天皇制は日本の歴史を象徴する
憲法においては第九条とともに、天皇についてもタブー視されがちなところです。
天皇制の護持を主張することが即軍国主義への回帰だとするような極論は
ごく短い一時期の昭和前半だけで日本の歴史を総括する暴論でしかない。
いまの日本には戦前の軍部のように天皇の名のもとに政治を壟断する勢力などないし
これからもそんな愚挙にでる政治など誰も許しはしまい。
このことは欧米にもアジアにも声高く訴えて行くべきですが、憲法第一条の天皇の関わりで
世界唯一の司祭王である天皇制に象徴される、日本の文化の特質、
ひいて政治の特性についての現憲法の記述は日本文化の特質を踏まえており、
日本国民の意思によるものです。
そして今後も天皇制が日本の文化の象徴として日本社会の見えざる核として
存続するためにも、むしろ天皇の政治に関わる国事行為は軽減され形式的なものに絞り、
真の文化的国家像をつくるべきではないでしょうか。そしてまたそれによって
皇室のあり方、たとえばいたずらに「開かれた皇室」といったものの
是非が再考されるべきに違いない。
かつての戦争の本質は一時期欧米流の近代主義を模倣するあまりに日本もまた
軍事大国としての植民地主義に向かったという否めない事実でしょう。
しかし私たちは根本では欧米の国々とは異なる文化を持っていて、最後は欧米連合と
真正面から衝突することになってしまい、結果近代植民地主義の間違いを顕在化させたとも
いえます。いずれ歴史が日本のこの過程での役割の功罪を
冷静に評価する時代がくるでしょう。そのとき世界は欧米に対抗した極東の日本の、
日本人のアイデンティティである天皇に改めて刮目するに違いない。
日本の天皇制は諸外国の王制とはまったく異なった歴史を持っています。
日本の皇室が血の連続性によって継承されてきたのに対し、
外国の王制は権力の連続性によって存続してきたのです。天皇を中心にした歴史の継承、
血の継承であってけっして権力ではない。
百人一首にある天智天皇の「秋の田のかりほのいほのとまをあらみわが衣手はつゆにぬれつつ」
という歌は天皇が稲作に従事していたことを意味していますが、今でも宮中には田があり
儀式的にせよそこで天皇自ら稲をつくられています。そして毎年その年に収穫された新穀
伊勢神宮つまり天照大神に奉る神嘗祭、十一月二十三日天皇が新穀を天神地祇に供え、
自ら食す新嘗祭は今日まで営々とつづけられています。
天皇が一代に一度即位後に行わう大嘗祭は黒木(皮のついた丸木)で新造された
悠紀殿、主紀殿において来臨している皇祖神天照大神と初穂を共食することで、
天皇は豊穣を保障する穀霊と化し、天照大神の子として新たな資格を身に付けると考えられてきました。
それについて折口伸夫氏は天皇霊のよみがえりと解釈した。
つまり個々の天皇は生きそして死ぬが、
天皇霊なるものは個人の生死をこえて生き続けるということです。
日本人にはこのよみがえりの思想があり、伊勢神宮が二十年ごとに建て替えられるのも
古い木の生命が滅びないうちに神社を新しい木によってつくり直し、
古い木がもっていた霊力を新しい木に移すためだと梅原猛氏は指摘しています。
これらのことは古来天皇がけっして権力ではなく権威ある祭司であったことを示しています。
だから何十年に一度という昨年の冷害による大飢饉の時には天皇に災害地のお見舞いや、皇室外交よりも
白装束で拝殿に何日間かおこもりして断食もし、
国民のため収穫のため祈祷をしていただきたいと、私などは思います。
きらびやかな皇室外交よりも国民に代わって祈祷の行を終えられた天皇がヒゲぼうぼうでやつれてしまった
お姿を現わされることで、国民は理屈を超えた敬意と尊崇を抱くでしょうし、政治の及ばぬ信頼が寄せられると思います。
昭和天皇が崩御前の重症の床の中から侍従に今年の米の出来具合いを質されたというあの挿話が
私たち国民の胸を強く打つのも、それがまさしく日本の天皇ならではのことであり、
外国の王様なんぞに希んでもありえぬ姿であるということの故です。
日本の天皇というものがこの国家にとって何であるかということを体現されたのだと思う。
