1 :
とらじろう:
大学受験の年、すべり止めは軒並み全滅で、本命駄目なら全敗のところ、
合格発表を見に行ったら、何の間違いか受かってた。家に電話かけてから
3時かかけて家に戻ったら23時。
親父が自分でお澗つけて、注いでくれた。
それから20年近くたって、数え切れないくらい親父と飲んだけど
最近はめっきり弱くなったというより、医者からも制限されて
親父ははじめの一杯だけなんて風になってしまっている
なんか妙にさびしくもあり、自分が衰える前に早く息子(2歳)
と飲みたいもんだと考えている
2 :
大人の名無しさん:01/09/17 14:22 ID:eAjcFIck
大学1年のクリスマス、思いっきりひどいふられかたした時です。〔三つ又かけられていたの〕
家でビービー泣いていたら、父がホテルのバーに連れて行ってくれました。
何にもいわずにカクテルを選んで注文していただけでも、ありがたかったです。
それ以来、おじさんごのみです。父には今でも時々バーに連れて行ってもらいます
3 :
大人の名無しさん :01/09/17 14:44 ID:hEh2WoyM
笑学生の頃 父とBeer
私は泡で
4 :
クロウ:01/09/17 15:04 ID:celm7dsI
東京で一人暮らしの頃、赤坂あたりで飲んだ。
なぜか恥ずかしくてまともな会話もできなかったのを覚えてる。
ただ、今でも心配そうに俺を見ていたあの顔は忘れない。
親孝行しなきゃ…。
5 :
大人の名無しさん:01/09/17 20:32 ID:s5U5gSxU
母子家庭だった。お袋勤めから帰ってくるといつもがばがば飲んでた
そんで殴った。それ見てるから俺は酒は飲みたくなかった。
今年、俺に子供が生まれたとき、はじめておふくろとのんだ。
こんな酒ならもっと早く飲んでもよかったか、と。思う
6 :
大人の名無しさん:01/09/22 09:43 ID:JK4yOtyk
家は工務店ちゅうより土方の元締め
家じゃあ振る舞い宴会多くて、中学の頃から自然に飲んでた。
だからいつからってのははっきりしない。
7 :
大人の名無しさん:01/09/22 10:49 ID:unTklvQc
父はほとんど飲まない人だった。
ただ、何か嬉しい事があるとブランデーかウイスキーを出してきて一杯だけ飲んだ。
そういう時、俺にも注いでくれるようになったのは高校に入った頃かな?
しかし、二人で杯を酌み交わす、という意味では・・・
大学に進学してからは実家を離れたし、たまに帰って来ても、(大体が飲まない父
なので)二人で出かける事は無かった。俺が就職したら、と言う暗黙の約束みたいな
ものはあったのだが、卒業の年に父は胃癌で急死し、実現しなかった。
も無かった
>>3 私は、幼稚園児の頃。
最初は泡だけでしたが、そのうちコップ1杯くらい飲むようになってました。
柿の種、サラミ、チーズ、さきいかの好きな子供でした。(笑
「親と飲む」という雰囲気の中で飲んだのは、大学1年の秋、
仕事で上京してきた父親と焼き鳥屋で。
母は少しだけならつきあう程度、
オヤジは厨房の頃遁走してどこにいるんだかわかりません。
したがって「親としみじみ飲む」などということは
自分はおそらく経験できません。
10 :
童貞失格(35歳):01/09/23 01:01 ID:aBGK8I0.
高校3年の時。
大学進学を前にして,シーバスリーガルを親父と初めて飲んだ。
“ああ,大人になったんだ”と漠然と感じた。
親と飲むのが嬉しいというより,親がそれを喜んでいるのが
(いるように見えたことが)嬉しかった。
こんど,親父と日本酒で乾杯しよっと!
11 :
大人の名無しさん:01/09/23 01:06 ID:nR8yOlDk
このスレ、涙ものやな。。。泣かさんとってーや。ぐすん
12 :
大人の名無しさん:01/09/24 21:49 ID:Y/TK7C46
親父いない。お袋飲まない、ではじめてそれっぽかったのは
結婚して義父&義母と飲んだとき。
あー親父と飲むってこんなかなとはじめて少しわかったような気がするよ。
今も義父(オヤジさんと呼んでるよ)と飲むのは楽しい
13 :
童貞失格(35歳):01/09/24 23:15 ID:qVh/eOhY
>12
2chには似つかわしくない,なんて清々しいスレなんだ・・・。
いつか,一緒に呑もうな!
# とか言ってると,“誰がおまえなんかと呑むか!”などという
罵詈雑言をぶっつけられるんだろうな・・・。でも,清々しい!
14 :
12:01/09/30 08:31 ID:0LMoXKgU
>>童貞失格(35歳)殿
超遅レスで須磨奴“誰がおまえなんかと呑むか!”などと言うことは決してない
鹿児島にお越しの際は是非!!
15 :
関連スレ。:01/09/30 09:09 ID:h6ARYohQ
16 :
元人:
家は飲み屋で両親でやっていた。だけど、厳しく飲ませてくれなんだ
一緒に飲んだのは、俺が就職して自分の給料で親父におごると言ったとき。
「俺にとって酒は生活にためのもの、仕事だったから気を抜いて飲めなかった」
ってそのとき初めて聞かせてもらった。でも親父もそれから3年くらいで
死んで、今はお袋とたまに飲んでる