565 :唯意味論:2010/06/27(日) 12:25:53 0
>>562 ちょっと、違う。
真/偽、正/誤、勝/敗を決定するには「規則」の成立が前提、と述べているだけ。
が、規則は人工の産物(フィクション)であり、規則そのものに正当性はない。
受け入れるか否か、である。
真偽や正誤や勝敗を決めることが無意味なら、ゲームに参加しなければいい。
文字どおりの単独者には、それも可能だろう。
>>563 「リンゴかナシか」も、差異の定義(決まり)によって結論づけられる。
リンゴでもなく、ナシでもない、という結論にいたることもありうる。
その場合、差異線は修正、変更される。
566 :ンドゥール:2010/06/27(日) 12:30:20 O
その文章は
真理が問題になっているはずなのに
いつのまにか規則の正当性に話題がうつっている
ならば、君は「真理」が「正当性」と深く関与することを示すべきだ
567 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 12:37:57 0
懐疑とは、何が間違っていて何が正解か、を考えることでしょう。
だから、刹那の懐疑とか、二重の懐疑が不可能とか、そういった事が問題になるとは思えない。
問題は、一意の答えが出せるかどうかでしょう。そしてその答えに、価値を与えていたのは客観性です。
懐疑論は、客観という概念が不成立であることを示し、客観が与えてきた価値を否定したわけです。
主観が懐疑に答えたとしても、客観が否定された以上それは一意の答えでは有り得ないです。曖昧な答えと言えます。
568 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 13:02:52 O
例えば普通の足し算では2+2=4になる、ということについても、一意の答えがないのかね?
(なんか、いろんな議論があるらしいけどね)
569 :唯意味論:2010/06/27(日) 13:09:44 0
>>566 いや、私は真理について語っているわけではない。
真/偽や正/誤、あるいは勝/敗が成り立つ条件について述べているだけ。
条件つきでなければ「それらは決定できない」と言っているのである。
こう言ってもよい。
「条件(規則)にもとづき、真偽や正誤、勝敗は定まる」と。
ただし、その条件が「正当である」という根拠はない。
その条件(規則)を支えているのは(たぶん)“力”である。
真偽や正誤や勝敗は受け入れるか、それが否なら、
“力”によって規則を変えるしかない(のだろう)。
570 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 13:39:45 0
>>568 そうですね、無いです。2+2=4を成り立たせている規則が、
そもそも主観の思い込みに過ぎ無いのでは無いか?と懐疑できます。
主観では疑え無いからと言って、一意の答えになるとは限らないわけですし。
571 :ンドゥール:2010/06/27(日) 13:51:30 O
2+2=22もあれば
2+2=11もありえる
でも、それは「ふつうの足し算」ではない
「ふつうの足し算では2+2=4」が
トートロジーに変換できるような意味で解釈できるかもしれない
その場合も疑いうるのだろうか
572 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 14:30:41 0
クリプキの懐疑論は「どちらも無根拠なのになぜほとんどの人は特定の規則が採用するのか」を説明できない。
なぜクワス算ではなくプラス算を規則として採用されるのか。
それはクワス算がアドホックな仮定に依存した「後進的な研究プログラム」だからだよ。
573 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 14:33:59 0
× 規則が
○ 規則を
574 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 15:48:28 O
>>570 >2+2=4を成り立たせている規則が、
>そもそも主観の思い込みに過ぎ無いのでは無いか?と懐疑できます。
これは、具体的にどういう意味なのかね?
