『高橋是清自伝』面白そうだね。
日銀総裁はじめ金持ち関連には絶対になれない方向にしか動きがないけれど
バイト以外だけを数えても職歴の多さはちょいと普通以上なんだ。
一度にいくつかやっているということもあって、興味の広がりで気が付くと
それで少々は稼いでいる(笑
思い返せば、人間関係で増えていっている、
「アイツにこれ勧めたら面白がるだろう」のような感じ。
私の場合はどんどんマイナーな方へ向いていくけど(笑
奴隷から日銀総裁まで上り詰めるってことは強烈な個性の人だったんだろうね。
あらら、チボー家、高野文子繋がりですか。
前出の知人も関西在住で高野文子から入ったみたい(笑
でも高野文子の何からなのかが分からないのですよ。
その時『絶対安全剃刀』を貸してくれて、面白かったんだけど
チボー家に関することがあったかどうかを探すのを忘れている(笑
あと、『るきさん』も読んでいるのだけれどこれも違いますよね?
今時の人読まないのかなぁ?トルストイが読まれるなら
これも面白いと思いますが・・
挫折中の長編では昔の若者が読んだ『静かなドン』というのがあって
ロシアのもので、戦争を繰り返すロシアの歴史を背景にした物語。
気にはなっているんだけどね。
これもハードカバー2段組が障害になっています。厚いし・・
『のしめ』漢字で書くと「熨斗目」。
武家や能狂言の衣装で室町時代に発生して後には武士の衣装、
袴の下に着る着物、上下が無地で中央に段替わりで格子や絣・縞の柄が入っている。
袴をはくとこの柄の部分はほとんど見えないけれど
美しい柄で現代の柄のベースにもなっており、その種類が多彩。
この柄の部分だけを集めた図柄集です。
「アメリカNIHの生命科学戦略」 掛札堅 講談社ブルーバックス
NIHと言えば、研究所を持っていたり、グラント(研究助成金ね)を出したり
する、有名なアメリカの組織である。生命科学分野では、アメリカは世界的に
圧倒的な強さを誇っている。その仕組みが科学行政の観点から見て、どのよう
に説明されているのか、興味があって買った。
しかし、はずれです。NIHの組織や研究費配分方式についても書いてあるのだ
が、全体の三分の一ぐらいで、書かれている内容も特に目新しい物ではない。
残りの三分の二は、著者が専攻するガン関係の研究の紹介に費やされている。
これも、もっと上手にまとめている啓蒙書があるだろう。
著者は、44年間アメリカで研究生活を送っている人だが、科学ジャーナリスト
としての才能は無いようである。日本人の科学ジャーナリストの不在はよく
言われていることだが、アメリカに長くいても関係ないのかな。
ブルーバックスの本を買ったのは久しぶりだが、ちょっと大丈夫かな、と
心配になってしまった。若者の理系教養のために、もっと頑張ってください。
ギルー様
社会は色々組織を作っているけど、究極の所は人と人とのつながりで
持っているんだよね。若い頃は「コネでつながる身分なんぞけしからん」
と思っていたけど(今でも思っているけど)、だんだんコネの実用性
や、重要性も認められるようになってきたよ。でも年寄りになった気が
して嫌だね。
高野文子は、その名も「黄色い本」という、チボー家を読む少女を主人公
にした単行本を書いています。高野文子もチボー家もどちらも好きな人に
は大変お勧めです。
「のしめ」の情報ありがとう。「ノシメトンボ」というトンボがいるんだ
けど、名前の由来がようやく解けたよ。風雅な由来があったんだな。ギルー
さんは織物とか、デザインとか、そう言う関係の人なのかな。
「物語が読みたい!!(カラマーゾフ以外の)」という強烈な思いに取り付かれ
夕べから小松左京の「果てしなき流れの果て」に取り掛かる。
が、十数ページで夢の中・・
>>661 講談社ブルーバックスを買った記憶がない(笑
NIHという略語も分からないし、生命科学も・・苦手の分野ですねん。
高校2年で科学・物理・数学・生物の選択を死ぬ思いで何とか終了し
3年の一学期のテストの平均値が学年で一番上がったという実績の持ち主。
理系教養欠落しているのが、コンプレックスです。
高野文子の「黄色い本」はチボー家を指していたんだ。
探してみます。ありがとう。
この島で機織と2chをしている人と訪ねれば私がわかるかも(笑
ここに来て、この修行を始めてから、人のつながりについての認識が変わったとも
言えます。
一口にコネと言うのとは少し違うけれど、
信頼関係が構築されないと教えてもらえない技術がある世界です。
で、その技術の存在も、一代ではなく何代もの工夫の積み重ねの前には
個々人の努力や功績なんてわずかだと言うことが分かった。
のしめとんぼ
http://oppori-photogallery.net/circlegallery/view36.cgi?mode=photo&cno=20&sel=10&sum=14 羽の先の色から来る名前かなぁ?はじめて見ました。
「現代民話考(4)−夢の知らせ・火の玉・ぬけ出した魂」
松谷みよ子 ちくま文庫
死と密接に関係した話が続く。代表的なパターンは、・遠くの知人が
死んだときに夢に現れる、・死に際に火の玉が現れる、・知人を見かけ
たが、その知人は死んでいた、というようなもの。誰もがこれまでに
一度は聞いたことがあるような怪談だが、細部のバリエーションが豊富
である。江戸時代から平成まで、このような話のタネは尽きない。
火の玉と死との結びつきは当然といえば当然だが、夢や離魂と死との
関わりは必ずしも自明ではない。吉事を知らせる夢や、楽しい魂抜け
の話があっても良さそうな物だが、あまり多くない。
・人には魂と肉体がある、という二元論的なとらえ方、及び、
・魂は夢に作用し、凶事を伝える、ということを納得する傾向が
何に由来するのか、興味深い。
数万年前のヒトも葬式の儀礼を尽くしていたことから、人類は一般
的、かつ根源的に魂の存在を信じているのだろう。魂は自意識を説明
するための概念だろうね。多分。さらに、実際には存在しない「魂」
というものが、現実と幻の境界線ぐらいに位置づけされる「夢」に
現れる、と考えることによって、人は不条理な「死」を受け入れや
すくなるのかなあ、と与太話を考えてみました。
ギルー様
小松左京は読んだこと無いなあ。一冊ぐらいならあるかな?
