>>198 俺がこの前読んだ本で、
約11ヶ月で人間の体はまるっきり
別人のものと言っていいほど入れ替わってしまうらしい。
新しい血、新しい細胞、新しい爪等々。
で、今の貴方は後悔することができてる。
母親を受け入れることができている。
もし、今だったらおかあさんの手を振り払わないだろう。
だとしたらもう貴方は別の人物だと言っていい。
昔の自分を責めるのはやめようよ。
これから貴方ができることは
いなくなってしまった母を忘れず、想い、愛し、供養すればよい。
そしていつかその愛情を貴方の子供に注げると良いね。
>>198 親に対する複雑な気持ち、とてもよくわかります。
私の場合は父親なんですが。
あなたのお母さまは「ごめんなさい」って言ってくれたんですね。
泣いてくれたんですね。本当に良かったね。
私の父親はいまだに私の怒りをわかってくれないんだけど。
だからもし私があなたと同じような立場になった時、
父親の手を取れるかどうかは正直わかりません。
以前のあなたがお母さまを受け入れられなかったこと、
責める必要は全くないと思います。199さんもおっしゃってる通り。
もしお母さまに会えるなら、顔だけでも見せてあげて下さい。
それだけで伝わるものがあるような気がします。
うまく言えなくてごめんなさい。
203 :
sage:03/04/30 15:30 ID:P3mMfTdh
>>198 あなたがその時、母親に冷たくしたからっていっても、それはあなたが悪いわけじゃない。
そうせざるを得なかった訳で。
今更それを悔いても、結果論でしかない。
あなたは悪くない。悪くない。悪くないよ。
204 :
bloom:03/04/30 15:31 ID:O8imYu0/
みんなつらくても、がんばって生きてるのね・・
離婚したくらいで、金銭的につらい位で泣いてちゃダメだね・・
がんばろっと・・
206 :
sage:03/05/01 21:14 ID:xURXOsSM
ごめん・・上げちゃった・・
そして私のID SMって・・
208 :
sage:03/05/01 21:19 ID:xURXOsSM
ごめん・・上げちゃった・・
205-208 幸あれ!
おかーちゃんへ
最近お墓参り行けなくてごめんな。
ホンとは行きたいんだけどさ・・・・・・・・・・・
事故から十二年、いまだにあんたの事考えると涙が出ます。
時間が全てを忘れさせてくれるって言うけど・・・・・・・人それぞれだな。
俺は無理みてーだ。
チコ(カミサンの渾名)のお袋さんが子供らに何か買ってやったり
してんの見て嬉しいけど・・・・・・・・・きゅーと切なくなるもの。
あんたにも買わせてやりたかったなって。。。。。
『バーチャン』って呼ばれたかったよな。
俺も親孝行なんか一個も出来なかったから、そんな幸せ味あわせて
やりたかったなって思うと・・・・・・・・涙止まらないよ。
あの時俺が家に居れば、事故は無かったのかな。
教えてよお袋・・・・・・・・・
だめだキーが霞む・・・・・・・・乱文ごめん
>210
ガンバレ(・∀・)!
212 :
大人の名無しさん:03/05/03 01:15 ID:+5rh+eWV
>>210 あなたや家族の幸せがなによりもの親孝行ですヨ。
きっと母上様は、其れを見て微笑んでらっしゃいますヨ。
ほのぼのと保守
215 :
210です:03/05/05 02:08 ID:+lQz9H39
>>211−213
ありがと
>>182 エゴイストなのは重々分かっているわけで、
自分が自殺した後のことなんて考えてたら自殺なんてできないわけで、
周りも辛くなったら自殺すりゃあいいじゃん
>216
ムシカエスノ(・A・)ヤメレ!
218 :
大人の名無しさん:03/05/06 14:32 ID:U/kIgLGu
219 :
大人の名無しさん:03/05/06 19:30 ID:GZSUIy75
>>26 「知らん、こんな男は知ら…!あああぁぁ………(号泣)」
本当日本一泣ける映画だなぁ…
それにしても
>>172に小一時間説教したい。
220 :
ageちゃったおわび:03/05/06 19:48 ID:GZSUIy75
春日狂想
中原中也
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもいきながらふことともなったら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから。
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
アホなスレにコピペされてたアドレス辿って来たよ。
1時間前まで爆笑してたのに目汁がとまんねぇよ・・・
222 :
大人の名無しさん:03/05/06 21:28 ID:e1EoH/HM
>221
目汁ってかわいい響きだね
>26> 219
親子で放浪するシーンに涙が止まらなかった・・・
子どもを助けるために、棒かなんかもっていじめっこどもを
追い払うシーンとか、2人で楽しそうに煮炊きするシーンとか・゚・(ノД‘)・゚・
差別はダメだと心の底から思ったね。
移転保守
ここって凄くウェットな小説漫画のネタの宝庫のヨカン
10年程前の25歳の時、片足を失った。
原チャリで走行中に歩道から飛び出してきた少女を避けたとき横転し、
後続車に踏まれた。
ドライバーがブレーキを踏んだために、
前輪は勢いのまま身体を乗っていき、普通に踏まれただけだが
後輪で片足を大根おろしみたくもっていかれた。
頭脳労働&室内業務だったので職は残ったが、
唯一の趣味であったサッカーができなくなったのは少し悲しかった。(マラドーナ世代)
少女が助かってよかったし、今後の生活が多少不便になる程度だと思い、
補償のメインは「年に50万円を手渡しで受け取る」という形にした。(詳しくは伏せます)
同僚は少ない補償に怒り心頭だったが、自分ではたかが足1本と思っている。
それに、その事故以来、この家庭には普通に懇意にしていただき、金や足よりも
いいモノを貰っていると思っている。
父親もサッカーをたしなんでいて、昨日のCLレアル×ユベントス戦の結果でランパブ賭けたりと、
少し年上だがいい呑み友達になった。(ちなみに勝った)
奥様は見合い話を持ってきてくれたりと、おばちゃんパワー全開になってきたのが恐ろしい。
少女は少女で成長し「今度女子高生送ってあげようか? キュッと紐で縛って、宅急便で」
