440 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 21:29:45 O
>>437 > 正しい認識、とは何に対して正しいのでしょうか?
それはもちろん、客観的なものごと
金塊の例でいえば、実際に金塊だったのか、あるいは実際には黄色いゴミだったのか、
という実際の事実
ともあれ、客観とかいうものはない(のではないかと疑える)というなら、正しい認識なんてものもない、
ということになって、それはそれで一貫しそうですな
どうも、よくわかりました
まあ、実際ほんとにそんなふうに疑って生活してるもんだろうか、とかいう疑問はなくはない
例えば、ドアを開けたらその先は廊下じゃなくて奈落の底になってるかもしれない
いやそれどころか、ドアを開けたらその先はちゃんと廊下に見えたのだが、でも踏み出したら
実は奈落の底かもしれない
(厳密には、踏み出す前は廊下に見えたのだが、踏み出した瞬間その見えはなくなって、
足が廊下に触る感触もなくて、下に落ちる感覚が続いて…となるかもしれない、とでもいうべきか)
懐疑論者は、普段そんな怖い生活を送ってるのかね
しかしそれには、生活と懐疑は関係ない、といえばいいのかね
441 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 22:39:09 0
>>440 多くの人が勘違いしてますが、懐疑論とは「疑い得る」という事を指摘しているのであって、
「常に疑うこと」を推奨しているわけでは無いのです。その事は>435さんも言われていますが。
繰り返しになりますが、客観や普遍性という概念の不備を指摘するのが懐疑論です。
ドアの先には何も無いかもしれない、そういった考え方を突き詰めると、生きる事の意味が無い、となります。
何故なら、今信じている世界は一瞬で消えてしまうのかもしれないのだから。
生きる事に意味はありませんし、運命的な価値もありません。しかしながら、主観的な価値はあります。
>客観とかいうものはない(のではないかと疑える)というなら、
客観が無いというよりも、懐疑され得るようでは客観という概念が成り立たないと言う事でしょう。
何故なら、客観とは常に正しいという概念であるからです。つまり、懐疑の余地が無いはずの概念ですので。
懐疑され無いはずの概念が懐疑可能である、それが懐疑論の展開じゃないでしょうか。
442 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 23:10:13 0
ィ";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;゙t,
彡;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
イ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;r''ソ~ヾ:;;;;;;゙i,
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ト.;;;;;》 =ニー-彡ニ''"~´,,...,,. レ')l. < おまえたちはいったい何を言っているんだ
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ヽ.ヽ ー=rtσフ= ; ('"^'=''′ リノ
,,.. -‐ゝ.>、 `゙゙゙゙´ ,' ヽ . : :! /
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443 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 23:56:08 0
>>441 >懐疑論とは「疑い得る」という事を指摘しているのであって、
それって素朴実在論であり、素朴心理学(つまり常識)ですよw
444 :考える名無しさん:2010/06/21(月) 01:36:48 0
多くの人が勘違いしている=多くの人が馬鹿。
「多くの人が勘違いしている」と言う人←多くの人から見ると勘違いしているのはお前の方
↑
多くの人から見るとこいつが馬鹿。
445 :唯意味論:2010/06/21(月) 13:48:09 0
>>443 そのとおり。ヒトにとって懐疑は当たり前の(常識的な)営為である。
けれども「ドアの先には廊下がある」というのは、疑うのが難しい。
不可疑、といってもいい。
この不可疑の確信は、私と他者の経験(の一致)からもたらされる。
ただし、私と彼らによって認定されたその事態を“客観的事実”と
断じることはできない。私と彼らは、確信を抱かせる一つの現象を
共有しているにすぎない、ともいえるからだ。
446 :考える名無しさん:2010/06/21(月) 16:26:00 0
フッサールも素朴実在論なんだw
447 :考える名無しさん:2010/06/21(月) 17:56:52 0
素朴に、つまり現象どおりに、言いかえれば見た目そのままに実在するものなどありません。