でも忘れてたら同じことだな。俺はフィクション欲求は漫画
ですませちゃうから、あまり最近は小説を読まないんだよね。
「果てしなき流れの果て」というのは眠りにつくのにふさわしい
タイトルだな。
理系学問なんてたいしたもんじゃないよ。大概の分野は、いい先生
に説明してもらえれば、中学生でも分かるようにできている。
伝統工芸の世界は全く未知の世界だ。師匠の家の前に正座して、「入門
よろしくお願いします」と雨の日も風の日も土下座すること
数ヶ月、ようやく門の中に入ることを許されるような、そんなイメージ。
我ながらアホっぽいな。
ノシメトンボはとてもよく見るトンボです。絶対に見たことがあるはず。
でも虫に興味がない人にとっては、トンボは全部トンボだからねえ。
無念。
>師匠の家の前に正座して、「入門
よろしくお願いします」と雨の日も風の日も土下座すること
う〜ん、文章で書くと極端だけど、似たようなものかもしれない
「アンタには教えてもいい」と思われないと肝心な事は教われない世界です。
「果てしなき流の果てに」ごめんなさい、に がついていました。
ほとんどマンガの世界かな、でも面白いよ。
漫画も読み始めるとはまるけど、絵がついている分ファンタジーが限定される
という意味では文字だけの方がいいと思い込んでいます。
なんてね、漫画はすぐ終っちゃうでしょ一冊が、あれがイヤなんだよね。
ようするにしみったれているの私が(笑
小松左京は二冊目。
はじめは「くだんのはは」これは短編集だったけど
かなり面白かった。
で面白かったと40代か50代の読書スレッドにかきこんだら
これを勧められたというわけです。
超常現象はね、軽いものは体験しているの(笑
あるものとしての認識が
最初からある。自分で書いていても間抜けな女子学生みたいだけど(笑
で社会学的な検地から検証してみたいなということで
小松和彦なんだけどまだ手がまわらない・・
「現代民話考(5)−死の知らせ・あの世に行った話」
松谷みよ子 ちくま文庫
前巻に続き、怪談が続く。ちょっとお腹いっぱい。いわゆる
臨死体験(死にかけたら花いっぱいの野原があって、川が流れて
いた、云々)、死の知らせ(知人が死んだときに普段と違う何か
があった)、幽霊の体験談、生まれ変わりの話など。個人的には
「ぼた餅地獄」の話がツボに入った。どんどんぼた餅が出てくるって
いうそれだけの話なんだけど、シュールで良い。
意外に日本人の来世観は古風なのだと認識。特に、人が死ぬと
檀家寺に何か異変が起きるという話が多いのが意外である。私
は特定の寺、もしくは宗教には何の関心もないが、話題提供者
は高度成長期以前に生まれた人が多いからそうなっているのかな。
現在の都市住民が死ぬときにはどんな話になっているのか、興味
深い。
私は来世なんぞない方が良いと願っている。死んでまで色々考えたくは
ないし、何も考えなくて幸福感に浸るだけなのなら、ヤク中にでも
なるが良かろう。
ギルー様
>「アンタには教えてもいい」と思われないと肝心な事は教われない世界です。
ふーん。何でかな。自分が持っている物を世間に広く知らしめたいとか、
思わないのかな。
>なんてね、漫画はすぐ終っちゃうでしょ一冊が、あれがイヤなんだよね。
そうだねー。でも漫画は発行部数が多いから単価は安いよ。でもブックオフ
で立ち読みできるときには立ち読みですませてしまうな。10巻ぐらい
だったらすぐ読めるから。漫画家の皆さんすいません。
じゃあ今度頭を使うのが嫌になったら小松左京でも読んでみるかな。
私はがちがちの合理主義者として、超常現象が無くても心理学、脳科学、
確率論などで世界を解釈できると思っているので、超常現象の存在を
信じようとは思わない。自分自身霊感みたいな物は全くないからね。
でもいわゆる「見える」という人のことを否定する気は無いよ。私には
感じられない、ていう、それだけ。
>ふーん。何でかな。自分が持っている物を世間に広く知らしめたいとか、
思わないのかな。
理屈ではそうだね。
その上、自分の技術は自分で獲得した物より、過去からの伝承発展だということも
それを自分の代で終わらせてはいけないとも思っている。
多分、世間一般では受け入れられないというか、
真摯に興味を持つ人がそう沢山いるとは思えないんだろうね。
流通価格はだいたい決まっていて丁寧な仕事をすればするほど
時間当たりの賃金が下がってしまうからね。
消費者の手に渡る価格はかなり高価でも自給に直すと200円くらいになる(笑
丁寧にやれば良いものが出来るんだけど
パチものでも用が足りる、手作業の重要性は少ないので偏屈になっているん
だよね。
でもね、どうでもいいとも言えることなんだけど
風格の違いは確かにある。
霊感というと大げさだけど
たとえば、動物が地震が来るのをわかるでしょ
あれは、さまざまな周囲の変化からこれから来る異変を感じる能力だよね
あれに近いんじゃないかな。認識方法が違う。
飼っている犬が笑っているって言う時に
犬の顔が笑い顔になるんじゃなくて体全体の様子で笑っていると
飼い主はわかる、そんな感じ。
動物に近いといえばそうかもしれないね。
>何も考えなくて幸福感に浸るだけなのなら、ヤク中にでも
なるが良かろう
これには笑った。
だいたい何も考えない状態で幸福と感じるのはどういうことなんだろう?
