2012年8月31日に、日本の数学者である望月新一は、4個の論文をインターネ
ット上に公開しました。
その表題は謎めいていました。分量は全部で512ページという壮大なものでし
た。そしてその主張は大胆なものでした: 彼は、何十年にもわたって数学者た
ちを困惑させてきた、有名で魅力的で単純な数論の問題、ABC予想を証明した
と言ったのです。
そして望月は引っ込んでしまいました。彼は自分の仕事をAnnals of
Mathematicsに送ったりはしませんでしたし、世界中の数学者が訪れる有数な
オンラインフォーラムのどこにも、何のメッセージも残しませんでした。彼は
単に論文を公開し、黙ったのです。
二日後、ウィンスコンシン大学マディソン校の数学教授、ジョルダン・エレン
バーグは Googleスカラーから電子メールのアラートを受け取りました。これ
は、ユーザが指定したトピックについての記事を見つけるためにインターネッ
ト上を探査するサービスのことです。9月2日に、Googleスカラーは彼に望月の
論文を送りました: 「あなたはこの記事に興味があるかも知れません。」
「『ああ、そうさGoogle、僕はこういうのに興味があるんだよ!』そんな感じ
だったよ」エレンバーグは当時をそう振り返ります。「僕はフェースブックと
自分のブログにそれを公開して、『ところで、どうも望月は ABC 予想を解い
たらしいぜ』と言ったんだ。」
インターネットじゅうが大騒ぎになりました。数日間のうちに、主要なメディ
アすらこの話題を取り上げていました。「世界で最も複雑な数学理論が解かれ
た」テレグラフはそう伝えました。「ABC予想に大きな進展?」ニューヨーク
タイムスはもう少し控えめに伝えました。
オンラインの数学フォーラムである MathOverflow では、世界中の数学者たち
が望月の主張について議論し始めました。コミュニティーの「上げ投票」によ
ってフォーラムのトップにすぐに踊り出た質問は単純なものでした: 「誰か彼
の仕事の背景にある発想や、どうしてこれがABC予想のような問題に糸口を与
えるかも知れないのか説明できる人はいますか?」と、ライス大学の助教授ア
ンディ・プットマンは尋ねました。要するに、「俺には分らん。誰か分る?」
望月のウェブサイトの周りに集まってきた多くの数学者たちに分ったことは、
その証明は誰にも読むことができないということでした。最初の論文は、「宇
宙際タイヒミュラー理論 I : ホッジ・シアターの構成」という表題がついて
いて、以下のように始まっていました。この論文の目的は、「楕円曲線つきの
数体上のタイヒミュラー理論の算術バージョンを・・・アナーベロイド、フロ
ーベニオイド、エタールのテータ関数、そして対数シェルのセミグラフ理論を
適用することによって、確立すること。」
これは、一般人にとってちんぷんかんぷんなだけではありませんでした。数学
界にとってもそうだったのです。
「見たところ、未来からの手紙、とか、宇宙の外からの手紙を読んでいるよう
な気分にさえなるかも知れない」とエレンバーグはブログに書きました。
「非常に、非常に奇妙な感じだ」-- 関連する同じ数学の分野で活躍している
コロンビア大学の教授ヨハン・デ・ジョンは言いました。
望月はあまりにたくさんの新しい数学的な道具を作り出し、さまざまな数学の
分野のアイディアを組み合わせているため、彼の論文は誰も理解することので
きない用語であふれていました。それは全く斬新で、全く神秘的ともいえるも
のでした。
タフツ大学の教授ムーン・ドゥーチンによれば: 「彼は本当に独自の世界を作
り上げていたのです。」
誰もが望月の仕事を理解するようになるにはしばらく時間がかかりそうでした
し、その証明が正しいかどうかを判断するという話であればなおさらです。引
き続く数か月のあいた、その論文は数学界に岩のように重くのしかかりました
。何人かの人々がそれに近づき、調査を始めました。他の人々は試してみたも
のの、諦めました。何人かは全くそれを無視し、遠巻きに眺めているだけでし
た。数学における最も大きな問題の一つを解いたと宣言した彼自身は、と言え