とか、平気で冗談が言い合える仲になっていた。
続く
227 :
226:03/05/07 22:04 ID:Hy2uh4SC
今日、その家庭に遊びに行った。
父親とは土曜にも遊んでたし(レアル×ユナイテッドの賭けの清算でオカマバー)
別になんも意識せずに普通に遊びに行った。
雑談中、次の6月に少女が結婚するのを聴いた。
俺は父親気分で喜んだが、ふと我に返った。
(結婚は金がかかる。この家庭から毎年50万も受け取っている。
そのくせ俺は金に困ってないし、さらに仲良くしていただいている。
片足1本分のモンは返してもらった。むしろオマエ仲良くしていただいてありがとうって金払え。
女子高生ごちそうさまでしたって言え。って喰ってないジャン。
あ、残った足取るってのはどう? そしたらまた10年ぐらい仲良くしてもらえるかも)
とかいろいろ思った。最後のほうパニクッた。独りツッコミとかしてたし。
その場ではいつも通り振舞えたと思う。
でも家に帰ってきて、すごいいろいろ考えた。
金銭の負担とか、一緒にいて俺の足のことを常に相手に気遣わせるストレスとか、
奥さんが見合い相手探してくれることとか、
しょぼい俺程度を負い目に思っている(かも知れない)女の子とか。
そしたら、なんかすんげ泣けた。ごめんなさいって、ホント、すみません。
そんで、こーゆーのを嗚咽というのかと思って、とりあえず書いているわけです。
ちょっと落ち着いて考えてみたが、とりあえずもう、年50万の補償は断ろうと思う。
それで疎遠になってその後忘れられても、それはそれでほら、
自分らのせいで片足になったヤツがいるなんて、思い出さんがいいやろ。
続かない
>>226 あんたってひとは……っっ!!(←言葉にならない
もうな、あんたも少女もお父さんもお母さんも、全員輝きすぎなんだよ。
まぶしすぎんだよ。 なんだよちくしょう。
>>226 うん、ほんとにいいヤツだ、あんた・゚・(ノД`)・゚・
お金のことは、あんたの納得するようにすればいいと思う。
でもね、その家族はあんたを忘れたりしないよ、絶対。
大丈夫、あんたの思いはちゃんと伝わってる。
>>226 あんた男だね。そのご家族もなんて素晴らしいんだ。
朝から泣かせんでくれよう(涙)
これから授業参観行かないといけないんだよ。
こんな目で教室入れないよ〜〜
ご縁ってさ、いつも顔あわせてるから強いわけじゃないんだと思う。
たとえ会う頻度は少なくなっても、見えない固いつながりってあるんだよ。
私はそう思うんだ。理想論だと笑われてもいいよ。
あなたとそのご家族の間のつながりは、今後形を変えたとしてもどこまでも続くよ。
たとえ実際に顔をあわせることは減ったとしても、決して切れたりしないよ。
あなたのお気持ちも伝わってるはず。
ああもう、日本語下手な自分が許せん。ごめんなさい。
これからもお身体大事になさって下さい。
少女萌え
233 :
:03/05/08 11:46 ID:0v30MLvB
決して茶化すわけではないのだけど、
>>226のようなケースで足一本失った場合、
相場はいくらくらいなんだろう。
>>233 思わず聞きたくなる気持ちはわからなくもないが、
>>226で「詳しくは伏せます」と書かれてるんだから
無粋な質問や余計な詮索はやめようよ。
本当に知りたいのなら、それに見合ったスレがどこかにあるでしょう。
ここに書かれたたくさんの人の叫びや言葉を
読んだ人間がそれぞれの感慨を持って胸に抱く、
そんな良スレなんだからさ、ここは。
(勝手にまとめてすまん)
235 :
大人の名無しさん:03/05/08 12:32 ID:jXZc/pNp
236 :
大人の名無しさん:03/05/08 14:56 ID:liuVil86
これだね。>235
454 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/14 00:02 ID:2yW4vpqo
この板は巡回先ではないけれどたまたまこのスレを見かけたので自分の体験を書く。
ちょうど今頃、畑を掘り起こし春の匂いを満喫している時期だ。
大学を卒業して地元に帰り希望の職種に就職、配属前の研修中だった。
定時に終わり帰宅中、西日を背にライトをつけて走行中ぶつけられた。
相手はGWに結婚を控えた同じ高校出身のひとつ上の女性だった。
過失割合は1:9で全面的に相手が悪い。
自分は入院し相手は花を手土産に何度も見舞いに来てくれた。
それが原因で花が嫌いになった。
その後、彼女はストレスからくる胃潰瘍で入院したと彼女の口から聞いた。
当時自分はまだ入院中である。。
彼女の入院の話を聞いたとき「それがなんなんだ」と正直思ったよ。
彼女は結婚を延期しながらも半年後に結婚、自分はまだ入院中だった。
一年半の入院生活後、職を失い頸の骨を折り四肢麻痺の体として退院した。
退院した晩、両親に「おめでとう」といわれ久しぶりに一緒に酒を飲んだ。
口にはしなかったが退院は全然うれしくもなかった。
一生障害者として、常に人の世話になりながら生活していくんだ。
455 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/14 00:02 ID:2yW4vpqo
そして両親に「たまたま被害者だったがいつ逆の立場になるか分からない、
穏便に事を済ませ相手に寛大な心をもって望め」と諭された。
仮定の話ではなく自分が被害者なんだと思いつつ現実に両親に介護を
頼る身としてはその想いを出さずにあえて反論しなかった。
そして裁判を起こさず示談が成立、一億数千万を得た。
示談が成立後、彼女が再度自宅に謝罪に訪れ以来一度も会っていない。
きっと両親も自分の知らないところで涙していたであろう。
当時自分の夢は些細なものだった。
安定した職を得て結婚し自分の子供を抱っこする事。
あの頃は彼女もいて結婚も考えていた。
十分実現できる範囲内にあったが、頸から下の自由を、温感を、触感を、
神経をなくしすべてを失った。
退院後数年たち、相手の彼女も地元の人と言う事もありスーパーマーケットで
子供をつれて見かけたと時々母親は言う。
孫を見せてやれなかった両親に本当に申し訳なく思う。
456 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/14 00:03 ID:2yW4vpqo
