彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、
子孫を見ることができ、主の御心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を神の御前に正しい者とし、彼らの罪咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ 53:3-12
2 :
優しい名無しさん:2010/10/19(火) 18:06:10 ID:LkXyVVgf
くくくっ…
3 :
優しい名無しさん:2010/10/19(火) 18:18:29 ID:LkXyVVgf
何だ…荒らしが立てたのかと思った
だからコピペしすぎるなと言ったのにw
4 :
優しい名無しさん:2010/10/19(火) 18:27:28 ID:LkXyVVgf
37歳在宅勤務説が浮上
神様はあと何年待たせるつもりなのですか?
5 :
優しい名無しさん:2010/10/19(火) 19:28:42 ID:oOdH0RE/
旧約聖書ですか?
6 :
優しい名無しさん:2010/10/19(火) 20:01:01 ID:LkXyVVgf
なぜ手を緩めなければならないのか教えて頂きたいですね
彼らはもう成人でしょう
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
9 :
優しい名無しさん:2010/10/20(水) 07:14:09 ID:p4Hq79jd
あのさあ自分の言葉で書きなよ
10 :
優しい名無しさん:2010/10/20(水) 09:02:02 ID:2TTQnTLZ
文句垂れることしかできないクズが増えたな
肛門からクソ垂れるみたいにな
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
16 :
優しい名無しさん:2010/10/20(水) 17:27:57 ID:SqYNuP9L
10が宗教信じてたら大笑いだな
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
18 :
優しい名無しさん:2010/10/20(水) 17:36:24 ID:2TTQnTLZ
>>16様 私は天使の命を受け、忠実に仕事をこなしているだけです
その結果は神に委ねているのです
では、あらためまして…
>>16 文句垂れることしかできないクズが増えたな
肛門からクソ垂れるみたいにな
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
20 :
優しい名無しさん:2010/10/20(水) 19:14:28 ID:2TTQnTLZ
ミカエルが導いたジャンヌダルクは火刑となり、
ヒトラーも何者かが導いていた
私たちは神の計画を実現させるコマに過ぎない
21 :
優しい名無しさん:2010/10/20(水) 19:18:32 ID:2TTQnTLZ
まー、信じてないんだけど、私に対する霊の吸着力みたいなものが
強いんです
だから、これが一番安全かな…なんて
東洋思想(一切衆生を救う的な)ものが理にかなってると思うのですが、
きっとどうしようもないものなんだと思っています
貼っておきます
52 :優しい名無しさん:2010/10/20(水) 21:11:30 ID:2TTQnTLZ
とっくに私は死んでいてあなたが私のパラレルワールドに来てる
そう感じた…私には見守ってくださる方がいる…
ただし、そのお姿を見たのは幻覚に過ぎないだろう…
53 :優しい名無しさん:2010/10/20(水) 21:18:12 ID:2TTQnTLZ
私の苦難の人生が最高潮に達したとき、呼び、そして、あらわれた…
三度私の前に…天からあらわれ、天に戻って行った…
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます。
わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
愛する兄弟のみなさん。わたしたちの主イエス・キリストのご来臨と、わたしたちが御座に集められることについて、
あなたがたにお願いすることがある。 霊により、または言葉により、あるいはわたしたちから宛てられたという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐに心を動かされたり、慌てたりしてはいけません。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教が起るからです。
そして不法の者、すなわち、滅びの子が必ず現れるでしょう。 彼は、すべて神と呼ばれたり崇拝されたりするものに反抗して立ち上がり、
そして自分で神の宮に座わり、自分こそ神だと宣言します。
わたしがあなたがたの所に滞在していた時、これらの事を繰り返して言ってきたのを思い出しなさい。
そして、あなたがたが承知のとおり、彼が自分の定められたの時になってから現れるように、
いま彼を引き止めておられる方がいらっしゃるのです。 不法の秘密の力は、もうすでに働いています。
ただそれは、引き止めておられる方が取り去られる時までのことです。 その時になると、不法の者が突如として現れます。
この者を、主イエスは御口の息吹をもって殺し、御来臨の輝きによって滅ぼされるのです。(テサロニケ第二の手紙2:1-8)
不法の者の到来は、サタンの働きによるのであり、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、多くの不義の惑わしを、
滅ぶべき者たちに対して行うためです。彼らが滅びるのは、自らの救いとなる真理に対する愛を受けいれなかった報いなのです。
そこで神様は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送って、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くようにされます。
しかし、主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはいつもあなたがたのことを、神様に感謝せずにはおられないのです。
それは、神様があなたがたを初めからお選びになって、聖霊による清めと、真理に対する信仰によって、救いを授けられたからです。
このために、わたしたちの福音によってあなたがたを召し、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるようにして下さいました。
そこで、愛する兄弟のみなさん、堅く立ち、わたしたちの言葉や手紙で教えられた御言葉を伝え、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな希望とを賜わってくださる
わたしたちの父なる神様が、 あなたがたの心を励まして、あなたがたを強めてくださいますように、
そしてすべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さいますように。(テサロニケ第二の手紙2:9-17)
最後に、愛する兄弟のみなさん。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の御言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、
あがめられますように。 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われますように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではありません。
しかし、主は真実なかたですから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるでしょう。 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、
また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信しています。 どうか、主があなたがたの心を導いて、
神様の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さいますように。 愛する兄弟のみなさん。主イエス・キリストの御名によってあなたがたに命じます。
怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 わたしたちに、どうならうべきであるかは、
あなたがた自身が知っているからです。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 人からパンをもらって食べることもしなかった。
それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけないように、日夜、労苦し努力して働き続けてきました。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、
わたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのです。(テサロニケ第二の手紙3:1-9)
また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べるな」と命じておきました。 ところが、聞くところによると、
あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことです。
こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じ、また勧告します。
愛する兄弟のみなさん。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがいいでしょう。
彼が自ら恥じるようになるためです。 しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さいますように。
主があなたがた一同と共におられますように。 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書きます。
これは、わたしのどの手紙にも書く印です。わたしは、このように書きます。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。(テサロニケ第二の手紙3:10-18)
結局弱者は悪なのか?切実にそう思う
生まれつき心身の強い人と生まれつき弱い人がいるでしょう
前世を前提に考えないと成り立たないと思う
とりあえず明日も働けるな
あまりストイックになり過ぎるのもどうかと思うけど、
普通休むだろうみたいな
36 :
優しい名無しさん:2010/10/21(木) 18:52:30 ID:sQ0e9gF0
神様はあなたを喜びに満ちた天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
私には信じることは難しかったのだと思う
サタンに試されている方はご注意ください
それから、その後に起こる数々の栄光に酔いしれずに…
神様はあなたを喜びに満ちた天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神様はあなたを喜びに満ちた天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
42 :
優しい名無しさん:2010/10/22(金) 07:58:50 ID:wcP+AuqS
神父(牧師)さんは何故、女性信者に手を出して捕まるのですか?
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。 すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
ローマ人への手紙
「彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、
自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです 」
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、
神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
(ローマ人への手紙3章)
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。 つまり、私たちが救われるのは、
キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
ローマ人への手紙3章
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
宗教なんかなければ、世界中で戦争が減るのにな
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
65 :
優しい名無しさん:2010/10/24(日) 02:33:07 ID:FI7nxU44
詐欺
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
(詩篇150:1-6)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
(詩篇150:1-6)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリストにはかえられません
http://www.youtube.com/watch?v=VwoGIY03kpw&feature=related
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
76 :
優しい名無しさん:2010/10/24(日) 18:01:01 ID:tA5Bx3eY
今日エホバで、暇な主婦らが何かやってたぞ
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質の体は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
88 :
優しい名無しさん:2010/10/25(月) 18:45:33 ID:lTZnj/N/
善行って必要ないんだね
イエス様からの愛があれば後は必要ない
そのうちあばら骨もくださる(帰ってくる)だろう
89 :
優しい名無しさん:2010/10/25(月) 19:01:32 ID:lTZnj/N/
どうあっても神はあなたの味方だ
何度も何度も言われた
90 :
優しい名無しさん:2010/10/25(月) 19:10:22 ID:lTZnj/N/
なぜ神の言葉が日本語なのか?
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、
子孫を見ることができ、主の御心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を神の御前に正しい者とし、彼らの罪咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ 53
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ、すべての罪が永遠にゆるされ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
ゴスペルは苦手ですね
まだ神様への感謝が足りてないから、ちょっと合わないかも
ちゃんと教本を復習したいです
リンゴさんみたいな人はとても貴重ですね!
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
http://www.youtube.com/watch?v=4MAN8u8naz4&feature=fvsr
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあら?