ば、沈黙したままでした。
数世紀にわたって、数学者たちは唯一のゴールに向かって奮闘してきました:
世界はどのように働くものかを理解し、そしてそれを記述することです。この
目的にとって、数学そのものは単なる道具にすぎません - それは数学者たち
が、自分たちが知っていることについてはそれを記述し、また知らないことに
ついてはそれを疑問として提示するのを助けるために作り出された言葉なので
す。
数学の探求の歴史は定理と予想の形で表現されるマイルストーン、つまり区切
りとなる大きな出来事、によって示されます。簡単に言って、定理とは正しい
とわかっている観察結果のことです。例えばピタゴラスの定理ば、すべての直
角三角形においては、三辺の長さ a, b, c の間に、等式 a^2 + b^2 = c^2 で
表現される関係があるという観察結果を打ち立てます。予想は定理に先立つも
のです - それは定理への提言であり、数学者たちが正しいと信じてはいるが
、まだ検証はされていない観察のことです。予想が証明されると、それは定理
となりますが、これは数学者にとっては大きな喜びであって、世界を理解する
ための彼らの観察ノートに、新しい定理が言わば観察結果として追加されるこ
とになります。
「問題は定理を証明すること、そのものにあるわけではないのです」とエレン
バーグは言います。「問題は、どのように世界が働き、そもそも何がどうなっ
ているのか、を理解することなのです」
エレンバーグは電話で私と話をしているとき、皿を洗っていて、どこか後ろに
いる小さな子供の声を聴くことができました。エレンバーグは世界に数学を説
明することについてとても熱心でした。彼はスレートマガジンに数学について
のコラムを書き、「間違っていない、とはどのようなことが」という本を書い
ているところで、それは一般の人々が生活に数学を役立てるのを手助けするた
めのものです。
エレンバーグが、彼とその同僚の数学者たちがどのような動機を持っているか
について説明するとき、皿洗いの音が止みます。私は彼が泡だらけの両手を宙
に振りかざしているところを想像していました:「広大な闇のような無知の領
域があるという感覚なんだ、しかし我々みんなはお互いに刺激し合いながら、
その境界線に踏み出すための作戦を練っているんだ。」
ABC予想はこの深淵の闇の中深くに立ち入り、数学そのものの根底にまでたど
り着くものでした。最初に数学者デビッド・マッサーとヨセフ・オストレルに
よって1980年代に提案されたこの予想は、それは足し算と掛け算の間にある基
本的な関係についての観察でした。それが含んでいる深い内容にもかかわらず
、一見すると単純な問題に見えることでABC予想は有名でした。
それは、単純な等式: a + b = c の形で始まります。
この予想の名前の由来である変数 a, b, c にはいくつかの条件がつきます。
まず、すべて整数であり、さらに a と b は共通の約数を持ってはいけません
。つまり共通の素数で割ることができません。たとえば、aが64 だとすれば、
これは2^6 と等しいので、b は2の倍数であってはなりません。今の場合だと
b として 81 を選ぶことができます。それは 3^4 だからです。これで共通の
約数のない aとbを使った 64 + 81 = 145 という等式を得ることができます。
このような条件を満たす a と b の組み合わせを見つけるのは難しいことでは
ありません。大きな数で、3,072 + 390,625 = 393,697( 3,072 = 2^10 × 3
そして 390,625 = 5^8 で、共通の約数はない) のようなものを作ることも、
あるいは非常に小さな数、たとえば 3 + 125 = 128 (125 = 5 × 5 × 5 なの
で、やはり共通の約数はない) のようなものを作ることもできます。
このような条件のとき、ABC予想は、a と b の性質が c の性質に影響を与え
ることを言います。これを理解するために、まずこの等式 a + b = c を素因
