1 :
132人目の素数さん:
どんなタイトルにしようか迷ったけどとりあえず
目立つ形にした。いろいろ聞いてもいいですか
まあとりあえず...
なんかの文で
「形からは考えない。形にするのは最後」
みたいな文を見たんだけど、これは全員そうなの?
3 :
132人目の素数さん:2008/10/08(水) 21:47:12
文明開花の音がする 寝るわ
日本に哲学者なんていないだろw
哲学者を研究wしてるニワカ学者ならたくさんいるけどw
つまり、×哲学者、〇変哲者と言う訳でつね
6 :
1:2008/10/09(木) 10:14:39
まあ自称、だからさw
とりあえず数学がピンと来ない。というか数学者が、かな。
簡単すぎるぐらい簡単な本から勉強はじめて
理解を積み上げていくのが一番いいやり方だよね
それで具体的にわからないことが出てきたときや
これはいつ頃、なんのために考え出されたんだろう、と疑問が出てきたときに
この板の詳しい人に質問するのが一番てっとり早い
回答がくるまでの時間を考えると、自分で図書館いって調べるのが一番てっとり早い
ほんとそう思うんだけど、簡単すぎるぐらいのでも疑問が出てくるからさw
そこがやっぱりあれなんだよな....体系に踏込めないとゆうか。
ただ今は基礎論やるつもりはないんで、色々数学好きの人の感覚というか
「あの感じ」「この感じ」
みたいなのを聞いてたら少しは馴染むかなと思ってさ。あんまぴりぴりせず話もしてみたいしね。
ところで高校の頃微分はすごいスッと入ってきてやりたいことも何となくわかった気が
したんだけど、今でも積分はさっぱりなんだよね。なんか...何?なのかな?
微分と積分て使う時の感覚は大差ない?
>>8 志賀浩二先生が朝倉書店や岩波から出してる本がわかりやすいんでね?
>>9 ありがとう!読んでみよう
と、また質問。
物理に対してはどれくらいの興味を持ってる?
>>8 >微分と積分て使う時の感覚は大差ない?
大差あると思う。
何つうか、変化の様子を虫眼鏡で見るように調べるのが微分で、
変化全体を遠くから眺めて平均を取るのが積分という感じかな。
>>11 やっぱある?
大きく分けると微分は演繹だし積分は帰納だと思うんだ。
抽象化する、虫眼鏡で見て変化における共通を探す、後に般化。
事実と言うか一般的なもの、般化されたものにおいての共通を探していき、
虫眼鏡を作る。
まあ同じことといえば同じなんだけど。
数学好きな人はあまり区別しないのかと思ってた。
>>12 微分も積分も演繹です。本来数学には演繹しかありません。
いわゆる数学的帰納法も、実は演繹なのです。まぎらわしい命名ですね。
>抽象化する、虫眼鏡で見て変化における共通を探す、後に般化。
>事実と言うか一般的なもの、般化されたものにおいての共通を探していき、虫眼鏡を作る。
話が飛躍しすぎで、微積分との関連がさっぱりわからん。
「何となくhogehogeみたいな雰囲気?」的なノリだけで説を弄するのは、
議論でも抽象化でもなくただの妄言妄想。トンデモ・デムパへの第一歩だよ。
せっかく数学に興味を持ったんだから、具体的な問題に当たって手を動かし、
ちゃんと理解しなきゃもったいないよ。
>>12 同じことといえば同じなんだよね。数学やってる人が
感覚的に差異を持ってるのかと思ってさ。
>>14 まあそういうhogehogeなところで真っ直ぐ立とうとするのが哲学だからねえw
ちょっと譲れないところもある。
どうしても踏み込む前にイメージを持っておきたいんだけど、まあ
やっぱ具体的な問題に取り組むのが一番だよねえ。9さんの紹介してくれた
本を買おうかと思う。
16 :
132人目の素数さん:2008/10/17(金) 13:03:22
他の質問。
散歩してるとタイルの形とか配置が異様に気になったりしない?
しない
18 :
132人目の素数さん:2008/10/18(土) 15:40:56
しないか。それっぽすぎたw?
小さい時、もしくは今でもいいけど乗り物酔いはするほう?
数学屋と哲学屋のソリが合わない現状を、何とか改善してくれよ。
哲学屋はせめて哲学ぐらいはまじめに勉強すべきだと思う。
そうすれば学問に対する敬意というものが少しは身につく。
21 :
132人目の素数さん:2008/10/27(月) 17:49:32
>>19 そうしようと思ってこのスレを立てたんだが中々上手く行かないなw
ただまあ、この板とかにあるような理系と文系からのイメージの対立は
もう改善できそうにない気がする。勝ち組負け組みとかとも結びついて、ずいぶん根が深い。
まあ数学と哲学の場合はどっちも儲からないからあれだけど..
