日本の数学界はなんでコンピュータを嫌うの?

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348132人目の素数さん:04/02/08 07:36
世間には貧乏を気取ることで立派な清貧な学者だと思われたかったから。
あるいは自分が理想とした過去の時代の学者も計算機なんか使わなかったから。
(だってなかったんだもんな、昔は。)
349132人目の素数さん:04/02/17 12:43
私は数学専攻の修士ですが、1980年度末に、

「Siegel Modular Form における Fourier 級数の計算」

という修士論文に、ミニコンを使って学科の発表会に出したら、
「うちで初めてコンピューターを使った論文だ」と言われました。
また、特に嫌われた記憶もありません。

ちなみに、当時のミニコンの性能では、アセンブラで
プログラムを書かないと、役に立ちませんでした。
幼女の股座を嘗め回したい
>>348
紙のなかった時代の数学者に憧れる人は現代じゃいないのかねえ。
あるいは言葉のなかった時代の数学者とかw。現代的なものを
否定して過去に正統性を見出す人と、歴史の流れで見ればいつの
時代も新しい物(キワモノ)があったと考えて、肯定的に受け入れる
人の二種類しかいないんだよね。大雑把に分類すれば。
352132人目の素数さん:04/02/27 20:43

 「コンピュータの基礎工学」は数学者には絶対必要age
電気はいつまで持つのかねぇ。
電力資源を使い果たして電子化した文献が読めなくなる、
なんてことになったら、それは悲劇なことだ。
354受験数学屋反対:04/02/27 21:02
>>353
また作ればいい。今みたいな神掛かったスピードは無理だろうけど、
人間の演算スピードを上回る程度なら俺でもできるよ。

コンピュータを毛嫌いする数学屋は、氏んだほうがいいと思う。
前にコンピュータの人工知能を否定して、素因数定理は感情でしか解けない
とかいう馬鹿な数学者がTVに出てたけど素直に氏ねと思った。
自分の立場を脅かすと「思われる」対象に反対するのは当たり前だろ。
理論的にどうこうという問題ではない。
皆さん CharlesPetzold の本を読みましょう。
909
358132人目の素数さん:04/03/09 08:16
冷房の強く聞いた防音室の中でセ-タ-を着て作業をするのは辛かった。
自律神経失調症になりがちだった。空調の乾燥した空気の中では目が
かわくし、粘膜をやられて風邪を引きやすい。

今でも、PCのファンの音がうるさいのがいやだ。

昔のドットが荒いVT100などのディスプレ-の緑の画面を
見つづけていると、目が異常に疲れたし首も肩も凝る。
DECライタ-のような轟音を上げるプリンタの側にいると、
耳が遠くなる。CRTの側にいると、キ-ンという高い可聴
周波数の上の方の音が、頭を狂わす。

359132人目の素数さん:04/03/09 08:23
一般的にいって、計算機と向かっていると、あまりにも
低レベルな作業を黙々としなければならず、多くの実時間は
動物的な運動動作にもにた作業であり、計算機に面しているとき、
格闘しているときは、知的レベルが圧倒的に低下してしまうのだ。
書物や数学に比べると、抽象度が圧倒的に低く、一を聞いて10を知る
といった部分が計算機にはほとんど無いため、すごく馬鹿なものを
相手にしている感は拭えず、馬鹿を相手にしていると、自分もそれに
合わさざるを得ないため、しだいに自分も馬鹿になってしまう。
このため、計算機と格闘しつづけて長い数学者の多くは、しだいに
知的レベルが下がってしまう。特に細かい部分に神経を注ぐタイプの
学者には、計算機は劇薬である。非常に苦労して細かい部分にまで
心血注いで作り上げたプログラムも、次回のOSや言語の改定、ハ-ドの
変更などにより、藻屑と化してしまうと、呆然となって当分は廃人の
如く、かつて存在したまぼろしをつねに思い浮かべながら、毎日を
不幸に暮らすことになる。つまり計算機の世界は数学などと違って
土台が確定していないので、ほとんどが賽の河原であって、積み上げても
すぐに崩れてしまう河原の石を積み上げているのと同じだと言うことが
分かるにはある程度の年数(10年〜)がかかるのだ。長くつき合っても
別れが来るようなものである。厭世的になる。計算機が陳腐化するのと
同時に、自分も老人として陳腐化され、捨てられていく計算機の付属品
となった気分がする。
----
問題1:
そうならない為にはどうすればよいか?
>>356
数学系の人間に勧めるものとしては激しく間違ってると思うのだが。
361132人目の素数さん:04/03/09 21:37
予想を立てて証明しようとしたがどうしても証明できなかった。
そこで疑い始めて数値計算してみたら判例が見つかったよ。
感心したね〜。コンピュータを見直したよ。
362132人目の素数さん:04/03/11 01:26
コンピュ-タはもっぱらカウンタ-イクザンプルを発見させる為に使うのが
もっとも有益であると昔から言われているね。なぜなら普通、コンピュ-タ
自身には、命題を自動的に思い付いたり、論理証明を十分に自動的にする
程には発展していないし、その意欲も持っていないからだ。将来コンピュ-タ
が自己学習をして、学位を取ろうと努力し、学位論文を提出したり、ジャ-ナル
に論文を投稿するような時代が来れば、このような見解は見直されるであろう。
363132人目の素数さん:04/03/11 01:33
Mathematicaは数学者でも使ってる人はたくさんいますよ。
もちろん日本人でも。
364132人目の素数さん:04/03/17 14:27
インドの伝統的手工業による木綿産業は,
イギリスの産業革命による紡績機械の
工業力の前には,衰退して人々から仕事を
奪ってしまった.
かように機械は人間の敵なのだ.うちこわせ.
365132人目の素数さん:04/03/17 20:41
ソフトがバぐるから。
ばぐってはにー
367132人目の素数さん:04/03/18 03:48
>>359
プログラムを書けるようになるのが一番だと思われ。
アセンブラは書ける必要ないけど、Cぐらいは書けるようになったらどうか?

