654 :考える名無しさん:2010/06/30(水) 15:47:45 0
「全てを疑ったらキリがないから、どうにかしよう」って考えるのも分かります。
が、実際、疑おうと思ったらなんでも疑えてしまうというのはあると思います。
問題は、「実際全てを疑えるにしても、それに意味あんの?役に立つの?」という話です。
僕の個人的な意見を言わせてもらうと、全てを疑う事は、役に立つと思います。
というのは、世の中、人間の予測、想像を遥かに凌ぐ出来事があると思うからです。
昔では、恐らく宇宙や丸い地球を想像する事すら出来なかった人が多かったでしょう。
今現在でも、私達に想像すら出来ないような何かがあるかもしれません。
厳密にいえば、未来の事だって何も分からないのだから、
「全てを疑う」くらいの姿勢でいて丁度いいんじゃないでしょうか?
「こんな事が起きるなんて想像も出来ていなかった!」と悔やんでる人
今も多いんじゃないかと思います。
究極的には個人個人の考え方の問題なんですが
655 :考える名無しさん:2010/06/30(水) 22:52:14 0
デカルトどまりなのな このスレってw
656 :考える名無しさん:2010/07/01(木) 00:03:28 0
なんか感想だけ言ってみたくなりましたよ?
657 :考える名無しさん:2010/07/02(金) 11:06:37 O
あげ
658 :ンドゥール:2010/07/02(金) 18:16:13 O
なんでも疑おうとすれば疑うことはできるのかな
疑えないものはないのだろうか
疑っている時、疑っている何かがなにものかとして存在する
ということは疑えないのだろうか?
せっかくだからデカルトの話題を
659 :考える名無しさん:2010/07/03(土) 00:49:20 0
しかたなく信じるってのは悪くない答えだと思います。
信じるに足る保証が無い事はもうどうしようもありませんし、だからと言って信じない理由にはならないのです。
目の前にある現象は妄想かもしれない。その可能性は常にあります。その可能性を受け止める事が肝要じゃないですかね。
懐疑論の持つ意味は、諸学の価値を支えてきた真理の否定にあると思います。
真理に縋り、神に縋り、価値ある何かを求め、妄信と異端者の排除へと走る行為。それは否定されるべきでしょう。
魔女狩りも学力による貴賎意識も、根幹は同じです。真理という虚像に縋る事の結末。それを克服できるのが懐疑論じゃないでしょうか。
660 :考える名無しさん:2010/07/03(土) 01:35:19 O
他人の正しさを疑うことで自分を優位に保とうとする自己顕示欲が強い人ほど哲学者ってイメージ。