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。 その時、主は神様を認めない者たちや、
わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。 その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと
感激の的となられます。わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと信仰の働きとを
力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
>>106 訂正
「パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。 その時、主は神様を認めない者たちや、
わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。 その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと
感激の的となられます。わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと信仰の働きとを
力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
さらに天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
若輩であれど終わりが早く来る場合もある
そして、どういう終わりがやって来るのかすら彼らは知らない
いきなり来たら死ぬぜ?人が何かをするんじゃない、それは神に仕えるサタンだ
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
さらに天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
126 :
優しい名無しさん:2010/10/29(金) 07:50:11 ID:yXW7ehH9
キチガイ御都合宗教
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
>>122 神に仕えているようではないものがいるような気がするが
それにしても、
このような現象を引き起こすためにどのような秘儀が働いているのか知りたいところだ
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
入る墓が決まってんのに洗礼は無理だ
いわゆるユダヤ人的な人たちは自分の道を自分で敷いているということが分からない
神父様もオナニーはおkと言っている(もちろん節制しながらだが)
知恵の実は蛇が食べさせたのだということを理解するべきだ
主がそう守らせたのではなく、自分たちがそう掟付けたということだ
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神様を信じているのなら、いかような人間も信じる者に傷をつけることはできない
そういうのすら知らないからな
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
(詩篇150:1-6)
聖歌570番 雨をふりそそぎ
http://il.youtube.com/watch?v=AHNHWPt4xBk&feature=related
主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。
今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。
聞いてください。
主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。(詩篇 27篇)
讃美歌2編 167番 われをもすくいし Amazing Grace(Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=iPMVKkNn1ro&feature=related
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。
イスラエルにその造り主を喜ばせ、シオンの子らにその王を喜ばせよ。
彼らに踊りをもって主のみ名をほめたたえさせ、鼓と琴とをもって主をほめ歌わせよ。
主はおのが民を喜び、へりくだる者を勝利をもって飾られるからである。
聖徒を栄光によって喜ばせ、その床の上で喜び歌わせよ。
そののどには神をあがめる歌があり、その手にはもろ刃のつるぎがある。
これはもろもろの国にあだを返し、もろもろの民を懲らし、
彼らの王たちを鎖で縛り、彼らの貴人たちを鉄のかせで縛りつけ、しるされたさばきを彼らに行うためである。
これはそのすべての聖徒に与えられる誉である。主をほめたたえよ。(詩篇149:1-9)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、
また裁かれることがなく、 死から命に移っています。」
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
)愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質の体は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見て、そしてよく見て手でさわったもの、
すなわち、いのちの御言葉について。このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、
そのあかしをし、あなたがたに告げ知らせます。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、
今やわたしたちに現れてくださいました。すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、
あなたがたにも告げ知らせるのです。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためです。
わたしたちの交わりとは、父ならびに神のひとり子イエス・キリストとの交わりのことです。
これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためです。(ヨハネ第一の手紙1:1-4)
わたしたちがイエス様から聞いて、あなたがたに伝えるたよりはこうです。神は光であって、神には少しの暗闇もない。
神と交わりをしていると言いながら、もし、闇の中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、
真理を行っているのではありません。 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩くならば、
わたしたちは互いに交わりをもち、そして、神のひとり子イエス様の血が、すべての罪からわたしたちを清めるのです。
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにありません。
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたですから、その罪をゆるし、
すべての不義からわたしたちを清めて下さいます。 もし、罪を犯したことがないと言うなら、
それは神を偽り者とするのであって、神の御言葉はわたしたちのうちにありません。(ヨハネ第一1:5-10)
わたしの子供たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、神様から義と認められた
イエス・キリストがおられます。 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物です。
ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためでもあります。
もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのです。
「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにありません。
しかし、彼の御言葉を守る人があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされます。
それによって、わたしたちが彼にあることを知るのです。 「彼にいる」と言う人は、彼が歩かれたように、
その人自身も歩くべきです。(ヨハネ第一の手紙2:1-6)
愛する人たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めです。
その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言葉です。しかも、それを新しい戒めとして、あなたがたに書きおくるのです。
そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのです。
なぜなら、闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからです。
「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、闇の中にいます。
兄弟を愛する者は、光にいるのであって、つまずくことはありません。 兄弟を憎む者は、闇の中におり、
闇の中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかさえわかっていません。闇が彼の目を見えなくしたからです。
(ヨハネ第一の手紙2:7-11)
子供たちよ。あなたがたにこれを書きおくるのは、御名のゆえに、あなたがたの多くの罪がゆるされたからです。
父たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、初めからおられるかたを知ったからです。
若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからです。
子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからです。
父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからおられるかたを知ったからです。
若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の御言葉があなたがたに宿り、
そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからです。
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにありません。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものです。
世と世の欲とは過ぎ去ります。しかし、神様の御心を行う者は、永遠に生きるのです。(ヨハネ第一の手紙2:12-17)
子供たちよ。今は終りの時です。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、
今や多くの反キリストが現れてきました。それによって今が終りの時であることを知るのです。
彼らはわたしたちから出て行きました。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのです。
もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたでしょう。
しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためです。
しかし、あなたがたは聖なるかたに油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っています。
わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、
また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからです。
偽り者とは、だれであるか。イエス様がキリストであることを否定する者ではありませんか。
父と神のひとり子とを否定する者。これこそ反キリストなのです。(ヨハネ第一の手紙2:18-22)
神のひとり子を否定する人は父を持たず、神のひとり子を告白する人は、また父をも持つのです。
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。
初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも神のひとり子と父とのうちに、とどまることになります。
これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちです。
わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくりました。 あなたがたのうちには、
キリストからいただいた油(神の聖霊)がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はありません。
この油が、すべてのことをあなたがたに教えてくださいます。それはまことであって、偽りではありません。
だから、その油が教えてくださったように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
そこで、子供たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その御来臨に際して、
御前に恥じいることがないためです。 彼が神の御前で正しいかたであることがわかれば、神の御前で正しい行いをする人もまた、
みな彼から生れた子供であることを知るでしょう。(ヨハネ第一2:23-29)リンゴ訳
わたしの子供たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、神様から義と認められた
イエス・キリストがおられます。 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物です。
ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためでもあります。
ヨハネ第一の手紙
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます。
わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
愛する兄弟のみなさん。わたしたちの主イエス・キリストのご来臨と、わたしたちが御座に集められることについて、
あなたがたにお願いすることがある。 霊により、または言葉により、あるいはわたしたちから宛てられたという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐに心を動かされたり、慌てたりしてはいけません。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教が起るからです。
そして不法の者、すなわち、滅びの子が必ず現れるでしょう。 彼は、すべて神と呼ばれたり崇拝されたりするものに反抗して立ち上がり、
そして自分で神の宮に座わり、自分こそ神だと宣言します。
わたしがあなたがたの所に滞在していた時、これらの事を繰り返して言ってきたのを思い出しなさい。
そして、あなたがたが承知のとおり、彼が自分の定められたの時になってから現れるように、
いま彼を引き止めておられる方がいらっしゃるのです。 不法の秘密の力は、もうすでに働いています。
ただそれは、引き止めておられる方が取り去られる時までのことです。 その時になると、不法の者が突如として現れます。
この者を、主イエスは御口の息吹をもって殺し、御来臨の輝きによって滅ぼされるのです。(テサロニケ第二の手紙2:1-8)
不法の者の到来は、サタンの働きによるのであり、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、多くの不義の惑わしを、
滅ぶべき者たちに対して行うためです。彼らが滅びるのは、自らの救いとなる真理に対する愛を受けいれなかった報いなのです。
そこで神様は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送って、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くようにされます。
しかし、主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはいつもあなたがたのことを、神様に感謝せずにはおられないのです。
それは、神様があなたがたを初めからお選びになって、聖霊による清めと、真理に対する信仰によって、救いを授けられたからです。
このために、わたしたちの福音によってあなたがたを召し、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるようにして下さいました。
