>>103 ダイエー 後半戦の台風の目
日ハム ダンディズム近藤監督
ロッテ 巨人より強かったww
「福岡の鷹」
この年の3強による争いを一つの「ドラマ」と例えるなら、それに出演した“名脇役”と言えるのがこの年後半戦の福岡ダイエーだった。
昭和に終わりを告げると共に南海の身売りにより大阪から福岡に移転、再出発したダイエーだったが前半戦は最下位に低迷。
特に新本拠地・平和台で8勝21敗。それまで80年代全てBクラス、最下位4度のチームだったとはいえ新しい福岡のファンは嘆いた。
あるファンは帽子のロゴを指して「これは“ふがいない(F)”、“だらしない(D)”、“はずかしい(H)”の意だ」と嘆いた。
弱体投手陣が失点を重ねて敗れるパターンが多く前半終了時は30勝44敗4分け、5位ロッテに2ゲーム差の最下位だった。
しかし球宴明けは「門田博光の移籍によりさらに得点力低下」と開幕前予想された打線が福岡の土地に合った豪打を見せた。
トニー・バナザード、ウィリー・アップショーの両外人に山本和範のクリーンアップが固定化し打ちまくれば
サヨナラ本塁打3本のパリーグタイ(当時は日本新)含む26本塁打のプルヒッター・岸川勝也、
対西武8点差大逆転の試合での決勝3ランに満塁で6の4、2本塁打の満塁男・藤本博史
他にも若井基安、広永益隆といった20代の若鷹たちがファンを沸かせ終わってみればチーム本塁打がリーグ2位の166。
弱かった投手陣も打線に助けられた加藤伸一、村田勝喜、吉田豊彦ら若手が勝ちだし、タイトル獲得の守護神・井上祐二も復調した。
後半戦は29勝20敗。“たら・れば”は禁物だが後半だけなら西武に次ぐ2位。オリックス、近鉄を上回っていた。
3強との対戦成績も近鉄に2つ勝ち越し、オリックス(1つ)・西武(2つ)には負け越したものの大善戦。
ロッテ戦の9勝15敗が響きトータルで5割にあと5つ届かなかったが杉浦監督は就任4年目で59勝64敗7分けと一番の成績を残した。
ところで10/5の大逆転試合。試合後杉浦監督はこう言った。
「なんちゅう珍しい試合や!何が珍しいって今日は全部ノーサインやったからなぁ」
杉浦監督が現役だった頃の南海の豪快な野球は身売り、移転をしてもまだ残っていたのか。
“平和台元年”を大いに盛り上げ125万人を動員し杉浦監督はひっそりと退任した。
「魔術は冴えず」
あのマジシャンがパリーグにやって来た。中日、大洋の監督を歴任し中日では82年に巨人を逆転で優勝させた近藤貞雄だ。
独自の投手理論、アメフト野球、大胆なコンバート、スーパーカートリオを生んだ63歳の老将が初のパリーグ球団・日本ハムで
この89年何をするのかと話題になった。
前年88年リーグ1位の防御率ながら少数精鋭の投手陣は中日時代のやりくり継投で、乏しい打力は大洋時代に見せた機動力駆使でという戦前の予想。
数少ない大砲トニー・ブリューワが腰痛から戻る事もあり「優勝も」の前評判さえあった。
春キャンプからいきなり「西武包囲網」や「バント不要発言」などメディアを引き付ける発言が次々と出た。
しかし“肩は消耗品”の持論からくるキャンプ中の「投げ込み禁止日の設定」には選手が驚いた。
4・5月はその調整法の影響もあったのかまずまずの出足だった。GW中に6連勝、5月下旬にも4連勝。
柴田保光を先発に戻し佐藤誠一を救援に回す配置転換も決まり5月終了時で3位の貯金1で5.5差とまだ圏内だった。
開幕から7月8日までサヨナラ試合は7連勝。近年出番を減らし腐っていた古屋英夫や島田誠にもやりがいを取り戻させた。
しかし中日、大洋時代同様近藤魔術には副作用があった。西武包囲網の急先鋒と目論んでいたレオキラー・松浦宏明が1勝に終わる誤算。
投げ込みながらフォームを作る松浦は「キャンプで投げ込まないのは勇気がいることなんです」と2月から近藤理論に反論していた。
登板イニングが入団当時から毎年多かったエース西崎幸広、柴田ら歓迎派もいたが西崎も防御率を約1点落とし
