が、飛び出して車に轢かれてしまった。
目があった時点で 逃げようか、どうしようか、という顔をした猫に私は
どうしていいかちょっと迷ったんだけど 知らん顔してればだいじょうぶかと
思って 通りすぎようとしたら、やはりビビって車道に飛込んでしまった。
思えばそのころは荒んでいて、猫どころじゃなかったし性格も不安定だった気がする。猫は頭をちょっと轢かれて戻ってきたんだけどのたうち回ってた。たぶん死んだんだろうな。とその時はそれでおしまいだった。
ついこの間、地下鉄で居眠りしていたら、頭の上から猫が飛び降りた感触がして、驚いて起きた。
私の頭から飛び降り、私の横腹を蹴って、どこかへ行った、そんな感じだった。
回りに人はいなかったので、何か物が落ちてきたという事ではなかった。
その時、ふと長年忘れていたあの猫の事を思い出した。
許された、という言葉が頭に浮かんだ。
それから、様々な事が好転しはじめた。
呪われてた、なんて言い方をするのは適当じゃない気がする。
猫の死のあとの散々な目にあったが、その苦労がちゃんと実り、今の私を支えているから。
「コイツやばいな」、と思った猫が、その後試練を与え、
「もうだいじょうぶだな」と思ったので離れていった、と思うのは
都合が良すぎるだろうか。
見ず知らずの猫で、死に追いやったのは私なのに。。
全然良い話ではないのでさげ。
413 :
412:02/03/16 02:40 ID:CxtmODUP
すみません、ここのスレから辿って行った
オカ板への書き込みをしようとして誤爆しました。
申し訳ないです。
保守 保守 保守
415 :
大人の名無しさん:02/03/16 23:24 ID:74rQMDZK
泣きたいあげ
416 :
移植者:02/03/16 23:55 ID:F5KDsjRx
結婚して10年近く経ったとき、持病の腎臓病が悪化して腎不全に陥り、
医師から「人工透析をはじめる時期がきた」ことを告げられた。
高校の頃から腎臓が悪く、このまま病状が進行していくといずれは
人工透析しなければならないことは知っていた。
幼稚園の一人息子もスクスク育ち、仲間で始めた仕事もうまく行き始めた矢先
の出来事だったので、ひどく落ち込んでしばらく鬱状態が続いた。
また、一生続く食事療法ではカミさんに相当の精神的負担を与えてしまい、
自律神経失調症に追いやってしまった。そして何とか出ていたおしっこも
完全に止まってしまった。
1回4時間、週3回の人工透析にようやく慣れ始めた1年後、65歳の父親から
「腎臓の移植をすれば透析をしないですむことを聞いてきた。私の腎臓を提供
するから考えてみてくれ」と申し出があった。もちろん自分でも移植のことは
知ってはいたが、父親の年齢のこともありこちらから言い出せなかった。
話はとんとん拍子で進み、半年後とうとう移植手術をする日を迎えた。
準備で先に入っていた父親が、カーテン向こうの手術台で医師と話している
声が聞こえた。医師が「何かお話しますか?」と二人の間のカーテンを開けると
生体モニターと点滴でつながれた裸の父親が横たわっていった。子供の頃から
「たくましい」と思っていた父親の裸が、なんだかとても年老いていてみすぼらしく、
ふいに「俺はなんとひどいことをしてしまったのだろう」と後悔し始めた。
「よし、お互いがんばろうな」
言葉少なに言った父親の目に涙であふれているのを見て、「申し訳ない」と
か細い涙声で答えるのが精一杯だった。そして意識が遠くなり、、、
手術の2日後、身体にたくさんの点滴チューブをつけ、切開した部分をかばいながら
まだ動くことのできない私のベッドまで歩いてきた。顔は痛みでゆがんでいたが、
少しでも私に心配をさせないためか、いつものように笑い顔を作りながら、足を
引きずって来た。
「成功してよかったな。おしっこもずいぶんと出ているみたいだな。
俺のほうはもうこんなに歩くことができるから心配するな。どうだ、傷は痛むか?」
上ずる声でそう言った父親に、もう涙を止めることはできなくなり、人目をはばからず
しばらく嗚咽した。。。
------------
長文ですいませんした。
417 :
大人の名無しさん:02/03/17 00:21 ID:OjTwqbzW
育児版の方も見てきた。両方良いスレだな。
明日はティッシュを買わないと駄目だ・・・。
今日初めてここに来て今読み終わりました。
もう自分自身を小一時間問い詰めたい!反省反省反省...ばかりですよ。
>>163さん、娘さんの御冥福をお祈りします、
>>336さん本当がんばって下さい。
皆さんに幸せが降り注ぎますように。
保全sageだけでは、なんなんで自分の親戚の話をします。
その親戚の彼はある女の子と付き合ってました、結婚の話も出てたみたいです。
しかし、その子の父親はいわゆる昔ながらの頑固オヤジ、挨拶行ってもまだ早いと門前払い
結婚なんぞ話にならん!という感じだったそうです。
しかしある日その事がおきました、2人でドライブ中、無理矢理車線変更した車が2人が乗っている車に追突、
彼は大した事が無かったのですが、彼女の方は最後に「痛いよー」という言葉を残して逝ってしまいました。
彼は、彼女を守れなかった悔しさといたたまれない気持ちを持ちながらも葬式に出席しました。
一通り葬式も終わり、彼女のオヤジさんに呼ばれました、
2人で静かな時間が流れた後、彼女のオヤジさんは、こう言ったそうです
「今までありがとう、君と付き合って○○は本当に幸せだったよ、本当ありがとう」
当時、工房だった俺でもいろんな事を考えさせられたよ。
もう一度、皆幸せでありますように。
419 :
大人の名無しさん :02/03/17 02:14 ID:d+sw4+vU
>>407さん
>たった一回しか会わなかったが俺には弟がいた。
本当に胸が痛むよ。弟さん本当に良い子だったんだろうね。
でもきっと弟さんも良い兄貴と出会えてよかったんだよ。↑みたいに
自分の事を思い続けてくれている兄貴だもんね。
420 :
大人の名無しさん:02/03/17 03:26 ID:fUu9al+r
友達が事故で亡くなった事を新聞で知った。すぐに友人の携帯に電話を入れたが
友人が出る事はなかった。その時は涙は全く出なかったが、次の日、事故現場と
通夜に行って、家に帰って来た途端、体の力が抜けて泣いた。
別に知らなくてもいい事だけど、共通の友人がいなかったので事故の詳細を私は知らない。
お墓参りに行こうと思い、1度だけ友人の家に電話した時、昔私が出した手紙を
大切に持っていた事を教えてくれ、友人の母親と電話口で一緒に泣いた。
友人の死から半年の間は、自暴自棄になってたけど、今は普通の生活が出来るようになった。
友人の写真はないけど、行く約束をしていた海の写真と昔一緒に見た映画のポストカードを
飾って、そこに花を供えたりしてる。
別の友人にその事を言った時、笑われたけど、それだけで気持ちが落ち着くから
これからも続けようと思ってる。
・・・何だか話が変な風になってしまいました・・・
今年の春、社会人になります。
母はまだ子供くさい自分を何よりも心配してくれてました。
先日母と一緒にスーツを買いに行った帰り道、
「…いつの間にかあんたもこんなに大きくなってたんやねぇ…
時間が過ぎるのって、思ったよりもずっと早いもんなんやな…」
という母の言葉を聞いたとき、このスレを思い出して泣きそうになってしまいました。
自分のことを何よりも思ってくれている母が今まで傍に居てくれて、本当に自分は幸せだったんだなと思えたんです。
このスレを読んでから、近頃は大切な人と過ごす何気ない日常の1コマが、すごく幸せに感じられるようになりました。
自分にとって大切な人達の見せる笑顔が、何よりも貴重な宝物だと思えるようになりました。
…その反面、この幸せな時間は決して無限には続かないんだ、と思うと涙が溢れそうになります。
人生には必ず別れがある。永遠の別れも必ず来る。
悔いが残らないよう、今から出来る限りの親孝行をしてあげたいな、と思っています。
自分が立派な社会人になることも、両親に対する立派な親孝行…だよね?
このスレの皆様には感謝と共に、今後の道に幸多からん事を
心からお祈り致します。
わけの分からん長文失礼しました。
>>421 子供が自分の道を見つけてしっかり歩いているのを見るのが
親にとっては最大の幸せだと思いますよ。
社会人になったら色々な事があるでしょうが
どうか頑張ってください。
まだまだ親御さんが元気なら、どうしても辛い時には
ちょっと甘えるのも親孝行のうちです。
あせらずに素敵な大人になってくださいね。
423 :
大人の名無しさん:02/03/17 22:20 ID:9b3nSGvh
>>421 若いのに感心するよ。
君はこれから色々な試練を体験するだろうけれど、
今の想いをいつまでも忘れないで欲しい。
経験的にそれが難しいことは知っているけれど、君なら大丈夫だよ。
大人の世界へようこそ。
昨年平凡だけど幸せな結婚をした姉が、先日子供を流産した。
姉夫婦は遠くに住んでいて、その話は母から聞かされたのだが、
すごくいい天気だった結婚式の幸せそうな顔をした姉や、旦那さんの顔、
初孫を楽しみにしていた両親のこと、そして生まれてくるはずだった
甥か姪になる赤ちゃんのことを思って泣いた。
私がそんなに落ち込むような話ではないのかもしれないが、
思いかえすと泣けてくる。
2、3日前夢を見た。
小さな子供と遊んでいる夢だ。
勝手にあれは消えてしまったあの子が、叔母ちゃんになるはずだった
私に会いにきてくれたんだと思う事にした。
だけどまだ姉にどんな顔をして会えばいいのかわからない。
425 :
:02/03/18 02:50 ID:Dj0ePexl
ガキの頃、ただの夏風邪から本気で死にそうになったことがある。(脳に風邪の菌が脊髄伝って届きそうになってた)
そのとき、普段は家の仕事にかかりっきりのオヤジが(自営業だから365日休み無い)
仕事を途中で切り上げてまで見舞いにきてくれてたことがうれしかったなあ。
普段、あんまり干渉しないオヤジだったからなおさらにね。
・・・・でも、今、ひとつだけ家族の誰にも話してない病気をもってる。
・・・ガン。 まだ『何とか』なる段階らしいけど、親不孝者にだけはなりたくないな。
426 :
大人の名無しさん:02/03/18 03:51 ID:gt9mOICh
がげげがっげwげ
427 :
大人の名無しさん :02/03/18 05:08 ID:uD/HKbBy
本当に良いスレだね。ここ。
俺も皆さんのカキコ読ませてもらって、本当に長い時間
忘れてきたような感情が沸き上がってくる気持ちです。
それぞれの生活に色々な事が起きて、良い事悪い事共に
あるのが人生なんだろうけど、本当に心の奥底から湧き出して
くる感情、悲しみ、後悔、虚しさっていうのを搾り出して、
そして乗り越えていくのが、失った人達への恩返しになるんだって
改めて考えさせられます。
428 :
大人の名無しさん:02/03/18 05:13 ID:OzRhB5VZ
2年前、大好きだった友達が他界しました。
まだ39歳でした。
葬儀で棺に横たわる彼女は、きれいに死化粧をしてもらってた。
忙しさにかまけて化粧なんてしてなかった彼女が、
真っ白なおしろいとピンクの頬紅、赤い口紅をしてた。
「やだな、○○、らしくないよ」
思わず笑って、そう話しかけそうになったとき、
彼女がもう応えてくれないことに初めて気がついた。
ほんとだったら、「あはは、そうでしょ〜」なんて明るく笑ってくれるはずなのに。
そんなこと今ごろやっと気付くなんて、私もバカだなぁと、
笑いながら、涙が溢れて止まらなくなった。
斎場の帰り、晴れた空を見ながら、
幽霊でもいいから話がしたいと切実に思ったよ。
みんな、そう思ってるんだね。ここを読んでわかった。
>>425さん
どうか一刻も早くガンを克服してください。
言葉が見つからないけど、本当に、どうか強く闘ってください。
429 :
大人の名無しさん:02/03/18 10:15 ID:XWCbMs3H
朝から泣いちゃった。
ティッシュがもったいなくて、
タオルを持ってきました
育児版から来ました。
あの、もしかしたらポケモンの息子さんお墓って習○野ですか・・・?
母のお墓があるのですが、同じならびに大きなピカチュウとトゲピーが
飾ってあるお墓があって、もしかしたらと。
いつ行ってもお花が絶えなくて、胸がしめつけられます。
友人が1年半前にガンで亡くなりました。
まだ36歳。
暫らく連絡を取っていなくて
入院してる事を聞いて驚いてお見舞いのカードを出しました。
私は結婚してから遠くに引っ越してしまったのですぐに
お見舞いにも行けなかったのが歯がゆかった…
2日後、手紙が着きました…と妹さんが電話をくれました。
同時に前の晩に友人が天に召された事を知らされました。
なんてこと・・…
遺影の彼女はとってもキレイで輝いてたいました。
明るくて積極的でお茶目で、でもちょっとナイーブで・…
大好きでした。
声も出ず涙だけがはらはらととめどなく出てきて
涙に限りはないんだと思いました。
棺にお花を入れる時に
お母様とお話できました。
とても気丈にしてらして私の方が慰められてしまいました。
親戚の方に
「親友の○子ちゃん。今日は△△なんて遠いとこからお別れに来てくれたのよ」
と紹介してくださった。
親友・…お母様も私を彼女の親友と思ってて下さった。
そして私は親友を失ってしまったんだ・…と打ちのめされました。
棺に横たわるかつてキレイだった彼女のやつれ果てた顔を見て
闘病の辛さを垣間見た気がしました。
そして今まで悪い冗談だと思いたいと心の中でずっと思ってたのに
ああ・・もう2度と他愛のないおしゃべりを出来ないんだって実感しました。
その晩彼女の夢を見ました。
いつもと同じように笑って楽しく遊んでいて
目がさめてからまた泣いてしまいました。
その1週間後また同じように彼女の夢を見ました。
楽しく遊んでいたのにいつの間にか
洞穴のような所に来てて、彼女は「もうここでさよならしなきゃね」
と言って背を向け穴に向かって歩いていきました。
「え?どうして?待ってよ」
今度は泣きながら目が覚めました。
>>428さんと同じく
話をしたいよ…とずっと思っていたので
きっと彼女が最後のお別れを言いに来てくれたんだ・…と思ってます。
一緒に過ごした時間を思い出すと今でも涙がこぼれてきます。
私は二十歳の時出来ちゃった婚で結婚、出産。周りの反対の中じいちゃん
だけはかばってくれました。小さい時からじいちゃん大好きで、母に叱られる
度、泣きながらじいちゃんの布団に潜り込んでたっけなー。
子供が産まれたときも暑い中、自転車で片道40分もかかるのに一人で病院来て
赤ちゃんを見に来てくれたり。。
私の結婚生活は苦しいもので、旦那の暴力、浮気など積み重なって、子供が3ヶ月の
時、「旦那が仕事で県外に行くことになったので帰ってくるまで実家にいさせて。」
と嘘をついて実家に子供を連れて帰りました。反対を押し切って結婚したため、
意地になってしまって家族にも本当の事が言えないままでした。
でもじいちゃんは何か感づいてたらしくて、
「おまえは何か、この家に戻ってきそうだなー。」なんて言ってきて、
私が意地になって、
「そんなんあるわけない。」なんて言って背を向けると、
「じいちゃん死ぬまではこの子(私の娘)面倒みたるよ。おまえは仕事でも
行って、この子に不自由させないようにがんばり。最後に頼れるのはやっぱり
家族しかおらんやろーが、ばか娘が。」
80すぎたじいちゃんが、私が意地張って隠してたことなんてお見通しで、
なんだか力が抜けて泣いてしまいました。それから離婚を決意。
そんなじいちゃんが倒れたのが、娘が8ヶ月の時。末期の胃ガンでした。
暇を見つけては娘を連れてお見舞いにいきました。でも最後の方はガリガリに
痩せて見ているのが辛くて、私は病室に1分もいれない状態でした。
死ぬ直前まで私と私の娘の心配をしていたじいちゃん。
病室で私が、
「もし私が次結婚するとしたらじいちゃんみたいな人がいいなー。じいちゃん
若いときかっこよかったんだってね、ばあちゃんから聞いたよ。」
と言ったら、
「わしはやめとき。酒飲みで、ろくな事せんよ。おまえはこれからもっといい
男みつけて幸せになるんやぞ。ほんとに心配してるんじゃから。」
と言って、泣いていました。初めて見たじいちゃんの涙。
「色男がだいなしやなー。」と言ってタオルで顔を覆っていました。
それから4日後、じいちゃんは息を引きとりました。
じいちゃんが死んで、私はうまれて初めて息が出来なくなるくらい泣きました。
じいちゃんが死んで遺品の整理をしていると、昔の写真を見つけました。
戦時中、軍服を着てビシッと立っているじいちゃん。ほんまに色男だったんだね。。
じいちゃん、娘に近所の洋品店で買ってくれた服、ださいから。なんて言って
一度も着せてあげなくてごめんね。次もし結婚して子供ができたら着せるからね。
いつでも味方でいてくれてありがとうね。
娘も1歳5ヶ月になったよ。お盆には一緒にお墓参り行くからね。
長文すみませんでした(泣
434 :
:02/03/19 09:02 ID:QN0marJ7
( iдi)・・・・号泣age・・・
435 :
大人の名無しさん:02/03/19 10:02 ID:i88PA0J5
1つ下の弟が、1年前に死んだ。
交通事故であっけなく。
俺と弟は仲が悪かった。
俺はウチで本を読んだり、絵を書いてばかり。
弟は活発で友人も多く、外で遊んでばかりでウチにはいつかない腕白なガキだった。
口を開けば喧嘩ばかりで、良い想い出は無かった。
葬式の日、初めて弟のうちに行った。
弟の嫁さんから聞かされた。
あのバカ、嫁さん達には俺の事『いい兄貴だ。大好きだ』って言っていたそうだ。
俺はこの歳になるまでずっとあいつの本当の気持ちに気づかなかった。
時間を戻して欲しい。もう一度あいつと喧嘩したい。
436 :
大人の名無しさん:02/03/19 10:05 ID:oYtnp9c3
友達から聞いて初めて見させていただきました。
泣いて、泣いてそばで2歳の子供がビックリして不安がってます。
今年の1月に父を亡くしました。
12年間の闘病生活に私達家族、親族は慣れてしまい
父の苦しみもいつものことって感じで接していました。
最後の週は食事もできなくなり
亡くなる3日前に会いにいったときには
もうクダがいっぱいでした。酸素すら吸えなかったのです。
何回も脳梗塞になり言葉もはなせなくなり
でもプライドの高いひとだったので自分でもどかしいのか
やつあたりばかりしていました。
本当に今思うと辛かったんだろうなぁって思います。
でもその亡くなる3日前の時
「○○ちゃん<私の名前>ありがとうな」ってはっきりいったんです。
初めて父の前で泣いてしまいました。
絶対に父が不安がるから泣いてはいけないって思ってたのに・・・。
土曜日の昼間「すぐにいてほしい」と電話があり
徹夜で見守り明け方旅立ちました。
親族が「もう逝かせてやり」って言う中
息を少しずつひきとっていく父に
「吸って!!ゆっくりでいいから息吸って!!」と叫んでいました。
お父さんの子供で幸せでした。
全然優しくしてあげなくってごめんね。
痛みに慣れるってことないのにね・・・。ごめんね。
今でも泣けてきて毎日目が腫れてるよ。
夢でも出てきてくれたらイイのにって思うよ。
「お父さんの人生よかった?」って聞きたいよ。
437 :
大人の名無しさん:02/03/19 20:11 ID:f5zKeIn/
昨年父が亡くなりました。胃癌です。
私は東京に嫁ぎ、父は北海道。
たびたび見舞いに北海道へ帰ってはいたのですが
見舞う度に痩せて行く父が信じられませんでした。
父の日が近いある日に、北海道へ帰ったのが最後でした。
病室で寝たきりなのに、たいして食べられないのに
「これ旨かったから食え」とイチゴを勧める父が今でも頭から離れません。
父は家の長男として育ち家業ばかりが趣味で生きがいで
家族思いとはとても言えない人でした。
言葉少なくいつもむっつりしている人でした。
趣味と言える趣味も無く、酒もタバコもやらない真面目な人でした。
私が職場で、危篤の一報を受け、1時間後にすうっと眠るように
逝ったそうです。
さすがに東京から1時間じゃ・・・
棺に入れるものを母や兄弟と物色中のことです。
わっ、、、と悲鳴に近い声が上がったので
免許証入れがあって、母が私にそれを寄越しました。
開いて見ると、中には
私達子供3人と母が写っている写真が入っていました。
角がボロボロにすり切れて、丸くなって・・・。
いつも持ち歩いていた免許証入れに
まさかそんなものが入っているとは思いませんでした。
なんだよそれ・・・
私が結婚する時も、いいんじゃない?の一言で済ませたくせに。
妹が出ていったとき、とめもしなかったくせに。
母にプレゼントらしいもの何一つあげた事無かったくせに。
今更なんで!と、思いながら号泣。
父の去り際の特大の愛情を受けた気がしました。
照れ屋にも程があるよ・・・
438 :
大人の名無しさん:02/03/19 21:18 ID:jvXiSx7a
子曰く。
巧言令色、鮮し仁。
剛毅木訥、仁に近し。
やましく無い人は、機嫌を取ったりしないんだよ。
後ろめたい奴は、美辞麗句を並べて機嫌を伺うんだよ。
昔から変わらぬ真実なんだね。
良いお父さんだったんだね。
そして、お母さんも良い妻で、貴女も良い娘だったんだよ。
高校3年のバレンタインデー、
夕食を食べ終わった後1人テレビを見ていました。
「おばあちゃんお風呂何時から入ってたっけ?
長いんじゃない?ちょっと見てきてよ」と母が私に言ったのですが
ちょうどテレビが面白かったので「後でね」と答えました。
そのうち母は心配だから、と1階のお風呂場へ様子を見に行きました。
番組がCMに入りちょうど通りかかった父に「お母さん遅いね」などと
話していると何だか胸がザワザワして、嫌な気分になりました。
見に行こうと思い階段まで行くと母の叫び声が聞こえてきました。
私は慌てて「お父さん!早く!」と父に声をかけお風呂場へと走りました。
お風呂場ではぐったりとお湯に浸かっているおばあちゃんを母が
一生懸命持ち上げようとしていました。
3人でお湯から出してマットに寝かせました。
あの時、おばあちゃんはすごく重かった。
皆、もうだめだって思った。
母が救急車をよんで私は家の前の道に出て、来るのを待ってた。
なかなか来なくて、どうしようどうしようって思ってた。
なんですぐに見に行かなかったんだろうって思った。
救急車が来て、主治医の先生が来て、警察が来て…。
近所の人もサイレンの音を聞いて集まってきてたけど
私は部屋に閉じこもってた。
おばあちゃんは心臓が悪くて普段からゆっくり歩いてた。
そんなおばあちゃんにイライラしてた自分。
朝ご飯のとき喧嘩して「行ってきます」を言わなかった自分。
なんであの時…そればっかり考えてた。
その日は眠れなかった。
お葬式の日、おばあちゃんを「姉さん」と慕ってくれた人たちが
すごくたくさん参列してくれた。
その日は記録的な大雪だったのに皆さん出棺までずっと居てくれた。
おばあちゃん、あの時はごめんね。
号泣しました。。。。私にも足の悪いおばあちゃんがいるのでお風呂とかが遅いと
心配になりますね。たまには背中でも流してあげようかな。。
441 :
大人の名無しさん:02/03/20 00:35 ID:3W3oPbmQ
前スレから全部読んだよ……止まらなかった。
久々に死んだ祖父を思い出したよ。
不器用な人だったからか、孫には優しかったけど少し
近寄りがたい雰囲気もあって、記憶にはっきり残って
るようなエピソードもあまりないんだけど、今の父を
見てると、子どもの頃に感じていた祖父のイメージと
驚くほど重なるな。
祖父が突然亡くなってから十数年、跡を継いだ父も母
もひたすら苦労ばかりしてきたし、その上に自分がか
けてきた苦労を思うと申し訳なくて涙がでる。
そろそろちゃんと何かしてやらないと、と思った。
とりとめなくてスマソ。
普段何気なく接してる人たちが、自分にかけてくれて
いる想いに改めて気付かされたYO。
週末は試験だから勉強しなきゃならんのだが……。
今からでもちょっとがんばってから寝よう。
442 :
大人の名無しさん:02/03/20 01:07 ID:DEO262f8
もうすぐ、初めての月命日が来ますね。
通夜・葬儀・仏壇に墓地。
生命保険に、住宅ローンの保険での相殺手続き・社会保険から国民健康保険へ
厚生年金から国民年金、遺族年金給付手続きetc・・・
残っている手続きは、電話の名義、車の名義、この家の名義変更。
世間知らずの私が、悲しむ間も無くやったこと、やらなければならないこと。
あなたが亡くなってから、初めて夢に出てきてくれたのは昨晩のこと。
思わず、夢の中で、一人に逝ってしまったあなたに文句を言ってしまいました。
ごめんなさいね。
どうですか、そちらではようやく苦しみから解放されて、楽してますか?
いつか私がそっちへ逝った時には、一人で勝手に逝った理由くらい教えてくださいね。
せめてこの娘の、成人式の振袖姿くらい、見て欲しかった・・・
443 :
大人の名無しさん:02/03/20 01:54 ID:3mnLTNo6
ここを読んで嗚咽したひとりです。
身内が死ぬのはほんとに辛いですね。そして傲慢なようかもしれませんが、
亡くした者で無いとその辛さはわかりませんね。
私は同居の祖父と父をなくしているのですが、当たり前だけど、
なるべくその時の悲しみは言わないようにしています。わからないから、じゃなく、
やはり悲しい気持ちは言いふらすものでないし、相手も対応に困るもの。
でも言いたいときってあるんですよね・・ここはそんな気持ちを代弁してくれるような
ところですね。
父とは成人直後に死別でした。それまで仕事や浮気?のせいで子供の頃から
酔っ払って帰宅することや,母とケンカが多かったり、
1ヶ月に1回くらいしか帰らず家計もあまり入れていなかった父のこと、
好きだけど憎いというか・・
ホントに辛かったのは母だろうけど、父におこづかいを貰うよう電話させたり、
帰ってきてって言わそうとするのが何故かいやで、反発。
(今となってはちょっとくらい言うのなんて、別によかったかも。お母さんゴメン)
父が帰ってきたら気に入られようと父の事ちょっとだけ味方したり。
でも仕事で疲れた母を見ると本当は母の方が数倍好きだぞ、なんて思って見たり・・・
小中学生の時は自分でも本当におかしないやな暗い子でした。今もか!?
でも父が死んだ時、泣かないって決めてたのに、大人になっていたのに、
あんまり会ってなかったのに、嗚咽してしまった。ふしぎな声がでてしまった。
もうあんな辛いことはいやだな・・
長くてごめんね。あんまり悲しくないかも・・
444 :
大人の名無しさん:02/03/20 02:32 ID:JA/70pQW
大学時代の友達が死んだ。38歳だった。
俺は男で、そいつは女で、でも恋愛関係なんかまったくなくて、
ただただ、普通の友達だった。お互いの恋愛の相談をしあったり
愚痴をこぼしあったりするような関係だった。
8年前に乳がんになって手術を受けた。見舞いにいった。
「いやあ、まいったよ」
とそいつは明るく言った。かける言葉がなかった。
それからは再発を防ぐための治療をしつつ生活を送っていた。
仕事もそれなりにこなしていたと思う。何度か飲む機会があった。
相変わらずだと言っていた。こっちも、そのままなんとか
なるんだろうと気楽に考えていた。
数年前に、がんが再発した。仕事を辞めて治療に専念することに
なった。メールでのやりとりは続いた。深刻な事態になるとは
思わず、軽口ばかりのメールだった。
そうはいっても、なんとか生き延びるだろうと思っていた。
でも、死んでしまった。
生きているうちに見舞いに行けばよかったと悔やんだ。
遠かったから、忙しかったから、理由はいくらでもあったけど、
そして、行ったからといってあいつを助けることは
できなかったのははっきりしてるんだけど。
メールでだって、もっとちゃんといろいろ話したり励ましたり
できたはずなのに、俺はそれをしなかった。
葬式に行った。行ったことのない町だった。
棺桶のなかのそいつは、昔と変わらない顔をしていた。
ご両親に挨拶をしてから帰ろうと思った。
お母さんの顔は、あいつにそっくりだった。
それに気づいた途端、目の前がぼやけてしまい、
なにか言おうとしたら、涙が止まらなくなった。
おまえ、元気で生きていれば、ああいう感じのおばさんに
なったんだろうにな。もともとおばんくさかったけどな。
そう思ったらたまらなかった。
帰りの新幹線で酒を飲みながら、お母さんの顔とあいつの顔を
思い出すたびに泣いた。
445 :
大人の名無しさん:02/03/20 05:02 ID:FHNT3CHJ
学生時代、卒論の真っ最中に幼馴染が事故で急逝した。
家族ぐるみの付き合いのあった友人だったので、そのショックは大きかった。
葬儀に行くと友人の母が気丈に振舞っていたのが胸を締め付けた。
「本当に来てくれてありがとうね。笑顔で見送ってやってね。」
私は泣くまいと、笑顔で送ろうと強く思った。
葬儀が終わり皆が解散し始めた頃、私は一人式場で遺影と向かい合っていた。
祭壇の横には友人の数々の思い出の品が置いてある。
その中に、幼稚園の頃の写真を見つけた。二人並んでおどけた表情で写っている。
こみ上げるものを抑えながら、他の写真を眺めた。
小学校。中学校。どれも一緒に写っている写真があった。
それを見た瞬間、何もかも堪えきれなくなった。
声を上げ、一人泣いた。
「お前の家は俺が設計してやるからな。」
建築学科に通っていた友人の言葉が頭を巡った。
約束破りやがって・・・
そう呟き、また泣いた。
数日後、まだ現実味も沸かぬままゼミに行った。
元々サボり症のあった私は、ゼミの友人に茶化された。
教授には伝えてあったが、皆には話していないらしい。
嘘だと思われているのだろうか。
私は「風邪だよ」などと何故か本当のことを口に出来なかった。
その日は努めて明るく振舞っていた様に思う。
その夕方遅く、溜まっていたレポートを出しに行くと、
教授はソファに掛けるよう促し、お茶を出してくれた。
そしておもむろに「君はご両親は健在か?」と聞いてきた。
高校時分に父を無くしていた私は「いえ、5年前に父が他界しました」と答えた。
すると教授は自分の事を話し始めた。
早くして奥さんを亡くした事。ちょうど私と同じくらいの子供が居る事。
ひとしきり語ったところで、私の目を見てこう呟いた。
「ゆっくりでいい。無理はするな・・・」
それを聞いて涙が溢れてきた。
今まで物分りの悪いじじいとしか見ていなかった教授が、
自分を気遣っていたことが、激しく胸を打った。
「はい・・・」
辛うじてそう言った後、肩を震わせ泣いた。
駄文・長文ご容赦下さい。
446 :
大人の名無しさん:02/03/20 07:10 ID:9xUH8Evh
>>443 > 長くてごめんね。あんまり悲しくないかも・・
そんなこと言わないでください。
ここは、あなたがいうように、めったに誰にも言えないような
胸のうちに仕舞っていた辛かったこと、悲しかったことを、
吐露したいときにときに、自由に書き込めばそれでいいと思います。
どれだけ悲しいかを比べる場所ではないですから・・・。
身内や親友が亡くなったら、誰でも悲しい。
それを文字で伝えるのがあまり得意でないと
自分で思ってる人もいるでしょうけど、
その辛さは、同じ立場の人なら十分わかります。443さんの書き込みもそうです。
ここのみんなの書き込みを読んで泣けてしまうのは、
同じような痛みを知ってるから…だとも思います。
自分だけが辛いんじゃない、みんないろんな過去を抱えて、
今も悲しみでいっぱいの人もいる。
そう思ったら、なんだか自分もひとりじゃない気がして、
泣くだけ泣いたら、顔を上げて、深呼吸してからまた歩こう・・・
そう思えます。
私も文章が支離滅裂になってしまいましたね(w
うまく伝えられないけど、そんなこと気にしないで欲しいと思ったんです。
もしも気に障ったらごめんなさい。
447 :
大人の名無しさん:02/03/20 15:08 ID:HBHCeIZK
20代の頃の話。男友達から『もう付き合えない』と手紙が来た。
彼には非常に仲睦まじい恋人がいるのだが、自分と面識は全くない。
しかし彼女は、十年来の付き合いで、未だに彼と当時の仲間で遊びに行ったり
呑んだりする私に物凄く嫉妬し、友人であるのはおろか、私が存在
してることそのものが嫌だと言うのだそうだ。ある時など、狂ったように
錯乱して「殺しに行く」と叫んだそうだから。
全然そんな付き合いじゃないのに、友達として、本当に友達として
凄く大切だったのに。もう付き合えないのか、会えないのかと、
呆然としながら、昔から今までの思い出を涙をボロボロ
流しっぱなしで一夜明かした。
翌朝とんでもなく腫れたまぶた・充血した目で出社した自分を、上司が
呼び止め
「どうしたんだよ、花粉症ひどいのか?」と訊いてきた。
上司と部下とは言え、中壮年ばかりの凄く小さい職場で、
一番歳が近いせいもあって個人的な相談をする、される事があり
「親友が、彼女に君と付き合うなって言われたから、って絶縁をしてきた」
と思わず正直に話すと、上司はちょっと苦笑いをしながら
「そりゃしょうがないよ。お前より彼女を選んだって事なんだから。
だけどさ、ソイツがもし彼女と別れて、お前にもう一度連絡を取ってきたら
『私はそんなに都合のいい人間じゃないよ!』って殴るなり蹴飛ばすなり
してやれ、な」
と言った。口が悪くて、職場では『すちゃらか課長』とまで呼ばれるような
上司なりの優しさが伝わってきて、部屋に2人しかいないせいもあり、
もう泣きすぎて目が痛いというのに涙が止まらなくなってしまった。
そして先日、人づてに彼と彼女が結婚したという話を聞いた。
彼との記憶や絶縁は、もう苦い思い出として昇華してしまった。
だけれど、幸せを祝う事さえもされたくないのだろうと思うのが
少し辛い。そして、上司のあの台詞を実行に移せなかったな、と
思うと、あの時の上司の優しさを思い出すと寂しい。
でもそれももう全て過去の出来事となり、涙が流れないことが
一番悲しいかもしれない。
>>447 確かに10年も付き合ってた親友との絶縁は辛いですね。
でも、彼があなたよりも大切なものを見つけたと思ってみれば良いんじゃないでしょうか?
せっかく仲が良かったのに、たくさんの思いでもできたのに、勿体無いですよ。
言葉通りに本当に付き合いがなくなってしまったのも、
彼が「殺しに行く」とまで言われたあなたの身を案じたからではないですか?
また、彼が誠実に「彼女」を愛しているということではないですか?
直接の結婚の報告ができなかったのも、そういうことなのかも。
本当のことを知っているワケでもないのであくまでも憶測なのですが、
前向きに考えていけば、楽しい思い出は楽しい思い出として、戻ってくる筈。
私にも異性の友人がいます。なかなか彼女もできないようですが(笑)、
もしも彼女できたよ報告をされたら、私は彼と会う回数を減らすと思います。
本人達にやましい気持ちがなくても、彼の大切な人を不安にさせたくないから。
男女が一緒にいれば、そういう疑惑がかかるのも当然のことですしね。
ましてやその「彼女」よりもずっと長い時間を一緒に過ごしているんですもの。
これは
>>447さんを責めてるとか言うわけではなく、中高生ぐらいからずっと思ってました。
いつか、
>>447さんの楽しい思い出が、素敵なものになって帰って来ますように。
異性の友達か・・・
人間に性欲がある限り女友達というのは無いと思う。
映画「恋人達の予感」でも二人は友達でいられなかった
450 :
大人の名無しさん:02/03/20 23:28 ID:UcbcqbyL
北海道出身の彼と、大学卒業直前から遠距離恋愛をしていました。
西日本出身の私の両親は大反対だったけど、私は彼が大好きで、卒業して私が
地元に戻ってからも、ずっとがんばって遠距離で付き合ってきました。
彼とメールがしたいから、当時発売されたばかりのウインドウズ95の入った
パソコンも買いました。
親から山のようにお見合い話を持って来られたけど、彼が大好きだったから、
断りつづけました。
でも、そのうち母親が精神的にちょっとおかしくなってしまいました。
当時大学院生だった彼に、その事をいくら言ってもわかってくれず、私の両親に
挨拶に来てくれることはありませんでした。
だから、親を安心させるために何回かお見合いをしました。
なんとか理由をつけて、みんなその後断りました。
彼が、「就職が決まったら挨拶にいく」というのを信じて。
でも、就職が決まっても来てくれませんでした。
「卒業式の後春休みに、あいさつにいく」
「GW挨拶に行く」
すべて、なんやかんや理由をつけて延ばされました。
だから、お見合いをしたんです。
そしたら、ものすごくいい人で、すごい実家との距離がある人だったんだけど、
乗り越えて私の方へ来てくれました。
確かに、もとの彼氏は私のことを大切にしてくれてはいたんだと思います。
でも・・・なんなんでしょうね。2年間で彼の方から会いに来てくれたことは
一度しかありませんでした。
最後は、彼の母親が病気だからって、すべてのお休みを彼の実家に帰るという事で
彼の予定は埋まってしまいました。
こう書くと私は遊ばれていたように思いますね。
今の主人と出会ってプロポーズをされて、迷いに迷って、それでも大好きで
彼に別れの電話をした時に、まだどこかで期待を持ってたんです。
私を説得しに来てくれるんじゃないか、両親を説得しに来てくれるんじゃないかって。
でもね、私の別れ話を黙って彼は受け入れたんです。
なんかね、よくわかんない思い出です。
確かに愛されてたのかな、どうなのかなって思って、今でも思い出します。
でも、こんな話はちまたにあふれているんでしょうね。
S君、今どうしてるかな?
アドレス削除してしまったから、もう一生会うことは無いと思いますが、
もし結婚されてるんなら、今度は奥さんを大事にしてあげてね。
今度は偽名を使って私の実家に新しい住所なんて聞いてこないでね。
ほんと、よくある話でごめんなさい。
どこかでみてくれてるかな?
451 :
443です:02/03/20 23:43 ID:3mnLTNo6
>>446さん、ありがとう。
そうですね。どれだけ悲しいかったかを競う場ではないですもんね。
こういうことを人に話す自分が女々しいようで、言ったとしても
さらっと、悲しみは乗り越えたよ〜という感じで話していました。
でもずっと吐き出したくて。でも人には言いたくなかったので、
446さんのお言葉はうれしかったです。
452 :
カムバjック:02/03/21 05:14 ID:CKLUBIAk
現在38歳で妻と可愛いい娘(9ヶ月)がいます。この掲示板でこんなエピソードが読めたことを心から
感謝致します。
今でこそ人並み以上の幸せな生活ですが、5年半前絶望に追い込まれていました。当時お付き合いを
していた彼女が急に連絡が取れなくなり心配していました。1週間ほどして夕方会社で仕事をして
いたところに電話が入り入院していたことが分かりました。
その時は電話の声も元気でまさかその後こんなはずでは...悲しいドラマのような結末になりました。
約1ヶ月後病院で朝7時丁度に永眠しました。それまで仕事が忙しかったのですが毎日奈良から大阪まで
見舞いに行きました。昏睡状態に入る前、私が帰る間際に彼女からキスをしてとせがまれました。
その時の本当に嬉しそうな顔をしてくれたこと、また帰り際の寂しそうな顔は忘れられません。
亡くなられた後、何日かは本当にやりきれない悲しを過ごしました。さらに追い討ちをかけるように
10年を超える大親友が海外への転勤(本当に何でも話せる唯一の友)、私のことを一番大切にしてくれた
母親がアルツハイマーで私のことも理解できなくなりました。
本当に寂しくやるせなく厳しい日々が続きました。
その後1年を超えある決意をしました。子供の頃から好きだった空手をまた再開しよう!
