三国志・戦国時代のめがねについて語るでござる
2 :
-7.74Dさん:2009/06/20(土) 11:10:18
>>1 当時は両面非球面が主流だったとの言い伝えがあるね。
それから永らくロスト・テクノロジーとなり、
近年やっと再現可になったわけだ。
赤壁の戦いの際、曹操はあまりにもSHOR50FCしすぎて
呉の火計に全く気付かなかったらしいからな。
徳川家康は江戸幕府を開いたあと、南蛮渡来のメガネをよく使っていたそうだ
書物を読む際に使っていたらしいし、老眼だったのかな?
4 :
-7.74Dさん:2009/06/20(土) 20:43:19
自演かな?
近視、遠視矯正が日本に入ってきたのは明治以降だよね
日本で最初にメガネを手にしたのは織田信長
家康はメガネ似合うかも
8 :
-7.74Dさん:2009/06/21(日) 11:16:03
>>7 家康は合戦中は天武をしてたみたいだな。
察するにフェニックス素材との組み合わせかも?
三国志の時代にメガネはないだろw
10 :
-7.74Dさん:2009/06/27(土) 08:29:12
>>9 >>2を読め。
レッドクリフでの曹操は濃い目のフルカラーにしてたもんだから、
呉の火計に直前まで気付かなかったという。
諸葛亮も祭壇上で祝詞読み上げる時はGPW15VS―Hだったし
11 :
-7.74Dさん:2009/06/28(日) 10:49:41
こじつけばっかし
老眼鏡とか何時頃からあるんだろう?
眼鏡の発明者や発明の年代ははっきりとしないが、
1306年2月23日水曜日朝にフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェーラ教会において行われた説教の中で、
修道士フラ・ジョルダーノ・ディ・リヴァルトが眼鏡について触れ
「この20年以内の発明である」「発明者と話をしたことがある」と述べていることから、
遅くとも13世紀末のイタリアでは製作されていたことが分かる。当初の眼鏡は、もっぱら老眼の矯正に用いられた。
中世において眼鏡は知識と教養の象徴であり、
聖人の肖像には、たとえ眼鏡発明以前の人物であっても、眼鏡がしばしば描き入れられた。
また、日本にメガネを伝えたのは、宣教師・フランシスコ・ザビエルで、
周防国の守護大名・大内義隆に謁見した際に献上したのが最初といわれている。
軍師はメガネ似合うな
16 :
-7.74Dさん:2009/06/30(火) 14:11:28
三国志のパラレルだが、恋姫†無双の軍師はほとんどメガネっ娘
カラコンを忘れないでね
19 :
-7.74Dさん:2009/07/04(土) 10:42:02
>>18 碧眼というくらいだからカラーはブルーだのう。
ブルーのカラコンで、あなたも孫権に!
(◎-◎;)
22 :
-7.74Dさん:2009/07/08(水) 14:32:26
>>21 いやいや、それ瓶底だしw
軍師たるもの、せめて非球面1.90ガラスしてくれやw
23 :
-7.74Dさん:2009/07/11(土) 14:09:44
SNGYやSNBLの85FCなんかで作製しようもんなら
水計ワカンネくなる
24 :
-7.74Dさん:2009/07/14(火) 02:43:01
だから〜 三国志の時代にメガネはないだろw
>>4 家康がメガネ愛用してたのは歴史的事実なんだけど
コンタクトレンズはダビンチが最初に作ったらしいね
27 :
-7.74Dさん:2009/07/22(水) 23:51:58
28 :
-7.74Dさん:2009/07/25(土) 13:17:34
諸葛亮にiD16VG使わせたら北伐は成功していた
29 :
-7.74Dさん:2009/08/02(日) 14:40:41
魏延が度付アイガードしてたら子午谷突破で諸葛亮涙目w
当時もあったのか
つ、蟲師の世界における虚繭人工内耳と虚繭ラジオくらい。