無限に付いて語る。実無限VS可能無限

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224似非構成主義者
排中律を前提にした普通の数学では、選択公理を使って証明される「少し一般性を
持った」命題はすべて選択公理と同値になってしまう、という「特徴」がある。例
えばツォルンの補題などその典型的な例だ。しかし、ツォルンの補題は、選択公理
を使っている「部分」は最後の「ほんのちょっと」の部分であり、実は、排中律を
「無限回使っている」ところが本質なのだ。だから私は選択公理とツォルンが同値、
という主張は、「本質的」に「ウソ」だと感じている。