他スレからのコピペ↓
>同じ経験をしても、
>人それぞれ捉え方に違いが生まれるもので、
>親が毒だったから鬱になったと言う人もいれば、
>毒だったからこそ強くなれたと言う人もいます。
>結局の所、子供自身の人間性の差なんですよね〜。
一見、間違ったことは言っていないようだけど、実は肝心なことが「足りない」
のかも。それは、ACの場合は「子供時代の役割を考慮する必要がある」ということ。
なぜなら、同じ親でも兄弟同士で異なる人生(成功者と敗北者みたいな極端な例も
結構あるだろ?)を送ることは別に珍しいことではない。とくに機能不全家族に
おいてはよくある話なんだと思う。私の家族もそうだったよ。
姉である私は、勉強(だけは)小さい頃からわりと出来る方で、進学を理由に家を離れたが、
だからといって認められていた訳でもなく(女は勉強など出来なくても良い、というのが両親の考えだったが、
同時に器量が(妹や平均よりも)良くなかった私は、勉強しか出来ない的なレッテルを貼られていた)
孤独感が強かった。私が家を出てもむしろ邪魔者が喜ばれるのかも、とさえ思っていた部分があった。
※役割的には、主にロストワン、一時期スケープゴート(他にリトル・ナース、プラケーター?)
2つ年下の妹は勉強はあまりできないが、親からはものすごく甘やかされていた(役割的にはリトル・プリンセス)。
私は特に小さい頃は、妹がうらやましかった。自分は愛されていなくて妹は愛されているように思
見えたから。
同時に、頭の悪いことや、親に対して疑問を感じない妹を内心、理解できない・見下していた部分も
あったかもしれない。おそらく、お互いに(妹も同様に私を)理解できない、みたいな気持ちがあった
んだと思う。何となく、話をして噛み合わない部分があったよ。
学力は高校の時点で、進学校と底辺ぐらいの差ができていた。
現在、成人した妹は私より悲惨に精神を病んでいるようだ。
少なくとも妹は社会適応が悪いし、精神科に入退院を繰り返している。
実はそんな彼女を見て、愛情と甘やかしの違いについて私は考えるようになった。
(でも、彼女にとっての問題行動及び精神科への入院等は、やっと踏み出せた自立への
試みなのかもしれないと思う。それだけ、毒親の過干渉が強かったということ)
で、AC問題に興味を持つようになったのは、私たちの姉妹でどちらが先だったと思う?
(答えは来週の月曜日までひっぱってみます)
26 :
優しい名無しさん:2011/03/19(土) 08:15:01.37 ID:cCnnWXLO
ただでさえウザイが、
あのコマーシャルのせいでイライラマックスなACは多いはず
俺は手がアップになるやつ
あれが暴力に見えて仕方ない
自助Gの奴らも同意見だった
27 :
優しい名無しさん:2011/03/19(土) 21:19:00.03 ID:MrdzZX0H
♪こんにちワン、ありがとウサギ
♪こんばんワニ、さよなライオン
♪まほうのことばでたのしいなかまが〜
♪ぽぽぽぽ〜んwwwww
♪おはよウナギ、いただきマウス
♪いってきまスカンク、ただいマンボウ
♪ごちそうさマウス、おやすみなサイ
あいさつするたびともだちふえるね!
28 :
優しい名無しさん:2011/03/20(日) 00:57:42.87 ID:/4TRtIcp
「遊ぼう」っていうと「二万円」っていう
「馬鹿」っていうと「殺すぞテメー!」っていう
「もう遊ばない」っていうと「黙って働け」っていう
「ごめんね」っていうと「謝れば済むと思ってんのか」っていう
俺だけでしょうか、そうオマエだけ
29 :
優しい名無しさん:2011/03/20(日) 10:17:10.49 ID:nwCqAZCt
>>25 答. 先にAC概念に興味を持ったのは私(姉)。
はっきりとは覚えていないけれど、たしか8〜10年前。
妹には3〜4年前に
「アダルトチルドレンっていう言葉があって、それはこうこうこういう意味なんだけど、
どう思う?」みたいに聞いてみたことがあったんだけど、興味なさげだった。
それまでにも、私は妹に(つまりACという言葉を用いることなく)
「私は親が嫌いだ、おかしいと思わない?」と何度も聞いたけれど、話が続かなかった。
今考えてみると、そりゃあそうだろう、と思う、なぜなら、
彼女(妹)は甘やかされていて、その時点では困っていなかったから。
そもそも、自分の将来について考えたりもしなかった様子だった。
・・・ホントはもっと文章を書いたのだが、
書きたいことが次々出てきて、興味があちこちに飛ぶけれど、
まとめる力が圧倒的に不足しているのを感じています。
私は現実検討能力と統合力を欠く、BPDを合併したNPDなのだと思う。
このタイプの特定不能のパーソナリティ障害は摂食障害をしばしば合併する、
というのも私に当てはまる。
NPDだけでも、BPDだけでも何か違うと思っていたのだけれど、
手持ちの資料をあさっている中で答えが出ました。
32 :
参考:2011/03/21(月) 14:59:46.08 ID:rrSaClz9
■「健康度が高い」家族システムとは■
不登校や社会的ひきこもりなどの不適応症状は持続しているものの、目立った行動化もなく
