祭りの見世物小屋の思い出

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1名無しさん@お腹いっぱい。
昔、祭りなどがあるとよく見世物小屋がありましたよね。
私の場合は、「牛女」というものを見ました。
テントの外には、顔が人間体が牛の絵が書いてある看板があり、
テントには少し隙間があって、そこから歩く「牛女」の4本の足が
覗いていました。
子供だった私はどうしても「牛女」が見たくて、一緒にいた親にせがみ
テントの中に入ったのですが、そこで見たのは何かが原因で両足が短くなっている
おばさんが、4つんばいで歩いている姿でした。
私は「牛女」とは違う衝撃を受け、今でもこの時の光景は鮮明に覚えています。
2名無しさん@日産バカ一代:2001/03/11(日) 00:06
宮城県のお祭りで、蛇女というのを見ました。
といっても30cmくらいの蛇を右の鼻の穴から入れて
左の鼻から出すという芸でしたが、あれ今考えるととんでもない芸だったんじゃ・・
3名無し三等兵:2001/03/11(日) 00:14
んん〜?
ここホントに30代板のスレかい?
あ、あおりじゃないよ。
40代以上の諸氏からこの手の話をいろいろ聞く
けれど、実際俺見たことないんだよ、こういう
類のフリークショー。
今だったら人権云々で問題になるんでしょうな。
成長しそうなスレなんで、期待ageしときます。
4おとなの名無し:2001/03/11(日) 00:28
俺も、1とか2さんみたいなの見たことないけど、近所の祭に
似顔絵描きが来たのは覚えてる。あれは、ひょっとしたら
「マンガ太郎」って言う芸人だったかも・・・
5名無し三等兵:2001/03/11(日) 00:35
3だけれど、ついでに秘宝館てのも見たことないな。
温泉街とかにあるらしんだが・・・まあ同工異曲って
感じですかね。
ってことで皆の話が聞きたいのでage。
6130:2001/03/11(日) 00:50
俺、32才だけど蛇女は見たことあるよ・・・
今から17〜8年前だけどね。今はもうその祭りにも来ないな。
7ななし:2001/03/11(日) 00:53
ん??立川の祭りには去年まで見世物小屋きてたよ・・
はじめてみたときゃいいもんみせてもらったな〜とおもった
8大人の名無しさん:2001/03/11(日) 01:36
私のところのお祭りにも、
数年前まで見世物小屋が来てました
小さい頃は呼び込みのおやじの声にもビビってました
さくらももこのエッセイ集にこのネタが載ってまして、
国内に存在する見世物小屋は1つか2つだったような
9名無し三等兵:2001/03/11(日) 01:37
>7
そのいいもんって、どんなラインナップ
だったの。
10大人の名無しさん:2001/03/11(日) 01:43
34歳。たしか、30年前くらいに浅草?辺りで見た。
蜘蛛女がいたっけ。
子供にはすごい衝撃で、しばらくは怖くて寝れなかったな。
11大人の名無しさん:2001/03/11(日) 07:59
「腰から下男女」という呼び込みに両性具有を連想していたが、行った人に聞いたら
おっさんが女物とパンツとスカートをはいていただけらしい。
「世にも恐ろしい大いたち」でかい板に赤い絵の具が血のようにぬりつけてあるだけ。
12:2001/03/11(日) 10:01
>>3
今、33歳です。
「牛女」を見たのは多分10歳くらいだったと思います。
障害者を見世物にするっていうのは、確かに今ではもう出来ないでしょうね。
当時入場料がいくらだったか覚えていませんが、テントの中に入る際、
少し並んだ記憶がありますので、いい商売だったのだろうと思います。

13大人の名無しさん:2001/03/11(日) 18:26
見せ物小屋とは少し違うけど、
ある神社に、病気で取り出された臓器が瓶詰めになってるのがずらーっと並んでる祭り?を
見に行ったのを憶えてる。多分幼稚園にあがる前。わりとトラウマだったりする。
どこの神社か、どういう主旨の催しだったのか、いまだに不明。
14お前名無しだろ:2001/03/11(日) 20:00
あれ今考えてみると 単なる障害者が変装しててやってたんじゃ
ないかな(ってか俺も見た事ない・・怖くてただ看板は・・・)
30代ぐらいだと不思議な思い出として頭に残ってるけど
子供だった俺らはともかく大人はあの時代どういう気持ちでアレを
見ていたのか不思議
戦後の産物ともいえるかもね 今はあんな人そういないから出来ない
・・・ってかいても出来ないだろ ある意味残酷な時代の残り香なのかも
昔神社に片腕ない人が物乞いやってて なんかすごく涙出た思いでが・・
15大人の名無しさん:2001/03/11(日) 20:02
アジアだとまだ見かける。
16大人の名無しさん:2001/03/11(日) 20:05
見世物小屋自体は世界中どこにでもあるよ
日本のように擬人化してるから怖いとも言える
大人は知ってただろ ただ話題にしたくなかっただけ
戦後悲惨な人っていたからね 
17大人の名無しさん:2001/03/11(日) 20:09
今でもいるよ神社の物乞い 片腕ない人でしょ
でなぜか昔の帰還兵みたいなかっこうしてるの