34歳となって、中学生や高校生の若者たちにまざり初心者からの挑戦です。僭越ながら
私は格闘技に関してはセンスがあるほうで半年ほどで大会にも出てある程度の成績も残せました。
空手とともに、周りも確実に変わりました。練習の後行き着けけになった優しい居酒屋さんの
おかみさん! 色々な方からの女性の紹介(今の嫁さんも4人目くらいの紹介です)
そうです。人生谷あり山ありです。悲しすぎる現実に直面しても何かに打ち込むことによって
確実に人生は好転させることが出来ることを身をもって体験しました。
今からも大変なことはたくさんあると思います。ただ誰でも必ずカムバックして幸せをつかめる
と思います。100%幸せな人間なんて存在しません、逆にいつまでも絶望のふちに居座る必要も
ありません。皆さんも頑張ってカムバックしてください。
人よ腐るな カムバックせよ
453 :
大人の名無しさん:02/03/21 07:24 ID:TDCXiowM
>>452 そうだね
何かに打ち込むかぁ
何をしていいのか、まだ見つからないけれど
がんばって生きていこう・・・そう思えたよ
ありがと
人生において最も素晴らしいことは
やりなおせる
ってことだと聞きました。
そうですよね。
もし仮に、余命数カ月と宣告されたとしても
何かをつくり出すことはできる。
まわりの人との関係を回復することもできる。
この世に何かを残すことができる。
それが小さな草花でも。
このスレッドいいなあ
いいって書くと語弊があるかもしれないんだけど
日常で荒んだ心が柔らかく溶け出していくような感覚を覚えるんだ
涙と一緒に
456 :
:02/03/21 18:45 ID:VADHSKng
何度読んでも >231 >237 で泣いてしまう。
いつかあなたの漫画とめぐり合えることを願って。
457 :
大人の名無しさん:02/03/22 00:12 ID:Y6uWnbGv
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
--------------------------------------------------------------------------
コピー元
軍事板@小気味良い話。
#35
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1011801430/
458 :
大人の名無しさん:02/03/22 00:26 ID:VSqyoNrK
>>457 サンキュー!確かにうなずける。ワシ神戸じゃないが、連れが神戸におって
自衛隊の見方変わったで〜って、酔っ払うといつも言う。
459 :
大人の名無しさん:02/03/22 02:45 ID:YLKBq/lN
>>452 うーん、イイ話し。
人生はリセットは出来ないけど、やり直しはいつだって出来るよね。
私も実は、つい最近昔やっていた剣道を始めた。
何か損得なしに打ち込めるものが欲しかった。
10年以上のブランクは思ってた以上に体を鈍らせていて、頭で描くイメージとそ
のギャップに苦しむばかり。筋肉痛も激しいし。
サボってばかりだったけど、防具も買ったのであなたのように打ち込んでみようと
思ったよ。
460 :
大人の名無しさん:02/03/22 09:20 ID:b3rZhIDd
>>452 勇気付けてくれてありがとう。
ここに書いてらっしゃる人に比べれば私の落ち込み度なんかは
なんてことないもんだと自分に言い聞かせて毎日見てました。
そう、何度でもやり直せばいいんですよね。
偶然にも私も今何かを吹っ切ろうと、奥さんに誘われて
スポーツジムで汗かく毎日です。
明日に向かって立ち上がるべく。
461 :
大人の名無しさん:02/03/22 09:59 ID:iEloZq24
>>457 その女の子の気持ち、わかるなぁ。
ウチの爺さんが土砂崩れで生き埋めになった時、
豪雨と地盤の不安定さから警察、消防らが手をこまねいていた状況下で、
完全人力のみで爺さんを助け出してくれたそうだ。
※二次災害を恐れて、重機類が使用できなかったらしい。
462 :
大人の名無しさん:02/03/22 10:00 ID:iEloZq24
↑ゴメン、『自衛隊の人達』が抜けてた。
463 :
大人の名無しさん:02/03/22 16:17 ID:e66+RiNJ
初めてここにきました。
みなさんの書き込みをみてると自分の悲しみはなんてちいさな悲しみなんだろうと思います。
「こんなことで」と思われるかも知れませんが、心の内をさらけたくて書き込みます。
私の母はかなりヒステリックな人です。暴力こそふるいませんが、私も妹もいつも母親の顔色ばかり
みている子供でした。母親の機嫌の良いときに服を買ってもらえる時でさえ、
機嫌を悪くすることを恐れ「これがいいんじゃない?」って母が勧めるものしか
頷きませんでした。
産んでくれたこと、育ててくれたこと、私立の大学までいかせてくれたこと、
それには感謝しつつも息苦しい生活に疲れ、私の就職と妹の進学を機に二人同時に
家を出ました。それから十数年経ちます。たまには実家に帰ります。
この間何のきっかけでそうなったのがわかりませんが、私は母につらかった子供時代を
嗚咽まじりに話しました。母も泣いていました。
これからいい関係が作れると私は思いました。
でも、後日郵送された母の手紙には「あなたには親の苦労が分からない。あなたは冷たい子だ。
その証拠にカーネーションは送ってきても誕生日には電話だけじゃないか。昔はいい子だったのに
いつの間にそんな子になったの?」というような内容でした。
私はただ昔のことを「ごめん」と言って欲しかっただけなのに、結局何も母には
伝わっていなかったことが悲しくてその手紙を前に何時間も泣いてしまった。
>>463 人の悲しみに、大きいも小さいもありませんよ。
血の繋がった家族に理解してもらえないのはとても辛いことですね。
でも、時間をかけて話していけばきっと打ち解けられるはず。
何年かかっても良いから、お母さんと本当の良い関係を作って下さいね。
お母さんも、まだきっと状況がうまく飲み込めてないのだと思いますし。
465 :
大人の名無しさん:02/03/22 18:19 ID:tVnwvRvl
>>463さん
わたしも464さんと同じに思う。
きっとお母さんビックリしちゃったんだよ。
子供に子育ての事を「辛かった」と否定されるのは
親にとっては結構辛い物があるんじゃないかな?
私も母に言った事があるのよ10年ぐらい前にね
その時の母の顔はすごく悲しそうだった。
その後幾度となく「○○にこう言われちゃったから」って言ってた。
その時自分で子育てもしていないのに何て事を言ってしまったのだろうと
後悔したけどこの頃はその事も幾度も話をしたし私の気持ちも解ってくれて
母の気持ちも理解した。
で、母は今「あの時はビックリしちゃったよ。頭にも来た。
いつか子離れが来るとは理解してはいたけどあんな風に来るとはね」って
笑って話してます。
今は親子だけど大人同士の良い関係でも有ります。
>>463さんがお母さんに話した事は間違ってないよ
いつかは子供は親の意思を飛び越えなくてはいけないのだから
でも之からのフォローが大切だと思う。
お母さんを大切にそしてゆっくりと気持ちを伝え続けてください。
貴方の涙が笑い話になる日をお祈りしてます。
466 :
463:02/03/22 21:13 ID:a780rxwc
464さん、465さんレスありがとうございます。
私は子供が産んでから「なんであの時、母はああいう態度だったんだろうと」逆に
理解に苦しむようになりました。それまでは、実母を憎むのは私の気持ちが幼稚だからじゃないか
とも思ってました。だから、就職して離れていた頃からは普通の母娘として付き合えてました。
ここに書き込んだ後、この間の喧嘩の原因を思い出していました。
子供を連れて里帰りした時、子供が夜泣きをしました。母が起きてきて「うるさくて眠れないから
早く泣きやませてよ」と。私は「ごめん」と言ったけど、その後今まで我慢したことが
爆発してしまいました。一晩泣きながら色々考えて結局母と喧嘩になってしまったのです。
今はまだ悶々とした気持ちでいます。
でも
>>465さんのように時間をかけても理解できる日が来るように頑張ります。
母ばかりを責めるのではなく、母の気持ちを考えてみようと思います。
ありがとうございました。
467 :
大人の名無しさん:02/03/22 22:58 ID:6i5+RNkT
>>435さん 俺は今15歳で弟がいます。中1の。
普段から、とても嫌いあってて殴り合いの喧嘩ばかりしていました。
しかし、435さんのを読み、泣き、考えが変わりました。
親が死んだら血のつながっているのは兄弟しかいないのです、
大切にします。そして、ありがとうございます
468 :
大人の名無しさん:02/03/22 22:59 ID:0Bapih9L
>>163さん
今日も、ハム太郎の放送日でしたね。
私もよく見てるのですが、
こないだ、163さんの書き込みを読んだので
今日はオープニングの曲が流れただけで
泣きそうになってしまいました・・・・・。
本当に、なんと申したらいいのでしょうか。
娘さんを亡くされて、子供を亡くした悲しみは
同じ思いをされた方でないと
判らないのでしょうが、
私も父を3年前に亡くして・・・。
ただ、親が死ぬのは年齢の順でいくと
当然の事でしょうし、
悲しみは時間が経つにつれ、
少しずつ薄らいではきていますが。
ハム太郎は、うちの3歳の娘も大好きで
もしも娘が・・・と思うと
なんともやりきれないというか、
胸がはりさけそうな気持ちになります。
時間が経てばとは、申しませんが
163さんのお気持ちが少しずつでも
癒されていけばと、切に思います。
469 :
大人の名無しさん:02/03/23 00:02 ID:MiC0+VJ4
僕が大学4年の夏、父がガンになった。
渡哲也と同じガンでまだ40代の父は若いだけあって進行も早いらしく
医者の話では「やるだけのことはやる。」ということだった。
知らせを聞いた僕は就職活動もせず、だらだらと過ごしていたんで急いで田舎へ帰った。
家につくと予想以上に空気が重く、母も妹も真っ赤な目をして「お帰り」と言った。
父は背中を向けたまま何も言わなかった。
僕は「元気そうジャン。」ととんちんかんな事しか言えなかったよ。
でも、母と妹がまいってたんで、男の僕だけでもしっかりしなくちゃと思って
気丈に振舞ってた。父のためにも絶対に涙は見せまいと誓った。
しばらくして入院、即手術となった。
当日、親戚一同集まって、手術室に入る父を囲み励ましていた。
そして、時間がきて看護婦さんがベッドが押そうとしたとき、
母がかがんで、父にキスをした。
やめてよ。いつもケンカばかりしてたじゃんよ。
しょっちゅう泣かされてたじゃんよ。
もうダメだった。押し殺していた感情が、ためていた涙が一気にあふれ出た。
普通だったら親のキスなんて恥ずかしくてしょうがないんだろうけど、
すごく、自然できれいだったんだ。
どこにでもいるおじさんとおばさんなんだけどね。
手術は成功して、今じゃ、昔のように夫婦げんかもしてるし、ゴルフも再開したし、
僕の子供を顔をくしゃくしゃにして抱っこしてる。
初孫うれしかったんだろうな。僕はできちゃった結婚なんだけど、最初
「子供できちゃったから結婚するよ。」って報告したら
父「でかした!」だって。笑
相手のご両親が認めてくれたからよかったけどさ。
>>336さんまだ見てるかな?大丈夫!
きっと病気だったことも忘れてしまう日がきますよ!
470 :
大人の名無しさん:02/03/23 03:17 ID:V9grAsjP
いいね、このスレ。
もう15年以上前になるかな?久しぶりに実家に帰ったとき、お袋とたまたまテレビ見てて、
いじめがテーマのドラマ、だったんだよね。
お袋が「こんなこと実際にあるのかねぇ」と言ったんだ。
俺は小学校時代は教師のいじめ、中学時代は同級生のいじめにあってた。
でも親には言ってなかったんだよね。自殺未遂まで行ったけど、怖くなってやめたから、もちろんそんなことは親も知らない。
その時はもう中学卒業して10年以上経ってたから、つい言っちゃったんだ。笑いながら。
「あるよ、俺がそうだったもん」
お袋、急に泣き出しちゃってさ。
俺は高校で素晴らしい友人たちと出会えて、それなりに立ち直ることができてたし、10年以上建ってたし、笑い話にできると踏んでたんだけど、
お袋にとっちゃ、とてつもない事実を知らされたって事だったんだね。
「ごめんよ、気付かなくて。ごめんよ、ごめんよ」って。
もう15年経つのに、いまだに謝るお袋の姿が頭に焼き付いてます。
そのうち帰るな、お袋。
471 :
大人の名無しさん:02/03/23 10:11 ID:zX6uRbX5
こんなに泣いたの映画の「砂の器」見て以来だわ。
472 :
435:02/03/23 11:59 ID:/R4pUnmp
>>467 歳が近い兄弟だとどうしても喧嘩しちゃうよな。
今は『こんちくしょう』とは思うんだろうけど、
大人になると気づくんだよ。何の遠慮も無しに喧嘩できるなんて兄弟だけだもの。
弟、大事にな。
473 :
大人の名無しさん:02/03/23 13:56 ID:u7O8HHn9
他のスレからのコピーです。
文章は下手です。でも長くなるかもしれませんが妻の家族の事でも聞
いていただきましょうか。
還暦を越えたころから義父は心臓が弱くなりいつも苦しそうでした。
あれは義父が63くらいの夏だったと思います。突然胸の痛みを訴え
救急病院へ担ぎ込まれました。なんでも心臓の血管が詰まって20%
くらいしか機能していない様子。すぐに義弟夫婦もかけつけました。
「本当はもう少し全身の状態を把握してから行ないたいのですが、
ご本人の容態が心配なので緊急手術を決行します。7時間くらいは
かかるでしょう。」ドクターは不安な言葉を残して手術室へ。
開始は午後3時ころだったと思います。お義母さん、義弟夫婦、妻、
そして私は患者本人のいない病室に帰り、気を紛らすためするともな
く雑談をしました。
「お父さんが直ったらみんなで温泉に行こう。疲れちゃったもんねえ。」
義母はつとめて明るく言いました。
「そりゃ心配料でお父さんの奢りだな。」義弟も話しにのります。
義弟は身の丈190センチはあるかと思われる大男ですが、ひょうきん
な性格でいつも冗談で人を和ませます。この日もそうでした。
474 :
大人の名無しさん:02/03/23 13:57 ID:u7O8HHn9
短くもあり、永遠に続くかとも思われる不安定な時間が過ぎ、気が
つけば深夜12時。もう9時間たちました。
「遅過ぎるわね。どうなっているか聞きに行こうかしら。」
最初に耐えられなくなったのはお義母さんでした。ややとり乱し気味で
涙もたまっています。
「いや、聞きにいっても一緒だ。看護婦さんの手を煩わせるだけだよ。
僕らはただ待つことしか出来ない。先生を信じようよ。大丈夫だよ。
大丈夫。」 義弟がゆっくりと笑い、諭すように母親を説得しました。
彼を学生服姿から知っている私は、その成長を頼もしく感じました。
大きな体がさらに大きく見え長男の貫禄すら感じます。
・
さらに1時間が経過し妻の目にも涙が見えはじめました。義母はソファー
でずっと泣いています。
「いやあ、そんなみんな泣いてばかりじゃ気詰まりだなあ。お通夜
じゃないし。」
「縁起でもないっ!!」義弟の失言に激怒する義母。
すさんだ空気も流れはじめたころ、看護婦さんが部屋へやってきました。
「先生のお話しがあります。先生のお部屋へどうぞ。」
先生より先に私達は部屋に入りました。イスは二つ。ひとつはひじ
かけのついた先生用です。先生と向かいあってもうひとつ。
「ここは僕が座って聞かせてもらうよ。お母さんたちは後ろで聞いて
ください。」義弟が椅子に座り、その後ろに私と、女性二人がお義母さん
の両脇を支えて立つ恰好になりました。女性は3人とも泣いています。
・
475 :
大人の名無しさん:02/03/23 13:58 ID:u7O8HHn9
先生が入ってくるまでの間の長かった事。
「遅くなって申しわけありません。状態の把握に時間がかかってしまって。」
テレビで見るような緑の術着の先生が疲れた様子で言いました。
「どんな調子でしょう。」義弟が静かに聞きます。
「集中治療室を出るのに1週間。退院までに二ヶ月くらいでしょうか。
風邪などには十分気をつけてください。」
その言葉を聞いた時の、お義母さんの顔!!
「有難うございました」3人の女性の声がハモッてしまい,
顔を見合わせて笑ったのもよく覚えています。
さて、義弟は、、、。
無言のままふらっという感じで立ちあがり、崩れるように
ひざまづきました。
そしてドクターの両腕をしっかりと握り、
「先生っ、先生っ、」
その後はなんと言おうとしたのか、今では本人にも分からないかも
しれません。あれを号泣と言うのでしょう。とどめようにもない嗚咽が
部屋中に響きます。数分経っても彼は立つことも出来ませんでした。
こんないい家族を作り出した義父がそう簡単に天に召されたりはしない
だろうな。私はそんな風に思いながら、190センチもある大男が両脇を
小さな女性に支えられ部屋を出て行く後姿に涙を止めることができませんでした。
476 :
大人の名無しさん:02/03/23 14:17 ID:Fd+pPwp5
>>466 スレにそぐわないレスかもしれないけど・・・とても気になったので。
466さん、お母さんと「良い関係を築かなくては」「理解してあげなければ」と
思う必要はありません。というよりそういう風に考えない方がいい。
母子関係はこうあるべき、という社会通念にしばられてしまいがちだけど、
一般的な母親でない母親もいるのです。
「良い関係」にならなくてはいけない、と思うほど、母親を憎んでしまう
自分を責めてしまう場合もある。
あなたとお母さんの関係は、最近の母親と30代の娘に多い
一種の共依存だと思います。
子供は本能的に母親に依存し、母親に母親であることを求める。
ところが、母親が大人になりきれないタイプ、または母親に向いておらず
絶対的な母性に欠けたタイプの女性だと、
(息子との関係ではこれは決してみられないのが特徴)
子供は母親からの絶対的愛情に常に飢えた状態で育つ。特に、母親が
異常に感情的だと子供は常に根深い不安を抱えて育ちます。
そういう子供は成人してからも、充たされなかった愛情を母親に対して
潜在的に求め続けてしまう。個々の人間同志として突き放した考え方は
できにくい。
だからあなたも、子供時代に辛かったこと、寂しかったことを
自立して家庭を持った今も忘れられず、母親に訴えずに
いられなかったんじゃないでしょうか。それは当然のこと。辛かったでしょう。
ただ、そういう母親は年をとっても、大人・母親にはなりきれないことが
多い。母親失格という言い方はしたくないけど、そういうタイプの
女性もいるのです。
娘が大人になっても、母親は精神的に子供のままなので、今度は逆に母親が
娘に依存してくる。娘も、どこかに子供時代の愛情不足を取り戻したい気持ちが
残ってしまっていることが多いので、母親に「母親」を求め続けてしまう。
別々の人生を送る年齢になっても、あるいは物理的にはそういう状態であっても、
心理的にはお互いに相手に求め続け、共依存が断ち切れない。
誤解しないで欲しいのは、お母さんがあなたを愛していなかったと
いうことでは決してないこと。あなたは悪くありません。お母さんは
たまたま母親というものに向いていなかっただけ。
世間一般のいい母娘関係でなくてもいいんですよ。いろんな親子が
いるんですから。
いつか解り合えるはず、と思い続けるより、彼女はたまたまそういうタイプ
なんだ、と割り切れると良いですね。あなた自身が今では母親ということだし
娘にとっての母というより、あなたと対等の一女性としてお母さんを
見られるようになると、楽になれるはず。
あなたがご自分のお子さんにたっぷり愛情を注いであげれば、その愛情で
あなた自身の子供時代も埋めることができる、と私は思います。
477 :
大人の名無しさん:02/03/23 16:55 ID:ZRc7v366
up
478 :
大人の名無しさん :02/03/23 21:07 ID:Mgarax+m
かけがえのない人を亡くして以来連絡がとれなくなっていた友人と
久々に会うことができた時。
話題が自然と故人の事になると、彼女はさらりと言った。
「二度と会えないだけで、いなくなった訳じゃないから」
自分が訃報に直面した時この言葉を思い出した。
逝った人も残った人も、少し救われたような気がした。
479 :
大人の名無しさん:02/03/24 00:50 ID:Fuod2sXP
age
>>478 憶えておきます。そのセリフ。大事な誰かが亡くなったとき。
愛別離苦、怨憎会苦
私は、本当に情けない人間です。
スレ違いです。でも、ごめんなさい。愚痴らせてください。
職場での、些細な一言、行動に鬱入ってます。「甘い」「甘え」
わかっています。皆さんがいやおう無くさらされた人生の悲しみ苦しみからしたら
「ぐだぐだいうこと」じゃ、ないんです。
なんで、ひとは、心をえぐるんでしょう。思いやってくれないんでしょう。
自分自身がおんなじことを、されたら、いわれたら、どう思うのでしょう。
いちいち傷ついているほうが悪い・・・んですね。
そして、私も知らず知らずにうちに、その言葉で、態度で人を傷つけているのでしょう。
ごめんなさい。心配してくれる人にこそ、こんな情けない弱い私をみせることが出来ません。
ここに、書きました。
支離滅裂だけれど、ちょっと、強くなれそうです。
ありがとう。
466が476を読んでいることを祈りつつ
483 :
大人の名無しさん:02/03/24 15:26 ID:FKQ/7Vvq
age
484 :
sage:02/03/24 15:51 ID:zwlZIhGJ
ここのスレを昨日知りました。
一気に読みました。
本当に涙が止まりませんでした。
今朝はものすっごく目が腫れてました。
自分の行動を反省もしました。自分が情けなくもなりました。
私は夫と離婚寸前です。
夫は殆ど家に居ません。
私には三人の子供がいます。
先日一番下の子の誕生日でした。
子供達と私で食事をし、ケーキを食べ、プレゼントを渡し、
楽しい誕生日を過ごしました。
その後…。
上の子の文集が配られました。
真ん中の子の作文は一番下の子の誕生日のことを書いた物でした。
「今日は○○ちゃんの誕生日でした。
みんなでケーキを食べたあと、○○ちゃんにプレゼントを渡しました。
私は自分で作ったおもちゃをあげました。おねえちゃんはえんぴつと
けしごむをあげました。おかあさんはお人形の洋服をあげました。
おとうさんはお手紙をあげました。」
そのとき夫はいませんでした。
「おとうさんはお手紙をあげました。」
どんな心境で子供はそれを書いたのかと思うと涙が止まりませんでした。
それと何より、子供に嘘の作文を書かせてしまう状況を与えてしまってる
自分に腹が立ち涙がでました。
このすれいいですね。思わず泣いてしまいました。
私事で申し訳ありませんが、私が住む街に同じ趣味(切手収集)を持つ知り合い(50代半ば)が
います。何時も発行初日の記念切手カバーや小型印を押印したカバーを
送ってくれます。
昨日もカバーが送られてきました。
便りが入っていたので、カバーの端を丁寧にカッターで切り、便りを見ました。
すると、『早期胃ガンにて入院、このカバーが届く頃、手術をしていると思います…』
最初、飲み込めなくて頭に「?」が浮かんでいたのですが、段々泣けて
独り部屋で泣いてしまいました。
胃ガンになってまでカバーを作っている姿を思い浮かべ、また泣いてしまいました。
不幸中の幸いか早期なので、きっと治るだろうと思っています。
術後なので、もう少ししたらお見舞に行きたいです。
486 :
大人の名無しさん:02/03/24 16:31 ID:j54kGNOE
「孝行したい時に親は亡し」
ことわざは正しかった。
私は20歳で父を亡くし、
29歳で母を亡くしました。
父とはそうでもなかったけど母とは様々な葛藤があった。
・・今は写真に手を合わせる日々。
日田水を飲み続け癌が治った方が居る、とフジTVのアンビリバボーで見ました。
一日に沢山の日田の水を飲み、それを何日も飲みつづけた癌患者の癌細胞が
いつのまにか消えていたという話でした。
僕は日田水の関係者でも日田に住んでる人間でもないし、
ましてや宣伝しようという気もないんですが、
>>336さんのレス読んで…何と言うか…。
実際、僕の身の回りに癌が治ったという人は居ないので
勧めることさえ出来る立場ではないんだけど、そういう水もあると言うことを言いたかっただけです。
その水はネットでも買えます。スレ違い&板汚しすいません。
488 :
大人の名無しさん:02/03/24 22:34 ID:h9rj5fnc
>>476さんへ。
私は466さんではないのですが、あなたのお言葉を読ませていただき
御礼を言いたくって書き込みました。
なんと言ったらいいのか・・・・
私の母も「大人になりきれない母親」なのです。
子供の頃から母に愛されたくて、やさしくして欲しくて、認めて欲しくて
でもそれらも叶うことなく寂しい思いを抱えていました。
独り立ちして母から離れ、年月が経って初めて、母の未熟さに気がつきました。
私も悪い子じゃなかったし、母も私を愛していなかったわけではなかった。
476さんがおっしゃるように、「母に向いていない」母に当たってしまったわけですね。
私も今は母親です。
だけどうまく子供を愛せません。というよりも「母親の行動」がうまくとれません。
子供のことはもう、とってもとっても恐ろしいほどに愛しています。
だけどそれは母性ではない愛です。
自分の子供としてではなく1人の人間として愛している感じです。
でも子供を、私のような「母のいない子」にはしたくないのです。
・・・ごめんなさい。何を言ってるのか全然意味不明になってしまいました。
お礼にもなってないですね。
だけど476さん、あなたの言葉が嬉しかった1人です。ありがとう。
489 :
?:02/03/24 22:57 ID:vsgLoXc8
父を1月に亡くしていまだに半信半疑でいて
でも時々もう会えないと思うと無性に涙が出てしまいます。
本当に親孝行したいときには親はなしですね。
もっともっとしてあげたかったって今になって思います。
生きてるうちは全然親不幸娘だったのに。
だからこそ後悔とかいっぱいあって泣いてるのかもしれないです。
だからこそ母にはいっぱい父にできなかった分まで
親孝行してあげたいって思うのですが
母は昔から弟二人いればいいっていうふうなので
私はどうしたら母にとってよい娘でいるのかがわからないです。
物心ついたときから「弟のほうが可愛い」と言われて
いくら勉強がんばっても賞をとっても
見向きしてもらえなかったから・・・。
お父さんの仏壇にも御参りにもなかなか行けないで
どうしたらいいのか悩むばかりです。
行って邪魔にならないか?
弟夫婦と仲良く暮らしてるのなら邪魔になるだけではないか?
親孝行って難しいです・・・。
490 :
大人の名無しさん:02/03/25 09:48 ID:AmA7VI26
>489
あなたが幸せな気持ちでいること。
それが最大の親孝行だと思いますよ。
491 :
大人の名無しさん:02/03/25 10:09 ID:K/6y4V8I
>489さん
邪魔になるんじゃないか?なんて考えなくて良いと思います。
今お父様にできなかった分だけお母様に…って思ってらっしゃる
のですから、深く考えこまずに行動に移されてはいかがですか?
私は男兄弟もいないし、自分にも子供がいないからわからない部分も
あるけど、確かに母親って男の子が可愛いっていいますよねぇ。
でも、母と娘っていうのも良いものですよ。
一緒にデパートに行って買い物したり、お茶したり…
他愛もないことで良いんじゃないかな、って思うんですが。
元気な顔をみせるだけでも嬉しいんじゃないでしょうか。
私自身も父を7年前に亡くし、同じように父の分まで母には
長生きしてもらって親孝行するんだって思ってました。
でも母も1年前に父のところにいってしまいました…。
母とはけっこう旅行に行ったり、コンサートに行ったり思い出は
あるけど、もっともっと色々してあげたかった…。
デパートやスーパーで仲良く買い物してる母娘連れを見ると
心底羨ましいなぁと思います。
時々母に背格好が似てる人を見ると、思わずじーっと見てしまったり。
こんなにたくさん人がいるのに、私の両親はどこにもいないって
思うとどうしようもなく悲しいのです。
まとまりのない文でごめんなさい…。
492 :
大人の名無しさん:02/03/25 10:53 ID:unx7ZwF4
>488さん
私もあなたと同じです。わたしを生んでくれた母は、3歳の時他界しました。
今の母は、その後嫁いできて翌年に妹が生まれました。
母は、何かにつけてなさぬ仲だからとか、自分の腹を痛めた子供と同じには行かない。
とか、私の前でも平気で言う人で
当時子供の私の心は、いつも母に愛してほしいと泣いていました。
そんな私も今は7歳の娘をもつ母になって、母には母の心の葛藤があっただろう事を
感じとることが出来るようになりました。
493 :
大人の名無しさん:02/03/25 10:59 ID:unx7ZwF4
世の中には、色々な母娘があっていいと思います。
私もまだ良い母娘関係を築けてはいませんが、時間をかけてあせらず
少しずつやっていこうと思っているところです。
このレスを読んで同じような悩みを持つ人がいる事に
とても勇気ずけられました。
ありがとうございました。
みんながんばろうね!!
494 :
?:02/03/25 14:50 ID:r7rvS8FI
490.491さん、ありがとうございます。
489です。
491さん、ありがとう。
出来るときがあるだけ、母がいてくれる今
後悔しないようにしたいです。
490.491さんがいてくれて
励ましてくれて心から嬉しいです。
495 :
大人の名無しさん:02/03/25 15:22 ID:qZtgPdDo
私も母親と上手く行かない方です。
昔から母に好かれようとイイ子を演じ続けて
有る時ストレスになってしまって「円形脱毛症」になりました
このままではダメだと思い自分を出すようにしたときから
母の辛い言葉や仕打ちが始まりました。
母に「貴方は私の人生においての汚点。最大の失敗作」とまでいわれました。
ずっと悩んでいて会社の尊敬出来る先輩に相談していたら
彼女のお母さんはいわゆる没落貴族の出身で
親の愛情で育ったのではなく乳母やお手伝いさんに
ワガママいっぱい育てられ大人になれない人だったそうです。
そして母親との交流が上手く行ない事を自分の心持ちで克服した人でした。
(母親を変える事は無理だったそうです)
その方が教えてくれたのは
「ダメだからって諦めるのではなく
心を通じ合わせようとする気持ちがこそが大切。
上手く行きたいと思うのならその気持ちを
いつも心の何処かに持っていなさい。」
「その気持ちが通じなくてもその辛さが貴方の心の成長の糧と思う事。
成長させてくれる親を有り難いと思ってあげなさい」
「貴方がお母さんより先に大人になっちゃいなさいね」でした。
彼女からこれを聞くまでは母親の気持ちを変えようと躍起になって
疲れ果てていつも泣いてました。
でも今は自分が潰れそうになる時にこの言葉が本当に心の支えになってます。
これを100%理解して彼女の様に心穏やかになる境地には達していませんが
一歩一歩自分を成長させて行こうと思ってます。
496 :
大人の名無しさん:02/03/25 15:59 ID:7DR+XDDS
微妙にスレタイトルとズレていっている気が…
497 :
大人の名無しさん:02/03/25 16:17 ID:VLjoHfEH
う〜ん、495さんの先輩のお言葉、いいですねえ。
私は今同僚の女性(会社で女子は二人)とうまくいってないのですが、
母という言葉を同僚に置き換えて考えてみようと思いました。
お互い頑張りましょうね。
498 :
大人の名無しさん:02/03/25 16:36 ID:yRUx+U+e
>>496 しかしとてもよい書きこみが続いていると思うので、いいのではないでしょうか?
潮時がくればまた、他のお話も出てくるでしょうし。
499 :
大人の名無しさん:02/03/25 16:45 ID:nGt536RL
492,493です。
495さん私も、ついこの間までは「どうして私の気持ちを母は、解かってくれないんだろう?」とないてばかりいました。
でも、ある日きずいたんです。そう母の考えを変える事は無理なんだと言うことに・・・・
ありがとうございます。あなたの先輩の言葉 私も忘れないように覚えておきます。
今よりももっともっと自分が好きになれるよう磨きをかけていきたいですね。
500 :
大人の名無しさん:02/03/25 16:55 ID:EuZPIE2W
500
501 :
大人の名無しさん:02/03/25 17:15 ID:EuZPIE2W
夫からの愛に満足していない母親は、娘の不幸こそ願わないが、
「自分以上」に幸せになることも願わない…
なぜ「第一希望」より「第五希望」の男性を選んでしまうのか、
どうして無私の愛を素直に受け止められないのか…
その秘密は、幼児期の母親との関係にあった。
母親が無意識に娘にかける「呪い」の正体、その方法とは?
女性の恋愛行動を間違った方向へと向かわせる「母の監視カメラ」とは?
なぜ幸福をわざわざ回避してしまう「幸せ恐怖症」になってしまうのか?
心の奥でいつの間にか成長している「男性破壊願望」の恐ろしさとは?
―現代女性の恋愛病理を解析し、その隠された真実に迫る、
ベストセラー『女性の「オトコ運」は父親で決まる』に続く待望の第二弾。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30704599
502 :
466:02/03/25 20:57 ID:opUpS868
たくさんのレスありがとうございます。
>>476さん
もし私があなたの目の前でこの言葉を聞いたら泣きながら抱きついてしまったと思うほど
嬉しかったです。
私はいまだに母親の愛情を求めていたんだ・・・。それが分かった事でこれから少し変われそうな
気がします。私の妹の口癖は「しょうがないよ。お母さんはお子ちゃまなんだから」です。
私はそう分かってても愛情を求めていたんですね。
>>488さん
私も自分の子に私と同じ思いをさせないようにと頑張っています。
「虐待は受け継がれる(私は虐待ではないですが)」と聞いた時、私も母と同じことを
するんじゃないかと恐くなりました。
今は「ばいばい」「ま〜ま」しか言えない子ですが、叱る時は一呼吸置く。
それでも叱ってしまった後は抱きしめてあげる・・・。
そんな事で大丈夫かどうかは分からないけど、「あなたを愛してる。」という気持ちを
臆せず子供に見せていこうと思ってます。
503 :
488:02/03/25 23:00 ID:h826sMio
>>466さん、492さんレスありがとう。
出だしはちょっと良くなかったけど、まだまだこれからだよね。
お互いがんばっていこう。
504 :
大人の名無しさん:02/03/25 23:53 ID:nGt536RL
492です。
私には、とてもかわいがってくれた祖母が居ました。
母に何か言われて悲しくなるといつも、祖母の部屋に行って泣きました
そんな私をいつも、ばあちゃんがいるじゃないか、気にするな」っ言って励ましてくれたばぁ
大好きなイチゴのショートケーキを押入れの中から出して食べさせてくれました。
でも、私はそんなごたごたした家から一日も早く逃げ出したくて、高校卒業と同時にいえを出てしまいました。
祖母は4年後にアルツハイマーにかかり何度も薬を飲んで死のうとしたり、夜中1人で歩き回っていたそうです。
当時若かった私は、自分のことで精一杯で祖母には何一つしてあげれませんでした。
どうしてあのときおばあちゃんのそばに居てあげなかったんだろう
はじめて、車の免許を取ったときのせてあげたらとても嬉しそうだったよね。
たまに、実家に帰って顔を見せると、とっても嬉しそうにしていたよね。
もし、戻れるならあのときに帰っておばぁちゃんのそばについていてあげたいな
最後に病院にお見舞いに行ったときすぐに、私の事わかって嬉しそうに笑ってくれたよね。
あのとき、次の朝おばぁちゃんが居なくなるって知っていたら
ありがとうって言えたかな? ごめんねっていえたかな?
私のかわいい娘と、自慢の旦那をみせたかったな
今日みんなの読んでいたら、ふと大好きだったおばあちゃん思い出して
また、涙が止まらなくなりました。
505 :
大人の名無しさん:02/03/26 16:33 ID:fGiVk1W0
昨年親父が他界しました。初孫である我が子が産まれて一週間後でした。
ずっと癌と戦っていたのですが、予想より早いので驚きました。
葬儀のため帰省する間中、ずっと親父の思い出に耽っていましたが、涙ぐんでも
泣くことは無かったと思います。それは葬儀の時も同じで「こうなると解っていた」
私は泣きませんでした。
葬儀が終わり、火葬場で最後のお別れが来ました。
最後に一言だけ。「おやじ。ありがとう」と言おうとしたした時、突然悲しみに襲われ
泣き崩れて言葉になりませんでした。
自営業で休日も無く朝から晩まで働いていた親父
決して裕福では無かったけど子供4人を立派に育て上げた親父
あと数日で60歳を迎えられた親父
もうすぐ借金の返済が済むと喜んでいた親父
隠居したらスポーツカーを買ってお袋と旅をするんだと言っていた親父
叔父達に「孫って可愛いもんか?」と聞いていた親父
帰省するたびに遅くまで杯を交わして語り合った親父
これから孫に囲まれて楽しい人生が待っていたはずの親父
結局1人で苦労して死んでしまった親父
これだけの想いを「ありがとう」の一言で片付ける事は出来ないよ…
今、息子は1歳になり、弟も誕生しました。
僕が親父に出来ること。それは僕自身が死んだ親父のように良き父に
なる事なんじゃないかなと、漠然と思うようになりました。
そして最後には親父を越えてやる。またあの世で酒を飲もうぜ。
506 :
大人の名無しさん:02/03/27 22:15 ID:0X4hpM9N
夫婦関係のことなんですけど・・・・。
8年交際し結婚して4年経ちます。
一昨年くらいから、ちょっとしたことがきっかけで、色んなことにずっとすれ違って
いたことにお互い気付いた。
ずっと一緒にいたのに、お互いを何も理解できていなかったことに呆然とする日々。
話せば話すだけすれ違っていたことに気付き、やり直したいと私は思っているのに、
もうその気も起きない、その気持ちが起きないことが辛いんだと彼は言う。
一緒に暮らし始める時は楽しいことばかりを思って買い揃えた家具。
今は悲しくて寂しい思いだけが沁みついている気がする。
一緒に寝ようねって買ったダブルベッドもいつのまにか彼が一人で寝ることが多くな
った。
この前、今日はベッドで寝たら?と彼に言われてベッドに暫くぶりに横になった。
思い出すのは選んだ時のウキウキした気持ちと、目が覚めるとすぐに彼が横にいてく
れた安心感。
もう決してあの頃には戻れない。
新しい関係を築きたくても、その気が起きないって・・・。
横になると思っていた以上にダブルベッドは広くって泣けてきた。
クッションを抱き締め「一緒に寝ようって買ったのに、全然違うじゃん、こんなはず
じゃなかったのに・・・」と涙しながら眠りについた。
もう本当にダメなんだと思う。
でも、まだ踏ん切りがつかない。
鬱々と日々暮らすより、新しい道を選んだ方が良いのかも知れない。
なんでだろう?どうしてこうなっちゃったの?やり直せないの?