一見安定している事例は、長期化しやすい。このような家族は、「子どもが行動化すること
を許さない」抑圧が大きい家族である。子どもの行動化が表出されることは家族内の問題に
家族全員が向き合うまたとない好機であり、行動化への適切な治療的介入を通して、家族が
以下の方向へシフトすることを支援することができる。
33 :
参考:2011/03/21(月) 15:07:08.00 ID:rrSaClz9
■健康度が高い家族■
・「世代間境界」が確立している
・夫婦連合(夫婦サブシステム)が良好に機能している
・家族の保持する「自己信頼感」および「問題解決能力」が大きい
・家族がそれぞれ「自分の感情と言動に対して責任を引き受ける」ことができる
・家族がそれぞれ「自分の居場所を自分で用意する」ことができる
・家族がそれぞれの人生を「楽しむ」ことができる
精神科臨床ニューアプローチ5 パーソナリティ障害・摂食障害(上島国利監修、市橋秀夫ら編集)
※上記は山家卓也の編集による
このスレのタイトルは、
「アダルトチルドレンとパーソナリティ障害」ぐらいにしても良かったかな。
個人的にはAC概念と人格(パーソナリティ)障害のつながり、というか接点・共通点、
あるいは違いについてすごく興味がある。
私自身はそのどちらにも当てはまると思うから。
思えば、実家にいる間(高校生)まではAC概念に興味があった。
親や自分自身に何か精神的に問題があることには感づいていたけれど。
母親なんて娘に「私なんて早よ死んだらいいねん(醒めた自嘲気味の笑顔)」みたいに
自分で言ってったし(いや思ってもそれは娘には黙っておけよwとは思った)、
父親はちょっとアル中まがいだった(でもあの世代の日本の平均的サラリーマンという
感じ、少なくともあれぐらいの奴はいくらでもいるだろうな)
とりあえず、目の前(家族にってことね)に自分よりもおかしそうな奴がいたら、
自分のことは真剣には考えられなかったんだろうな。
家を出てからは、大学に行かせてもらっている訳だし(半分無理に県外に進学したし)
親への恨みつらみはある程度忘れようと思った。表面上は忘れて生活をしていた。
(といいながら、AC的な悩みを話せる人を探す気持ちは強かったな)
でも、学業、サークル活動、アルバイトをしていく中で次第に自分自身の問題に気づく
ようになった。最初の数年は正直調子にのったというか、躁的にすごしていたけれど、
そんな生活もいつかは破綻する。その頃には自分に精神的な問題があるということが、
確信に変わった。それ以降、少しずつではあるが以前よりも本格的に心理学や精神医学
に興味をもつようになり、人格障害や発達障害について知識を得るようになった。
話を戻すと、ACと人格障害の違いなんだけど、これは私の主観になるが、
ACはやっぱり自分の家族や「過去」に重点を置いた概念であり、
人格障害は現在の自分自身の問題や、社会適応に焦点を当てた概念なんだと思う。
でも、人格障害でも家族との葛藤や過去を振り返ることは、より安定した人格
を確立するためには必要である訳で・・それはACのワーク的なものでもあるし。
まぁ私は自分の役に立てばどちらでも構わない訳で、
ということはどちらがより有用であるか、とかどう使い分けるか、ということ
はとても興味深いと思うんだ(これは私のテーマの一つでこれからも触れたい)。
私は一時期、精神科に通院していて、臨床心理士によるカウンセリングと精神科医による
診察(面接?心理療法?)を受けていた時期があった。その頃の経過がまさに以下のよう
だった。別に私ははっきりと人格障害であると告知を受けた覚えはないけど、はっきりと
(人格障害ではないと)否定されたわけでもなかった。薬物療法は受けなかった。
■NPDとBPDの合併について■
NPDは誇大的自己によって空虚さや不安定さを支えているため、見かけ上の適応は比較的
良好である。しかし実際には理想化や脱価値化、投影といった原始的防衛機制を用いる水準
にあり、境界例水準としての衝動性や不安耐性の低さを併せ持ったBPDとの合併例も少な
くない。BPDとNPDの病理を合併している場合、BPDの病理への対応が必須である。
面接者が自己愛の病理にばかり関心を持ち続けると、いずれ行動化が頻出することになりか
ねない。(精神科臨床ニューアプローチ5 パーソナリティ障害・摂食障害 p101)
今度からコテ外そうっと(誰も来ないし)
思えば以前、心理学版にあった時はIDが出ないからコテが必要だったんだっけ。荒れてたし。
スレ落とそうとも思ってたけど、時々、言いたいことが見つかるわけで。
アダルトチルドレンなんて忘れて生きてゆけるなら、自分にとってはその方がいいんじゃないかって思うんだけど。
そう簡単でもないみたいだな。
本スレじゃ言いにくいような、ちょっとキツイことを言ってみたくなったw
38 :
優しい名無しさん:2011/04/07(木) 11:15:56.78 ID:zVC8jlOS
こういうのは人それぞれ、自分で考えて悩んで、答えを出していくことにこそ
意味があるとは思うのだけれど、まぁ言ってみようと思うんだけど、
毒親、毒親なんていうけどさ、
はっきり言っちゃうとさ、年齢にもよるけど、親なんてそのうち死ぬよ?
