■■■年度別WBC日本代表を想像してみるスレ■■■
過去の野球日本代表の大まかな戦跡
1919〜1922年(1880〜90年生):アメリカの大学となら、10回に1回は勝てるレベル。
1923〜1926年(1890〜1900年生):関東大震災により、日本内地より満州台湾のほうが強化された。
1927〜1930年(1895〜05年生):都市対抗でもわかるように、内地より満州の方が強かった。
1931〜1934年(1900〜10年生):レフティとかルースとかの米に全敗。ハワイにも劣り、フィリピンより弱かった。
1935〜1938年(1905〜15年生):沢村を擁し、ニグロリーグにはかなわなかったが、
フィリピンには互角だった。
1939〜1942年(1910〜20年生):いわゆる中等野球東海黄金時代の選手達により、
ハワイと互角だったフィリピンより強かった。
また、満州国(全員日本人選手)も日本とほぼ互角だった。
1943〜1946年(1915〜25年生):台湾高砂族選手を複数擁し、戦争中でも1950年代の日本より強かった。
1947〜1950年(1915〜31年生):敗戦後でボロボロになった身体能力で、戦禍を全く受けなかった台湾や香港や韓国や北朝鮮より弱かった。
1951〜1954年(1921〜32年生):2.28白色テロで台湾が、朝鮮戦争で韓国が日本より弱体化、
しかしグアムサイパンフィリピンには勝てず。
1955〜1958年(1925〜36年生):アジア大会でグアムやフィリピンには圧勝できるようになった。
1959〜1962年(1930〜40年生):長嶋〜稲尾世代、ハワイの大学や2Aとほぼ互角の試合が出来るようになる。
米はマントル&マリス&メイズの3Mクリーンアップ。
1963〜1966年(1935〜44年生):まだ長嶋〜稲尾世代、ハワイ3Aとほぼ互角の試合が出来るようになる。
1967〜1970年(1940〜48年生):小学生時に占領軍による栄養失調だった戦中生れ世代、
なので一時的にハワイは勿論グアムやフィリピンにも勝てなくなった。
1971〜1974年(1941〜52年生):キューバ等中南米との交流開始、団塊中心のこの頃は、当時から無敵のキューバに5試合中1試合は勝っていた。
1975〜1978年(1946〜56年生):所謂江川世代が中心になったが、ニカラグアやホンジュラス(双方ともWBC不参加)にコールド負け。
1979〜1983年(1951〜58年生):江川〜原世代のベテラン中心で技術を全面に出すも、
ロス五輪アジア予選で郭泰源の台湾と宣銅烈の韓国に惨敗。
1983〜1984年(1959〜62年生):技術よりパワーの山中正竹イズムで、広沢達若手に切り替えマクガイア米を粉砕しロサンゼルス金。
1985〜1988年(1959〜68年生):山中正竹イズムで野茂古田等を発掘し、台韓中南米を粉砕するも、
アボットの米に惜敗のソウル銀。
1989〜1992年(1960〜69年生):アメリカ大学勢にはコールド勝ちできるようになったが、キューバにはまだ手も足も出ずバルセロナ銅。
1993〜1996年(1968〜77年生):団塊Jrが日本代表に入る年代として、王者キューバと互角の試合が出来るようになり、アトランタ銀。
1997〜2000年(1965〜80年生):上原等でアマだけでキューバと互角に戦えるようになったが、GHQチルドレンによるプロアマ交流混乱でシドニー4位。
2001〜2004年(1967〜81年生):1970年代生れが中心でキューバに勝る戦力を持ったが、シゲヲ儲が足を引っ張ってアテネ金同。
2005〜2006年(1970〜84年生):ファンタジスタ王が監督でも、イチローを筆頭とした団塊Jrが日本代表を引っ張りWBC優勝。