日々すごく考えているわけではないが死んでも退屈はイヤだなぁ
「果てしなき流れの果てに」まだ読んでるよ、
太陽が爆発消滅することになって、人類の種の保存をかけて選ばれた人が
地球外へ脱出し火星に基地を作る、
そこへ人類より高い知能と歴史をもった生物が助けに来たと告げて
人類の叡智をかけた種の保存計画は用を成さないから
一緒に来るようにと助言する。
誇りを傷つけられながらも、生き残りを選択しようとする
という場面、これからどうなるのか、多分大きな山場にさしかかっている・・
途中だから書いちゃったけどネタバレじゃぁありませんように。
「くだんのはは」 小松左京 ハルキ文庫
頭を使いたくないので読んでみた。小松左京短編集。私にはいまいち。物語
としてはあまり意外感のないオチが多い。かと言って、何か余韻のような物
が残るかというと、そう言うわけでもない。特に「女」シリーズでは何か
おっさん臭さが鼻についた。聞いてもないのに蘊蓄をひけらかす、
いやらしいおっさん。
折角勧めてくれた本をけなすのは申し訳ないが、正直に書いてみました。
すいません。ギルーさん。
SF板の小松左京スレでは表題作「くだんのはは」は絶賛されているんだけ
どなあ。私もこの短編集の中では良い方だと思ったが、主人公がお屋敷に
行ったところで、だいたいオチが見えてしまった。二段オチも、こんなの
よくあるよねー、という感じだし。くだんを知らない人には意外なのかな。
昔「エスパイ」を読んでいたことを思い出したが、それも特に印象に残って
いない(エロシーンを除く)。多分そんなに小松左京と合わないのだろう。
「現代民話考(6)−銃後・思想弾圧・空襲・沖縄戦」
松谷みよ子 ちくま文庫
二巻は兵隊の話だったが、これは兵隊に行かなかった人の戦争体験。
悲しくて嫌な話がてんこもり。十五年戦争が全く無茶な戦争だった
ことを思い知らされる。ぬるま湯生活に首まで浸かっている私は、
とても空襲や引き揚げの混乱を生き抜けないだろう。
思想統制や、隣組の話を読むと、無茶な戦争のために無茶な内政を
しなければならなかったということがよく分かる。しかし、実のと
ころ為政者が意図する以上の働きを大衆が補完してしまう、という
日本人の気質によって無茶な戦争の実行が可能になったのだろう。
昭和天皇が死んだ時の、めでたいことは何をやってもならぬ、という
異様な雰囲気は、隅から隅まで政府が指導したことではなく、
必要以上に自主規制を行った結果生じた物であった。
全体的に女性の体験談の方が印象的である。まあ銃後だからね。数も
多いのかも。ぎゅうぎゅうの汽車で買い出しに行ったり、子供をつれて
一生懸命逃げたり。母は強し、と思います。
気になるのは、話題の元に「赤旗」とか「朝日新聞」はあっても、
「文藝春秋」や「産経新聞」は無い、ということだ。戦争は悲惨な
ものであることは間違いない。しかし、悲惨さを強調した記録は、
悲惨さを無視した記録と同様に有害であると思う。
二連投の後で一休み。
>>669 むー。そうか。伝統工芸の世界も大変だな。本物はとても手が出ないような
値段だから、生産者が潤っているかというと、そうでもないんだね。まあ
俺も用の足りるパチ物で満足しちゃうからなあ。風格の違いっていうのは
確かにあるんだろうけど、多くの消費者がそこまでの審美眼を持っていない、
という所で鬱屈しちゃうのかな。
俺に限ってはネタバレの心配無用。すぐに忘れるから。小松左京スレでは
「果てしなき流れの果てに」は名作第一位の評判高いから、きっと面白い
んだろうね。でも俺はしばらく手を出さないです。
『果てしなき流れの果てに』読み終わったんだけどね・・
後半ダメだったよ、
「くだんのはは」の短編集は私にとっては京都のお金持ちオヤジ感覚は
エスニックでそれはそれで興味深かったんだけど
時空に関するものが苦手というのがまずあるけれど
時空間移動が必要以上に多くて、流れが雑になっている
あと、オチがそんな旨くいくかよと突っ込みたくなる。
で、「くだんのはは」で目をつぶったオヤジ感覚が底の浅さとして
表れている。
構想が壮大なんだけど、だからどうなのよの詰めがちょっと甘い。
これ読まなくて結構。
SF板に小松左京スレあるんだ、覗いて見ようかな。
でも、もうこの人のはよほどでない限り読まない。
気分転換で読んだ『山の郵便配達』彭見明著
う〜ん、これも私はダメだった。
表現が直接的で感傷に流れすぎ、翻訳がまずいのかもしれない。
「現代民話考(7)−学校・笑いと怪談・学童疎開」
松谷みよ子 ちくま文庫
学校におなじみの怪談話を多数収録。誰もいないのに音がするピアノ、
上りと下りで段数が違う怪談、動く肖像、手が出てくる便所、等々。
私自身は自分の学校にまつわる怪談を聞いたことが無いので、怪談の
ある学校が少し羨ましい気がする。
一方、笑い話の方は、先生のあだ名や失敗、生徒のいたずら、昔話の
パロディ等。しかし、2chのネタスレよりも面白くないと思う。他の