自分はそれほど周りに弱気なところを見せなかったつもりだが
たまたま車で外出したとき対向車の運転手が事故の相手のようにみえた。
本人だったかもしれないし幻覚だったかもしれない。
今思うと当時まだ一般的でなかったトラウマであろう。
その晩、自分の心が想像以上に傷付いていた事に気づきベットの中で涙した。
それがきっかけにポジティブになれたと思う。
いつも事故のことを考えているわけではない。
自分も両親も輪廻転生を信じているから自分がつらい体になったのは
過去の禊(みそぎ)だったと。
真実はどこにあるか分からないが少なくともそう考えると楽にはなれる。
それからまた数年、高校の同級生が交通事故死、近所の子が自殺した。
新しいひとまわり年下の彼女とドライブをし桜の木の下で突然フッと
その事を思い出し涙を抑えられず嗚咽した。
その体験が某板の嗚咽スレである。
事故から十数年、今でもちょっとした事で自分の事故相手をを思い出す。
自分の夢だったものを得た彼女はどんな生活をしているんだろうと。
別に彼女の不幸を望んでいるわけではないが自分の心を惑わせられる。
イライラさせられる。多くの葛藤がある。
そして大きなため息をつきまだ「まだ修行が足りないな」との結論に至るのである。
貼るのは無粋だと迷った。しかし
このスレの1本目から読んできて、こういうことだったと初めて知った。
226の話と共にものすごく考えさせられた。
加えて
車をよく使うようになって事故の怖さを家族で話すことが増えた。
このレスを家族で読もうと思う。
1よ、ごめん。
そんな歴史が有ったんですか。初めて知りました。
貼ってくれた方有難う御座います。このスレは時間にゆとりが有る時ニ
ちょくちょく読ませて頂いています。自分の身には、大した状況の変化も無くこのスレ
に書きこんでいる方々の心中を御察しするととても申し訳無く思います。
1さんをはじめ皆様へがんばって下さいとしか、書き込めなくてすいません。
30板ですが、40になって数ヶ月経つ奴の戯言と思ってお許しを。
私は子供の頃から病弱で、中3の受験勉強が佳境になろうと言う時に所謂厚生省指定の
難病にかかり、間一髪で死を免れた。それから無事に志望していた高校を受験して合格。
去年なくなったばあちゃんはものすごく喜んでくれて、10万円もお祝いをくれた。
子供の頃から、私とは水と油の親父はお祝いどころか、私が病気で死にかけていたときも
友人と旅行に出かけ、見舞いにも来ない有様でした。
そして、それからどうにか無事に高校生活を送って卒業。
本当は大学に行く予定が、家の都合やら自分の馬鹿さ加減で進学をあきらめ、コンピューター
関連の仕事についた。
そして、就職から3年・・・
治ったはずの病気が再発。
あと数時間で命がないと言う所でかろうじて助かったものの1週間の絶食(水も飲めない)と
朝晩の点滴や検査の連続でかなり辛い入院スタート。
結局、3ヶ月入院して退院後職場復帰。
入院中には「またわけわからん病気しやがって」と親父の心無い一言に傷ついて病院の屋上から
飛び降りて死のうかと思った事も。
どこまで行っても親父とは分かり合えない、わかるつもりもない、おかんは話し合えと
何度も言うが、話し合うまでもなく親父は面倒事から逃げる。
そんなこんなで、結局私は退院後数ヶ月で家を出た。
→to be continued........
家を出て私は生活費とやたら高い治療費の為にがむしゃらに働いた。
ドクターストップも振り切って、何かから逃れるかのように働いた。
所が、当時勤務していた会社が倒産寸前。社長の勧めで、派遣業界へ転向した。
まだ右も左もわからない業界だったが、OAのスキルなどがあったおかげで
転職してからも、さほど仕事には困らなかった。
正月とお盆にたまに実家に帰れば、「派遣も無職も同じやろ。下らん。お前はクズや。」
とまたもや親父の小言。おかんは私をかばいもせずに黙っている。
結局いたたまれなくなって、帰省しても日帰りで自宅へ帰っていた。
それから数年。
特に大きな病気もせずに順調だったが、親との確執や仕事のストレスなどで
再び入院。糖尿病だった。
2週間の教育入院の後、半ば無理矢理退院して職場復帰したが以前のように
無理はきかなかった。残業もろくに出来ずに結局契約を途中で切られた。
当時、色んな事から借金があった私はすぐに次の仕事をさがしつつ、生活費を
どうやってまかなっていくのか、さらにストレスがかさむ日々を送っていた。
幸い、別の派遣会社から長期的な仕事が入り、生活にも借金返済にもさほど困らなく
なった頃、再び体調がすぐれなくなった。
→to be continued........
過去に大きな病気を数回経験していた私は、この時ばかりはさすがにヤバイと
思って、自ら普段足を運ばないかかり付けの病院へ。
血液検査や色んな臨床検査の結果が出たのはそれから2日後(速く結果が知りたいと
わがままを言ったので;)だった。
子供の頃から馴染みの医者はまず両親に連絡してきてもらえという。
また親父やおかんに小言を言われるのがいやだった私は・・・・
「そんなことはいいから私に病名を言ってください。親には絶対に言わないで。」
と食い下がり、医者は渋々病名を私に話し始めた。
「甲状腺機能亢進症・・・バセドウ病です。心臓にもかなり負担がかかっています。
いずれは心筋梗塞で命を落しますよ?入院してください。」
子供の頃から心臓はさほど強い方じゃなかった。水泳も出来ない、体育の授業もいつも
見学だった。だから「あぁ、ならしょうがないな」って程度にしか思わず、入院は拒否。
医者が止めるのも聞かずに、翌日から仕事を始めた。
それから1年経つか経たない頃、住所も電話番号も知らないはずのおかんがいきなり家に
やってきた。ぶっきらぼうに対応する私を、おかんは今にも泣きそうな顔をして見る。
「何しにきたん?また親父に下らん事言われて監視に来たんか?」
今思えばヒドイと思う言葉を投げかける私におかんは一言。
「なんで病気のこと黙ってたんや。死ぬかもしれへんのに、なんで黙ってたんや!」
話しを聞くと、私が席を蹴るように帰った検査の結果が出た日、医者はこっそり私の
母親にだけ連絡をとり(親父がいらんことを言うのは知っていたので)、私の病状を
伝えたという。説得して入院させるようにと。
「別に・・今すぐ死ぬわけでもないやろ。放っといてくれ。」
当然のように私は入院を拒否した。
→to be continued........