そう思いながら、楽しく幸せだった日々だけが頭の中で繰り返す。
嗚咽するようなことじゃないけど、30過ぎても現実を見れない自分。
あんなに好きだったのに・・・そう思うとまた泣けてくる。
もっと強くなりたい。
ここを読んでると自分の悩みなんて本当にちっぽけなことだと思える。
だけど、苦しくって書き込んでしまいました。すいません。
>>506 >ここを読んでると自分の悩みなんて本当にちっぽけなことだと思える
悩みは人と比較しなくていいと思うよ。
(比較し始めたら、安心するために人の不幸を願うようになるから)
貴女にとってとても辛いことなんだったら、そうなんだって受け止めよう。
夫婦のすれ違いがどんなモノかは貴女にしか分からない。
余計な口出しや、やり直せるよとかわかったような事は言えない。
貴女以上に長いつきあい、夫婦をやっていても、何らかの違いはあるけれど
埋める気持ちになるかどうかが左右するよね。
せめて
「昔は良かった」という振り返りはちょっとやめてみるのもいいかもしれないよ。
過去は過去。
昔を懐かしむとマイナスに気持ちが振れることもあるから。
そうやって今をみつめられるようになれるといいね・・・・
508 :
通りすがり:02/03/28 13:46 ID:NeGo2fER
幸福とは相対的なものであり、不幸とは絶対的なものである。
509 :
?:02/03/28 22:19 ID:e/MTo9SA
506さんへ>
まだまだ人生は長いよ。
コレから何があるかわからないよ。
でもあなたが前向きでないとおひさまはあなたに笑ってくれない。
後を振りかえってるよりも
いばらであっても前に進んでください。
あなたの成長を祈ってます。
510 :
?:02/03/28 22:23 ID:e/MTo9SA
507さんへ>
(比較し始めたら、安心するために人の不幸を願うようになるから)
すごく身にしみました。
そうですよね。
はっとした自分がいて・・・。
ありがとうっていいたかったです。
今年になって身内を2人も亡くしたので・・・。
自分が折角入学した大学へあまり行かなくなった頃、1匹のアメリカンショートヘア系雑種の仔猫が家に迷い込んできた。
もともと猫好きだったので餌をやって飼うことになった。名前はなーんの工夫もなく「ニャオ」と呼ぶことになった。
田舎なので、家の中と外を自由に行き来して気ままに生活する、いわゆる外猫(そとねこ)だった。
家族以外にはまったくなつかない、家の中で小便がしたくなったらどんな手段をとってでも外に脱出して部屋を汚さない、
メスのくせにめっぽう気が強く交尾を迫るオスに耳の一部を食いちぎられても追い返す、そんな賢くて強い猫だった。
飼い始めて1年半ほどしたころ、家の建て替えが決まり家族は半年ほどアパートに住むことになった。
借家で猫は飼えないので困っていたところ、引越しの2週間前から急にニャオの姿が見えなくなった。死んだのか、道に迷っているのか。
でも見つけたところで飼うこともできないじゃないか、人間の勝手な都合をつけて、ニャオのことは忘れようとしていた。
そうこうしている間に家は完成しもとの場所に家族は戻った。
ニャオのことも誰も口にださなくなった。それどころか、新築の家で動物を飼うのは汚れるのでやめようという話まで聞こえてきた。
自分はというと大学を除籍になり、かといってバイトすらせず新しい家の中で完全に浮いていた。
そんなある夜、離れの2階にある俺の引きこもり部屋のサッシを、ガリガリ引っかく音がして開けると、そこにはアメリカンショートヘア系雑種の猫がいた。
まさかと思って左耳を確認すると、一部が欠けている。ニャオが1年ぶりに帰ってきやがった。
めっちゃ嬉しかった、でもこの喜びを伝えたい家族とはまともな会話も、食事の団欒もぜんぜん無いのだ。そんな、家族でさえ遠慮するほどにすさんだダメな自分に、ニャオは躊躇せず擦り寄ってきた。
たまらず布団の中で一緒に寝た。ニャオの体温でいつもより温かだった夜は、自分にちょっとだけ勇気をくれたのかもしれない。
翌朝、ニャオを抱いて朝食中の家族に、ニャオ復活!の報告をした。家族と交わす何ヶ月ぶりの会話だっただろうか。
「家の建て替えを知ってて、飼い主に要らぬ心配しなくていいよう、わざわざ1年間放浪してたのかも。頭いい猫だ。」と親も感心し、
新築の家に住み着く許可をあっさりもらった。そしてその日から、ニャオの話題だけじゃなく、これからの自分のことなど、家族と少しずつだけど話をできるようになった。
公務員試験という道を選んで、1年間受験勉強する傍らに、いつもニャオがいた。合格、就職とようやく人の道に戻りつつある自分であったが、内向的な性格のため女性関係はからっきしだった。
「お前が人間の彼女になってくれたらなぁ」なんてニャオに向かって本気で思ったりもした。
511のつづき
ニャオと初めて会って8年目、自分に転勤の命令が下った。
そして実家を離れて独り暮らしになった。引越しの日、
ニャオは家の門のところまで自分を見送りに来てくれた。
ここで、実家のニャオが自分をしたって転勤先まで大冒険し
自分と涙の再会、というドラマみたいな展開は・・・流石に
無かった。ニャオは実家にずっといて、月に1回程度帰る自分に、
今までどおりなついてくれた。更に2年後、次の転勤先は非常に
仕事が忙しく、実家に帰るのも3ヶ月に1回という状態。
寿命の短いニャオにとっては2年に1回に相当するペースとなってしまった。
ところが、この2度目の転勤先で、ある女性と真剣なお付き合いが始まった。
ついに遅すぎた春が訪れたのだった。
そうなると、たまの休みを彼女と過ごすことになり、実家でニャオに会う機会はますます減っていった。
彼女とは付き合いは順調に続いていて、ニャオがもうすっかりお婆さん猫の年齢になっていることも気に留めなくなっていた。
ある年の1月4日、実家に久しぶりに帰った。
33歳にして初めてできた彼女を、自分の親に紹介するのを兼ねて。
庭には、自分が実家から仕事に通っていた頃と同じように、ニャオがいた。
そして自分の姿を見つけるなり走り寄ってきて、ゴロンゴロンと転がって甘えてきた。夕方になり、実家をあとにすることになった。
ニャオは家の門のところまで見送りに来てくれていた。
それが、最期のニャオの姿だった。
半年ほどして母親から聞いた話では、1月4日にニャオが
家族の前に姿を現したのは2ヶ月ぶりだったらしい。
それ以前もかなり身体が弱っていたらしく、まっすぐ歩けないような状態だったそうだ。そして、自分と彼女を見送ってくれたあの日以降、実家から完全に姿を消しているとのこと(1年以上たっている現在も)。
ニャオは今どこにいるんだろうか。
生きている間は一度も見たことがなかったニャオの夢を、あの日以来、時々見るようになったのは、やっぱり・・・。
猫は死んだ姿を絶対に飼い主に見せないという。
いい思い出だけ飼い主に残せるように、そしてまたその家族が、
新しい猫と楽しい思い出が作れるように、独りぼっちで死んでいくのだそうだ。
今振り返ると、自分にとってあのニャオは一体なんだったんだろう。
14年間生きた長生きの単なる猫だったのだろうか。
それとも猫の形をした神様だったんだろか。
いや、神様でも猫でもそんなことはどうでもよくなった。
どん底状態の自分を救うかのように1年ぶり部屋での再会し、
今婚約中の彼女と自分が一緒の姿をあの日家の門で見送って、
安心したかのように何処かへ旅立っていったニャオ!。
ニャオの夢を見て目覚めた朝は、涙でぬれた目をもう一度閉じて、こう伝えてます
「君に会えて本当によかった、ありがとう」。
514 :
通りすがり:02/03/29 11:38 ID:pZocPASW
よかったね。
あなたがニャオに会えてよかったって思ってるなら
ニャオもきっと喜んでると思う。
これからなにがあってもあなたは超えられると思います。
すごくいい関係だったって思います。
515 :
無声慟哭:02/03/29 21:43 ID:o+bWuxvr
新聞の社会面に覚えのある住所が載っていた。
見覚えのある名前と一緒に…。
昔付き合っていた彼女だった。
自分の部屋で首を絞められて死んでいた。
手を下したのは付き合っていた男だった。
その男と僕は面識があった。
僕と彼女が別れる原因となった男だったからだ。
異常気象といわれるほど暑くて長い夏だった。
僕は自分のキモチを伝えるのが下手だ。
愛しているとか好きとか言えない僕より
それを言える彼に彼女は付いて行った。
死んでしまいたいと思った恋愛は後にも先にもこと時だけだった。
別れてから僕の誕生日に彼女からのメッセージが留守電に入っていた。
僕から連絡をすることはしなかった。
それからまた夏が過ぎてその冬に彼女は殺された。
あの時僕が電話をしていれば彼女の人生は変わったかもしれない。
そう思うと自己嫌悪でしばらく荒れた。
何度も彼女の住んでいた部屋の前に行った。
どうにもならない悔しさと後悔でおかしくなりそうだった。
また彼女の部屋の前にいった帰りに涙が流れて止まらなくなった。
そのとき聞き覚えのある声が聞こえた。
たった一言「がんばってね」と彼女の声だった。
もう書けない...
516 :
大人の名無しさん:02/03/29 22:34 ID:65gJkSuB
がんばってね。って言ってもらえたんだよきっと。
517 :
大人の名無しさん:02/03/30 00:26 ID:7JqkcfUI
ちょい遅レスだけど、502=466さんへ。
あなたの書き込みには、もう自分より子供さんが大切という意識が
ありありと伝わってきました。
すばらしいお母さんですね。気負わずそのままでいつづけてください。
定期age
519 :
シリカゲル:02/03/31 11:24 ID:+uzB3TNp
新宿駅のベンチでうとうと
吉祥寺あたりでゲロ吐いて
すっかり酔いも醒めちまった
涙ぐんでも始まらねぇ
金が欲しくて働いて
眠るだけ
>>519 そんなあなたにも
せめて今宵、少しは心地よい眠りが訪れますように。
だいぶ前のレスだが、亡くなった息子さんの位牌を持ってポケモンの映画を
観に行った人のことが書いてあったが、あれと同じ光景を俺は見たことがある。
25年以上昔だが、俺と弟は親父に連れられて東映まんがまつりに行った。
そこにどこかのおじさんとおばさんがいて、息子らしい写真を持って
客席に座っていた。
本編と仮面ライダーのショーを交互にやる興行で、俺は映画を先に観て
そのあと仮面ライダーショーを観て、帰るときその夫婦を見たのだ。
すると親父は突然、入り口でもぎりのおばさんにもらった紙製のサンバイザーと
キーホルダーを俺から取り上げて、その夫婦に渡した。
あまりに唐突な、そして子供にとっては理不尽なその行動に、俺は怒ったし
その夫婦も恐縮していた様子だったが、親父はものすごい形相で俺を睨み、
「お前には後でデパートでなんか買ってやる。」とすごんだ。
俺はだいぶ大きくなるまで、その行動を「ええかっこしい」と根に持っていた。
だが、あのレスを読んで親父に何気なくあのときの話をすると親父は言った。
「ちょっと事情は違うが、お前昔後楽園に行ったとき長島と王のサイン会にせっかく並んだのに、
整理券の配布が目の前で終わったの憶えてないか?あの落胆はな、親には辛いんだ。
遺影になってまでライダーに会いに来たのに、子供にもれなくもらえるものを
もらえなかったら浮かばれないだろう。」
なるほど、と思った。
だが俺の親父は、2chでいうとこのドキュンで俺は親父とお袋が二人とも
18のときの子供で、あの映画館での出来事は親父が20代半ばの頃の話だ。
当時の親父の歳をとうに越している自分が、その優しさを持っているかどうか
考えただけで、すっげえ鬱になった。
嗚咽した話じゃないのでsage
このスレを見つけて、さっきからずっと泣いています。
同居していた母方の祖父のことを思いだして
自分はこれから何人のひとを見送ることになるのだろうと考え
自分の大事なひとたちより先に逝ってはいけないなと強く思っています。
「ぼーっとしていると1日1日はあっという間に過ぎるけど
1日、無事に終えることが出来ただけでそれはとても素晴らしいことだ」
生前祖父の言っていた言葉ですが、突然ふっと思い出して夜中によく一人で泣きます。
祖父は脳梗塞で倒れ、病院を転々とし、自宅で介護を始めたものの
祖母が子宮ガンで入院。
両親は共働きで私たち姉弟は当時ともに義務教育中で
やむなく近所の病院に再び入ることになりましたが
そこでMRSAに感染し、最期は肺炎を併発して亡くなりました。
家族の中で、私だけが祖父の最期に間に合いませんでした。
学校で呼び出しの放送がかかっていたとき、私は友達と喋っていて笑っていた。
友人に「ねえ、さっきから呼ばれてるんじゃない?」と言われ
「まさか!、、」と思って事務室に駆け込みましたが
その時間にはもう祖父は亡くなっていました。
担当のお医者さんが、祖父の臨終時刻を私が病室に到着した時間にしてくれたのですが、
5年経った今でもあの時のことを思うと自分に対してどうしようもない
気持ちが沸き上がります。
家族は私が遅れたことについてとうとう何も言いませんでした。
だから余計に辛かった。
もしかしたらこれから先誰かの死に直面するときも
間に合わないことがあるのかもしれない、
じいちゃんごめんと繰り返して病室で泣きました。
祖父は倒れてからは言語障害が出てまともに話せなかったので、
喋っているのを聞いたのはもう10年前になります。
倒れてからの姿の方がイメージが強く、どんな声で喋っていたのかも
明確には思い出せなくなってしまいました。
けれど、祖父が倒れてから
いろんなごたごたがたくさんあったけれども
それでも今は「楽しかったねえ」と家族で語り合えます。
頑固なじいさんだった祖父は倒れてからは陽気になり、良く笑うようになったし、
しょっちゅう祖父と衝突していた母は丸くなり
祖父に引け目を感じていた父はすこしだけども堂々とした性格になった。
祖母は車椅子の祖父とともに散歩に出るのをとてもうれしがっていた。
祖父母に甘えっぱなしだった私と弟は、自分のことは自分でやるという
姿勢が、遅かったけどもしっかり身に付いた。
祖父が倒れてから逝くまでの5年間は家族皆が一生懸命だったと思います。
手探りで自宅介護を始めて、大変だったけどもそれが逆に
家族の絆を強くしたように思っています。(恥ずかしい言い方ですが)
まとまりがない上に長くてすいません
祖父の死に目に会えなかったことは
ずっと心にしまっていて言えなくて
ここに書いてしまいました。
じいちゃんありがとう。楽しかったよ。皆元気でやってるよ。
貴方は私の人生のファーストインパクトでした。(もちろん、プラスの意味で)
このスレをみて何度も泣きました。
私にも少し書かせて下さい・・・。
私は今年に入ってから伯父と従姉妹を亡くしました。
伯父は1月に心筋梗塞で亡くなったそうです。
私は大学に通う為遠くで一人暮らしをしています。
遠くて帰省するのも大変なので私の母が気を使って
伯父の死は知らされていませんでした。
伯父は魚釣りがとても好きで、私の父の一番上の姉の夫でした。
大学に進学してからは滅多に会えませんでしたが明るくパワフルな人でした。
伯父は魚釣りに行こうとして倒れていたそうで、
釣り竿を抱えて倒れていたそうです。
伯父の死を知ったのはなんとなく実家に電話をした時でした。
確か2月の中旬頃だったと記憶しています。
何より伯母と従姉弟二人が心配になりましたが、
母がこっちは大丈夫と言うので敢えて帰省はしませんでした。
それからほんの数日後です。
母から電話がかかってきました。
「○○○ちゃん(従姉妹の名前)が亡くなった」と・・・
信じられませんでした。つい最近伯父が亡くなったばかりなのに。
流石に今度は伯母や母、祖母、なくなった従姉妹の弟が心配で、
急遽実家に帰省する事にしました。
駅につくとそのまま母の車で従姉妹の家に向かいました。
既にその時父と祖母は従姉妹の家に居ました。
従姉妹の家に着くと真っ赤に目を晴らした伯母が出迎えてくれました。
父は黙って従姉妹の遺体の前に座っていました。
従姉妹は仕事場から実家に帰る途中事故に遭ったそうです。
高速を150`でとばしていたらしく、即死でした。
でも不思議と顔は綺麗で・・・まるで今にも起きそうでした。
遺体の前に座って従姉妹を眺めていると、自然と涙がこぼれました。
祖母が私に「孫で女の子はおまえだけになった」と泣きつきました。
居たたまれなくなり、また泣きました。
しばらくして弟の方の従兄弟(Kとします)が従姉妹の彼氏を連れてきました。
従姉妹とは付き合ってまだ4ヶ月ほどだったそうですが、
従姉妹の事を本当に良く分かってくれていた、いい彼氏でした。
伯母も母も彼の存在をとても喜んでいました。
母は私よりも従姉妹と仲がよく、従姉妹も母を信頼していました。
よく相談も受けていたそうです。
だから余計に、母には従姉妹の死が堪えているようでした。
今思えば従姉妹は本当に勘違いされやすい性格でした。
中高の頃の私にはそれが分からず、彼女を苦手だと思っていました。
でも彼女のお葬式には多くの弔問客が訪れ、彼女の人徳の凄さを感じました。
こう言っては何ですが・・・
伯父の死はまだすんなり受け入れられたところがありました。
伯父らしい死に方でしたし。
でも従姉妹の死は、どうしても受け入れられませんでした。
それは母や、伯母や、Kや、父や、祖母も同じだったようです。
親より、祖父母より早く死ぬほど親不孝な事はありません。
今は只、伯父と従姉妹が天国で幸せに暮らしているのを祈るのみです。
>>521 >当時の親父の歳をとうに越している自分が、その優しさを持っているかどうか
>考えただけで、すっげえ鬱になった
「ええかっこしい」と思っていたお父さんを理解できたんだから
あなたは大丈夫じゃないかなあ。
>俺の親父は、2chでいうとこのドキュン
本当にいいお父さんだなと泣けたよ?
あなたのお父さんをそんな風に思う奴がいたら、小一時間問い詰めて・・・
>>522 >>523 時間はかかっても
今の辛さと折り合いがつけられる時がくることを願っています。
525 :
大人の名無しさん:02/04/01 21:26 ID:Smmc9eVl
ちょっと前に書いた506です。
夫婦関係は悪い方にしか進んでいませんが、507のレスを読むと涙が出てきます。
本当にありがとう。ありがとう。
暗中模索の中でも自分の道を探したいです。
507です。 他の人も貴女のことを気遣っていて、そのことがとても嬉しかった。
私も長年、どん底に落ちたりの繰り返しで、人生丸ごと捨てたくなる。本当はすごく焦りもする。
どんなに時間がかかっても、何かをみつけたり、
色んな人の自然な優しさに気がつけたことだけは、何にも代え難いし
それを教えてくれた人にとても感謝してる。
貴女に気持ちのバトンタッチが出来たのも、そんな人達のお陰だなあ。
貴女もいつか泣きながらでも、ちょっと微笑む日がほんのいっときでもあったらいいな。
貴女の「ありがとう」にこちらこそ「ありがとう」って言いたい。
527 :
大人の名無しさん:02/04/01 23:19 ID:by4TUrvY
すみません、ここで吐き出させてください。
仕事で海外に駐在しているんですが、母から、父が癌で入院した、
との知らせがありました。
手術をしたのですが、すでに進行しすぎており全部は取りきれず、
近いうちに再発・転移する可能性が高いとのこと。
症例が少なくて断言はできないとの前置きはあったものの、最悪
半年、5年を越えた人は今まで一人もいないと医者から言われた
そうです。
頭をぶん殴られたようなショックでした。
すぐに日本に飛んで帰りたいけど、そんなことしたら父が病状に
気づいてしまう、と葛藤しています。
親って、いつも元気でいてくれるものだとばかり思ってました。
実家を出て十数年、たまにしか帰らず親不孝してましたが、
帰るたびに一緒に晩酌するのが無口で不器用な父との唯一の
交流でした。
父とはまるで違う生き方を選びましたが、人生の目標としていた
父をまだまだ越えられていないのに、初孫も見せられていない
のに、帰国したら一緒に山歩きすることに決めていたのに、と
今はただ信じたくない気持ちと後悔、そして無力感で一杯です。
できるだけ早く出張にかこつけて帰るつもりですが、父の顔を
まともに見られそうにありません…。
528 :
大人の名無しさん:02/04/02 01:04 ID:xiSx92G9
>527さん さぞお辛いと思います…。
いてもたってもいられないお気持ちでしょうか。
「親っていつも元気でいてくれるものだとばかり思ってました」
とありましたが、大抵の人はそうなんだと思います。
ですから、いざこういったことに直面すると動揺しますよね。
お仕事の関係などで帰国も簡単にはいかない事も多いと
思いますが、顔を見せることで喜ばれると思いますよ。
もしかしたら悟られてしまうかも、と心配にもなると
思いますが自然に明るい顔を見せてあげてください。
それに、今お母様も不安でいっぱいだと思いますので
心強く感じられるのではないでしょうか。
それと病状についてあまり良くないことを言われたようですが
先生にじっくり話をきいて、今後の治療についても納得いく方法
を考えられてはいかがでしょうか。
(すみません、ちょっとおせっかいですね…)
と言うのも私もすでに両親を病気で亡くしてるのですが、
すっかり医者任せで…もちろん治療自体は医者に任せるしか
ないですが、もっと病気の状況について納得いくまで話を聞いたり
民間療法といわれることも(気休めかもしれないけど)色々と
やってみれば良かったと思っているもので。
ずっとそばにいる事はできたんですが、それでも後悔ばっかりで
未だに立ち直れてはいません。
それと、今更言っても仕方ないことかも知れないけど、もう先が
長くないとわかった時におばあちゃん(母の母)に会わせた方が
良かったのかな…って今でも考えてしまうんです。
遠く離れて滅多に会うことがなかった祖母が来るとなると
母にもう長くないって悟られてしまう…そのことが気になって
会わせてあげたいという親戚の意見を最後まで無視した私ですが
実際母の気持ちはどうだったんだろう、って。
いくつになっても母と娘だし、母も自分の母親に会いたかった
んじゃないのかなって思うんです。
おばあちゃんからは今も時々ハガキや電話が来るけど、
悲しくて悲しくてずっと泣いてるって…。
母にもおばあちゃんにも申し訳なかったと思ってしまいます。
なんかまとまりのない文でごめんなさい。
529 :
大人の名無しさん:02/04/02 01:33 ID:PTqHcfeD
日付変わっちゃったな。
4月1日は昔の彼氏の命日だった。
昔も昔、10ン年も前の話なんですけどね。
彼が死んだことを認めるのがいやで、葬儀に出なかった。
未だに認めてないのかも知れない。
夢の中で、何か困ったことが起きて「どうしよう、○○。」と
傍らの彼に呼びかけるけれど、すぐに、もういないのだと
気付いて、泣きながら目が覚める。何年たっても同じ夢。
一度でいいから、傍にいてにやにや笑いながら「おう、どした?」
と返事する姿を見せたまま目覚めさせてほしいと思う。
530 :
大人の名無しさん:02/04/02 02:17 ID:zVxCtq4W
どこで母の病状を聞きつけたのか・・・・
創価学会やら政治団体やら、その他大勢がが私の家にやってきて、
『この祈りをしなさい』だの『困ったときは相談に乗る』だの
『パイウォーターがこの病気には効くからこの機械を買っては?』だの
・・・・・・
アガリクスだのプロポリスだのサメの軟骨エキスだの・・・・
母は白血病だという事で頭の中がいっぱいなのに、親切ごかしで近付いてくる奴らの多い事
今思い出しても腹立たしさと同時に涙が出る
それ以来、新聞広告等のそんな文字を見ると、
『効力のある治療法ならとうに学会で話題になってるわい』
弱者(精神的及び社会的)を食い物にする仕事だなぁ、と感じます
531 :
大人の名無しさん:02/04/02 23:35 ID:m/39gqtK
527さんへ
できるだけすぐに帰って顔を見せてあげてください。
悩むよりも行動です。
私は1月に父を亡くしました。
後悔ばかりです。
もっともっと会いに行けば良かったって。
病院で大部屋から個室にかわり
だんだんとナ−スステ−ションの前に近づき
父もきっとわかっていたと思います。
きっとおなたさまのお父様も自分の身体のことですもの
わかるつつありと思います。
どうぞする後悔は少なめに・・・。
できる孝行を・・・!
生きていてくれてるうちにできることを。
ちょっとスレと沿わないのかもしれませんが。
私が中学生の頃です。
私立中に進学しろ、と言う親の反対を押し切って地元の公立校に
進学したものの、同級生からの嫌がらせに遭い、自殺すら考えていました。
小学校の頃の友達とも疎遠になりがちでしたし、公立に進むと
言ってしまった手前、親にも打ち明けられずに思い悩む毎日でした。
そんなある日のこと、別の中学に進学した友人から電話が…。
大した用件でもないのにわざわざかけてくるなんて、といぶかっていると
彼女は電話を切る間際に「最近、元気ないんだって?」と言ったのです。
とてつもなく嬉しい一言でした。
「え、まさか。元気だよ〜」と言ってしまった自分がちょっと笑えます。
「やだなぁ、泣いてるでしょ?」
「泣いてないよ〜」
Sさん、あなたはここを見ていないでしょうし、こんな会話を覚えては
いないでしょう。電話を切った後、私は大泣きしました。
あなたのような人がいたことを忘れていたことが悲しくて、そして嬉しくて。
今でも、つらいときに思い出します。あなたがいて、本当によかった。
>>527さんへ
私も531さんに賛成です。
不遜な言い方ですが告知をしていない場合(いずれはばれてしまう事が多いけど)
身内が「隠す事」も本人が「隠している事を解っていて知らない振りをする」のも
お互いの最後の優しさなんだと思います。
親にとって子供が出きる最高の孝行は
「自分が旅立ってもこの子は立派にやっていける」と思わせる事なんじゃ
ないでしょうか?
寂しさや辛さを乗り越えて踏ん張っている貴方をみせてあげる事が
今最高の親孝行になると思います。
親御さんを安心させて上げて下さい。
534 :
527:02/04/03 01:14 ID:RF4u9gSk
>528さん
ご自身の体験、そして暖かい言葉ありがとうございます。
こらえきれず、涙がこぼれました。
今、私が責任者となっているプロジェクトが一番忙しい時期で、
帰国もままならない状態なのですが、できるだけ早く父の顔を
見たい、そして私の顔を見てもらいたい、と思います。
長男である私がおろおろしていてはいけないですね。
治療についてはおっしゃる通り、悔いの残らないよう、できる
だけのことをしてやりたいという気持ちです。
病院は某国立大学の付属で、技術については信用している
のですが、医者にとっては一人の患者でも、家族にとっては
かけがえのない存在ですよね。
先生から、納得がいくまでしっかりと話を聞かせていただき、
場合によっては父にありのままを話すという選択肢も含め、
父と私たち家族のあり方を考えたいと思います。
残された時間が少しでも長くあってほしい、かなうことならば
父が5年の壁を越える第一号になってほしいと願っています。
535 :
527:02/04/03 01:33 ID:RF4u9gSk
>531さん
>533さん
ありがとうございます。
やはりとにかく父に会いたい、そう思います。
父も病名までは知っているそうです。
ただ、手術の結果と残された時間については母も父には
話せていないと言っていました。
すべてを話すにせよ、告知しないという方法を選ぶにせよ、
長男である私がしっかりとしている姿を見せることが父に
とって一番の親孝行ですよね。
それと、できれば一度でいいから孫を抱かせてやりたい、
そう思うのですが、結婚以来ほとんど海外に単身赴任で、
子供を作ることもできないままでした。
嫁も父と仲がよく、このことをいつ嫁に話すべきか迷って
いたのですが、私が日本にずっといることができない分、
早いうちに説明して、少しでも父母を助けてやれるように
したいと思います。
もう一度言わせてください、本当にありがとうございます。
536 :
533:02/04/03 02:15 ID:9RU3fgA3
527さん
陳腐な言葉だけど言わせてね。がんばれ!
きっと貴方のシッカリした姿を見せれば
5年といわずもっと生きられる!そう思う!絶対!!
お母様もお体大切にしてあげてくださいね。
きっとお母様が一番落ちこんでいると思われるので…。
今自分勝手に泣いています。
でも今夜は527さんのお父さんの回復を願って泣きます。
ゴメンネ勝手にセンチメンタルで。でも数年前の自分の姿と重なって
泣けてしかたない。
537 :
大人の名無しさん:02/04/03 14:37 ID:cdBkZsJq
527さんへ
531です。私も長女でなにかと責任がついてまわりました。
仕事はしてないにしろ
車がないため簡単には帰れなくって。
でも全部今思えばなんとかなったって思うんです。
車なくったって電車だってバスだってある。
ようは実行力なんですよね。
御孫さんの顔が見せれなくてもいいじゃないですか!
お父さんにとってあなたがなによりです。
あなたの立派な姿を見せてあげてください。
病院でずっと毎日同じ暮らししてる人にとって
見舞いにきてくれるのが本当に嬉しいんです。
あなたが長男だったら余計可愛いでしょう。
いくつになっても子供なんですもの、親にとっては。
お早い御帰り待っております。
あなたがお父さんに会えたら周りのみんなにも
その幸せが伝わるでしょう。
その幸せから奇跡が生まれることを祈っています。
538 :
528:02/04/03 20:40 ID:q5F5RdGV
>527さん、レスありがとうございます。
海外に単身でいらっしゃるとのこと、お仕事も大変な時期とのことで
気持ちだけがせく…というか落ち着かないのではないでしょうか。
私は母の病状がかなり深刻だということを告げられた時は正直言って
仕事なんてもうどうでも良いと思ってしまいました。
自分が担当してる仕事もあったけど、私じゃなくても良いんじゃない?
仕事の代わりはいるけど母はただ一人だけだもん…と。
ただ内心そう思っても現実にはやはり担当してる仕事のこと、同僚の
ことを考えると途中で投げ出すわけにもいかず…
(社会人にとっては当然かもしれませんが)
でもとても平常心でいられなく、上司・同僚には病状、自分の気持ちを
全て話しわかってもらい、協力すると言って頂きました。
それと、父の転勤の為に親戚がまわりに一人もいない状況だったため、
私達姉妹ではあまりに心細くて、友人にも苦しい胸の内を聞いてもらって
精神的にずいぶん助けられました。
友人達は「○○が良いらしい」「△△が効くらしい」と言っては手に入れ
てくれたり、私達の体のことも気遣ってくれて心からありがたかった…。
(父の時は私達に余計な心配をかけまいとした母が一人で苦しんでたんだ
、とその時実感して、母の支えになってやれなかった事を後悔しました。)
…また長くなってごめんなさい。伝えたかったのは527さんが一人で
苦しい気持ちを抱え込まないで欲しい、ということなのです。
病気と戦ってるお父様がお辛いのはもちろんですが、そばで支える家族も
これから長く不安な日々が続くと思いますので、くれぐれもお体を大切に
なさって下さいませ。
そして、お父様の一日も早い回復をお祈り申し上げております。
539 :
527:02/04/04 05:47 ID:9lAPB+EG
皆さん、ありがとうございます。
いつかは…、と漠然と思ってはいても、身内を失うということに
ついて、無意識のうちに考えることを避けていたような気がします。
このスレッドに書き込ませていただいたのは、動揺してしまい、どう
したらよいかわからなくて、ただ心の中をどこかでぶちまけてしまい
たいという気持ちからでした。
そして、皆さんからたくさんの励ましやアドバイスをいただき、父の
病状を聞いたときとはまた別の涙を流しました。
お顔も存知あげない方々が、父のために祈ったり涙したりしてくだ
さったということがすごく不思議な気がして、しかしとても嬉しかった
のです。
これから私たち家族は父の病気と向き合って生きてゆきますが、
どうか皆さんにいただいた不思議な力が守ってくれますように。
そして、このスレッドの心優しい皆さんに幸せが訪れるように
感謝の気持ちで願っております。
540 :
大人の名無しさん:02/04/05 16:09 ID:5m/80+aY
この間嫁さんとささいなことでケンカになった。
あまりに頭にきたので、俺は嫁さんの肩を強くどついてしまった。
今まで手をあげた事は一度もなかったんで「あ、しまった」と思った瞬間、
彼女がしゃがみこんで動かなくなっちまった。
「ごめん、痛かったの?」と聞いても返事がない。よく見ると手をガクガク
震わせて「怖いよぅ、怖いよぅ・・・」とおびえきってる。
明らかに様子がおかしくて声をかけても反応しなくて「いやだよ、パパ。殴るのいや」
「ママどこ、怖いよぅ」と泣きながら震えている。まるで小さな子供みたいだった。
俺が「大丈夫だから!お父さんなんかいないだろ?」と体を引き寄せると絶叫して
「ごめんなさい!パパごめんなさい!殴らないで!殴らないで!」と泣きじゃくる。
それでも1時間くらいだろうか、暫く手をがっちり組んで抱きしめてたら、泣きつかれて
眠ってしまった。
眠りから覚めると嫁さんは正気に戻っていて、子供の頃から酒が入った義父にひどい
暴力を受けていたこと、それがトラウマになってパニックを起こすようになった
ことを話してくれた。ずっと黙っていてごめんなさい、とも。
でもこれで彼女が一滴も酒を飲まないことも、結婚した時「暴力のない家庭にしようね」と
わざわざ俺に言ったことも納得できた。
それなのにささいな事でどついてしまった自分の不甲斐なさと、
彼女の受けてきた痛み、「もっと義父を大切にしろよ」と何も知らずに
言ってた自分が情けなくて涙が出た。
こらえようとしてもしゃくり上げちまって、傷ついたのは嫁さんなのに
彼女にしがみついて嗚咽した。嫁さんも「ごめんね、ごめんね」と
泣きながら繰り返す。
俺は泣きながらもう絶対にこの人を傷つけまいと誓った。
540さん
今回のことは辛いきっかけになってしまったと思いますが、
540さんを信頼なさっているからこそ
奥様はそれを打ち明ける勇気が出たのではないでしょうか。
奥様に540さんの誓いは届いていると思います。
542 :
540:02/04/05 23:13 ID:5m/80+aY
>541さん
そう言っていただけると・・・。ありがとう。
嫁さんはあの後しばらく俺がちょっとでも強い調子で何か言うと、ビクッと
身構えるようになってしまいました。俺がただ抱っこしようと手をのばした時でさえ・・・。
以前は口げんかしても絶対引かない位気の強いやつでした。
でも彼女の傷が簡単に癒えないことは分かってます。
俺が何とかしてやりたい、って思っています。
543 :
大人の名無しさん:02/04/06 00:55 ID:2Gq7h+r0
>>540さん
チョット前のTVでやってたんだけど「赤ちゃん返りさせる治療」見ました?
何処かの大学教授が行ってる治療なんだけど
子供の頃に得られなかった本当の安心感や愛情を子供に返って体験させる
って方法でした。
あそこまで普通は出来ないけど二人っきりの時は子供のように
思いっきり甘えさせてあげる。
そうするとどんな事が有っても貴方だけは味方だという事が確認出来きて
良い方向に進むと思います。がんばってね。
544 :
大人の名無しさん:02/04/06 02:28 ID:VkZWP1Zj
>>540さん
奥さんがいままで見せていた姿は強がりだったんだね。
540さんが後悔している行動は、きっと奥さんの突破口なんだよ。
時間はかかるかもしれないけれど、辛抱強く待ってあげてほしい。
540さんという人が、すべてを委ねても信頼に足る人だと分って
もらえるまで。
勝手なことを言ってごめんね。本当にごめんなさい。
つい、奥さんがうらやましかった。
545 :
540:02/04/06 13:09 ID:uGp+fx8i
レスくれた方々ありがとうございます。正直こんなに真剣なレスもらえると
思ってなくて・・。長い時間かかってもちゃんと嫁さんと向き合っていきます。
>543さん そうですね。父親代わりといっちゃ何だけど、ここに絶対味方が
いるって分かってもらいたい。「赤ちゃん返りさせる治療」、参考にしたい!
本屋行って探してきます。
>544さん 突破口、とは考え付きもしませんでした。そんな前向きな考え方俺一人
じゃ絶対出来なかった。そんな捕らえ方の出来る544さんが俺はうらやましいです。
546 :
大人の名無しさん:02/04/06 13:46 ID:Mr4YXy/Z
>>540さん
私の場合は男女が逆ですが、
>>543さんの言ってるテレビ番組みて
思い当たる事が多々ありました。
赤ちゃん返りさせる治療は「思い残し症候群」に関するものです。
googleでワード検索すると一杯出てきます。
蛇足ですけど、本の帯の文句はは気にしないで下さいね。
540さんの奥さんは恋人選びを間違えなかった幸運なケースだと思います。
547 :
:02/04/06 15:58 ID:y0Qod1mc
良い旦那さんで正直ウラヤマスィ
548 :
大人の名無しさん:02/04/06 21:34 ID:fM1bNrYL
ほんと羨ましい。
私も旦那にトラウマのすべてを吐き出したい。
受け止めてもらえるはずないと判ってるから、辛い。
549 :
大人の名無しさん:02/04/07 12:22 ID:W+t2Jo5E
去年の今頃に突然自宅で倒れた。
担ぎ込まれた先の病院で聞かされたのは急性骨髄性白血病という診断だった。
即座に入院することになったが、実家の両親や兄弟とは折り合いが悪く
結局連絡をせず数ヶ月病院のベッドで過ごしていたところ、
ある日どこから聞きつけたのかとうとうお袋が見舞いに来てしまった。
「なにしにきたんだよ」
口をついて出てきたのは悪態だった。正直会いたくなかった。
実家をでてから既に5年くらい。
その間一度も会っていなかったし、もう会う気も無かった。
だけど、俺のそんな物言いを聞いたお袋は、俺の手をとるとただ大声で泣き始めた。
わめくように何か言っていたが、それはほとんど聞き取れなかった。
なのに、何故かお袋が何を言いたいのかよく解るような気がした。
そして、俺も泣いた。
ガキの頃もほとんどお袋の前で泣いた記憶が無かった分、思いっきり泣いた。
色々な話をして何度も何度もお互いに謝って…。
あれから半年ちょっと。
俺は大分回復して今では自宅に戻っているが、お袋も一緒にこちらに住むことになった。
再発がありえるのでまだ安心はできないが、何故か幸せな満足感が今ある。
負けられない。寝床に横たわったままお袋の背中をみると、そう思う。
絶対に。
550 :
549:02/04/07 13:22 ID:W+t2Jo5E
あ、ごめんなさい。他板からリンクで飛んできたので板確認してなかったです。
30代限定板だったんですね。俺はまだ20代前半……。
551 :
:02/04/07 13:27 ID:JX4ey87P
まだ若いのに大変な病気になっちゃいましたね
でも回復傾向との事でなにより。
お母さんとは確執みたいなものがあったのかな?
でも、生きているうちに打ち解けることができてよかったですね。
親
し 孝
た 行
い
親 時
は に
な は
し
圖
∩_∩
( ´Д`)
( )
553 :
549:02/04/07 14:40 ID:W+t2Jo5E
>>551 ありがとうございます。
確執は母とというより、父とありました。
見栄っぱりで嘘つきで毎晩のように飲んでちょっとしたことで怒って暴れて…と、
どうしようもない父で、またその暴力から庇ってもくれなかった
(と、当時は思っていた)母まで嫌いになっていました。
そして中学を出てしばらくした後、ある程度の収入の道を確保してから家を出て
それっきりだったのですが、母にしてみれば
それがどれだけ心配をかけたことだったのか…今ではかなり反省しています。
もっともこの件の後、一度自宅ではなく実家に戻った私を
「邪魔だ早く出ていけ」と言った父とは
うち解けることなどできませんでしたが…。
思えば、あんな父と一緒に数十年過ごしてきた母に私は何も孝行してません。
必ず病気を治して母に何かしてやろう。今はそれが目標です。
そしていつかここに、堂々と来れる年令になれるよう頑張ります。
554 :
551:02/04/07 14:53 ID:JX4ey87P
>553
うちも似たような感じでしたよ。
まぁすでに両親は小さいときに離婚してたんだけど
私が母親を捨てて父親のところに行ったのが13歳
父親を捨てて(捨てられて?)自立したのが16歳
父親とは打ち解けることは今後ありえないと思うけど
母親とは自分が結婚して子供生んだりしたら
会いに行ったりしようと思ってた。
散々苦労させて悲しい思いをさせたまま3年前に
一人ぼっちで死にました。
失う前に気付くことができて553さんはある意味ラッキー
治療頑張ってください。
555 :
大人の名無しさん:02/04/07 15:36 ID:NQsss1Rw
549さんへ
生きる目的をもった人は強いよ!
がんばって今までの分までも親孝行して
自分も束縛から開放されるように向かってくださいね。
若い時期に病気も親に対する気持ちも
気がついてよかったっていつか思えるように・・・。
定期age
557 :
大人の名無しさん:02/04/09 11:03 ID:qaiIyqj+
558 :
大人の名無しさん:02/04/09 12:17 ID:LjKIuAWa
ん?「子に勝る親心」だと思っていたが?
今まで勘違いしていたのかぁ?