目の前にリンゴがあることを懐疑する場合だったら、目の前にリンゴがあるかどうかの実際の事実と、
リンゴがあるように見える感覚とは別だ、という考え方のもとに(普通はそう考えると思う)、
実際の事実と感覚とが本当に一致しているといえるのか?さらに一般的に、主観的な感覚しか手に入らないのに
客観的なものごとがあると本当にいえるのか?というように考えることが一応できそうな気がする
しかし、2+2=4を成り立たせる規則が主観の思い込みだ、というのは、どういう発想なのか
よくわからないのだがね
おそらく世界中の(普通の足し算を身に着けた)人が、「そんなことはない、確かに2+2=4だよ」と
言ってくれるだろうし、実際に計算したり物を数えたり(普通の状況で)したときに、
2+2=4ではない結果が出る(?)ことも、考えられないと思うのだがね
575 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 19:11:16 0
新しい発想を見いだしてしまうと 従前の発想が「思い込み」に思えてくるという
576 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 20:01:00 0
1として数えられるものはいろいろある
1リットル+1リットル=2リットル これは有効
コップ1杯の水+コップ1杯の水=バケツ1杯にもならない これも有効
1+1=2だけが有効なのではない 1+1=2は思い込み
というような理解でよろしいかw
577 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 20:32:01 0
1組の夫婦=2人、これは思い込み
人は右側通行、これも思い込み
578 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 21:25:12 0
>>574 私は570じゃないけど、答えよう。
>おそらく世界中の(普通の足し算を身に着けた)人が、「そんなことはない、確かに2+2=4だよ」と
>言ってくれるだろうし、実際に計算したり物を数えたり(普通の状況で)したときに、
>2+2=4ではない結果が出る(?)ことも、考えられないと思うのだがね
その考えの前提になってる「世界そのもの」が主観の思い込みなんじゃないかって話ね。
我々の宇宙では2乗すると2になる数字は1.41421356…ってのが必然だけれども、
別にこの数字になる理由はどこにもない。たまたまこの宇宙ではそうなってるってだけの話。
同じように2と2を足した数字が4になる必然は、論理学の成り立ちすら違う
別の宇宙で通用するとは限らない。
579 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 21:54:50 0
>>574 578さんの
>その考えの前提になってる「世界そのもの」が主観の思い込みなんじゃないかって話ね。
って事ですね。
夢の中では、ごく当たり前に空を飛べたりします。それは世界中の誰もが疑わない当たり前の事として。
空を飛べない結果というのも考えられません。
現実と夢の違いは何かと言えば、主観の判断でしかありません。主観が夢と現実を分けるのですが、
今ごく当たり前に現実だと認識している世界は、夢では無いと証明できるのでしょうか?
疑う事無く現実に決まってると言うのなら、何故夢の中では「空を飛ぶ事を疑え無い」のでしょうか?
逆に言えば、夢の中で空を飛ぶ事は疑えません。ではそれは現実でしょうか?
580 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 22:10:13 0
疑えるとか疑えないとか
考えている事は現実ですか 夢ですか
581 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 22:12:04 0
主観が夢と現実を分けるんだったら 証明の必要なしってことね
582 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 22:27:20 0
>>581 証明の必要無し、というのが何を指しているのかよく分からないな。
確かに証明する必要は無い。証明出来ないから。
そして、証明できないからこそ不確定であり、曖昧であり、空ろです。
583 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/06/27(日) 22:44:37 P
>>579 >今ごく当たり前に現実だと認識している世界は、夢では無いと証明できるのでしょうか?
どんな証明をご希望か分からないが、
競馬にでも行って、全財産を賭けてみればいいんじゃないか?
584 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 22:52:04 0
>>582 証明出来ないから、証明する必要がない というのはおかしいね
誰に証明しようというの? 自分に?
すでに分っていながら、「証明」は求められるものなの?
585 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 23:17:51 0
夢では無いと証明できるのでしょうか?
と訊かれても
その問いは夢では無いと証明できない
哲学も「懐疑論」も、
自分がみている夢ではない、と証明することはできない
で、不毛ですよ と?
586 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 23:27:15 0
クリプキの懐疑論も知らないのか このスレの連中w
587 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 23:27:37 O
>>578、
>>579 ふむふむ、難しい話になってきたような気がするね
もう一度、自分の趣旨を、ちょっと表現を工夫して繰り返してみる
2+2=4を疑う理由は何なのか
自分の感覚と実際の事実とが一致しないと疑う理由はあるように思われる
(それらは別物で、実際に見間違いなどがあり得るから)
しかし、そのような理由が、2+2=4を疑う理由に同じように当てはまったりするのだろうか
2+2=4を疑うなら、何か別の理由が要るのではないか
とりあえず、こんなふうに言い張ってみたら、どうなるのだろうかね
「私が足し算に関して経験してきた事実が全て不確かだ、ということは認める。小学校の授業から
何から、それら全部が錯覚とか夢であったのかもしれない。
しかし、それが、2+2=4であることと何の関係があるのか?
実際、2+2=4にしかならないじゃないか。
むしろ、夢の中でも2+2=4を学べるということは、2+2=4は夢だろうが現実だろうが通用する、
確かな知識の一つということになるじゃないか(笑)」
(最後の一文は冗談です)
588 :考える名無しさん:2010/06/27(日) 23:28:25 0
>>584 自分に証明するって言葉はおかしくないですか?証明って他人に対してする事じゃないですかね。
>>585 大体そんな感じじゃないでしょうか。
不毛、というのは何が不毛なのでしょうか?これは、懐疑論の次に考えることですが。
現実と夢の違いが無いのなら、それは不毛でしょうか?何故不毛なんでしょうか?何に対して不毛なのでしょうか。