ストレスが溜まっていたせいで、普段は人前では寡黙な私は淡々とおかんに話していた。
おかんは黙って話を聞いていた。
「よう考えたら私は○×家にとって疫病神やな?ガキの頃から病気ばっかりして貧乏な家計を
圧迫して、大人になってからもまた病気で借金まで作って、自分で払いきれんかったら
あんたらに治療費せびった。私なんか生きててもロクなことない。いずれ家を食いつぶすで。
・・・・せやから、入院もせえへん。自然にまかせる。死んだら・・・・
それは私の寿命なんや。今まであんたらに苦労さしたバチがあったたんや。
まぁ・・・そう言う事やから、あのヤブ医者にはそう言うといて。これは自業自得や。」
意識はせずとも、日頃から病気の事で家族に負い目を感じていたせいもあったんだろう。
自分でも驚くほど冷静に恐ろしいことをおかんの前で言ってのけてた。
とにかくせっかくの休みやからと、おかんを早々に帰そうとした私に・・・
おかんは言う。
「あんたをそんな身体に生んだのは私のせいや。私らのせいや・・・あんたは何も
悪くない。悪くないんや・・・。子供も産まれへん、水着着て海で泳ぐ事も出来へん
普通の娘が出来る事が、あんたには出来へん・・可哀相や・・・バチやなんて言わん
といて・・・お願いやから・・」
→to be continued........
消えいるような声でおかんがそこまで言ったとたん・・
私は家の玄関先(ワンルームマンションなので近所に結構話し声が聞える)であろうことか
いきなりボロボロ泣いてしまった。理由なんかわからない。
ただ泣いた。
かろうじて覚えているのは泣きながら「ごめん・・ごめんな」とおかんに 必死で謝っていたことか・・
なんでそんな言葉が出てきたのか、未だにわからない。
相変わらず借金もあるし、安月給でハードな仕事の日々を送っている。
先日、あまりにも医者がうるさいので一年と数ヶ月ぶりに病院へ検査にいった。
「○×さんももう40かいな。今のままやったら、ご両親より長生き出来へんで?」
それでも入院を拒否。今入院などすれば実家にどれだけの負担をかけるのか。
1つの病気だけでなく、複数の病気の治療には膨大な費用がかかる。
今の病気は全て難病ではないので、公費ではまかなえない。自腹を切るしかない。
入院は必要で、残りの寿命を決められてしまった。それでも!!今の私にはそれを拒否
したい理由がある。
家に迷惑をかけたくないのも理由の1つだが、あともう1つ・・・
『神様・・人生で最後のわがままを聞いてもらえるなら・・私に親孝行をさせてください』
後もう少しでいいから時間を下さい
親を旅行に行かせてあげれたり、親の欲しいものを買ってあげれたり、それがけっして
親孝行にならなくても、少しでもいいから償いをさせて下さい
神様・・どうか・・お願いします
PS
嗚咽と全く関係ない書きこみ失礼しました
>>246 読ませて頂いてました。治療をして下さい。お金は、親から工面して
貰っても、後で返せば済むと思います。自虐しないで下さい。
生命の方が尊いです。長生きすれば親孝行もたくさん出来ますヨ。
亡くなれば何も出来ません。治らない病気では無いと思います。
親より早く亡くなられたら、母親はあなたの事を親不孝者と嘆きます。
>>246 >247に禿同。我が子が自分より長生きしてくれることが、一番の親孝行だよ。
>247
>親より早く亡くなられたら、母親はあなたの事を親不孝者と嘆きます。
親不孝者と嘆きはしないだろうけど"何かしてやれることはなかったのか"
と自分を責め続けるのではと…。
242さん、親に頼る=迷惑をかけるのとは違うと思うよ。
元気になったら100倍にして返しませう。
> 242さん、親に頼る=迷惑をかけるのとは違うと思うよ
たぶん242さんはそれをわかってると思うけどな。
私も昔からいくつか難病や不治の病気を抱えていて(原因不明)
両親から「情けない、みっともない」「家にいるだけで迷惑」と言われたから
242さんの気持ちがちょっとわかるかも。
お母さんに「あんたは悪くない」って私も言われたかったな。
公費負担じゃない病気でも、一定以上の医療費は還付されるよ。
甲状腺の病気はちゃんとコントロールできるから
医療費の一部は親に頼っていいと思うよ。
頼るのも親孝行ってこともあると思うな。242さんの場合。
私も同じような年齢だし、病気で長生きする方が辛いと思ったりするけど
お互いもうちょっと元気になって生きようや?どない?