数からなるバージョンに書き換えます。
最初の等式 64 + 81 = 145 は、 2^6 + 3^4 = 5 × 29 と同じです。
二番目の例では、 3,072 + 390,625 = 393,697 は、 2^10 × 3 + 5^8 = 393,
697 (実はこれは素数です!) と同じです。
最後の例 3 + 125 = 128 は、 3 + 5^3 = 2^7 と同じです。
最初の二つの等式と三つ目とは少し違います。最初の二つは、等式の左辺にた
くさんの素因数があり、右辺にはわずかしかないからです。三つ目の例では反
対になっています- 等式の右辺には(7個)左辺よりも(4個のみ)多くの素因数が
あります。a, b, c のすべての可能な組み合わせのうち、三つ目のような状況
になるのは非常にまれであることがわかっています。ABC予想は要するに、等
式の左辺にたくさんの素因数があるときには、ふつう、等式の右辺にはそんな
にたくさんの素因数がこない、ということを言っています。
もちろん、"多くの"、"それほど多くない"とか"ふつう" はとてもあいまいな
言葉であって、ABC予想をきちんと定式化するには、すべての言葉をもっと数
学的に厳密な形で述べる必要があります。しかし、このような大雑把なバージ
ョンでも、この予想の含みを感じ取ることはできます。この等式は基本的に足
し算についてのものなのに、ABC予想は掛け算の部分に注目するのです。
「それは、数のもつ掛け算と足し算の間に成り立っている何か本当に基本的な
、しかし非常に厳しい制約についての主張のなんです。」と、オックスフォー
ド大学教授ミンヒョン・キムは言います。「なので、もしそのようなことにつ
いて何か新しいことが発見されれば、それは非常に影響力のある主張になりえ
るわけです」
これは直感的ではありません。数学者たちが、数学の現在の知識だけに基づい
て足し算と掛け算を扱う場合、数の持っている足し算の性質が掛け算の性質に
影響を与えるとする理由など何もないのです。
「そんな証拠はほとんど存在しないんです」とプリンストン大学の教授ペータ
ー・サーナックは言います。彼はABC予想に対して懐疑的です。「私はそれが
証明されるまでは信じないでしょう。」
しかし、もしそれが正しいとしたら? 数学者たちは、彼らがいままでは気づ
かなかった足し算と掛け算の間の深い関係について知ることになるだろうと言
っています。
懐疑的なサーナックですら、これは認めているのです。
「もし正しいとすれば、それは私たちが知っているもののうちで最も強力な事
実となるでしょう」と彼は言います。
あまりに強力であるので、それは自動的に多くの歴史的な数学の難問を解いて
しまうでしょう。その中の一つは、1637年に提示された悪名高いフェルマーの
最終定理であり、最近 1993 年になってアンドリュー・ワイルズによってよう
やく解決されました。ワイルズの証明により、彼は 100,000 ドイツマルクを
手にしました(1997年で、およそ 5万ドル程度の金額です)。それはおよそ100
年前の1908年に提示されていた報酬です。ワイルズはABC予想に基づいてフェ
ルマーの定理を解いたわけではありません - 彼は別の方法を使いました - し
かし、ABC予想が正しければ、フェルマーの最終定理の証明はそれを使った簡
単な結論になってしまうでしょう。
その単純さにより、ABC予想はすべての数学者によってよく知られています。
ニューヨーク市立大学の教授ルシエン・スピロは、それを証明しようとして「
数学者であれば誰でも最低一晩はこの問題に挑戦したのではないか」と言いま
す。しかし真剣になった人はわずかでした。スピロは、ABC予想の先駆けとな
るスピロ予想で有名ですが、2007年にABC予想の証明を提示しました。しかし
それはすぐに問題があることがわかり、以来、望月まで誰もあえてそれには触
れる者はいませんでした。
望月が彼の論文を公開したとき、数学界が興奮することには大きな理由があり
ました。彼らは重要な予想が証明されたという宣言があったことだけではなく
