【文武両道】 高学歴の野球選手

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138神様仏様名無し様
朝日新聞昭和43年12月24日付

「ほしい合理的精神」

“サラリーマン新治氏” プロ野球の世界を語る

 東大出のプロ入り第一号とさわがれた大洋の新治伸治投手が、今シーズンを限りにユニホームを脱いで、サラリーマンになった。
「まだ、これを渡すのがうれしくてね」と笑いながら出した名刺に、大洋漁業 海外事業本部 貿易部 冷凍第一課 新治伸治 とあった。
 「野球をやっていた四年間、回り道をしたという人もいますが、普通の人がしたくても経験できない世界をのぞいただけでも
よかったと思っています」
 ―――ところで、その四年間をふり返って、プロ野球というものをどう感じた。
 「野球は一日一日が勝負。働ける期間も十年ぐらいで、それだけに密度の濃い毎日を送ることです。
ところがこのきびしさを忘れがちになります。こういう私自身も、いまになって知ったことですが・・・」と頭をかく。
 「プロ野球選手は一つの商品。その評価はグラウンドで決められるものです。
それなのに日本の場合、野球の世界へ持込むべきでない義理人情に多く左右されて、合理的な精神に欠けています。
野球は技術を要求されるもので、義理人情とは関係ありません」
 ―――では理想的な姿は。
 「選手各自が、まず基本的な立場を考えることだと思います。ほとんどの人が統一契約書の内容を熟知していません。
この一番身近にある、大事なことをまず知るだけでもレベルアップです。それに、若くて野球しか知らない人を
せり合わせるでしょう。そのうちで成功する人は少ない。失敗した人はそのまま社会にほうり出されます。
オーナーも少しは道義的な責任を感じてほしいですね」
 野球をやめるなり親会社へかえり、新しい職場についた自分に引きかえ、なかなか次の職が
定まらない数多い選手たちのことを思って、新治氏は、一瞬きびしい表情になった。


 ちなみに昭和43年12月とは、東京・府中で「3億円事件」があり、大学紛争の悪化にともなって
新治さんの母校でもある東大が史上初めて入試を中止とすることを決定した、そんな時代だった。