無限に付いて語る。実無限VS可能無限

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>>71(”さん)
>実数列{f(n)} は具体的手続きで与えられるし,
>f(n) のどれとも異なる実数 x も{f(n)}を調べながら具体的に作れるわけです

 そう思います。実数f(n)を1000番目まで作れば、その1000個と異なる実数xは、根気があれば作れます。
 これは、f(n)のnが10でも1000000でも1000000000でも変わらないこともわかります。nの大小は、この際関係ないですね。なぜなら、xを作る「規則」が与えられているのだから、具体的手続きによってxを作り出す行為を何回でも繰り返せるから。
 この「数を作る、ある規則に従うのであれば、何回でもその手続きを繰り返してよい」というのは可能無限の立場でもあるわけですが、この場合、「実数全体」なんていう考えが登場する余地がないと思うのですが?
 だって、実数xを作る手続きは何回でも繰り返せるのだから、「ここまでが実数全体」という風に枠で囲ってみても、その枠からはみ出す次の実数は手続きを実行すればあっという間に作れるじゃないですか。
 だから、60さんが言うような「実数全体」なんて概念が、僕には理解できないのです。対角線論法というのは、>>72さんが言うように、「これまでの手続きで作り出したどの実数とも一致しない、新しい実数を作り出す方法」でしかないのであって、「自然数全体と実数全体の濃度が異なることを証明する方法」ではないのでは、と思うのです。