少なくともとくに事情がなければ普通は子どもの方が長生きするだろう。今の時代なら。
親のことはいいから自分の人生を考えるべきなんじゃないか。
親に変わってもらうこと(自分の気持ちを理解してもらうことなど)を期待して何になる?
もしも、親が変わってくれたら、自分は変わるの?
逆に、親が自分の罪を認めないからこそ、自分は(も)変わらなくてもいい、という論理が裏にないだろうか?
共依存っていうか、気づかぬうちに互いが(親と子が)自らの自立や責任を回避する共犯になっているというか。
自分に出来ないなら、他人を頼ってもいい。
親だけを頼るよりもよっぽど効率がいいはずだ、おそらく。
で、社会を知っていく。また、自分の人を見る目を鍛える必要にも気づく。
つーかそのうち死ぬのは、人ならみんなだ。
つまり自分もだ。それでもまだ死にたいなんて言うつもりか。
いや、私はACで、よく死にたいしにたいと思いながら今も生きてるクチなんだが。
39 :
優しい名無しさん:2011/04/07(木) 11:30:09.02 ID:zVC8jlOS
>自分に出来ないなら、他人を頼ってもいい。
>親が変わることを待つよりもよっぽど効率がいいはずだ、おそらく。
の方がいいかな。
ACの、毒親の、ワナっていくつもあるのかもしれないと思っている。
ひとつじゃないんだ。ひとつワナに気付いたからって安心しちゃダメなんだw
親が自立してもいい、と言えば、今度は子どもがでも・・なんて言い訳をするのがACクオリティなのかもね。
(毒親ならそんな弱気な子どもを見て、ほらやっぱり、と悦に入るかもしれないが(最初からそれが目的かも)、
それは今に始まったことじゃないから、気付かないフリをしてみるのもアリなんじゃないか、要するにハッタリだ)
それで諦めてしまうならそこでその人のAC克服の道はそこで終わりなんだろうな。
逆に、諦めずに不器用でもとりあえずやってみれば、とりあえず道は続くだろう。
で、何らかの今までと違った、自分なりの答えを見つけるんじゃないか、結局、その繰り返しで人は成長していくんじゃないか。
最初は怖気づいたとしても、自分に出来る範囲で踏み出せばそれでいいんじゃないのか。
こういうのは自己愛が強い奴にない種類の勇気だと思うんだけど、
自分の弱さを認めて、それでも努力する、っていうことは尊いことなんじゃないかと思ってる。
最初から上手くやりたいというような、自己愛の壁を打ち破る・・的な?
40 :
優しい名無しさん:2011/04/07(木) 11:35:27.81 ID:zVC8jlOS
こういうことは別に今さっき気付いたって訳じゃないんだけど、
こんなことを言って何になるんだろう、って思う。
そんなことを2chに偉そうに言っている暇があれば、働け、勉強しろ、と思う。
別に自分のためにならないし、変わりたくないACなんて放っておけ、とも思う。
正直に言えば。でもそんな風に思うのは私だけじゃなく、たくさんいると思うけど。
まぁでもいっか。息抜きだと思って。適当に思ったことをぶちまけるのもw
41 :
優しい名無しさん:2011/04/07(木) 11:42:38.61 ID:zVC8jlOS
勝手に一人で結論を出してばっかりでなんだけど、
結局、私もまだまだ子どもってことなんだろう、そんなに難しいことじゃない。
そう人にも言われるし。子どもっぽい、だなんて親のことばかり言えないな。
終わらない反抗期って感じ?
ACじゃない大人の何割かは、思春期のあいだに、こんな葛藤を乗り越えた人たちなのかもしれないね。
42 :
優しい名無しさん:2011/04/10(日) 00:23:45.61 ID:ZY6JkXqH
幾つか思ったことがあるんだけど言葉にならない
43 :
優しい名無しさん:2011/04/11(月) 16:03:14.83 ID:uuqJVLK0
言ってること割と正論だと思うぞ
回復の20段階
第一段階=何か大きなものに失敗して自信喪失
第二段階=自信を取り戻そうと過去の栄光にすがってさらに失敗して自信喪失
第三段階=自分は「おかしい」と思ってACなど精神障害を疑う
第四段階=調べると、症状及び育った環境が自分が当てはまり「安心」アンド「絶望」を味わう
第五段階=幼児退行する(多重人格気味)
第六段階=親に殺意を抱く
第七段階=自殺を考える
第八段階=それでも生きるしかないと考える
第九段階=安心を求めてもがく(居場所を求めて??)
第十段階=友人やら異性やらすがろうとしたものに拒絶されて絶望する
第十一段階=人を接することを避ける(建設的な気持ち)
第十二段階=自分の好きなことだけをしようと考えるが何もなく絶望する
第十三段階=それでも何かをする(新たに模索し始める)
第十四段階=新たに興味あることが見つかる
第十五段階=それが昔からの自分らしさとリンクしていることに気づく
第十六段階=自分らしさを理解する
第十七段階=自分に小さな自信を持てるようになる
第十八段階=元気になる(落ち着いた元気)。そしてさら一貫して昔からある自分に気づく
第十九段階=親とは関係ない自分を見出す
第二十段階=地に足ついたバイタリティが出てくる
>>38の
>毒親、毒親なんていうけどさ、
>はっきり言っちゃうとさ、年齢にもよるけど、親なんてそのうち死ぬよ?