、誰がそれを宣言したかについても興奮したのでした。
望月が優秀であることはすでに知られていました。彼は東京で生まれ、5歳の
とき両親のキイチ&アンネ望月と共にニューヨークに渡りました。高校に行く
ため家を出た彼はニューハンプシャーのプレップスクールであるフィリップス
・エクセター・アカデミーに入りました。そこで彼は大変なスピードで勉強を
済ませ、二年後16歳で、数学、物理、アメリカとヨーロッパの歴史、ラテン語
において優秀な成績で卒業しました。
それから望月はプリンストン大学に入り、再び、そこを同期に先んじて終了し
、三年間で数学の学士を取得し早くも23歳で博士号を取得しました。ハーバー
ド大学で2年間レクチャーした後、彼は日本に戻り、京都大学数理解析研究所
に加わりました。2002年に彼は33歳で教授となりました。彼の初期の論文は非
常にすぐれた仕事であることが広く知られていました。
学究的な能力だけが望月が他の同僚と区別されるような特徴ではありません。
彼の友人であるオックスフォード教授のミンヒョン・キムによれば、望月のも
っとも並外れた性格は彼の仕事に対する強烈な集中力であるといいます。
「今まで僕が出会った多くの数学者の中でも、彼は非常に長い時間、黙って数
学と格闘し続ける非常に大きな忍耐力を持っているように思う」とキムは言い
ます。
望月とキムは1990年代の初期に出会いました。そのとき望月はまだプリンスト
ンの学部生でした。キムは、イェール大学からの交換留学生であった時の、望
月がフランスの数学者アレクサンダー・グロタンディークの仕事に取り組んで
いることを思い出していました。彼の代数と算術幾何についての本はその分野
の数学者が必ず読まなくてはならないものでした。
「僕たちのほとんどは、(グロタンディークの仕事を)何年もかけて少しずつ、
あちらこちらを拾い読みしながら、徐々に理解するんだ」とキムは言います。
「それは、全部で本当に何千ページもあるんだから」
しかし、望月は違っていました。
「望月は、机に座って最初から最後までそのまま読んでいた」とキムは回想し
ます。「彼はこれを学部生の時に始めて、数年で完全にやり遂げたんだ。」
日本に帰って数年後、望月は、自分の研究対象をABC予想に集中しました。何
年のうちに、彼はその問題が解けたと信じているようだという噂がたち、望月
自身も2012年には結果を出せることを期待していると言っていました。それで
論文が現れたとき、数学界はそれを待っていましたし、また切望していたので
す。しかしその後、その熱狂は立ち往生してしまいました。
「彼の他の論文は読むことができるんだ。僕は理解できるし、どれも素晴らし
いものだ」と彼は同じ分野で仕事をしているデ・ジョンは言います。コロンビ
ア大学の彼のオフィスを行ったり来たりしながら、彼が新しい論文についての
最初の印象を振り返ってデ・ジョンは首を振ります。それは違っていました。
読むことができませんでした。10年以上の隔絶された仕事の後で、望月は自分
しか理解することのできない数学の言葉を作り上げていたのでした。2012年に
公開された4個の論文の解読に着手するだけで、人は彼の何百何千ページもの
過去の仕事についても読む必要があり、しかもそれらは、一度も吟味されたこ
とも査読されたこともないのです。すべてを読み理解するには少なくとも1年
はかかるでしょう。デ・ジョンは、望月の論文の研究をするところでしたが、
彼がその山の高さに気づいたとき、彼は怖気づきました。
「私は確信しました。私にはやれそうにない。おかしくなってしまうかも知れ
ない」と彼は言いました。
*
まもなく不満は怒りに変わりました。友人の数学者をあえて名指しで批判する
教授はわずかでしたが、私がインタビューしたほとんどすべての人々はみな、
望月が数学界の標準的なやり方に従っていないことを指摘しました。数学者は
自分の発見について同僚たちと議論するものです。まず彼らは、広く受け入れ
られているオンラインフォーラムに草稿を公開するのが普通です。それからそ
の自分の論文をAnnals of Mathematicsに投稿します。ここでその論文は正式
