分からない問題はここに書いてね336

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629132人目の素数さん
640 :考える名無しさん:2010/06/30(水) 02:41:58 0
じゃあ、言語を扱える人間と、言語を扱えない生物達が、
同じ自然界・世界・宇宙に住んでいると仮定するとしたら。
言語を扱えない生物達の認識する「曖昧も確かもクソもない世界」
に言語を扱える人間も存在しているという事になるんでしょうか?
逆に言う事も出来ます。
言語を扱える人間が「確かも曖昧も確かに存在する世界」を認識してたとしたら、
言語を扱えない生物もその世界に存在しているという事になるんでしょうか?

なんかひどい屁理屈を言ってるような気がしてきたし、自分でも何を言いたいのか
わからなくなってきましたw


641 :ンドゥール:2010/06/30(水) 02:57:26 O
640
動物や獣には認識外の世界はない
幼少期のヘレン・ケラーにもなかったらしい

自分の感覚だけが世界


ヘレン・ケラーは川の水を手に感じながら
世界が冷たいのではなく、
waterという冷たく流れるものが世界に存在することを理解した

ということらしい
630132人目の素数さん:2010/07/19(月) 09:10:20
642 :unicth:2010/06/30(水) 12:22:21 0
懐疑論を論じ「cogito,ergo sum」(これには「我思う、故にわれあり」という有名な訳がある)に到達した
デカルトだって最後は神の存在を肯定するしかなかった

例えば、そう思うこと自体があやつられていたり
この現実自体がすべて夢かもしれない
とか そんなアホらしいことを疑っているとキリがない
ヒトは何かを信じなければ生きることできない
違いますか?

これでも懐疑論を信じる奴がいるならば
それこそ神経を疑う行為だ

そして是非とも、反論のあるかた、
意見をいただきたい



643 :ンドゥール:2010/06/30(水) 12:26:20 O
642
デカルトは懐疑論者じゃなくて合理論者
デカルトが批判を試みたのが懐疑論

わたしは、疑うために疑うようなピュロンの懐疑論にも満足できなかった
631132人目の素数さん:2010/07/19(月) 09:11:21
644 :unicth:2010/06/30(水) 12:50:12 0
確かに言い方に少々問題があったようだ

ただデカルトは懐疑論者だ
正確にはそのうちの方法的懐疑論だ
合理論ではあるが懐疑からの合理化といえる

私が言いたいのは全てを疑わんとするような懐疑からの合理化は出来ないということだ


645 :ンドゥール:2010/06/30(水) 12:55:19 O
644
方法的懐疑は懐疑論とは違う
デカルトの時代の懐疑論者で有名なのはヒューム

でも、ヒュームも「われおもうゆえにわれあり」は疑えないと認めてたはず



646 :考える名無しさん:2010/06/30(水) 13:05:24 0
>>642
>ヒトは何かを信じなければ生きることできない
>違いますか?

「信じる」というと、話が面倒になりそうだ・・・
「信じる」ことと「知る」こと、「信仰」と「知」の区別が問題になってくる。

「疑い得ない」=「信じる」 ではないのではないか・・・?
逆に、疑わしいからこそ、信じるのではないか・・・?
だから多くの宗教者は、自らの疑念と常に戦っている。
632132人目の素数さん:2010/07/19(月) 09:12:17
647 :unicth:2010/06/30(水) 13:08:05 0
642で書いたように神などにそう思わせられてる
すべて夢(自分で言ってて馬鹿らしいが)
などとも懐疑の立場なら疑えるから
キリがないということで不適(合理化出来ない)という意味だ

(そこにツッコまれるかもと思っていたが)



648 :646:2010/06/30(水) 13:11:18 0
だからunicthさんの見方は、宗教者の意見のような感じがする。
哲学者なら、安易に「信じる」ことを極度に警戒する。


649 :unicth:2010/06/30(水) 13:23:21 0
もちろん、私は哲学者ではない
ちなみに宗教者でもない

私が信じるというのは
  「疑うとキリがない」=「しかたなく信じる」ということ
伝わりにくいと思うが他にいいものが考えついかないので
今はこういう言い方しかできない
633132人目の素数さん:2010/07/19(月) 09:13:03
650 :646:2010/06/30(水) 13:26:37 0
>>649
>「疑うとキリがない」=「しかたなく信じる」ということ

「考える」ことが哲学だからねぇ・・・

その「考える」ということは、どちらかといえば、「信じる」よりも「疑う」に近いと思いますよ。





651 :646:2010/06/30(水) 13:29:27 0
だから、哲学は「キリがない」ものです。


652 :unicth:2010/06/30(水) 13:32:44 0
そして懐疑の立場なら
と 私は書いたはず


653 :646:2010/06/30(水) 13:37:59 0
>>652
どこで「キリ」をつけるのか、またはつけないのか、は、それぞれの哲学者の考え方次第でしょうね。
また、「キリ」をつける場合は、「キリ」をつける根拠のようなものがないと駄目でしょうね。