ID変わったけれど250=251です。
20代ですみませんが ここのレスみていてやっと親友にかける
言葉がみつかったと思いました
俺の親友は高校の時に近くに引っ越してきたんですが
高校2年のとき学校が合わなくて欠席しだし
結局やめてしまいました。そのときの担任が話がわかる人で
(当時は相思いましたが出席日数の改ざんなんてけっこう飛んでま
苦笑)出席日数を調整してくれて4年生の通信高校に4年目で転入
しました。親友はべつに勉強したいわけでないから 課題をしま
せんでしたけど(しめきりマジかになるとタバコをもって俺の部屋
にしのびこんできて[一階で窓が大きかったため]「さやろっか?」
といいつつ 俺にさせつつマンガみてるような奴ですが。
まぁ 無事に高卒の資格が手にいれました。
そのとしから親友はプーで俺は実家をでて隣の県の大学に進学した
それでも長期休みになると実家にかえり親友と遊んだ
実家の親には悪いが親友との方を優先してしまった。
・・・こんど親とめしくいにいくか・・・
そのとき俺が主催したコンパで親友はいまの彼女と出会った
高校時代は「かってにSEXして俺なんか生みやがって!」て親に
いって、俺ともう一人の友達にしか心を開いてなかった親友でし
たが「顔じゃなくて本当に大事にしたいって思う女ているんだ
ね」ていったときは成長したようでうれしかった。
「あのときは荒れてて親に本当に悪いことをいった」ていう親友が
成長したようにみえた。
親友は高校2(中退)からプーで今年23か去年1年間彼女の部屋にこ
ろがりこんでらしい、基本的にいい加減なやつだから
妊娠させた。俺に電話があった
親友「俺の子供ができるかもしれん」
俺「無理だおまえプーじゃん今生めば子供が不幸になる彼女の給料
だけでいけるのか?」
(極端ですいません・・・まだ若いのを言い訳にさせていただきますが
俺は子供に好きなものを買ってやって、いい服きせて、いい家にす
ませてあげたい。金銭面だけ絶対に女房になる人と子供に苦労させ
たくないです・・・世間しらずですいません)
俺「どうする?俺のとこにでも逃げてくるか?」
親友「嫌今回は逃げんあいつのことが大事だから絶対に逃げない」
俺「そうか・・・お前も成長したなぁ(笑)」
親友「まぁゆっくり話しあうよ最悪金かりるかもしれん(苦笑)」
照れ隠しもあったんだろうけど親友の成長が軽口がうれしかった。
結局親友は子供を生ませなかった。
彼女とはあまり親しくないがやはり泣いたらしい
親友「なぁ?どうすればよかった・・・?」
あのときの答えだまっててわりいな
[嗚咽スレ2 205で
「忘れ物を取りにいった赤ちゃん。戻ってきてくれて良かったね」
と。ここをみて自分の幼さに泣いた
小さい命を真剣に現実的にうけとめれなかった
自分がなさけなかった・・・
こういえばよかったのかもしれん
「まだ忘れ物があったんだろうね?」
ていえばよかった
なにもいえずに 慰められずまだひきずらせてすまない
ただ俺はなにがあってもお前の親友だ
今年親友鍼灸師&マッサージ師になるために初めて自分の将来を考
えて
「俺今年は金ためて 早ければ1年、遅くとも2年以内には大阪の
学校で資格とってくる」ていうようになった
俺は今年大学院にいって忙しくなったが俺はお前の親友だ
たまには弱音はいていいぞ
子供におまもりを渡すとき中に この人をたよっていけて友達の
名前をかくといいらしいと 前のスレを見て知った
俺はお前の名前を書くよ
いい加減でわがままで気が合う親友よ
たとえ九州 大阪てはなれても俺は一生おまえと親友だよ
つらいだろうけどがんばれてくれ
俺もがんばる
長文&乱文ですいません
ただこのスレにありがとうと いいたいです
257 :
242:03/05/10 03:11 ID:jL1pMfYV
>>247-251 ありがとうございます。
今はまだ気持ちの整理がついていませんが、気合を入れてがんばってみます。もう少し勇気を出してみます。
ちょっとブルーが入ったらまたここに来ていいですか?
>257
いつでも待ってるよー( ´∀`)ノ
259 :
その1:03/05/10 20:30 ID:jp04WoOm
今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、
私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。
兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが
それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。
初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり
宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。
そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。
友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれたと
わがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに
こんなんじゃない、お母さんに会いたいとと兄をなじってしまった。
兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、
兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣きそうになる。
260 :
その2:03/05/10 20:31 ID:jp04WoOm
その兄が、一年前両親と同じように事故で突然この世を去った。
兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より一才年上だった。
兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと
それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。
兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。
恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。
たくさんたくさんごめんなさいとありがとうも言えないままだった。
「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、
兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。
もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、
恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。
お兄ちゃん、天国で見ててね。
今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。
私はまだ30代以上ではないけど、兄に読んでもらうように兄の年齢の人達に
読んで欲しくて、ここに書き込みました。
またROMに戻ります。スレ汚し失礼しました。
259のお兄さんより年上の自分が恥ずかしい。
もしかしたらお兄さんにはあなたが支えだったのかな。
もう嗚咽どころか・・・号泣してしまいました。
お兄さんの誕生日なのにね。ごめんね。
お父さん、お母さん、お兄さんのぶん あなたは幸せになろう。
>>253-256 >なにもいえずに 慰められずまだひきずらせてすまない
>20代ですみませんが ここのレスみていてやっと親友にかける
>言葉がみつかったと思いました
あまりに重い出来事には
言葉が出ない、言葉がなくても許されることもあると思うよ。
その友達と長くいいつきあいができるといいね。
259の兄さんは優しくて芯の強い人だったんだね。
兄さんの幸せはどこにあったのか自問しているけれど
259の成長を見守るのが幸せだったんだと思う。
立派な人になる必要はないんだよ。
健康で笑顔を見せてくれればそれでいい。
ちなみにロックバンドU2のヴォーカリスト・ボノの誕生日も5/10だ。
彼の歌は心に沁みるから一度聴いてみるといいよ。
>>259-260 大泣き……
優しくて暖かくて強くて懐が深くて素晴らしいお兄さまだったんですね。
私にもかつて兄がいたそうなので(赤ちゃんの頃亡くなってしまった)
生きていたら259さんのお兄さまのような素敵な人になっていたのかな……と
個人的なことに思いを飛ばしてしまいました。
259さんの背中には、お父さま、お母さま、そしてお兄さまの暖かい愛が息づいています。
三人分の愛と命を背負って、しっかり生きていって下さいね。
あなたは一人じゃありません。
お兄さまへの幾百幾千の言葉は、数十年後、この世での役目を終えた
259さんが天へ上った時のためにとっておきましょう。
天上でお兄さまに再会するその時のために。
今は三人分の愛と命をしっかり抱きしめて、三人分生きて下さい。
それが何よりのご恩返しだと思います。頑張って。
今日は母の日
久しぶりに一人暮らしの母に電話してみた。
「無料パスでどこでもバスに乗っていけて楽しい」と笑う母の声を聞いたら、
なんだかたまらなくなった。
俺がもう少ししっかりしてたらと思うと泣けてきた。
かあちゃん、いつかどっかにいっしょに行こうな
行方不明の親父よ 生きてるか?
どうしていなくなったか訳は知らんが
親父の分までがんばるよ
>>259-260 ・゚・(ノД`)・゚・・゚・(ノД`)・゚・
泣けた。あったかいお兄さんだ。
あなたは幸せにならなくちゃいけないよ。
それが、お兄さんへの一番の恩返しだ。
>>267 「拓一の日」がどうしてもわからず申し訳ないのですが、
それでもじーんと来ました。皆様頑張ってるんだなあ……
親御さんへのご恩返しはもちろんのこと、優しさと強さを兼ね備えてる
こういう方々に日本の司法を変えて頂きたい、そう思いました。
>>268 大丈夫、259さんは必ず幸せになります。
ご両親とお兄さまという最強無敵の守護者が
三人もついてるんだから。
肉親がタッグ組んだら強いんだからさ、絶対大丈夫。
そして優しい268さんにも幸あれ。
>269
択一の日→司法試験の二次試験(択一形式)の日だそうな。
>259
イパーイ幸せになれ!!!