そこで、愛する兄弟のみなさん、堅く立ち、わたしたちの言葉や手紙で教えられた御言葉を伝え、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな希望とを賜わってくださる
わたしたちの父なる神様が、 あなたがたの心を励まして、あなたがたを強めてくださいますように、
そしてすべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さいますように。(テサロニケ第二の手紙2:9-17)
最後に、愛する兄弟のみなさん。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の御言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、
あがめられますように。 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われますように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではありません。
しかし、主は真実なかたですから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるでしょう。 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、
また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信しています。 どうか、主があなたがたの心を導いて、
神様の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さいますように。 愛する兄弟のみなさん。主イエス・キリストの御名によってあなたがたに命じます。
怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 わたしたちに、どうならうべきであるかは、
あなたがた自身が知っているからです。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 人からパンをもらって食べることもしなかった。
それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけないように、日夜、労苦し努力して働き続けてきました。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、
わたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのです。(テサロニケ第二の手紙3:1-9)
また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べるな」と命じておきました。 ところが、聞くところによると、
あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことです。
こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じ、また勧告します。
愛する兄弟のみなさん。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがいいでしょう。
彼が自ら恥じるようになるためです。 しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さいますように。
主があなたがた一同と共におられますように。 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書きます。
これは、わたしのどの手紙にも書く印です。わたしは、このように書きます。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。(テサロニケ第二の手紙3:10-18)
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
「彼らの会話は、不潔で腐っており、まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。
彼らの舌はうそで固められている。」「彼らのことばには、恐ろしい毒蛇のきばと毒がある。」「彼らの口は、のろいと苦々しいことばで満ちている。」
「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、すぐに殺す。彼らの行く所ではどこでも、悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。
彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、神の祝福を味わったこともない。」「彼らには、神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、少しもない。」
そんなわけで、神様のさばきが、ユダヤ人に重々しくのしかかっています。 なぜなら、彼らは神様のおきてを守る責任があるのに、守らず、
こうした悪事にふけっているからです。 彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。 私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、
自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。(ローマ人への手紙3:10-20)
196 :
優しい名無しさん:2010/11/04(木) 17:07:45 ID:DFk1avDf
うはっw(リンゴさんに対する悪口ではない)
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。 それは、キリストが成し遂げてくださったことと、
キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。
つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
(ローマ人への手紙3:25-28)
199 :
優しい名無しさん:2010/11/04(木) 19:02:29 ID:DFk1avDf
ユダヤの血だな。永遠の命などという大それたものを頂けるわけがないだろう。
200 :
優しい名無しさん:2010/11/04(木) 19:48:25 ID:DFk1avDf
いや、私のことね。
イエス、高須クリニック
愛する人たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めです。
その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言葉です。しかも、それを新しい戒めとして、あなたがたに書きおくるのです。
そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのです。
なぜなら、闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからです。
「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、闇の中にいます。
兄弟を愛する者は、光にいるのであって、つまずくことはありません。 兄弟を憎む者は、闇の中におり、
闇の中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかさえわかっていません。闇が彼の目を見えなくしたからです。
(ヨハネ第一の手紙2:7-11)
子供たちよ。あなたがたにこれを書きおくるのは、御名のゆえに、あなたがたの多くの罪がゆるされたからです。
父たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、初めからおられるかたを知ったからです。
若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからです。
子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからです。
父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからおられるかたを知ったからです。
若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の御言葉があなたがたに宿り、
そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからです。
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにありません。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものです。
世と世の欲とは過ぎ去ります。しかし、神様の御心を行う者は、永遠に生きるのです。(ヨハネ第一の手紙2:12-17)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
これにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
205 :
弱い男:2010/11/05(金) 07:06:13 ID:UEr95yw1
今聖書読んでます。
転職先の会社で仕事が覚えられなくて落ち込んでます。
朝出勤するのも本当に一苦労です。
神様が守って下さるように。
アーメン
208 :
優しい名無しさん:2010/11/05(金) 15:47:55 ID:GK0pypG5
犬をしつけるとイエス様がよろこぶ場合もある
犬は天国に入れない
レスはつけないでください
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
千手姫はキリスト教徒だよね
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
218 :
優しい名無しさん:2010/11/05(金) 19:42:11 ID:GK0pypG5
天使が神のような力を手に入れているとしたら?
神の力を与り、何らかの御業を行っているのでしょうか?
レスはいりません
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
228 :
優しい名無しさん:2010/11/06(土) 18:20:41 ID:GdLvogtT
イエス様、私を獣どもの群れからお救いください
彼らは私たちの魂を吸い、死に至るまで弱らせてくるのです
レスはいりません
229 :
優しい名無しさん:2010/11/06(土) 21:11:03 ID:GdLvogtT
犬どもから自分の身を守って何が悪い
犬どもに命を差し出せとでも?
レスはいりません
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
http://il.youtube.com/watch?v=rCdbkYyUC8E&feature=related
233 :
優しい名無しさん:2010/11/07(日) 07:50:41 ID:PZz4N2FS
私はキリストの教えに適う生活をしています。
そういうことなんです。邪魔しないでください。
234 :
優しい名無しさん:2010/11/07(日) 08:20:43 ID:PZz4N2FS
キリストの力
殺害されたという事実を打ち消す
(こちら側からは殺害時間が飛ばされたように感じる=時間系能力)
235 :
優しい名無しさん:2010/11/07(日) 08:23:08 ID:PZz4N2FS
リンゴさん、私には複雑な事情があるのですが
これは信仰告白にあたりますか?
236 :
優しい名無しさん:2010/11/07(日) 10:10:57 ID:PZz4N2FS
そこまでイッちゃってる罪を告白する必要はありません
改心以前の問題です
神様も空気読めってことを伝えたいようです
それでは、みなみな様が天国に近づき、気づくようお祈りしています
平和を求め、争いなきよう努めてまいります(神様宛てですが)
>>234を訂正します
単なる盗人で鉢合わせにならないよう神様がこちら側の時間を飛ばしたのかもしれません
私の家には常に人がいますし、近所の警戒も激しいので
そう仮定するならば、情報流出(まだ私しか知らないもの)についても合点がゆくわけです
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
>>237に追記ですが、例えばパラレルワールドにおいて
私が直にそういった書類を友人に見せたということもありえます。
また、盗人が書類を盗んだ世界と私が所有している世界が並行して存在しているかもしれません。
出勤が辛い。
神さまどうか私に力を与えてください。
アーメン
244 :
リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2010/11/08(月) 07:29:21 ID:Po9hqBpu
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
247 :
優しい名無しさん:2010/11/08(月) 09:28:49 ID:Cm41BPVd
神父さんは、どうして幼女が好きなのですか?
なぜよく逮捕されるのですか?
248 :
優しい名無しさん:2010/11/08(月) 17:01:44 ID:9J0ljjmp
神様はたとえ犬でも鏡を見せてくれるんだよ
何にでも欲情する犬ども!
犬、犬、犬!!!!
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
これにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。
これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。
その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。 その時、主は神様を認めない者たちや、
わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。 その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと
感激の的となられます。わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと信仰の働きとを
力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
252 :
優しい名無しさん:2010/11/08(月) 18:23:16 ID:9J0ljjmp
矛盾があるな
患難で報復するのに、わたしたち自身は患難を耐えている
両者の違いは何なんですかね?
>>252 前者はクリスチャンの迫害で後者は黙示録の大艱難です
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
255 :
優しい名無しさん:2010/11/08(月) 20:47:09 ID:03X6ZhtW
test
257 :
優しい名無しさん:2010/11/08(月) 21:34:20 ID:9J0ljjmp
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしたちの主イエス・キリストの父なる神様を賛美しよう。
神はキリストにあって、天上の諸々の霊の祝福をもって、わたしたちを祝福してくださいました。
そして御前に清く傷のない者となるように、天地の創造される前から、キリストにあってわたしたちを選び分け、
わたしたちに、イエス・キリストによって神様の子供となる身分を授けようと、御心に従い、
愛のうちにあらかじめ定めて下さいました。
これは、その愛する神様のひとり子によって賜わった栄光に満ち満ちた恵みを、わたしたちが褒め称えるためです。
わたしたちは、神様のひとり子にあって、神様の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪のゆるしを受けました。
神様はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、御心の奥義を、
自らあらかじめ定められたご計画に従って、わたしたちに啓示して下さいました。
それは、時の満ちるに及んで実現される御計画にほかなりません。それによって、
神様は天にあるもの、地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つとされたのです。
わたしたちは、御心のままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、
神様の民として選ばれました。
それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神様の栄光を褒め称える者となるためです。
(エペソ人への手紙1:1-12)
どうして他宗教の人は今裁かれないの?