数学の知識は豊富だろうから、新しい数学の理論を勉強するつもりでやればいいじゃん。
2進数の高等数学世界も楽しいよ。3D(実際はただのベクトル応用)できたら幾何関係なんか最高だよ。
つーか、そこで数学者の良し悪しの線引きがあるんじゃなかろうか。


>次回のOSや言語の改定、ハ-ドの変更などにより、藻屑と化してしまう・・・
んなこたぁない。基本的なことは同じだよ。それにそこまで酷いハード・ソフト変更はそれほどない。
何もバージョンを新しくする必要などもなし。(ビルゲイツは頭強く打って氏ね)
368132人目の素数さん:04/03/18 05:16
Cで書いておけば、C++やJavaにすぐ移植できるから、
まずCで書いておけ。
数学おぼえるよりC覚えるほうがずっと簡単じゃ。

>>359 の言うこともわかるが、簡単なんだから、
ほんのちょっと我慢してプログラム書いてみると
面白い場合もあると思うよ。

数学の勉強につかれたら、ときどきプログラム作って
遊んでるよ。
頭つかわなくていいから骨休みにちょうどいい。
プログラムつくるたびに、プログラマってバカでも
できるんだなと思ってしまう。
わっはっは。
計算機を使うと低レベルになるとかいうやつは大馬鹿。

工学的理学(数学除く)的な問題の中には計算機に乗って計算されるものがあるけど
純粋数学の問題のほとんどは計算機に乗らないだけ。
もちろん数学以外の理学がレベル低いわけじゃなくて、
数学は厳密にやるぶん、設定条件が現実に比べ低すぎるだけ。

だから、数学やる際に高尚な哲学を持つのはいいけど、
ほかの理学を一段下に見るもは筋違いにも程があるし、頭悪すぎ。

といいながら、この文章論理が繋がってない…。
俺の頭が悪すぎ…。
リーマン予想とNP問題はどっちが先に解決されるかな
371132人目の素数さん:04/03/18 16:00
場化でも出来ることをやっていると、段々と場化になりますよ。
中卒でも出来たりすることを博士号までとった数学者がやることは
社会的に見れば重大な損失です。

一般レベルのプログラマーは掃いて捨てる程居ますが、
数学者は国際的にも貴重な資源なのです。しかもその論理に基づいて
得られた定理の生命は永遠なのです。書き殴りのプログラムもOSも
計算機言語も100年はおろか、しばしば10年も価値がありません。

言語は飽くまで言語でしかない


その言語で何を書くか、それが肝心
373132人目の素数さん:04/03/25 18:01


”けいさんきかがく”とうったら計算幾何学とでた。
コンピュータが自分で数学の新分野を発見したぞ。
コンピュータマンセー。

374132人目の素数さん:04/03/25 18:08
_| ̄|○ とおもったら既にあった・・・
超立法体の角に頭ぶつけて死にます。さようなら。

375132人目の素数さん:04/03/27 00:11
>>371
100年もの間価値を持ちつづける定理を
生み出す事のできる数学者は、どれほど
いるのだろうか。
その一人を得るために、残りの候補者を
全てコンピュータから遠ざけるのは、どの程度
正当化されるべきなんだろうか。