津野浩にいたっては防御率5.50と大きく落とした。肝心の西武戦も後半の3勝10敗が響き9勝16敗と大きく負け越した。
8月下旬に7連敗、その後もシーズン終了まで4度の4連敗があったこともあり案の定解説者陣から
「投げ込み不足によるスタミナ切れ」という過去にも聞いたような批判が飛んだ。
バント不要論も例外ではない。その数西武の約半分の91。確かに前年比で打率も2分上昇し盗塁の数も101上回ったが得点はリーグ最下位に終わった。
これではバント不要論も強がりにしか聞こえなくなってしまう。
その後も大沢啓二らからバント論の“標的”にされながら挑発に乗らず94年まで西武監督を“淡々”と務めた森祗晶は後に間接的に
「私だって負けてファンが許してくれるのならやらせない」とバント論争の度にこう言うにとどまった。
「消えた維新の夢」
ロッテの、いやプロ野球を代表するスラッガー・落合博満が抜けて生じた「大砲不在」の問題が解消されないまま2年が過ぎた。
さらにその間投手陣の新旧交代も上手く図れないままでいた。つまり投打の不安点がそのまま3年間残ったままという事だった。
指揮官は87年から在任している有藤道世。この「ミスター・ロッテ」だからこそチームの弱点を知る男。
どうしてもやりたくて巡って来た監督の座ではなかった。それでもチームの変革を夢見たのは確か。就任時には、
「チームの精神面の弱さを改善しなければいけない、だからハードにビシバシ練習させるコーチが反対したが僕はやると決めたらやる」
いわゆる“団塊の世代”であり、自身も新人時代に猛練習で名手・前田益穂から定位置を奪い取った経験がある。
坂本竜馬のお膝元である土佐市出身の有藤が“オリオンズ維新”を目指すべく「歯を食い縛った先に未来があるはず」と思うのも無理はない話だった。
しかし現実は厳しかった。
就任3年目を迎えたこの89年も先発転向の牛島の好投に村田兆治の200勝フィーバーこそあったものの仁科時成、水谷則博らからの若返りは
うまく進まず今野隆裕、伊良部秀輝、吉岡知毅らの若手投手も伸び悩んだ。若手・中堅をを容赦なく起用する反面、ベテラン村田や牛島は中6日以上を貫いたのも選手の反感を買った。
落合の穴も依然埋まらず候補に挙がっていた古川慎一が応えられず全体の戦力不足は否めない部分もあった。
西武勢に代表される“新人類”の台頭など有藤の精神論が今の選手に通用しないほど時代は変化していた。
結局この年も8月22日最下位に沈んだまま浮上できずに2年連続最下位でシーズンを終了させた。
勝率も在任3年間で.440、.422、.398と年々落とす結果になりオフに辞任。辞任時も「諦めが早く、精神力がない」と有藤は言ったが
18年間球団を見ていたが故に知り過ぎて自身の先入観で見切りを決めてしまっていた事もあったのではないか。
そんな低迷期でも89年は村田が13年ぶりの最優秀防御率、西村徳文が4年連続盗塁王でチームからも4年連続のタイトル獲得者。
他にも愛甲猛が初の3割打者、新外国人マイク・ディアズが3割30本100打点、牛島の12勝など粒は個人成績を見ても投打ともに揃っていた。
タイトルであろうと初の3割であろうが最終戦まで欠場させず出場させて達成させるあたりも“土佐のいごっそう”の有藤らしかった。
そして88年の10.19に続きこの年も10月にオリックスに対し17点の大勝を含め優勝圏外に葬る2勝を挙げた。
竜馬のようにとはいかなかったが3年間を振り返ってともし質問したらきっと有藤は、
「消化試合でも最終戦の最後までプロらしく一生懸命やるという面は出せた」と毅然とした表情で言うだろうと思った。
108 :
神様仏様名無し様:2010/09/12(日) 20:16:24 ID:nQCFudb2
西武としては、天王山で近鉄に連敗した事で事実上終戦になったけど
むしろその少し前のダイエー戦の大逆転負けの方がよっぽど痛恨じゃなかった?