>>20 いわゆる実存主義が倒されてからは「俺は神だ」モードに入る人は
減ったと思う。ただそれはクソまじめすぎるせいというか...笑ってる顔がないからなあ。
まあその後言語やら記号に軽々しく手を出しすぎて怒られる事件もあったけどw
ソーカル事件ちゃんと調べたわけではないけどその後の反論含めあれは哲学者情けないわ。
いや隠喩だから、ってのは本末転倒だよなあ。
まあしかし難しいな....俺の知ってる哲学の先生は基本的に万能型というか、色んな学問を
敬意からではないかもしれないけどちゃんとやってる。ついでに基礎論なんかも
やってる上で「数学はわからん」とはっきり悔しがってるwああいう人がいれば
もう少しソリが合うようになると思うんだけど、なかなか難しいね。
↓こんなレスをみつけた
日本人研究者の科学論文は、物理学や材料科学などの分野で
世界をリードする例が多く見られるが、
工学や環境などの分野では、やや影が薄い、という実態が
文部科学省・科学技術政策研究所の報告書で4日発表された。
同研究所は、米国の調査会社の論文データベースを使い、
1999〜2004年に発行されたもののうち、
引用回数で上位にある約1万件の重要論文を分析した。
その結果、日本の占有率は9%で、米国(61%)、ドイツ(13%)、
英国(12%)に次ぎ4位だった。5位以下はフランス(7%)、中国(3%)だった。
分野別では物理学や化学、材料科学、動物・植物学などで、日本の占有率が9%以上の領域が多く、
特に特定の超電導材料を研究する領域では日本発が約6割を占めた。
生体分子の機能解明や新材料開発といった学際的分野でも、占有率の高い領域が多くみられた。
一方、工学、環境・生態学、宇宙科学などでは占有率が9%を下回る領域が目立った。
【また精神医学・心理学、社会科学、経済学は0%だった】。
(2007年4月5日0時56分 読売新聞)
文系 0%
無意味な論文書いておもろいんか?
だそうです。
へ〜
と、思いながら読んでいたら
【また精神医学・心理学、社会科学、経済学は0%だった】。
で声を出してワロタwwww
文系バッカジャネーノ
24 :
132人目の素数さん:2008/10/27(月) 23:06:15
挫けそうになるな。しかし。理系文系ってワードは出さないほうがいいんだねえ。
二項対立的なものに自分のポジションを置いて、大樹の陰から外を見下ろすってのは、
単に内外入り混じった曖昧な自分のイメージを安定させたいというだけの欲求であって、
何の賢さを表してるものでもない。日本人だな。嫌な意味で。
25 :
132人目の素数さん:2008/11/03(月) 22:19:11
この前は少し板汚しな書き方をしてしまった...ごめん。
9の方に勧めていただいた志賀浩二先生の本を買ったんだけど
なんか印象変わるねえ。こう書くのも失礼かもしれないけど、
数に対する哲学があると言うか。というかそもそも、なんて言いながら
俺自身まったく考えてなかった。
四則演算、繰り上がり、分数(繰り下がり?)、少数も考えたら不思議だよな。
しかしそんな感じに解きほぐしていっても確実に追いつかないなw
数学者は早い。とにかく加速しようとする
26 :
132人目の素数さん:2008/11/03(月) 22:42:57
日本の文系は上辺だけで要領よく生きていこうとする連中だからだろう
文系は
真剣に
生きて
いない人が
多い気
がする
ごまかせれば
良いや
みたいな
あたし
28 :
132人目の素数さん:2008/11/04(火) 13:54:40
理系文系ひきずるねえwまあこう言うのもアレだが、スレ立てた俺は
普通に理系。数学と生物と現国以外駄目だった。
しかしこの板にいる人は「文系、文系」って言うけどどんな人を見てきたんだ?
誤魔化さない真面目さって事で言えば現象学なんかはめちゃくちゃ真面目だと思うよ。
ああまあフッサールは理系か...。あれはむしろひたすら考えを「遅く」しようとする。
ろ紙の目をひたすら細かくするようにして、自分や精神は勿論心よりも遅くなろうと
したんだけどやはり無理でしたという。
真面目さと誠実さは違う。区別は難しいけど。
真面目さだけのは真理の為だとか利己と利他の区別なんかーと誤魔化しつつ結局自分のため。
29 :
KingMind ◆KWqQaULLTg :2008/11/04(火) 14:56:34
思考盗聴で私から1km以内に介入する奴は早く永久停止したほうがよい。
30 :
べ:2008/11/04(火) 15:02:45
精神医学・心理学、社会科学、経済学が0%ね…。
その事が大きく現れてるね〜日本の社会に。
>>28 現実の人間社会は曖昧と主観の
産物。そして現実の社会、制度、
実務を対象とする社会科学もまた
一部除いて良くも悪くも
曖昧かつフレキシブル。
日本は特にね。ごまかしや
権力者の圧力で現実の制度は
いくらでも変えれる、
一方で曖昧でフレキシブルじゃないと
人間の生活は成り立たない。
一種のジレンマだな。
32 :
132人目の素数さん:2008/11/04(火) 15:24:59
曖昧でフレキシブルでないと現実に対して人間が成り立たない、
でもいいけど完全に静止した真理のようなものの上でそれが成り立ってる、とも言えないかもしれない。
曖昧で主観的で誤魔化されうる不確実な存在に対して、どうにかして完全な形を与えないと人間の生活が
成り立たないのかもしれない。
はっきり目に見えて確実なのに判断保留しなければいけないというジレンマを抱えている人も居るよ。
無駄な懐疑と言われるかもしれないけどもw
33 :
KingMind ◆KWqQaULLTg :2008/11/04(火) 15:48:26
Reply:
>>31 お前は今まで何を見ていた。
思考盗聴で私から1km以内に介入する奴は早く永久停止したほうがよい。
34 :
132人目の素数さん:2008/11/06(木) 05:51:34
KINGてナニ?