>>263 もうすぐ神の裁きが来ると聖書に書いてあります。
いまは、イエスキリストの御名によってひとりでも多く救うために
神は忍耐しておられるのです。
>>264 ありがとう。イエスは新訳の時代にも近づいたと言っていたけれど、もっと多くの人が救われるまで神様はお待ちになるのかな
>>265 そうです。もっと多くの人が救われるまで
神様はお待ちになっておられます。 主イエスよ、来てください。
>>266 最近信仰が薄れていたけど、またみ言葉を読もうって気持ちになった。まだ勉強会や礼拝に通える元気は無いけど、快復したらたくさん教会へ行きたいな。ありがとう。全ての人に救いが齎されますように。
268 :
優しい名無しさん:2010/11/10(水) 12:16:10 ID:MQLuMYr6
天国が遠くに感じる
やっぱり他宗教を容認できないのか
269 :
優しい名無しさん:2010/11/10(水) 13:25:57 ID:ji6JPODE
かみさま、
271 :
優しい名無しさん:2010/11/10(水) 16:05:04 ID:Wus73gg9
今の状態は、黙示録的だ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
275 :
優しい名無しさん:2010/11/10(水) 19:08:19 ID:MQLuMYr6
明らかに魂の一部をもってかれてるな
魂の殺人というやつだな
276 :
弱い人:2010/11/11(木) 07:04:00 ID:N/lMaU5O
転職したが辛い。神様の与えてくださった試練。
怖い、だけど神様はみまもっていて下さるのですね。
教えて下さい。
>>276 あなたが弱いときのこそ、神の力は働きます。
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、
わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
(第2コリント12:9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。
だから、わたしたちは落胆しません。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのです。(コリント第二の手紙4:15-18)
見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。
イザヤ48:10
神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精練するように、私たちを練られました。
詩編66:10
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
288 :
優しい名無しさん:2010/11/12(金) 14:53:00 ID:DKoWuEIw
こんにちは
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神様にお願いしました。
そのつど返ってくる答えは、こうでした。
「いや、治すまい。 しかし、わたしはあなたと共にいる。 それで十分ではないか。
わたしの力は人が弱い時に最もよく現われるのだから。」 今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。
コリント第二の手紙12
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、 万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っています。神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、 だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
296 :
優しい名無しさん:2010/11/12(金) 18:25:00 ID:Bprd3B2T
やはり幼少の頃よりつきまとわれていた怒ったような悪魔は
神の眷属ではなかったようだ。奇跡を起こせると鼻にかけ、
暴言と暴挙を繰り返し、守りとならない必要のないもの。
私こそ怒りたいが、彼は生前に何かあったのだろうか。
Q:主イエスを信じるだけで救われますか。
A:はい、信じるだけで救われます。
Q:主イエスの十字架の血による人の罪のあがないは永遠に有効なものですか
A:主イエスの十字架の血による人の罪のあがないは永遠に有効です。
Q:主イエスのあがないは永遠に有効なら、主イエスキリストを信じたあと罪を犯してもあがないは有効ですか。
A:はい、主イエスの十字架の血による人の罪のあがないは永遠に有効です。
罪を犯しても無効になることなどありません。
キリストを信じたクリスチャンの罪は教会に通っても通わなくても永遠に赦されていますし、
人の罪は、主イエスの十字架の血によって永遠にあがなわれたので、
自分で罪を償う必要など全くありませんし、人間の力ではそれはできないと書いてあります。ご安心を。
Q:主イエスのあがないが永遠なるものなら、罪が清められたクリスチャンたちを永遠に完全な者とされた
という御言葉が書いてなければいけませんが、どこに書いてありますか 。
A:ヘブル人への手紙10:14こう書いてあります。
「彼は一つの捧げ物によって、清められた者たちを永遠に完全な者とされたのです。」
Q:では主イエスを信じたクリスチャンから聖霊は絶対に離れることはないという聖書の御言葉
も書いてなければなりませんが、どこに書いてありますか
A:はい、こう書いてあります
「その助け主は、絶対にあなたがたを離れません。 その方とは聖霊、すなわち、すべての真理へと導いてくださる御霊のことです。
世間の人は、この方を受け入れることはできません。(ヨハネ14章)
299 :
優しい名無しさん:2010/11/12(金) 19:33:09 ID:nPW6RDu/
韓国人のキリスト教徒みたいな文章だな
Q:それではイエス様のいらっしゃる天国に行けるために神性にあずかり永遠に罪から清められるために
どうやったら神の聖霊を神様からいただくことができますか。
A:主イエス・キリストを信じるだけです。
Q:ではイエス・キリストを信じるだけで、約束された聖霊の証印をおされるという御言葉はどこに書いてありますか。
A:エペソ人への手紙1章にこう書いてあります。
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の御言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、
また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのです。」
イエス様のみことば
「そこでわたしはあなたがたに言います。求めなさい、そうすれば、与えられます。捜しなさい、そうすれば見いだすでしょう。
門をたたきなさい、そうすれば、あけてもらえるでしょう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからです。
あなたがたのうちで、父である人は、その子が魚を求めているのに、魚の代りにへびを与えるでしょうか。
卵を求めているのに、さそりを与えるでしょうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがありましょうか」。ルカ 11:9-13
302 :
優しい名無しさん:2010/11/12(金) 19:43:25 ID:nPW6RDu/
そうだ、そのとーり。
イエス様がマリア様とセックスをしてくれたからこそ我々が生まれた。
親に感謝を!
ハレルヤ
303 :
弱い人:2010/11/12(金) 22:08:01 ID:VZbXMpVG
>>277 今日神様が力を与えて下さっていることを感じました。
自然と涙がでてきました。
周りの人に感謝できる様に感じました。
ありがとうございます。
神の助けを信じ頑張っていきます。
>>303 それはよかったです。こちらこそありがとうございます。
主イエスキリストの御名が永遠にほめたたえられますように。
洗礼は必ず受けなければいけませんか?
>>305 洗礼は必ずしも受ける必要はありません。イエス様を信じても
受洗が出来ない環境の人もいるからです。こう書いてます「バプテスマ(洗礼)は
肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、
イエス・キリストの復活によるものです。」(ペテロ第一 3ー20)
あなたが教会に行くようになれば洗礼を受けられたらどうですか。
人が救われる条件はイエスキリストの信仰だけと聖書に書いてあります。
事実、イエス様はだれにも水の洗礼を授けられませんでした。
しかし、水の洗礼とは別に聖霊の「バプテスマ(洗礼)があります。
この聖霊の洗礼はイエス様を信じた時に、あなたに与えられるものです。
教会で受ける形式的洗礼ではなく、聖霊の洗礼はどんな場所にいても
目に見えないかたちで神から与えらます。これがクリスチャンの証です。
重要なのは水の洗礼ではなく、聖霊のバプテスマ(洗礼)ということになります。
Q:それではイエス様のいらっしゃる天国に行くために、神性にあずかり
永遠に罪から清められるため、どうやったら神の聖霊を神様からいただくことができますか。
A:主イエス・キリストを信じるだけです。
Q:ではイエス・キリストを信じるだけで、約束された聖霊の証印をおされるという
聖書の御言葉はどこに書いてありますか。
A:エペソ人への手紙1章にこう書いてあります。
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の御言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、
また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのです。」
キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、
彼の死にあずかるバプテスマ(洗礼)を受けたのです。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのです。
それは、キリストが父の御栄光によって、死人の中から復活されたように、
わたしたちもまた、新しいいのちに生きるのです。わたしたちが、
彼に結ばれてその死と同じになるなら、さらに、彼の復活と同じになります。
(ローマの信徒への手紙6:1-5)
「なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、
一つの聖霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマ(洗礼)を受け、
そして皆一つの聖霊を飲んだからです。」コリントの信徒への手紙 12:9
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
317 :
優しい名無しさん:2010/11/13(土) 17:45:18 ID:8FzlGg7D
>文字は人を殺し、霊は人を生かす。
なるほど。素晴らしい言葉ですね。掲示板の同じ文章でも
その人に心境によって伝わり方は違ってきます。
波動とでも言うべきものが感じ取れる場合がありますね。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
319 :
かつお:2010/11/13(土) 18:07:09 ID:pk3IGhu3
家に勧誘くんじゃねえよ
きもちわりい
320 :
優しい名無しさん:2010/11/13(土) 18:31:59 ID:oXT0vYeA
私は再び戻ってきた。
従いなさい。
>>306-307 ご返事が遅くなり申し訳ありません。
そう仰って頂けると心が解されます。
やはり大事なのは形より信仰ですよね。
ありがとうございました、また相談致しましても宜しいでしょうか?
主イエスの愛が世界中へ広まりますように、アーメン。
>>321 何かありましたら、いつでも相談してください。
主イエスの御名が永遠にほめたたえられますように。アーメン。
325 :
優しい名無しさん:2010/11/14(日) 16:01:51 ID:WUH2szA4
イエス様が指揮を取って社会改革してくれたらいいのにね
管首相は何が楽しくて半分にやけたような顔してるんだ
日本やばい、マジで
326 :
優しい名無しさん:2010/11/14(日) 16:03:33 ID:WUH2szA4
>>325 その日が早く来ますように。アーメン。
聖書預言どおりキリストが王となり、全地を治められるでしょう。
328 :
かつお:2010/11/14(日) 16:38:23 ID:t0pngfqf
>>327 コリストは王になれないでやられたんだよ (笑)
お前きもい
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリストにはかえられません
http://www.youtube.com/watch?v=VwoGIY03kpw&feature=related
330 :
かつお:2010/11/14(日) 17:04:19 ID:t0pngfqf
モーツァルトのハ短調ミサ曲が好きです。
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
十字軍で東国猿を滅ぼそう
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
これにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
341 :
かつお:2010/11/15(月) 17:07:20 ID:jsSGEBzp
きめえこいつ
お前自分の口で会話出来んの?