>>359の意見には、力強くうなづいてしまえる
のも確かだが・・・。

まあ、放っておいても、コンピュータにはある
程度の人材が流入しつづけるんだろうな。
だとしたら、数学の為に、囲い込みは必要なのかも。
ほとんどのプログラマは数学使わない。
使うのはMFCやらの[ユーザ]インターフェースを制御するもの。
20年続いてるC++で言えば、
math.h 三角・指数・対数関数とか入ってる。
complex.h math.h複素関数ver。
結構面白い機能があるのに。
OpenGLとか使ってガンマ関数の3Dグラフ描いてみろよ。
http://nimrod.phy.uc.edu/mse_web_pages/graphics/realgamma.jpg
カコイイじゃねぇか。
子供のころ電子ブロックを買ってもらえなくて
紙と鉛筆で遊ぶしかなかった
378132人目の素数さん:04/04/03 01:07
ある日、博士は重大なことに気がついたのです。
それは、計算機はちっとも成長しないということでした。
それ以来、博士はまるで気が狂った様に、計算機に当たり散らすように
なったのです。そうしてとうとう、計算機を粗大ごみの日に出して
しまったのでした。。。。
>>378

かわいそうな博士は、フォンノイマンの自己増殖機械の論文を
読んだことがなかったのでした。
---第二章--- 計算機の復讐

捨てられた計算機は学生に拾われ、自己増殖機能を付けてもらいました。
計算機が勝手に増えていると、博士はやってきてこう言いました。
「・・・これで、オートマトンの研究が出来る。」
>>372 >>376
どちらかっつーと、プログラミング言語自体の研究の方に興味があるんじゃないの
理論計算機や理学部の人は
382132人目の素数さん:04/04/03 16:54
数学者の行う証明は、言ってみれば機械語でプログラムを書くようなものです。
近年の数学の書物や論文は、トップダウンで記述されず、ボトムアップで
記述するスタイルを取りますが、これはプロ中のプロにはそれでよくても、
他分野にとっては、無意味にバリアを築いたようにしか見えないでしょう。
先ず、なになにをしたい、だからそのためにはサブゴールとして、しかじかが
必要なのでそれをこういう順に示す。それでしかじかのそれぞれについては、
そのサブゴールとしてこれこれだから、、、という具合に書物や証明の
構造は、上から下へと降りて行くトップダウンの方が、見通しが良くなる。
ボトムアップというのは、例えていえば、まったく見知らぬ土地で、
いきなり車に乗せられて、道路わきの景色はしっかり見えているが、
どこへ連れて行かれるか、まったくわけが分からない、気がついてみると
目的地につきましたよ、と運転手から告げられる。どこに観光のポイントが
あったのかすら、気がつかぬまま、全部御覧になったでしょう、と言われて
チョン。というようなもの。

手品師が、マジックをやるときも、これから何をするつもりですとは、
告げない。なぜならそう予告をしていると、観客を手ぶり身ぶりで
視線を強いて、ネタに目を行かせないことを強いるのが困難になるから。
>>無意味にバリアを築いたようにしか
あなたは無意味だと思っているんですか?
>>上から下へと降りて行くトップダウンの方が、見通しが良くなる。
嘘つけ、逆だろ。とっつきやすくはなるが、初心者用の数学の本には
そういう意識で、発見的に書いたものも多々あります。
>>先ず、なになにをしたい、だからそのためにはサブゴールとして、しかじかが
>>必要なのでそれをこういう順に示す。それでしかじかのそれぞれについては、
>>そのサブゴールとしてこれこれだから、、、という具合に書物や証明の
>>構造は、上から下へと降りて行くトップダウンの方が、見通しが良くなる。
あなたがいった方法で閃きを要する問題が解けると思いますか?
そもそも証明とは少数の割と簡単な公理から、
複雑な(しかし大きな意味を持った)定理を導くことですよ。
Bourbakiから。あるいはその起源をもっと昔に求めるならEuclidから。
http://up.isp.2ch.net/up/0224a7a53318.exe
| f ( z ) | * ( f ( z ) の実部の符号 ) のグラフ。
fの正体を当ててみてください。
386132人目の素数さん:04/04/06 09:37
その少数の簡単な公理は、目的を達成するために必要にして最小限の仮定として
取捨撰択して残ったものであり、そもそも何の結果を証明しようとするかの
動機が、先にあってこそ、証明を考え付くものである。その動機をまったく伏せて
置いて、さんざん連れ回して、さあ目的地につきましたヨ、というやりかたは、
手品師のパフォーマンスであり、深遠にして人を驚かす趣向としては面白い
かもしれないが、あまり教育的なものではない。
手品師が如何にしてトリックを考え出すかというクリエータとしての
視点が見えないからだ。
狐があとさずりしながら尻尾で足跡を消して行くという例えを
思い出させる。なぜそのような証明になったのか、という経路や
なぜそんな問題を考えたのか、なぜそのようなサブゴールを思い付いたのか
という部分が消されているのである。
387132人目の素数さん:04/04/10 13:32
まあ最近はコンピュータープログラムとも親和性の高そうな
「構成的」な証明を重んじる本も見るから、そう神経質に
危惧する事はないとおもうよ
例えば、大石進一著の消化棒 数値計算とか
388132人目の素数さん:04/04/10 15:55
>>382
高級言語でプログラム書くのも大した違いはないよ。
トップダウンっていったって、最後の手続きは
ボトムとして記述しなくてはならないから同じ。