35 :
132人目の素数さん:2008/11/06(木) 23:46:31
kingは統合失調症。
入院して治療しなければならないレベル。
36 :
132人目の素数さん:2008/11/07(金) 06:03:47
Kingはかわいそうな人なんでつね
37 :
132人目の素数さん:2008/11/07(金) 14:33:17
あーえっと、ちなみにスレ立てた人は32までね。
うーんなんだかやっぱり上手く行かないみたいだな。
色々とごめん。依頼して消えます
38 :
132人目の素数さん:2008/11/07(金) 17:46:03
ロックなのさー
39 :
132人目の素数さん:2008/11/08(土) 14:15:29
あれ?消えない
もう人の関係はおいといて志賀浩二先生の本の感想書く。まあ消えるまで。
いやーどっか数学は敵だと思ってたけど、数と量の話は感動してしまった。
いや単に俺がバカ、の勉強不足、なのかもしれないけどw無限大と無限小を包括する
数直線。なるほどねー。なるほど。人間と言うか歴史というか数学すげー
頑張って最後までヤレよ
>>39 数直線が好きなおまいに一つ話してやる
有限の長さの直線とそれを半分に切った直線に含まれる点の数は等しい
これ解ると面白いかも
42 :
132人目の素数さん:2008/11/08(土) 20:03:47
>>40 哲学者全員が手当たり次第に手出すようなやつじゃないぞw
7冊まであるらしいからそこまではわからんけど、この本は読んでみるよ。
微分がわかって積分がわからなかった理由がわかるかもしれない。
>>41 解らんwだがちょっとまった。
線というものを考えるに、点の連続と見るか(数。数えていく無限)、
長さ(比較のもの、近似の無限)として見るかできるわけだ?
でこれを両立させてくれるのが数直線と言うわけで。
それはある点の無限に対してある近似の無限を対応させた(仮に同じになったとして)と言う事だ。
この線を他の線と比べる時に「長さ」がまた出てくるが、これらの線が「無限の長さ」な場合
「ある近似の無限」と他の線の「この近似の無限」がどのくらいの点に対応した近似のものなのか
わからないのでそもそも「比べる」事が出来ないと言う事になる。
有限の長さと言う場合、ある近似はある近似の線と比較できるが、
それらがどのくらいの点に対応しているのかはやはりわからない。しかし自身の
ある近似とある近似の場合は同時に「ある近似に対応した点の無限」も比較できーる!
で、ある近似=ある近似でなくても、対応した点の無限は数え上げていくうちで同じ無限なので
、含まれている点の数は同じになる。
だから多分半分じゃなくてもなんでもいいんだよね...?多分
どうですか!
志賀浩二氏の本か。なかなか面白そうだね。
>>42 ちょっと違うが半分じゃなくてもなんでもいいというのは正しい
対応しているというのも目のつけどころがいい
素質があるじゃないか
きみが日本の哲学を救うかもしれん
健闘を祈る
でわおやすみん
>>24 文系だからってそう見られてるわけじゃないよ
数学畑の人間だって知人の半分は文系なんだからそういう人たちの大半をいわゆる「ブンケイ」と見てはいないさ
最初は公平に見ようとした人だって
>>12とか
>>15とか
>>16見れば「ああ、こりゃ駄目な方の奴かな」ってなるよ
ただでさえ自称哲学者というだけで多少の偏見を持たれるのは仕方ないんだから
人より「ブンケイ」で無いくらいでいなきゃ
46 :
132人目の素数さん:2008/11/11(火) 14:08:34
うーんいわゆるブンケイって感じのはやっぱなくならないのかねえ。
他の学問に興味を持つ最初の事として、まあまず「わからない」が
あって、わからないものをわかる人は尊敬できる、あるいは自分と
同等以上である、と言う感じがあると思うんだけどさ。
でもあんまピリピリしてると最初の「わからない」が、自分未満、
知る必要が無いから、ってな感じになってしまうからさ。とりあえず
世間話的な感じがいいんじゃないのかと思うところがあったり。
まあでも確かにああいう質問の仕方では暇なバカが気まぐれにまとわり
つくような印象しかないかw
とりあえず高度でなくてもまともな数学の話題をあげて
それに哲学屋さんならではの見方を付け加えてもらえると
ああ、なるほど、って参考になるんだが
たとへばオイラーの等式ならどういう感想を持つ?
ごめん俺の場合数学は最近真面目に取り組み始めたばかりだからなんとも....
うあああなんかごめん。一学生なもので...
志賀先生の本の数直線から数の演算に移るところでもう、何かしらの隔たり
を感じ始めてるからなあ。0や負の数とは何かを考えなおさねばならん
と言う事で0の発見だったかな?有名らしい本を読むことにした
だから個人的な感想というと=って何だろうとかそんな事になってしまうな。
1:1 が=って事なんだろうかとか。数学は重さと、最後には時間
がなくなる感じだなーとか。ごめん微妙で...w
志賀先生の文読んでて感じたのは、現代思想とかだと「先送り」の考え方
とかが数学を捉えるのに役に立つ感じがしたよ。
49 :
132人目の素数さん:2008/11/15(土) 23:58:36
零の発見は読んでるのか
50 :
132人目の素数さん:2008/11/17(月) 16:21:57
やっと届いた。眼球についての本をちょうど読みまとめたので、
これから読むつもり。感覚を切り替えて、気合入れ直さにゃならん。
しかしあれだね...違う畑の人間に対して公平な印象を持ち続けるのは難しいね。
他の分野の人の文を読んで感じる「なんでそうなるの?」って苛立ちは
ほんと無くならないw特に行動主義的な心理学者はなんであんな
心について雑っつうか野蛮っつうか...と毎回思うけど、実験内容の発想に
ついてはちょっと哲学者に無いものがある。とんでもない事しだすし。
わからないもんだ
俺は哲学がぜんぜんわからんw
52 :
132人目の素数さん:2008/11/18(火) 13:38:24
おお!親交っぽくなってきたなあ
ただまあスレの性質上、なんかこう哲学者側の自慰的な自作自演にするつもり
じゃあなかろうかという雰囲気が漂わざるを得ないのでwそういう疑いを念頭
にいれた上での反応であると言う事をアピールしとかねばならん。普通に正直
な意見を言ってくれてる分なら申し訳ないんだけど、まあお互いの為と言う事で
こう書いた事を了承して欲しい。
どういうとこで思ったのかを書いてくれると助かる。
やっぱ大学の一般系の講義とか?w
哲学教えてよ
1さんよ
現代の哲学は何を研究してるのか教えて
55 :
132人目の素数さん:2008/11/21(金) 15:32:51
難しいなーw広い聞き方は逆に俺なんかの日本の一学生には難しい。
代表して言うってのもなんだかおこがましい。だからこう、なんとなく
の話なんだけど...
