津山市政の公正性と透明性

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187名無しさん@お腹いっぱい。
拾うてきといたで。

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音大移転を指示したのは、津山の裏の実力者、宮脇町の平井元一朗
さんじゃったのじゃよ。
音大地元の平井淳雄さん達に一時金がはいるようにねらっての指示
だったらしい。そして一時金は元一朗さんの売上に直結するのじゃな。

音大地元の平井さんたちがまた大変でな、13万平米の土地を戦後
のどさくさで自分たちの登記にしてしまった。(昭和25,26年「贈与」)
鉱山会社に売って儲け(昭和14年特殊会社法ー「帝国鉱業開発株式会社」)
仕事にして戦場から逃れ(手選別の選鉱場ー国分寺の「銅鉱」)
           (岡山県史には津山市国分寺に鉱物の記載はない)
敗戦でただで取り戻し(同23年、会社は戦後第2回の衆院予算委員会に
           2億2150余万円の損失補償費を報告して、解散。)
ゴミ処理場として長年使用料を受け取り(平成16年は約489万円)
遂には、平成17年度の市会計から2億円弱を受け取って市の所有
  にしてもらった。(113,636平米、1億9978万円)
まだ、最終処分場が移転する時には長年の埋め立て物の始末料を
  考えてくれと言いよる。(淳雄さんの息子、津山農協の平井通泰さんか?)
まあ、使っても使っても減らん原子炉のような飯の種じゃ。
うらやましいもんじゃ。