巻と同様に、笑い話の方がバリエーションが多い。
笑い話、怪談共に、時代を感じさせる。簡単に言うと、全体的に古くさ
い感じがする。私が小学生の時に口裂け女の噂話が流行した(らしい。
私自身の手の届く範囲では噂を聞かなかった)が、この巻に集録されて
いる話はそこら辺が最前線である。私が生徒であった頃には、学校と
子供の結びつきは、以前よりも弱くなっていたのではなかろうか。現在
学校でどのような話が流布しているのか、興味深い。
学童疎開の話は、前巻「銃後」と重なる内容であるので、省略。
「現代民話考(8)−ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」
松谷みよ子 ちくま文庫
これまで読んできたこのシリーズの中では、最も気楽に読める巻。また、
マスコミ関係者が多いので、文章が読みやすいものが多い。方言をその
まま聞き書きされると、味はあるけどやっぱり読みにくいからね。
日本でのラジオ・テレビにまつわるこぼれ話集。内容はたわいもないもの
が多いが、ラジオやテレビが最初に導入されたときの人の反応には、普遍
性を感じる。新しいテクノロジーが導入されるたびに類話を生み出されて
いくのだろう。現在も高齢者のパソコン教室では定番の失敗話などあると
聞く。
怪談は、特にラジオ・テレビ局に特有の物を感じない。また、数も少ない。
主題とは関係ないが、この巻は松谷みよ子氏自身の回想が多い。氏は初期の
テレビ人形劇の脚本を書いていた関係で、マスコミと関係があったようだ。
松谷みよ子氏の履歴に関心がある人には少し役に立つかも知れない。
また二連投の後で一休み。一週間ぶりのカキコだな。日本は今お盆か。
>>674 そうか。ハズレでしたか。面白い小説っていうのは、ちょっとぐらい
(場合によってはかなり)展開に無理があっても、何か引き込まれて
しまって突っ込もうと思わないよね。「果てしなき〜」にはそういう
力は無かったんだな。
>>675 ハズレ二連発は悲しいね。俺は外国物の方が好きだったので、流麗な
文章よりも、少しごつごつした翻訳の文体の方がなじみがあるよ。ギルー
さんは中国文学好きなのですか。前も読んでたような気がするけど。
中国文学といっても80年代、天安門事件あたりに限定ですが面白いです。
古いちゃんとしたのは読んでいません。
とにかく熱い。
残雪のHPです。ちょっと覗いてみて下さい。
http://webclub.kcom.ne.jp/vc/kondo-n/eturan2.htm ラテンアメリカもののような熱さと不思議さが気に入っています。
私も圧倒的に翻訳物が多いし好きです。
70年代は米文学一辺倒、その後からエスニックですね。
『やし酒のみ』にしびれてからでしょうか(笑
と、ここまで書いて
今年の夏ののりの悪さはエスニックもの読んでないからだ、と気付きました(笑
この島の夏のクラクラ来る暑さには幻想的なシーンが最適なのに・・
今読んでいるのは幸田文の『父』
文体は昭和前半の江戸便でもの言いも美しいのですが父親を看取るという場面
が主で(露伴と自分の父親を重ねるのもなんだかですが)
父親の危篤の状態がよみがえって、胸苦しい気分です。
「江戸便」なんて書いたら露伴先生目をむくな・・
幸田文、気に入ってこの夏は何冊か手にしたけれど、この人が面白いのは
やはり露伴あっての事でした。
『幻談・観画談』耳で聞くように文章が流れている。翻訳物は映画を見ている感じかな、
対極なんだけど日本語の単語の豊富さとその流れが心地好い。
幸田露伴に行きつけたのは今年の夏の収穫です。
「現代民話考(9)−木霊・蛇」 松谷みよ子 ちくま文庫
大木に精霊が宿る話、木のたたり、木を守る話、木にまつわる風習、
等が木霊の話。大蛇、つちのこの話、蛇のたたり、蛇と人との婚姻
の話などが蛇の話。日本人が自然に関わる姿勢が反映された巻。少し
古めの(昭和初期ぐらいまで)話が多い。
温暖多湿な日本では、森林は人々の生活に身近な物であり、生活の
場でもあり、また人の力の及ばぬ場所として恐怖の対象でもあった。
神木やたたりの話が多いの理由は、近代化以前には森林を制御できない
物としてとらえていたことの現れだろう。人の技術への信頼が増すと
ともに、森林は畏れの対象ではなく、守る対象になっていったように
思える。
一方、蛇がなぜこれほどまでに人々の注意を集めていたのか、よく
分からない。大蛇やつちのこに出会った話というのは事実では無い
と思う。それほど大きい脊椎動物がこれまで日本本土で発見されて
いないということは考えにくいからね。しかし、大蛇に出会ったり、
蛇に害を及ぼしたりした者は高熱を発して死ぬ、という話がほとんど
であることから、何か犯してはいけないものの象徴であるように
思うのだが。
どちらにしても、木や蛇にまつわる話は今後の日本では多く生まれない
だろう。日本人と自然との関わりはすっかり薄れてしまった。それが
いいことか悪いことか分からないけどね。
