1 :
1:
何故日本人は生きるより死を選ぶのか
2 :
優しい名無しさん:2006/01/21(土) 20:49:34 ID:+CMOchhn
2
3 :
1:2006/01/21(土) 20:53:37 ID:jc4GhZC7
生恥を晒すより死を選ぶ方が高貴であると言う観念がある
物乞いするより切腹して死んでしまおうみたいな
そのような行動は「潔さ」として評価される
4 :
優しい名無しさん:2006/01/21(土) 21:09:22 ID:nOGwiTFh
葉隠読めよ
5 :
優しい名無しさん:2006/01/21(土) 21:23:56 ID:VzQHWdsM
なんたって
武士道とは死ぬことと見つけたり
だからね
6 :
優しい名無しさん:2006/01/21(土) 21:26:08 ID:CijttxXv
武士道を語りたいなら糞スレたてんな。さっさと池。
7 :
1:2006/01/21(土) 21:33:18 ID:jc4GhZC7
いや、このスレは武士道形而上学の批判克服を目的として居る
薄められ大衆化された武士道イズムはストレス刺激に対して安易な死を選択する傾向を助長するのではないか
むしろ死を覚悟して危機を乗り越える哲学こそが武士道にはあった
8 :
1:2006/01/21(土) 21:38:26 ID:jc4GhZC7
死を覚悟して自由を得ると言うのが悟りの本質だと思うが
「いざとなったら死んじゃお」的な死を生の延長と見る気風があるように思う
日本人はよく「死んだら無に成る」とか口にするのだが
その割に生にしがみつかない
9 :
1:2006/01/21(土) 21:44:38 ID:jc4GhZC7
「死に物狂い」と言う言い方
死を覚悟した在り方が日常的自我から見て「物狂い」的行動をもたらす事を示唆して居る
殆ど日本人は日常でこの「死に物狂い」を実践して居るのだと思う
10 :
1:2006/01/21(土) 21:47:28 ID:jc4GhZC7
つまり日本人は普段から死んで居るのである
ふだん死を前提として生きてるから、自殺っても余り区別が無いのである
「今更」なのである
何故なら日常が既に自殺の上に成り立って居るからである
非常に宗教的な民族だと思われる
11 :
優しい名無しさん:2006/01/21(土) 21:50:03 ID:YOahYmHq
・・・で?
なにが言いたいんだい?
12 :
優しい名無しさん:2006/01/21(土) 23:32:02 ID:VzQHWdsM
要するに死んだらあかん!って事だよね
13 :
1:2006/01/21(土) 23:38:19 ID:jc4GhZC7
いや真の武士道精神を取り戻そうと言う話です
武士道とは死を覚悟して「善い」事をする事です
生にしがみついて居る観点では世俗的利害関心が邪魔して出来ない事でも死を覚悟すれば出来ます
死を覚悟すれば死さえ乗り切れるのです
何故なら人生最悪の事態とは死であり
死を覚悟するならば起こり得る事は何でも無い事ばかりなのです
Show me your HARAKIRI
デーモン小暮閣下を思い出した。
だから、
2ちゃんねるで文句言ってる奴=典型的な日本人
なんだって。
武士道っても日本人のほとんどが農民の出でしょ。
18 :
1:2006/01/22(日) 06:25:58 ID:nfPZR0Xc
情けない事言うな
武士道とは家柄では無く生き様だ
19 :
優しい名無しさん:2006/01/22(日) 10:15:12 ID:tX6RRroT
( ゚д゚ )
┻
【 ゚д゚ 】
日本が一番 病んでるから・・・
ほとんどの奴が武士道を曲解している
取り敢えずきっかけとして新潮文庫の三島由紀夫著 葉隠入門を読め
正しいとは思わんが眼から鱗だ
23 :
オジャル○:2006/01/25(水) 13:58:02 ID:42rjDFH2
マロはやんごとなき貴族でおじゃるフォッフォッ
反社会学の不埒な研究報告って本で
武士道とか葉隠をさんざんコケにしていたのを思い出した。