無限に付いて語る。実無限VS可能無限

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228似非構成主義者
>>225
「定式化」というフォーマルな話だったら「排中律を仮定しないと、
ツォルンの補題と選択公理は同値にならない」ということに尽きる。
私はブッチャケたところを説明するために「感覚」の話をあえてして
いるのだ。
 ツォルンより整列可能性を選択公理を使って証明するときの「感覚」
で説明しよう。A を任意の集合とする。もし A が空ならそれで終り。
もし空でなければ A から勝手な元 a を取る。A\{a} が空ならそ
れで終り。もし空でなければさらに A\{a} から勝手な元 b を取る。
このような操作を「超限的」に繰り返せば、いつかは A が空になり、
取り出した順番で整列順序がつく、という寸法だ。ただ、各ステップで
勝手な元を取り出しているから、これを「いっぺんに」並べるために選
択公理を使うわけだ。
 ところがそもそもこの各ステップでは「考えている集合が空であるか
元を持つかいずれかである」という排中律を使っている。A が無限集合
なら、まさに「排中律を無限回使っている」ことになる。
 以上が「感覚的な」説明。