とりあえず日本にあってよく議論されるのははソシュールーデリダ
に連なるような、数学と仲の悪いwフランス系と、フッサールや
なんかの現象学なんじゃないかと思う。現代ってのも難しいけど、20
世紀以降の人が取り上げられる事が多い方面と言う事ではそんな感じ。
ウィトゲンシュタインとかフレーゲ、ラッセルが出てくるような論理学
方面は俺はさっぱり。イタリアもアメリカもさっぱり。
大まかなイメージとしてはフランスのは社会、経済学と精神分析の子共
って感じ。「こういう面白い動きがありますよ」と。
現象学はある意味個人として出来る学問の限界というか、人権の限界とも
いえるもの。突き詰めるにはある種の才能と神経症になる覚悟がいるかもしれない。
この文書いた人は心理学者だけど、っぽいので少し引用すると
(感覚と記憶についての話。分離して考えられるか)
「....例えば目の前にコップが「見えた」と言う事は、とりもなおさず
コップが見えたと「感じる」事であり、と言う事はつまり、コップのイメージ
が、心の中に「しばらく留まった」と言う事になる...」
こういうものすごい曖昧なところを逐一記述していくのが現象学。
ただその曖昧なとこをはっきりさせるために、新しい違う言葉を作りすぎた
というか、述語を作りすぎたのが失敗だったとか先生は言ってたな。
んー俺に書けるのはこれくらいだ....どちらの側にもごめんなさいw
56 :
132人目の素数さん:2008/11/21(金) 16:51:31
哲学ってのは、おおざっぱに言っちゃえば、「前提」を分析するような営みだわな。
科学が細分化した現代においてはそれぞれの分野の哲学があるといってもいい。
例えば、数学では「数」や「距離」などといった抽象的な概念を前提にして成り立っているわけだが、一方でじゃあその前提となっている「数」や「距離」ってなんなんだ?ってことになる。
そこで集合や位相なんかのアイディアが出てきたわけだ。数学基礎論って分野はある意味で「数学の哲学」にあたるかもね。
まぁ方法や対象の違いで「哲学」を分けるとしたら、存在論や認識論、言語哲学などの分野に分けられるんじゃね??と学部生が生意気いってみる。
>>55 スマソ 難しいのであとでもう一度読み直してみるが一つだけ
>例えば目の前にコップが「見えた」と言う事は
これは俺の常識だとコップから散乱された光子が目の神経を組織する原子を
励起してそのエネルギーが脳まで伝わって…と解釈するのだが
哲学はすべて心(認識?)の問題としてとらえるということでいいかい?
58 :
132人目の素数さん:2008/11/21(金) 20:21:34
>>56 俺はなんだかんだでその人が生まれてきた事が事件のような、
そういう人間じゃないような一人が出てくるのが系を生むと思う。
勿論歴史に基づいてはいるんだけど、結局体系って言っても一人か
二人かくらいに行き着くものだから体はその人だけのものなんだよな。
ほかはその人の説明
>>57 フフフw
多分あなたは哲学を学んだら色々な面白さを得られると思う。
俺は観念論者ではないから全て心からできてる!と言うつもりは無いけど
、さて認識から切り離して考えることの出来る問題というのはありえるだろうか。
コップから散乱された光子が目の神経を組織する原子を
励起してそのエネルギーが脳まで伝わって
例えばこの文も光が目に入って脳まで伝わって...というわけだけど、
それも伝わって....認識される、見られるという事じゃないだろうか。
物理的な解釈の、認識と哲学的な解釈の、認識とわけることは出来るけど
、今あなたが、あるいは人間がこれを見ているという認識から切り離して映像や解釈や常識が
独立に存在できるだろうか。逆に、でもないけど脳や光って考えが無くても
今コップは、文字は「見え」ているし見ることが出来る。その見えと解釈を対応付
けることは出来るけど、それはイコールだろうか。だからこの「見え」が心なのかも
わからない。心とか主観と呼ぶものじゃないかもしれない、けどもまあ主観的?な
見え方の解釈と、形や質量や〜っていう割と普遍的な変化の無い客観的な見え方の解釈は違うから分けておこうと。
でもこれを分けるのも神様とか真理じゃなくて人間なわけで。独立した客観的世界なんてもの
が先立ってあるのかどうか、というのも認識や考えから切り離して導けるだろうか。
59 :
132人目の素数さん:2008/11/21(金) 23:07:31
むずいねえw
俺がいなくったって撮像素子にはコップの形が映るだろうと思ったが、
その映った像を確認するのも人間だろう、と言うわけか
はぁ
人間の存在に意味が欲しいのかな
対人間なら存在の価値は証明できるだろうが
コップを相手に証明できるのかいな
>>58って1さんだよな
60 :
132人目の素数さん:2008/11/21(金) 23:48:39
58は1だよー。ってなんか変な文だなw
もう少し突き詰めればコップの形に映るという事がどういうことなのか
と考えなければならない。まあそんな感じに解きほぐしていくんだな。
哲学でしばしばでてくる概念に「物自体」って言う考えがあるんだけど、
これはつまり人間が、というより何の条件も証明も法則も無く、それ自体
で存在するようなもの。文脈的にはコップを視覚から解釈される存在として
扱ったけど物自体としてのコップは、何の感覚とも関係ない独立と考える。
そんな風にあらゆる主観的な思い込みを排除したいのね。
だから物自体としてのコップは「形」とは関係が無い。形は、物自体のコップ
に対して光を媒体とした二次的に与えられるコップの一属性に過ぎない。更に言えば物自体
としてのコップにいわば勝手に、恣意的に光を媒体として何らかの認識を受け取っているに
過ぎないのだから、「コップの形」はコップの実在と何ら関係ないと考えることも出来る。
まあこんな風に考えると、コップを相手に人間の存在を証明するというよりまずコップ
の存在が怪しい!人間なんてあとのあと。人間の存在に意味が、というより人間が存在
しているのかもわからずそれについての意味と言うのも何かわからず、そもそも
「証明」するということはいったい何をすることで、完全な、物自体な証明は存在するのか?
