●第二次世界大戦中、占領されたドイツや東欧諸国の捕虜や市民も、スパイ容疑で無差別に根こそぎ連れ去られた。
ソ連軍に占領された地域は、ソ連兵によるレイプ・略奪の地獄絵図となった。
レイプはソ連軍が1944年に東プロシアとシレジアに入った時に始まった。
多くの町や村では10歳から80歳までの全ての女性がレイプされた。女性はソ連兵に見つかり次第レイプされた。
町のいたるところにレイプされ斬殺されたドイツ女性の死体がころがった。
進軍するソ連軍部隊は、強制収容所においても、ドイツ女性と同様、
ものすごい数のロシア女性、ポーランド女性をレイプした。スターリンと彼の司令官たちは、レイプをドイツ女性ばかりか、
同盟国のハンガリー、ルーマニア、クロアチアの女性に対しても許すか、正当化さえしたのだ。
●ソ連軍がベルリンに突入して制圧した際、スターリンは兵士に対し「ベルリンはおまえたちのものだ」といい、3日間の“祭り”を許可した。
ベルリンのドイツ女性のほとんどがソ連兵によってレイプされ、連合軍に届けられたものでも10万件を越えた。
また暴行による自殺者は6000人を数えた。
レイプの規模は、1945〜48年の間、毎年200万のドイツ女性が非合法に妊娠中絶した事実から暗示される。
ドイツ全体で少なくとも200万のドイツ女性がソ連兵にレイプされた。ソ連軍の強姦率は80%だった。
ソ連当局が病気のまん延を心配し、敵との親交に対し、東ドイツにいるソ連軍兵士に重罰を課すようになったのは、
1946年から47年の冬になってからのことであったという。
●1945年8月9日、スターリンは突如「日ソ不可侵条約」を破って日本に戦争を仕掛け、北方領土を奪い、満州に侵入した。
この満州でもソ連軍はレイプしまくった。
日本の連合軍への降伏により、日本軍は38度線を境に、南鮮はアメリカ軍、北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。
南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引き揚げたが、北鮮では31万の日本人がそのまま残っていた。
もともと北鮮に住んでいた27万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。
北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、レイプをほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。
白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的に拉致された。
反抗した者、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。虐殺・餓死・凍死などで無念の死を遂げた民間人は20万人にも達した。
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