今野とか吉岡とか関とか、名前を見ただけで暗黒臭がする。
そのくせこの年のオリックスやあの近鉄を邪魔したし。
かといって今年のヤクルトみたいな猛チャージをかけたわけでもない。
本当に迷惑チームw
近鉄が優勝を決めた試合、
最後に阿波野が抑えに出てきた(そして吉井はブチ切れて胴上げに参加せず)が、
3アウト取るのにフラフラ。ストレートも140km/h超が皆無に等しかった。
なんか、翌年以降の衰えを暗示していたような気が今でもする。
111 :
神様仏様名無し様:2011/03/05(土) 21:10:03.29 ID:FBVkQZWd
熱かった年なのに過疎。だからアゲ
112 :
神様仏様名無し様:2011/03/06(日) 22:45:02.53 ID:GlHzLvu9
ダイエーにしては、よくやった年。良い品どんどん安くのダイエー。
>>110 9回は鈴木貴・大石と神守備の連発だったな。
>>110 阿波野は3年目にして変化球投手になっていた。
他、四球が増えていた。
3年目は立派な成績だったけど内容は1,2年目ほどには良くない。
116 :
神様仏様名無し様:2011/03/16(水) 08:48:11.09 ID:JRQSu8uO
もしかしたら、10月5日のダイエー戦はその後の対近鉄ダブルヘッダーの結果を暗示してたのかな?
この年に一軍出場した選手で現役が中嶋だけになったこと
(セなら山本昌、山崎武、木田)
去年までなら大道、堀もいた。
工藤は未定
119 :
神様仏様名無し様:2011/03/19(土) 22:18:46.26 ID:Tcl9aLsq
当時のパのセカンドはホントに人材豊富だったな。
知名度の差で辻しか知らない人もいたけど…
120 :
神様仏様名無し様:2011/03/22(火) 07:25:49.44 ID:CnwRK+0b
10/5の西武―ダイエー、10/13のロッテ―オリックスと、勢いやモチベーションからして
西武やオリックス圧倒的有利なはずなのに思わぬ形で足をすくわれるのは何故なんだろ?
まぁ、理由など付けられないから勝負事なんだろうけど、ダイエーやロッテは「いたって気楽にやったら勝ってしまった」のかな
>>121 この年の福良は不調じゃなかった?前の年じゃないの?
>>119 大石だって江川の9連続三振を阻止して有名だったと思うけどなあ。
というか、今がセカンド冬の時代すぎて泣けてくる。
日ハムの田中くらいしかまともなのがいない。
アライバは完全に劣化してるし。
セは篠塚正田宇野高木和田(ヤクルト誰だっけ?)
パは辻大石福良白井西村(ダイエーは?)
>>123 片岡、本多はまともだろ。まだ若いから暫く働けそうだし。
セの方はマジで人材不足過ぎるな。
ちなみにこの時代はショートがイマイチだった。
セ・川相高橋慶立浪池山(阪神大洋?)
パ・田辺小川田中(あとの3チーム?)
125 :
神様仏様名無し様:2011/03/28(月) 21:10:56.04 ID:ZBOXI0IO
128 :
神様仏様名無し様:2011/04/01(金) 02:39:50.74 ID:/v9wRycW
hou
>>123に上がってる連中がそれほど豪華とは思えんが
宇野がセカンド中心だったのは88年のみ
打率も微妙だし、長打力は大石や白井以外はかなり下位の連中
その大石や白井だって成績にムラがあるし
89年はOPSやRC27のような得点能力指標だと正田と大石がやっと平均程度
それ以外は全員、平均を下回る
守備面を考えたら確かに少しだけ豪華かもしれないが、打撃では今の二塁手と大差無し
つうか今の二塁手なら守備は劣化してるが、打撃はその挙がってる連中より明らかに上の
井口が居るけど
外国人が日本人に暴行することが目立った年ですな。
リベラ →関口
アップショー →西村
ブーマー →門田
最後のは暴行というか・・・
あとバナザードが意外と暴れなかった。
132 :
神様仏様名無し様:2011/04/02(土) 23:56:29.71 ID:VmmJJEN6
外国人は短期だからな
134 :
神様仏様名無し様:2011/04/03(日) 16:42:25.26 ID:l2/jvFJX
平沼対清原か懐かしい
キヨはこの時ディアズに取り押さえられたのがショックで、それが後の
格闘家のトレーニングに繋がってるのか。
そういえば最近ここまで派手な乱闘少ないな。
やっぱヒジあてができてから激減したね。
膝
138 :
神様仏様名無し様:2011/04/06(水) 00:16:25.36 ID:gLeaCk1a
思い出すわ〜。
この年。
3チームに一桁マジックが出たんだよね。
(オリックス:6、西武:2、近鉄1→優勝)
長いことプロ野球見てるけど、3チームがここまで混戦になったシーズンって、他に知らないわ。
139 :
神様仏様名無し様:2011/04/06(水) 02:49:31.04 ID:m7aZhS2/
1〜3位までが最終的に勝率2厘差という大混戦だったね。
去年のパ・リーグも、最後の最後まで大混戦で凄かったけど、クライマックスシリーズのせいでぶち壊しだったな。
1989年にクライマックスシリーズなんて物が有ったら、この歴史的な混戦も台無しになってたかもな。
はいはい
スネのプロテクターはこの頃にはチラホラ見受けられてたかな?