>少なくともとくに事情がなければ普通は子どもの方が長生きするだろう。今の時代なら。
>親のことはいいから自分の人生を考えるべきなんじゃないか。
っていうのは、実は
>>44の回復の20段階における第6、8段階を通過する中で得た結論だ。
つまり私にも両親に対する殺意を自覚した時期があったということ。いや今もあるけど。
まぁあれだ、そのうち死ぬ人たちをなぜ私がわざわざ自分の手を汚してまで殺さなきゃいけないのか、ってこと。
母親に至っては自分で早く死にたいみたいに言ってたしね。無理心中という方法もあるし。
その頃、よく考えたよ、強い憎しみを感じる相手がいたとして、そいつが極悪人だとして、
しかし尚も殺人を犯してはいけない理由とは何なのだろう、と。ねぇどう思う?考えたことある?
46 :
優しい名無しさん:2011/04/13(水) 13:04:21.68 ID:zKMFTmiu
いや誤解しないでほしいんだけど(しないとは思うけど)
私は別に殺人を肯定している訳ではない。
私だって両親への(とくに父親への)殺意は自覚したけれど、でも、殺してはいない。
殺人をしてもよいか否か、ということに対する結論は明らかだ。
言うまでもなく、してはいけない、というのが答えだ。
でもその理由となると簡単には答えは出ないんじゃないかな。
いや答えは一つではないんじゃないかな。人それぞれかも。
そういえば親への殺意を自覚してどうしていいか分からないような時に、
かの有名なドストエフスキーの「罪と罰」を読んだんだけど、
なかなかいいタイミングだったと思うんだ。
47 :
優しい名無しさん:2011/04/16(土) 00:20:15.47 ID:9bAk1zo3
殺意をもつことと、殺人を犯すことは別・・のはず。
当たり前すぎるような事実であるが、
憎しみや殺意といった強い感情を伴う場合は
衝動をコントロールできなくなって実行に至る場合もある。
待て、早まるな、考えるんだ、人間の頭や理性はそのためにある。
衝動をコントロールするためにある。結果を予想するためにある。
殺人を犯すことは正当であると認められることはないだろうが、
殺意を持つことについては認められ得ないのだろうか?
いやそんなことはないはずだ。
恐ろしい虐待や暴力etcにさらされて憎しみを持つこと自体は何ら不思議ではないのだ。
ただ、その憎しみを自分で受け止める/あるいは他人に受け止めてもらうことは難しいと思う。
そう思ったほうがいいだろう。現実問題として他人の殺意やその他憎しみを受け止めることは難しい。
そもそも、当事者がそういった憎しみの感情を持った経緯を言葉にすること自体が難しいのではないか。
別な言い方をすれば、
適切に受け止められなかった/処理されなかった殺意という大きな負の感情が
人を殺人という究極の行為に走らせるのではないか。
・・ということなどなどを最近考えている。まだまだ上手く文章にならないけど。
48 :
優しい名無しさん:2011/04/16(土) 00:29:09.81 ID:9bAk1zo3
人を殺してはいけない理由って何だと思う?
あるいは自分が人殺しをしない理由は何?
まず第一に思いつくのは、法律に基づくもの。
つまり殺人は違法であり、いかなる場合も実行してはならない。
※私は法律については詳しくありません(細かい言い回しには自信がない)
もう一つは、取り返しがつかないから。
殺してしまった命は二度と甦ることはないから。
まだあと私は3つぐらいあるんだけど、他の人の意見も聞いてみたいな。
49 :
優しい名無しさん:2011/04/17(日) 01:27:51.93 ID:G6jHUG96
変な奴がいるな
50 :
46-47:2011/04/18(月) 00:56:54.61 ID:ou/zjoRh
私の親への殺意は、親に対する復讐心になった。
親がいなくても私は生きてゆける、そう私の存在を証明するために。
境界性人格障害において復讐衝動の克服は一つの大きな目標であるという。
もちろん、最初からそんな危険な情動を扱う訳ではないだろうが。
最近、マスターソンの「自己愛と境界例」をもう一度読み直している。
もし、親が執拗に子どもへの人格否定を絶えず繰り返したとして、
子がそのことを理解したならば、その時から次第に、
自分の存在を、自分の人格を証明したいと思うようになるかもしれない。
※実際にはしかし、簡単には出来ない(見捨てられ不安によって?)
(あるいは自分の能力以上の理想を安易に夢見てしまうから?)
虐待されていた場合には、親への憎しみを自覚することで自立心が芽生える、
それも一つの答えなんじゃないかと思う。
これもACに見られがちな依存の克服の一つの道のりでは?
(ただ、自立強迫という言葉もあるみたいだね(摂食障害、孤独etcと関連が深いとか?))
51 :
46-47:2011/04/18(月) 01:08:58.12 ID:ou/zjoRh
それから、私が恋愛をしようと思ったのは、
親から愛情を求めることを諦めた時からだったと思う。
親は無理でも、他の人となら、私でも愛だとか信頼関係を築けるんじゃないかって。
それに両親から十分には得られなかった愛情というものを知りたいとも思った。
両親から得られなかったからって一生愛を知らずに生きてゆける訳ないよ。私はそう思う。
以前、精神科に通院していた時は、私は死にたいと言ってよく主治医を困らせたけど、
(しにたいという気持ちを適切な人に聞いてもらおう、というのが受診の主な動機の一つだった)
私の場合、「死にたい」というより「誰からも愛されないのなら私はいっそ死んでしまいたい」だけかも。
恋をして、片思いをして、騙されて?破綻して、私は結局今も処女だけど、これから先も一人とは限らない・・よね?