こういうゴミクズいらいらすんな
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、
神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、
神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。
また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
そして、わたしに仰せられた、「事はすでになった。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり、終わりである。
かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、
すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
最後の七つの災害が満ちている七つの鉢をもった七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、
「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。
この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖徒エルサレムが、神の栄光のうちに、
神のみもとを出て天から下ってくるのを見せてくれた。
その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な壁玉のようであった。
(黙示録21-1〜11)
わたしたちは喜び楽しみ、神様をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。
この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。(黙示録19:7-8)
「エルサレムを愛する者は栄え、 その城壁のうちに平安があり、もろもろの殿のうちに安全があるように」と。
わが兄弟および友のために、わたしは「エルサレムのうちに平安があるように」と言い、
われらの神、主の家のために、わたしはエルサレムのさいわいを求めるであろう。
詩篇122:1-9
348 :
かつお:2010/11/15(月) 19:44:14 ID:jsSGEBzp
連投すんなや
1+1は?
ワンミニッツ以内に答えろ
その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初に復活し、 それから生き残っているわたしたちが、
彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主にお会いし、こうして、いつも主と共にいることになるでしょう。
ですから、あなたがたは、これらの御言葉をもってお互いに慰め合いなさい。
(テサロニケ第一4:13-18)
天からラッパが鳴り響きわたると、死んでいたすべてのクリスチャンは、新しい体に復活し、生き残っている私たちは、
一瞬にして、新しい体に変わります。
(第一コリント15:52-53)
http://www.kingdomfellowship.com/Keywords/rapture.html
350 :
リンゴ ◆oPXbhrKCUQ :2010/11/16(火) 17:05:37 ID:S6IBoV3f
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。
ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
(ガラテヤ人への手紙1:11)
このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神様の御言葉を聞いたとき、
あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神様の御言葉として受け入れたからです。
事実、それは神の御言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。
(テサロニケ第一の手紙 2-13)
福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
(ローマ 1ー17)
あなたがたを堅く立てることができる方に、すなわち、わたしの福音とイエス・キリストの宣教によって、
また、世々にわたって封印されてきたが、 今や預言の書を通して、永遠の神の命令により、
すべての民を信仰の従順に至らせるために明らかにされるにいたった奥義の啓示により、
あなたがたを堅く立てることができる方、すなわち、唯一の知恵ある神に、
イエス・キリストをとおして、栄光がとこしえにあるように。 ローマ16章25〜27節
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。
ただ、この自由を生まれながらの肉の性質の機会とせずに、愛によって互いに仕え合いなさい」。
(ガラテヤ5一3)
兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子です。
しかし、その当時、肉の性質によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様です。
しかし、聖書はなんと言っていますか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とあります。
だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子なのです。
(ガラテヤ人への手紙4章)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
357 :
優しい名無しさん:2010/11/17(水) 01:44:52 ID:oG93Vsza
私は信仰が薄いのが悩みです。
>>357 イエスキリストの信仰がすこしでもあれば大丈夫です。
日ごとにあなたの信仰が強くなれますように。アーメン。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
(ローマ 1ー17)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
Q:イエス様とクリスチャンたちの永遠の住まいである天のエルサレムとはどんな場所ですか。
A:喜びに満ちた天国の首都で、究極の楽園です。
神の都については素晴らしいことが聖書に語られています。
Q:天国の首都、天のエルサレムにはどうやったら行けますか。
A:罪ある人はだれも天のエルサレムには行けません。ですからあなたの罪を清め、 神に聖なる者と認められ、
受け入れられることです。 なぜなら神は聖なる方と聖書に書いてあるからです。
Q:ではどうやったら自分の罪を清め、神に聖なる者と認められ、 受け入れられますか。
A:はい、あなたを創造され、天地万物を造られた神の子イエス・キリストを信じるだけです。
Q:神であるイエス・キリストはわれわれに何をしてくださったのですか。
A:あなたが天のエルサレムに行けるように、イエス・キリストは、
あなたの罪を清めるために十字架で血を流され、 天の父なる神の怒りを受けて死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する父なる神の怒りは、子なる神イエスキリストの十字架の死によって
なだめられ収まりました。
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
「その真理とはこうです。神様と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。
そして人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、御自分のいのちを、
全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされました。」
(テモテへの第一の手紙2:5)
神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、 ご自分の子供としての
特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
Q:天国の首都、新エルサレムに行くためには、神様から罪の清めの証として聖霊を授かる必要があることが
聖書にかいてあることがわかりました。
それではイエス様のいらっしゃる天国の首都、新エルサレムに行けるために神性にあずかり
永遠に罪から清められるために どうやったら神の聖霊を神様からいただくことができますか。
A:主イエス・キリストを信じるだけです。
Q:ではイエス・キリストを信じるだけで、約束された聖霊の証印をおされるという
御言葉はどこに書いてありますか。
A:エペソ人への手紙1章にこう書いてあります。
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の御言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、
また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのです。」
イエス様のみことば
「そこでわたしはあなたがたに言います。求めなさい、そうすれば、与えられます。捜しなさい、
そうすれば見いだすでしょう。
門をたたきなさい、そうすれば、あけてもらえるでしょう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからです。
あなたがたのうちで、父である人は、その子が魚を求めているのに、魚の代りにへびを与えるでしょうか。
卵を求めているのに、さそりを与えるでしょうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがありましょうか」。ルカ 11:9-13
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
お前たちを救ってやる
俺は必ずヤハウェを殺し
人間を神の呪縛から解き放つ
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
いくらお前らがくだらない聖書なんか読もうが神はお前らを救うことはない
全部、こじつけだ、絶対ヤハウェを殺す
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
372 :
優しい名無しさん:2010/11/18(木) 10:04:21 ID:O3/wkxOk
親は牧師で自分もクリスチャンの女が中絶したんだけど。
それってアリなの?殺人じゃん。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます。
わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
愛する兄弟のみなさん。わたしたちの主イエス・キリストのご来臨と、わたしたちが御座に集められることについて、
あなたがたにお願いすることがある。 霊により、または言葉により、あるいはわたしたちから宛てられたという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐに心を動かされたり、慌てたりしてはいけません。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教が起るからです。
そして不法の者、すなわち、滅びの子が必ず現れるでしょう。 彼は、すべて神と呼ばれたり崇拝されたりするものに反抗して立ち上がり、
そして自分で神の宮に座わり、自分こそ神だと宣言します。
わたしがあなたがたの所に滞在していた時、これらの事を繰り返して言ってきたのを思い出しなさい。
そして、あなたがたが承知のとおり、彼が自分の定められたの時になってから現れるように、
いま彼を引き止めておられる方がいらっしゃるのです。 不法の秘密の力は、もうすでに働いています。
ただそれは、引き止めておられる方が取り去られる時までのことです。 その時になると、不法の者が突如として現れます。
不法の者の到来は、サタンの働きによるのであり、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、多くの不義の惑わしを、
滅ぶべき者たちに対して行うためです。彼らが滅びるのは、自らの救いとなる真理に対する愛を受けいれなかった報いなのです。
そこで神様は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送って、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くようにされます。
しかし、主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはいつもあなたがたのことを、神様に感謝せずにはおられないのです。
それは、神様があなたがたを初めからお選びになって、聖霊による清めと、真理に対する信仰によって、救いを授けられたからです。
このために、わたしたちの福音によってあなたがたを召し、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるようにして下さいました。
そこで、愛する兄弟のみなさん、堅く立ち、わたしたちの言葉や手紙で教えられた御言葉を伝え、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな希望とを賜わってくださる
わたしたちの父なる神様が、 あなたがたの心を励まして、あなたがたを強めてくださいますように、
そしてすべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さいますように。(テサロニケ第二の手紙2:9-17)
最後に、愛する兄弟のみなさん。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の御言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、
あがめられますように。 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われますように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではありません。
しかし、主は真実なかたですから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるでしょう。 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、
また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信しています。 どうか、主があなたがたの心を導いて、
神様の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さいますように。 愛する兄弟のみなさん。主イエス・キリストの御名によってあなたがたに命じます。
怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 わたしたちに、どうならうべきであるかは、
あなたがた自身が知っているからです。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 人からパンをもらって食べることもしなかった。
それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけないように、日夜、労苦し努力して働き続けてきました。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、
わたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのです。(テサロニケ第二の手紙3:1-9)
また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べるな」と命じておきました。 ところが、聞くところによると、
あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことです。
こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じ、また勧告します。
