( ^Å^) 園川 一美
園様年表勝手に増補改訂版園1
1985 日米大学野球で大活躍、体育教師の道をあきらめる
1986 ドラフト二位で巨人など計4球団から指名を受けながら、ロッテというもっともふさわしい道に導かれる
しかし一位の座を高校生石田雅彦に奪われたことに「なんでこの僕が二位指名なんですか!?」とキレて
一度はプリンス行きを決意 12日放置されたうえに渋谷ハチ公前でスカウトと待ち合わせて交渉、結局折れる
1987 初めて規定投球回数に達する 13失点ながら、無理やり完投させられる
5月、柏崎での南海戦でプロ野球史上最後のサスペンデッドゲームに登板、中断決定時の投手となる
1988 あの10.19の第二試合に先発、自分への歓声と思いながら投げる ついでにこの年は生涯雄一の二桁勝利もマーク
1989 規定投球回に達しながらもなんと、防御率6.10!!以後両リーグとも規定投球に達した投手で6点台はいない
1990 西武戦で伊原三塁コーチャーの怪しい動きによりボークを取られる その際怒った金田監督が
高木一審をぼこぼこ!にして退場処分、これにより審判も怒って訴えたあと辞職
1991 秋田での近鉄戦でトレーバーの内角を攻めて怒らせてしまい乱闘騒ぎを呼び起こす この時カネやんは転んでるトレーバーの
頭に蹴りを一撃加えたが、退場になったのはトレーバーただ一人 園様は逃げるものの捕まってしまう→
ttp://www.youtube.com/watch?v=fSrRxHhfHKc 1992 金田監督から八木沢監督へ、川崎から千葉マリンへ、オリオンズからマリーンズに変更になったため園川も沈静化
1993 生涯で一番の投球回数をマーク その代償に15敗して二度目のリーグ最多敗戦に輝く
1994 伊良部に続くチーム二位の7勝!!をマーク 前田にかわって左のエースになる 9月、イチローにシーズン200本目の
ヒットを打たれ「いや、僕一人で200本打たれたわけじゃないですし」の名言を残す
1995 伊良部小宮山ヒルマン河本成本らで強力投手陣が形成されチームも二位へと躍進したため、
いつもと変わらない園川も好投手に祭り上げられる なおバレンタインに「ソノカワはクレバーなサウスポーだ
メジャーでも通用する、連れて帰りたい」とは言われていない