神秘ならざるものに永続性などありはしない。
天皇への私たちの心の深奥にある尊敬と畏怖は先天的に根付いてい、日本人の価値観と精神風土を規制しながら
その中で継承されてきました。日本独特の精神風土には人間のある種の本能にきざした
シャーマニズムが核となっており、それを洗練されたかたちで様式化し、しかもそれを日常生活まであまねく
浸透普及させました。その様式化されたシャーマニズムである新党の祭司として、つまり司祭王として、
世界唯一の存在が天皇です。エジプトのファラオが滅亡して以降は世界史から他に消えた
宗教の最高の祭司が、国の頂点の権威として日本には存在しているということです。
国民はそれをきちんと認識しておくべきだし、
同時に皇室自身もわきまえていただきたい。
天皇の存在は従来も一個の人間を超えた歴史の象徴として日本人の中に常にあり続けてきたのだと思います。
大阪大学の加地伸行氏は直裁に
「天皇は本質的に民主主義と相容れない存在である。天皇が民主主義を引けば引くほど
民主主義と背反する自己矛盾に陥るだろう。法律学者がどのように屁理屈をこねようと
天皇と民主主義は論理的に整合しない。天皇は国民の人気となどどいう浮ついたものを求める必要はない。
国民の前に姿を現わす必要など毛頭ない。宮中奥深く天皇一族が祭礼を中心にして静かに生きること
そして天皇家の生命が存在し続け、日本の歴史を象徴的に表現すること、そこに天皇制の
大いなる意義がある」と述べていますが、まったくの同感です。
昭和天皇が崩御されたとき、首相だった竹下さんと官房長官だった小渕君が呼ばれて
遺体が安置されている部屋に通された。そのときの小渕君の述懐だが、
何の飾り気のない部屋で実に粗末なベッドに非常に古いリノリウムが敷いてあって、
先帝はその上に寝ておられたという。小渕君があまりに部屋の印象が質素粗末なのに驚いて
「陛下はいつもこの部屋で寝ておられたのですか」と聞くと「ここが天皇のご寝所です」と侍従が答えた。
昭和天皇は日頃、国民が目にすれば愕然とするくらい粗末な生活をしておられた。
そのことは昭和天皇のお人柄を彷佛とされるがとても大事なことだと思う。
皇室は開かれる必要などないし華美である必要もない。
なぜなら文化の祭司、最高の神主だから。
いまの日本社会に必要なのは一種の禁欲主義だと思います。それは学校教育ではなかなか徹底しないが
天皇というまさに政治を含めた文化の核しての存在が、それを体現されれば万民納得する、
とは行かなくとも大変な波及力があると思う。天皇は黙って禁欲に耐えていることを示すことで
静かなる絶対者となりうるし、国民は弱い者への思いやりや本当の徳というものが培養されてくると思う。
つまり私たちの中には天皇は論議の必要のないほどに確固として存在してきたし、存在し続けるが、
それゆえにこそイギリス王室に倣ったりしての開かれた皇室である必要はまったくない。
週刊誌とかがしきりに数億円の費用をかけて皇室外交としてヨーロッパにいかれたとか、
むこうで神道の国の皇后陛下がアベマリアを弾き、その衣装代が何千万円と報道しては
歴史の徴姓も権威も、なにか虚しく感じられて白けてしまう。
マスメディアに皇室をさらして、開かれた皇室などの言葉で皇室の権威を奪うのがリベラルだデモクラシーだという
錯誤を本気で続けていると今の今上天皇が次の代に変わったときには、
ただの風俗として残るだけであって何の権威もなくなってしまいかねない。
権力ならば長期間の存続は必ず弊害をもたらすが天皇は日本人がよりどころにした
心の権威であり皇室の権威失墜を歴史の淘汰と捕らえるような
愚かなことが無いように願いたい。
かりに天皇が単なる風俗として結局ミニスカートの消長のような浮ついたものでしか無くなったならば、
日本は天皇に代わるアイデンティティがないだけに民族の特質も独自の文化も、
さらには日本の歴史そのものが本質的な危機にさらされるのではないか。
日本人のだれもが誇れる国を来世紀にむけて創造するためにも、
この天皇制を本来あるべき歴史の象徴像として確認するべきであるとおもいます。