な出版に先立ち優秀な数学者たちによって吟味されます。望月はこのやり方に
反対していました。彼のやり方は、同僚たちによれば「オーソドックスな態度
ではないのです」
しかし、いちばん彼らの気に障ったのは、望月がレクチャーを断ったことでし
た。普通の数学者であれば、論文の公開後、さまざまな大学を訪問し、その内
容について説明し、同僚たちからの質問に答えながら、自分の論文についての
レクチャーを行うものです。望月は複数の招きを断ったのです。
「ある非常に有名な研究系の大学は彼に、『説明しに来てくれないか』と頼ん
だんだけど、彼は『一回の話では多分無理ですね』と言ったのよ」とデ・ジョ
ンの妻であるキャシー・オネイルは言います。彼女は Mathbabe という名称の
ほうでよく知られているブロガーで以前は数学の教授をしていました。
「そして、彼らは、『じゃあ、一週間来たらいい』と言っても、彼は、『一週
間でも無理ですね』みたいに言うのよ。」
「そして彼らが、『一か月滞在すればいい。好きなだけ居てもらえればいいん
だ』と言っても、やっぱり断るのよね」
「彼はそういうのが嫌なのよ」
キムは同僚の不満に理解を示しつつも、彼らの怒りについては別の理由をほの
めかしています。「他の人の仕事を読むのは本当に大変なことなんだよ」と彼
は言います。「それで全部じゃないかな・・・僕たちみんな、彼の論文にきち
んと骨を折って向き合うことを怠けてるだけなんだよ」
キムもやはり、すぐに友人をかばいました。彼は望月の沈黙は、彼の勤勉な仕
事に対する倫理もあるが、「シャイな性格であること」にもよると言います。
「彼は非常に精力的に仕事をする男だし、飛行機に乗ったりホテルに泊まった
りすることで時間をつぶしたくないんでしょう」
しかし、オネイルは、責任があるのは望月のほうだと考えていて、彼が協調を
拒否することで同僚たちに不公平な重荷を与えいると言います。
「説明しないのなら、何かを証明したとは言えないのよ」と彼女は言います。
「数学の証明は、社会にもかかわる成果なの。数学界がそれを理解できないと
すれば、仕事をやり遂げたとは言えないのよ」
いま、数学界は難問に直面しています: 非常に重要な予想に対する証明が宙に
浮いたままになっているのに、誰もそれに手をつけようとしないのです。
2012年10月のある時点で、イェール大学の院生ベッセリン・デミテロフがその
証明に潜む矛盾について指摘したときには、みんなが注目しましたが、望月は
すぐに応えて、その問題を説明すると言いました。デミテロフは退き、その話
題も下火になりました。
数か月が過ぎ、沈黙はまた数学の研究における基本的な前提に対する問題を提
起し始めました。ドゥーチンはオーソドックスな見解についてこう説明してい
ます: 「証明は正しいか間違っているかです。数学界がその判定を下すのです
」
この基礎は数学者たちが誇りにしていることの一つです。数学界は協力して仕
事をします; 彼らは互いを無視した競争をしたりしません。同僚は他の人の仕
事をチェックし、多くの時間を割いてそれが正しいことを検証します。このや
り方は利他的な態度というだけでなく、必要なことでもあります: 患者が治癒
すれば正しいことが実証される医療科学とは違い、あるいは、ロケットが発射
されるかされないかによって実証される工学とは違い、理論数学あるいは"純
粋"数学では、物理的なあるいは目に見える基準がありません。それは全く論
理のみに基づいています。正しいと知ることは、他の誰かを、できればたくさ
んの人々を必要とします。彼らがあなたの足取りをたどり、どのステップも確
固とした根拠があることを確認してくれるのです。真空中での証明はおよそ証
明とは言えないのです。
間違った証明ですら、証明がないよりはましなのです。そのアイディアが斬新
であれば、それは他の問題には役立つかも知れませんし、他の数学者がインス
ピレーションを得て正しい回答を示す糸口になるかも知れないからです。なの
で最も差し迫った問題は望月が正しいかどうかではなく、数学界が正しさを裏