559 :
557:02/04/09 13:06 ID:qaiIyqj+
>>558 安政の大獄でつかまり獄中にいるときに母親から手紙が届きました。
その時に読んだ句が
「親思う心に勝る親心 きょうの訪れ何と聞くらん」
子供が親を思う心よりも、親が子供を思心の何と深いことであろう。
560 :
557:02/04/09 13:10 ID:qaiIyqj+
スマソ自己レス
by 吉田松陰
ね。
561 :
大人の名無しさん:02/04/09 14:10 ID:oec9EH/z
つぼイノリオ「吉田松陰物語」
562 :
558:02/04/09 23:28 ID:LjKIuAWa
557さん
有難う!
恥〜。。。一つおりこうになったよ!
恥かしいのでsageとくわ(W
良いスレなので、あげ。
564 :
大人の名無しさん:02/04/10 14:08 ID:ORFCqhxA
主人宛に「忌明け」の挨拶が届きました。
同封された挨拶状を見ると、故人の家族4人(父・母・娘2人)の名前が並んでいました。
主人に話を聞くと、家族で車に乗っていたところを酔っぱらい運転の車に衝突された
とのこと。
私自身はまったく面識のない方達ですが、やりきれない気持ちでいっぱいになりました。
残されたご家族の心中をお察し申し上げるとともに、4名のご冥福を祈っています。
565 :
シリカゲル:02/04/10 17:38 ID:veZFwXdN
566 :
シリカゲル:02/04/10 17:51 ID:veZFwXdN
まぁあれだ。中年期の鬱は手におえない。
567 :
大人の名無しさん:02/04/11 00:02 ID:xqZNxAEn
17歳の春に、祖父が逝った。
気分屋で頑固で軍人気質の抜けない人で、祖母はだいぶ苦労したらしいけれど
孫には無茶苦茶に甘いじいちゃんだった。
寺からの帰り道、1コ上の従姉のKちゃんが言った。
「せめてうちらがお嫁にいくまでは、生きとってほしかったよね…
きっと、すっごい豪華な式させてくれたよね『一番いい花嫁衣装』で」
『一番いい』というのは、祖父の口癖だった。一番いいものをくれ。
一番高いものを買い与えることが愛情と勘違いしていた節のあった祖父が
私たちを連れて買い物に行くときの。
「そうだね」って答えて見上げた空が、すごく青かったのを覚えている。
涙をぽろぽろ零しながら、家までの道のりを黙って歩いた。
568 :
567:02/04/11 00:03 ID:xqZNxAEn
(続き)
祖父の死から6年。私の結婚が本決まりになった夏に、祖母が倒れた。
一時は結婚式まで保たないんじゃないかなんて言われたぐらい悪かったのに
奇跡的に持ち直してくれた。結婚式に出られるほど回復はしなかったけれど、
旦那を連れて挨拶に行った時にはすごく元気だったし、後で送った写真も喜んでくれた。
それからの祖母は入退院を繰り返し、時々危篤になったりもしながらそのたび
医者も驚く回復を見せて、親族一同冗談まじりにばあちゃんは
実は不死身なんじゃないかと囁きかわしてさらに9年経った春先、Kちゃんが結婚した。
やっぱり結婚式に出られるほどではなかったけれど元気ですごく喜んでいた。
ところが、Kちゃんの式の2週間後。Kちゃんが新婚旅行から戻った直後、
祖母の病状がいきなり悪化。あっという間に帰らぬ人となってしまった。
祖父が逝ってから15年と2日めだった。
火葬場で、Kちゃんと話した。
「じいちゃんのお葬式で話したこと覚えてる?」
「うん。じいちゃん聞いてたんだよ多分。KとR(私)の花嫁衣装見届けるまでは
来るなってばあちゃんに言ってたんじゃないかな…」
「勝手だよねぇ、自分はさっさと死んじゃったくせにさ…」
そう言って、笑いながらまた泣いた。
見上げた空が、15年前、じいちゃんを送った時と同じぐらいに青かった。
だから春先の晴れた日には、つい祖父母を思いだして少し涙ぐんでしまう。
569 :
大人の名無しさん:02/04/11 03:29 ID:ay3PgjV+
小学生の作文でも、賞貰うのは大体「親族の死」やら「病気」についてだな。
・・・んで?ここの人達は同情して貰いたいのか偽善に満ちた励ましが欲しい
のか、どっち?
俺のお袋も9歳でくたばってから1年経たないうちに親父が自分の性欲の為に
DQNババァと再婚して、そのババァにろくでもない目に遭わされたが?
でも今までそんなことで同情買おうと思ったことは1度もないぞ?
軟弱なんだねぇ・・・。
矛先が違ってないか?
軟弱な俺たちのためにも、ここは素通りしてくれまいか・・・
強いあんたならそのくらいできるよな。
噛み付いたり、吠えたりしないよな。
571 :
369:02/04/11 05:20 ID:ay3PgjV+
>>370 ああ。もう来ないと約束する。
ただあんまりグジグジしてるから言ってみただけだ。
「人間死ねば地域にもよるが炭酸カルシウムになるだけだ」
ってのを9歳で知ったせいかな?我ながら歪んでると思うが(藁
>>571 >「人間死ねば地域にもよるが炭酸カルシウムになるだけだ」
あなたの場合だけはその通りかもしれない・・・
573 :
大人の名無しさん:02/04/11 14:38 ID:LwuUKmUx
>>569&571
お母さんを9歳で亡くしてDQN継母に虐められりゃ歪むだろうね。
強がって生きなきゃいけなかったんだろうね。
素直に泣けない自分が悔しくてわざわざ噛みつきに来たんじゃないの?
私、あなたが可哀想な人だと思うよ。同情ってんじゃなくね。
どーでもいいけど、レス番間違ってるよ…
574 :
195 ◆ApGKf56Q :02/04/11 15:27 ID:jhwgtX1t
>>569 そんな貴方の生い立ちに同情します。
人間、イイことは必ずありますのでがんばりましょう。
ご両親を反面教師になさって、お子様にはいい教育をしてあげてください。
不幸の再生産はなさらないで下さいね。
北風と太陽
575 :
大人の名無しさん:02/04/11 17:10 ID:82yIYuVg
うぅ〜。みんな優しいね流石30代だ。
>>569さんのようなレスには
普通「回線切って氏ね」とかのレスが付くのにね。
とくに
>>570さんのスマートな切り返しには泣けた。
大人だって強がっていても吐き出したい時あるよね
そのためにこのスレが貴重なんです。
>>569さんももしどうしても我慢できなくて吐き出したい時は
ここにいらっしゃって下さいね。
明日を生きるためにpcの前で号泣してストレスを出すのも
たまにはいいんじゃない?
576 :
大人の名無しさん:02/04/11 17:50 ID:ntXwl293
>>569 まぁ、似たような境遇だ。俺の場合は10歳で両親を亡くし(交通事故)、
おばぁちゃんに育てられたからなぁ、ろくでもないめには合っていないが。
でも、正直言って、学校の行事ごとの時は同情して欲しかったよ。
だって、修学旅行代なんて無いんだもん(泣)
おばぁちゃんも生活保護を受けているぐらいだったから、とにかく貧乏だった。
577 :
大人の名無しさん:02/04/11 17:56 ID:NrLh6knA
私の父は私が11歳の時に自殺しました。父は昔から母に「今から死ぬ」と数回電話をしてきては
母が幼い兄と私の手を引いて父を迎へに行ったと、最近になって母が教えてくれました。
父はよく私に「お父さんが死んだらどうする?」と聞いてきていましたが、私は「お父さんは死なへん!」
と、言ってはその場から逃げるように遊びに行ったのを覚えています。
そして、父がなくなってから初めての父と母の結婚記念日に母が掃除をしていると、普段はめったにあげないベットをあげて見ると、
ベットの下に1つのノートがありました。
それは、父の遺書だったんです。その遺書には私あてもありました。
「お父さんみたいな男と一緒になるな。そして、ごめんな」と・・・
でも、今では恋愛する相手はみんなお父さんに似てるよ。お父さん大好きです。
友達は「おとうさんなんか嫌い」って言うけど、それなら私に頂戴!!って言いたかった!
お父さん・・・会いたいよ・・・声が聞きたいよ・・・夢の中でもいいから抱っこしてほしい・・・
もうすぐ父の18回忌です。
自己満足な文でゴメンナサイ。レス違いでもあるかな。
578 :
クマちゃん:02/04/11 18:00 ID:aRAn5OK7
579 :
577:02/04/11 18:20 ID:NrLh6knA
レス違い→スレ違い です
スマソ--;
580 :
大人の名無しさん:02/04/11 21:23 ID:qrFHq403
最後に嗚咽したときのことを思い出しました。
今から数年前、中学高校と同じ柔道部だった友人の墓参りに行ってきました。
ちょうど実家の方で友人の結婚式があり、そのついででした。
そいつは大学3年の時、交通事故で死にました。お互い高校を出たあとは県外にでたため、異境の地での出来事でした。
実家の方にはほとんど戻っていないのですが、戻る機会があればいつも墓参りに入っていました。
ただその時は、そいつの両親の元を尋ねて行きました。
その家に行くと、何かバタバタしている。その時気づいたんですが、その2日後が七回忌だったんです。
母親が出てきてすぐには気づかなかったようですが、名乗るとすぐに判りました。
そして仏壇の前に通され、焼香をし話し始めた頃から自然と涙が溢れてきました。
「先日H宛に高校の友人と名乗る人から電話があったが、死んだことを告げると、すぐ切ってしまったんですよ。もっと話がしたかったんですけど。」
「7年も経つと、こうやってきてくれるのはあなただけですよ。」
さらに涙が溢れようとします。
涙を必死にこらえるながら、昔のことが思い出されます。
中高と同じ部活だったんですが、高校で主将となった私は、インターハイに出るには厳しくしなければならないなどと思い、ほとんど暴君状態でした。
いばりちらし、うるさく言いまくる。私は部員とは対立し、孤立しました。
副主将だったそいつとは、中学から同じだったこともあり、特にその傾向は強かったです。
そのころはそいつが悪いと、本当に思っていました。
私よりずっと才能はありました。しかし怪我に泣かされ、高校で大きく伸びることはありませんでした。
今にして思うと、才能に嫉妬していたのかなとも思います。
実際こんな仲でしたから、葬式の時には涙は出ませんでした。
ただ「死んだんだな」という感じでした。
しかしその時は涙が止まらなかったです。
ちょうどそのころ私は、起こした会社がいろんな人に助けられて、軌道に乗り始めた頃でした。
やっと落ち着いて周りが見えるようになっていました。
そうすると急に自分はなんとひどいことをやったんだろうと思いました。
そいつのわずか二十数年の人生において、自分はどれほど不愉快な思いを与えただろうと。
葬式の時弔辞を読んだのは私です。主将ということで読んだのですが、本当にそれでよかったんだろうかと。
それ以上に、Hの人生で最も嫌な思いをさせたのは私かもしれないのに、よく来てくれたと感謝してくれる母親の話を聞くと嗚咽は止まりませんでした。
もしそいつが今生きていれば、指導的立場になって柔道界に貢献していたでしょう。
私にはそいつほどの才能はありませんが、それ以降地元で積極的に参加し指導を行うようになりました。
また、大会があるときは努めて裏方として参加しています。
最後に一言。
本当にすまなかった
ふと思ったのだが、569=571は何気にいい奴ではないかと。
悪意が感じられないんだよなぁ。
言葉遣いに「煽り」めいたものを感じる人も多いと思うが
引き際もわきまえてるし・・・
正直、「この場面で泣けなきゃ俺は人として失格か?」なんて、くだらないことを
考えながら涙を流したこともある。つくづく情けないと感じた。演じる自分に
嫌気がさした。一人のときでさえ繕おうとする俺は心無い人間かも・・・
飲食店で働いてる。
かなり年取ったじじ、ばばと、その息子が飯を食いに来た。
じじばばは、恐らく7〜80歳以上だろう。息子も俺のオヤジよりも年食ってる。
支払いのときに財布を取り出した息子を制して、背中が曲がって、小さくなった
ばばが「いいから、こっちからとって頂戴」と古い巾着を下の方から差し出した。
幾らかの小銭と折りたたまれた千円札が入ってた。お釣を巾着に入れ、
見下ろすようにばばに渡した。小さいばばは、息子に「ちゃんと食ったか?」と。
じじは無言で後ろに立ってる。
軽く支えられるようにしてばばとじじ、その息子は帰っていった。
どうってこと無いよくある風景。なのに胸があつくなった。
後何年、生きていられるんだろう?どうして、老いて、そして消えていくんだろ?
今更ながら子供のような疑問が湧いてきた。
俺が仕事に行くときにお袋は、いつも同じことを言う。
「にいちゃん、忘れもんないか?ハンカチ、ちり紙もったか?」
生意気盛りの娘がからかう。
「パパのこと、にいちゃん!だって!!へんなのぉっ」
いつの間にか36だよ、俺。でも、ずっと「にいちゃん」と呼ぶ人を失いたくない。
せめてうちの親だけは・・・なんて無理を願ってる。
スレ違いか・・・ごめん
582 :
大人の名無しさん:02/04/12 20:14 ID:bXF1gZPh
そう・・・
親は大事だよ。
今一緒に住んでないから死んだって私の生活は変わらない。
そう思ってた・・・。
でも実際は全然だよ。
もうすぐ100日法要。
私はいつまで泣きつづけるんだろう。
本気で下よし子さんとか宜保愛子さんとかにお願いしようかと
思うくらい。
もう1度だけでいいから会いたいよ。
せめて親不孝を謝りたい。
ここはいつもは見ているだけだったのですが、今日は初めて書き込みさせていただきます。
会社で読まなくてよかったです。
今、涙が止まりません。声を殺して泣いています。
隣の部屋の妹に聞こえないように…。
私が12歳、妹が5歳の時に両親が離婚しました。原因は父の暴力です。
私は母に、妹は父に引き取られました。
小さな時から父の暴力の標的になっていた私は暴力から解放されましたが
今度は母の再婚相手からの性的な嫌がらせの標的になりました。でも、私はいいんです。
ところが今度は妹が父の暴力の新しい標的になりました。
あの父との生活はどんなに恐ろしかったことでしょう…。
小学校にもあがっていない子供が、夜中に何キロも離れた交番に助けを求めて
逃げ込むなんて…。
結局、父に養育能力はないということで妹は施設に入りました。
本当はすぐにでも妹を迎えに行きたかったのですが、母に渡すくらいなら
お前らみんな殺してやると言うような父だったのでそれはかないませんでした。
そして数年後、妹が一時帰宅してみると部屋から異臭がして…
多分とんでもない光景を目撃したと思います。暑い…夏でしたから…
引き取った時、妹は
>>569さんが
>>571でおっしゃったようなことを言っていました。
実際、それまでは私も言っていました。でも妹が言うのを聞いて何ていうか…
心が痛かった、こんな風に強がらないと生きていけなかったのかと思うと不憫で…
…と、同時に自分のことも見つめ直せるようになりました。
私たちは一晩中、自分たちの受けた傷を話し合って泣きました。
話すことによって癒されることもあると思います。
このスレに書き込むことによって、レスを読むことによって少しでも心が
軽くなれば、ここは存在価値があるのでしょう。
>>569さん、もしまだ見ていたら…あなたも何か書き込んでみませんか?
自分史でもいいし、人に付ける優しいレスでもいい。
だから、そんなに自分を傷つけないで。
584 :
大人の名無しさん:02/04/13 02:04 ID:KACBl8Ma
このスレッドはいいですね。
失敗したり、弱みを見せたりすると傷口に塩を塗ってこれでもかと
たたきのめす人が多い中、ここだけは人間らしくなれますね。
今までもとてもいいカキコが一杯有ったけれど、
163をロムしてからはハムたろうと見聞きすると
>6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
が思い出され、たまらなくなります。
大人になっているうちの娘も同じ様に小さかった時があるから、
亡くなられた娘さんが舌足らずで唄を歌っていた
情景が目に浮かんで来ます。
離婚という事だけでも辛い目にあっているのに、
その上に小さい子を亡くしたら、神も仏もあるものかって思います。
でもここにカキコされた事で、見ず知らずも私のような者でも
お嬢ちゃんのご冥福を祈っています。
585 :
大人の名無しさん:02/04/13 02:21 ID:KACBl8Ma
584です。
583を読んでなかったので、トンチンカンなレスになってごめんなさい。
>>585(534)
気にしないでいいと思うな・・・・
あのハム太郎を歌ったお嬢さんの話はよく覚えてるし、
ハム太郎を見るたびに、あれを書いたお父さんとお嬢さんのことを思い出すから。
>>583さんと妹さんの傷が少しでも癒えることを願っています。
ただ 過去の事をどうしても書けない人(時期?)もいると思うから
薦めないであげる方がいいこともあるかな?なんて感じました。
583さんが優しい労りの気持ちを持って言ってるのはわかってますよ。
責めてるように聞こえたらごめんなさい。
587 :
583:02/04/14 01:28 ID:OitQVID9
一晩たって読み返してみたら、恥ずかしくなってしまいました。
なんて自己満足で独り善がりな…って
>>586さん
責めてるだなんてとんでもない!
私の方こそ配慮が足りませんでした。余計なことを書いてしまったと思っています。
それよりも、私を傷つけないように気を使って書いていただいて恐縮してます。
ありがとう
588 :
大人の名無しさん:02/04/14 15:09 ID:3QygAh1k
ageます
589 :
大人の名無しさん:02/04/16 14:58 ID:Ss97TRor
こんなイイスレ下げとくのはもったいない・・
上げさせていただきます。
590 :
大人の名無しさん:02/04/17 14:37 ID:TPUyIJWO
私もこのスレ大好きです。
私は「命にかかわる病気」という程ではないのですが、首の骨の周りの筋が徐々に骨化するという
特殊な病気で、将来首から下の神経が麻痺するらしいです。
今の所、手の痺れなんかも無いので、特に不安という事もなく過ごして来ました。
私には、4歳になる娘がいます。
このスレを読んでから、この子と過ごす時間が本当に大切なものになりました。
いっぱい手をつないで歩こう。
いっぱい抱っこしよう。
いっぱいお出かけしよう。
麻痺する瞬間が来るのであれば、その瞬間に絶対後悔しないように。
591 :
_:02/04/17 14:54 ID:0S6dSDEc
>>591さん
??ここそんなに荒れた事ないよ。
みんな大人の対応できるから
一応sageとくけど。
前に、ここの
>>205で書かせていただいた者です。
こんな段階で報告していいのか分かりませんが、
もう嬉しくて嬉しくてたまらないのでちょっと書かせて下さい。
生理が遅れて産婦人科に行った所、現在妊娠7週目だそうです!
超音波で心拍も確認できましたし、エコーで赤ちゃんも見られました。
めちゃ頭でっかちでしたけど(w
もう正に二頭身。まぁ7週目では二頭身ぐらいなのが普通らしいですが…。
ともかくけなげに私の中で生きててくれてます。
忘れ物を取りに行った赤ちゃん、ほんとに戻ってきてくれました。感涙。
もうなんて言っていいか…文字じゃ表現できないくらい嬉しい!
今回は私の体の問題(どうも流産しやすい子宮?の形+
体質的な物+これを逃したら恐らくもう普通の妊娠・出産は不可能 by主治医)
な事情があって、
安定期まで入院する事になりました。丁度今日の朝の10時から入院です。
でも赤ちゃんのため!絶対安静で、無事産める事を祈りつつ入院してきます。
スレの趣旨とは違うと分かっていますが、とりあえずご報告させてください。
スレ違いスマソ。頑張ってきます。
でも、しっかり入院グッズの中にはノーパソ&携帯(藁 おいおい…ですね。
*無事産めたらまた報告してもいいでしょうか?ただでさえスレ違いなのでウザイなら止めますが…。
ごめんなさい。なんか文が変ですね。逝ってきます。
よかったね。
元気で生まれることを祈ってます。
205さんの書き込みの後でこれ書くの辛いんだけど・・・。
1年前 中絶手術を受けました。
三人目の子供は苦しい、と 夫婦で意見がまとまったから。
私が妊娠してた事を知っていた子供達には、
「あかちゃん いなくなったの。ごめんね」としか言えなかった。
三ヶ月くらい経ってから 長男の国語の教科書に落書きがしてあるのに気付きました。
空いっぱいに子供達が飛び回ってるイラスト。
一番高く お星様まで届いている男の子の脇に たどたどしい字で
「みつや」って・・・・
「三人目だから『みつや』って名前にしよう」
「まま みつやさいだーが好きだしね」
ごめんなさい
ごめんなさい
殺してしまってごめんなさい
あなたたちの思いを殺してしまってごめんなさい
205さんへ
「私が産めなかった分まで」なんて都合のいい事は言いません
どうぞ 御無事で
元気な赤ちゃんを産んでくださいね。
心からお祈りしています。
205=593さん、おめでとうございます。
よかったね。ご無事なご出産をお祈りします。
596さん、心の中の辛いことは、ここにどんどん
書いちゃえばいいです。
忘れられないだろうし、辛いでしょうけど
ご長男のように素晴らしいお子さんを育てたのは
あなただってことは忘れないでね。
>596 産めないのがわかっているのに、子作りするなんて卑怯な事、
もう二度としないでください。ましてや子供たちにそれを知られて
いながら中絶するなんて。
私は3人兄弟で育ちましたが、あるとき母の婦人科検診の問診表を
偶然見てしまい、母が中絶していた事を知りました。母は私がそのことを
知っていることを知りませんが、4人目はあきらめた、と言っているのを
聞いて、中絶したのは4人目の子供だろうと思いました。それから、私は
4人目の弟か妹か、供養もされず私たちの幸せのために産まれてこなかった
赤ちゃんの事をいつも考えてしまうようになりました。そして、私に
子供ができないのもその赤ちゃんの犠牲のせいかもしれない、とも
考えています。その赤ちゃんの犠牲のおかげで幸せな私が、これ以上の
幸せを願う事は許されないような気持ちにもなるのです。
あなたのした事はあなただけの罪ではなく、将来お子さんたちが
背負ってしまうかもしれない罪なのです。責める事はできないけど
もう二度と繰り返さないでください。
599 :
大人の名無しさん :02/04/18 16:41 ID:xNNVFz/V
>598 そして、私に
子供ができないのもその赤ちゃんの犠牲のせいかもしれない、とも
考えています。〜
あなたのした事はあなただけの罪ではなく、将来お子さんたちが
背負ってしまうかもしれない罪なのです。
アナタに子供ができないのは気の毒だと思うが、↑については被害妄想。
ついでにひどい言い方させてもらえば「子供がいない人特有の思考回路」。
産めないのがわかってて子作りする・・・なんて言い回し、一人でも
子供育てたことのある(産んだ、じゃないよ)人にはできないよ。
>596さん
辛いよね。
文章だとああなっちゃうけど、ホント辛かったと思う。これからもね。
なんて言ったらいいか言葉が見つからないけど、気持ちわかったから。
ティッシュのストック無くなったんで
マツキヨまで買いに逝ってきます・・・
避妊の失敗なんだか、欲しくなって作ってやっぱ生めないと思って
堕胎したんだか知らないけど、自分に酔ってるようにしか思えんが。
子供達に早々と妊娠を告げた後に中絶するというところを見ても
ちょっとなに考えてるんだろうとしか感じられん
10代の子供じゃあるまいに。
>>596です。レスありがとうございました。
>>598さん
>>601さん
全くおっしゃる通りです。何も返す言葉もありません。
お寺に頼んで供養頂いて それで私の罪が消えた訳ではないと思っています
毎年毎年あの日が来る度に思い出さなくてはいけないです。
>>597さん
>>599さん
こんな事親にも話せずずっと心の中で重く固まっていました。
読んで頂きありがとうございました。
暖かいお言葉ありがとうございました。
603 :
大人の名無しさん:02/04/18 17:38 ID:Rs/kebC0
別れた旦那の祖父の家は田舎の山奥にあった。
80過ぎの祖父母と、闘病中の60代の叔父の3人で暮らしている家だ。
祖父は体が不自由で、静かな暮らしだった。外の風景を見たり、絵を描いたりしていた。
祖母は幸い元気だったので、夫と息子を支えていた。
ここに行くと心が洗われる様で私は大好きになり、可愛がってもらった。
おじいちゃんは会えない時、よく手紙をくれた。
おばあちゃんは大切に育てた野菜を丁寧に包んで送ってくれた。
祖父母を小さい頃に亡くしている私は、本当の孫のように甘えた。
数年後、旦那とは別れてしまった。
もう、あの山の家にも行きにくくなり、最後に会った祖父母は
冬の初め、縁側で不自由な体で、いつまでも手を振ってくれた姿だ。
突然、別れた旦那から電話があった。
「火事になって・・・亡くなった・・・」
雪の降る夜、暖房器具をつけて寝ていた時、布団に燃え移り
叔父は体が不自由な為、布団でうずくまり、祖母は玄関で倒れていたそうだ。
古い日本家屋なので跡形もなく燃え尽きていたそうだ。
祖父は入院中で助かったが、未だに事実を話せないでいる、と。
悔やんでも悔やみきれない思い、何か出来る立場にもないもどかしさ。
涙が止まりませんでした。
連休に娘とひっそりとあの山を訪ねに行きます。
>>596も
>>598 もそれぞれに辛いんだよね。
どっちも辛い最中を一生懸命生きてるんだから責めないであげようね?
お願いです。
605 :
大人の名無しさん:02/04/18 19:03 ID:2gnp0sQo
まだお父さんの事を思い出すだび心が痛い
笑ってお父さんの話が出来るようになるには
まだ時間が足りないみたいだから・・・ゴメンね
606 :
大人の名無しさん:02/04/18 19:10 ID:dgkL9EvD
599さんに一言、「子供が居ない人特有の思考回路」て
いいすぎですよ。
貴方の幼稚な思考回路こそ反省しなさい!
607 :
大人の名無しさん:02/04/18 19:11 ID:nTJQx8MT
父を肺がんで亡くしました。
海外に単身赴任している3年間のうちに病魔に蝕まれたらしいです。
帰国したときにはもう末期で、手の施しようがありませんでした。
気丈で、一度も痛いとも辛いとも言わず、たった2ヶ月の闘病生活で
逝ってしまった父。
1ヶ月後、元の職場から船便で父の私物が送られてきました。
私には読めない外国語の書類、懐かしい父の匂いのする衣類などなど。
母と思い出話をしながら、それでもまだ懐かしさの方が勝って、
涙は出ませんでした。
いろいろ開けているうちにひとつの段ボールに目が留まり、中をあけてみました。
出てきたのは箱いっぱいの漢方薬。
ありとあらゆる種類の胃の薬。痛み止め。医学書。
父は胃がんではありませんでした。肺がんが全身に転移していたのです。
それなのに胃が悪いと思いこんで、こんなにたくさん薬を買って、
これも効かない、あれも効かないと次々に試していたのかと思うと
急に涙があふれ、体が震え、絶叫してしまいました。
「こんなに辛かったんなら、何で病院行かなかったの!」
パパ、3年間もひとりにしてごめんね。許してね。
パパの病気に気づいてあげられなくて、死なせてしまって、ごめんね。
遅く産まれた私をあんなに可愛がってくれたのにね。
今度パパが生まれ変わった時もきっと私を娘に選んでね。
本当に本当にありがとう。パパの娘でよかったよ。
608 :
大人の名無しさん :02/04/18 19:33 ID:DISB3lRY
>>593=205さん
本当におめでとうございます!よかったね。その子はきっとお母さんに会いたくて
会いたくてまた戻ってきてくれたんだよ。だから前の分も合わせて大切に大切に
育ててあげてね。
609 :
大人の名無しさん:02/04/18 23:54 ID:4U7A+1ca
>>607 泣いた・・・
ほんとにいいお父さんだったんだね。
病気は辛かっただろうけど、家族に愛された幸せなお父さん
だったんですね。ご冥福をお祈りします。
611 :
大人の名無しさん :02/04/19 00:08 ID:3AtLdvYK
>>205.593
おめでとう!!
お互いに顔を見たことないけれど
回線のむこうから心からお祝い申し上げます。
うちの母は一度、私が生まれる前に
赤ちゃんを流産しました。
兄から聞いたのですが
その時、母は自分を責めて号泣していたそうです。
それから3年後に私が産まれました。
この前、29歳の誕生日を迎えた時に
母は「もう2人目はあきらめていたけれど、
あんたが出来て良かったよ。」と話していました。
それまではその話を聞いてもサラリと聞いていただけだった。
でも、あなたのレスを見て、今まで気づかなかった
母の辛さと喜びを知りました。
そんなことも知らずに私は母に心配ばかりかけた。
くだらないことばっかりやって・・・一生懸命に生きてなかった。
大後悔です。大泣きです。
私、絶対に親孝行します。
私のバカさ加減を気づかせてくれてありがとう。
赤ちゃんが産まれるまでは無理をしないようにしてくださいね。
徹夜で2chなんて絶対にダメですよ!
赤ちゃんが生まれたら、報告待ってます。
自分が罪人であるとするならば、
やはりそれを一番よく知っているのは自分自身だ。
他人に言われるまでもない。
自分の身内が罪人だからと、
他人までそうであるとは限らないだろう。
一時の余裕を持とうぜ。相手の気持ちを斟酌する余裕を持とう。
それが出来るくらいには、俺たちは苦労してきたんじゃないか?この歳まで。
責めるのはガキでも出来る。許してやれ。他人も身内も。
613 :
大人の名無しさん:02/04/19 01:31 ID:X0kAs/tq
父が亡くなったのは地元から遠く離れた病院だった。
地元の病院に連れて帰るはずだった日の朝、結局遠い病院で一人で旅立った。
家族の中で一番自由に動ける私がついていてあげればよかったのにとすごく悔やんだ。
冷たくなった父を自宅に連れて帰った。まだ死んだという実感はまったくなかった。
その日は兄と二人で夜中まで父のそばにいることにした。
お通夜の準備やお葬式の準備で家の中は荷物が運び出されていつもよりがらんとしていた。
「お前ちょっとでも寝とけや」
兄に言われて仮眠をとることにした。朝方、兄が起こしに来てくれて父の遺体のそばにいった。
枕元に見たこと無い古いアルバムがあった。
「これ、見たことあるか?」
兄に渡されて
「いいや、無い」
といって中を開いてみた
今日、父親になった。
小さな、小さなこの子を育てていかなくてはならない。
不安だがうれしい・・・
兄が生まれた日に書かれた父の文章だった。
アルバムの中表紙一面に父になった感想、これからの子供に対する責任
などがびっしりと書いてあった。
「これもらうからな」
なみだ目になった兄が言った。
「うん」
としか私は言えなかった。
仕事ばかりで家にいたことなどなかった父のメッセージを受け取った兄が少しうらやましかった。
今でも、父からなにかしらメッセージがないかなーと探すが、何も無い。
子供も三人目になるとこんなものかもしれない・・・
駄文、すんません
614 :
大人の名無しさん:02/04/19 01:32 ID:Dw93JNRm
またテロや・・・
615 :
大人の名無しさん:02/04/19 02:54 ID:d+lfqh7/
昨日、先月末引っ越した前の家のお隣さんから電話があった。
向かいの家の長男が自殺した とのことだった。 まだ13歳だ。
彼が生まれたとき、俺達はまだ夫婦2人きり、1年後に長女が生まれた。
彼が小学校に上がった頃からいっしょに良く遊んだ。 彼のペットのミドリガメの世話も一緒にした。 学校でのいじめが原因だという。 彼の母親が、彼の妹をクラブに送りに行ったわずか10分の間に死を選んだのだと。
いま、俺は彼に会いに行くにも遠すぎる場所で、酒を飲みながら泣いている。
ぶきっちょだった彼、運動が苦手だが心はやさしかった彼、妹をかわいがっていた彼。
天国で安らかに眠れ。
スマソ
616 :
大人の名無しさん:02/04/19 13:10 ID:/nDzM2CS
フェルナンデス製、E・ヴァンヘイレンモデル
当時、国産で初めてフロイドローズのチューニングロックのついたギター。
価格は17万円。
当時田舎の中学生だった俺は、それを手に東京へ出るのが夢だった。
だが、そのギターはあまりに高価だったし、バスで一時間以上かかる街の楽器屋へ
行ったところで、田舎の楽器屋ではその現物さえも拝むことはできなかった。
友達が雑誌の通信販売で買ったチャチなストラトをみんなで見に行って、
自分は部屋で、鏡の前で部活のテニスのラケットを抱えてポーズを取って、
ロッキンFのインタビューを受けている所を妄想しているような、
そんなもどかしい田舎の中学生だった。
そんな俺を両親は「ただの熱病みたいなもの」と、相手にしなかったし、
婆ちゃんもまたそうだと思っていた。
ある日漁協の慰安旅行で、東京まで行った婆ちゃんから、
解散場所まで俺に迎えに来いと電話があった。荷物が重たくてしょうがないのだと。
俺が行くと、婆ちゃんはニコリともしないいつものおっかない顔のまま立っていた。
そばに、大きな四角い平べったい箱があり、婆ちゃんは俺に、開けてみろと言った。
エレキギターのハードケースを見たことのなかった俺は、それがそうだと知らずに、
開けてみて、体が震えた。
婆ちゃんは俺の欲しかった奴を知っていたわけでなく、偶然そうだっただけなのだが、
雑誌の写真でしか見たことのなかった黒いボディに縦横無尽に走る黄色のストライプ。
俺はその場で泣いた。すぐ近所に同級生の女の子の家がやってる店があったのだが、
我慢できなくて泣きながら、その心地よいハードケースの重みを感じながら婆ちゃんと帰った。
617 :
大人の名無しさん:02/04/19 13:26 ID:/nDzM2CS
俺は東京へ出た。名目は大学に行くため、本当はミュージシャンになるため。
婆ちゃんに買ってもらったギターも勿論持って行った。
しかし東京は、各地から凄腕が集まっているからケタ違いにレベルが高く、
俺は早々と挫折してしまった。
あれからもう十五年以上経って、その間に婆ちゃんも死んだ。
この間、婆ちゃんの部屋で婆ちゃんの小遣い帖を見つけた。
几帳面な婆ちゃんの字を懐かしんでパラパラめくっていたら、
「○○にエレキギター:東京イシバシ楽器店17万5千円也
(所持金足りず最寄りの銀行にて降ろす)」
と書いてあるのを見つけ、涙が出てきた。
簡単に挫折して、卒業したらさっさと帰って来た俺を婆ちゃんはどう思ったんだろう。
そう思うと、本当に泣けて来た。
618 :
175:02/04/19 14:54 ID:ITv9F/+8
泣けたよ。あんたとは、気が合いそうだな。
619 :
大人の名無しさん:02/04/19 16:31 ID:aI7pqEYX
じいちゃん、ばあちゃんて
なんかこう
しわくちゃなのに
あったかくて
やさしくて
そのくせ
不器用だよな
ながいきさせてくれよ、かみさま・・・
620 :
大人の名無しさん:02/04/19 16:42 ID:faIPrjxl
もうやだこのスレ
見るたびに泣いてしまうよ・・・・
>「○○にエレキギター:東京イシバシ楽器店17万5千円也
>(所持金足りず最寄りの銀行にて降ろす)」
おばあちゃんが思ってたより高かったんだろうね。
読んでて涙ボロボロでちゃったよ。
自分の祖母のことも一緒に思い出してしまった。
私のおばあちゃん、私の成人式に着物作って送ってくれたんだけど、
その頃、私荒れてて(親とうまくいってなかった)
自分の家にも殆ど寄り付かない有様だった。
結局成人式なんか出なかったし、着物にも袖を通さないまま、
おばあちゃんはその後しばらくして亡くなってしまった。
ホントはそれまでおばあちゃんのこと、あまり好きじゃなかった。
明治生まれで元教師の、すごく厳格な人で
小さい頃よく叱られてたから。葬式でも泣かなかったぐらい。
でも、着物を見たとき、ホントに後悔した。
すごく豪華な振袖で、これ作るのどんなに大変だったろう、
私が着るのを楽しみにして一生懸命つくってくれたんだ、って涙が出た。
着て見せてあげればよかった。
ごめんねおばあちゃん。
今でも思い出す度に頭かきむしりたくなるぐらい、後悔してる。
621 :
大人の名無しさん:02/04/19 17:19 ID:NZwt9pyM
先週、子供が生まれた。俺の実家のお袋が喜んであちこちに連絡して自分の実家にも連絡したらしい。昨日の夜、ポストに婆ちゃんからの手紙が届いていた。中にはしわくちゃの1万円とお祝いの言葉の入った手紙が入っていた。
実家を継いだ叔父が早く亡くなって、跡を継いだ嫁(叔父の嫁)からひどい
仕打ちを受けてそれどころではないのに、俺のような出来損ないの孫のために少ない年金からお祝いを送ってくれた婆ちゃんの気持ちを思うと、少し泣けた。
622 :
大人の名無しさん :02/04/19 17:25 ID:ukgIt/Zk
>620
きっとアナタの気持ちは天国のおばあちゃんに伝わってるよ
あまり悲しまないで
おばあちゃん、心配しちゃうからね。
仕立て直したら訪問着とかにはならない?
写真撮って仏壇に飾ってあげたら、おばあちゃんきっと
喜んでくれそうだな
623 :
大人の名無しさん:02/04/19 17:34 ID:ukgIt/Zk
>621
おぉ!622を書いてる間にめでたいカキコが!!
赤ちゃん誕生おめでとうーーー
しわくちゃの一万円札ってとこがますます泣かせるね
おばあちゃんにとっては、孫のアナタの喜びが自分の喜び
でもあると思うよ
うちもおばあちゃん、私の子供のお祝い事のたびに
おくってくれるんだよ。自分の生活で手一杯なはずなのに。
それで子供の写真をことあるごとに送ってあげてます
もうアルバム何冊にもなってると思う
すごく喜んでくれる
アナタは出来そこないなんかじゃないよ
おばあちゃんを幸せな気持ちに出来たんだから。
624 :
621 :02/04/19 17:45 ID:NZwt9pyM
>623
お祝いいただき、ありがとうございます。
婆ちゃんにお礼の電話を入れたら、
623さんの言ったことと同じ事を言ってました。
子供が少し大きくなったら、真っ先に婆ちゃんに見せに行くつもりです。
625 :
大人の名無しさん:02/04/19 18:14 ID:cp+fujWO
>>615 子供の自殺って、胸が痛むね・・・。
特にいじめが原因だと、死を選ぶまで追いつめられたその気持ち
と、親の気持ちは想像を絶するようなものだろうね・・・。
その男の子の冥福を心から祈ります。
626 :
大人の名無しさん:02/04/20 01:49 ID:7BdDGlqE
>>163さんへ
今日ハム太郎のアニメを見ました。
胸がつまって、苦しくて涙がこぼれてどうしようもなくなりました。
思わずハム太郎の公式HP 「ハム太郎とっとこむ」に書いてあったアドレス
(
[email protected] )にメールしてしまいました。
どうか163さんの娘さんの疑問に答えて下さいって。
余計なお節介だとは思いましたが、どうしてもどうしても娘さんの願いをかなえ
て欲しくて・・・。この掲示板を読んでいる皆さんもきっと同じ気持ちだと思い
ます。
私にも7ヶ月になる娘がいます。
これからも毎週ハム太郎を見て、涙をこぼさずにはいられないでしょう。
今夜はまだ涙が止まりません・・・
627 :
大人の名無しさん:02/04/20 14:08 ID:ietIbiLR
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
↑マジだったら、ゴメン。
普通、最初に祖父のお墓に探しに行かない??