まあこうゆうのがデカルト辺りの文脈w
61 :
132人目の素数さん:2008/11/22(土) 13:32:12
零の発見の吉田洋一先生は文が上手いなあ。なるほど位としての0か。
そろばん使った事無いからいまいちピンとこないとこもあるけど、それまで
は「一つ、二つ...」と指で数える「数のもの」としてしか表してなかったんだな。
だからギリシャ数字のν、50で350を表そうとすればいわば
ν ν
ν ν ν ν
ν
と書いてもいいわけだ。
だからその、表現が難しいけど一つ、二つ....の間の「量の数を数えた」というか。
それまでの数は集まり方に意味が無かったけど、左より右にある数は一つ、二つ...
を含んでいると言うか、先送りしてるというルールが出来た。
この辺りの繰り上がりみたいなところが難しい。なんかもっと考えなきゃいけない気がする。
少し思いつきのイメージで書くけど無限遠点と言うか仮無限というか、数に対して量で微分した
というか...まだよくわからないけどとりあえず先を読みます。
62 :
132人目の素数さん:2008/11/22(土) 15:46:44
難問です。
辺ABを下底とする台形ABCDが、AD=DC=CB=1、AB>1をみたしている。対角線ACとBDの交点をP,AD↑=x↑、DC↑=y↑とし、x↑、y↑の内積をx↑、・y↑、と表す。
(1)ABを、x↑・y↑を用いて表せ
これは解けました。AB=1+2x↑・y↑
これは正解していると思います。
(2)AP↑をx↑、y↑、x↑・y↑を用いて表せ。
(3)x↑・y↑=√3/2のとき△ABPの面積を求めよ。
(2)番だけでも良いんでぜひお願いいたします。本当に困っております。
63 :
132人目の素数さん:2008/11/26(水) 16:47:51
誤爆ーってのがないのは、いやがらせですかw
零の発見読んでると、そろばんやっとけばよかったなーと思う。
触れた事もないから使い方が推測になるところがある。
いまどきはそろばん塾ってどうなのかね?
数学科とかで子供の頃行かされてたーって人多いのかな?
そろばんやってた人がいたら、今の自分の数学に繋がってるとこ
なんかを聞いてみたい。
うるさい。
65 :
132人目の素数さん:2008/11/27(木) 16:39:16
せっかく本買ったんだから、そろばんも買ってくればいいじゃまいかw
66 :
132人目の素数さん:2008/11/27(木) 17:01:47
数学とは二律背反のみを使う論理学のきわめて
特殊な分野でつ。本来は哲学の瑣末な一研究課題でつ。
67 :
132人目の素数さん:2008/11/27(木) 19:02:28
>>64 まあ少し話を聞いておくれよ
>>65 21でそろばんーw?
なんかのおまけとかで貰えないかな。コンビニでたまにできるくじとか。
しかしディズニーやらなんやらのキャラのついた商品は数あれど、さすがに
そろばんはないかなあ
>>66 まあ無価値化、矮小化しようという言説にあんまり大した内容を見たことがないというか
そろばんと縦笛を布の袋に入れてランドセルにくくりつけ登校する
これが昔の消防のデフォ
69 :
132人目の素数さん:2008/11/27(木) 19:38:10
そうだったな。情景が目に浮かぶよ
70 :
132人目の素数さん:2008/11/27(木) 20:12:01
そろばん童貞のまま生きていくのか?
たいした哲学者だな
そら数学わからん罠
71 :
132人目の素数さん:2008/11/27(木) 21:48:34
そろばん童貞てw
しかしでも数学好きの人の話を聞いてると、数えたり計算したりする事って
楽しい事なんだなと思えてきたよ。ただの手段みたいに考えてたけど。
でも実際買ったら馬鹿がいるといわれそうなんだが...w
俺の時代も縦笛はデフォだったな。あと結局何に使ったのか思い出せない
30cm定規。竹の
かわいいw
和ませてもらった
ありがとう
74 :
132人目の素数さん:2008/11/29(土) 21:06:50
それ子供が買うのかな...wそろばん実際に使えそう
高校で対数というかlog習った時はeって何だ!?となって
解き方だけ覚える感じだったけど、零の発見読んでて対数の
目的と言うか、やりたいことが少しわかったよ。数を扱うって大変なんだな。
まあこの本だけだと、ある数の積はそれらの対数を足した数、をなんていうか、
対数じゃない側に戻した数だっていうのが「そんな事出来るの....?」と不思議な
ままではあるんだけど。まあ積の値の伸び率?には数が大きくしていく中で何らかの
偏りがあるだろうからそういうのなのかなーと思う。eは全然わからん。
読み終えたらネイピアさんに聞かないと
たとえば電卓やコンピュータの無かった昔は
物理計算や天文計算は計算尺と対数表でやっていた
乗算が加算に変わるから計算がしやすかった、というような経緯もある
76 :
132人目の素数さん:2008/11/30(日) 01:06:52
あー。膨大な数になるだろうからね。今は計算自体は可能なものという感じだけど、
良い計算方法が無い時代はなんというか一生のうちに計算できる分はこれくらい
みたいなのがあったかもしれん。
というか計算尺見たことなかったから驚いたよ。
先生も著書の中で書いておられたけど、数学はあまり宗教からの弊害ってのが少ない感じだね。
むしろ神学者が多かったり。
でも計算尺とか筆算とかけっこう驚くと思うけどなあ。俺は驚いたw邪教の呪具だとか魔方陣だとか
言われなかったのか。商業やなんかとの結びつきなんかも勢力になってたりしたのかな
実数指数を認めてしまえば、対数は不思議でもなんでもない。
たとえば10を基準にすると、10の2乗は100、10の3乗は1000で、10進法ではちょうど
桁上がりの境目の数だけど、10の2.5乗とかは当然100と1000の間の数のはずだろ?