>>270 269です。択一の日にはそういう意味があったんですね。
司法用語かな、とは思っていたのですが具体的にわからなかったので。
ご親切にありがとうございました。
270さんにたくさん良いことがありますように。
ここ読んでたら、自分も思い出し泣きしてた…。
自分も、数年前父が2年の闘病生活の末他界。どうにか父不在の日々に慣れ、一周忌を
目前にした頃に続いて妹が逝った。突然。
頑張りやで、頑固で、口が達者で。友人たちを引っ張りまわして騒ぎ、しょっちゅうコンパに
行ったり、泊まりに出かけてた。
そんな奴は、実は小さい頃から喘息もちだった。
何度も入院を繰り返すうちに、励ましてくれる看護婦さんに憧れて、どうしても自分も成り
たいと、周りの反対を押し切って、看護婦として学校に通いながら勤め始めた。
薬と吸入器は手放せない。激務に疲れると、時折酷い発作が起きる。そんな時、職場に
入院する事になっては、自分の不甲斐なさに泣いていた。
それでも働いている時には、元気で明るくて、病気持ちだなんて判らないくらいに頑張って
「患者さんの心を一番よくわかる」看護婦さんとして、人気者だった。
患者の男の子に告白されたんだ、なんて、笑いながら言っていた。
高校の友達は、あんたを中心にいつも集まっていたっけね。
頑張って、頑張って、頑張って、行っちゃったね。
最後の日、最後の発作の直前まで、あんたは友達の誕生パーティをやって騒いでいた。
「絶対あたし達はお母さんを見送ろうな」
親父の葬式でそう約束したのに、あんた、自分が見送られたじゃないか。
次に会う時には殴ってやるから覚えておけよ。
もうすぐあんたの誕生日だよ。またきっと皆が集まってくれるんだろうな。
飲んで、食べて、騒いで。一日中あんたの話をしてすごすよ。
マルボロのメンソールと、さび抜きお寿司並べてね。
あんたの好きだった野球選手はまだ現役バリバリだ。
ワールドカップは色々あったけど、日本頑張ったよ。
お母さんは未だに山ほど牛乳買って冷蔵庫に常備してるよ。代わりに飲んでるのは私らだ。
あんたの親友は二人目の子供を産んだよ。
幼馴染の男の子は、まだ言ってるよ。「いい女だったよな。俺、ヤっちゃっとけばよかったな」って。
「国立連れて行くって言ってたけどさー」ダメだったからって言いながら、未だにサッカーやってるよ。
同僚も頑張ってるそうだよ。正看の試験も受かったみたいだよ。
あんまり突然いなくなったから、今でも時々泣きながら起きる事もあるけど、まあこっちは元気だよ。
元気だよ。
272−273
・゚・(ノД`)・゚・・゚・(ノД`)・゚・
275 :
:03/05/15 00:54 ID:583/OZ+V
>>272-273 「元気だよ」に号泣。素晴らしい妹さんだったんだね。精一杯毎日を過ごされたんだね。
そんな人は周囲の人たちだけじゃなく、神様にも愛されちゃうんだなあ……
牛乳を山ほど買うお母さまにも泣けました。
妹さんやお父さまの分まで、どうぞしっかり生きて下さいね。お母さまの支えになって。
喘息つながりというのも不謹慎で申し訳ありませんが、弟の高校時代の同級生のお話。
弟は高校時代テニス部に所属しておりました。同級生のAくんも同じ部だったのですが、
この彼が長いあいだ喘息を患っていて時々苦しそうにしていたそうです。
ある日の授業終了後「ごめんな、俺、具合が悪いから先に帰るわ」と弟に告げて
Aくんは帰宅しました。そしてその日のうちに亡くなってしまった。
Aくんのお宅は共稼ぎだったのですが、帰宅した彼はあまりの苦しさに、
近くで働いていたお母さまに助けを求めたそうです。
自宅の玄関先にあった電話機から電話をかけて「頼むから帰ってきてくれ」と懇願。
もちろんお母さまは大慌てで帰ってきました。その間わずか数十分。
しかしドアを開けたお母さまの目に飛び込んできたのは、玄関先で息を引き取っていたAくんの姿。
その手には受話器が握り締められたままだったそうです。
友達の突然の死を知った弟は泣きました。身長190センチ以上もある男が身体を震わせて。
「なあ姉ちゃん、あいつまだ17歳だったんだぞ。俺と同い年じゃねえかよ。
何でたった一人で誰もいない家で、それも玄関で死ななきゃなんねえんだよ」と。
弟が人目も憚らず泣いたのを見たのは子供の時以来。彼の背中を撫でながら、私も泣きました。
それから年月が経ち、今では弟も家庭持ちですが、あまりテニス部時代の話はしません。
Aくんのことを思い出してしまうからではないかと思うのですが。
人にはそれぞれ寿命があるとは言え、やはり早々に天に召されてしまう話を聞くのは辛く、悲しいです。
自分の妹も喘息持ちなので身につまされる・゚・(ノД`)・゚・。
1年前に、40代半ばで、子供2人をかかえ、突然未亡人になった姉。
葬儀や諸々の手続きで、気の休まる暇が無かったことだろう。
ようやく、心も生活も落ち着いてきたというのに…。
今日、検査の結果、胃がんが見つかったという。
詳しい検査は、来週もう一度、総合病院で行うそうだ。
神様、こんなにもつらい試練を、どうして姉や子供達に課せるのでしょうか…。
>>278 先日テレビで放送されておりました。今ではがんは決して「治らない病」ではないそうです。
たくさんの方々が(患者さんだけではなく、それを支えるお医者さんも)積極的に勉強会に出たり、
グループに参加して仲間を作ったり、それぞれ前を向いて生きておられます。
テレビに映っていた方は、がんの転移を経験しながらもそれを乗り越え、
血色の良いお顔で明るく快活に笑っておられました。
何も知らずに見たら、これが病気を抱えていた人だとは思えないほど元気に。
確かに神様は酷な試練をお与えになります。でもそんな簡単に思い通りにはなってあげません。
お姉さまには神様の思惑を笑い飛ばすぐらい元気に、そして幸せになって頂きましょう。
どうかお姉さまとそのお子様たちの支えになってあげて下さい。
検査の結果が良いものでありますように。画面の向こうからお祈りしております。
280 :
大人の名無しさん:03/05/16 12:22 ID:ZuTvWtcu
自分の体験ではありませんが...
