埼玉県知事選挙

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81武正支持者
民主の武正がなぜ上田を応援しないで浜卓をやるのかわからないとか、単なる浜卓
の層化攻撃は埼玉の政治を知らないやつ。

もともと浜卓は松永とともに1区の自民の代議士だった。旧浦和の中川市長は松永
系で、相川が浜卓と組んで中川の多選批判で市長をもぎ取ったことから、以降対立
しつづけたのである。小選挙区制度になって浜卓が落選、そして参議院に転出。そ
の間に相川・浜卓ブロックは衆院に武正を出し、松永はあえなく落選。

松永の落選中に浜卓は自民に復帰したかったけど、自民県連が復党を許さず、しか
たなく公明にワラジを脱いでいるだけ。さいたま市では、相川市長と浜卓+武正が
保守の主流なのだよ。相川市長と武正は、次の選挙を考えれば地元のブロックを解
消するわけにはいかないし、浜卓の票の出方がそのまま自分の当落に直結するから。

上田は政治を志してから自民党の議員になりたかったけど、落選つづきで果たせず。
勝狂組織の連中の支援を受け念願の代議士に、政界再編で浜卓とは同じ新進党に属
し、党の解体で進路が分かれたけど、過去のシガラミ続きで支援のあり方はいろい
ろなのだ。

現在の上田の保守改革派としての政策が本物かどうかを理解するには、これらの政
治上のバックボーンを知れば自ずと明かであろう。

菅や枝野の主流派と対立する同じ民主党の保守改革派だからといって武正が自動的
に上田支持にいけない理由と、いかない理由は別にあるということなのだ。

だからこそ、私設秘書をめぐるアイダ設計とのシガラミや、切っても切れない勝共
連合のつきあいが、装われている保守改革派イメージとのギャップ・落差をどこま
で隠せるのか課題となるだろう。