10の1乗より小さい数、たとえば2とか3は、10の0.?乗とかのはず。
式なんか使わずとも、もう少し正確に見積もることもできる。たとえば2倍を10回や
ると1024倍になるなんてのは、麻雀とかコンピュータやってりゃ自然に覚えるが、
10回かけて10の3乗ちょっとということは、2は10の0.3乗ちょっとってことだ。つまり
log[10]2は0.3ちょっと。(ちなみに正確には0.3010…)
log[10]3なら、サザンが9だから2回かけて10の1乗弱ってことは、3は10の0.5乗弱。
つまりlog[10]3は0.5弱。(正確には0.4771…)
高校でも形式的に問題解いたりする前に、対数なんてこれだけのことという感覚
がほしいね。
eのほうは微分にからんで出てくるので、つかむにはどうしても速度とか傾きとかの話が要る。
aを1より大きい定数とする。aのx乗のグラフは、x=0(y軸上)で1で、以後急速に増加する。
たとえばaが2なら、x=1のとき2, x=2のとき4, x=3のとき8,…で間もなめらかにつながってる。
aが10なら、x=1のとき10, x=2のとき100, x=3のとき1000,…で, a=2のときより増加が早い。
aを1からだんだん大きくしていくとき、グラフの右の方はどんどん上に上がっていく。
y軸を切るところで見ていても、aが1に近いときは真横に近かったのに、aが大きくなると傾きが
大きくなっていく。ということは、どこかで傾き1(45度)になるときがあるよな?
そのときのaがe=2.718…ってこった。
78 :
132人目の素数さん:2008/11/30(日) 12:21:57
関数の値と微分係数の値がつねに等しくて
何かと便利なのがe^xという指数関数、と考えるとどうかな
>>71 数えたりとか四則演算
とかは算数の話で数学
とは違うから、数学が
好きな人でも暗算が得意
というわけでもなく、
むしろ逆のことも多い。
一般の人は混同してる
こと多いけど。
>>74 だったら、森毅「数の現象学」(現在は朝日選書バージョンが入手可能だと思う)も
読んでみれ、と言っておく。
あと、
>>77のさらに前段階の話。
>>74氏は100*1000をどう計算するよ?
0の数が2と3だから合計5、だから積は0を5つけて100000。
これ、加法で乗法を処理してるでしょ?
対数はある変換(計算したい数が、基準とする数の何乗とあらわしうるか)と、
その逆変換を行うことで、任意の数の間でこれと同じ計算を行うというのが
基本着想。具体的に10を基準としたときの「変換」について述べてるのが
>>77の言ってること。
81 :
132人目の素数さん:2008/11/30(日) 19:13:21
>>66 そういう言い方をするならすべてのスポーツも運動生理学の瑣末な一研究課題だなw 馬鹿.
スポーツをやってみたときの面白さってのは形式化を超えた実存的なもの.
(後付の理屈はいくらでも出来るが、最初に理屈抜きの感動がある.)
数学も、W&Rが試みた形では論理学の一部門には収まらない.それは
ゲーデル云々という以前に、「実係数多項式が高々二次の因子に分解できる」
というような事実を証明されたときに感じる肌が粟立つような感覚、感動を
まったく反映していないから.
哲学と自然科学が明確に分離した中世には
すでに哲学の役割は終わってるんだよね。
俺もそれに近い考えを持っているから
>>54で「現代の哲学は何を研究してるのか」と聞いてみた
哲学学者ではなく哲学者として研究したいことはあるのかと
84 :
132人目の素数さん:2008/11/30(日) 23:28:47
>>77の前半
>>80 丁寧な説明ありがとう。自分の言葉で言うと、ある数の関係において
それぞれがそれぞれをどのくらい乗法したら相手になるか、という発想
は少しつかめた気がする。10をかけるとき普通〜にたしてるなw哲学者
ともあろう者がまったく。本は尼にあったので、積まないようにしばらくしたら
読んでみます。
ただ計算尺を考えてるとなんかむずがゆいものが残るんだよね....
「位」というものの発展?と考えるとさ。0を考えた事によって例えば
11と書いたら1と1で2、ではなく10と1で11になる、と考えるようになった。
というか10と1で〜なんて考えない。位をなんらかの箱のようなもので
言うと、11の場合右の1の文字の下と言うか奥というかwに「十進法の位の箱」が埋め込まれてる。
この箱の長さというか大きさの感覚は万とか、億とかに当たる。了解というか。
計算尺の対数目盛りをこんな風に考えるなら、「自分を自分で乗する法の位の箱」
が埋め込まれてるように考えられる。この箱の長さを、「cmの箱」の長さに合わせて?
線引きした所を先の箱に書かれている1、2という数字で記す。
で、1111が
1000 ←千の箱
100
10
1
0
を足したという風に、「自分で自分を乗した法の位の箱」を足せば、積が出る....のか?
