【石毛】森西武を語るスレ【工藤】

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644神様仏様名無し様
私は1981年の秋、ライオンズの監督就任が決定した数日後から、
秋季、冬季の自主トレーニングに立ちあった。マスコミは「広岡流の
管理野球が始まった。」などと喧伝した。ヤクルト時代の年中無休の
イメージを重ね合わせて、そう思い込んだらしい。しかし、私はその時
正確に言えば、まだライオンズの監督ではなかった。契約書に調印は
したが、その契約書によれば、私の契約は1982年1月1日から発行す
ることになっていたのだ。契約時の話し合いで「それ以前の秋季練習など
を視察するのは拒まないけれど、それに対する報酬は支払われない。」と
なっていたし、根本陸夫前監督の「まあ、のんびりして、来季になってから
ボチボチやってくれよ。」という話に、私も、「そうさせていただきましょう。」と
答えたものである。ところが数日後、私と共に入団が決まった森昌彦、
近藤昭仁両コーチらと雑談中、誰からともなく、こんな話が出た。「せっかく
秋季練習をやっているんだから、ちょっとのぞいて見ませんか。選手を見て
予備知識を仕入れておくのことも無駄じゃない。」スポーツ新聞は若手選手
だけではなく田淵幸一、山崎裕之らのベテランも汗を流していると伝えている。
「では、退屈しのぎにちょっと行ってみるか」ということになった。ごく軽い気持ちで
見物するつもりだったのだが、見物しているうちに、私たちの気持ちは大きく揺れ
動き始めた。

645神様仏様名無し様:04/01/14 16:08 ID:7fHpmcJs
選手達の動きを目で追いながら、私は金縛りにあったように立ち
つくしていた。いつの間にか、その自主トレーニングに魅了されて
いた。森昌彦が耳元でささやいた。その声は、興奮のためか、震え
ていた。「いけますね、これは。」その言葉は、今でも私の耳に残っ
ている。私も同じ思いだったからである。その時の私は、表現のしよう
のないなにかに感動し、身体中の血が騒ぎはじめていた。
私は、選手達のプレーぶりや、トレーニング法が見事だったから
感動したのではない。彼らの技術は明らかに未熟といえた。
トレーニング方法にも欠陥が目立った。 しかし彼らの肉体はたくまし
かった。みんなバネがある。瞬発力も鋭い。このことは、プロ選手
としての技術を吸収し、身につける上で欠かせない基礎体力の養成が
ほぼ近づいていることを意味している。もちろん全員がそうだとは
いえないが、予想以上に多くの選手が、そのレベルに達していた。
「ウーン、ここにいると・・・・」と言いかけた私の言葉をさえぎるように
森がまたささやいた。「巨人軍の選手が子供に見えますね」
私は思わず吹き出した。その森の言葉が、彼に告げようとしていた
私のセリフとまったく同じだったからだ。
646神様仏様名無し様:04/01/14 16:19 ID:7fHpmcJs
豊かな素質を秘めた選手が予想をはるかに超えて多いことも
発見できた。未完成だが、同レベルの選手達が、横一線に並んで
競い合っている。そんな感じの自主トレーニングだった。そのせい
だろうか、全員がキビキビと動いていた。コーチにハッパをかけられて
いるわけではなかった。全員が自らの意志で動いていた。自主性が
芽生えているのは明らかだった。しかも、彼らの態度は、真面目で
ひたむきだった。「いいムードですね」近藤が言った。森が「当分の間
毎日、僕らも見学にきましょうか。」 「そうするか。」と私。この場合、
森のいう「見物」とは、私達の自主トレーニング参加を意味していた。
私たちはライオンズに魅せられ、引きずり込まれた形で、彼らの
自主トレーニングに自主参加することになったのである。しかも無報酬で・・・
つい一時間前には思っても見なかった成り行きになった。私には
コーチの経験も、監督の経験もあった。だが、指導する側が、指導される
側に引きずり込まれて指導するというのは、初めての体験だった。