愛する兄弟のみなさん。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがいいでしょう。
彼が自ら恥じるようになるためです。 しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さいますように。
主があなたがた一同と共におられますように。 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書きます。
これは、わたしのどの手紙にも書く印です。わたしは、このように書きます。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。(テサロニケ第二の手紙3:10-18)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
これにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
主よ、罪深き私たちを憐れみください。
主よ、全ての人をあなたのもとへお導きください。
主よ、揺るぎなき信仰をお与えください。
永遠にあなたの御名が讃えられますように。アーメン。
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神様にお願いしました。
そのつど返ってくる答えは、こうでした。
「いや、治すまい。 しかし、わたしはあなたと共にいる。 それで十分ではないか。
わたしの力は人が弱い時に最もよく現われるのだから。」 今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。
コリント第二の手紙12
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
これにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
390 :
弱い男:2010/11/20(土) 06:53:31 ID:MJIZV50l
会社にいくのが怖い。
神様どうか助けて下さい。
>>390 主イエスがあなたを守りささえてくださいますように。
聖書のみことば「私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神様にお願いしました。
そのつど返ってくる答えは、こうでした。
「いや、治すまい。 しかし、わたしはあなたと共にいる。 それで十分ではないか。
わたしの力は人が弱い時に最もよく現われるのだから。」 今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。
コリント第二の手紙12
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神様は、わたしたちを暗闇の力から救い出して、その愛する神の御子(みこ)の支配下に移して下さいました。
わたしたちは、この神の御子によってあがなわれました。すなわち、罪のゆるしを受けています。
神様の御子は、見えない神のかたちであって、すべての創造されたものに先だって生れたかた。
万物は、天地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな神の御子によって造られたからです。
これらすべてのものは、神様の御子によって創造され、神の御子のために造られたのです。
彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っています。
そして自らは、そのからだなる教会のかしらなのです。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかた。
それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためです。
神は、御心によって、神の御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、
万物、すなわち、天地にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さいました。 (コロサイ人への手紙1:13-20)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
あなたがたを堅く立てることができる方に、すなわち、わたしの福音とイエス・キリストの宣教によって、
また、世々にわたって封印されてきたが、 今や預言の書を通して、永遠の神の命令により、
すべての民を信仰の従順に至らせるために明らかにされるにいたった奥義の啓示により、
あなたがたを堅く立てることができる方、すなわち、唯一の知恵ある神に、
イエス・キリストをとおして、栄光がとこしえにあるように。 ローマ16章25〜27節
イエス・キリストは、 あなたの罪を清めるために十字架で血を流され、
天の父なる神の怒りを受けて死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する父なる神の怒りは、子なる神イエスキリストの十字架の死によって
なだめられ収まりました。
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
http://il.youtube.com/watch?v=xDVzYt5xilY&feature=related
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
http://www.youtube.com/watch?v=m4acskjFrIA&feature=related
キリストは、すべて信じる者に神の義を得させるために、ユダヤ律法を終らせました。
モーセは、律法による正しい行いをする人は、その義によって生きる、と書きました。 しかし、信仰による神の義は、
こう言っています、 「あなたは心の中で、だれが天に引き上げられるかと言ってはならない」。
それは、キリストを引き降ろすことになります。
また、「だれが底知れぬ所に下るのかと言ってはならない」。それは、キリストを死人の中から引き上げることになるからです。
では、なんと言っているのでしょうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口にあり、心にある」。
この御言葉とは、 わたしたちが宣べ伝えている信仰の御言葉です。
すなわち、自分の口で、イエス様は主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエス様をよみがえらせ
復活させたと信じるなら、 あなたは救われます。
なぜなら、人は心に信じて神の御前に正しい者とされ、口で告白して救われるからです。 聖書は、「すべて彼を信じる者は、
失望に終ることがない」 と言っています。
ユダヤ人とギリシヤ人との差別はありません。同じ主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を
豊かに恵みを下さるからです。
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」と書いてあるからです。
406 :
優しい名無しさん:2010/11/21(日) 22:41:25 ID:z/VEsmiG
神様愛してます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
神が本当に居るなら俺の前に連れて来い。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエスさまのみことば
「あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報酬を授けてくださいます。
また、祈る時、異邦人のように、くどくどと祈ってはいけない。彼らは言葉の数が多ければ、聞いてもらえると思っている。
だから、彼らのまねをしてはいけない。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じです。
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天の父上、御名が神聖なものとされますように。 どうか御国が来ますように。御心が天に行われるように、
地でも行われますように。 わたしたちの日ごとの食べ物を、今日もお与えください。
わたしたちが負債のある者をゆるしたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6:6-13)
もし、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、
あなたがたをゆるして下さいます。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、
あなたがたのあやまちをゆるして下さらないでしょう。
また断食をする時、偽善者がするように、陰気な顔つきをしてはならない。彼らは断食をしていることを
人に見せようとして、自分の顔つきでやつれたふりをする。
よく言っておきます。彼らはその報いを受けてしまっている。 あなたがたは断食をする時には、
自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 それは断食をしていることが人に知られないで、
隠れた所においでになるあなたの父に知られるためです。そうすれば、隠れた事を見ておられるあなたの父は、
報酬を授けて下さるでしょう。(マタイ6:14-18)
あなたがたは、虫が食い、さびつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人たちが押し入って盗むこともない天に、宝を蓄えなさい。
あなたの宝のある所に心もあるからです。 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいでしょう。
しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗い。だから、あなたの中の光が暗ければ、その暗さは、どんなものでしょう。
だれも、ふたりの主人を兼ねて仕えることはできません。
一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しみ他方を軽んじるからです。あなたがたは、神様と富に兼ね仕えることはできない。
(マタイ6:19-24)
だから、あなたがたに言っておきます。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思い悩んだり、
何を着ようかと自分のからだのことで思い悩んではいけない。
命は食物より優れており、からだは着物より優れているではありませんか。 空の鳥をご覧なさい。
蒔くことも、刈り入れることもせず、倉に取りいれることもしない。
それなのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さいます。
あなたがたは彼らよりも、遥かに優れた者ではありませんか。 あなたがたのうち、だれが思い悩んだからといって、
自分の寿命を少しでも延ばすことができますか。 また、なぜ、着物のことで思い悩むのですか。
野の花がどうして育つのか考えて見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言っておきます。
栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかったのです。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神様はこのように着飾って下さいます。
そうであるなら、あなたがたには、それ以上によくしてくださらないはずはないではありませんか。(マタイ6章)
ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い悩んではならない。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものです。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じです。
まず神様の御国と神様の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて与えられます。
だから、あすのことを思い悩んではいけません。あすのことは、あす自身が思い悩むでしょう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分ではありませんか。(マタイ6:25-34)
イエス・キリストは、 あなたの罪を清めるために十字架で血を流され、
天の父なる神の怒りを受けて死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する父なる神の怒りは、子なる神イエスキリストの十字架の死によって
なだめられ収まりました。
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
終末が来て欲しい。早く許されたい。祈ります。
神なんていない。
いる訳が無い。
救われない人が一人でもいるなら私はその人たちと苦痛を共にする
イエス・キリストは、 あなたの罪を清めるために十字架で血を流され、
天の父なる神の怒りを受けて死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する父なる神の怒りは、子なる神イエスキリストの十字架の死によって
なだめられ収まりました。
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
Q:イエス様とクリスチャンたちの永遠の住まいである
天のエルサレムとはどんな場所ですか。
A:喜びに満ちた天国の首都で、究極の楽園です。
神の都については素晴らしいことが聖書に語られています。
Q:天のエルサレムにはどうやったら行けますか。
A:罪ある人はだれも天のエルサレムには行けません。ですからあなたの罪を清め、
神に聖なる者と認められ、受け入れられることです。
なぜなら神は聖なる方と聖書に書いてあるからです。
Q:ではどうやったら自分の罪を清め、神に聖なる者と認められ、受け入れられますか。
A:はい、天地万物の創造者である神の子イエス・キリストを信じるだけです。
Q:イエス・キリストはわれわれに何をしてくださったのですか。
A:あなたが天のエルサレムに行けるように、イエス・キリストは、あなたの罪を清めるために
十字架で血を流され、あなたに対する天の父なる神の怒りを受けて死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する父なる神の怒りは、子なる神イエスキリストの十字架の死の刑罰によって
なだめられ収まりました。
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
「その真理とはこうです。神様と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。
そして人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、御自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、
両者の橋渡しをされました。」 (テモテへの第一の手紙2:5)
Q:天国の首都、新エルサレムに行くためには神様から聖霊を授かる必要があることがわかりました。
それではイエス様のいらっしゃる天国の首都、新エルサレムに行けるために神性にあずかり
永遠に罪から清められるためにどうやったら神の聖霊を神様からいただくことができますか。
A:主イエス・キリストを信じるだけです。
Q:ではイエス・キリストを信じるだけで、約束された聖霊の証印をおされるという御言葉はどこに書いてありますか。
A:聖書のエペソ人への手紙1章にこう書いてあります。
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の御言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、
また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのです。」
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
427 :
優しい名無しさん:2010/11/25(木) 18:15:51 ID:aE/HcRu5
りんごさん こんにちは ルリです。
おぼえていますか?