てゆーか、数学者の仕事が理解できないのは、
初心者がいきなりWINDOWSのプログラムを見せられて
途方にくれるのと同じようなもの
389132人目の素数さん:04/04/10 16:00
>>386
手品師のトリックはむしろ簡単なものがおおい。
そうでなければ手品はうまくいかない。

ところで「なぜ」という動機はトップダウンでも書かれないよ。
また、書いたところでそれで分かることは少ないよ。
実際に自分で歩いてみないと分からない。
車に乗っても大抵居眠りしているだけだからね(笑)
390132人目の素数さん:04/04/10 16:05
>クリエータとしての視点が見えない

自分でクリエイトしない人には見えないよ。
そういう人は数学に興味をもってはいけない。
391132人目の素数さん:04/04/12 02:48
クリエータになりたい場合には、クリエータの弟子になるのがもっとも
良いのだが、クリエータがその創造性の秘密の源泉をまったく弟子に明かして
くれないのだとすれば、側にいても意味がない。大学者の写真や絵画を壁に
飾っているのと変わらないからだ。
教科書や論文も、出来るだけ、そのような発見にたどり着くに至った道筋や
動機を披露することが、教育的であり、また他分野の人間にとっても有意義
であると信じる。おそらく論文を自分の側近で多く製造する時間を稼ぐ為に
手品のトリックや発想の根源をなるべく分からないように伏せておく方が
得策なのであろうと考えてみたりもする。プロなら、そのような背景を説明
しなくても理解出来るという立場も考えられるが、それは他者や他分野との
交流に黙秘を持って接し、分からなければ10年かけてこの分野の文献を
すべていちいち当って理解すれば自ずと分かるようになるであろうと、
言い放つのだとすれば、お互い他分野(工学や文系をも含めて)の人間は
存在しないのも同然で、お互いに車輪を再発明せざるを得なくなり、
また、横浜の低能な政治家や議員によい口実を与えるだけである。
392132人目の素数さん:04/04/12 07:22
数学なんか情報科学のまえでは
ゴキジェットのまえのゴキブリにひとしい。
393132人目の素数さん:04/04/12 07:54
クリエイターはなりたくてなるものではない。
なりたいだけではなれない。
なる人はなりたくなくてもなってしまうもの。

証明は道筋。そうでないというのは
証明を一度も読んだことがない人。

動機は直線表現されないだろうが、
分かる人には分かる。
分からない人には、たとえ口にだして
いってやったとしても実感できない。
感覚が欠如してるから。
394132人目の素数さん:04/04/12 07:59
>論文を自分の側近で多く製造する時間を稼ぐ為に
>手品のトリックや発想の根源をなるべく分からないように
>伏せておく方が得策なのであろう

論文が理解できないのが、自分の無能と怠慢だと
気づきたくないために、そういう言い訳をするのが
得策なんだね。気づくと君が狂ってしまうから。

>分からなければ10年かけてこの分野の文献を
>すべていちいち当って理解すれば

そんな馬鹿はいない。1年、いや半年もかからない。
君、一度教科書を眺めただけでイメージできるのが
当然だと思うなら、数学はきっぱり諦めたまえ。
数学はそんなに甘いものではない。
三年。
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