茂みの中の悪魔2

このエントリーをはてなブックマークに追加
618優しい名無しさん
スキー・ジャンプの選手、葛西さんの異名は、「カミカゼ・カサイ」…20年前、「前傾ジャンプ」が流行りました。彼は頭がスキー板からしっかり飛び出ていて、本場・欧州でも話題になりました。
↓は、彼が「自殺を思わせる前傾」になった頃で、想定外に飛びすぎたために「手動で」距離を測っています。
Noriaki Kasai - 135m - Sapporo 1994 AMAZING JUMP!!!  ttp://www.youtube.com/watch?v=a4SbjTIgfT0

彼は、1992年に「フライング選手権」(ジャンプの世界で、5本の指に入るようなイベントです)で金メダルを獲得し、世界のトップへの仲間入りを果たしました。
彼は21歳(1994年)にして日本のエース。そして、五輪・団体の「金」が、目前まで来ました。ただ、アンカーは彼ではなく、(当時は)大舞台に強いと見られていた原田さん。
原田さんは1本目では122m、105m飛べば「金」。しかし、97.5m(超・大失敗)に終わりました。「エース」の葛西さんは、雪辱を4年後の長野で晴らそうと心に誓いました。

彼は長野に強い気持ちで向かいました、その前年に無慈悲な「放火」により母を失っていました…船木さんの台頭・原田さんの復活により、五輪を迎えた頃は3番手でした。
団体の「4人」は当確という状況でした、しかし、怪我を悪化させてメンバーから外れました。ショックから、団体のアンカー・船木さんが飛ぶ時、「落ちろ!」と思ったほどです。
次のオリンピック、彼は、成績が最悪でした。41位という成績は、あまりに惨めでした。彼は既に29歳、「終わったな」と思われました。ただ、彼は現役を続けました。

彼は辞めたくないという気持ちが強かったのでしょう、五輪で個人の「メダル」(そしてできれば「金メダル」)が欲しい…
彼はまず、翌年に世界選手権(オリンピックの次に権威があります)で初めてのメダルを、全種目・3個も一度に手にして復活をアピールしました。
ジャンプ葛西の往生際の悪さのよさ  ttp://www.nikkei.com/article/DGXZZO67420830W4A220C1000000/

↓30代中頃の葛西さん
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/62/b7dadc108bfabd50fe82dbfacae04f1d.jpg
彼は今年41歳、これで「現役」は驚異というより狂気です。しかし、彼は今回ついに個人で「銀」を取りました。

葛西家 米も買えず…岡部からお下がりも  ttp://www.nikkansports.com/sochi2014/skijump/news/p-sochi-tp0-20140217-1258768.html
>冬季五輪の日本選手最年長メダルとなった。
>7度目で初の個人メダル。

>家の家計は裕福ではなく、亡くなった母幸子さんが家族5人の生活を支えていた。「お米も買えないくらい貧乏で。紀明もよく分かっていた」。
>同郷で2歳上の岡部孝信(43)ら先輩のお下がりを譲り受け、飛び続けた。
>だからこそ、と紀子さんは言う。「ジャンプをやめたいと言ったことはない。お金がない家ながらも、皆さんのおかげでできる。『こんなことでやめられない』って気持ちがあると思います」。

岡部さんは、葛西さんと同じ出身で、2歳年長。彼もまた、長野の前(リレハンメル)は団体「銀」でした。その後、世界選手権の金メダリストになりました。
彼は、長野を迎えた頃、調子が良くはありませんでした。前年はW杯総合4位(優勝3回、3度目のベスト10)、しかし、その年は結局16位でした。
彼は、葛西さんの怪我によって日本勢の4人の枠に入ったものの、その選考に疑問の声もありました。「なぜ、岡部を飛ばせるんだ?」、一部では、そんな声すらあったぐらいでした。

長野の団体1回目、日本は4位に終わり、そして天候は絶望的な荒れ模様でした。
ジャンプは、天候次第によっては1回で競技を打ち切ることも少なくありません、競技に参加しない選手たちが「テスト」します。その中に、西方さんがいました。
彼もまた、前回大会で銀メダル(団体)だったメンバーで、その時には日本勢の最長不倒を飛びました。長野で彼は「テスト」で飛びました…ただ、彼は競技が続行可能だと示しました。