ルリは こころの 病気でした。
おばかな 病気の「パチンコ病」です。「やめたいのにやめられませんでした」
でも 治ったかも。はずかしい病気でした。
不思議な人の不思議な「言葉」。
その人は「ぱちんこはプロレスだよって」教えてくれました。
かみさまの お陰かも。
428 :
優しい名無しさん:2010/11/25(木) 18:31:21 ID:nB/FUaKW
キリスト教ってのは
イエスに何を言われてもイエスと言えという
冗談から始まったんだよ?
429 :
優しい名無しさん:2010/11/25(木) 23:55:42 ID:/o6Gxhv0
ルリは 神様が好き。
だって そんな気持ちだけが ルリの中で 純粋だから。
いつも 穢れてるし いつか 完全に 純粋に なりたいから。
キリスト教の歴史なんか どうだっていい 宗教は 知らないし わかんないし。
でも 求める 気持ちだけは ある。
430 :
容子 ◆nGyua6XN0s :2010/11/26(金) 12:29:23 ID:pL89H00R
容子も 神様が好きです^^
あぐりこと サイババが 好きです 笑
431 :
優しい名無しさん:2010/11/26(金) 15:06:34 ID:jgvTUw8j
容子さんって 宗教をみてるのかな。
ルリは 純粋に かみさまが 好きです。
ルリの かみさまは たぶん どこにも いない。
でも いるの。
矛盾を超えて 現実も非現実も超えて いらっしゃる
りんごさん ルリは ただ もどりたいだけ。
イエス・キリストの福音伝える信仰の友リンゴから愛する兄弟姉妹へ。
また、十字架スレを読んでいる皆さんと私たちクリスチャンの兄弟姉妹に、この手紙を送ります。
父なる神と主イエス・キリストが、あなたがたに、祝福と平安とを与えてくださいますように。
愛する人よ。 あなたのことを、私はいつも神様に感謝しています。
それは、主イエス・キリストにある、あなたの神様への愛と信頼とを見たからです。
それで、あなたがこの世で試練を耐える様子が、神様とクリスチャンの家族、
そしてわたしの心をもとらえ感謝の喜びにあふれています。
主イエスキリストの御名がほめたたえられますように。そして神様によりみなさんの信仰が守られ、
わたしたちの故郷である天のエルサレムで、われわれ神の家族一同、
喜びあえる日がはやく来ますように。アーメン。
リンゴの手紙より
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエス・キリストの福音を伝える信仰の友リンゴからルリ姉妹へ。
また、十字架スレを読んでいる皆さんと私たちクリスチャンの兄弟姉妹に、この手紙を送ります。
父なる神と主イエス・キリストが、あなたがたに、祝福と平安とを与えてくださいますように。
愛する人よ。 わたしはあなたのことを、いつも神様に感謝しています。
それは、主イエス・キリストにある、あなたの神様への愛と信頼とを見たからです。
それで、あなたがこの世で試練を耐える様子が、神様とクリスチャンの家族、そしてわたしの心をもとらえ
感謝の喜びにあふれています。
主イエスキリストの御名がほめたたえられますように。そして神様によりみなさんの信仰が守られ、
わたしたちの故郷である天のエルサレムで、われわれ神の家族一同、喜びあえる日がはやく来ますように。アーメン。
リンゴの手紙より
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
443 :
優しい名無しさん:2010/11/27(土) 19:59:23 ID:yd8gf5UY
世界中の宗教に見られる共通点。
・壮大な建築物やオブジェで威勢を張る
・歌、経、呪文、儀式等、信じ込ませる為の演出に尽力
・信者が財産の一部または全額を主催者側へ納める
また、世の中の人間を大きく分類すると、弱い心に付け込まれる人間と付け込んで利益を得る人間とスルーしてる人間の3種類。
そもそも神や仏なんて存在すらも科学的に証明されていないわけだが、
弱い心で付け込まれる人間は太古から存在し、カモられる人とカモる人の歴史は長い。
まともな人の思考とは、科学的に証明すらできていない事象に対しては「まず存在しないだろうな」という見地から始まる。
あえて予想や空想を働かせてみたとしても「もしかしたら居るかもしれないね(笑)」のレベル。
そこで「絶対に神は存在する」「聖書は神が発した言葉が載っている」と盲信するのは、精神欠陥者として確定している証拠である。
人それぞれでいいと思います。
祈って解決するような問題なのか・・・それは、人間それぞれの滑稽な価値観によるものです。
宗教にカモられる人々とカモる人々によって、多少は世界経済も潤っているのでしょう。
信者の方にはもっとお金を使って欲しいと思っています。
「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の御言葉がありましたら、
どうぞお話し下さい」と言わせた。 そこでパウロが立ちあがった。
そして手を振りながらこう言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがた、どうかお聞き下さい。
この民、イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、
御腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出されました。
そして約四十年にわたって、荒野で彼らを大切にはぐくみ育て、 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、
その地を彼らに譲り与えられました。 それらのことが約四百五十年の年月にわたったのです。
その後、神は裁き人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時にまで及びました。
その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、
彼らにおつかわしになったのです。
それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされました。彼については、こうあかしをなさいました。
『わたしはエッサイの子ダビデを見い出した。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、
ことごとく実行してくれるであろう』と、このように仰せられたのです。
神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救い主イエス様をイスラエルに送られましたが、
ご来臨される以前に、ヨハネがイスラエルの全住民に悔改めのバプテスマを、
あらかじめ宣べ伝えていました。
ヨハネはその一生の行程を終ろうとするにあたって、こう言いました、『わたしは、あなたがたが
考えているような者ではありません。しかし、わたしのあとからいらっしゃるかたがおられる。
わたしはそのかたのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
愛する兄弟たちよ、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。
この救いの御言葉はわたしたちに贈られましたが、エルサレムに住む人々やその指導者たちは、
イエス様を認めずに死刑にし、それによって、安息日が来るたびに朗読する預言者の御言葉が成就しました。
まったく死に当る理由が何も見いだせなかったにもかかわらず、ピラトに強要してイエス様を殺してしまいました。
そして、イエス様について書いてあることを、すべて成し遂げてから、人々はイエス様を木から取りおろして
墓に葬り去りました。 しかし、神はイエス様を死人の中から、よみがえらせてくださったのです。
その後イエス様は、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れになり、
彼らは今や、人々に対してイエス様の証人となっています。
わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのです。
神は、イエス様をよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになりました。それは詩篇の第二篇に、
『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるからです。
また、神がイエス様を死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てないものとされたことについては、
こう言われました。
『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と。
だから、ほかの箇所でもこう言っておられます、
『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。 事実、ダビデは、その時代の
人々に神の御心にしたがって仕えましたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、
ついに朽ち果ててしまいました。 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのです。
だから、愛する兄弟たちよ、この事を承知してください。すなわち、このイエス様による罪のゆるしの福音が、
今やあなたがたに宣べ伝えられています。
そして、モーセの律法では神の御前に正しい者と認められることができなかったすべての事についても、
信じる者はもれることなく、イエス様によって神の御前に正しい者と認められるのです。
だから預言者たちの書に書いてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。
『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去るがいい。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をしよう。
それは、人がどんなに説明して言い聞かせても、あなたがたにはとうてい信じられない事である』」。
ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信仰深い改宗者たちが、パウロとバルナバとに
ついてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神の恵みにとどまっているようにと、説きすすめた。
そして次の安息日には、ほとんど全ての市をあげて、神の御言葉を聞きに集まってきた。
するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口汚く反対した。
パウロとバルナバは大胆に語りはじめた、「神の御言葉は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。
しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしてしまったのです。
だから、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行く。 主はわたしたちに、こう命じておられます、
『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである』」。
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の御言葉をほめたたえてやまなかった。
そして、永遠の命にあずかるように定められていた人は、みな信じるようになった。
こうして、主の御言葉はこの地方全体にひろまって行った。
ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動し、パウロとバルナバを迫害させ、ふ
たりをその地方から追放した。 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行ったが、
弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。 (使徒行伝13:13-52)
皆さんそろそろクリスマスですね
今年も教会の前でヘイトジーザスを叫び
1冊でも多くの聖書を焼きましょう!
