自殺決行日までの僅かな日々を語るスレ Part16
いままで自分が書き込むなんて思っても無かったこのスレに
書き込むことになるなんて少し残念な気持ち半分、ここの仲間になれたような気持ち半分で
いまちょっとドキドキしています。不謹慎ですみません。
子供のころからレストランは誕生日くらいしか連れて行ってもらえないほどの貧乏でした。
だから自分はこんな生活から抜け出したくて一流といわれる大学に入れるように
中2からめっちゃ勉強しはじめました。両親も苦しい生活費の中から全色チャートやら
古文完成ノートやら買ってくれました。でも。やっぱり入れなかった。
理由は遊んでたんです、高3の夏。悪いこともいっぱいしてました。
中学はいってからずっと真面目と地味で通ってた自分にショックを受けたのか、
母が首を吊りました。親父にも呆れられた。でもそのあと必死にお願いして
勉強再開しましたが、当然落ちました。悔しかった。
中2〜高2まで必死になって積み上げてきたものが崩れていった。
女の子と遊ぶことはおろか男友達とも日曜しか遊ばなかった。
なのにあの夏のせいですべてめちゃくちゃになりました。
当然浪人なんぞさせてもらえるわけも無く、地元のコンビニで働き始めましたが
2ヶ月でやめてしまいました。その間親父も体を壊してしまい、自分が介護できるわけもないので
老人ホームに入ってもらいました。
バイトをやめてからは収入などなく、当然毎月お金もも払えません。
だから今、自分の生命保険から払います。
千日壮の支配人様
1年以上滞ってすみませんでした。お待たせしました。
母
なんも孝行できないままでごめんなさい。
父
生きてる間くらいのお金は払えるから安心してください、こんなことしか出来なくてごめんなさい。
両親にはほんと感謝しています。こんな俺を育ててくれてありがとうございました。
次なんてないことは分かってるけど、もし次があれば孝行させてください。
汚い文すみませんでした。書いてたら気持ちにけりがつきました。
万が一俺のことわかる人がこれを見てても
親父や親戚にはここのこと言わないでくださいね
知り合いにこんなところ見せたくないので
最後にトリップに好きな漫画だけ書かせてください。
それで俺の事後報告とかしてしてくれるかな?
では皆さんお先に失礼します。
平成二十二年二月二日 中村敏久