今日もビール2缶・ワイン2本飲んでしまいました、ざっくりとは書けます(荒れた文章ですが、議論の材料になれば…)
>アンチオイディプスあるいはプルーストとシーニュに既に出てくる、概念のことを指したつもりです。
それなら、私は「逆追跡」を含んだラカン、つまり「無意識」も「構造」の枠から外していった彼を見ています(
>>24)
ただ、ここは後で突っ込んで説明します、というよりここが核心なんですよね。
核心以外の部分は、このレスで、一通りさらおうと思います。
>社会科学における全体論者、という理解であっているでしょうか。
そうですね、彼も考えを変えてきているので…例の「中心〜辺縁」の構図の話で単純化したいのですが、まず「破壊的イノベーション」がそれを揺さぶった。
緩やかに技術発展を遂げている先進国を、従来の辺縁であった国が「緩やかなうちに」「近いレベル」で追いついて「価格破壊」で競争してくる。
そして、情報化により「フラット」な社会になった(ボードリヤールは「情報の価値」の危うさを見抜いていましたよね)という話を、以下で行います。
私は「ラッセルのパラドックス」を今考えていて、クワインは科学論の話にとどまらず、存在論についてなど色々な業績の広さに感嘆します。
ただしいずれも、やはりスレの筋から外れそうなんですよね(クワイン以上に今はクリプキを当たっているんですけど、スレ違いの方向に行きます)
>僕は、隠れた全体主義だと思ってます。
現在この国に住んでいればそう思うでしょう、ホッブズの頃(ルソー以前)に戻っています、彼は多数派の優位を否定していません。
【マクロ】では多数派が次々と取り決めをして行く、『麻生発言』は釈明どおりでしょう、ただナチスの時代とは【ミクロ】の「私たち」が変わりました。
「共同体」が無数にできて、さらに分権というものが加わると、少数派の意見が複雑な道筋でスルスル上がってくることがありえます。
1人が複数の共同体に所属するため、【ミクロ】では「主体性のゆらぎ」が生じますが、「ゆらぎ」は【マクロ】である共同体では織り込み済みです。
これは、【ミクロ】と【マクロ】の中間(新たな共同体)が多様化したと言えます、つまりトクヴィルの時代と絶対的な変化が起こっていると言えます。
《民主政》という言葉は古くからありますが、「人民が政治を動かす」という意味で、どのように意見を調整するかは時代によって変容しています。
このスレも、【ミクロ】と【マクロ】の中間であり、何らかの考えが抽出されていくわけです。
これがさらにsmall world networkを巡回するのですが、…実はこのあたりは別の場所で一度書いたんですよね、コピペに近い形になります。