テレビの番組改編時期によく特番が組まれる『警察24時...』でのある事件
の話です。
警察署に入った連絡では、妻に先立たれ生きる希望を無くした老人が真冬に入水
自殺を図ったというものでした。署の警官が駆けつけた時には既に派出所の警官
に救助されており、ある警官が毛布に包まれた老人と話しをしている場面が映し
出されました。
老人『わしは死に損ないです...本当に死に損ないですよ...』
署員『そんな事ないよ。神さんが助けたんだよ。神さんが...みんな苦しく
たって生きてるんだよ。自分だけ先に逝っちゃ駄目だよ!』
すごくぶっきらぼうで乱暴が言い方でしたが、この警官の気持ちは伝わりました。
結構前の放送ですが今でも思い出すことがあります。
>>255 スレ主旨はずれるけど、その親友さんにレス
針灸の資格は3年で国家資格、金もそこそこかかる。
今一度考え直したほうがいい。文面から察するに整体だろうけど、
へんな整体学校にひっかからないように忠告してあげてくれ
>>278 心配するな!
胃ガンは助かる人が圧倒的なんだ!
早期発見されたのなら大丈夫だ!
ウチの親父だって、ガンで胃をガバッと切ったけど、今では酒を酌み交わし楽しくやってるYO!
283 :
大人の名無しさん:03/05/18 13:54 ID:xZpDHfUQ
>>220 で泣いたのって俺だけ?なんか気になってググったら
この詩書く前に中原の子ども死んじゃってるんだね……
ちなみにこの後ショックのあまり衰弱し、死去したそうです。
あと間違い発見
×なほもいきながらうことともなったら
○なほもながらうことともなったら
おばあちゃんのこと。
外出先でこけて頭から血を流して
倒れている所を発見されて
救急車で運ばれて
腕を骨折していることがわかってそのまま入院。
痴呆症で病院内を徘徊するからって
手足をベッドに縛られていたのを見た時は
さすがに頭に血が昇ったけど
「仕方がないじゃないですか!
それともお宅で面倒みますか?」って
言われてやっぱり面倒見られないって
そのままほおっておいてしまった。
今まで(何度か粗相はあったものの)
トイレに行っていたのに、
「面倒だから」という理由で
寝たきり&オムツにされてしまった。
数ヶ月が過ぎ、そんなに遠くない場所にある病院なのに
なんだかんだと言い訳をしながら顔を出すこともしなかった。
なぜかおばあちゃんは死なないって勝手に思っていた。
ある時、久しぶりに病院を訪ねた。
オムツがないから持って来るようにと連絡があったから。
いちいち持って行くのが面倒くさいと思って
2パックまとめて持って行った。
久しぶりに見るおばあちゃんは
お昼間なのに眠り込んでいた。
看護婦さんは起こそうとしたけれど、
「別にいいです」って断った。
わざわざ起こして、収拾のつかない会話をするのも
面倒だと思ったから。
その数日後、朝早くに父が私の身体をゆらして
「おばあちゃんがあぶないらしいから
病院に行ってくる」と言った。
私は半分寝ながら「はいはい」と適当に返事をした。
約1時間後、「おばあちゃんが死んだ」と父から電話があった。
父達が駆けつけた時はすでに心臓が停止しているようなもので、
無理やり心臓を動かしていたらしい。
実質的には、誰も死に目に会えなかった。
お金がない私たちには、お葬式をあげるお金もなかった。
でも、何もせずに送るのはどうしても嫌で、借金して
お棺とお坊さんだけお願いした。
いわゆるお葬式はできずに、本当に家族(父、叔父、私、私の娘)だけで、
焼き場にお坊さんをよんでお経をあげてもらった。
本当はそれだけだったんだけど、お棺を用意して下さった業者さんが
お花も断った私達を見かねてか、お棺に入れるお花を
用意して下さった。
お棺にお花を入れながら、化粧したおばあちゃんの顔を見たら
涙がとまらなかった。
お骨はぼろぼろになっていた(かなりの年だったし)。
腕の手術の時に入れられた金属が一番目立っていた。
病院に行って病室の片付けをした。
あけたばかりの紙おむつパックと新品が一つ。
「病院でつかって下さい」と言うと、
「ありがとうございます」ととても喜ばれた。
病院を後にして、家に帰って泣いた。
大量の紙おむつは不義理の証だったから。
何であの時、起こして話をしなかったんだろう。
何で面倒くさがらずに病院へ行かなかったんだろう。
もうどうする事もできない。
たまに娘が天井を指差し「ばーちゃん」と言う。
笑顔で話しかけている。
娘と話している時はなぜかボケていなかったおばあちゃんは
今でもここにいるのだろうか。
1年経った今でもおばあちゃんの事を思い出すと
泣いてしまう。
長文しつれいしました。
>>283 本で見た時私も衝撃的だったよ
>>284-286 。・゚・(ノД`)・゚・。
おばあちゃんは今もあなた方家族を見守っているんだね。
あなたの後悔もきってわかってて許してくれてるよ。
おばあちゃんを安心させるために家族で幸せになって下さい。
親不孝な自分を棚に上げて喧嘩してしまった時・・・・そんな時にこのスレをみた。
そして思い出さされた、、親の愛情を。
恥ずかしくて面と向かっては言えないけれど、自分はいつだって感謝していたことを。
これから沢山親孝行していこうと思う、死んでも親より先には死なねぇ。
自分もばあちゃんのことを。
父方の叔母は兄を可愛がっていたから妹の自分は厳しく言われることが多かった。
だけど母方のばあちゃんは自分を可愛がってくれた。すごく優しかったし、手先も
器用で浴衣も作ってくれた。母もよく自分を連れて遊びに行ったので、二人は
仲が良いんだと思っていた。
だけど、じいちゃんが亡くなった後、母はぱったりとばあちゃんのところに行かなくなった。
後で知ったのだが、ばあちゃんはじいちゃんの再婚相手。母とは血のつながりがないのだ。
母の姉が特に嫌がって母にも「あまり会いに行くな」と言っていたらしい。
そのことにひっかかりつつ、自分も就職した直後だったし、仕事が忙しくてなかなか会いに
行くこともできなくなっていた。
毎年ばあちゃんから年賀状は数年前からこなくなった。電話口でばあちゃんは
「筆圧が弱くなって書きづらいの、読みにくいし」と申し訳なさそうに話していたっけ。
自分が結婚することになって、久しぶりに会いに行ったばあちゃんは白髪になっていた。
もともと小さくて細かった体は更に小さくなっていた。