「現代民話考(10)−狼・山犬・猫」 松谷みよ子 ちくま文庫
送り狼、狼の恩返し、狼にまつわる風習、猫に化かされた話、猫踊りを
見た話、猫のほのぼのエピソード、等。松谷みよ子氏の猫好きが反映さ
れた巻。
狼と山犬の区別は曖昧だが、野良犬は人里から離れないと思われるので
山犬=狼ととってよいだろう。周知の通りニホンオオカミは明治末期に
絶滅してしまったので、それ以前の話が集録されている。日本人は狼に
対してそれほど悪いイメージは持っていなかったようで、狼は頭が良く、
律儀であるという印象を受ける。また、日本人はニホンオオカミの習性
を詳細に観察していたことが、各話から見て取れる。
山猫に化かされた話が多いのは以外であった。イエネコもやはり人里
からあまり離れないと思うのだが、昔の日本にはネコ科の野生動物がいた
のだろうか。特に、山猫に化かされた話は隠岐に多いのが面白い。ツシ
マヤマネコやイリオモテヤマネコのように、オキヤマネコというのが
いたのかな。猫話の半分ぐらいは、家の猫ののろけ話である。私は猫
好きなので面白く読んだが、猫が嫌いな人にはどうでもいいだろうな。
狼は獣とは思えないほど頭がよいが、超能力みたいなものはあまり
感じさせないのに対し、猫は妖怪になったり、人語を話したり、たたっ
たりしておどろおどろしい。そのくせ日本人は古くから猫を可愛がって
いる。「謎が多いが可愛い」という感覚は、現代の猫好きにも受け継
がれていると思う。
また二連投の後で一休み。最近このペースが定着しつつあるな。
>>679 残雪のホームページ一通り目を通しました。俺は文芸批評には詳しく
ないけれども、この人はすごく情熱的に文学と向き合っているように
思えた。現在の日本の文芸批評は、こんなに情熱的ではなく、もっと
冷めた視線を持っているんじゃないかな。実態は知らんけど。でも
小説自体は淡々としている印象だね。もちろん俺は文革なぞ体験して
いないわけだが、何となく郷愁を感じた。
現在住んでいる所はヒスパニックが多いのだが、彼らを見ていると
毎日道ばたでおしゃべりして楽しそうだ。彼らと文学のイメージは
あまり結びつかないなあ。まあヒスパニックと言っても南米と中米、
中米の中でもカリブ海とメキシコは全然違うそうだから、ひとくく
りにはできないけど。
>『幻談・観画談』耳で聞くように文章が流れている。翻訳物は映画
>を見ている感じかな、
いい感じの例えだね。なるほど。
蛇はこの辺りでも特殊ですね。よく見るし、家の中でも2回見た事がある。
家に何かあると蛇が現れると今でも信じている。
逆に蛇を見たと言うと注意するように言われる。
実際にハブがいる島では
もっと神経を使っているようです。
>何となく郷愁を感じた
そうそう、これ不思議だけど私もそう。
台湾の侯孝賢の映画など行った事の無い風景が自分の思い出のように
あわられる。風土感覚が近いのだろうか。
すごく近いんだけど、淡々とした中に日本人にはなかなか見られない熱さがあるよね。
ヒスパニックも文学はあるよ(笑
全く違う風土だけどそこで培われた物語の奇想天外さはイイ。
月並みだけど、ガルシアマルケスの『百年の孤独』
もしまだならこれだけは読んでおいた方がいい。
できれば熱い夏にお勧めです。
ブックオフでまとめて買ってしまったので
また幸田文の『おとうと』表紙が着物の柄というのがまず気に入っています。
内容は切ない。
体力的にも精神的にも弱い弟&息子の物語。
父親が偉大だと息子は大変だよねという典型、
最期のあたり「気持ちの中の嫌な物を全部出してきれいになって死ぬ」
という部分、看取りの辛さと覚悟が身につまされた。
「現代民話考(11)ー狸・むじな」 松谷みよ子 ちくま文庫
タイトルの通り、狸とむじなの話を集録。むじなはアナグマであるという
分類になっているが、地方によってはタヌキをむじなと呼ぶ場合もあり、
本書内では区別していない。狸と並ぶ狐の話は、他の出版社から出してい
るらしく、このシリーズには収めていないとのこと。
狸火を灯したり、怪音を立てたり、人を迷わせたり、女に化けたり、幻
を見せたり、狸もなかなか芸風が広い。しかし、こんなに色々やってい
る割には、どこか憎めない風情で、木、蛇、猫のように、人をたたり殺
したりするようなことはしない。深刻ではない怪異の何でも屋ですね。
狸の人徳(獣徳?)である。
ほとんど戦前の話である。複数の話者が「昔の狸はよく人を化かして
いたが、最近の狸は芸がない」というような話をしている所を見ると、
もう怪異を狸の仕業とするような曖昧な畏れや暗闇が、明治以降の人
と自然の関わりから無くなっていったのだろう。
「現代民話考(12)ー写真の怪・文明開化」
松谷みよ子 ちくま文庫
ふう。ようやく最終巻だ。写真の怪は、いわゆる心霊写真の話。文明開化
は、明治以降に西洋から導入された新技術に出くわした人々の話。二つの
話題に関連性は感じられない。余ったから二つまとめました、という印象。