629 :
627:02/04/20 14:18 ID:ietIbiLR
いや・・・彼の祖母は車になんか乗れなかったので、
電車に乗っても乗り換えて乗り換えて
5時間くらいかかる距離だったんですよ。
なのでまさか・・・と。
近所の公園やら駅やらをずっと探してました。
630 :
大人の名無しさん:02/04/20 14:18 ID:VE6Kgqch
彼と彼の祖母に言い放った貴方の両親て
人間のクズですね。
彼はきっと諸々のストレス背負い込んでるんだろうな。
だって彼自身はもう身寄りがないわけだし。
嫁の実家からは蔑まれてるし。
632 :
大人の名無しさん:02/04/20 14:25 ID:eATFwa9f
627さんへ
あなたの幸せはおばあちゃんのおかげですね。
いつまでもだんなさまと仲良く過ごしてください。
そしてお墓参りなど忘れずに・・・。
あなたのご両親はご両親なりにあなたを心配したのだと思います。
ただ人の気持ちをもっと考えて発言したほうがよかったかもしれませんね。
おばあさまのご冥福を心よりお祈りします。
633 :
627:02/04/20 14:26 ID:ietIbiLR
私もそう思います。
確かに自分の娘に苦労させたくなかったんだろうけど、
あの頃はとてもとてもそう思えなかった。
そして自分の両親を恥じました。
今でこそ私も子供を産み、両親は孫だ孫だと五月蝿いですが
よっぽどの時にしか実家には行きません。
その時の事を両親がどう思っているかは知りませんが
私の中では今でも受け入れられないままです。
634 :
大人の名無しさん:02/04/20 14:32 ID:QLGaQRQ8
いや、そうかな?
私だったら
>>627さんの、ご両親の発想をすると思うな。
やはり自分の子は、誰よりも幸せになって欲しいからね?
違う?
一気に読んだんですが、涙が止まりませんでした。特におじいちゃんのお話・・
自分おじいちゃん子だったもので。
小学4年の時に祖父が亡くなりました。C型肝炎から肝硬変になり、
そして肝臓ガンになりました。
当時医者になりたかった自分は医学書(って言っても家庭の医学ですが)
や色々な本を何度も読んで、絶対に医者になって祖父の病気を治す、と
息巻いていました。
母が私の前に一人流産していて、初孫ということもあってか本当にかわいがって
もらいました。
色々な場所に連れて行ってもらい、色々な事を教えてもらいました。自分で言うのも
なんですが、好奇心旺盛なのはそのおかげだと思います。
時には祖父に沢山愛してもらったのが当たり前だと思ったり、友達の前に出てくることを
疎ましく思って喧嘩したりもしました。
祖父は定期的に入院していて、今回もすぐに退院できる筈でした。医者から
あと1週間くらいで退院できると言われた3日後くらいに父と妹とでお見舞いに行きました。
ところが、祖父は「○○と○○(私と妹の名前)2人で来たんか?よう来たな。」
とちぐはぐな事を言い出しました。普段より言葉も少なく、少しおかしい祖父の様子に
少し戸惑いましたが、そのときは気にしませんでした。
そろそろ帰ることになった時、祖父はただ笑って、「勉強しいや。」と言いました。
それが自分の聞いた祖父の最後の言葉でした。
肝機能がやられ、血液を浄化できないために脳に毒素が回ってボケてしまったらしいです。
最後まで私の事を気遣って可愛がってくれたおじいちゃん、何もしてあげられなくて本当に
ごめんなさい。
長文・駄文ごめんなさい。
636 :
635:02/04/20 14:47 ID:UREyDcN8
ここ30代以上限定だったんですね。自分18です。本当にごめんなさい。
>593
おめでとうございます。生まれてくる子供さんを精一杯愛してあげてくださいね。
こういう言い方をするのもアレですが、この先あなたが死んでしまっても、
子供さんへの愛はずっと生き続けますから。
ちなみに今何の因果か漫画家めざしてます。売れなくてもいいから、231さんみたいな
漫画家になれたらなあ、って思うようになりました。
ROMに戻ります。失礼しました。
637 :
大人の名無しさん:02/04/20 15:06 ID:eATFwa9f
627さんへ
ご自分の両親のことそういう気持ちでいるのって
果たして亡くなったおばあちゃんやだんなさんは
望んでいるのかしら??
人は時としてとんでもなく自分勝手な行動したり
自己中になってしまうこともあるけど
あなたがそのような気持ちでいる限りは本当の意味で
おばあちゃんの望んだ幸せにはなってないと思います。
すぐにとはいいませんが
わだかまりを解いていってほしいです。
いつの日かあなたのご両親も一緒になって
おばあちゃんのお墓参りにいけたらいいですね。
親になって間もないからわからないと思いますが
親心は本当に純粋なんですよ、時として人を傷つけても。
あなたのお子さんがあなたたちのわだかまりに気付く前に
本当の意味でのおばあちゃんが望んでた幸せになってほしいと思います。
638 :
大人の名無しさん:02/04/20 15:14 ID:wzlsvznn
(特に女の人には)あまり共感を与える話じゃないから、箸休め程度に読んで欲しい。
東京で生まれ育った俺は、大学で初めて大阪に行った。
太っていて不細工で、見るからに元々ヒッキーの容姿と性格から脱却したくて、
それっぽいサークルにも入ったのだが、やはり付け焼刃ではどうしようもなく、
やがて俺はサークルを去り、友達もできず、ただ学校とバイト先のコンビニだけが「俺の大阪」となった。
二年のときは「まだこれから」三年のときは「そろそろ」
そして四年になり「もうダメだ」と、俺は東京の会社の内定を夏に早々と決めた。
もちろん俺が受け入れられなかったのは、土地柄でなく俺の人格によるものだと、
痛い程よくわかっていたが、それでも四年間いた大阪から何も得ることなく、
ただ大学行って帰って行くだけの自分を、みじめに思いつつ残りの日々を消化していった。
最後のテストが終わり、少しずつ荷物を東京に送り返していた頃、
バイト先の高校生の女の子が、映画に誘ってくれた。
生まれて初めての幸運に俺は舞い上がり「大阪のせめてもの思い出に」と
彼女と「ラストエンペラー」を観に行った。
女の子と映画に行くなんて、どんな奴も高校生くらいにやってそうだが、
デブでネクラの俺には、23にして初めて経験した幸せだった。
639 :
大人の名無しさん:02/04/20 15:21 ID:qWtpPMfX
続きが聞きたいなぁ。
>>638の続き
下心ではない、それは諦めていたから本当にお礼のつもりで
帰りに夕食を奢ろうと思って、すし屋に連れて行こうとしたら、
彼女がホカ弁買って俺のアパートで一緒に食べようと言い出したとき、
恥ずかしいが、俺はわずかにパンツを汚した。
あまり物のなくなった殺風景な部屋で弁当を食いながら俺と彼女は色んな話をした。
「泉州の空港っていつできるのか?」とか他愛もない話だ。
すると不意に彼女が、俺に訊いた。
「○○○さんって、大阪に来て彼女いた?」
あまりに唐突な問いに、俺は見得を張る余裕もなく正直に答えてしまった。
すると彼女は、う〜〜んと唸って立ち上がると、突然電気を消すと、
あっけらかんとベッドに座って服を脱いだ。
生まれて初めて目の前に下着姿の女の子が現れて、俺はたまげたが、
彼女は意に関せず、さっさと布団にもぐりこむと「ほれ・・ほれ・・おいで!」
と誘った。
まったく絵にならない光景。だけど俺は汗だくになりながらも彼女のリードで無事初体験を済ませた。
オナニーとは違う虚脱感の中、急にこの四年間が一気に浮かんで来た。
本当に何もなかった四年間だった、つい声に出してしまった瞬間、
俺は彼女の上に乗っかったまま、泣き出してしまった。
しまった、と思ったが一度涙が出てしまうと止まらなかった。
俺より6つも年下のこの女の子は自分の上でブヒブヒ泣いてるこのデブの
背中をポンポンっと叩きながら「とりあえず大阪で童貞捨てたでしょ?」と
言ってくれた。
それから大阪には行っていないのだが、今俺は会社で「宴会隊長」である。
大学のときの自分からは考えられないけど、今の俺の原点はあの夜だと思ってる。
女の腹から男の子として生まれ、女によって男にしてもらう。
男は一生で二度、女から産まれるんだと思う。
スレ違い承知なのでsage
641 :
大人の名無しさん:02/04/20 15:44 ID:r8Ao9zHw
>>634 違う。いや、親の気持ちは理解できても、相手にそれを面と向かって言い放つ
のはどう考えても間違っていると思う。
642 :
大人の名無しさん:02/04/20 15:55 ID:r8Ao9zHw
言うなら、自分から出かけていって、彼氏一人に言うべきだ。
おばあさんの耳に入れてはいけない。
643 :
大人の名無しさん:02/04/20 16:53 ID:P7D3jfbb
>>627 確かにあなたのご両親は彼と彼のおばあさんに対してひどいことを言われたと思います。
だけど、子を思う親の気持ちとしてご両親の気持ちは
わからないでもありません。
彼のおばあさんには本当に気の毒で
見つかった時の姿を想像すると切ない気持ちでいっぱいになりますが
一番大切なのは、将来あなたの子供さんにもしも同じようなことが起こった時
あなたと父親である彼がどういった考え方をするかだと思いますよ。
今はご両親を受け入れられないかもしれませんが
時間が除々に解決してくれることを願っています。
どんな親でも、あなたと家族にとっては大切な肉親なのですから・・・。
人の口というものは、場合によっては相手に対して取り返しのつかない
ことを言ってしまったりするものですね。
もっと人の気持ちを汲み取れる人間になりたいものです。
644 :
大人の名無しさん:02/04/20 18:03 ID:zaNJ8Kk1
>>638,640
>自分の上でブヒブヒ泣いてるこのデブの・・・
ワラタ。ゴメソ。
いい話だ・・・その女の子、いい子だね・・・。
>>627さんへ
>その時の事を両親がどう思っているかは知りませんが
>私の中では今でも受け入れられないままです。
今、受け入れられなくていいんですよ。無理しないで。
そして「ご両親を受け入れられない自分」を責めなくてもいいんですよ。
あなたのご両親もまだ「若かった」のでしょう。
もしかしたら彼のお祖母さんと同じくらいの年になれば、思う所があるかもしれないし
変わらないままかもしれない。それは誰にもわからない。
貴女が同じ過ちをしないよう、日々、自分と家族や回りの人を大事にしていきましょうね?
もし将来ご両親の気持ちも少しわかる時がくればそれでよし。
時の流れに任せましょう。
>>643のこの一文には激しく同意。
>人の口というものは、場合によっては相手に対して取り返しのつかない
>ことを言ってしまったりするものですね。
>もっと人の気持ちを汲み取れる人間になりたいものです。
>>638 いい話だ。泣けたよ。
俺も同じような体験をして人間不信から立ち直ってるから、女によって
男にしてもらうってのは同感だな。でも、本人にもちょっとは生まれ変わる
素地があったから相手もそれに気づいてくれたんだと思うんだよね。
ともかくも、えぇ娘やなぁ、その子。
647 :
大人の名無しさん:02/04/21 05:04 ID:RTqQK7bH
三つ下の妹がいました。体の弱かった妹は入退院を繰り返し、
そのたびに母が付き添うので、寂しくてたまりませんでした。
ある日、うちにいた妹に「妹なんていらない。犬の方がよかった。」
って言いました。「ワン!」って妹が言いました。半年後に妹は
この世からいなくなりました。どうしてあんなこといったんだろう。
ごめんね、みゆきちゃん、お姉ちゃんがばかでした。
ここの皆さんの書き込みを読んで、自分の心の醜さがいやになりました。
だからといって、何を改めればいいのかわからないくらい、
自分の性根はくさってるとおもいます。
こんな私にも子供がいて、病気の母がいます。不仲の夫も。
大切な人たちに心の底から優しくなれる人間になれるよう、
少しずつでも努力したい。
独り言すまそ。
私は、>627さんはすごく正直に書いてると思う。
自分の両親を恥じ、未だに受け入れられないのはおかしくない。
両親と同じように思って結婚を断る人だっているんだから。
その時の事は、いつかご両親ときちんと話してもいいかもしれませんね。
本当に己を恥じて悔やんでいるかもしれない。
反対の場合もある。そうだったら尚更、言いたい事を言ったほうがいいと思う。
ご主人が恨んでないのが何よりもの救いですね。
650 :
大人の名無しさん:02/04/22 06:14 ID:6F2Gya3H
647を読んで思わず泣きました。
きっと冗談ぽく妹さんは「ワン!」って言われたのでしょうね。
可哀想に早過ぎましたね。
ご冥福をお祈りします。
651 :
大人の名無しさん:02/04/22 06:45 ID:GtSJQIGx
う〜ん・・・いいスレですね。いいスレだとしか言えない自分が情けない・・・
652 :
そこそこ漫画家:02/04/22 10:21 ID:qTz93tB2
>>636 大した売れっ子でもないんで、何も助言はできないけど、
ガキ相手の商売だから、ガキの喜ぶものを本気で考えて描いて欲しい。
女の子を描くとき、「描き手の精液の臭いが伝わって来るような」女の子を
描かないようにした方がいいよ。同人板にウヨウヨいそうな奴ね。
653 :
大人の名無しさん:02/04/22 12:20 ID:+79JM0IB
>>650さん、ありがとうございます。きっと冗談ぽく・・・
で、泣いてしまいました。27年経っても思い出すと
後悔で涙なのですが、心が少し軽くなりました。
本当にありがとう・・・
654 :
大人の名無しさん :02/04/22 17:31 ID:S++YCbOn
>>647 私もアナタのカキコで思わず泣いた
自分の昔とオーバーラップした
私にも体の弱い妹がいたんだよ 何度も何度も手術繰り返して・・・
やっぱりアナタと同じように、いや、私はアナタの何倍もひどい事を妹に
言っちゃったことがある
幸いにも私の妹は生き延びてくれてるけど・・・
私の場合は冗談ぽくなんて状況じゃなかった
妹の悲しそうな顔が忘れられない
まだ小学生だった妹にあんな表情させてしまった自分は最低な奴だと思う
>>647 >>654 私の親が病気の兄弟のために親に構って貰えなかったんだ。
(病気の本人も辛いけど)病気の兄弟を持つと辛いよね。
身体は元気でも「心が寂しくてたまらない」んだから。
親に振り向いてほしいんだから。
我慢ばっかりしないといけないんだから。
そんなに自分を責めないでね。辛い思い出と少しずつでも仲直りしていけますように
心から願っています。
656 :
大人の名無しさん:02/04/23 00:12 ID:rcrkrWoG
>>638の大阪で童貞捨てたって話、申し訳ないけどネタに思えて仕方ない。
私女だから分かるけど、あのストーリーって少年漫画そのものじゃん。
奥手のオトコが、積極的で明るくて可愛い年下の女の子にちょっとリードされて
・・って。女はね、ボランティアでハダカになったりしないよ!
これ、煽りじゃなくてマジレスなんだけど、どうしても信じられない。
彼女があなたの事を好きで、それから二人の付き合いが始まったというのなら信じ
てもいいけど、大阪を離れることも決まっててそれっきりだったんでしょ?
彼女に何のメリットがあったと言うんだろう。
あなたには女神に見えたかも知れないけど、高校生の時から同情でオトコと寝れる
女なんてろくでもないよ。「ほれ、ほれ」ってさ、そんな事言う女いないって。
私は女としてどうしても信じられない。
>>656 同意(当方女)。20代ならともかく高校生で・・・?って思った。
あーけど、このレス書きながら、その女の子もやりたい盛り?だったのかも、
と今思った。童貞好きな女だったとか。私には考えられんが。(638さんごめんね)
658 :
大人の名無しさん:02/04/23 00:55 ID:qdqCAkMc
幼馴染のR君。彼は仲間の誰よりも結婚も、親になるのも早くて、30までに一戸建の
家を構えるのが夢だと言っていました。三人目の子供が生まれてすぐに彼の夢は
かないました。まだ28歳でした。「土地が狭いからな〜。」と照れていましたが
本当に嬉しそうでした。子煩悩な彼は火事があったときにすぐ逃げ出せるようにと
子供達の部屋を一階に作りました。もちろん防犯対策も万全でした。新居で正月を
迎える事ができるのかヤキモキしていましたが、なんとか間に合い、家族五人が
お正月を新しい家で迎えました。末っ子は両親と共に三階の寝室に、お兄ちゃん二人は
いづれ二部屋に分けることになってる大きな部屋を、共同で使っていました。
二週間ちょっとで震災が・・・R君、ゆれの中を必死で子供達のところに行こうとしたんだね。
お兄ちゃんたちは、R君が見つかったあくる日に見つかったよ。私は聞いただけだけど
二人でしっかり手を繋ぎあってたんだって。あれから奥さんはお嬢ちゃんを連れて
名古屋の実家に帰られました。おじちゃんとおばちゃんは一人息子をなくして
なんだか小さくなってしまいました・・・でも、お兄ちゃんたち別々の部屋にしてなくて
よかったね。
659 :
大人の名無しさん:02/04/23 02:29 ID:VsNqxfca
>>656 ネタかどうか、そんなに重要なのかな。
そのときの彼にとって女神だったんだから、他人が「ろくでもない」なんて
言うべきもんじゃないだろうに。
誰もあなたにボランティアで脱げなんて言ってないんだから。
共感与えないから箸休めにって書いてあるのに・・・・
男にはすごくいい話なんだよ。大きな愛を感じる話なの!(人と状況によるけど)
メリット・・・そんな発想が出てくること自体夢を忘れた大人だわ。
660 :
大人の名無しさん:02/04/23 06:57 ID:UWqY+Zv/
638の話
同じ女でも感じ方いろいろなんだなぁと思ってしまった。
私の身近にああいうタイプの子(女の子ね)がいたからかもしれないけど。
ネタだとしても、いい話じゃないか・・・って思うんですけどね。
>>658 R氏と二人の息子さんのご冥福をお祈りします。
俺が小学生のときのこと。
母親がくも膜下で倒れ、入院した。
母は俺のたった一人の家族だった。
手術のあとしばらくして母に会いに行った。
何回か会いに行ったが意識が無く、やっと意識が戻ったということだった。
病室に入ると母の隣にいた付き添いのおばさんが
「ほらお子さんよ」と母に言った。
母はめずらしく化粧っ気のない顔で
いつもきれいに纏め上げていた髪も手術のために丸坊主になっていた。
そして母は…なんて言えばいいんだろう。
いつもと違った。当たり前だけど。
目に意思の力がない、とでも言えばいいか。
微妙に焦点の合わない瞳で俺を見て、
子供のように首を傾げ、
「だあれ?」と言った…。
母はもう一度倒れ、もういないが、今でも思い出すと胸が痛くなる。
手術のあとの一時的な記憶障害ということだったが、
忘れられる、ということがあんなにも辛いとは考えもしなかった。
662 :
大人の名無しさん:02/04/23 12:24 ID:FjEbhEal
>>638の話
ネタだっていいじゃん・・・イイ話だよ・・・
世に氾濫する「癒し系」女には到底真似出来ないような素晴らしい女神様じゃん・・
少なくともあたしはそう思ったよ。
あ、女です。ネカマじゃないです。
>>638 の話し、私(女)もいい話しだと思うよ。
セクース云々じゃなく、638は「人の暖かさに」触れて嗚咽したんだと思う。
>>659 >男にはすごくいい話なんだよ。大きな愛を感じる話なの!
悪いが、男ってほんとに単純な生き物なんだ…と思たよ。おめでたいと言うか…。
>メリット・・・そんな発想が出てくること自体夢を忘れた大人だわ。
女にとっちゃセクースで望まない妊娠する可能性だって現実に充分あるんだから、
メリット・デメリットはごく自然に考える事だよ。
それを「夢」って言われてもね…(w
659は一生夢見て生きていってくだちぃ。
すみません、冷めたレスで再度白けさせる663さんもあなたの嫌いな659さんと一緒に消えてください。
このスレでメリット云々言いたいんならついでに話のプライオリティも考えててくだちぃ。
638の話は泣けるしいい話だと思う。
私も女だけど。
666 :
大人の名無しさん:02/04/23 22:50 ID:rcrkrWoG
638の話、俺も最初はいい話だと思った。
だけど、自分の彼女がそういう女だったら相当痛いぜ。
俺には娘がいるが、そんなデブと同情でセクースしたら絶対に張り飛ばす。
セクースは娘が本当に好きになった奴と体験して貰いたいからな。
オトコの部屋に行って、いきなり下着姿になってベッドに誘う奴が本当に
「いい娘」なんだろうか。638さんを慰める為にそこまでする必要があった
んだろうか。俺も悪いけど、ネタである事を祈るよ。
>>638 すごくいい話だと思った。ちょっと泣けるくらい。
でもそう思わない人の気持ちもわかる。
この女の子が仮に自分の妹だったとしたら、
やっぱり何やっとんねん!て思うだろうから。
慰めるにしてもほかに方法があるやろう、と。
638さんもそれが分かってて「あまり共感を与える話じゃない」
と前置きしてるんだと思うけど。。
でも高校生でこういう事をするこの女の子も
それなりの経験をしてきてるんではなかろうかと思いました。
>>638さんの話について
私(男)は、きっとその女の子は638さんの事が好きだったんだろうな、
と思って読みました。どう考えても、同情や親切心でセックスする子は
いないと思います。
映画に誘ったのもその子の方だったという事ですし。本当はもっと早く
アプローチしたかったのが、できなかったんだろうな、と。もう後が
ない最後の日に、ようやく思い切った行動に出たんでしょう。
と、考えるのはセンチメンタルですかね?
669 :
西尾:02/04/23 23:41 ID:VqI7ZGiP
>>668 いや、そう思いたい。っつ〜か、そう思おうではないか、みんな!
670 :
大人の名無しさん:02/04/24 00:30 ID:GihnXJkJ
>>476 大人になりきれない母と娘の共依存の関係っていうのですか。
私と母もおそらくそれなのでしょうね。
アーティストだった母は、弟子たちに「人生の師だった」「第二の
母だった」と惜しまれてこの世を去りましたが、娘である私にとっ
ては母はアーティストであって母ではありませんでした。
家族との生活より芸道を愛した人だと恨みました。
いつかは私も母親になって、母の気持ちがわかるかもしれないと
思ってはいたけれど、ついに理解できないまま今生の別れを迎え
てしまいました。
母の闘病生活中、”自分を愛してくれなかった人”に対してどう
しても寛容になれず、病人に対してひどい言葉をぶつけ、無視し、
必要最低限の世話しかせず、絶望の淵で死なせてしまいました。
病気に苦しんでいる母にもっと優しくしてあげたいと思ってい
たのに、どうしてもできなかった。イライラして口を開けば悪
態しか出てこなかった。早く死んでほしいとも思ったし、口に
も出した。でも言った後で一人になったときに泣いた。
なぜ母を受け入れられなかったのだろう。つらい。とてもつら
い。もう許してもらうこともできない。
お母さん、ごめんなさい。
もう何年も「お母さん」とも呼んでなかったね。
今ごろ謝ってもムシが良過ぎるよね。
死ぬまでこの気持ちを抱えて苦しむから、私をあなたの娘の
ままでいさせて下さい。いつか私を許して下さい。
671 :
大人の名無しさん:02/04/24 01:07 ID:dYO/axSK
>670
私、まだ小さい子供しかいないけど、私がアナタのお母さんだったら
絶対アナタのこと許すよ。
いや、許すっていうんじゃない・・・アナタにひどい言葉を言わせて
しまった自分の育て方の方を振り返ると思う。
子供はすぐに大きくなるんじゃないからね。
赤ちゃんの頃のアナタの顔やしぐさや、甘える表情なんかも見ながら
お母さんは一生を過ごしてきたわけだから、大人になってからのアナタ
が少しくらい暴言吐いたくらいじゃなんてことないよ。
親ってそういうもんだと思う。
「死ぬまでこの気持ちを抱えて苦しむから〜」なんて、お母さんは
望んじゃいないよ。それよか幸せになりなさい。
一番の親孝行だよ。
672 :
大人の名無しさん:02/04/24 05:26 ID:QolIwRDa
中学生のとき仲良かった3人組でした。
私とkさんはとても貧しくてhさんの家だけが理想の家族のように見えていました。
手作りの洋服を着て、清楚でいいお嬢さんって感じの人でした。
先に結婚した私のアパートにケーキを焼いて持ってきてくれました。
お見合いで結婚して式のとき私が祝辞を述べました。
彼女は朝早くから起きて夫のために精一杯尽くしていました。
それが身重の身にはあだになって、1年後27歳でこの世を去りました。
その当時は普通の悲しさだけでしたが、半年くらい経った時の夕暮れ時に
hさんの事が急に思い出され、旅行に行った時の笑顔、
色々なシーンのhさんの表情がフラッシュバックとして戻ってきました。
それからは毎日夕暮れになると大切な友達を亡くした悲しみで、
1年位泣いていました。
一男一女の女の子を亡くされたお母さんとは
それから付き合うようになりました。
一緒に何度も旅行に行き、息子さんの結婚式にも招待されました。
毎週位電話をかけ合い、手術された時は同居のお嫁さんが帰られた後で
私が病院に泊まった事もありました。
容態が良くなった七夕の日、俳句をされているお母さんが
「娘が死んだこの病院に入院したら、私も死ねると思ったのに」と言って
「願わくば 娘のもとへ 天の川」とメモに書きました。
退院してから3年後の昨年「また病気がよくない」いう知らせを受けて
病院に行くとチューブを口に苦しそうに息をしている
お母さんが小さく寝てました。
息子さんに「親戚でもない私が言える義理ではないのですが、
どうか延命の処置はしないで安らかに行かせてあげて」と頼みました。
お母さんに「もう苦しまなくていいよ。
きっとhさんが迎えに来てくれるよ。辛かったね。もうすぐ楽になれるからね」
と耳元で必死に言いました。
夜帰り道その日は丁度7月7日だったので心の中で
「hさんどうかお母さんを迎えに来てあげて、
今日は七夕だから天の川渡って迎えに来て、どうか、
どうかもうこれ以上苦しませないであげて」と
泣きながら頼みました。
そしてその夜12時前に「亡くなった」というTELがありました。
今はhさんの事も、親しく25年もつきあったお母さんの事も
考えないようにしています。
二人には腹が立ちます。
親子で私にこんな辛い思いをさせてと泣けてきます。
きっと天国でhさんのお腹のあかちゃんと三人で
幸せになっていると思う事が救いです。
673 :
YR:02/04/24 12:42 ID:07dYWFPQ
>>658 震災の話しは今もつらいね
僕は某市の救助隊員で発災後すぐに神戸に行ったんだケド
そこで大きマンションでの救助を頼まれた
そのマンションは2階と3階の間が完全にペチャンコ
隙間が50p位しかないような状態で
この奥にお父さんと3歳の子供がいるって
手作業だよ
ガレキ一個一個手でかきだしてって
全然前になんか進めない
朝から夕方までかかって5〜6メートルってとこ
メシも食わずにやっても2人のとこまでなんか全然届かない
もうボロボロ
日が暮れてこの現場に関しては
救助活動の打ち切りが決定した
穴から這い出てホコリで真っ黒の僕ら
そこに一人だけ生き残った奥さん
「すいません、どーしても届きませんでした」
すると奥さんが
「一生懸命ありがとう」って泣きだした
その場にいた救助隊員も全員泣きだしちゃった
仕事中に泣いたのは後にも先にもあの時だけだなぁ
派遣が終わり家に帰って
3歳の息子抱きしめて、も一回泣いた
674 :
:02/04/24 14:47 ID:BOaZF5L4
俺の母は俺が三つの時に死んだ。
胃癌だった。
だから母親の記憶って言うのは殆どないんだけど
唯一覚えているのが病院のベッドの上でやせ細った母にまとわりついていた事くらいだ。
あれから27年。
俺は今出家して僧侶になった。
父は再婚し、兄は婿養子に行ってしまって母の墓参りになんか二人とも行こうともしない。
特に兄とはかなり疎遠になってしまった。
今年の母の命日に兄にメールを打った。
「今日はおふくろの命日だよ。兄貴のために花瓶の右側を空けておいたから、今日じゃなくてもいいからお参りしてやってくれ。」
返事はなかった。
切なくて涙が出てきた。
父が再婚した時、「おふくろの事を忘れるつもりか」と激怒した兄がどうして。
あれから母の墓参りにまだ行っていない。
兄が墓参りをしたかどうか確認する事になってしまうから。
ちっとも泣けない話でスマソ。
675 :
大人の名無しさん:02/04/24 14:57 ID:ooTlzqS+
>674
生意気言ってごめんなさい。
お墓参りに行ってあげてください。
お母さんが待っておられるような気がして。
676 :
:02/04/24 15:33 ID:BOaZF5L4
>675
行きたいです。
でも兄が来ていなかった事を確認した瞬間、何か大切なものが壊れてしまうようで恐いんです。
きっと俺は兄を憎むようになってしまうと思うんです。
兄弟がいがみ合う姿を母が見たらどう思うか。
絶対悲しむと思うんです。
今際の際まで俺たち兄弟の事を心配していた母だから。
家族も教化できずに何が僧侶かとも思うのですが、難しいもんですね。
677 :
大人の名無しさん:02/04/24 15:40 ID:3Bv55yt6
>676
それでも行ってください。
こんなことしか、言えなくてごめん。
678 :
大人の名無しさん:02/04/24 15:42 ID:WiNOjkPm
>>673 ホント辛い話です。
想像すると言葉もありません。
ただ、救助活動 お疲れさまでした。
674さん
もしかしたら、
お母様は片方しかお花の入っていないお花立てを見て
「お兄ちゃんだって忙しいからねぇ」
なんて言いながら笑っているかもしれないですよ。
今日明日でなくとも、
いつか貴方がお母様のお墓参りに行けるようになりますように。
何のわだかまりもなく、行けるようになりますように。
680 :
来月30:02/04/24 17:10 ID:Pe2YiAYr
みんな嘘がうまいなー。
681 :
674 :02/04/24 18:35 ID:AA4WPvjG
明日おふくろの墓参りに行ってきます。
もし兄貴が参っていなかったら、その時は縁を切ろうと思います。
憎いからじゃなく、そこまで憎んでいるこの家に縛り付ける事は、
彼の心に負担をかけるだけになると思うので。
俺や親父は憎んでくれても構わない。
でもあんなに思慕の情を持ち続けていた母を憎んで欲しくないです。
なんか上手くいえませんが。
今日は眠れそうにないです。
「いつまでも泣いていると、旅立てないでしょ」なんて言われても、
私は後悔することばかりで、泣くしかできないよ。
父が逝って2ヶ月たつのに、まだ泣いちゃう。
私は父の最後の1週間、病室に泊まり込んだ母のバックアップしかできなかった。
父には何もできなかった。
照れ屋な父とは、私が大人になってからは、あまり会話もなく、何をしたらいいのか
わからなかった。
それに、そんなに悪い状態だなんて、寝耳に水だった。
せめて、すきな音楽を聞かせたくて、病室にCDプレーヤーセットして、父の部屋から
CDたくさん、運んだ。
食事をまともにとらない母にお弁当作って持っていった。
それだけしかできなかった。
なのに、意識がほとんど無い父に「帰るね、またくるよ」って言ったら、
父が「あー」ってびっくりするくらい大きな声で返事してくれた。
母も驚くくらいの大きなしっかりした声だった。
うれしかったよ、お父ちゃん・・・
でも、父ががんばってる間は、絶対に泣かないって決めてたのに、
その日は、泣きながら帰ったよ。
孫の顔を見せられなくて、ごめんね。
私は今、高1なんですが、最近全然親と喋っていません。口を開くといつもケンカで、
疲れてしまいました…家族の中でも、私は1人だけ何か違ってて親の態度も他の兄弟
とは違います。
親をたいせつにしたい気持ちはあるんですけど、もう話すのがイヤになってしまいました。
もう家にいるのが辛いです。夜、別に何が起こったわけでもないのに涙が出ます。
1人でいた方が、きっと寂しく無いです。家には親も兄弟もいるのに…
>>683 その思いを一度ぶちまけてみたらどう?
親にでも兄弟にでも。
ぶちまけたからどうなるかはわかんないけど、
(戸惑ってしまうかもしれないし)
何かは変わるんじゃないか?
夜一人で泣いてるなんて寂しいで。
まだ20だけど、読んでて涙ボロボロです。
ついでなので書かせて下さい。
今月、15年住んでいた家を売りました。
父が4年前から始めていた商売が失敗して、大きな借金を抱えてしまい
その返済の為仕方なく。お店も閉めました。
今は父だけ別の所(近所ですが)に住んでいます。
生活補助金の為、親も離婚手続きを取りました。
家にいるのは私と母、それに妹達。
もう父にはしばらく会っていません。すぐに行ける距離なのに…。
借金が出来たと聞かされた時、家を売ると、離婚すると聞かされた時、
ベッドの中で号泣しました。
何故今まで父のことを労わってあげられなかったのかと。
優しくて人のいい父がどれだけ追い詰められて、借金してしまったのか…。
何もしてあげられなかった自分に腹が立って腹が立って。
いつかまた、家族皆で一つ屋根の下で暮らせる様、頑張って働いています。
ごめんねお父さん。この連休にはお弁当作って会いに行くからね。
料理人のお父さんの口に合うかどうかは分からないけど。
昨年の十二月、日の落ちかけた時のこと。
突然、家の外から子供の甲走った声が聞こえてきました。口調がただごとではありません。
いそいで表に出てみると近所の小学生の男の子が、
「ばあちゃん! ばあちゃん!」
倒れているのは、その子の祖母。横にスーパーの買い物袋が落ちています。
私がどうしたの? と訊くと、急におばあちゃんがうずくまって意識がなくなったとのこと。
すぐに私は救急車を呼びました。救急車が来るまでの間、男の子は泣きながら
気が狂ったように、ばあちゃん、ばあちゃん、と叫んでいました。
結局おばあさんは助かりませんでした。くも膜下出血だったのです。
男の子の両親は数年前に離婚し、母親、祖母との三人暮らしでした。
母親は仕事に出るので食事の支度はおばあさんがしていました。
その日はお米を買うので、男の子に運ぶのを手伝ってもらったようです。
しかし男の子は重い荷物をいやがって他の軽い物を持ち、お米はおばあさんが持ちました。
通夜の席で男の子は、あの時自分が重いお米を持っていればおばあちゃんは死ななくてすんだ
かもしれないと言っていました。
私は、子供のあれほどの身も世もない叫びを聞いたことがありません。
きっとおばあちゃんっ子だったのでしょうね。
一生自分を責めながら生きていくであろうその男の子が可哀相だ・・・
688 :
大人の名無しさん:02/04/25 20:06 ID:frdRGdOS
>683
そういう時期は私もあったよ。
でも、20位になったら元に戻るよ。
>>867 けど、自分より弱い者に対して優しい人になるんじゃないかな?
少なくとも電車の中で、年寄りを前に立たせて寝たふりするような
人間にはならないでしょう。
690 :
大人の名無しさん:02/04/26 07:04 ID:FcjZBmeE
良スレage
691 :
大人の名無しさん:02/04/26 10:34 ID:nWqZluyN
は〜
涙・・・・涙・・
大学生の時、母方の祖父が亡くなりました。
一番私の実家が病院に近かったので、夜中でも車を飛ばして良く行きました。
じいちゃん子だった私がどこそこに旅行に行く、と云えば
「書斎の本棚にそこの資料が入っているから持って行け」と
必ず云ってくれるような祖父でした。
私には、痛いとも苦しいとも云わず
ただリウマチの膝をさすってくれと云うような祖父でした。
その祖父が亡くなって6年ほど経ったとき、
祖母が大腸ガンの手術をし、人工肛門を付けると話してくれました。
「こんな汚いおばあちゃんじゃ嫌われちゃうねぇ」と呟いたのを
今でも思い出します。
「何云ってんの。私の結婚式には絶対出て貰うんだからね」
当時その宛ては私には有りませんでしたが、
嬉しそうに笑ってくれた祖母の表情に私も嬉しくなったのを覚えています。
去年は、その祖父が亡くなって10年。
私はその年の2月に祖母の米寿のお祝いをした次の週に結婚し、
それまでは1ヶ月と空けずに通っていた祖母の元へ、
実家へもなかなか帰れない距離だけに滅多に行くことが出来なくなりました。
私の結婚式をした年の夏に入院し、一人で起きあがることすら
出来なくなった祖母が危ないと聞いたのは晩夏の頃。
痛み止めのモルヒネのせいで人の判別すら危うくなっていると聞いた病室で
祖母は私の手を握って上半身を起こすと、
病室にいる間ずっと手を離しませんでした。
ずっと身体を起こすどころか立ち上がることも厭うていた筈の祖母が
その日は何故かご機嫌で、起こせ、立って歩くんだと
介護で付き添っている母や叔母にねだり、
殆ど食べることの出来なくなっていた食事も少し、私の前で食べたのです。
翌日「結構元気だね」と云いつつ、私は現在の家に戻ったのですが
そんなに元気だったのはあの日だけだったのだと後に母から聞かされました。
秋になって、もう病院では出来ることは何もないし、
祖父の命日前には家に帰りたいと云う祖母の願いに、退院が許され、
その日は母の兄弟たちと退院祝いをしたのだそうです。
祖母はビールをちょっとのみ立とうと頑張るほどご機嫌だったそうです。
その翌日、祖父の10年目の命日に、意識がなくなりました。
母の兄・姉・妹や本家の叔父・叔母たちが呼び叫び、見守る中、
祖母は祖父の亡くなった時間の、1時間後に、亡くなりました。
今でも、思います。
正月に会ったとき、具合悪くて結婚式にいけないかも知れないと云う祖母に
無理矢理来いと行ったこと。前の週に米寿の祝いをしたこと。
それが、祖母の命を縮めたのではないかと。
新幹線で行かなきゃならないような距離に呼びつけたことが
悪かったのではないかと。
意識がなくなったとき、すぐ帰れば死に目に逢えたかも知れないのに
父の「まだ来なくて良い」の言葉に安心して、
翌日からのダンナの食事の用意をしていた自分。
今でも思い出すと、自分を責めずにいられないことがあります。
ただ、祖父が「よく頑張ったね」と迎えに来たのかも知れないと思える
『祖父の10年目の命日』だけだったことが、
私にとっての救いなのかも知れません。
大好きだからって無理させてごめんね、おばーちゃん。
だらだらととりとめのない長文で、失礼しました・・・。
693 :
西尾:02/04/26 17:00 ID:egqns/ah
励ましながらいたわり続けた
>>692さんと、それに最後まで答え続けたばーちゃん。
素で泣けた。sageだと?奥ゆかしいな。ageだage!
694 :
大人の名無しさん:02/04/26 17:07 ID:lU193O+q
>692さん
おばあさんにとって、大好きな692さんの結婚式に
出席できるってことは、それはそれは嬉しく大切な
ことだったんだと思うよ。
692さんが病室に来ただけで、そんなに元気に
なれるなんて、おばあさんは692さんのおかげで、
とても素敵な人生を送ることができたに違いないと思います。
だから、そんなに自分を責めないでください。
695 :
大人の名無しさん:02/04/26 17:25 ID:siI1xKvY
>>674 兄貴には期待しないほうがいいと思いますよ。
うちもそんな感じ。
割り切ってお墓参りに行ってあげてください。
亀レスなんだけど、
>>638の初体験って「女の子と映画館でデートした」ことでしょ?