だけどヒジあてはまだかなり後。
(新庄が最初だったかな?)
当時のパをセにおきかえたらこんな感じかな。
西武→中日
近鉄→巨人
オリ→阪神
ハム→ヤクルト
ダイエー→横浜
ロッテ→広島
>>135 ディアスの行動が大変アメリカ人的だと思った。
チームメイトへのデッドボールに対する報復がデフォだったり、
アメリカのチーム連帯感は凄い。
サッカーの話になるが、
ジーコが現役時代に審判に抗議してボールにツバはきした時に
鹿島のチームメイトが全然ジーコを護る発言をしなかったのは凄く日本的。
144 :
神様仏様名無し様:2011/04/26(火) 23:22:04.27 ID:shidFaM4
吠えろ!ライオンズ
145 :
1:2011/05/17(火) 01:58:08.70 ID:OpVhrTQZ
>133
このスレ立てた本人だけどこの動画を見た人は1の文章が思いっきり
プロ野球ニュースのパリーグ回顧の影響・・てかパクリで書いたのが
ばれるなw
オレ的には3強の熾烈な争いは当然ながらBクラス3チームのファンも
かなり楽しめたシーズンだったという点でも奇跡的なシーズンだった
と思うんだ。
オレの周りソースですまんが春先はFファンが「今年はいける!」と
春先の近藤ラッパの勢いもあって乗り気だったし、一方でOファンは
村田の200勝に号泣していた。Hファンは不人気上等と思っていた贔屓
球団が何だかしらんがお客さんが入っていることに不思議がっていた(w
後半は前半いいところがなかったHファンが強気になるなる。「なんで
今年(1989)は前後期戦じゃないんだ」なんて言ってたし。さすがにF
&Oは発言が減ったが、最後に来てオリオンズがBの夢を打ち砕くって
のがまたドラマチックだった・・・が友人のOファンはBファンに申し
訳なさそうだった・・・
「いいことも見せ場も何もないシーズンだった」と思うBクラスチーム
がないシーズンは不勉強だったらすまんがオレ的にはこの年以外に思い
出せないんだよね・・・・ていうのがスレ立てた理由でした。人気がセ
に偏っていた時期だから知名度が低いシーズンだったかもしれないけど
面白かった年だったよ。 長文スマン
146 :
神様仏様名無し様:2011/05/18(水) 00:45:54.74 ID:M0Xdf8GU
この年はバナザードとかリベラみたいな凶暴な外人もけっこういたな
あと島田紳助が福岡に行くのを嫌ってオリックス入りした門田の事を
批判してたね
147 :
神様仏様名無し様:2011/05/18(水) 03:08:01.00 ID:tuO8um2+
148 :
神様仏様名無し様:2011/05/18(水) 07:48:05.77 ID:gCvNRYxs
リベラと言えばリベラマイルドの大がかりなCM
149 :
神様仏様名無し様:2011/06/04(土) 21:58:46.36 ID:0yqJW/S0
あくまでも結果論になるけど、西武は10月5日のダイエー戦に勝っていれば
12日の近鉄ダブルヘッダーの結果は違っていたかな?
どう考えても、10月5日の大逆転負けがダブルヘッダー連敗の兆候だった気がしてならないんだが。
オリックスは、3番松永・4番ブーマー・5番門田・6番石嶺・7番藤井の方がさらに強力打線になったんじゃない?
オリックス敗退の兆候は平和台で二桁得点しながらホークスに打ち負けた試合だな。