なんかちょっと混乱し始めた...意味不明な文だったら不快にさせてしまって申し訳ない。
なんだろな....何かの感覚が決定的にわかってない。
>>77後半
少しわかった。そのeを基準にすれば、確かに色々便利そう。な感じはわかるw
実際に何らかの問題を解くときにeが有難くなってくるのかもしれない。
85 :
132人目の素数さん:2008/12/01(月) 00:03:36
長そうなので分けた
>>78 ごめんまだハードルが...
>>79 さすがにステレオタイプなイメージは持ってないよ。ただ物理的な空間イメージ
の追求のようには考えてた。
>>82、83
そういう事なら81さんの感覚を逆に持ってもらえれば一番いいかもしれない。
あと言える事は歴史は終ったり始まったりしてるものじゃない。なんと言うか。
「新しい発見」をするのが学者だとすると。哲学学者というのはもう終った発見を
「新しい解釈」しているだけ、あるいは発見の情報をコピーしているだけ、そういう風に
見えるかもしれない。ただ真理なり何なりがあらかじめ存在していて、それを発掘するのが新しい発見と言うなら
この真理は発掘された時より古い存在として在った事になる。掘り返されてから始めて「新しい」んであって、古い存在とか
新しい存在って感覚は有限のスパン内での「近いか遠いか」であって新しさとは違うと思う。あらかじめというなら「新しさ」は無い。
まあこういう哲学者っぽいのは置いとくとw哲学者がやってることじゃないけど俺は新生児模倣とかミラーニューロンの研究なんかが楽しみだなあ。
生まれたばかりの赤ん坊でも、親が舌をべえ〜とすると、舌を突き出す動作を見せる。
>>81 興奮を反映してないから何なのか
怒ってるだけなのか?
森毅の(エッセイじゃなくて数学関係の)著作は、なるほど
>>84の哲学者さんには
合いそう。意味に(ズボラに)こだわるあたりとか
森さんの本と言えば講談社学術文庫の「魔術から数学へ」は
まさに数学と哲学の接点を論じている
1さんにはオヌヌメ
>>84 >少しわかった。そのeを基準にすれば、確かに色々便利そう。な感じはわかるw
>実際に何らかの問題を解くときにeが有難くなってくるのかもしれない。
たしかに、単に色々便利なだけかも。
やや違う文脈でeそのものがひょっこり出てきたりもするけど。
たとえば複利計算。
ヤミ金で、年利100%の借金をしたとする。
1年後には元本と同じ額の利子がついて、借金が2倍になるわけ。ヒドイ…w
んでこのヤミ金がさらに悪徳で、毎月複利計算をするとする。つまり毎月、それまで
の元利合計に1/12の利子をつけて借金に算入する。これだと利子に利子がついて、
1年後の借金は最初の2倍よりもっと多くなる。
さらに悪徳で、毎日複利計算をされるとする。つまり毎日、それまでの元利合計に
1/365の利子をつけて借金に算入する。1年ほっとくと、これを365回やられるから、
借金総額はさらに増える。
さらに、毎時間ごとに、毎分ごとに、毎秒ごとにと細かく複利計算をされると、1
年後の借金総額は恐ろしいことに……
…という気がするけど、無限に細かく複利計算をした極限は、最初の元本の
e=2.718…倍に近づいていく、ということが証明できる。(だから絶対にe倍以上にはならない)
90 :
132人目の素数さん:2008/12/01(月) 17:28:12
森毅さん調べてみたら、すごい広く活動した人なんだねえ。著作数もすごい。
エッセイとか文学系も多い。変わった人だなあ。
魔術から数学へも面白そうだね。気になるのから読んでみようと思う。
後まあ個人である以上意味はズボラなものであるというかなんというか..w
計算尺がいまいちもやもやするから自分で作ってみようかと思ったらちょうどよく
計算尺推進委員会なるホームページを発見したw気合沸いてきたら読んでみようと思う
つまり期間・利と、(期間/無限)・元利をあのー順列の和なかんじで
同じ無限の数分足した合計(こういうのどう表すんだっけ?)の比がeに近づくのか。
だからえーと何のスピードの差なんだ...?
91 :
132人目の素数さん:2008/12/02(火) 01:47:29
ちょっと整理できてきた。無限大と無限小を包括して数直線を
考えたように、指数の無限を線として考えればいいのか。それが実数指数?
前者の無限は「あるものを無限回足していったらどのくらいの大きさになるか」
という加法の無限だけど、後者は「あるものを無限回かけていったらどのくらいのおおきさになるのか」
という乗法の無限。という事じゃないだろうか....。
この異なる無限の大きくなるスピードを比べようとした時、速度の同じところから見なくちゃいけない。
同じであると言えるあるもの(自然数)。それがネイピア数。
そうなの?だめだああマジで頭がおかしくなる。明らかに考える順番、本間違えてる気がする。
夜も眠れず
93 :
132人目の素数さん:2008/12/02(火) 13:08:13
いやいやありがとう!生徒の飲み込みの良さにへこむけどw
なろほど数直線でのべき乗は指数関数だと(数直線で言うところの)Y=○X
になるわけか。ネイピア数はまだわからないけど、しかしこの傾きが変わらないと言うか。
スピードが同じと言うか。正比例するというのは、なんだか不思議な感覚だねえ。
正比例とは!と哲学的に言ってみたいもんです
>正比例とは!と哲学的に言ってみたいもんです
それってまさに森毅?
