分からない問題はここに書いてね336

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73132人目の素数さん
473 :考える名無しさん:2010/06/23(水) 19:28:25 0
実在が無ければ錯覚が無いでしょうか?その考えは間違いであると思います。

メビウスの輪がありますが、あれには表も裏もありません。
しかし、主観から見て「表にしか見えない」部分があるわけです。その逆が裏、となります。
これは、ちょうど主観から見て客観的としか思えない事象と似ています。

主観から見て実在と思える部分がある。その逆を錯覚としてきたわけですが、
懐疑論の論点からいくと、「実在と見ていたが、厳密に言えば実在とも錯覚とも言えない」となります。
メビウスの輪に表も裏も無いように、実在と錯覚も明確に区分できないわけです。

実在は無くとも、実在であると思い込むことは出来ます。これは実に主観的な判断です。
その思い込みから、錯覚の判断もできるのです。そしてその判断は主観的故に疑い得るわけです。


474 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/06/23(水) 19:46:15 P
解釈のずれが云々と言われるなら
ステハンぐらい付けてもらいたいですね。

まあ個人の自由ですけど。

貴方が「主観は曖昧なものである」とするのは
実際にどのような事態を想定しての話ですか?
74132人目の素数さん:2010/07/14(水) 13:03:07
475 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/06/23(水) 19:52:40 P
>実在が無ければ錯覚が無いでしょうか

そんなことを言った覚えはないが。

錯覚には法則性がある、とは言ったように思うが。


476 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/06/23(水) 20:27:04 P
私が特定のアイドルAと付き合う
私が一般のアイドルXと付き合う
私がアニメキャラのAと付き合う
私が山田ポポさんと付き合う
私が惑星XのY星人とつきあう
私が6次元の存在者Zと付き合う。 

想定可能性は最後には無くなり、妄想となる。
「言葉だけの遊び」にすぎない。
(私の使う「妄想」は「空想」とは違い「想定不可能な言葉遊び」の意味です)

「懐疑の前提として実在を想定する」とはどのレベルであると思うのか?
その実在が妄想なら、「懐疑する余地」など妄想に帰するのではないのか。