Fuckin' YHWH!!
453 :
弱い人:2010/11/29(月) 07:11:16 ID:K69oy7Bs
今日も泊まり勤務で精神的、肉体的に辛い。
神様どうか一日無事で仕事が終われますように。
アーメン
454 :
優しい名無しさん:2010/11/29(月) 15:01:39 ID:IcOLz/hV
>>443 ルリは ちょっと かんがえてみた。
かみさまを 宗教から 解放するのも 人間の お仕事かも。
もしかしたら 人間には かみさま回路が 組み込まれてる。
ルリは カモじゃないし カモにもならないし スルーもしない。
ただ 必要な感覚だと 思う。
イエス・キリストの福音を伝える信仰の友リンゴから愛する兄弟姉妹へ。
また、十字架スレを読んでいる全ての皆さんに。
父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに、慰めと祝福と平安とがありますように。
主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。
あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。
あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです
詩篇25篇
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれます。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
Eイエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
Fあなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
Gイエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
Hこれにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
Iイエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
Jキリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
K神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
☆信じる者には王国が与えられ、クリスチャンたちは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
さらに天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになったのです。
ここに愛があります。 ヨハネ第一の手紙4:10
福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
(ローマ 1ー17)
韓国発祥の偽装キリスト教会における深刻な問題一覧
不法滞在 「執事」「○○長」などの役員や神学生が不法滞在。
偽装結婚 ビザ目的での偽装婚に日本人を勧誘し引きずり込む。
献金強要 聖書の一部を恣意的に引用し恐怖を煽って脅し取る。
詐欺行為 「牧師」が平気で嘘をつき、追及されてもごまかす。
奉仕強要 健康や生活維持に関わりなく、無償作業を要求する。
強制猥褻 「牧師」が女性信者に乱暴したり愛人化するらしい。
牧師崇拝 「牧師が何をしても非難してはならない」などと言う。
弟子訓練 信者たちの時間を大量に拘束しカリキュラムを行う。
身分差別 団体内で階級制度を作り、支配したり威圧したりする。
早朝祈祷 真冬でも早朝からあるので凍死や疾病の危険がある。
徹夜断食 同じく、健康や生命の維持に対する配慮が全くない。
人種差別 何かにつけて日本人を迫害し、歴史的な恨みを晴らす
465 :
優しい名無しさん:2010/12/02(木) 00:54:21 ID:8NAkgUD7
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになったのです。
ここに愛があります。 ヨハネ第一の手紙4:10
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する兄弟のみなさん。わたしたちの主イエス・キリストのご来臨と、わたしたちが御座に集められることについて、
あなたがたにお願いすることがある。 霊により、または言葉により、あるいはわたしたちから宛てられたという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐに心を動かされたり、慌てたりしてはいけません。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教が起るからです。
そして不法の者、すなわち、滅びの子が必ず現れるでしょう。 彼は、すべて神と呼ばれたり崇拝されたりするものに反抗して立ち上がり、
そして自分で神の宮に座わり、自分こそ神だと宣言します。
わたしがあなたがたの所に滞在していた時、これらの事を繰り返して言ってきたのを思い出しなさい。
そして、あなたがたが承知のとおり、彼が自分の定められたの時になってから現れるように、
いま彼を引き止めておられる方がいらっしゃるのです。 不法の秘密の力は、もうすでに働いています。
ただそれは、引き止めておられる方が取り去られる時までのことです。 その時になると、不法の者が突如として現れます。
不法の者の到来は、サタンの働きによるのであり、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、多くの不義の惑わしを、
滅ぶべき者たちに対して行うためです。彼らが滅びるのは、自らの救いとなる真理に対する愛を受けいれなかった報いなのです。
そこで神様は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送って、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くようにされます。
しかし、主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはいつもあなたがたのことを、神様に感謝せずにはおられないのです。
それは、神様があなたがたを初めからお選びになって、聖霊による清めと、真理に対する信仰によって、救いを授けられたからです。
このために、わたしたちの福音によってあなたがたを召し、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるようにして下さいました。
そこで、愛する兄弟のみなさん、堅く立ち、わたしたちの言葉や手紙で教えられた御言葉を伝え、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな希望とを賜わってくださる
わたしたちの父なる神様が、 あなたがたの心を励まして、あなたがたを強めてくださいますように、
そしてすべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さいますように。(テサロニケ第二の手紙2:9-17)
最後に、愛する兄弟のみなさん。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の御言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、
あがめられますように。 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われますように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではありません。
しかし、主は真実なかたですから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるでしょう。 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、
また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信しています。 どうか、主があなたがたの心を導いて、
神様の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さいますように。 愛する兄弟のみなさん。主イエス・キリストの御名によってあなたがたに命じます。
怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 わたしたちに、どうならうべきであるかは、
あなたがた自身が知っているからです。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 人からパンをもらって食べることもしなかった。
それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけないように、日夜、労苦し努力して働き続けてきました。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、
わたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのです。(テサロニケ第二の手紙3:1-9)
485 :
優しい名無しさん:2010/12/06(月) 18:23:53 ID:65LHNE8r
聖書の世界観に興味があったけど、このスレ見てやっぱりこんなもんなんだ‥って萎えた。
>人間革命&宿命転換目指して『日蓮大聖人の仏法』
↑創価やってる友達のメールより
宗教やってる奴ってなんでこんなにウザいの?
486 :
優しい名無しさん:2010/12/06(月) 18:29:33 ID:65LHNE8r
聖書売りのおじさんはうちの黒犬を『悪魔』扱い、説明している間ずっとチラチラ見てて「この犬噛み付くんでしょ?」だと。失礼な!
「はい」って嘘ついたら早々と帰って行ったwww
487 :
優しい名無しさん:2010/12/06(月) 18:31:40 ID:65LHNE8r
ルシファーも元々は天使だったんだよね?悪魔崇拝の方が興味あるんだけどさ…
イエス様を信じ、神様をほめたたえましょう。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになったのです。
ここに愛があります。 ヨハネ第一の手紙4:10
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
コリント第二の手紙
Q:神であるイエス・キリストはわれわれに何をしてくださったのですか。
A:あなたが天のエルサレムに行けるように、イエス・キリストは、
あなたの罪を清めるために十字架で血を流され、 天の父なる神の怒りを受けて死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する父なる神の怒りは、子なる神イエスキリストの十字架の死によって
なだめられ収まりました。
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
「その真理とはこうです。神様と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。
そして人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、御自分のいのちを、
全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされました。」
(テモテへの第一の手紙2:5)
神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、 ご自分の子供としての
特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
492 :
優しい名無しさん:2010/12/07(火) 16:52:39 ID:RQ/vZ/7u
ルシファーこそ真の天使!追放した神に罰を与えるのだぁ〜!!
魔王復活祈願
正直ギリシャ神話のほうが好き
Q:天国の首都、新エルサレムに行くためには、神様から罪の清めの証として聖霊を授かる必要があることが
聖書にかいてありました。
それではイエス様のいらっしゃる天国の首都、新エルサレムに行けるために神性にあずかり
永遠に罪から清められるために どうやったら神の聖霊を神様からいただくことができますか。
A:主イエス・キリストを信じるだけです。
Q:ではイエス・キリストを信じるだけで、約束された聖霊の証印をおされるという
御言葉はどこに書いてありますか。
A:エペソ人への手紙1章にこう書いてあります。
「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の御言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、
また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのです。」
イエス様のみことば
「そこでわたしはあなたがたに言います。求めなさい、そうすれば、与えられます。捜しなさい、
そうすれば見いだすでしょう。
門をたたきなさい、そうすれば、あけてもらえるでしょう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからです。
あなたがたのうちで、父である人は、その子が魚を求めているのに、魚の代りにへびを与えるでしょうか。
卵を求めているのに、さそりを与えるでしょうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがありましょうか」。ルカ 11:9-13
>>487 キリスト教の世界観だとヤハウェは唯一の神だから
悪魔も神から作られた物なんだ
で悪魔=堕天使
で堕天した天使を悪魔と呼んでいるわけ
ヤハウェぶっ殺す殺す
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになったのです。
ここに愛があります。 ヨハネ第一の手紙4:10
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
Fuckin' YHWH!!
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