私が小学生の頃、心霊写真のブームがあった。午後のワイドショーなんか
で霊能者と称する人が視聴者からの投稿写真を鑑定していたものだ。この
巻の話はそれとほとんど同じ類の物である。時代も最も新しく、ほとんど
が昭和五十年代以降。霊感がある人の心霊写真体験談が続く。個人的には
このシリーズの中で最もつまらなかった。
一方、文明開化の話は、単純な笑い話として面白い。日本人が新しい物
に出会ったときのとまどいが、「あー、こういうのありそうだよね。わか
るわかる。」と素直に共感できる。扱われている事物は、苗字・ざんぎり
頭・郵便・電報・電気・水道など。笑い話の元になった実話はあると思う
が、伝聞を経ていくうちに話として洗練されていったように見える。
「現代民話考」総評
折角十二巻全て読んだので、最後に独り言を。
・現代民話について
結局、「現代民話」というのは、何なのだろうか。松谷みよ子氏は明確に
定義していないようなので、読み進めればわかるだろう、と思って通読
してみたが、やはりよく分からなかった。私のイメージでは、民話とは
「実体験や錯覚を元にした物語が、伝聞によりある程度の数の人々に共有
されたもの」というものではないかと思っていた。従って、直接の体験談
は民話ではないと思っていた。そうじゃなければ、私達が日々語る体験談、
噂話、愚痴など、全て民話になってしまう。話が「民話」となるためには、
その話が語られっぱなしではなく、多くの人々の心に残って語り継がれて
いなければならないのではないか。
しかし、「現代民話考」に集録されている話は、家族レベル、村レベル
で共有されている話ばかりではなく、全くの個人的な体験を多く含んで
いる。特に、戦争関係の話にそれが多い。個人的な体験も民話である、
ということならそれでも良いが、その場合歴史上に現れなかった大衆
の心象の反映が民話になっているわけではない。体験談が語り継がれる
のは、当時の人々の心に何か訴えかける物があったからであろう。しかし、
語り継がれなかった個人的な体験は、その個人の心象を表しているに
過ぎない。強いて言えば、その話を取り上げた松谷みよ子氏の心象に
かなった物である。そのような話を「民話」と銘打って一般化して語る
ことには、違和感を感じる。
「現代民話考」総評 続き
・資料性について
「現代民話考」には、膨大な聞き書きが収められており、これだけの
話を収集した松谷みよ子氏は尊敬に値する。話者、地名と年号が多く
の話に付記されているのは、私にとっては面白かった。明治〜昭和に
かけて、「このような話が存在した」という貴重な資料になるのでは。
ただ、残念なことに調査方法についてあまり詳しく書かれていない。
(四巻の後書きに少し触れてある)あまり体系的な意図を持って収集
したわけではなく、松谷氏の知り合いや、日本民話の会の会員を通じ
て話を集めたようである。しかし、そのことによって、集録された話は
ランダムなサンプルではなく、偏りのあるサンプルになっているように
見える。例えば、ざっと見た感じでは東北、関東、長野、高知の話は
充実しているが、山陰や九州各県から収集された話はあまり多くない
ようである。これでは、あるモチーフの地域的な広がりといったような
ことはあまりよく分からない。もう少し話の収集源を多く取っていて
欲しかった。
「現代民話考」総評 まだ続き
・世界観の鏡としての物語
物語としては単純な話が多いのだが、小ネタ好きの私には読んでいて
面白かった(私は2chのネタスレが大好きである)。特に、妖怪や
動物(河童、樹木、狸、狼、猫など)の話からは、日本人が比較的
最近まで自然をどのように捉えていたのか、ということがうかがえて、
興味深い。明治維新から戦争、高度成長を経て急速に日本人の自然観
が変わってきたことが分かる。交通手段、電気、水道などの発達に
より、人は自然に翻弄される物ではなく、支配する物という認識に
なっていったのだろう。
一方、魂や幽霊の話に代表される、日本人の死生観は激動の時代を
経ても以外に変わっていないように思える。もちろん時代によって
道具立ては異なるが、死後の世界を漠然と信じており、生者と同じ
ように死者の魂は人格を持っている。人が死ぬ定めである限り、生
者の思う死生観はあまり変化しないのかも知れない。医学がもっと
発達して、不老不死が実現したら、その時には死生観に関わる民話
は大変化をするのだろう。まあ実現しそうにないが。
ふう。久しぶりに書いたら5連投もしちゃったよ。全部長いし。
もう少し短くまとめるように心がけよう。
>>684 >蛇はこの辺りでも特殊ですね。
南西諸島もそうなんだ。蛇神信仰は結構普遍的なのかなあ。
確かに家屋の近くにいることが多いし、ネズミなんかを食べてくれる
けど、それならイタチでもいいじゃん、と思う。
>月並みだけど、ガルシアマルケスの『百年の孤独』
>もしまだならこれだけは読んでおいた方がいい。
