災害および災害報道でストレスが限界の人-3

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93優しい名無しさん
【原発問題】 母「もう信じられるのは線量計だけ」…毎日放射線測り、クラスで1人だけ子に弁当持たせ、皿
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1308564664/

以下、これに着想を得たショートストーリー。ストレスをエネルギーに一気に書いた。
下手くそですが、吐き出し込みで。※あくまでフィクションです。

−20年後。私は赤ちゃんを授かった。安産だった、母子ともに健康で、満ち足りた気持ち。
これも私の母が、あの福島原発事故のあと毎日必死で安全な食べ物や水を探し、給食を食べさせず
自ら料理した弁当を持たせ、私を放射能から守ってくれたおかげだ。どれほど大変な日々だったろう。
母には感謝してもしきれない。でも過労が祟ったのか、母は私が高校に上がる前に突然クモ膜下出血に
倒れ、あっという間にこの世を去った。母が早世したのは私のせいだ。だから、私は母の分まで生き、
志を継いで。私の子にも放射能の心配の無い、安全で良い食べ物を与えて健康な子に育てねばならない。
(スーッ)入院室のドアが開いた。
94優しい名無しさん:2011/06/20(月) 22:29:34.77 ID:6L49WR9C
>>93続き。
−夫が京都の実家から来た義父母を連れてきた。初孫との対面だ。
義母「A子ちゃん、本当によくがんばっなあ、お疲れさん」
義父「さっそくやけど、孫の顔、見せてくれるか?おうおう、丸々とかわええなあ」
みな目を細めている。私は幸福感で一杯だ。就職した東京で知り合った京都出身の夫は、原発事故に
よる放射能の影響などあまり知らない。だけど、それでいいのだ。この子には過去など振り返らず、
未来をまっすぐ歩んでいってほしい。
義母「この子はトオルによく似てるねえ」(トオルとは夫の名前だ)
義母「そうそう覚えてる?あんたが福島におった頃、ずっとお世話になってたおっちゃん、
   震災からだいぶ苦労しはったけど、なんとか農業も復興できて、また会いに来てって」
トオル「えーほんまに?ボク、あの震災の頃、ちょうどおっちゃんのとこに世話になってて。
    区域外やったけど、あん時は大変やったなあ。子ども大きくなったら家族で行くわ!」
義父「あーそうしたり。あの事故で中断したけど、美味しい野菜やら果物やら送ってくれてたんや」
トオル「大した影響はなかったんやろ?」
義父「そうや。でも風評被害っていうんはつらいもんや。あの頃は作っても売れんかった」
トオル「ボク、ぎょうさん食べたで!」
−・・・このたわいないやりとりを聞いてる間、私は凍り付いて我が子を抱く手が小刻みに震えた。
95優しい名無しさん:2011/06/20(月) 22:33:35.61 ID:6L49WR9C
>>94続き。
私「フ・ク・シ・マ・・?」
トオル「ああ、言うてなかったっけ?ボク京都やけど、子ども時代、ぜんそくがあって、空気の
    ええとこで過ごさせよってなってな、福島ん知り合いとこに何年かおってん。原発はさんで」
私「・・ほうれん草も・・食・・べ・・た?」
トオル「うん。おっちゃんとこは基準内やったし。風評被害であり余ってたわ。ほうれん草責め(笑)」
義母「この子、肌が緑になるくらい食べたんやて!実際は真っ黒やったけどな」
トオル・義父「あはははは!」
・・その声を聞きながら、私は気が狂いそうだった。あれほど私の母が遠ざけた福島の野菜。
放射能から私を護るため、ガンにさせるもんかという執念にも似た母心。それを、まさか夫が
気にせずモリモリ食べていた。京都出身だから放射能に汚染されてないと信じていた。それが!
放射能を食べていた夫との間に子どもを作ってしまった。被曝した・・私も子どもも被曝した!!
私はいい。でも、この子の体内が遺伝子が・・放射能でやられた。ああお母さん、ごめんなさい!
まさかまさか、こんなことで被曝するなんて。体内に放射能を受け入れた、子どもまで生まれた。
トオル「どうした?顔が真っ青だぞ。赤ん坊抱いてやろうか・・・あ!!」
気づいたら私は赤子を床に落としかけていた。間一髪で夫が抱きとめてくれ、何か言ってたが
・・私は聞いていない。結婚する時は相手をもっと精査しないと。滞在歴や職歴なども、もっと。
今度こそ今度こそ、放射能と関係のないクリーンな子を産む。私と母の血をひくクリーンな子を。
この赤ちゃんは危ない。さよなら。その夜、子を病室において私は去った。もっと西へ行くべく・・(終)