そして、2回目が始まりました…最初のジャンパーは、岡部さんでした。
「空中技術」で風に乗った彼は、新記録(バッケンレコード)で、計測不能ラインの137mまで飛びました。
日本・団体は、彼のジャンプのみで4位から1位となり、このリードを日本・団体は守りきりました。
619優しい名無しさん:2014/04/12(土) 04:23:03.96 ID:aEB6AJRg
岡部さんは身長が165cmしかないため、彼の活躍がかなりきっかけとなって(171cmの個人NH「金」・ソイニネン選手の影響もあるでしょうが…)、低身長に不利なルール改正がありました。
彼は2年後、得意の「空中技術」が試されるFHで、風に煽られて空中分解し…斜面に叩きつけられました。彼はその時動けなくなりました…命を落とさなかったのは、幸運でした。
しかし、彼にヒントを与える選手が現れました。身長169cmのマリシュ選手が、新たな技術を身につけ、3年間頂点に君臨しました。そして、彼を参考に、岡部さんも上昇曲線を描きました。

彼は、復活して8年前のオリンピック(35歳)で個人で8位になりました。
そして2009年の世界選手権・ラージヒル団体(38歳)で、彼は最年長世界選手権メダリスト(現在も記録保持者)になりました。彼は2本のジャンプとも、2番目(4人中)のグループで1位の成績。
特に2本目は135mの大ジャンプで、そこまで厳しかった日本のメダルを一気に引き寄せました。先日引退した岡部さんが飛び続けた間に、葛西さんが辞めるはずがありませんでした。

葛西紀明 レジェンドの執念の陰に“病室の母からのメッセージ”  ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140227-00010004-jisin-ent
>貧しい家計を支えるために、母親の幸子さんは、昼間は割りばし工場、夜は小料理屋で朝から晩まで働きづめだった。
>代わりに長女の紀子さんが家事をした。米びつが底をつくこともしばしばで、お金を借りにまわる日もあった。

>最愛の母が亡くなったのは長野五輪('98年)の1年前。家に放火されて母親が大やけどをおい、11カ月に及ぶ治療のかいもなく帰らぬ人となった。
>そして病室のサイドボードから小さなノートを発見する。母親は両手もやけどし、ペンを握れるほどの握力もなかったはず。実際ノートを持つ姿は誰も見ていなかった。
>「やっと判読できるくらい。ミミズがはったような文字でうっすらと書かれていて。すべてを読んだわけではありませんが『紀明の試合が見たい』『世界一になれ』『頑張れ』などと書かれていました」

葛西 亡き母、病魔と闘う妹に銀メダル  ttp://www.nikkansports.com/sochi2014/skijump/news/p-sochi-tp0-20140217-1258756.html
>初出場の92年アルベールビル大会から22年、初の個人メダルを手にし日本史上最年長メダリストが誕生した。
>9日の個人ノーマルヒル(NH)で腰痛を悪化させた。前傾姿勢をとれないほどだったが、諦めるわけにはいかなかった。

>98年長野五輪。直前に足を捻挫し、エース格ながらNH7位。ジャンプ界の歴史に刻まれ続ける団体金メダルに名を連ねることはなかった。 >眠れぬ日々を何度過ごしたことか。
>所属先も3社目。不況、経営破綻、厳しい社会情勢に揺さぶられた。
>20歳代で引退するジャンプ選手の中で二十数年、トップに君臨し続けてきた。そして、90年の歴史がある五輪ジャンプで最年長メダル。世界が「レジェンド」と呼ぶゆえんがここにある。

>妹久美子さんは今、病と闘っている。93年に再生不良性貧血と診断された。一時は回復したが昨夏、再入院した。
>「妹のために」は葛西の口癖だ。手首には妹からもらった数珠のブレスレットが常にある。 >「このメダルが勇気になれば」と心を込めた。
>母からもらった手紙をいつも持ち歩いていたが、今大会は持参しなかった。「いつも弱い時に頼っていたから」。強い自分を母に見せたかった。

奥手な葛西紀明 同級生「彼はチョコ貰ったことないのでは」  ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140225-00000010-pseven-spo
>世界屈指のジャンパーであり、誰もが認めるイケメンである葛西は、
>「あの人、見かけによらず奥手なんですよね〜」と、北海道下川町の下川中学で葛西と同級生だった女性・Aさんが証言する。

【ジャンプ】葛西、結婚!2・15銀メダル直後にプロポーズ「おまえしかいない、結婚しよう」  ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140408-00000222-sph-spo
>銀メダルを獲得した2月15日の競技後、ドーピング検査の合間に「おまえしかない。結婚しよう」と国際電話でプロポーズしたという。
>葛西はメダル獲得の報奨金が授与される。 >所属の土屋ホームでマイホーム建設をもくろむ葛西が、結婚ボーナスをゲットすることになる。