変な妄想しないように。
696 :
692:02/04/26 18:02 ID:9QUq/Mj8
>693>694
書き捨てて戻ってみたらレスが。
ありがとうございます。
いたわり続けられるほど一緒にいられたかどうか
今の私には判らないです。
でも、この半年近く後悔し続けてきたことが、
吐き出せたことでほんの少しラクになった気がします。
まだ思い出した折りに泣き続けるのだと思いますが
ゆっくりゆっくり、自分と折り合いをつけてゆこうと思います。
>>692 死に目に会えなかったか〜
母と妹が父親の下着を買いに行っている間に
自分ひとりの目の前で父親が死んでしまったときに
病院に来た母にそれを伝えることがつらかったなあ
俺が買いにいきゃあ良かったと今も思う
嗚咽とは、ちょっと違うんですけど。
この前母と二人で食事をしていた時に、母方の祖母の話が出た。
数日前に、伯父家族と暮らしている祖母の家を訪ねていたからだったと思う。その時の話をしていて、ふと
「そう言えば、お祖母ちゃんと、○○ちゃん(従妹)たち別々に御飯食べてたよ」
と、私が言うと
「ああ、××さん(おばさん)、おばあちゃんのこと嫌ってる(憎んでる、って言ったような気もする)から」
と意外な返事が返ってきた。
今年中学3年になる従妹には、口蓋亀裂(名前違うかも)で、生まれつき顔に傷がある。
私はよく知らないんだけど、それは遺伝性のものじゃないかって言う話で、おばさんは母方の方から遺伝したんだって思ってるって。
実際、母方の家系にはそういう人がいたらしい。
伯父夫妻はお見合い結婚で、おばさんは、家系にそういう人がいたってことを知っててお見合いの時に隠してたんだ、話が違う、
って言って。それでお祖母ちゃんとの間に確執があるらしい。
ずっとおかしいと思ってた。
仲の悪いうちの母と祖母(父方)だって食事くらい一緒にするのに、なんで、お祖母ちゃんちに行くといつも一人で御飯食べてるんだろう、って。
でも、おばさんの気持ちも分かるから、許してあげて、なんて言えない。
生まれてきた子が五体満足じゃないって分かったら、そりゃショックだと思う。
今は整形とかもあるから、傷は直らないものじゃないけど。
おばあちゃんももう83歳になる。
もう先も長くないのに、おばあちゃんは一人で御飯を炊いて、一人で御飯を食べてるかと思うと、悲しい。
700 :
西尾:02/04/27 13:11 ID:ejPilXVb
>>699 この家族、このばーちゃんが死んだら後悔すると思うよ。だってばーちゃん、
何も悪くないじゃん。可哀想に。何も悪くないのに、孫の顔を見るたびに
どこにもぶつけようも無い罪悪感に見舞われてるんだろうな。
よそ者が言うのも何だが
>>699さんの所にばーちゃん呼ぶ事はできないのかにゃん?
ん?マジレスするはずが、にゃんでこんにゃ書き方してしまうのかにゃ?
猫の呪いにゃん?
701 :
大人の名無しさん:02/04/27 13:15 ID:QIxoSPtb
>>700 www.renge.sakura.ne.jp/~radio/graphic/animation/00kimi_to_boku/101/101.swf
亀レスで、しかも本題と違ってて申し訳ないのだけれど。
>683
親の態度が兄弟と違うのは、チミと話すと喧嘩になるからどう扱えばいいんだろう?
って親も戸惑っているからだろ。多分。
親から喧嘩腰で物を言われてもニコッと笑って「そうだね、スマソ」で話を
終わらせてしまえば済む話のような。
そのまま衝突の思春期を過ごすってのも若々しくてよいのうって思えちゃう
ワタシはもうよい年・・・。
703 :
大人の名無しさん:02/04/29 12:12 ID:9uLH1jOp
>>683 辛いよね。私にもおぼえがあるよ。
家族の中で1人浮いてる気がするっていうのは本当に心細いし
依り所がないと不安だよね。
>>476さんが書いてらっしゃるところ少し読んでみて。
参考になるかどうか判らないけど。
あなたのご家族はもしかしてあなたと性格や考え方が合わないのかもしれないね。
だからってあなたが悪いわけじゃないよ。
誰かと誰かが合わないからって、それはどっちかが悪いわけじゃないはず。
私の場合は、話すことは何の解決にもなりませんでした。
救い様がない言い方でごめんね。
でもどうしようもない関係って、たとえそれが肉親でもあると思うんだよ。
いつかあなたに心から安心できて幸せになれる日が訪れますよう。
704 :
大人の名無しさん:02/05/01 02:30 ID:i0UxwYWY
>>703に激しく共感
肉親だからこそのお互いの甘えってのもあるのかもね。
お互いに求め合ってしまうのかも知れない。
だから衝突しちゃう。ってこれはウチのパターンか。
今は家族として見ないで個々として見るようにしたから
衝突はしないが物悲しい。
>>699さん
もう遅いかもしれないけど、最近の口唇口蓋烈に対する一つの意見です。
>ある専門医によると口蓋裂そのものは「ほとんど遺伝に関係ない」そうです。
>「ほとんど」というところが微妙に聞こえますが、症例のうち何件か
>極々希に兄弟とも口蓋裂をもつケースがあるそうです。しかしどうでしょう。
>普通でも極希に兄弟とも左利きの場合というのがありますよねえ。
>そういう時に私たちは「あ、これは遺伝だ!」と言うでしょうか?
>それは遺伝というより単なる偶然と言ったほうが妥当ではないでしょうか。
>兄弟して口蓋裂があるようなとても希なケースも「遺伝」として捉えるより、
>「偶然」と考えたほうが妥当なくらいに発生率は少ないそうです。
ソース
http://www.maebashi-it.ac.jp/hideto/pr/faq.htm
706 :
大人の名無しさん:02/05/02 03:49 ID:I1xxzVuL
良スレあげ(TT)
707 :
大人の名無しさん:02/05/04 03:00 ID:+ABItl8q
こんな良スレさげておくのもったいないAGE.
さっき拾ってきた仔猫が亡くなってしまいました。
産まれてたった数日の命でした。
仕事があってお世話が出来ないので、病院に預けていました。
昨日は休みだったので家に連れて帰って来ていました。
まだ本当に小さくて、手乗りサイズの猫。
ミルクが上手く飲めなくてたった1日でしかが苦労しました。
さっきまた病院に連れて行こうと思い見ると動かなくなっていた。
まだ温かいし信じられなくて病院に連れて行ったけどダメだった。
もっと早く連れて来ていれば良かった・・・。
病院のドアを開けると看護婦さんと先生が「おかえり〜」と笑顔で言ってくれた。
もうコトバにならず泣きながら「死んじゃったみたい」と言った。
病院の先生はみんなで頑張ったじゃない。これがこの子の運命なのよ、と言ってくれたが
もう涙は止まらず嗚咽してしまった。
そして「いっぱい泣いてあげて。それが供養になるから」と言われた。
何を言ってもらっても申し訳無いけど、素通りで涙だけ出てきた。
自分でもこんなに泣くとは思わなかった。
いい大人になって初めて生き物を亡くす辛さを知った気がする。
短い間だったけど、出会えることが出来て良かったと思う。
天国でたくさんのお友達猫とかけまわって暮らしてね、と祈るばかりです。
709 :
大人の名無しさん:02/05/04 19:42 ID:g6fZHblK
>>699 というより、その叔母さんは、自分の結婚に疑問を持っているのですね?
その結婚の結果生まれた、あなたのイトコ達の存在を遠回しに否定しているのですね?
そのオバハンを、超1級のクズ人間に認定します。お慶び申し上げておいてください。
>>709 禿同。
叔母さんが出産当初ずいぶん悩んだり苦しんだだろうことは
想像できるし同情できるけど、何回か手術すればかなり
目立たなくなるんだから、そこまで姑を憎まなくてもいいのにと思う。
責任転嫁は心の中だけにすりゃいいのにな。
>>699はおばあちゃんを大事にしてあげよう。
いいスレだったのになあ……
物心付いた時には孤児院にいた。
俺は自分の親の名前・素性・顔など一切知らないし、
知らされてもいなかった。
その孤児院には警察官の有志が剣道を教えに来てくれていた。
唯一の娯楽が剣道。俺は一心不乱に夢中になった。
中学卒業と時期同じにして高校からスポーツ特待の話があった。
小さな頃から続けていた剣道の成績が良かったおかげで高校に
通う事が出来た。だが、高校の寮生活は楽ではなかった。
毎日練習が終わったらバイト。修学旅行は旅費が払えずに辞退。
バイトで稼いだお金は全て寮費や食事代に消えていった。
唯一の楽しみだったバイクも可愛がっていた。
運良くインターハイでもそれなりの成績を残せ、そのまま大学へも
授業料免除で進学出来た(付属高校だったから)。
大学時代も練習とバイトの毎日だった。授業料の心配は無いが
食費ぐらいは自分で稼がなくてはならず、殆ど休みもなく3つの
バイトを掛け持ちで続けていた。それでも遠征費や寮費、食費が
かさみ、決して楽な暮らしにはならなかった。
卒業後、地元の中小企業に就職。初めて貰った給料で生まれて初めて
寿司を食べた。
27歳で一念発起して独立。業績は順調で世間並みの暮らしが出来るよう
になった。その後初めて風呂付きの部屋を借りる事が出来た。嬉しかった。
毎日風呂を一生懸命磨いていた物だ。
その後30にして結婚。当然、先方の親からは大反対。
誰でも孤児に娘を嫁にやりたいとは思わないだろう。しかし、何度も通った末に
ようやく認めてもらえた。
順調に子供も出来て、初めて家族という物の実感が与えられた。
しかし、不慮の事故で生後8ヶ月の子供を残して嫁は逝ってしまった。
つくづく不幸の星の元に産まれてきたようである。
現在3歳の娘と一緒に暮らす家も購入した。
何とかこの娘だけは幸せな人生を送ってもらいたいと思っている。
713 :
大人の名無しさん:02/05/05 22:30 ID:Mk92A8XC
>>712 今は、娘さんと二人で平穏に暮らしているの?
714 :
西尾:02/05/05 23:10 ID:0vxdVEfI
>>712(TДT;)オ〜イオイ!
赤の他人が何を無責任な事を、と言わないでくれ。いや、言ってもいい。
あんたきっといい事がある!あんたみたいな人が一生報われなかったら、
誰が幸せになる権利なんかあるってんだ!
願わくば娘だけのためと言わず、自分と娘さん両方の幸せを望んでくれ。
あんたはそれを堂々と望む事のできる人間のはずだ。(TДT;)オ〜イオイ!
715 :
712:02/05/06 00:00 ID:gFGfzlQ3
>>714 そんなに泣かなくても...
御陰様で仕事の方は順調ですので。子供にはある程度の贅沢は
させてあげられそうです。
716 :
西尾:02/05/06 00:26 ID:bGY0skaP
>>715 ゴメンよ。(-ДT;)グスッ!あんたみたいな真っ正面から一生懸命生きている人間に
弱いんだよ、俺。俺自身がコズルい人間だし…。
G.W.どっか娘さんと行ったのかい?チキショー!こんな活字だけの世界での他愛無い
話だが、せめて応援させてくれYO!
717 :
大人の名無しさん:02/05/06 00:37 ID:gFGfzlQ3
GW中は近所の公園に行ったくらいかな...
ファミリーが多いところへは、連れて行きづらい。
以前、保育園の親子遠足に行った時に、他の子の母親
を見て、「なんで私にはママはいないの?」って聞かれて
辛かったからね。
今更しょうがない事ではあるが...まだ小さいから説明しても
解らないだろうし。
718 :
大人の名無し:02/05/06 03:00 ID:MHt5DJmf
2歳半になる息子がいます。
去年7月に2人目の子を流産しました。
つい先日、息子と布団にねっころがって遊んでいたら
息子が突然天井を見上げて
「赤ちゃん、こっちこっち。おいでおいでー」
手招きしはじめました。
「あそこに赤ちゃんいるの?」
と聞く私にただにこにこと嬉しそうに。また
「赤ちゃんおいで」
ああ、お母さんとお兄ちゃんのところに遊びにきたのね。
あいにくお父さんはまだ仕事で帰ってないの。
3人で一緒にお布団で遊びました。
やっぱりあなた女の子だったんだね。
また、お父さんとお母さんと優しいお兄ちゃんのところに戻っておいで。
こんどは抱っこさせてね。
719 :
末野松政次郎:02/05/07 17:41 ID:/KZup/N+
昨日、母の葬式に出たんです。享年54歳。
そしたらなんか自分、涙が一滴もこぼれないんです。
で、よく見たら会ったこともないような親戚のおばさんですら泣いているんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
俺な、親の死を目の前にして放心してんじゃねーよ、ボケが。
目の前に人が死んでるんだよ、母親が。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で葬式か。ほんとありがとう。
パパは息子さんに挨拶してくるから車で待ってなさい、とか言ってるの。いい親父だな。
俺な、親が死んでんだからもっと泣けと。
葬式ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
死に化粧をみた瞬間いつ涙があふれてきてもおかしくない、
泣くか叫ぶか、そんな雰囲気が普通なんじゃねーか。オレ、なんなんだよ。
で、やっと葬式が終わったかと思ったら、なんか次々と母のことが思い出されるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、今さら思い出したところで意味ねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、今度の休みには帰るよ、だ。
俺は本当に休みに帰るつもりだったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
俺、適当に親との距離をとりたかっただけちゃうんかと。
親不孝者の俺から言わせてもらえば今、若者の間での最新流行はやっぱり、
反抗期、これだね。
親ってのはいつまでも生きているもんだと思っている。これがガキの考え方。
親の期待をかなえたつもりで一人暮らし。そん代わりコミュニケーション少なくなる。これ。
で、「少しだけ仕送りいれといたから」 「ああ、無理すんなよ」。これ最期の会話。
今になって後悔ばかりが思い出される、諸刃の剣
まあお前ら若いもんは、ほんの少しでもいいから親孝行しなさいってこった。
720 :
大人の名無しさん:02/05/07 18:10 ID:qn+eO5UA
4年前の話です。
入院してた祖父が死にそうだと連絡を受けて急いで病院へ。
私がついたときにはもう家族全員集まっていました。
そしたら祖父がホントに小さい声で
「○○(私の父)、おまえは俺達の本当の子じゃないんだ… 。」
全員が凍り付いたようになりました。
そのまま祖父は意識がなくなって、翌日亡くなりました。
葬式の時に祖父母とつき合いのあった人に聞くと
父は祖父の兄の子供でした。
祖母は子供ができない体だったので、もらってきた子だったということ。
確かに昔の人なのに一人っ子というのは不思議ではありました。
でも祖母は体が弱かったからなんだと思っていました。
父は何も言わずに喪主を務めました。
初七日も終わったある日の夜
祖父の部屋に電気がついていたので覗いてみると
父が声を出さずに涙だけ流して泣いていました。
60年目にして知った真実、誰にもぶつけられない思い
いろいろと混じった涙だったんだと思います。
もちろん、まったく血のつながりがないわけではありませんが… 。
最後に祖父に一言
「じいちゃん、言わなくてもいいことだってあるじゃない。
知らない方が幸せだって事の方が多いのかも知れないんだよ。」
小学生の時、ささいなことで母と大喧嘩。
母に何を言ったかも、言われたかも忘れてしまいましたが、
ただ一言、言ってはいけない言葉を吐いたのを覚えています。
「お母さんなんて死んじゃえ!」
次の朝、母は起きてきませんでした。
過労が原因で、眠ったままあの世に逝ってしまったのです。
最初は冗談かと思うくらい、安らかな死に顔でした。
勿論、私の言葉が原因で亡くなったわけじゃない。
だけど、この8年間誰にも言えずに、ずっと後悔してきました。
もしも願いがかなうなら、どうかあの晩に時間を戻してほしい。
今なら「お母さんいつもありがとう。」とか
「少し休んで。あまり無理しないでね。」とか言えるのに‥。
722 :
名無しさん@どーでもよくない:02/05/08 07:37 ID:jehpVxAY
自分だけが泣いた話ですが。
この連休、旦那はずっと仕事でうちは母子家庭状態でした。
何処へ出かけるわけでもなく、子供と近所のスーパーをぶらぶらしてりして。
フト、思い立って大掃除をしてみました。
押入れの中をごそごそしていたら古いCDが何枚か出てきました。
わー、懐かしいなー、って夜中に子供が寝てしまって
もちろん旦那はまだ仕事から帰ってこないときに1人で聴いてみたんです。
それは「爆風スランプ」の月光とかランナーが入っているCDでした。
ちょうどこのCDを買ったのは私が大学生で同い年の人と付き合っていた頃。
毎日のようにデートしてバイトして友達とカラオケして。
本当に1日1日が輝いていた。
今、旦那とはうまく行っていなくて家庭内別居みたいな状態だから
このCDを聴いて・・・なんか・・涙が出てしまった。
私はなんて遠い所に来てしまったんだろう・・って。
あの頃に帰りたいわけじゃない。
でも、この涙は何の涙なんだろう?
定期sage
>722さん。そんな気分になる時ってあるよね。
私も「今どこを歩いてるんだろう?」と、途方
にくれることが多いよ。
だけど人は前に進むしかできないし、休み休み
でも良いから先に進もう。
自己責任って言葉があるけど、自分に最後まで
責任持ってくれるのは自分しかいないんだし、
心も体も労わって下さい。
自分のことを大事にするのも立派な責任ですよ。
>722
わかるな、なんか。
子どもの頃とか学生の頃って、
生きていくことが辛かったり大変になったりするなんて
全然思っていなかったなあ。
いま、そんなにすごく大変ってわけじゃないけど
なんだろう。
満たされていないような、切ないような感じ。
甘えてるのかもしれないけどね。
726 :
722:02/05/09 15:01 ID:dl3XcoGf
>724さん、>725さん
ありがとうございます。
古いCDって危険ですね(笑
つい一人で浸ってしまいました。
でも、ここで聞いてもらえてなんか元気が出ました。
本当にありがとう!
727 :
大人の名無しさん:02/05/10 10:09 ID:IRS/D63S
昨年、夫が自殺した。鬱病だったせいもあって、「とうとうやってしまった」と変にサバサバしていた。
離婚に向けての別居中で家を空けていた時だったため、向こうの親族一同に責められた。
通夜の用意の為に一時帰宅していた父に、用があり公衆電話から電話した。
すると父が「お前は何も悪くない。何を言われようと、お前は悪くない。分かってるか?」。
電話の向こうで父は泣いていた。祖母の葬儀でも泣いていなかったのに。
「お前が可哀相で、俺は泣けてくる。あいつ(夫)の為に泣いてるんじゃない。」。
今まで父は夫の味方ばかりしていたのに、夫婦仲が上手くいくように言ってくれていたと、初めて気づいた。
今は実家で、両親と子供で一緒に暮らしてる。
あの時は、あの言葉に救われた。
面と向かっては言えないけど、本当にありがとう。
ちょっと違うかもしれないですが、書かせてください。
私は、去年流産をしました。
手術を終え、自宅で療養していたのですが、
そろそろ実家にも報告しないと、と言うことになり電話しました。
「泣かないで冷静に報告しよう」と思っていたのですが、
母の声を聞いた途端、涙があふれてきて
「赤ちゃんダメだった」としか言えませんでした。
十数年ぶりに、母の前で大泣きしてしまいました。
母は、「大丈夫?かあさん、そっち行ってあげようか?」と心配そうでしたが
「大丈夫、もう大丈夫だから」とだけ言って電話を切りました。
その翌日の昼過ぎ、私が寝ていると、ドアベルが鳴りました。
誰だろう?と思いながら開けてみると、
母が「来ちゃった。」と立っていました。
「来ちゃった。ってなによ、それ」と思わず笑ってしまいました。
すると母は、「あんたに食べさせたくて」と
両手に持った紙袋を差し出しました。
その袋の中には、私の大好物だったカボチャの煮物や炊込みご飯、
クッキーや、おまんじゅうがギッシリと入っていました。
昨日の晩に電話を切った後、やっぱり心配で、夜中に煮物を作り、
朝一でお店に出かけお菓子を買い、五時間も新幹線に乗り、
おどけて「来ちゃった。」なんて・・・と思うと大泣きしてしまいました。
その晩は、泣き続ける私を「つらかったね」と一晩中なぐさめてくれました。
翌日、「仕事があるから」と朝一番の新幹線で帰っていきました。
あの時は、本当にありがとう。食べ物よりも来てくれた事がうれしかった。
貴女の娘で本当によかったです。
後日、旦那が教えてくれたのですが、私が泣きつかれて眠った後
旦那に「まだしばらくはグズグズ言うと思うけど、泣かせてやってね。
それで、泣きおえたら好きなもの食べさせてやって。」と
お金をくれたそうです。
食い意地がはってるのは確かだけど・・・。
ちょっとスレ違いなのでsage
>>728 胸が熱くなったよ・・。
辛かったでしょうけど、これからも頑張って!
忘れ物を取りに行った赤ちゃんが早く戻って来てくれますように。
ゴメン、揚げちゃった。。。
sageて〜!!
>>728 今は体は大丈夫なの?
辛い事だったけどお母さんがいてくれてそのことだけは本当に良かった。
私の母なら私を責めて見返りもしないな。病気で集中治療室に入っても散々だったし。(苦藁
子の私が生まれる前から子が死ぬのを望み続けてる。そんな母なんで
私には本当に母と呼べる人が心にはいないんだな。
>>720 >最後に祖父に一言
>「じいちゃん、言わなくてもいいことだってあるじゃない。
>知らない方が幸せだって事の方が多いのかも知れないんだよ。」
それは違うかも。お父さんに聞いてみよう。
母と些細なことで大喧嘩をして、父に話を聞いてもらいながら
大泣きしてしまいました。
小さい頃からいまだにやること変わってません。
母がわたしのことを心配してくれるのは本当に良くわかるのですが
こちらの状況を知らない見当違いの説教で、ましてや
「人でなし」とか「あんたは冷たい」とか言われると
本当に情けない気分になってしまうんですね。
いくら心配した上での言葉にしても、でももう少し言葉選べよ。と。
その後なんとか折り合いはついたのですが
母と顔を合わせないように、母がいない時間を見計らって
実家に帰る日が何回か続いています。
先日、時間がなくて母が帰って来ないうちに実家を出たところ
信号の剥こう側に母が立っているのを見つけました。
こちらはクルマだったので、気がつかない振りをして走り去りましたが
母は気がついたんだろうなぁ。
一気に老け込んだような、淋しそうな姿を思い出すと泣けて来ます。
自分の狭量さに腹が立って。
母の日のプレゼントは用意したし、その日は会いに行く予定も入れてありますが
なんだか上手く行かないのが、つらいなぁ。
微妙にスレ違い。スマソ。
734 :
大人の名無しさん:02/05/11 08:20 ID:waaVF2BF
>>732 静かに静かに同意。
もしかするとその時のお父さんの涙は、
自分の本当の息子でもないのにしっかりと愛情を持って育ててくれた
おじいちゃんへの感謝の涙だったのかもしれない。
私はそう思いたいな。
私の母方の祖母は、昔洪水で流されかけている母を助けて亡くなってしまったそうです。
当時母10歳、祖母27歳。
母は、30歳になって祖母が継母だったと知ったそうです。
>733
誰だって、ほんとはおかあさんと
うまくやっていきたいよね。
でも、親子とはいえ性格も価値観も考え方も違うし
どうもうまくいかなかったりするんだよね。
切ないけど。
明日の母の日には、あたたかい言葉をかけてあげられるといいね。
736 :
大人の名無しさん:02/05/11 21:56 ID:IRhQ0gvS
友人のお母さんが亡くなりました。
身長170センチ体重推測80キロもあって、焼肉が大好きで、
明るくて、豪快で、凄い人でした。
その人が、一昨日、突然逝ってしまいました。
先月の末に会った時は、別にいつもと変わった所もなかったのに。
ただ、思い返せば、いくつもあった大きな鉢植えがほとんどなくて、
人にあげちゃったの〜と言ってたけれど、その時はふ〜ん、としか思えなかった。
いつも座ってたソファもなくなってて、どーしたのと聞くと、
うん、片付けちゃった、広くなったでしょ、と言われ、
そうだね、としか思わなかった。
お風呂で倒れて、友だちが見つけた時には、もう亡くなってたそうです。
お風呂も大っ好きだったなあ、おばちゃん。
大事な娘残して逝っちゃって、どうするんだよ〜
逝った方も辛いけど、残された方も辛いよ〜
62才、ウチの母親とほぼ同い年。他人事じゃない。
みんなも、母を大切に・・・
明日、母の日に葬儀です。
まだ21歳のヒヨッコですが、このスレに来て、一気に読みました。
大学1年の時、ある人に出会いました。
5歳年上の23歳。とてもカッコイイ人でした。
べつに、はっきり言葉に出したわけでもないし、
セクースもしたわけじゃないけど、私は彼が好きだったし、
彼も、私のことを好きでいてくれてたと思います。
仕事が忙しいのはわかっていたから、あまり負担もかけたくなくて、
私から「会いたい」とか言うのもためらっていました。
彼が仕事で地方に長期出張していた時、
そこで会った人と、子供ができてしまい、結婚しました。
私はそんなことは知らなくて、
ただ、いきなり電話が着信拒否にされたことにショックを受け、
精神的に参ってしまいました。
そこまで、会いに行く勇気も出ませんでした。
どうがんばっても連絡はつかなくて、
彼の友達に聞いても「俺も連絡とってない」でした。
結婚したことを知ったのは、それから半年後!
もう、ビックリしすぎて、どうしようもできなかった。
だけど、ずっと忘れられなかった。
彼の誕生日に、思い切って電話をしたら、
穏やかな口調で話をし、結婚については私も触れられなかったけど、
近況というか、たわいもない話をしました。
彼が出向から東京に帰ってきて、何度か会いました。
それでも、べつに食事をするくらいでした。
でも、今度は彼が仕事をやめて、実家(大阪)に帰ることに。
「最後やから、2人でどっか行こうか」といわれ、
彼の好きな、釣りに連れて行ってもらいました。
入念に計画を立て(嫁さんにバレないように)ました。
夜、仕事が終わってから合流し、クルマを走らせました。
目的地に着いて、まずは彼に釣りを教えてもらって、
めいっぱいはしゃぎました。
このまま、時間が止まればいいと思いました。
釣りをして、ホテルにチェックインして、
食事を楽しんだり、温泉に入ったり。
夜に、初めて、その人とセクースしました。
とても、幸せでした。
最初から、涙が止まらなくて、気持ちがいっぱいでした。
「ごめんな。ずっとさみしかったやろ?」って言われて、どうしようもなかった。
「子供ができたとき、オマエにどう説明したらええか、
思いつかんかった。あんなヒドイことして、悪かったと思ってる。
子供、オマエの名前つけてん。
オマエのことが、誰よりも、いまも好きやから。ゴメンな」って。
「時間が、このまま止まったらええな」って言われて、
同じことを考えていたんだと、ますます涙がでました。
見た目は、ちょっと怖いけど、
実は、すごく照れ屋でかわいい人。マジメなひと。
そんなところが大好きでした。
次の日は、散歩したりしてから帰りました。
めっちゃ遠かったけど、わざと下の道で帰りました。
すこしでも、長い時間、一緒にいたかったから。
黄色信号にかわったくらいでも、止まったりして。
私の家が近づいてくると、
会話もなくなって、ただ音楽にあわせて歌ったりでした。
私の家に入っていく角を曲がった時、
また涙が流れてきて、止まりませんでした。
「もう、会わないね。」って、言葉にならないくらいで言いました。
「でも今日のことは、しまっとくやろ?
オレのことも、しまっとくやろ?
たまにでも、思い出して、泣くやろ?オレのこと、絶対に忘れんやろ?
それでええねん。それで、それが一番やねんから。」
クルマから降りる時、最後に、
抱き締めてくれて、キスをしました。
涙が溢れて、止まらないって、こういうことなんだと思った。
「バイバイ」って、勤めて笑顔で行って、
ダッシュで部屋に戻って、ベッドで泣けるだけ泣きました。
どのくらい、涙も鼻水も、よだれも出したかわからないくらい。
彼のことは、一生忘れないし、
これからの彼の幸せ、彼の家族の幸せだけは、ずっと祈りつづけます。
スレ違い?でも、嗚咽どころが号泣した体験。
早く、いい人が見つからないかな、って思ってます。
741 :
:02/05/12 08:57 ID:finsoR5c
・・たまにはこういう話もいいもんだね。ウンウン
うーん。
本当に彼女のことを思ってたら、
中途半端な仕打ちをするべきじゃないよ、彼。
結局は自分も一度してみたかっただけちゃうんかと
彼に対しては感じてしまう。
彼女が想い出に酔って満足してるだけに可哀相。
743 :
728:02/05/12 14:15 ID:7037Qz8R
>729
ありがとう。忘れ物を取りに行ってるんですね。
早く戻って来てくれるといいのですが・・・。
>731
体は回復したように見えて、まだまだです。(不順になってしまった)
家の母も、祖母とはうまく行ってなかったので
「自分に娘が出来たとき不安だった」らしいです。
あなたにお子さんが出来たときにいい関係になれるといいですね。
>737さん
まだ21才。これからの人生で彼より素晴らしい人に出会えるよ!
今は彼が一番って思ってるだろうけどもっと年を重ねれば
>742さんの言ってる意味が解ってくると思う。
悪いけど私も彼は良い男じゃないと思ってしまう。
>オレのこと、絶対に忘れんやろ?
>それでええねん。それで、それが一番やねんから。
何がええねん!!お前だけが良いんでしょう。って感じ
これから新しい恋もしていかなければならない娘に言うセリフ??
酷いよこれ。これは良い男が言う事ではないね。
そして生まれてくる子に貴方の名前をつけるなんて…。
奥様も不幸にしている仕打ち。
酷い事書いてゴメンね。でも思いっきり泣いた後に
冷静になって考えれば解ると思うよ。
そして彼みたいな男じゃない人探して下さいね。
「あのアホ男!」と笑いながら言える日が早く来ます様に。
745 :
nanashi40.exe:02/05/12 18:57 ID:55enJaAp
セックスした時点で、もはやいい男ではないと思う。
ましてや結婚しているならなおさらだ。
相手の思慕の情を逆手にとるようで、同性として、
そういう奴は卑怯だと思う。
やるなら本気で道はずす覚悟でやるべきだ。
ごめんな
>>737 ところでここは30代板だぞ。(w
747 :
大人の名無しさん:02/05/12 19:18 ID:lSD7lS3W
>740
人の旦那を寝取っといて、
「早く、いい人が見つからないかな、って思ってます。」
ってのは、ずうずうしいぞ。
男も女もどっちもどっちだ。
>737
大学一年ていうと18くらいか。彼も23だしな・・・
何事もやってみな分からん年頃なんかな。
まぁ泣いて済んだんなら良かったと思うよ。
これからは泣いても済まないことが増えてくるので、
今のうちにたっぷり泣いておきなさい。
泣けるのは、具体的に自分を苦しめる対象がはっきり
と見えるから泣けるわけで、対象が茫漠としていたし
て何に苦しんでるのかもはっきりとせず、気づいたら
自分自身がその原因だったなんてこと珍しくないよ。
ただ、そういう中で自分を支えてくれるものに目を向
け、自分を考え直すのもまた人生です。
何があったって、そこから何かを拾っていけるような
大人になってな。
そして、願わくは周りの人を大切にして下さい。
750 :
大人の名無しさん :02/05/13 01:38 ID:sblY5KhK
>737
もう、なんて言ったらいいのかね・・・この男!
なめられてるんだよ?
あなたのことをこれっぽっちも大切に思ってないんだよ?
わかってる???
737さんだけじゃなく、奥さんもね。
女を馬鹿にしてる
>747
人の旦那を寝取っといて、
「早く、いい人が見つからないかな、って思ってます。」
ってのは、ずうずうしいぞ。
男も女もどっちもどっちだ。
禿同。結局向こうも女の方の中身、見透かしてるんだよ
>737
せっかくの美しい?思い出に水を差すようで悪いけど
その彼って嫌な奴だよ、本当に。
出来ちゃった結婚だって「ヤッたから妊娠した」という事実だし
「早くいい人みつからないかな」発言も既婚者の多いであろう
この30代板では「人の旦那と寝た小娘が何を言う・・」としか見られないって。
あなたに好意的に考えても、心の隙間に付け込まれた10代のお嬢ちゃんの自己陶酔話
としか見えないのがなんとも・・。
ごめん・・大人になるって寂しい事なのだ・・・。(ハム太郎知ってる?)
752 :
:02/05/13 08:57 ID:OaSuPx6+
>737
男も悪いけど、騙されるあんたも悪いよ。
どんなに理屈言っても、悪いことは悪いことなんだよ。
程度に関わらず、悪いことは全て麻薬と同じなんですよ。
悪いことは、やっているうちは気持ちが良い。
けど気づいたときにはボロボロになって、誰からも相手にされなくなる。
頭と意志の弱い馬鹿としか見られなくなる。
私は30ぴったしだけど、人生短いながらも今まで見てきた経験から、そう思いますね。
実際そんな女に関わっていたことがあるんですが、最後はそいつは気を病んで通院、まともに働けなくなりました。
全くあなたと同じことを言ってましたよ。
753 :
大人の名無しさん:02/05/13 12:34 ID:aOKJYYmU
>>750、751&752
禿同・・・なんちゅーか男も男だが、誘いに乗った彼女も悲しいね。
話をする程度なら許されるけど、一線を越えちゃ・・・。
世の中こういうのが増殖してるんだよね・・・。
>737
プリン板に逝けば?
755 :
大人の名無しさん:02/05/13 14:15 ID:koIR95S9
まあまあ きっと737も
新しい恋を見つけて色々経験つんでいくんだよ
誰にも理解出来ない宝石の想い出なんだよ
まあ いいじゃないのさ☆
756 :
755の追加:02/05/13 14:19 ID:koIR95S9
このスレ 嫌いじゃないんだけどもね、
人の生死以外の事書くとなんか皆さんのレスが手厳しいと思うんだよね。
中絶だとか 不倫だとか
そりゃよくない事だけどもさー
そこまで責めなくてもいいんじゃないの?
737の相手の男の奥さんが嗚咽しているかと…
>>756 確かに。
ただ不倫なんてのはその人のせいで傷つく人がいるわけだから、
ある程度手厳しくなるのも仕方ないんじゃなかろうか?
>>737 正直おれも他の大半の人と同じく否定的な意見なんだけど、
みんなで責めても仕方がないと思うので止めときます。
君によい出会いがありますように。
でも、こういうこと繰り返しちゃ駄目よ。
本当に君の幸せを祈ってくれる人が見つかるといいね。
>756
デモさ、やっぱりここは30板だから
読み手も書き手も30代以上というのが大前提であるからして。(違ってたらごめん)
人間30年以上生きていれば常識というか、倫理というか
うーん、うまくいえないけどある程度の節度があるはず・・と思うのよ。
仮に、中絶の話とかがあっても、その文章に納得がいくものが感じ取れれば
責める人はいないんじゃないかな・・・。
しつこくなってごめん・・というわけでsageとくね。
>>758 うん。俺もあなたの意見に同意です。
ここにくる人たちの多くは「愛」の中でも普段気づかないような
「家族愛」だとか「人間愛」の深さに改めて気づいたよって人が多いんだよね。
「愛」なんて言葉は文字にするのも恥ずかしいんだけど・・ほんとはね。
>>737 30歳を越えた、君から見ればおじさん、おばさんの集まりだけど、恋愛に関しては
若いときに同じような経験をした人も少しはいると思うよ。
君を責めているととらずに、応援してるととったほうがいいと思うな。
気持ちは痛いほど分かるけど、「よくやった、よかったな」とは言えないんだよ。
彼女にレスした奴等、おまえら実は優しいですね。オレモナー
かなり言葉を選んでるし、感動しちゃたYO!
まあまあ、彼女もさ、自分がいかに、相手の奥さんや家族を号泣させるようなことを
しでかしたのか、今はまだわかんないかもしれないけど、いつか気づくよ。
本当に泣きたいのは、彼女自身じゃなくて、彼の奥さんや子供だってね。
そしてそれに気づいたとき、その男がいかにひどい奴だったかも分かるって。
……みんなもあるでしょ?
消し去ってしまいたい、今になるとのたうち回りたくなるような過去のお馬鹿な感情。
ただ、私ら(一応、30代以上を仮定)の若いときは、2chのような場所はなかったから、
不特定多数にその感情を吐露するような機会はなかっただけさ。
つーか、たぶんネタだよね?
なにが嗚咽なのか謎だし、
ラストデートで「釣り」ってあたりがいかにもだし、わざわざ子供に女の名を付けた
なんて、神経逆なでするあたりもなんかなーだし。
「マジレスがいっぱい釣れたYO!」なんじゃないのかと。
>762
事実は小説より奇なりでしょ。
バス釣りなんか流行ってるし、富士五湖近辺なら
かわいいペンションいっぱいあるし、
自分から進んでパンツ脱いでくれそうな純情女子大生を
いただきます〜って・・その男、美味しすぎるね。
子供に737の名前を付けた、なんてリップサービス信じちゃう辺り
彼女は本当に純真だったんだよ。
(どうせこれっきりの関係だからばれる心配も無し!
友達関係には737がストーカーしてる!と予防線張っとけばOK)
煽りみたいな文章で申し訳ないが、あまりの屑男っぷりに
私が嗚咽しそうだYO!
ネタかどうかはべつだけど、
これを書き込んだ本人自身が
その時泣いた体験だっていうのは確かだろうね。
ただ、その体験というのが(世間的に見て)良いと思われないことなのに、
悲劇のヒロイン気分ですごした当の本人にはそれがわかってなかった。
だから、ここに書き込んじゃった。
ただ、漏れは
>>737のこと一方的に責めたくはないな。
若さ故の過ちって単純な言葉で片づけるのもどうかと思うけど、
少なくとも漏れ達よりずっと若いわけで。
>>737 これからいい経験を積んで、イイオンナになってね。
あなたが好きだった彼を悪く言うわけではないけど、
彼よりもっと優しくて、立派な男もいっぱいいるんだから。
さっ!皆さん、嗚咽に戻りましょ。
このスレすごく良いと思うし。
765 :
大人の名無しさん:02/05/13 22:27 ID:KQPbZ9H9
嗚咽とはちょっと違うんだけどさ、もうすぐ知人に子供が生まれるんだ。
知人といっても逢えば挨拶する程度の仲なんだけど、
彼女は半年前に母親を亡くしてすごく心残りだろうな。
世の中には何万人に1人とかいう障害を持って生まれてくる事があるけれど、
それが複数あると障害を持って生まれる確率はどの程度なんだろうって思ってしまう。
出産時のトラブルで障害を持つ場合もあるし…。色々考えると怖い。
う〜ん、酔って内容がメタメタなんだけど、要は元気な赤ちゃんを産んでねって事。
いつもROMしている25歳ですがおじゃまします。
きのうは母の日でしたね。
私が21歳の時に突然母は亡くなったので、母のいない4回目の母の日でした。
遺された私たちは、悲しいけれど母のいない生活にも慣れました。
私は母が他界していることを動揺せずに話せるようにもなりました。
ただ、毎年母の日に花屋さんで白いカーネーションを買うことだけができません。
今年も花屋さんで「何色にしますか?」と聞かれ、白いカーネーションを横目にしながら、
「ピンクと黄色でお願いします」と答えていました。
出来上がった花束はピンクのペーパーに包まれてピンクのリボンが掛かって、
どう見ても仏壇にはふさわしくないとってもかわいらしいものでした。
それを抱えて家に帰る途中、涙がにじんできちゃいました。
白いカーネーションを買うのが恥ずかしいということではたぶんなくて、
認めているつもりでも、まだ心のどこかで母親がもういないということを
否定したいのかななんてぼんやりと考えていました。
嗚咽ではないけど、このスレを思いだしので書き込ませてもらいました。
>>766 いつからお母さんのいない人は白いカーネーションを買わなければ
ならなくなったのかな・・・
お母さんにお花を贈りたいって気持ちだけで充分だと思うのに。
ピンクと黄色のかわいらしい花束でお母さんも喜んでいると思うよ。
>いつからお母さんのいない人は白いカーネーションを買わなければ
>ならなくなったのかな・・・
詳しくは知らないんだけど、最初からじゃないでしょうか。
小学校低学年の頃、学校の図書館で読んだ本に「母の日というのは、
昔外国ある少女が、亡き母親を偲んで墓前に白いカーネーションを
お供えしたことから始まった」とありました。
その後この話を読んだり聞いたりしたことはないので、本当の話か
どうかはわからないです。作り話なのかもしれません。
私の母は、私が小学校三年生の冬に病気で他界しました。
母がいなくなって最初の母の日、私は本で読んだ話を思い出し、
白いカーネーションを買おうと花屋に出かけました。
でも、赤やピンクはたくさんあるのに、白は一本もありません。
近所にある四、五件の花屋を回りましたが、結局どこにもなく、
私は何も買わずに帰りました。
幼稚園の頃から、毎年母にカーネーションを贈っていましたが、
この日まで白は店に置いてもいないことに気づきませんでした。
うちの近所だけ、たまたま置いていなかったのでしょうか。
あれから二十年が経ちました。今住んでいるところの近所の花屋には、
多分白も置いてあるのかもしれません。だけど、母の日は何となく
外に出たくないので、未だに確かめたことはありません。
今年、私の病気が原因で離婚した。
小学生の娘の親権は旦那の強い要望で旦那に渡った。
娘は旦那の実家にはあまり懐いていなかったので、
転校や環境の変化に果たして娘がついていけるのかが心配だったが
今のところは子供の順応性もあり、新しい学校で元気にやっているようだ。
まだ一緒に生活していた時、病気で不安定な私を気遣って
「ママ大丈夫?私がついてるよ!」
とまだ1年生だというのに私の方が慰めてもらっていた。
別れる時も涙は見せず気丈に振舞っていた娘。
これじゃどっちが母親なんだか解らないくらい。
ちなみに親権は旦那側だけど、私と娘が会える日は設けてもらえた。
そんな娘が予定外の先週の日曜日、ひょっこりと私の家にやってきた。
「どうしたの?今日は来る日じゃないのに?」と訊ねると
「これ。」と娘が赤いカーネーションの花束を差し出した。
そう。その日は母の日だった。
普段は我侭など滅多に言わない娘が、
旦那に「どうしてもこれをママに渡す!」と言って
無理に連れてきてもらったらしい。
母親らしいコト殆どしてあげられなかったのに。
私がACだった分、娘には親の愛情を充分与えてあげたかったのに。
まだ母親が必要な時期なのに、
もう一緒にいてあげるコトができないのに。
それでもあなたはまだ私を母親と認めてくれるの?
