433 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 16:16:53 O
>>431 > 主観にとって、それは金塊では無く黄色いゴミに見えたというお話。
> 色々(主観的に)確認してみても、やっぱり黄色いゴミにしか見えない。よって黄色いゴミでしたと。
このへんを見ると、主観的な感覚でよく確認したものは正しい、という話のように見える
しかし、
> どっちが錯覚なのか、それを普遍的な意味で確認する事は出来ないというのが懐疑論です。
> ですから、客観的にどちらが錯覚か、と言う懐疑は永遠に解消されないわけです。
このへんを見ると、主観的な感覚では正しいかどうか確認できない、という話のようにも見える
ふむ?
まあ後者を取り上げて見ると、それでは、今度は正しい認識というものが全然あり得ない、
ということになってしまわないのかね?
いや、「そのとおり、それこそが懐疑論だ」ということかもしれないけど
しかし、では例えば、
「金塊に見えて、よく確認したら、黄色いゴミだった」
「金塊に見えて、よく確認したら、やっぱり金塊だった」
この二つは、どちらも同じように、正しい認識では全然ないのかね?
434 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 19:36:07 0
懐疑論者なのにずいぶん饒舌なんですね
自分の言葉には「懐疑」しないんでしょうかw
435 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 20:09:34 0
>>434 懐疑論に反対する奴ってこの手の勘違いしてるのが多いな。
懐疑論者は全ては疑いうる、という考えをもってるやつのことであって
全ては疑っているとは限らないよ。
説明されてもこの違いが理解できないなら、もう手の施しようがないけど。
436 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/06/20(日) 20:16:12 P
>>432 ああ、さすがですね。
437 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 20:25:07 0
>>433 その辺は語弊を招く表現だったと思います。
>主観的な感覚でよく確認したものは正しい
繰り返しますが、普遍的に正しいという事はありえないわけです。
主観が正しいと判断するかそうでないか。そこに深い意味も本質的な答えも無いんですよ。
>この二つは、どちらも同じように、正しい認識では全然ないのかね?
正しい認識、とは何に対して正しいのでしょうか?それを考えると、客観性や真理、本質という
言葉に行き着くと思います。客観や普遍性が無いのではないか?という考え方が懐疑論だと
思いますので、懐疑論から言えば正しい認識というものは成り立たないと思います。
438 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/06/20(日) 20:28:53 P
だべ君は変化なしですね。。。
場当たり的に「懐疑可能である」と発話できるということは
その懐疑の刹那、懐疑可能性を担保する主観の能力に帰依している、ということでしょう。
もぐらたたきのように、いくらでも叩けるが、
しかし、いくら叩こうが、全体を破壊することはできない。
それはいかなることを意味するのか。
嘘くさい懐疑を成立させる、その作為的な構造を疑ってみてはどうか。
439 :考える名無しさん:2010/06/20(日) 21:28:21 0
>>434 だよね。ここの懐疑論者は懐疑どころか確信に満ち満ちている