百年の孤独は、気になる本リストのなかに常に入っているんだけど、
まだ手が出てない。今度純文学気分が到来したら読んでみよう。もう
暑くなくなっちゃうけど。
>>685 ギルーさん最近幸田家の思うつぼにはまってるな。でも面白そうだ。
日本文学気分というのはなかなか来ないけど、気になる本リストに
追加。人の書評を見るのは楽しいね。
もう民話は二十年分ぐらい読んだ。しばらくいいや。また頭使わない
本を読もう。
個人的な体験の蓄積が同時代の民話に転化していくんだろうね。
そう、幸田家の思う壺にはまってる(笑
昨日読み終わったのが幸田文の『流れる』芸者置屋ではたらく素人の女性の物語。
身のこなしとか話し方などにも玄人臭がありこれがめずらしいという立場から
書いているんだけど、
これが珍しいという素人としての立場すら興味深い。
買いだめてあるので
引き続き『月の塵』幸田文、これはエッセイ集。
そうそう、時々車に轢かれて伸びているマングースも見るよ。
黍を食い荒らすネズミ対策で何処からか持ち込んだものが繁殖したらしい。
蛇よりひょうきん者の顔をしている。
「宇宙の戦士」 ハインライン R. A. ハヤカワ文庫
内容を一言で要約すれば「宇宙二等兵物語」(解説より)というこ
とに尽きる。何となく軍隊に志願した若者が、鬼軍曹によって鍛え
られ、一人前の兵隊になる話。このように書くと実もふたもないが、
私は面白く読んだ。まあ普遍的な成長物語だね。
この本の特徴は、巻末の熱い解説(群)である。ハインラインはこ
の小説で、愛国心と軍隊賛美を強く打ち出している。それが色々な
人の心を刺激したらしい。私は、ハインラインは軍隊にいい思い出
があるのだろうな、としか思わなかったが。
ハインラインの主張は、あまりにも無邪気すぎて特に反感を感じる
ほどではない。これはある種の軍隊ユートピアが描かれているだけ
で、ハインラインの底抜けの楽観主義の産物である。まあ中学生ぐ
らいの子が本気に受け取ったら嫌だが、成長したらそれで済むん
じゃないのかな。この小説の面白さは、軍隊ユートピアには汚さや
疑問が一切存在しないので、カタルシスを得やすい所にあるのだろう。
>>692 >個人的な体験の蓄積が同時代の民話に転化していくんだろうね。
うーん。そうかな。個人的な体験は無数にあるけど(今日の行動を
詳細に記述するだけでも膨大な量になるだろう)無数にある体験
からいくつかの物が取捨選択、編集されて、人口に膾炙していく
わけだよね。世間で語られるためには、そういう何らかのふるいに
かけられなければいけないわけで、そのふるいが、その時代
の人々の心性であると思うのですよ。ただ蓄積されるだけではなく、
ふるいにかかったかどうかが重要。
俺が現代民話考を無条件で褒めない最大の理由は、話の「ふるい」
が人々の心性なのか、松谷氏の個人的な好みなのか、はっきりしない
所だ。
くそったれ。また長々書いちまったよ。
>>692続き
>これが珍しいという素人としての立場すら興味深い。
そうなのか。まあ俺の両親ぐらいの年であっても、俺から見たら
「これぐらいの世代の人はこういう風に考えるんだねー」
と思うことがあるぐらいだからな。日本人は明治維新と戦争という
二大激変期を経て変わってきたわけだが、将来俺の孫の世代の人は、
やはり同じように思うのかな。何となく今のままの生活が後百年ぐらい
続きそうな気がするけど。
マングースねえ・・・彼らには罪はないが、南西諸島で繁殖するのは
勘弁して欲しかったよ。でもハブがいない島にもマングースは導入
されたんだな。
>>694 まったくそのとおり。無条件に蓄積していくわけではありませんね。
ハインラインは『夏への扉』と後もう一つ読んだことがある。
確かに文句のつけようのあるストーリー展開とも言えるけど、
気楽に漫画を読むような楽しいひと時でもあるんだよね。
>何となく今のままの生活が後百年ぐらい
続きそうな気がするけど
変化ということですよね。
人生そのものが中断してしまうような激変は政治や外交が
ある程度成熟してくると無いかもしれないけど、
認識形態の変化というか、情報の変化による影響はもろに受けているよね。
パソコンや携帯の普及のことを言っているんだけど
これが無かった頃というのが20代半ばまであったんだけど、今と全く違っていた。
特にコミュニケーションにおいて。
別スレでドストや露伴・漱石クラスの人はもう現れないかということに触れたんだけど
この情報量の多さによって個人の中に蓄積される情念みたいなものが
違ってきているのかもしれないとも思うんだよね。
表現するに至るまでのパワーの蓄積が薄まってしまう。
個々が決定的に変わってしまうような大きな変化に晒されることは
あると思うよ。
それをたいした変化ではないと言う事もできなくはないが・・
売ろうと思って整理していて読みふけってしまったのが
上野千鶴子『ミッドナイト・コール』
新聞に連載していたので本では読んでいなかった。