「この先何があっても、あの子の母親は君だけなんだよ」
との元旦那の言葉を聞いて、不覚にも号泣してしまった。
そのカーネーションは今、PCの横に飾っている。
一人暮しは辛いけど、それを見るたび娘の優しさに癒されて
また涙が溢れてくる。
ごめんね。一緒にいられなくても、ママはずっとあなたを愛しているよ。
>>769 離れていても、親子は親子。
お体を大切に。
771 :
名無し:02/05/14 10:06 ID:P1AZnSW0
旦那も悪い人じゃないんだろうな・・・。
772 :
大人の名無しさん:02/05/14 11:10 ID:Nd0LGu1Y
数年前、突然幼馴染が自殺しました。
私は地元を離れて働いているので、もう何年も彼とは会っていませんでした。
地元に戻り、お通夜にもお葬式にも出ました。
家族の方々にも原因の思い当たるふしもない、突然の死でした。
先日、仕事場から帰るときに、仕事場が入っているビルの受付の辺りで
彼によくにた人を見ました。
一瞬、彼がそこにいるのかと思い、次によく似た人がいるもんだな、と思い、
その次の瞬間に
彼はもうこの世にはおらず、彼であるはずがないのだという事に気づき、
涙がとまりませんでした。
773 :
大人の名無しさん:02/05/14 12:32 ID:kpgxvcVa
息子の学校へ忘れ物を届けに行ったとき、
学校は中休みで、子供達は校庭で遊んでいた。
正面玄関を抜けた所にある花壇で、軽い障害のある子が、
上級生に囲まれて泣いていた。その中のリーダー格の一人が
「やれよ、時間がねえんだよ。やんなきゃ殺すぞ。」と凄んでいた。
頭にヘッドギアをつけた、おそらくは肢体不自由の他に知的障害もあるであろう、
特殊学級の男の子が、しくしく泣いているその姿に勝ち誇るかのように、
そう言い放っていたのは、俺の息子だった。
俺は背後から息子の髪を掴んで地面に叩きつけた。
まさかここにいるわけのない父親の顔を見て、信じられない表情の息子の
胸ぐらを掴んで立たせて、顔面を殴った。
生まれて初めて親父に殴られた恐怖に、顔をこわばらせる息子に、
「時間がねえんなら、てめえがやれや。」と俺は言った。
俺は息子をてめえなんて呼んだことはないし、ましてや殴ったこともなかった。
小さいときから、情操教育に気を使い、人に優しくあれと教えてきた。
小さい子、弱い者を守ることの美徳を教えてきたつもりなのに。
こんな陰湿ないじめをするようなガキに育ったのは、俺の責任だ、
そう思ったら、くやしくて、情けなくて、また息子を殴った。
鼻血を出してうずくまる息子を見下ろして仁王立ちになった俺を、
職員室から飛び出して来た担任が止めた。
もうこの先は書きたくないから書かないが、
帰り道で涙が止まらなかった。
全部俺の責任なんだ、そう思うといたたまれなくなった。
小学校の高学年から高校までいじめられていた俺の、
よりによってその息子が、あんなことをしていたなんて。
774 :
大人の名無しさん:02/05/14 12:48 ID:kSXVHdWR
>>773 >こんな陰湿ないじめをするようなガキに育ったのは、俺の責任だ、
>そう思ったら、くやしくて、情けなくて、また息子を殴った
俺にも息子はいるが、悪いのは親であるお前なんだろうが。
殴って、それで済むのか。
そんな状況で息子を殴るお前のほうが、俺はおかしいと思うのだが。
775 :
西尾:02/05/14 13:15 ID:6IGJs3Se
>>774 殴って済むとは書いてないだろ。その後のフォローが大事。憶測だが
>>773は、その後家でちゃんと言い聞かせたんじゃないだろうか。
逆に聞きたいが、殴られる痛みを自分が殴られる事無くわからせる方法なんて
あるんだろうか?あんたは自分の息子が殴られる痛みを知ってると、
自信持って言えるのかい?
>>773もたまたまアクシデントで、息子の普段親に
見せない姿を初めて見て愕然としたんだよ。
俺は
>>773の学校での毅然とした態度は立派だと思うよ。
後で一人で泣いちゃう人間味のある所もね。
>774
ただ理由なく「殴った」だけなら、「殴って、それで済むのか」ってなるけど。
弱者をいじめていると云う目の前の状況があって、
偶然、それの中心にいるのが自分の息子だと云うことに気が付いたら
かっとなって殴る父親ってのは解る気がするよ。
だって、今まで家でそんな姿を見せたことがなくて
「人に優しくあれ」と教えてきたつもりだったなら
子どももそつなく、親の目の前ではいい子でいたってことでしょう。
それじゃあ父親としても、かなりのショックだったろうし。
まあ、そのままフォローもせんかったら、そりゃドキュソだけどさ。
773さんはこの後、頭ごなしに言い聞かせるよりも
よぉく息子と話し合って欲しいなぁと思ってみたり。
777 :
大人の名無しさん:02/05/14 14:06 ID:ACGI455Y
>>336 お母さん、術後の経過は如何ですか?
急がなくっていいですから
いつか「元気になったよ」って言いに来てくださいね。
あなたの幸運を祈っています。
778 :
:02/05/14 14:48 ID:jOJk/q6i
>>773 その状況で殴らない親の方がおかしいですよ。
それも息子が「これ以上殴られたら殺される」と感じるレベルまで殴る必要があると思います。
自分の息子がと考えるのは当然ですが、「このまま育っていったら、絶対人様に迷惑をかける。自分には矯正する義務がある。」と考えるべきでしょう。
暴力ではありません。義務であり責任です。
子どもだろうが大人だろうが、ここまで卑劣なことをする奴にはいくら口で言っても無駄ですよ。
779 :
大人の名無しさん:02/05/14 15:14 ID:8wia7UMA
>>773 立派だと思う。男親として、俺でも同じように殴り倒す。
>>775 >>776 同意です。
父の本気で怒る姿は未だに忘れられない。父が泣いていた姿も忘れられない。
この年になってようやく激しい怒りの下に、悔しさと、落胆、悲しみ、・・・
そんないろんな感情があったんだろうなって理解できるようになったよ。
ケースは違うが、厨房の頃、そういう父を見た。
自分に対する悔しさが大きいんだろうな。泣きながら・・・顔面を殴られた。
しばらくオヤジは無口になった。フォローらしきものはなかった。
でも俺はそれでよかったんだと思う。そういう父でよかったと思う。
780 :
西尾:02/05/14 15:58 ID:6IGJs3Se
>>779 フォローの手段は人それぞれ。要はなぜこんなにも怒らなければならないのか、
殴らなければならないのかという気持ちが伝わるかどうか。
それが無ければただの暴力。
>泣きながら・・・顔面を殴られた。
>しばらくオヤジは無口になった。フォローらしきものはなかった。
>でも俺はそれでよかったんだと思う。そういう父でよかったと思う。
しっかり伝わってんじゃん。そういうのもフォローといっていいと思うよ。
781 :
大人の名無しさん:02/05/14 16:54 ID:L2k9YOi6
>>773さん
その場面に偶然出くわした事は
773さんと息子さんにとって本当に良かったですよね。
いじめをしている本人は「悪い事」だと自覚が有るはずです
773さんの気持ちは息子さんに伝わってるよ。
その後彼から本音は聞けましたか?
彼は何かのストレスがあったのかもしれない。
親に良い子と思って欲しいという気持ちも子供にとっては
ストレスになってしまう事もありますものね。
(実際私がそうだった)
父親は強くて怖い存在でしかし何かが有った時には頼れる。という父性の愛。
773さんはそれが有るのだからきっと今は上手く行ってると思うけど。
一昨日じいちゃんの夢を見た、じいちゃんは一昨年死んだ。
病気にかかっていたじいちゃんは入退院を繰り返して、家に
いるときも布団の上から動かなかった。
いつもじいちゃんは外の田んぼを眺めながら、煙草をくゆらせていた
お酒と煙草は禁止のはずだったけど医者の家族も黙認してたみたい
開け放たれた縁側と真っ青な田んぼ、蝉の声、入道雲、その中に
じいちゃんがシルエットになって・・・そんな光景が今でも焼き付いてる。
晩年、俺はじいちゃんとあまり話さなかった、最後に会った時も
二言、三言程度しか話さなかった。 ____続く
783 :
大人の名無しさん:02/05/14 17:47 ID:KoU722Eu
>773
最近は弱いというか、友達とか言ってる親が多いけど、父親は強いという
事を教えておかなければ、子供が大きくなってから大変な事になると
思うから、私は殴っていいと思います。
こういう時こそ、叱らないでどうするのと言う感じです。
うちの父も本気で叱ったり、たたかれたりして、お父さんは
家で一番強いし怖いんだというのがあったので、私は非行にも走らず
よかったと思ってます。
784 :
大人の名無しさん:02/05/14 18:45 ID:6+Gj05D3
>773
殴って正解だと俺は思うけど
世の中そうゆうことをすると虐待だとか何とか言うやつが居るけど
怒る時には真剣に怒らないと他人の痛みが分からない人間に
育つんじゃないでしょうか?
今の親は(一般的に)子供を可愛がるだけで、全然しつけが出来てないと思う。
可愛がるだけが、愛情じゃないと俺は思う。
時には厳しくしかること必要では。
俺なんか親父がヤクザで結構死ぬ思い出怒られたけど(火箸とかで殴られてた)
でも、それは自分が悪いことを行ったんだし、反省はするけど親を恨んだりは
しなかった。
今思うと、叱ってる親も心が痛いんだと、俺は思うけど。
まー世の中が変わったといえばそれまでなんだけどね。
何か乱文になってスンマソン。
785 :
大人の名無しさん:02/05/14 18:47 ID:AuJ+W6Ey
>773
立派です。
あなたの息子さんはいつかきっとあなたの思い、父親は
自分と真剣に向き合ってくれていたということに気がつく
と思います。
>782
続きは?
787 :
大人の名無しさん:02/05/14 22:20 ID:KZvQfnm/
自分はいじめっ子でもいじめられっ子でもなかったが
中学時代にいじめられっ子の友達がいて彼を助けられない自分にもどかしさを感じていた。
>>773、その場を目の辺りにしたときにはショックを受けたと思うが
逆にタイミングとしてはラッキーだったと思う。
きっと自分の息子だったら同じ事をしただろう。
基本的には
>>784の考えに近い。
今回のことをきっかけにあなたの息子が痛みを分かる人になってくれるように祈る。
そして、期待する。
788 :
大人の名無しさん:02/05/14 23:00 ID:hVxAKVhE
>>773さん
恥ずかしい話ですが、私も父親に一度だけ殴られたことがあります。
私は娘だし、父親には子供のころ喧嘩して手加減なしに殴った相手が
その後長期にわたる欠席をして留年させてしまった過去があるので
「自分は力が他の人よりも強すぎるから、人を殴ってはいけない」と
決めていました。
でも、遊ぶ金欲しさに父の財布から数度に渡ってお金をくすねて、
とうとう激しく叱責されてしまった。
形相の変わった父の怖さに私はどうしてもごめんなさいという言葉が出てこない。
父はそんな私に郷を煮やして頭をゴツンと叩いた。
背中がはれ上がるくらい叩きつづけた。
父は涙声だった。
自分のしたことがどれほどまずいことだったのか
気づかせてくれたのは父の涙だったと思う。
それから、自分にとって大事な人に涙を流させるようなことをしてはいけないと
思っている。
789 :
大人の名無しさん :02/05/14 23:28 ID:SCftMDZ+
みんないいなあ。叱ってくれるお父さんが居て。
私はお父さんに叱られることもなく、誉められることもなく
特にたいした会話もなく・・・そんな風に一つ屋根の下で暮らしてたよ。
私が大人になった時にはもう、離婚して家を出て行った。
そして、私はそれを悲しいとは少しも思わなかった。
それが、今は悲しい・・・と思う。
790 :
大人の名無しさん:02/05/15 01:49 ID:Esjnx+ai
お父さん、うう。
791 :
大人の名無しさん:02/05/15 06:02 ID:xU+EjbMc
このスレ、最初から読んでるけど、なんだか2ちゃんねらーだけで終わらせるの
もったいないと思うなぁ。
煽りとかも含めて、一字一句漏らさず本にならないかなぁ。
ピントのずれたレスもあるけど、そのおかげでいい話がたくさん出てきたり、
もったいないよなぁ・・・・多くの30代以上の人(限定することは無いか?)に
見てもらいたいよなぁ・・・・
792 :
大人の名無しさん:02/05/15 06:48 ID:yKj8Fc5+
2chだけで終わらせるのはもったいなくても、始まった場所で
終わらせてあげるのが一番いい事のような気がします。
ここだけで終わるのはもったいない。
正直、そういうスレッドは知られていないだけで数あるものだと思います。
実際、見ている私はまだ20代ですけれど、30代以上限定と銘打って
いるからこその、レスが多々あると思います。
本になって、ローカルルールを知らない人が入ってきて、荒れて、
自分が30になる前にこのスレが無くなってしまう方が寂しいです。
「荒れない」という保証も「荒れる」という保証もどこにもないですけれど。
現実問題、著作権の問題で本にするのは難しいと思いますけれどね。
最後に、親に殴られたことがある娘より。
殴った後に、本人にその理由が納得できるように諭すべきです。
説明が無いと、感情のままに殴られた、と思い、親に対する不信感が
芽生え、将来的に親を馬鹿にするようになります。
今は、愛すべきお子様な父と意識が変わりましたけど、そこまでの
道のりは、果てしなく遠かったです。
お目汚し失礼致しました。ROMに戻ります。
心でケリをつけたものの、今になってああすればよかった。
こうすればよかったと思い出すことがある。
人が死のうが涙も出ないような人間だったのに、自分の命を削ってでもやりたいと思った子がいた。
よく笑って、よく怒って、よく泣いて、早く大人になりたいが口癖で、
人の傷に敏感で、本当に優しい子だったなあ。
自分の子供がもし生きていれば丁度君と同じ歳だったと言ったことはなかったけれど、
なにか察していたのか。ハタチの誕生日に酒を飲んでくれと言ったね。
病気を告げた後、まだちょっとは時間ががあるじゃねーかと笑った。
それでも部屋に帰って暴れて泣いた。
死にたくない、その引き絞るような声にできることはなにもなかったね。
最後は安らかでよかった。ありがとうの言葉だけを残してくれた。
元気でやっていますよ。今年のハタチの誕生日に、君の分のグラスも用意しようと君の友人
たちと言ってます。
でも今だから言うけれど、もっとやんちゃでもよかった。わがままも言われたかった。
本当に僕は君のお父さんになりたかったんですよ。
今でも涙は出ませんが、泣けば少しはなにか使えが取れる気も内心でしています。
794 :
大人の名無しさん:02/05/15 11:14 ID:rM4g9kVH
795 :
大人の名無しさん:02/05/15 20:49 ID:6loypcVR
>791
一時、オカ板の「心霊ちょっといい話」スレでも
編集者なんて人が現れて、出版か!?などと
盛り上がった時期がありましたが、賛成反対入り混じり
かなりスレが荒れました。
>792のいう通り著作権の問題もありますが
2chだから、このスレだから初めて言えたことを
本なんかにしてほしくない、と思う人は結構多かった
ということだけお伝えしておきます。
>>794 読んできた・・・ウウウ
人間って素晴らしい!
797 :
ホセ:02/05/16 03:11 ID:Qd6l5xeO
>793
知ってる人かも知れんのでちょっと絡んでスマソ。
俺の知ってる子もそんなやった。幸せやった思うよ。
でも、なにも言ってくれんまま別れて、最後に握手して「じゃあな」って言った後、
もう二度と会えんかった。
後で話し聞いたあと実感沸かんで、コンビニでぼーっと買い物してて、
スキンの箱見て照れた顔とか過ぎって急に泣いた。
俺はバイトで先輩面して一番厳しくあたったけど、なんでもっと優しいしたらんかったかなって。
あんたの大事やった子も今は楽なんやね?
俺の大事やった子は今楽やと思いたい。
苦労した子やからこそ、幸せになって欲しかった。
あれを最後に、もう泣いてへんけど。
今でもあの人を思い出すことがあります。
沢山のありがとうを沢山の人に残していったのを知って、
夜通し泣きました。
数え切れないほどの言葉と
晴れた日が嬉しいと思える気持ちは私の一生の宝物です。
800 :
:02/05/16 11:30 ID:cMxsrJ63
>>773の件について
フォロー必要か?
明らかに、誰が見ても悪いことじゃねえか?
息子が幾つか分からんが
学校かよってんなら6才以上だよな?
普通なぜ殴られたかわかるだろ?
それとも、今の子供はそこまで莫迦なのか?
801 :
大人の名無しさん:02/05/16 11:36 ID:np+GBCA7
>>774は「殴ることは悪だ!!どんなDQNも話し合えば絶対分かり合える!!」
が信条なんだろ。或いは「甘やかす=愛情たっぷり」と盲信してる朝日新聞読者とか。
ヴァカは放っとけ。
802 :
大人の名無しさん:02/05/16 13:41 ID:HxBH0AAr
理性を見失っても、叱る場面だったと思います。
父親にだけ許された叱り方だとも、
でも、原則として力の強いものが、弱いものにそれを行使する行為は
反対です。
この場合は息子さんが友人にそれを行っていたので、お父さんが叱ったわけです。
力を行使してくる相手に対して、
否といわなければならないときははっきり言えるように教えなければいけない。
力で脅されて正しいと思うことを変えるようではいけない。
力で押さえ込むことは間違っているという事実は変わりません。
矛盾しているようですが、
わが子が人にあるまじき行為をしているのを目にしたとき
心から怒り衝撃を受けたことを伝えるのは、この手段しかなかったと思われます。
803 :
大人の名無しさん:02/05/16 23:40 ID:wZ17mIY8
804 :
大人の名無しさん:02/05/17 00:51 ID:RSjW9sO8
>>803 飲み終えた。
泣きながら笑った。
乾杯!
805 :
大人の名無しさん:02/05/17 00:55 ID:Us9s62sA
>>804 いいスレだったね。
いい映画を見終わったあとみたいだ。
漏れも、笑ったよ・・・・
806 :
大人の名無しさん:02/05/17 00:58 ID:72zDeP0k
807 :
大人の名無しさん:02/05/17 09:14 ID:Q7yEn4wE
>>803〜806
夕べは参加できなかったんだ。
今、読み終えて泣けたよ。
いいスレだった。
ここを読んでいたら母方の祖母に会いたくなったョ。
今年、92になる祖母です。
私が結婚してすぐ子供が生まれ、仕事を続けていることもあって、
なかなか会いに行かれない。電車で1時間半ほどの距離なのに。
私は初孫で、孫たちの中でも特別可愛がってもらったのに。
私の娘の写真を、母が持っていくと、全部かかえこんじゃって
返してくれないんだって。(泣笑)
以来、我が家では、よく撮れた写真は、4枚焼く。
自宅用と、両方の両親と、私の祖母に。
白内障で、よく見えないのに、娘のために、小さな白いふわふわの
ベストを編んでくれた。
機械編みのように目の揃った複雑な美しい模様の。
この前、ようやく会いにいったよ。
祖母と、母と、私と、娘、母娘四代の写真を夫が撮ってくれた。
この写真を持って、また会いに行こう。
後悔しないように、と思った。
「嗚咽」じゃないのでさげ。
>>808 イイ!
俺のばあちゃんは俺の息子が生まれる少し前に死んじゃったんだよね。
周りは生まれ変わりだのなんだの言うけど、会わせたかったなー
んでもって写真撮りたかった〜
810 :
大人の名無しさん:02/05/17 17:40 ID:1qjU8wOa
811 :
大人の名無しさん:02/05/18 07:59 ID:18sbi8+3
あげ
812 :
大人の名無しさん:02/05/18 13:17 ID:4Qv9sXeb
昨日の夜、いつものように二人の娘の枕元で本を読んだ。
よりによって「安寿と厨子王」なんかを声を出して読んだもんだから
最後のところで涙声になっちまった。
不覚・・・・俺自身は山椒太夫みたいな男なのに。
高校2年生の時でした。
兄が事故により亡くなりました。
よく引きつけを起こす兄は風呂場で引きつけをおこし湯船の中に。
発見したのは学校から帰ってきた私です。
最初はカーペットがお風呂に浸けてあるんだと思いました。
分かった瞬間も頭が真っ白で何をしたらよいのか分かりません。
知らないふりをしてバイトに行ってしまおうか、とか
普通では考えられない思考をしていた記憶があります。
とにかく近所の人に助けを求めて、諸々の手配をしてもらって
自分では映画を見ているように景色のみが動く感じで体が動きませんし
考えも浮かばない状態。
そのうちに外出していた母が事情を聞いて帰ってきて
「○○(私の名前)、お兄ちゃんを見つけてくれたの?」
と言ってくれたので少し実感が・・・
とりあえず近所の人の好意で近所の家に避難させてもらい
こたつに入っていなさいと言って一人残されました。
一人になってやっと実感がわいてきたのでしょうか
喧嘩ばかりしていた兄なのに。
心底嫌いだと思っていた兄なのに。
どうして・・どうしてとこたつに潜り込んで泣いた記憶があります。
後にも先にも本気で嗚咽したと言えるのはこの出来事のみです。
実際に1年ぐらいはその時の「匂い」に似ている匂いを嗅ぐと吐き気がしました。
3年ぐらい毎日兄が夢に出てきては私を苛めていました。
弟も引きつけ持ちで「次に引きつけ起こしたら危ない」と言われています。
兄弟の中で自分だけ健康に生まれ育ったのは兄弟が引き受けてくれたからであり
自分が押しつけたからだ・・・と思い、思い返すたびに命の重さを実感できます。
何故なのかよく分からないのですが書きたくなったので投稿します。
読みにくい上にスレ違いかもしれません。すみません。
>813
あんまり自分を責めないで下さい。
持って生まれた兄弟の体はあなたが押しつけたわけじゃないんだから。
健康な自分の体を受け入れて誠意一杯生きて下さい。
>814
ありがとうございます。
自分を責めているわけではないのです。
自由とか、平等とか言う前に、自分が生まれ生きている事が
自分一人で成り立っている事ではないと実感できた事が非常に嬉しく。
また、身近な人間が死んだことで、生きるということの大事さ、
死ぬと言うことのはかなさを学べたと思います。
両親にも感謝していますし、兄の分も精一杯生きていきたいと思います。
今までROMだけだったのですが頭痛がする程泣きました。
去年、高校時代の友人の妹さんが亡くなりました。
一時期は家族同然の付き合いだったのに私の仕事の都合で数年間は電話のみでのお付き合いでした。
私の離婚をきっかけに数年振りに実家に戻って家で仕事をしながら静かに暮らしていたある日の午後、友人から電話がなりました。
「妹が死んだから葬式をする。都合が悪く無かったら来て欲しい。」と。
友人は私が実家に戻っている事は知らず、親にでも連絡出来れば、と思っていたそうで。
私は急いで支度をしてお通夜に駆けつけました。
行けば友人が受付に立っています。
私は受付を代わって友人には他の御家族と一緒に席に座ってもらいました。
通夜が終わってからも私は葬儀場に残って親御さんや友人と一緒に過ごしました。
彼女の冷たくなった頬を撫で、お別れをすまし。
友人も弟さんも気丈に振舞っていましたが時間が経つにつれ涙が止まらなくなっていて。
私は傷心の御両親の代わりに葬儀の手続きの全てを任され、葬儀場の方と打ち合わせをしてから長女であった友人と相談して妹さんの為にケーキを焼こう、という事になりました。
妹さんはお菓子作りが趣味だったので好きなケーキを焼いて供えよう、と。
その日は一度友人宅に戻って一緒にケーキを焼き、次の日の御葬式の準備をして御両親を休ませて弟さんと少し話をしてから私も仮眠をとりました。
次の日、妹さんを送り出す為に棺桶に花を入れていたら涙が溢れてきました。
それでも、その場では取り乱さずに火葬場に行って骨を拾って、来て下さった方々にお礼を言って…
一日が物凄い速さで過ぎていって、その夜も私は妹さんのお骨と一緒に友人の家に帰りました。
御線香を何度もあげながらお母様と静かに話をしました。その時に妹さんの死因を初めて聞きました。
自殺だったそうです。
長い事引篭もりで学校もあまり行かずに家の仕事(自営業なので)を手伝っていた、と。
高校の時は苛めを苦に学校を辞めたが私と友人が通っていた高校の定時制に入り直した。
妹さんの部屋を整理していた時に出てきたノートには、「お姉ちゃんと大好きな先輩が行っていた学校に入れた。とても嬉しい。」と書いてありました。
お母様は妹さんが引篭もりなのを心配されて色々と遊びに誘ったりしていたそうです。
他にも悩んでいたみたいだったのに、親兄弟には何も言わなかった、と。
「あの子は●●(私の事です)が好きだったからね。もう少し早く電話すれば良かったね。そうすれば私達に云えない事も●●になら云えたかも知れないのに。」
「あの子にはきっとこの世は苦しかったんだ。だから一足先に逝ってしまったんだ。」
泣き腫らした目でそう言われました。笑っていた姿が忘れられません。
どうやら妹さんは悪い友人と縁を切ろうとして御家族と家族会議をした日の晩、一番遅くまで起きている弟さんが寝るのを待って早朝に階段のところで首を吊ったそうです。
「私があんな風に追い詰めなかったら…」とお母様は悔やんでいました。
自殺するなんて…、と私は悔しい気持ちでいっぱいで妹さんの遺影の前に座ってずっと線香をあげながら泣いていました。
気が付いたら涙が止まりませんでした。きっと御家族の方が辛いのに…、と思いながら数年前まで一緒に遊んでいた妹さんの記憶ばかり思い出しました。
その後は妹さんの部屋を整理して妹さんが犯罪に巻き込まれていた事を知ったのでご両親と相談して警察へ行ったり、妹さんの代わりに仕事をお手伝いしたりしていました。
少しでも何かしたかったのです。自己満足かも知れませんが。
今は友人とも電話を時折します。御家族も立ち直られたそうです。
もうすぐ一周忌なのでお墓参りに行きたいと思います。
最後に。
H、天国から見ているか?
お前が苦しかったの、気付いてやれなくてゴメンな?
みんながお前を愛していた事を伝えてやれなくてゴメンな?
暫く顔も見せんで不義理しとるけど、来月の命日には逢いに行く。
お前の好きだったケーキとピンクのリボンを持って。
もう苦しまなくて良いからな?
ゆっくりと…眠って良いんだよ。
今度生まれてきたら、また傍においで。一緒に遊ぼう。
お姉ちゃんとお兄ちゃんと自分と、沢山沢山遊ぼう。
長文ですみませんでした。
父の幼い頃からの友人が癌で亡くなった時
親類のお葬式でもないたことのない父が号泣したと
母に聞かされた。昔から気が荒く憎くさえ思っていた父の
そんな話を聞いてなんだか父が人間であると当たり前の事を思った矢先
父も場所こそ違えど同じく癌になった。
電話口での母の報告がどんどん涙声になっていき声をあげて泣かれた瞬間
私も一緒に泣いていた。
別のスレでここのリンクが貼ってあって、
見に来てみたら・・・涙もろい僕には大変なスレです。
昨年9月の脳ドッグで、脳のMRA写真で異常が見られました。
医者の説明では「脳梗塞の兆候」。現在33歳、年齢からすると珍しい症例だそうです。
半年後の再検査でも、「大きくはなっていない」・・・つまり病巣はあると言うことです。
もともと頭痛持ちの僕は、いくらそれが脳梗塞とは直接関係ないとは知りながらも、
頭痛を感じるたびに、手にちょっとしびれを感じるたびに半ば怯える毎日を送っております。
もし発作などが起きて倒れたらどうなるのか、
いや、起きた後自分がどうなったのか理解できる状態に戻れるだろうか、
ふだん何気なく、ぼおっとしている時などに頭をそんな考えがよぎります。
そういう時もし仕事中だったらどうするか、
・・・僕は教師なので、もし授業中だったら、そうじゃなくても担任しているクラスはどうなるか、・・・
両親にはどんな苦労をかけることか・・・一応検査結果は話はしてありますが・・・
でも、いつ来るかわからないからこそ、
今この瞬間をがんばっていかなければいけないんだな、とこのスレを見て思いました。
泣かせる話じゃないですね。sage
819 :
大人の名無しさん:02/05/18 23:16 ID:yBiuZXUC
818です。
スレにそった話も一つ。
僕は小学生くらいの頃から長い間、家で手乗りインコを飼っておりました。
もちろん長生きしたインコもいましたが、
だいたいが短命で、家の中で事故で(ガラスにぶつかるなど)死んでしまったインコも多く、
数だけにすれば30羽以上は飼っていました。
団地住まいだった頃は亡くなると近くの空き地に、
一軒家に住むようになってからは庭の片隅に埋めてやっていました。
何か何度もそう言うことをしていたせいか、たとえどんなに急ぎの用件があっても、
亡骸を埋めてあげることはいつも最優先にしてあげていました。
別に親から言われて、ではないんですけどね。
さて、中学高校大学といって、やがて就職。
就職して4年目。当時、家には中学1年くらいから飼っていた手乗りインコ(雄)が1羽いました。
さすがに10年くらい生きてきたインコは、もうかなりの年寄りで、
昼間でも止まり木でじっとしていることも多くなっていました。
そんな中、ある日を境に急に元気になりました。
僕の顔を見るとかごの中で「遊んでくれぇ、出してくれぇ」とばかりに暴れ回ります。
出してあげると大喜び。僕の手やら身体やら頭やら歩き回っています。
頃合いを見てそろそろかごに戻そうとすると、今度はものすごく嫌がります。
そう言う日が突然1週間くらい続きました。
こういうことが続くようになると、そろそろ・・・という話はどこかでも聞いていたので、
家族でも覚悟は決めていました。
実際、後半の方は僕がかごに近寄るまでは止まり木にも上れず、
かごの下でじっとして休んでいるくらいですから。
それで、人が来た気配を感じると、途端に止まり木にしがみついて暴れていたのですから。
そうして、最後の日・・・
長くなってきたのでいったん切ります。
820 :
大人の名無しさん:02/05/18 23:30 ID:yBiuZXUC
819の続きです。
僕が仕事から帰ってくると、インコはかごの下で身体を伸ばして横たわっていました。
まだ意識はあるようで、僕の気配を認め微妙に身体やくちばしを動かすのですが、
もう動く体力は残っていない様子でした。
僕はインコをかごからそっと出し、掌に乗せて、
じっと声にならない話を話しかけていました。
初めて家に来た時のこと、そのインコが嫁さんもらった時のこと、
子供ができた時のこと、青森まで一緒に連れて行った時のこと、
皮膚の病気になってしまったので薬を塗ってあげた時のこと、
ネコに襲われそうになった時のこと、部屋の中を飛び回った時のこと、・・・
何か悲しいし寂しいんだけど、不思議に涙は出ませんでした。
しばらくそういう状態が続いた後、インコの身体の震えが止まり、ゆっくりと目を閉じていきました。
急に掌の上のインコの身体が軽くなり、死んだのが伝わってきました。
中身はかわっていないはずなのに、まるで紙のように軽くなったんです。
家族で一番世話をしたり遊んであげたりしていたのは僕だったので、
僕が帰ってくるまで待っていてくれたようです。
しばらく無言で、もう話しかけることもなく亡骸をそのまま見つめていました。
悔やまれたのは、何か名前をつけてあげるべきだったなぁ、と言うことです。
照れくさかったのもあって、20羽以上飼っていた(もちろん一度にではないですが)のに、
結局どのインコにも名前はつけませんでした。
あえて言えば「ピーちゃん」かな・・・母はそう呼んでいました。
もうこれ以来、我が家では動物は飼っていません。
世話をする時間がないというのもありますが、
もうずいぶんと別れを見てきちゃったしなぁ、と言うのもあって・・・
でも、たくさんのことを教えてもらった気がします。
もう10年近く前のことになっちゃったけど、ありがとうといいたいです。
うまくまとまらず申し訳ないです。
>818-820
私も文鳥を飼ってたから気持ちわかる・・・
鳥って亡くなる間際、ふるふるするんだよね。
820に書いてあるのと同じで10年以上前の
ことだけど、今でも思い出したりして悲しくなったりするよ。
822 :
大人の名無しさん:02/05/19 00:04 ID:1rOfjAIn
>821
もう一人の自分の書き込みかと思った!
私も手乗り文鳥、飼ってました。
癌で死んじゃったけど、最後は私の手のひらの中で・・・。
最後に羽をばさばさってさせて。
「さよなら」だったのか、天国へ羽ばたいたのか・・・。
大切なものを亡くした、最初の体験でした。
823 :
大人の名無しさん:02/05/19 01:08 ID:EhjHdm7c
30過ぎて人と鳥とを同列に論じるイタイ奴ら発見!
>823
鳥であろうと犬であろうとペットは家族といっしょなんだよ
823はこういう感情になったことないんだね
飼ったことのない人には、どう説明したってわからなくて仕方ないと思う
だからあなたみたいな反応も理解できるよ
ただ、そんなことをあえてこのスレに書き込むあなたの方が
よほどイタイって思われてることわかっておいてね
自分の経験じゃないんで少しはばかられるけど、例の北朝鮮の亡命家族のビデオを見たときは、
涙が止まらなかった。
命を賭けて亡命するときに、娘の髪を可愛らしく結わえた母親(?)の気持ちはどんなだったん
だろうと想像して泣いた。
子供の表情も、投げ出された痛みよりもお母さんが酷い目に遭わされてることに対する心細さで
泣いてるように見えて、その哀れさにもまた泣いた。
早くあの家族が行きたい国に行けることを願うし、あの子が幸せに育ってくれることを祈るよ。
妄想力過剰でなおかつスレの本題と関係無いような気もするんでsage
10才の時親父が胃ガンで亡くなった。
母親は食事療法として宇宙食まで用意していたが無理だった。
亡くなる間際、医者が心臓に直接注射を突き立てて何か打っていた。
直後人工呼吸をしていたが、数分後「ご臨終です。何時何分・・・」。
一斉に父に突っ伏して泣く家族。
俺はもう自分の好きな事や物が手に入らなくてもいいから、生き返っ
て欲しいと嗚咽した。
もう出来ないが31才の今、親父と真剣に色々な話がしたいと思うよ。
父親が生きている人はしましょうね。いなくなってからでは遅いです。
30代にはまだ届いてないけどあと半年余りなのでお許しあれ。
【1/3】
僕は母親に虐待されていた。多分「別れた父親そっくり」だった故の投影だったのだ
ろう。薄暗い屋外で素裸で泣いていたのが思い出せる一番最初の記憶で、泣く事と心
から笑う事を諦めたのが三歳の時だった。中学に上がる春に受けた、姉の友人からの
性的被害で恋愛に不感となった。
働くようになってからは「生まれてからの養育費」と称して消費者金融の限度額を勝
手に自分名義で借り出され、返済と家への入金で給料がなくなる日々で、実家にいる
のも苦痛だが独立する当てもない状態が続いた。
三年前、唐突に署名欄と印鑑だけが空白の生命保険加入書類を前に「三年後を目処に
家を建て替える。姉夫婦と同居するのでお前は独立しろ」と話を切り出された。そん
な貯蓄が親にも姉達にもあるはずがない。生命保険に加入した上で自殺しろとほのめ
かされている気がした。さすがに記入はしなかったが「三年後だと30か。確かに今
のままじゃその辺が限界だから、そこで終わりにしよう」という気持ちが生まれた。
【2/3】
仕事上の事情から入手したノーパソでネットに逃避していたそんな時、気晴らしに出
たオフ会でたまたま向かいに座っていた夫妻と、好きなミュージシャンが同じという
きっかけから話が弾み、名刺を交換した。年末に解散が迫っていた彼らの最後のライ
ブ(ミサと称していたといえば誰だかわかるだろう)に一緒に行く約束もした。
ライブ終了後、夫妻の自分達の家に僕を誘った。好意に甘えてお邪魔し、お節を肴に
雑談をしていた。もうすぐ僕の誕生日という話題になり、奥さんが「その時には誕生
祝いしよう。好物は?」と言った。
「え?誕生祝いって女の子の行事じゃないんですか?」
それまで誰かに誕生祝いをされたことがなく、実家では他の家族(全員女)だけ祝わ
れていたので、素の質問だった。
「第一、何のために祝うんです?」
「君が今ここに存在するために生まれてきた記念日なんだから祝うのは当然だよ」
【3/3】
かかっていた曲のせいもあったろう。
たとえ今 孤独が君を 引き裂いて 全て 消そうとも
溢れそうな 思いはいつも 受けとめる人を 探してる
本当の 自分を出せる 大切な 場所を 求めてる
誰ニモ言ワズ エガオノママデ
誰ニモ言ワズ エガオノママデ 【聖飢魔II エガオノママデ 作詞:ルーク篁】
何かが僕の中で崩れた。涙が堪えきれずに溢れ、問わず語りに今までの事をぶちまけ
た僕を奥さんが抱きしめ、旦那さんは隣に座って頭を撫で続けてくれた。泣き疲れて
眠る間際、自分が誰かにこうして欲しいとずっと思っていたのがわかった。目覚める
と奥さんの膝枕で毛布がかけられていた。恐縮して謝る僕に夫妻は自分達もそれぞれ
の事情(信仰の強要・被虐待)から親と絶縁した身だと語り、借金に関しての法的手
続を薦めてくれた。
そして今……僕は旦那さんと同じ業界で働き(スキル習得に協力はあったがコネにあ
らず)、夫妻と同居している。僕が恋愛や結婚ができるかはわからないけれど、駄目
なら駄目でこのまま三人で縁側に並んでお茶をすする老後にしようと談笑している。
家族(血縁)に暖められ癒される人もいれば
家族(血縁)故に傷つけられ壊れる人もいる。
家族(血縁)が「唯一絶対」の人も、血縁じゃない繋がりを糧としている人も
それぞれであっていいのだろうと思う。
どうかお互い ”これから先” が幸せであるように。
いい話や・・・
信頼できる人に出会えてよかったね。
親に感謝してもしきれないほどの話を少しさせていただきます。
その1
中学時代、そういうお年頃にありがちな些細な人間関係で
すっかり暗くなって世をはかなんだ時期がありました。
少し精神的にも参っていたような気がします。
そんな状態の私を見て、両親は私に学校を休ませ、旅行に連れ出しました。
行き先は北アルプスと越前海岸などを車で周るというもの。
一泊は母の実家、その他は車中2泊と言う貧乏旅行でしたが、
乗鞍岳の頂上から見たアルプスの眺めは壮大で、自分の悩みなど
ちっぽけなものに過ぎない、また紅葉の美しさはまだまだこの世は
捨てたものじゃないと思わせてくれました。
その旅行から帰ってきてからは、徐々に人間関係も好転していった気がします。
その2
4年程前、婚約直前まで付き合っていた彼氏と破局しました。
このときは通院するほどひどく精神がおかしくなってしまいました。情けないことに。
仕事も休職し、自宅療養をしていましたが、母もまたパートを無理言って
休職し、ずっと私につきっきりでした。「一人にしておけないから」と。
もう自分のことしか考えられない状態でしたから、父母に対し、私はひどい仕打ちを
繰り返していたと思います。暴れたり殴ったり暴言を吐いたり。
当時かかっていた病院ではなかなか状態が好転しなかったので、見かねた父が
「病院をかえよう。お父さんが絶対治したる。」
と、別の大きな病院へ連れて行ってくれました。
両親ともに必死だったと思います。
ですが病院をかえたおかげで私の症状は好転しました。
そしてまた、何か私が打ち込めるものを、と父が与えてくれたPCのおかげで
私は今の夫と出会い(ネット恋愛ですねw)、2年前に結婚して幸せに暮らしています。
(パチンコで大勝ちしたお金がひょんなところで役に立ったようですw)
(少しだけ続きます)
834 :
833:02/05/19 20:06 ID:A4zbq/2v
(続き)
しかし普段は頑固で人の言うことに耳を貸さない父がここまで必死になったのは
子を思う親心もあったようですが、実は私が生後2週間くらいのときに
妹(私には叔母にあたります)を鉄道自殺で亡くしているのも大きな要因だと思います。
まだ23歳という若さでした。
そのときはどうしてやることもできなかったようで、娘までそんな目には絶対あわせない!