いろんな面で努力する必要はあるだろうし、その努力が実れば、ということになるとは思うけど。
相手にも自分の彼女を選ぶ権利があるんだから、以前の私なんか嫌でしょうよ、仕方ない。
今ならそう思えるけど、それも失恋という経験があってこそ。
そう思えるまでに結構時間がかかったけど。
52 :
優しい名無しさん:2011/04/18(月) 23:57:17.75 ID:l9JKdyCe
ちょっと私ばっかり長文が続いて申し訳ないけど、もう一点つけたし。
過去のアダルトチルドレン問題において、訴訟が問題になった時代があったらしいけど、
親に罪を認めさせる、子どもへ謝罪させる的な解決の方法は、
訴えられる親側だけでなく、子ども側にとってもマイナス面が大きかったのでは、と思う。
訴訟沙汰になってしまえば、貴重な若い時の時代を失う訳で・・
もっと他の経験を積んだほうがAC本人にとってもプラスだろうし・・
当時はACという概念が出来たばかりで仕方ない面があったに違いないけれど。
私がしてきた殺意だとか、親殺しの話もこういった話に通じるものがあると思う。
もし、毒親に殺意を持ってしまったとして、何も殺人・暴力etcに訴えることはないはずだ。
親のために殺してやらないでおこう、というよりは、自分の未来を守るためにその選択をしてはどうか。
殺人だとかそんな究極の方法に頼るぐらいなら、その前に自分の好きなように生きたらいいんじゃないかな。
別にニートだからって最初から焦って就労にこだわらなくても、
自分の出来る範囲で、家族以外のつながりをもつには現代では方法がある訳で。
デイケア、職業訓練、生活保護をもらって自立、バイトetc自分に出来ることから始めたら十分だよね。
逆に、どうして今の自分に出来ることを大切にしないんだろう、と考えてみてもいいような気がする。
とにかく、必ずしも親がその罪を認めなくとも、あるいは子どもが親を裁かなくとも、
AC本人が自分の苦しみを他者に受け止めてもらったり、自分で理解することが出来れば生き辛さみたいなものは軽くなるはずで、
実は大切なのはそういうことであって、必ずしも親の責任を問うことがACにとって必要だとは思わない。
少なくとも、現代は親の世代と比較した場合において、
精神科における精神療法や薬物療法、ネットや書籍等の情報網が数段発達しているわけだから、
ACにとっては親の世代よりもかなり恵まれているはずだ(十分とはいえないまでも)。
だから、例えばいわゆる虐待の連鎖の問題により親自身も虐待を受けていた場合、
今の時代よりも昔の時代の方が、虐待を防ぐのは困難だったに違いない。
別に虐待を肯定している訳ではなく親には親なりの事情があるだろうということ。
親の事情も考慮した上で自分のやりたいことをやる方が賢いというか、上手くいきそうじゃない?
私にも親に対して言葉で訴える、みたいな時代はあったけど、今はよっぽどのことがない限りしようと思わない代わりに、
こうやって2chでは好き勝手親の悪口etc言いたい放題でいます。
もちろん、私の自殺願望や親に対する殺意なんかの話は親にはしてないし、彼らは知らないはずだよ。
53 :
優しい名無しさん:2011/04/18(月) 23:58:49.38 ID:l9JKdyCe
え、日付が同じでもID変わるんだね、焦って書き込んだ意味なしw
54 :
優しい名無しさん:2011/04/23(土) 20:49:19.52 ID:xeleel8R
>>46 本は物語として楽しむのは良いけど現実問題に持ち込むのはどうかと思う
人を殺してはならないのは自分が牢屋に入って自由を失い自分が疲れるから。
理由はそのくらいで十分な気がする
55 :
優しい名無しさん:2011/04/26(火) 16:18:15.72 ID:8BZwy+5h
>>46 >本は物語として楽しむのは良いけど現実問題に持ち込むのはどうかと思う
現実に持ち込むというより、物語を通して自分でその意味を考える、 自分がどう思うかを知るんだよ。
そもそも私は、本を読んでから親に殺意を持ったのではなく、親への殺意を自覚したからこそ、
「罪と罰」を実際に読んでみようと思ったわけ。
本を読まなくとも、ニュースや何やらで親殺しや子殺しが世の中に存在すること
は知っていたわけだし。
「罪と罰」を最後まで読んだことがある訳じゃないとお見受けする。
あれは頑張って最後まで読めば分かると思うけど、全く救いのない物語ではないよ。
あんまりネタバレはいけないと思うけど、頭がいいが情緒不安定で自己愛の強い青年の、
頭の中で(彼が思う)悪人に対して殺人を計画する段階と、実行してその後の心理を追った作品。
その他、友情、家族愛、恋などの要素もある作品。途中まではきつくても、
このスレにわざわざ来るようなタイプにはもってこいじゃない?あるいは既読かな。
特に、自己愛性人格障害だとかに興味のある人だったら尚更。
私は「罪と罰」を読んで、殺人を実行する前の主人公の青年と自分に重なる部分を感じたのであって、
だからこそ主人公の殺人を犯した後の苦悩が分かるというか、殺人の罪について考えさせられる気が
したのであって、この本を読んで以後はむしろ、殺人を実行に移さないことを心に決めた。
殺意をもつこと自体はともかくとしても。
この世において、殺意を持つことも、自殺願望を持つこと自体は別に珍しいことでも、そう特別なことでもないんじゃない?
メンヘラだとか、ACだとか自分に酔っていたというか、自分の苦しみしか見えていなかった時は知らなかったけどね。
56 :
優しい名無しさん:2011/04/26(火) 16:40:22.95 ID:8BZwy+5h
>>54(先ほどのレスも46ではなく54の間違いです)
>人を殺してはならないのは自分が牢屋に入って自由を失い自分が疲れるから。
これは自殺願望や、自己否定感の強い人にとっては十分な理由ではないかもしれない。
あるいは自分の将来を信じられないだとか、考えたこともない人。
私は親への殺意と同時に、あるいはそれ以上に、希死念慮が強かった。
いくつかの有名な猟奇的な殺人の動機も自分が死刑になりたいから、みたいなのもあったんだよね?
57 :
優しい名無しさん:2011/04/26(火) 16:41:04.26 ID:8BZwy+5h
話を戻して、人を殺してはいけない理由だけれども、
もちろん、私も自分の将来や牢屋に入るのが嫌だというのもある。その他には、
第一に、人は変わる可能性を秘めているから。自分も、他人も。
私にはこれが一番かな。
自分がその人を憎むことも真実であるけれど、同時にその人が将来、変わるかもしれない
ことも否定はできない。あるいは他人の将来にまで責任を持てないし持ちたくもない。
第二に、自分は本当に人を裁けるほど偉いのだろうか?
第三に、自分は憎しみしか持てない人であっても、私が知らないだけで、
別の人にとっては大切な人であるかもしれないから。
第四に、殺人を犯して本当に私は癒されるだろうか。例えば毒親を殺してしまったとして、それは
勝利ではなく敗北ではないだろうか。親のために自分自身の人生を決定的に棒に降るということだからね。
あるいは自分の人生を放棄したということでもある。
結局、殺人だとか、自殺だとか、その願望にしても、衝動的で視野狭窄に陥っているからこそいつまでも消えないのでは?
賢い、というのは一つには頭を使っていろいろな可能性を考える能力であると思う。
58 :
優しい名無しさん:2011/05/03(火) 08:38:43.88 ID:32eHAmEa
「例えば、自分は憎しみしか持てない人であっても、私が知らないだけで、 別の人にとっては
大切な人であるかもしれない。自分は本当に人を裁けるほど偉いのだろうか。」
これは自分自身の万能感に対する懐疑、と言ってもいいと思う。
逆に殺人(とその妄想〉にとらわれている時は、
おそらく、自分の感情(憎しみなど)や判断(正義感などを含む)を絶対視しているか、
あるいはそれしか見えていない(視野狭窄)状態と思われる。
・・・自分の中に溜めているのがしんどかったから、親への殺意の話をして見たけれど、
私は幸いにして親と離れて過ごしてそれなりに時間が経つので、殺意とかあんまりないなw
それよりも、自分が果たしきれていない責任に目を向けていかなければ、と思う。
自分のこともロクに出来ていない癖に、親にばかり責任を求めるんじゃおかしいよね?
それに最近、私はACと言っても割と恵まれている部類なんじゃないかと思ってるしねw
59 :
優しい名無しさん:2011/05/03(火) 08:39:32.14 ID:32eHAmEa
「例えば、自分は憎しみしか持てない人であっても、私が知らないだけで、 別の人にとっては
大切な人であるかもしれない。自分は本当に人を裁けるほど偉いのだろうか。」
これは自分自身の万能感に対する懐疑、と言ってもいいと思う。
逆に殺人(とその妄想〉にとらわれている時は、
おそらく、自分の感情(憎しみなど)や判断(正義感などを含む)を絶対視しているか、
あるいはそれしか見えていない(視野狭窄)状態と思われる。
・・・自分の中に溜めているのがしんどかったから、親への殺意の話をして見たけれど、
私は幸いにして親と離れて過ごしてそれなりに時間が経つので、殺意とかあんまりないなw
それよりも、自分が果たしきれていない責任に目を向けていかなければ、と思う。
自分のこともロクに出来ていない癖に、親にばかり責任を求めるんじゃおかしいよね?
それに最近、私はACと言っても割と恵まれている部類なんじゃないかと思ってるしねw
60 :
優しい名無しさん:2011/05/03(火) 08:42:58.42 ID:32eHAmEa
調子に乗ってしまったか。連投すみません、間違いました。
しかしこう過疎スレだと謝る必要あるのってちょっと思ってるw
61 :
優しい名無しさん:2011/05/03(火) 08:45:10.82 ID:32eHAmEa
とりあえず、もう一点、思いついたこと。
私は、こういった思考過程(自分の人格を否定した者への殺意→復讐衝動→それをいかに適応的に乗り越えるか)により
自分の感情を肯定すると同時に、自分の自己コントロール能力に対する信頼感が芽生えるきっかけとなったように思う。
いや、自分の行動をコントロールするだけの理性を持ってはじめて、自分の感情を肯定できるのかもね。
とくにACはね。なぜならACは、他者の価値観に合わせる>>>自分の感情に従う(or I’m NOT OK, you’re OK)
自分の感情を認める前に、他者の価値観に合わせるいつまでもイイ子な子ども。考える力も不十分。
※サイコパスは多分こういうことで悩む前に悪事を働く人種なんだろう。
悪事とまではいかないけどズルいぐらいの人は、自分の感情に従う・自分の利益を優先する>他者の価値観に合わせる ぐらいかなぁ
※ACでもサイコパスでもない健康な人々は、自分の感情に従うことと、他者の価値観に合わせることの間に矛盾がないんだろう。
I’m OK, You’re OK. ってやつか。あるいは、それらに矛盾が生じたとしても、安易に自分の感情を否定したりはしないんじゃないかな。
そこがACとの違いではないかな。他者の価値観と自分の価値観の「両方」に価値を認められるということが普通に出来る。
62 :
優しい名無しさん:2011/05/03(火) 08:56:23.62 ID:32eHAmEa
私見であるが、ACには、自分の感情を否定した上で、「これはいけないことだ」という他人や世間のもつ価値観に
ただ従っているタイプが多数いると思う。「他人の価値観に合わせすぎる」なんて意見はAC関連スレでよく見られる
ように思うが、私に言わせれば問題はそこではなく(世間一般の常識にはたいていそれなりの理由があると思う)、
それ以前に自分の感情を否定してしまっていることなんだと思う。
自分の感情を感じる前に他人の価値観に合わせるから、何となく被害者感情が募る、自分で納得しての選択ではない。
だからズレてるだとか、一般人に理解されないんだと思う。
自分の感情をそもそも否定してるから、自分の能力以上のことだって簡単に引き受けてしまえるのかも。
でもそれって、無責任だよね?出来ないことを安易に引き受けて失敗するのは。
確かに、無条件で相手に合わせるのは楽といえば楽だけど、何も考えてないってことだよね。
一般人は自分の感情を否定しないし、彼らのうちでもっとも幸せな群は否定する必要もなかったのだろう。
63 :
優しい名無しさん:2011/05/03(火) 16:35:40.83 ID:vuAJ/7eb
謝るっていうのはさ、ひとの有無・状況ではなく、
自分が悪いと思ったので「謝る」のではないかね。
AC批判を垂れ流しているあなたも十分にAC素質はあるよね。
自己批判なのか他者批判なのか分からないけど。
問題点は各々分かっているので、そこまで考察出来るのであれば
問題提起した上で、解決策や歪みの矯正、啓発などを書いてくれ。
出来れば産業で。
64 :
優しい名無しさん:2011/05/06(金) 11:18:58.43 ID:eAHBa8to
重病になろうが、飢えてようが、
まったく心配されずに生きてきたために
まわりの人に対して、演技で心配するフリはできるが
本気で心配することができない。
心配どころか、心の中では、そいつの甘えに苛立ってしまう。
65 :
優しい名無しさん:2011/05/12(木) 11:34:42.79 ID:YFH4yWdD
毒親に対する殺意あるいは憎しみというものの原因が、
支配的な親の私に対する人格否定であったとしたら・・※
a)親の私への人格否定を許したままでいる
→被支配的な立場(奴隷といってもいいかな)に甘んずる
→よっていつまでたっても自立できない、親に甘えて生きる
(まぁそれもいいでしょう)
b)親の私への人格否定に気付き、憎しみを感じる
→被支配的な立場から抜け出すことを考える
→主体性の獲得のための第一歩となる!?
(はずだったが、この段階になって始めて自分自身の問題に直面し、不適応・・ということも)
(さらには不適応→自立失敗→親へ頼る→自分で納得した上で親に依存して生きるとか・・)
(という訳でaとbのどちらがいいのかは結局、本人次第でしょうね)
つまり、毒親に執拗に人格否定され、主体性の発達を妨げられたなら、
まずそこに疑問を持たない限り(私の場合は憎しみや恨みという感情であった)、
AC克服のために必須の主体性の獲得というのはできないのでは、ということ。
この話をするために親への殺意と復讐衝動の話をしようと思った(
>>38-62)。
(※殺意や憎しみが一体何に対するものなのかは恐れずにはっきりさせた方が私はいいと思っている)
(※しかし、もしそういった負の感情に押しつぶされるのが怖いのであれば、
その感情をコントロールする能力を鍛える方が先だと思う、
例えば他の人の意見を聞く、本を読んでみるなどして理性や知性を鍛える、カウンセリングを受けるなど)
66 :
優しい名無しさん:2011/05/12(木) 13:51:31.37 ID:YFH4yWdD
念のために言っておくけど、とにかく、
「誰かが毒親に対する殺意の話をしていた」
→「ACが毒親に対して殺意を持つのは別に不思議ではない」・・とここまでは私も同意。
ただし、
→「だったらその殺意を実行してもいい!」ではは《ない》ことに注意。
殺意を持つことはあっても、殺人という行為を肯定しているのではなく、
だからわざわざ長々と人を殺してはいけない理由(
>>46-47、
>>57)を垂れ流してみた訳であって。
私が思うに、
殺意や憎しみといった感情をとにかく抑圧しながら親に従う段階が従順なAC、
殺意や憎しみを自覚して親に反発する段階は反抗的なACであって、ここでもまだAC。
(自分がどの段階のACであるかを正確に捉える、別の言い方をすれば自分を客観的に見る能力はとても大切)
その次の段階はおそらく、(参考:回復の20段階
>>44)
1)殺意や憎しみといった負の感情を含め、自分の感情を認めると同時に、
衝動的に行動せずコントロールする(注意を他に向ける、昇華させる、あるいは考えを深める)
2)ACであった過去も自分の人生の一部であることを受け入れつつ、それでも生きることを決意、
そしてこれから先どうするか、自分が何をしたいかを決め、実行していく。
3)そして、もはや「ACである」ということにのみ、頼らず自分のアイデンティティを確立する
(過去によってのみ自分を説明するのではなく、現在の自分の役割等(仕事、新たな人間関係)によって
自分を説明することができる・・みたいな?)
67 :
優しい名無しさん:2011/05/17(火) 22:43:57.72 ID:Gg1nJdnt
>>64 何となく私も言いたいことは分かる気がする。
こういう問いに答えるのは結構難しいと感じていますが挑戦してみる↓
もし、他人の苦労話を聞くと、いちいち自分の過去を思い出したり比べてしまうなら、
それは今も自分が過去の痛みを引きずっているということを表しているに違いないのでは。
辛い過去を経験していることは、他人の痛みを無視する理由になるわけではない。
だから必死で自分の痛みを隠しながら、心配するフリをしてみるけど、内心複雑で仕方ない、
みたいな状況に何度も陥ってしまう・・ということなのかもしれない。
もちろん他人に優しくすることは大切だけど、
でも必ずしもそのために自分の痛みを抑圧する必要はないはずである。
(てゆーかそもそも他人の辛さと自分の過去は関係ないはずだし。)
別に自分の痛みを抱えたまま、他人に優しくすることはないんじゃね?と思う。
また、そういうのは自分自身に対して誠実ではないし、自己欺瞞である、とも思う。
68 :
優しい名無しさん:2011/05/17(火) 22:47:44.73 ID:Gg1nJdnt
じゃあなぜその自分の過去の痛みを放置してきたんだろう?
(それは余りにも自分にとって当たり前だったのかもしれないし、意識されなかったのかもしれない、
もちろん私に分かることではないけど、こうやって自分で自分に問いかけてみてもいいのでは?)
酷い目にあっても心配されずに生きてきたことで痛みを感じたことは全然不思議ではないけれど、
大人になった今、その痛みに対して何の対処もせず、ただただ「いつか」「誰か」がその痛みから
「救い出してもらえるのを待っているだけ」だとしたら、それは何かちょっと違うんじゃないか?
確かに過去の痛みはその人のせいじゃないっていうのには大いに同意するけど、
しかし大人になった今も、ただただその痛みを誰かが救い出してくれるのを待っているだけなら、
その点についてはその人がバカなんじゃないの?、と私は思う、悪いけど。
自分の過去の痛みを抱えたまま、他人と接していて他人に心から優しくできないのなら、
そして、そのことに疑問を持ち、このままではいけないかも、と思ったなら、
あるいは他人に優しく出来ないのは自分の過去の痛みのせいだと思うなら、
かつ、あなたが自分が心から他人に優しくしたいと願うのならば、
その時こそ、自分の痛みについて自分から助けを求める時なんだと思うよ。
69 :
優しい名無しさん:2011/06/06(月) 19:24:51.12 ID:OgoRGKx6
ごめん、善意はわかるけど宗教っぽい。
放置してみて書き込みが増えなかったらこのスレは必要ないってことなんじゃないだろうか
70 :
優しい名無しさん:2011/06/09(木) 10:27:46.58 ID:REwMtJM6
重複スレッドだな 異常者の身勝手な重複スレッドを許さない
71 :
優しい名無しさん:2011/06/13(月) 05:51:55.51 ID:vo6i2yje
586 名前:優しい名無しさん[] 投稿日:2011/05/26(木) 19:46:40.78 ID:hVd04zp2 [1/2]
傷の舐め合いはメンヘルサロン板
http://toki.2ch.net/mental/ でお願いします。
LRが読めませんか?
>ここはメンタルヘルス(心の健康)に関する専門的な情報交換を目的とした掲示板です。
>心の病を持つ人同士の雑談等はメンヘルサロン板
http://toki.2ch.net/mental/ へ。
メンヘル板は健常者がメンヘラーについて語る板です。
勘違いしたメンヘラーが増殖してしまったのでメンヘルサロン板を作ってさしあげました。
メンヘラー同士のコミュニケーションは、メンヘルサロン板で行って下さい。
メンヘル板で行えば多くの人に迷惑をかけるという事をまず理解して下さい。
↑これ読んでこっちのほうが賑わってるのかと思ったけど、そうでもないんだね。
あちらは結構殺伐としてるし荒らしもいるっぽいから、息抜きの場所はあったほうがいいな。
このスレもう少し活用できたらいいんだけど。まだこれからかな。
72 :
優しい名無しさん:
>>64 分かる。心配という感情が他人に対してもてない。
そしてどんな言葉をかけたら良いのかもわからない。
気にかけてもらえないって悲しいよね・・・