†鬱・不安・自殺・パニック† 精神病と食事 ▽2

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312優しい名無しさん
肉食
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%A3%9F

仏教 [編集]

仏教では肉食を“にくじき”と読む。
原始仏教では、比丘(僧侶)は糧(かて)をその日ごとで
乞食(こつじき)することにより食を得たが、決して肉を得ることは
無かった。正しい方法で得たものだけを食していた。
しかし、その後、南方の上座仏教に伝わると、地理的な習慣から、
比丘は肉食をしている場合がある。

釈迦が亡くなった原因は食中毒、もしくは食中毒による下痢である。
その原因となった料理はキノコ料理である。
ただし、一部の学者からは豚肉料理であったと主張する者もいる。
釈迦がその料理を食べる前に、他の者に食べさせないように語った
言葉が残っている。

しかし、南方アジアに伝わった上座仏教では、その後、肉食は、
殺生戒に触れるため、殺す所を見なかった肉、供養のために
殺されたと聞かなかった肉、自分の為に殺された疑いの無い肉という
“三種浄肉”であれば食しても問題はないとされた。
その後、命終した鳥や獣の肉、鳥の食べ残した肉を加えて“五趣浄肉”、
さらに“九種浄肉”であれば、肉食しても構わないという制限が作られ、
食べられるようになった。

これに対し、北方に伝来した大乗仏教の経典、『楞伽経』では
「浄肉というものは存在しない」と明確に説く。また、慈悲心に基づいて、
すべての肉食を制限するという傾向が時代が経つにつれ強まり、
中国では食物を葷(くん=肉や臭い野菜)と精進料理に分け、
はっきり禁制するようになった。したがって日本もこの影響を受けた。
とはいえ、大乗仏教も上座部と同じく“悟りを得る”というのが
最大の目的である。そのため、そのような細かい制戒に捉われるのは、
かえって悟りを妨げると考える僧侶も現れた。
たとえば一休は周囲の仏教界に反発心の表れで肉食や飲酒した風狂な
例として有名である。また、特に親鸞は、戒律を守る人間が善人で
救われるのであれば、戒律を守ろうとしても守れない悪人は救われない、
悪人こそ救われるべきではないか、という疑問から自らを非僧非俗と呼んで、
末法に戒律は不必要という立場から、ついに“肉食妻帯”を行った。
日蓮も末法無戒から肉食を禁制していない。