堂本さんを千葉県知事にする会

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「被告人らは、犯行当日の昭和64年1月4日午後8時ごろから同10時までの間、約2時間にわたり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、さらに長さ約20センチメートル、直径2センチメートルの蝋燭2本のとけた蝋を被害者の顔面にたらした上,短くなったろうそくをその両眼瞼にたて、あるいは500cc用パックにはいった尿を強引に飲ませるなどし、また倒れている被害者を引き起こしては手拳で顔面を殴打し、あるいは顔面、腹部、大腿部を足蹴にし、被害者が鼻血をだし、火傷部分から血濃がでるや、手に血等がつくのをいやがり、ビニール袋でてを包んだうえ、再び数十回にわたり顔面、腹部を手拳で殴打して転倒させ、顔面等を足蹴にし、引き起こしては顔面、腹部等を手拳で殴打するなどの暴行をくわえ、さらに重さ約1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打し・・・・・・」
「なんでもするから家に返して」と必死に哀願するにもかかわらず、全裸にしておどらせたり、自慰を強要し、直径3センチメートルの鉄棒や飲料水オロナミンcのびんを陰部に挿入したり、陰毛をそり、足首等をライターの火で焼いて火傷をおわせたり、あるいは再三にわたり、無理やりシンナーを吸引させるなど残虐非道の行為をくりかえした。
湊  伸治(27才:当時16)S47、12生まれ
犯行現場の部屋の主、『出所後、もう終った事と爆弾発言』
父:湊 靖人(共産党員:当時49)母:湊ます子(共産党員:当時42)

湊の両親は2人とも共産党幹部。
警察が逮捕状を持っていった段階で
速攻で弁護士を用意し、
家宅捜索も弁護士立ち会いの元で行われた。
党は、事件後すぐの段階で湊の両親を除名し、
「共産党とは一切関係がありません」と発表。
そして、「監禁という認識がなかった」「少女は帰る気がなかった」
等の湊の母親の自己弁護的記事を赤旗によって
同年、5月20日〜27日まで連載コラムでバックアップ。

共産党・橋本敦議員(参議院)の発言

さまざまな少年事件は、社会全体の構造の歪みや
受験戦争などの教育の歪みといった背景の中で
おきてくるものです。・・・
被害者による報復主義には反対ですし、20歳未満の少年は
まだまだ未熟ですから、教育し、更生させていく必要が
あるんです。(インタビューより)