「結婚式は体調が悪くてでれそうにないの、ごめんね」
そういったばあちゃん。
挙式後、新居に一番初めによんだ。一人では来れないからと、自宅まで送り迎えしてくれた旦那さんのことを「いいひとだね、いいひとに巡り合えて良かったね」と褒めてくれた。
ばあちゃんの体はもっと小さく、細くなっていた。
新居に呼んだ時のことを嬉しそうに話していたらしい(後日母の妹(伯母)に教えてもらった)。
年賀状は書けないからといっていたのに後日お礼の手紙が届いた。
本当に字が震えていて読みにくい。それでもハガキを書いてくれたこと
すごく嬉しくて、もっとばあちゃんを喜ばせてあげたいと思った。
ずっと会えなかった、いや、どこかに面倒くさいという思いもあったと思う。会いに行こうとしなかった分、これからもっと会いに行って喜んでもらいたかった。
だけど、ばあちゃんはその後入院した。一度だけお見舞いに行ったけれど、その時はすごく喜んで
「こんなに話したのは久しぶりだよ」と笑っていた。帰る時も「寒いからいいよ」と言ったのに
病院の入り口まで見送ってくれた。少し歩いて後ろを振り向いたらまだその場に立って、手を振っていた。そんな姿を見たら目頭が熱くなった。
その直後、病気が少し回復して(本当は治る見込みがないからと)退院。
これを機に一人暮らしをさせておくわけにはいかない、と母の妹夫婦と同居することになった。
だけど引っ越ししてから一月もしないうちにばあちゃんは自宅で息を引き取った。
葬式の時、自分は涙が出なかった。みんな泣いているのに4さいの姪ですら泣いていたのに、
自分はぼんやりとその光景を眺めていた。
ばあちゃんがなくなって1年後、私は手紙の整理をしていた。その時ふとばあちゃんの手紙を見つけた。新居に呼んだ後、数回手紙をやりとりした時のハガキだった。
絵入りのかもめーるに弱々しい、震えた字で「あなたの手紙が何よりも嬉しいです」
それを見た瞬間、涙がぼろぼろ出てきて声を上げて泣いた。
あんな手紙で良いのなら、もっと出してあげれば良かった。もっとマメに電話してやればよかった。
小さくなった体を見るたびに「もっと会いに行こう」って思ったのに、結局思っただけで
満足していたんだ。
ばあちゃんが亡くなってもう3年になる。まだその時の手紙は読み返すことができない。
>>290-291 貴女がそう思っているだけで、お祖母様はとても幸せだと思います。
それだけ心細やかな方なら、頻繁に手紙や電話を受けていたら
却って、貴女に悪いと思って遠慮してしまったかも。
その気持ちを忘れずに、これからも供養してあげてください。
漏れも、父方・母方共に実の祖父母は全て鬼籍に入ってしまい、
健在なのは父方の義祖母(祖父の後妻)だけです。
漏れの結婚式に来てもらったら、とっても喜んでいたけど
ここ最近はご無沙汰しちゃってるので、久し振りに手紙でも書こうかな。
>>290 すっごいばあちゃんは幸せだったんじゃないかと思う。
回数だけがせべてじゃない。新居に1番最初に呼んでもらえる
なんて、手紙の回数とは比較できないほど嬉しいと思うけどね。
最後にもう1度、絶対にばあちゃんは幸せだったと思う。
俺の家も今ばあちゃんが入院している。仕事が忙しくて、たまにしか
お見舞いに行けないし、いても何も話すようなことはないし、ちょっと
話をしてすぐに帰ってしまう。それでも、たまにしか行けなくても会いに
行こうと思う。
先月、実家の近所のヤツが癌で亡くなった。31歳だった。
最近では交流が途絶えて近況を伝え聞く程度だったが、
ついこないだまで元気に働いていると聞いていた。
発見されてからあっという間に進行してしまったらしい。
軽い知的障碍のあるヤツで、とにかくクソガキだった。
泣かされたりいじめられた女の子はたくさんいたし、
思いもよらない無謀な遊びやイタズラをしょっちゅうやってのけてた。
つるむ連中も同じぐらいクソガキで、決して特別扱いしなかった。
いつも一緒に遊んで当たり前のようにケンカしあっていた。
ソイツとは殴りあっただの物壊されただの、苦笑ものの思い出ばかりだが、
未だに忘れられないのは当時うちで飼っていた猫が帰ってこなかったときのこと。
家の裏手の道路で轢かれていたのを発見して、真冬の早朝に
うちまで走って知らせに来てくれたのはソイツだった。
玄関に入ってきたとき、一瞬でも
「朝飯が済むか済まないかの時間なのに、もう遊ぶ気で来たのか」と
考えてしまったことを、今でも申し訳ないと思っている。
オマエには何度も「バカ」って言ったけど、
何年かぶりで言うよ。
この、バカ。
こんなに早く逝きやがって。
hosyu
295 :
山崎渉:03/05/22 01:09 ID:isqHxWKC
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
山崎渡来訪のため、保守sage
山崎拓よりはマシか?
ほしゅ
>>293 竹馬の友に先に行かれたら、人生って何時終止符が来るかと
考えてしまいますネ。喰いの残らない様ニですネ。
良い奴程早く逝くって感じで惜しいデス。
300 :
まじで泣けた:03/05/25 21:12 ID:7PkoVN7z
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした。トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき、
こっそりジェリーの前から姿を消しました。ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです。
トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として生きつづけたかったのです。
トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみはしませんでしたが、退屈になるなと思いました。
トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから。胸の奥が不思議にチクチクはするのですが、それが何なのか、
ジェリーにはよくはわかりませんでした。トムの願い通り、ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした。