暴走族経験者は、暴走族批判を聞かされると認知的不協和を起こす
戦争に参加した兵士は反戦論を聞かされると認知的不協和を起こす
宗教の信者は無神論を聞かされると認知的不協和を起こす
性差別主義者はフェミニズムを聞かされると認知的不協和を起こす
これらの共通点は、その人の過去の経験に関わっている点
過去は変更できない事から、過去の行動を否定されると、
新しい事実の方を批判するしかなくなる
もしも新しい事実を認めてしまえば、それまでの生き方さえ
否定されることになってしまうと考えてしまう
=それらの不快感の強さは信念の強さに比例すること
これまでの人生を費やして築いた思想・信条・信念や、
現在のその人の立場に強い影響を与えている過去を批判されると、
強い抵抗感を抱くということ
認知的不協和の塊とは一体誰のことになるのだろう
タバコは身体に悪いと知りながら タバコを吸ってる事実と、身体に
悪いタバコを吸いながら 落ち着かなかったり、不愉快な場合が有る
この矛盾も 認知的不協和と言われるもの
ちなみに ヘビースモーカーは 身体に悪いと言う意識が無い人が多い
データーが有る
そういう認識の積み重ねが、その人の個性と化する事もある
とあるところから抜粋
自分のセンスで新しい車を購入したとします。購入後に、雑誌でその車が
とてもよい紹介のされ方をしていました。これは、認知的協和の状態です。
自分のセンスで買った車が、世間的にもセンスのいい車であったわけです
から。しかし、雑誌での紹介のされ方が、あまりいいものではなかったら
どうでしょう。自分のセンスと世間の評判が食い違っていて、認知的不協和
の状態になってしまいます。このとき、比較的変えやすいどちらかの認知
(自分のセンスか世間の評判)を変えて、協和させなくてはなりません。
自分のセンスのほうは否定しにくいものですので、雑誌の評価をどうにか
しなくてはなりません。たとえば、その雑誌はいつもでたらめばかり書いて
いると雑誌自体を否定したり、「その車は外見はちょっとセンス悪いけど、
なにより燃費がいい」とほかのいいところを探したりしてなんとか協和さ
せます。自分のセンスを否定することは難しくても、購入の際に自分以外
の誰かの意見が反映されていれば、たとえば奥さんが「この色がいい」と
いったとしたら、「この色のセンスは自分のセンスではない」として、
認知的協和の状態にもっていけるわけです。
商品を購入した後も、広告を見てしまうのは自分が買ったのは正しか
ったことを再確認して、認知的協和の状態を維持するためです。
フェスティンガーによれば、人は、知識、意見、信念などの
認知要素のうちの二つが心理学的に不一致、矛盾しているとき、
緊張を経験するという。そのとき、人はその緊張を低減させて
自己の考えを適応させようとする。
自分がやったこと・自分の状態を、自己正当化しようとする。
自分の行いを強化・正当化する理屈を編み出して、安住しようとする。
アレをやった自分は正しかったのだと、自分はいいこなのだと
思おうとする。
そのとき、どうやって自分をほめるか?
自分の状態とは相容れない情報(自分のほめ方をおびやかすもの)は
排除されやすい。
何かにおいて排他的な人とはどういう傾向が強い人か?も、
これらの事がヒントになるかも