付けることができるかどうか、本腰を入れてその論文に取り組むかどうか、な
のです。
展望は薄いようです。スピロはその論文の中のいくつかの部分を理解しようと
した人の一人です。彼はニューヨーク市立大学で博士課程を終了した学生たち
と週次の研究会を開いて、その論文について議論しましたが、局所的な分析の
みに制限され、全体像についてはまだ理解できていないということです。他に
知られている唯一の候補は、京都大学での望月の同僚である山下剛です。キム
によれば、望月は個人的なセミナーを山下と行っており、キムは山下がその仕
事を共有し説明するだろうことを期待しています。もし山下がそうしなければ
、他の誰がその仕事をするかは不透明な状態です。
いま、数学界ができるのは待つことだけです。待っている間に、彼らは数学史
における逸話を語り、偉大な瞬間を振り返っています - ワイルズがフェルマ
ーの最終定理を証明した年のことや、ペレルマンがポアンカレ予想をどのよう
に証明したか、などについて。コロンビア大学教授のドリアンゴールドフィー
ルドはベルリンの高校の教師であったクルトヘーグナーの話をします。彼はガ
ウスによって提示された古典的な問題を解いたのでした。「誰もそれを信じな
かった。有名な数学者はみなそれを馬鹿にし、間違いだと言いました」。ヘー
グナーの論文は10年以上も埋もれたままでした。最終的に彼の死後4年たって
、ようやく数学者たちはヘーグナーは完全に正しかったことを理解したのでし
た。キムは宮岡洋一が1988年に提示したフェルマーの最終定理を思い出してい
ます。それは深刻な間違いが発見される前に多くのメディアの関心を引いたの
でした。「彼は非常に恥ずかしい思いをしたんだ」とキムは言います。
彼らがこの手の話をする一方で、望月と彼の証明は宙に浮いたままです。どの
筋書きも実際の結末になりえます。問題は - そのうちのどれが?
キムは、この証明の未来を楽観視しているわずかな人々の一人です。彼は、次
の11月にオックスフォードでの会合を予定してしますが、山下を呼び、彼が望
月から学んだものを共有してくれることを期待しています。たぶんその時に、
より多くのことがはっきりするでしょう。
望月はと言えば、メディアの要求をすべて拒否し、かれ自身の仕事を広めるの
を嫌がっているようにすら見えますが、それは自分が作り出した混乱を気にか
けているかどうかさえ疑問に思うほどのものです。
彼のウェブサイトにはインターネット上でわずかに入手可能な望月の写真のう
ちの一枚が掲載されています。それは古い90年代のスタイルのメガネをかけ、
どこか遠くを見つめている中年の男の姿です。頭上には、自分で自分につけた
称号が記されています。そこには「数学者」ではなく「宇宙際幾何学者」とあ
ります。
それは何を意味しているのでしょうか? 彼のウェブサイトにはなんの手がか
りもありません。何千ページにも及ぶ、・・・濃密な数学論文があるだけです
。彼の経歴書はスカスカの形式的なものです。彼は「未婚である(結婚の経験
もない)」と書いています。そして望月新一の考えと呼ばれるわずか17エント
リーのページがあります。2009年2月には、「私の進捗について報告させてほ
しい」とあります。2009年10月には「私の進捗について報告させてほしい」。
2010年4月、2011年6月、2012年1月、にも同様に「私の進捗について報告させ
てほしい」。そして数学の話が続きます。いったい彼は興奮しているのか、め
まいを感じているのか、いらいらしているのか、それとも何かに没頭している
のか、ほとんど伺い知ることはできません。
望月は何年もわたってこのような進捗を報告しています。しかし彼はどこに向
かっているのでしょう? この自称「宇宙際幾何学者」、天才かもしれない人
物は、私たちが知っているような数論を書き換えてしまう鍵を握っているのか
も知れません。おそらく彼は、数学の深い森の中に暗く続く、手つかずの道を
たどってきたのでしょう。しかし、現時点で、彼の足取りをたどることはでき
ません。どこに彼が行こうとしているにせよ、彼はたった一人で旅を続けてい
るようなのです。