と思っていたんでしょうね…。
今を思えば兄には結構放任だったのに、娘には口うるさい父だったのもそのせいかも…。
両親ともに今も健在ですが、まだなかなか恩返しもできず申し訳ない気持ちで一杯です。
早く生活安定させて孫の顔も見せてあげないとなあと思っています(ニガワラ。
このスレのおかげで改めて親への感謝の気持ちを認識できました。
もう涙があふれて仕方がなかったです…。
スレ住人の皆さん、本当にありがとうございました。
駄文ですみません…。
835 :
大人の名無しさん:02/05/19 23:27 ID:g/ZEWqzz
836 :
大人の名無しさん:02/05/20 01:37 ID:wByZrhoF
>>835 図書館で借りるんでもいいから「きけ、わだつみの声」を声出して読んでみ。
血を吐きそうなくらいに泣けたよ、俺は。
837 :
西尾:02/05/20 01:53 ID:ZpDXPhQg
>>836 それはどうしても泣けない。泣かないと怒られるんだろな、日教組に。
>>835はそれを出しちゃ反則だろ?って位、涙が止まらないんだがな。
838 :
大人の名無しさん:02/05/20 08:25 ID:ZtJyMkwp
>>825 私もあれで泣いた一人です。
あの親子、お母さんが妊娠5ヶ月で、おまけにあの女の子が
貧困の為、売られてしまう所だったんですって。
うちには4歳と来月3歳の息子が居ます。
自分の子供と当てはめて泣きました。
自分の可愛い子供が売られてしまうくらいなら
身重の体だってなんだって、亡命の道を選んだ家族の気持ちを考えると
世の中の不条理に泣けます。
839 :
大人の名無しさん:02/05/20 11:08 ID:wByZrhoF
>>837 違うよ。あれを読んで泣けるのは正常な感性だ。
泣いた後「靖国神社の軍神達にお参り行こうかな・・・。」でなくて
「なんて天皇は、軍部はいけないんだああ」と言わないと確かに日教組に怒られる。
840 :
大人の名無しさん :02/05/20 17:17 ID:1gWB2Hub
軍部とか日教組とかさ、そこまで考えめぐらせないで
もっと自分の素直な感情ってものを大切にしたいよね。
この歳になると色々難しいけどさ。
841 :
西尾:02/05/20 17:48 ID:ZpDXPhQg
>>840 あ〜、スマソスマソ。そんな意味で
>>837付けた訳じゃねぇんだ。言葉が
足らなかった。わだつみ読むと確かに可哀想だと激しく思うよ。
でもさ、ガキの頃毎年「推薦図書」みたいな扱いにされてて、教室でも
取り挙げられて、教師から「ほら可哀想でしょう。悲惨でしょう。」と
半ば感想を強制されるように吹き込まれて読むと、素直に悲惨だと思う気持ちが
かえって萎えちゃうんだよ。それが今でも残ってるから、どうしても思い出して
泣けないって意味。冷めたガキだったからかな...
そういや読書感想文で表彰されるのも、毎年わだつみやひめゆりが入ってたな。
842 :
大人の名無しさん:02/05/20 21:12 ID:DhgMNYh0
物心ついた頃からずっと虐待を受けて育ってきた。
両親に罵倒され殴られる日々。体中があざだらけだったし、
しょっちゅう泣き腫らした目で学校に行っていた。
私が悪いときもあったけど、あれは教育の名のもとのただの暴力だったように思う。
小学校高学年で自分の家はどこかおかしいのだと気付いた。
中学の頃、ついにまいって一時期精神科のお世話になった。
手首を切ったりもした。それがばれた時には
「死ぬならあそこのビルがお勧めだ。ここでは死ぬな。迷惑だ」と言われたりもした。
こんな奴ら、人間じゃないと、思った。
妹も、いつも横目で見ているだけだった。
絶対一生許さないと誓って、その時の気持ちを忘れないように
日々日記や記録をしっかり書いた。
もう誰も信じるものかと思った。
でも高校に入り、何故だか虐待されることも少なくなった。
私立だったから、苦労してお金を算出してる両親を見たりしてうちに
自分の中で段々と家族を憎む気持ちが薄れてきたのに気付いた。
15年の恨みをたった2年ほどで薄れさせる自分が、今は許せない。
843 :
大人の名無しさん:02/05/20 22:39 ID:hp4j9qwj
age
きけ わだつみの声 は「ミュージカル李香蘭」の中で、
当時の映像と共に蕩々と俳優さんたちが言葉にしてゆく、あれが一番泣けました。
っつか、実は本自体は読んでない。
家にあったヤツは、いわば兵隊さんたちの辞世の句つか遺言のヤツだったし。
あれは、泣けて泣けて、途中から読めなかったな・・・。
845 :
大人の名無しさん:02/05/21 01:49 ID:A0OZv0A6
>825
私もそう思って泣けました。
北朝鮮のお母さんも、女の子に可愛いピンクの洋服を選ぶんだ、
細くて結びにくい子供の髪を、かわいい髪飾りで結ぶんだ、と
思ったら、泣けて泣けて‥。
良スレだな。本当に。
847 :
大人の名無しさん:02/05/21 02:04 ID:FrT0WjCB
>泣いた後「靖国神社の軍神達にお参り行こうかな・・・。」でなくて
>「なんて天皇は、軍部はいけないんだああ」と言わないと確かに日教組に怒られる。
どちらでも自由に自分の好きなほうを選べないのもおかしいやな。
お参りに行きたい人がいても、天皇と軍部を非難する人がいても
どちらもその人の意見なのにね。右翼がどう言おうと、左翼がどう言おうと
日教組が怒ろうと関係ない。
848 :
大人の名無しさん:02/05/21 02:39 ID:Wbx1D6XY
素直に感動しよう、ここでくらいは・・・クサイ言い方だけど。
850 :
大人の名無しさん:02/05/21 22:03 ID:NdGdJRmk
20代ですが、書かせてください。
上京して1年半経ったGWに、久しぶりに帰省した。
我が実家はS県の東部、東京からは1時間程度。
私は東京で一人暮らし。
単身赴任の父は妹と3月まで大阪で二人暮らししていたが、部下の不正の責任をとって
東京の本社戻りになっていたため、実家から東京へ通勤していた。
正月ぶりに揃った家族だが、一足先に妹が大阪に帰り、私も帰る時間が迫ってきていた。
私と両親とで駅近くのイタリアンレストランで早めの晩餐をとった。
他愛のない会話。その中で父が言った。
「二人とも帰っちゃうと……寂しくなるなあ」
……意外だった。そういうことを口にするような父ではなかったからだ。
やり手の営業マンの父が思うように仕事もできず、会社と家との往復の中で、
きっと精神的にもまいっていたのだと思う。
鼻の奥がつんとして、涙が出そうになり、私はトイレに駈け込んだ。
涙が溢れるのを押さえることしかできなかった。
……駅の改札で両親が手を振って見送ってくれるのを、私はもう正視できなかった。
しゃがんで大泣きしてしまいそうだったから。
新幹線に飛び乗り、私はトイレで泣いた。
ゴメンナサイ。うまくかけなくて。
現在、父は某県でバリパリ働いています。
定年まであと数年、思い通りに働いていて欲しいです。
先日、叔母が亡くなりました。
ついこの前まで温かかった叔母の手が
氷のように冷たくて・・・
これが人の死なんだと、現実なのだと・・・
自分に言い聞かせてもいまだに納得できません。
いますぐ会いたい。
声が聞きたい。
いつものように叱ってほしい・・・
ごめんなさい sageます。
まだ20代で申し訳ありません。
若造の戯言だと思って聴いてやってください。
もう何年も前のことです。
学校に両親から電話がありました。
先生に呼び出されて電話にでてみると、
「Tちゃんが電車にひかれた。今からおじさんのところにいくから、すぐ帰ってきなさい」
Tちゃんは、当時4歳で父の弟さんの遅くにできた一人息子、私たちにとって従弟でした。
え、何の事?と最初は思いました。冗談じゃないのか?これは夢?
電話を切り、先生に事情を説明しているうちにぽろぽろと涙がでてきてしまい、
とにかく、落ち着いて気を付けて帰りなさい、と言われ何がなんだかわからないまま帰宅しました。
北陸の田舎から関東まで、車で叔父宅へ行きました。
車中どんなことを考えていたのか、ただ、まだまだ小さかったあのかわいい従弟が、
家が遠くてまだ数えるほどしか会ってないのに、現実に、今もはうこの世にはもういないのだ、
など頭の中をぐるぐる回っていました。
叔父宅に到着し、部屋へ通されました。
小さな小さな棺がありました。
「あんまりきれいじゃないけど、もしよかったら見てやってください」
叔父さんが言いました。(続く)
853 :
大人の名無しさん:02/05/22 15:52 ID:4PHlsL5Q
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/company/1020102340/ 969 名前:。 投稿日:02/05/21 21:35 ID:JSzW7crn
病院で
朝、出勤したら救急処置室から悲痛な叫び声
「お父さん、おとうさーん、ダメだよ氏んじゃぁダメだよーー」
「パパ、パパ、おきて、おきて、パパ、ママが泣いちゃうよ」
妻と娘の二人が交互に声を掛けている
さらに嗚咽
職員通用口から更衣室までは処置室の前を通らねばならず
同時に出勤してきた数人と思わず立ち止まってしまった。
ドアに近づいてきた音がしたので、その場にいた者達は、
廊下の端により、沈黙
ドアが開きストレッチャーに乗せられた人とそれにすがりつく
妻と7〜8才くらいの娘、
「パパ、明日 お父さんの絵書くんだよ、父の日に飾るの書くんだよ、
学校で書くんだよ、おとうさんが見てくれないと、ダメなんだよ…」
「おとうさん、悪いことしてないのに、なんで、なんで…ひっく、ひっく」
思わずみんなもらい泣きしてしまいました。
そして静かに霊安室へと移動していきました。
明け方に、信号無視の乗用車が左側から走行中のタクシーに側面衝突
結果、タクシードライバーが内蔵破裂、即死だったようです。
加害者は2週間程度の入院(どこが悪いかは別の病院だったのでわかりません)
命に別状はなし
この時期になると思い出す、見てしまった修羅場です。
854 :
852:02/05/22 15:53 ID:X0olI3yJ
すぐ近くに線路があり柵がきちんとしてあったはずが、
壊れている部分があり、そこから入り込んだそうです。
ちょっと目を離したすきに…
おばさんが探しにいった時はもう遅かったそうです。
皆が棺を覗き、泣いています。
私は怖くて、かわいかった顔を思い出せなくなりそうで見る事ができませんでした。
次々と流れ出てくる涙をこらえようとするので精一杯でした。
叔母さんが自分が目を離したせいで、と自分自身を責めて泣いているのを見て、
とても胸が苦しくなりました。
私は、誰を責めるものではない、なんともいえず理不尽な気持ちで
とにかく悔しくて哀しくて泣いていました。
誰も悪くないのに…
Tちゃんは言葉の発達が遅く、いろいろな所へ行ってがんばって勉強していたらしいです。
最近やっと「お父さん、お母さん」が言えるようになったのに。
まだまだ小さかったとき、いないと思ったら階段に登っちゃってたり、
トイレのなかに落ちそうになってたりしたよね。
私たち兄弟にとって、父方のたった一人の従弟。
小さな小さなかけらになったけど、忘れないよ。
今私にもTちゃんに似たかわいい息子がいるよ。
優しい叔父さん、叔母さんに負けないくらいたくさん愛してあげよう。
855 :
852:02/05/22 15:55 ID:X0olI3yJ
そして、叔母さんへ。
こんなことがあって、自分をたくさん責めたことだと思います。
うちの実家へ来づらいのもよくわかります。
でも、私は叔母さんのことが好きです。
祖父母は二人なりに思うところがあって、きつい部分もあると思います。
でも、せっかく縁があってこうして家族となり、皆が仲良く、とは虫がいいかもしれませんが、
何か少しでも力になることができないかと思っています。
贈ってくれた積み木や絵本、喜んで遊んでます。いつかお返しができれば、と思っています。
ココを見る事はないかもしれないけど、最後に一言。
おばさん、がんばれ!
駄文で申し訳ありません。スレ違いかもしれませんが、どうかお許しを。
>>855(852)
>でも、私は叔母さんのことが好きです。
どうかあなたが叔母さんにそう言ってあげて。
実家にきてもらえなくても、訪ねていってあげてね。
嗚咽 ちょっと重いかな。
人は涙を流し過ぎると、水分が不足します。
水分を採るのも忘れ泣き続けると呼吸がおかしくなります。
息をするのも心がけてすーはーしないと、出来なくなります。
泣きすぎると、気がつくとトイレで黒い様な血のような色の
おしっこに気がつきます。
疲労がピークを越すと空耳が聞こえます。そして動悸も。
部屋の空気に裂け目があるような気さえします。
夢で最後の別れも告げに来てくれました。
大切なものを失ったとき、大きな負のエネルギーと一緒に
何故だかそれと正反対のものを感じるとき、それが逆転の
最大のチャンスです。
私は無理矢理誓った。昨日までとっても幸せだった。とっても大切な
人を失ったけれど、もう、取り返しはつかないけれど、
それ以外のことに何も変わりは無い。
いまま二人でこんなにまじめにがんばってきたのに。
神様はどうして私を一人になさったのだろう。
私を連れていってくださらなかったのだろうか。
私は決して不幸にはならない。運命に負けない。
きっと他人に影でとやかく言われるだろう。でも、そんな
事には絶対に負けない。
それがあの人への私の思いを貫くこと、生きることだと
信じたから。私は孤独ではない。
あれから数年。私は健康で、自分を失わずにやってこられました。
心でいろんな方々に感謝しています。
858 :
大人の名無しさん:02/05/23 01:13 ID:qXS5Zf+k
私の母方の叔父は不慮の事故で水死しました。
小学校に上がる直前の娘●●と、まだ幼稚園の息子○○を残して。
叔母は気丈にも喪主を務めていました。
○○は3〜4歳でしたので、状況がわからないようでした。無理もありません。
が、●●は叔父の棺にすがり、
「いやだぁーーー!!●●もパパと一緒にお空にいくのーー!!!!!!」
私も小学校低学年でしたが、その時の切ない気持ちは今でも覚えています。
859 :
825:02/05/23 01:58 ID:n/fPHPFp
>>838 >>845 出国途中のアモイで撮影された写真でも、子供の髪が同じように結んでましたね。
でも、あのときと今回とではお母さんの心境も大違いでしょう。
傍観者に過ぎないけど、安堵してまた目がうるうるしてしまいました(笑)
860 :
大人の名無しさん:02/05/23 11:16 ID:lzPg+ssK
若い頃、死後の世界なんて無いと思った。死んだら人は無になると。
今この年になり、身内や知人の死に接するたびに、あっちで待っていて
くれと思う。いつかまた会えると。いつか会えるその日に、胸を張って
会えるように、その日その日を精一杯生きている。生者は、死者に
対して、幸せに生きなくてはならない責任があると思うから。
861 :
大人の名無しさん:02/05/23 11:28 ID:4X4AtKgq
>>857 強くあろうとした、負けまいとしたあなたの言葉
強くなりたい私の中に何度も繰り返し唱えました。
今のあなたが健康でよかったです。
不幸にはなってませんか?運命には勝つことが出来ましたか?
いつか幸せだと思えるように、あなたが誰よりも幸せになれるように祈らせてください。
勝手な言い分ですがいつかあなたを抱きしめられるように、あなたがいてよかったと思えるように
私と出会えるまで元気でいてください。
どうか、幸せになって下さい。
862 :
857:02/05/23 21:03 ID:vVhalQMK
昨夜は勢いでかいてしまいました。
「嗚咽」からちょっと外れてたと反省しました。
今は健康に、普通に不健康な部分も持ち合わせてます。
861さんへ
あの頃は「悪い夢」を見ているようでした。
いまでも多少の甘えがあるのは、現実感が欠けていると
感じる時がありますが、「夢」から覚めて「現実」に生
きなくてはと思っています。
たぶん他人から見るとけろっと生きてる様に見えてるでしょう。
最近殆ど無くなりましたが、フラッシュバックする時がありました。
幸せを見つけられるかはわかりませんが、不幸せにならない、
これもとっても幸せなんですよね。
最後に、彼の残した最後の言葉が「大丈夫だって」だったんです。
偶然に救われる言葉でした。
そして大好きなビートルズのHELPを口ずさんでいました。
一緒の世界には居られなくなったけれど、今も影ながら私を守っていてくれる。
いろんな人たち、物事に感謝。
863 :
大人の名無しさん:02/05/23 21:51 ID:Oy0RYzJE
20代の若造ですが・・・
今日、母が「○○(私の息子)をじいちゃん(母の父親)に
見せられればよかったと思うと涙が出そうになるよ」と言っていたので
ちょっともらい泣き。
じいちゃんは、私とちょうど60歳違いで、よく面倒を見てもらった。
色々なところに連れて行ってもらったり、遊んでもらったり。
私が3歳のころに駅に向かうじいちゃんを追いかけて迷子になったこともあった。
じいちゃんの口癖は「おまえがお嫁に行くまではじいちゃん生きてるからね」
「大きくなったら一緒に浅草にてんぷらを食べに行こうね」
私が中学に入るころには糖尿病が原因で入院していた。
14歳のときに「じいちゃん危ないって」と連絡を受けて
病院に駆けつけた。
車を降りて病室まで走っていくと
いとこが「じいちゃん死んじゃったよー!!」と
大泣きしながら叫んでいた。
葬式のときに弔辞を読んだじいちゃんの師匠が
「お葬式でこんなにお孫さんが泣くのは見たことがない」
と言うほどいとこ6人がずっと大泣きしていた。
おととしの私の結婚式では、教会でばあちゃんが
私を抱いたじいちゃんの写真を高々と掲げていた。
それを見てまた涙がこぼれそうになった。
と同時に、新しい苗字がじいちゃんちと一文字同じだったな、
なんて思い出した。
去年私に息子が生まれ、じいちゃんの名前から一文字もらった
名前をつけた。
人徳があって、返してもらえないって分かってるのに
困っていると援助しちゃうじいちゃんにあやかれればいいな、
なんて思いながら。
お祭りが大好きだったじいちゃんはよく酉の市で熊手を買っていた。
それを見てよく笑っている息子をみて、母が
「○○(私の息子)をじいちゃん(母の父親)に
見せられればよかったと思うと涙が出そうになるよ」
長文スマソ。
864 :
大人の名無しさん:02/05/23 22:11 ID:DX4zTbPe
何が起こったの?
保全
867 :
大人の名無しさん:02/05/25 15:25 ID:l8aKVVWn
結婚するときに長男だったし同居だったしで、反対ってほどでもなかったけど
実家の両親はほんとに心配していた。旦那の親とはあんまりうまく行かなかった
けど仕事も決まって少し落ち着いてきた頃に外回りの仕事中ラジオから山口百恵の
「秋桜」がながれてきたんだよね。で2番の歌詞でとづぜん涙溢れてきた。
結婚するときそれからずーっと心配してくれてる親の顔が浮かんで。
今は落ち着いた結婚生活だけど「秋桜』聞くとないてしまう。
868 :
大人の名無しさん :02/05/26 00:42 ID:IzZJbHIp
>867
あー、私もあなたと同じような感じだ。
全くの同居じゃないぶん(同じ敷地内に住んでる)マシかな?
でも小姑さんがほぼ毎日姑宅に入り浸りなのを、私の両親も
知ってるのでかなり心配かけてる。
姑たちとはそんなでもないけど、小姑との仲があんまり・・なのでね。
「秋桜」は泣けるね。
たとえどんなに幸せな結婚生活であろうと、娘と離れる現実は親には
さみしいものだものね。
で、
>>867さん。
お互い絶対幸せになりましょう! 何が何でも。
それが一番の親孝行だと思います。
子供を持って初めてわかった。
私が幸せであることが、両親にとっての一番の幸せだって。
「娘はあの人と結婚して世界一幸せなお嫁さんになった」って
親に思わせてあげることができるようになりたいね。
869 :
大人の名無しさん:02/05/26 03:18 ID:CGRHOiS3
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
∧( T∀T)< ageーageだよー
( ⊂ ⊃ \____
( つ ノ ノ
|(__)_)
(__)_)
母への懺悔と感謝の文章を書いた。
キーボード叩きながら涙が出た。
書き込みボタンを押したとたんパソコンが固まった。
慌てて立ち上げたが、文章は消えていた。
新たな涙が込み上げてきた。 (T_T)
871 :
861:02/05/26 19:53 ID:XvGjNQ0y
やっと戻ってこられました。(Ctrl+Fで探せばよかったのに失念してました…)
もう皆様方に会えないのかと思って真剣に悲しかったよ。
>>862 くどくなってしまうのですが、あなたにだけは幸せでいて欲しい。
辛いときは、私も一緒に泣いているから、孤独だと思わないで欲しい。
いつでもどんなときにもあなたの味方がいるって思ってて欲しいです。
872 :
大人の名無しさん:02/05/26 22:41 ID:J62i53EY
子供の頃から家の中で笑ってないと怒られた。
親の思うようにしなかったらまた怒る。
こんな親は持ちたくないね。今二人ともずっしり子供を食い物にして生きている。
泣くことなんて別にないけど、友達に土下座して生活費作って必死に二人を食わせてるときに、
お前は本当に冷たい。結婚もしないし、なんの楽しみもない。生むんじゃなかったといわれたとき、
泣きたいと思ったのにいつものように笑ってた。
欲しくて仕方のなかった人が親御さんを亡くしたり、そんな話には胸が詰まるけど、
正直うらやましい自分もいる。早く死んでくれと思う前に、いなくなって欲しかったな。
ここにいて欲しいって思う親ってどんなだろう。
嗚咽じゃなくてごめんなさい。親御さんを亡くした人にもごめんなさい。
>>873 羨ましいよね。
無理して笑わなくてもいんだよ。憎んでもいいんだよ。(見えないところでね)
無理して親を養わなくてもいいんだよ。自分で自分を責めなくていいんだよ。
自然に泣けて、自然に笑えるあなたための場所を自分でみつけていいんだよ。
875 :
_:02/05/29 13:03 ID:wYcbEEIF
漫画ネタだから、スレ違いにならないように気をつけて書くよ。
「ゆんぼくん」って泣けるよ。
なんで西原理恵子って、あんなメチャクチャな奴なのに、
あんな絵で泣かせるんだろうな、芸術の魔性って奴かな。
ゆんぼくんは、野原のむこうのほっ立て小屋に住む、
きつね色の髪の女の子が気になるようになったが、なかなか言い出せなかった。
その子が突然引っ越すことになって、最後に勇気を出して川に魚とりに誘う。
弟と一緒にやってきた彼女を、ゆんぼくんは一生懸命川に案内する。
二人を川岸に待たせて、ゆんぼくんは魚を捕ろうとしたら足を滑らせて転ぶ。
すると二人は、そのおかしな姿に本当に楽しそうに笑った。
そしてゆんぼくんは、二度目はわざと転んだ。
意味わからなかったらスマソ。
だけど俺はこの場面を見て、マジで泣いた。
記憶のどこかにある、似たような経験がそうさせたんだと思う。
>>875 意味はわかる気がする。
西原理恵子は色々キツイ過去を経験してる人だから、痛みを知ってるんじゃ?
>はこの場面を見て、マジで泣いた
ゆんぼくんが一生懸命になのは「喜ばせたい→愛されたい」じゃないかな。
それが自分の経験に重なってしまうのかな。自分はそう感じてぐっとくる。
>>872 この板を覗いてたまに泣く・・・
過去スレで、板移転が起きてるようなので、「どの板」なのかわかりません・゜・(ノД`)・゜・
教えれ。・゜・(ノД‘)・゜・
>>877 ブラウザ立ち上げて、URLコピペして、〜htmlの後に入っている
余分なブランク消すと、内容見られました。
かちゅじゃ無理でしたけど。(やり方あるのかしら)
>880さん
872さんではないのですけど
URLや名前欄を見ると
どうもここの板じゃないかと思うのですが...。
失礼。ちょっと笑った。
この板でしょう。
883 :
大人の名無しさん:02/06/03 23:16 ID:BsphN4qS
age
884 :
大人の名無しさん:02/06/04 12:25 ID:FDpNtAvx
885 :
:02/06/04 12:55 ID:LUXE4xJS
886 :
880:02/06/05 17:49 ID:Yy7sfKDP
>>881-882 ・・・・大人の名無しさん ですね・・・
キューッ(´д`)ハズカシ- スレ汚し済みませんでした。有難うございました。
887 :
大人の名無しさん:02/06/08 22:19 ID:i4cn01J3
書きたいことのある人いないかなage
保全
保守ピタル
890 :
大人の名無しさん:02/06/15 02:15 ID:XXf9vp/f
保守
892 :
sage:02/06/19 12:51 ID:WW8hf0gP
保守
893 :
_:02/06/19 15:05 ID:6lh4DCfh
さんまの「あんたの夢かなえたろかスペシャル」で
中村玉緒に会いたいって言うじいさんの話観た人いる??
番組の設定は
中華料理屋で、じいさんに中村玉緒がどれほど好きかインタヴューしてる
その最中に、料理を運んでくる店員のおばさんが実は中村珠緒だったと言う
よくある対面シーンだったんだけど、俺はあの手の番組は全部やらせとして
冷ややかに観てるんだけど、あのじいさんのときは違った。
店員が中村玉緒だと気付いた瞬間の狼狽ぶりと、うわずった声で
「うっうれしずぎる!!」と嗚咽するじいさんの姿は
まじでもらい泣きしそうになった。
くだらない話ですまん。
894 :
大人の名無しさん:02/06/19 15:08 ID:9CwhFaUW
>>893 あの番組、全部ヤラセだって話だよ。
選ばれたとされる素人は全員仕込みか売れない役者・劇団員。
オレの親父は怖かった。
もちろん最近よくある理不尽な暴力ではないが、オレは何かをやらかすたびに鉄拳制裁を食らっていた。
小柄だががっしりした体型のオヤジの鉄拳は、いつもいつも痛かった。
不肖のバカ息子であるオレが身を固めたのは、30半ばになろうとした頃だった。
引退しすっかり好々爺になってしまった親父だったが、結婚式の挨拶は堂々としたもので、
まだまだ親父は健在だと安心したものだった。
それから1年ほどして、親父が入院することとなった。
小柄だが頑強だった親父にとっては、初めての大病と入院だった。
原因は不明だったが、腎臓機能の一部を失うだけで済み、手術なしの薬物治療で大丈夫とのことだった。
その時点で少し親父が縮んで見えた。
そしてさらに1年後。今度は腫瘍が見つかった。
幸い悪性ではなかったが、切除された患部を見て、ICUでチューブだらけの親父を見たとき、
さらに親父が縮んで見えた。
親父は生還と引き換えに、カミナリ親父の威厳を失った。すっかり弱気になってしまい、
何をしても疲れるからと中座をするし、60過ぎでもなお若々しかった風貌は、一挙に衰えてしまった。
先日の父の日に実家を訪れたとき、親父はオレの飼い猫のことばかりしきりに気にしていた。
まるで孫のことでも嬉々として話しているかのような、そんな口調だった。
「!!」
大病をしたことがなかった親父が、最初の病気以来どういう気持ちでいたのか、そのとき痛いほどよくわかった。
晩婚で心配をかけた挙句に、いつまでたっても子供も作らないで新婚気分でいるオレたち。
あの気の短かった親父は、孫が欲しいとかなにも言わずに、そんな浮かれた夫婦の姿を暖かく見守ってくれていた。
大病を重ね恐らく死すら覚悟したであろう親父は、どれほどに孫の顔を見たかったことだろうと。
そんな今の弱々しい親父の姿と、過去の親父の姿。
テーブルに置かれたありきたりの父の日のプレゼント。
相変わらず親不孝なオレ。
それらがない混ぜになってグルグルと心のなかで渦を巻き、
そのやるせなさ・悲しさがこみ上げて、嗚咽をもらしそうになった。
なぁ親父。来年の今ごろは孫を抱っこできるように努力するよ。
だから長生きしてくれ。
896 :
:02/06/19 19:11 ID:Pe86KAno
>>893 ヤラセかどうかはともかく、あれはオレも泣いた。いい塩梅のオヤジだよなあ。
>>895 うちの父親と重なるところが多すぎて涙。
厨房のときは頑固な父親が本当に鬱陶しかったものだが、
今はただ、長生きしてほしいと思う。
hozen
どうしよう?どうしよう?
近所に住んでた家族、5年前に離婚し夫は子供を引き取り自分の実家へ。
妻はすぐに彼氏と再婚し子供が出来た。その家は別の家族が入った。
どちらとも偶然だが年に一回のペースで街で見かけてた。・・・田舎なもんで。
私の勤務する病院で5年生になった元夫の子供を見かけた。「お父さんが入院してる」
すぐに調べた。
彼は肺ガンの末期で余命わずか。
彼の実家には介護を必要とする年老いた祖母しかいない。
3年生の妹もいる。
彼や、子供達の気持ちを思うと・・・神様はいないのかって・・・
900 :
大人の名無しさん:02/06/24 10:10 ID:V0gEHrV8
去年の五月に父方の祖母が逝った。
突然の死ではなく、痴呆が出始め3年後のことであった。
介護疲れや、ある程度予期できた分、想像ほどの悲しみは襲ってこなかった。
通夜、葬式を通して涙を流す身内は、誰一人いなかった。
一年後、一回忌の時親戚が一同に開始、お経を読んだ。
その後、親戚を連れてちょっとした料亭にてお食事会。
父が、しめの一言を語った。
親戚一同の前で、泣きながら母に感謝を述べる姿は、祖母がこの世から去ったのを
実感させるには、十分だった。
20代ですが失礼します。
小さい頃は(私のためとはいえ)厳しい母が苦手で、
甘やかしてくれる父や同居していた祖父母の方が好きでした。
しかし大きくなるにつれ、浮気や借金を繰り返す父のこと、
それをすべて母がいたらないからだと責める祖父母のことを知るようになり、
また母の厳しさが私を思ってのことだとわかってきて、
本当の愛情を持っていたのは母だとようやく気づいた頃母は入院しました。
その半年ほど前から体調が悪かったのですが、
母の病気は特殊なもので病気の特定ができなかったのです。
入院して2ヶ月ほどで母は亡くなりました。
母は自分が死ぬような病気になったら、
ホスピス等で穏やかな死を迎えたいと常々私に言っていましたが、
入院した時点でほぼ手遅れでした。
私がそのことを知ったのはもう転院等もできないほど衰弱してからで、
入院していた病院はそういう治療はしてくれないところでした。
亡くなる前にたくさんの管に繋がれ、
無理矢理生かされていた母の姿を今も思い出します。
母の命日は大晦日ですが、
母が亡くなってから大晦日は母が亡くなってからの年数が増える日になり、
新年は私にとっておめでたいものでも何でもなくなりました。
今もちょっとしたことで母のことを思い出します。
自分が母子家庭で育ち苦労したため、
私たち子供の事を考えると離婚は今すぐできないから、
私たちが大きくなって独立してから離婚するわと言っていた事、
未だに自分が生まれたことを申し訳なく思います。
入院してすぐの頃、病院食がおいしくないと言う母に、
「今度うちでお母さんの好きなものを作ってくるよ」と言ったのに、
伸ばし伸ばしにしている間に亡くなってしまった。
約束守れなくてごめんなさい。
母が亡くなってすぐ父は再婚して家を出ました。
今も交流はありますが、
どうしても父のことを優しい目で見ることはできません。
その後、祖母も亡くなり、(祖父は母が亡くなる前に亡くなりました)
妹も結婚して家を出たので、
仏壇は一人暮らしの私の部屋にあります。
最近お水を供えることすら怠っていました。
明日からは忘れないようにするからね。
お母さんのことをいじめた
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒のお墓に入らせてごめんね。
天国でもいじめられてるなら、
そこには私たち子供はまだ行っていないんだからどこへでも逃げてね。
母が空の上で自分のしたいようにしていられることを祈っています。
長文ごめんなさい。
でもここに書いて少しだけ自分の気持ちが整理できた気がします。
902 :
大人の名無しさん:02/06/24 13:27 ID:V0gEHrV8
>>901 お母さんは、頑張ったんだね。
貴方も、これからお母さんを超えるような素晴らしい、母親になってくださいね。
お母さんに、手料理などをお供えしたりは、してるんですか?
かなしいけどいいはなしがおおいね。
904 :
大人の名無しさん:02/06/25 09:35 ID:pHboUpr6
レス数が900を越えました。
のんびりスレなので次スレは980越えてからたてましょう。
ホシュホシュ
906 :
変化はもういや:02/06/27 21:43 ID:bn5uWzi4
馬鹿だよ、ひで。
あんなに気をつけて運転してたじゃないのよ。
馬鹿。
私を守るって言ったじゃない。
どうしたらいいのよ私。
ねえ教えて 私どうしたらいいんだろう。
彼なしで生きていけって?
いつか癒されるって?
冗談じゃないわよ!
頭がへんになりそう
あー庭のマリーゴールドの種を摘まなきゃ
帰ってきて
907 :
元原発職員:02/06/28 11:43 ID:zXOsdITy
最近地元の友達が自殺した
小、中、高と同級生で一緒にいじめられていた
俺は大学進学の時に地元から離れたのだが、そいつは高校卒業後、地元のスーパーに
就職していた。
高校卒業後もあの時の奴らにいじめられて?(いやがらせ?)いた様だ。
嫁さんも子供も居るのに、死を選んだあいつの気持ちを馬鹿どもに思い知らせて
やりたい。
他人の前で死ぬほど辛い事をさせられたり、誰も助けてくれない絶望感があることを
思い知らせてやりたい。
お通夜の時の、あいつの嫁さんと子供の顔が忘れられない。
裁判にはなる様だが、そんな事で済む事では済ませない
必ず俺が仇を討ってやる。絶対に仇を討ってやる。
相談に乗れなくて本当に済まなかった。
908 :
大人の名無しさん:02/06/28 11:56 ID:iwWJGgo1
>>907 辛いお話ですね・・・胸が締め付けられました。
貴方のようなお友達がいらした事が救いです。
909 :
_:02/06/28 13:16 ID:bkSIJmgR
アイフルのCMを見るたびに胸を締め付けられる想いがする。
無理して私立に通わせてくれた両親には心から感謝してるが、
あそこは、あのCMに出てくるような奴等が沢山いた。
この世にバイクを持っていない奴がいるなんて、
この世にスキューバダイビングの道具一式を持っていない奴がいるなんて
夢にも思わない奴等が。
910 :
西尾 ◆DAME/On. :02/06/28 14:05 ID:Gl98AITE
>>907 友のために苦しむ、本当に優しいあんたに言葉を二つ投げかけよう。
「そんな事をして友達が喜ぶと思うか?その気持ちを持ってるだけで実行に
移さない事こそ、安心して眠りに就かせてあげられる事じゃないのか」
と使い古された言葉で優しい人間になって言ってみる。
「自分が戦いもせず、女房子供残して無責任に死に逃げた奴の代わりに
何であんたがそんな事せにゃならんのだ」
とあえて鬼になって言ってみる。
どっちがいいかは自分で選んでくれ。
911 :
元原発職員:02/06/28 14:46 ID:zXOsdITy
>>908 >>910 あいつの為にと言いながら、多分自分の為にやるんだと思います。
お通夜の時に、色々な話をあいつの嫁さんから聞いて胸が張り裂けそうでした。
どんな内容の嫌がらせを受けていたかと聞いた時には、吐き気を催しましたが
きっと、自分がされていた事を思い出してそうなったんだと思います。
あいつの為になんてカッコつけましたが、自分の為にしなければ・・・そう思います。
ただきっかけとして、今回の事があったんだと
誰かに聞いて欲しかったです。
元来いじめられていたので、腕力は弱いですけど・・・
考えただけで、緊張して気持ち悪いです。
聞いて頂けて良かったです
ありがとうございました
912 :
大人の名無しさん:02/06/28 15:24 ID:I7vnIksG
私たち家族と同じ敷地に小さな家をたてて住んでいたお父さんの実妹は
家族に虐げられる私をゆいいつ愛してくれた人だった。
そんなば−ちゃんが私に残してくれたものは
くちゃくちゃのはがきと古い写真と郵便貯金。
「それはあなたの本当のお母さんの写真と送ってきたはがき。
だいぶ昔のものだからもうそこにはいないかもしれないけど、
もし本当のお母さんに会いたいのなら一度そこへ行ってみなさい。
何か分かるかもしれないから。これはその時の足しにしなさい。」
その後ば−ちゃんは持病の心疾患が悪化、一年の闘病生活の後
最後の最後まで私の心配をしながら逝った。
ば−ちゃん、あの後わたし家を出て住み込みで働きながら
夜間高校に行きなんとか卒業しました。いまはある会社の寮で
一人暮らしです。生活が落ち着いた頃ハガキの住所に行ったよ。
あの住所はお母さんの実家だったようです。
代替わりしていてお母さんの弟に当たる人が実家を継いでいて
最初は事情の説明が大変でしたが、ば−ちゃんからもらった手紙と
写真を見せたらどうにか納得してくれて(私のことも一応知ってってた)
お母さんのその後を話してくれましたよ。
再婚して子供も生まれたけど失敗して子供を引き取ってしばらく実家に帰ってきていたがある時「働き口がみつかった。」っていって子供を連れて
そこを出て以来行方が分からないんだって。残念だったね。
でもねあたし一人じゃないんだよ。この世界のどっかに血のつながった
お母さんと妹がいるんだよ。生きていればいつかあえるかもしれない。
だから今日も生きていきます。おばあちゃんがくれた思い出と希望を持って。
泣ける話ではない、どころか関係もない話だが。
次スレ、あまりマターリとしている時間はないのでは?
データ総量規制の限界に近づいているみたい。
一刻も早く次スレ立てて誘導すべし。
でも荒らされているわけでもないのに512KB制限に
掛かるとは、一つのレスが如何に長いか、イコール
ひとつ一つの思いの深さを見せつけられる。
915 :
: