無限に付いて語る。実無限VS可能無限

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198ヴィト
>>194
>>196

Loewenheim-Skolemの定理は、確かにこの議論の
馬鹿馬鹿しさを示している。すなわち誰も「濃度」
の本当の意味を語ることは出来ないということだ。

ところで、諸君らは、なんらの哲学もなしに数学を
研究しているのかね?そんなことはないだろう。
諸君らは、哲学を持たないわけではない。ただ
それを自覚せず、さらには、自覚することを怖れて
いる。すなわち、実無限を当り前のことと考え、
実はそこには何の根拠もないと知ることを怖れて
いる。

しかし、何を恐れる必要があるのか?実無限が
無くなったら数学も雲散霧消すると思っているのか?
そんなバカなことはあるまい。