父の物を移した時に入っていたもの。考えて見れば上野千鶴子のもの
4.5冊は父の本で読んでいる。確かにそれらを父が読んだ形跡もある。
「支配的・暴力的な男性性を問い直す」ということを父がどれだけ理解していたのか
母との関係を見ても、骨壷取り出して灰に向かってでも聞いてみたい。
同年代ではごくまれにいる、30代20代では時々いる、でも父の世代、
教育勅語で育った人たちは、絶対にわからなかったと思う。
毛沢東語録
領導我イ門事業核心力量是…
幸田文『月の塵』
没後に編纂されたエッセイ集。鋭い考察もあるけれど
全体として緊張感に欠ける。
それとも食傷気味になったこちらのせいかな。軽めの随筆なのに
読むのに時間がかかってしまった。
幸田文まだ一冊買ってあるけど、佐多稲子の『私の東京地図』
を読み始めた。
佐多稲子の『私の東京地図』読み終わる。
プロレタリア文学というより、大正時代(子供時代)の上野・浅草の
祖父母の話にしか聞けない町の雰囲気が面白かった。
貧しさからくる侘しさと時代の侘しさがあいまって独特の
町の匂いがした。
後半の市谷以降は前半のみずみずしさが失せているように思える。
701 :
大人の名無しさん:04/10/10 17:27:07 ID:oTqfDd4X
塩野七生『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降[下]』
文庫でフォローしているので単行本ではまだ5冊目なんだが、
結構面白い。今月末に出た後は単行本に手を出すか…
702 :
大人の名無しさん:04/10/11 03:06:26 ID:q9U8Fhks
ここしばらくナニを思ったのか横溝正史にハマってしまってずっと読み込んでた。
先日いまさらながら「八つ墓村」を読了したら友人から「面白いのがあるよ〜」とメール。
というわけで
岩井志麻子「夜啼きの森」(角川ホラー文庫)を読了。
夜に読む本じゃないよ…これ…。
岩井志麻子が岡山の人なんで岡山弁は見事でしたが。
読了後、ちょっとぞっとした。
>>701>>702 書き込みホッとしました。これからも宜しくお願いします。
今格闘中『カラマーゾフの兄弟』中巻
ドミートリィが父親殺しの容疑で取り調べを受けるところまで。
まだまだ先は長いぞ。
納期に追われて極端にトーンダウンしています。
年上の知人からの課題図書(ほ〜く少年風味)
『神々の戦争』も2ヶ月持ち歩いたまま・・
召喚されますた。
きょう読んだ本ではありませんが、ご報告を。
ドロシー・L・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』。
イギリス黄金期の代表的ミステリーであるにもかかわらず、
なぜか長らく翻訳がなかったという「伝説的」代物。
創元推理文庫で刊行後6年にして初めて目を通しました。
“殺人の”トリック自体は、子供向けの「探偵小説入門」といった類の書物には
まあ間違いなく収録されているほど非常に有名であります。
が、How done it?のネタバレを差し引いても、
じゃあいったい誰にそれができたのか、だけで十分に楽しめます。
ぼくは充分すぎるほどそのトリックを知っていたにもかかわらず、
それが序盤で既に実行され、ストーリーがとっくに進んでいることに
しばらく気づかなかった、という有様。いやはや。
ただ、教会だあ、鐘だあ、つーのにアレルギーがあると読みづらいでしょうが・・・
さて、次なる課題図書。
綾辻行人『暗黒館の殺人(上・下)』、2冊あわせて1300ページ。
挫折することはないと思うけれど、年内に読みきれるかしらん?
>>704 早速ありがとうございます。
綾辻行人、面白ければ1000や2000は一瞬です(ほんとかよぉ?)
頑張ってください。
『神々の戦争』大高未貴、終了。
中東問題、政治的イデオロギーの違いと利害関係、宗教の違い、貧困のための低い識字率など
が複雑にあいまって、解決の糸口が見つからない現状をルポしている。
入国するだけでも困難な地域でかつ危険をともなう旅ではあるが、
どこか、「行った・見た・話を聞いた」だけの安易さを感じる。
話し言葉に近い文体のせいだけではないよう気もするが・・
ちょっと本屋で立ち読みしてみた。
『花緑の落語江戸ものがたり 〜師匠小さんの思い出をたどる』。
去年の発行だけれど、落語にそれほど興味のない人にもオススメ。
綾辻は、ようやくきょう読み始めますた。まだ100ページほど。
それが終わったら柳家花緑の本を買って読むことにする。
こんなふうに課題図書は増えて行くわけである。やれやれ。
深夜『カラマーゾフの兄弟』中巻終了。
買ってあった下巻を求めて家捜し、どこに置いたかすっかり忘れているw
探索中に中野美代子編の『中国怪談集』を手に取り
魯迅の「薬」を読む。
その後キッチンのレシピ本のあたりで『カラマーゾフ〜』下巻発見。
魯迅から移行するとカラマーゾフ、翻訳が荒く感じる。
流れは上巻よりスムーズなのでこのまま進むけど。