あれってガセだよ 俺もなんだか物悲しくて
あとつけたら車で帰っていった・・着替えてね
ちゃんと腕もありやがんの(笑)
18大人の名無しさん:2001/03/11(日) 20:14
擬人化ってか擬動物化(笑) 絵がキモかったけど
中で見たのは、単なるキ○ガイのフリしたサル人間だった。
もちろんサルの着ぐるみ着た普通の人

パフォーマンスが怖いだけだった。ダイヤ飲んだり
鶏の首しめて血のんだり(笑) 冷静になればバカバカしいんだけど
19大人の名無しさん:2001/03/11(日) 20:22
足のない人がタコ人間してた・・。

ホント今の子供には見せたくないっ
33だけどホントイヤな思い出だもの
20:2001/03/11(日) 21:31
>>19
めちゃくちゃ分かります、その気持ち。
21お前名無しだろ:2001/03/11(日) 21:45
関係ないけど昔小人プロレスって女子プロの前座であって
(身体障害者・・ってか身長が極端に小さい大人の人)
良識ある(?)人がわかいそうってクレームつけて
結局失業したって事があった。本人たちは「余計な事を
してくれた」って逆にクレームつけた。失業だからね

見世物小屋でしか働けない人もいるって事を悲しく感じるなァ・・
今は極端に変な人ってそうはいないけど戦後はいたからねぇ・・
22お前名無しだろ:2001/03/11(日) 21:55
>>1  だったら削除した方が(笑)
自分らは大人だからそんな気持ちを持てあそばさせる事も
できるけどね〜。あんまり掘り返すのは良くない
どうせなくなるだろうし・・・。
2330代:2001/03/11(日) 22:45
今はもう郷里のお祭りに行く機会も無いけど、
義足に軍服姿の男の人2人が沿道に四つんばいになり、
もう一人足のある同じく軍服姿のおじさんがマイクで同情を訴えながら
寄付(カンパ?)を募る、という光景が毎年必ずあった。
バックには今でいう右翼風ミュージック(軍歌?)が流れてて。

親は、その前をそのまま通りすぎた。
「あんなの戦争で足をなくしたんじゃないよ」とかって教えてくれた。
真偽のほどは定かでないけど、前を通るだけで怖かった子供時代の私。


24大人の名無しさん:2001/03/12(月) 00:13
>>23 昔はたくさんいたのよね 帰還兵が尊敬されてた頃は・・
だから神社とかお祭りでもあまり文句を言う人はいなかった。
カンパする人もたくさんいたんだけどだんだんニセもの
がいっぱい出てきて相手にされなくなったのよ。
子供心に「かわいそう」とは思ってたけど・・・・
今はさすがに年寄でさえ騙せないから減ってるでしょ
25俺も:2001/03/12(月) 00:25
見たよ帰還兵。上野動物園の前にいた。
寄付が、あらかた集まると、スクッと立って何処かへいった。
二人ズレの帰還兵だった。
26大人の名無しさん:2001/03/12(月) 00:30
>>23
タイ辺りには沢山います。特に歩道橋なんかには、全階段にいる(ワラ
小さい子供連れてる人なんかもいて、可哀想だとも思うんだけど、
ひとりにあげれば全員にあげなきゃならない雰囲気なもんで・・・
でもこんなこと言ったらなんだけど、そういう人達って、
昔の日本の風景のひとつだったよね。
27名無し三等兵:2001/03/12(月) 00:37
おおお〜俺も32年前の記憶が蘇ってきた。
傷痍兵・・・とか言うんだよね。ホコテンの片隅で
両手の肘から先のない人が腕立ての芸をしていた
記憶がある。訳も分からず恐怖だったな。
おふくろに見ちゃいけません、てな具合で腕を
引かれたので、一瞬の記憶であるが、今でも覚えて
いる。
28名無し三等兵:2001/03/12(月) 00:46
上記でも触れられていたけれど、生計を立てる術と
して見世物なりショーに出なくちゃならない理由も
あるか。
インドだったかのシャム双生児姉妹(腰から下を共有
している)は、その見世物の看板スターで一般人の何100倍
だかの年収を得ているそうな。
ある男がその財産目当てに、片っ方の女性にプロポーズ
をしたが、もう片っ方の女性にSEXのマナーが悪いとして
難色を示されたそうな。
一人としているつもりでも、共有しているだけに複雑。
29名無し三等兵:2001/03/12(月) 01:01
ちょいとスレの趣旨とは違うが、俺が敬愛する高橋竹山
が良い例。昔の寒村においては障害者だからといっても
保護されようはずがない。農作業が出来なければ、自立
して芸でもって日々の糧を得るしかない。
門付けってやつだけれど、それはもう悲惨な流浪の半生を
過ごしたらしい。でも孤独と自然の中で彼の技術は磨かれて
いったのもまた事実。
障害者だからといって保護し隔離したんじゃ、その人の個性
や類まれな才能は世に出ることはない。
見世物にしても鎖に繋がれて強制させられるのでなければ、
本人のそれでも稼ぎたいという意思を尊重してあげるべき。
人権屋が口を挟んで収入の道を閉ざしてしまうのは本末転倒。
30大人の名無しさん
>>29
基本的にはおっしゃる通りだと思うんだけど、
「本人の意思」を確かめるのが、難しいのよ。
「好きでやっているのか? 強制されているのか?」って質問は
他の選択肢を知らない当事者にとっては無意味なのよ。

つーか、津軽三味線ならともかく、ろくろ首とか牛女で、
生計を立てるのは、無理だし、まちがってると思うよ。