正比例での近似が微分、正比例の多次元化が線形代数、それらを合わせた
ものが他変数の解析学で…みたいな哲学は森毅がよく書いてたな。
正比例と2次関数にすでにすべての本質は入っている、とか。
指数関数はネズミ算であって(減るほうなら放射能の半減期とか)、その時点
での全体量に比例して増える速度がきまるというのは自然界では基本的な変化
だとか。
95 :
132人目の素数さん:2008/12/03(水) 17:01:26
むう。ますます森毅さんが気になるねえ...その時点での、は誰が見た
ことなのかと言うのがなんだかつっかかりそうなところ。
というか零の発見の1節を読み終えて対数やら指数やらを掘り下げようとして
たらなんだか破裂しそうになってきたよwネイピア数もわからんし順列と関数
って結局何が違うのとかもうあの哲学者典型の袋小路
とりあえず2節の直線に切るに進む。
哲学とか数学関係なく考える上であることだとは思うんだけどさ、
大海というか、原生林に投げ出される感じってあるよね。
ものすごいハイになるけど同じくらいの恐怖感
96 :
132人目の素数さん:2008/12/04(木) 16:56:43
なんかものすごい単純なところで詰まってしまった....
.....図で示すように(点で出来た正方形に斜線を引いたもの)、平方数が
二つの三角形の和として表されることすなわち
n^2=1/2n(n+1)+1/2(n-1)n
とあるんだけど....わからない。線で引いたところが三角形のそれぞれ偶数か奇数の
底辺になるんだろうから、nと(n−1)が底辺だとは思うんだけど、そこにかけてる
ものがわからない。面積として考えるものじゃないのかな?
97 :
132人目の素数さん:2008/12/04(木) 17:02:24
あっ等差数列の和か...すいません
98 :
132人目の素数さん:2008/12/06(土) 12:58:25
なんかすぐつまづくな...自分のアホさ加減がいやになる。しかし投げ出しません解くまでは
a^2=b^2+C^2 をみたす整数、つまり直角三角形を表す組み合わせ
はどのようにして求めるかって話でさ。
(n^2-1/2)^2+n^2=(n^2+1/2)^2
となる事をピタゴラスは知っていたようだという前置きがあり。 どうやって考えたかと言うとき、
2つの平方数の差を表すグノモン、 2n+1をもってして考えたのだろうとなる。そして直角三角形
を表すもの、小さい平方数と大きい平方数が整数なのだから、このグノモンもまた整数(ここで
言われる整数と自然数の言葉の分け方もわからん)でなければならない。
これを
2c+1=n^2
と表せばすなわちcが小さい平方数でc+1が大きい平方数だから移行すれば...となるんだけど
2c+1=n^2が条件になるのはわかる。ただそこからがわからない。グノモンの差の条件から、
それを前後する二つの整数を求められる気はする。だからCとC+1が、ってのもなんとなくはわかる。
でもなんか騙されてる気もする...wここの「だから」がなんか魔法なんだよ!
前後する、をcとc+1って書くと単に自然数の順列の関係のような気がするからか...?
どう考えたらいいのかな?他の考え方なんかもあったら教えて欲しい
2c+1=c+(c+1) って分けただけじゃね
100 :
100:2008/12/06(土) 15:38:31
100じゃろ?
101 :
132人目の素数さん:2008/12/06(土) 15:44:12
その場合c=a c+1=b を表すような気がしてしまうんだよなあ...小さい平方数と大きい平方数の辺。
でもそれだと単に2,3 3,4 て表すだけでピタゴラス数とは関係なくなる。
102 :
132人目の素数さん:2008/12/06(土) 17:34:32
日記に書いてろ的なことをごちゃごちゃかいてすまん...ただちょっと
わからないところがわかった。吉田先生の文で
平方数を表す図形にグノモンをそえれば矢張平方数(?)をあらわす
一つの図形が得られる。そしてこの場合グノモンは奇数個からなっている。
逆に言えば奇数個の点をグノモン形に並べておくことは二つの平方図形の差
として考えられる。
グノモンは必ず奇数というのはそうなんだけどさ、二つの平方数、平方図形の差の合計は必ず
奇数にはならないじゃん?当たり前だけど....。5^2−3^2=16
グノモンの合計は必ず奇数になるとは限らない。
でもピタゴラスの数の場合だと4^2−3^2 12^2−5^2 24^2−7^2
合計も必ず奇数になる。不思議だ....
2c+1=(c+1)^2−c^2
だからじゃね
104 :
132人目の素数さん:2008/12/17(水) 18:55:36
大学の課題がうんこのようにたまってて(内容もうんこ)本読み進められなかった。
やっと一段落だわー。本はゼノンがピタゴラスに対して問題を突きつけたところで
止まってたんで、そこから読み進めようと思うんだけど、止まってた間にいくつか
思いついたことがあるんでちょっと書かせて欲しい。ただ今まで以上にアレかもしれない。
つっこみまれどころが自分でわかってないので、教えてもらえると助かります。
1:1対応ってなんだと考えたかったんですがね...
105 :
132人目の素数さん:2008/12/17(水) 19:19:04
直線と波線について
線と言うのはなんだろう、と言うときに最初に考えが浮かぶのは点を数珠繋ぎにした、
いわば棒である。この考えに矛盾が生じるときと時と言うのはいろいろあるだろうが、歴史的には割り切
れない時であった。今この数珠繋ぎというものを「数え上げる感覚」と「長さ(幅、大きさ)の感覚」の対
応したものだと考えるとする。といってもこれは単純に定規に目盛りを記すと言う事に
過ぎない。さてでは例えば1は3で割り切れない、というのはこの場合何を意味するの
か。大雑把に言えばそれは定規に記された数を見て1,2,3と数え上げていく感覚と
、同様に定規を見て1の長さ、2の長さ、3の長さ、と言って行った感覚とのずれであ
る。だがまたこの場合ずれがあるということは、何らかが対応していたと言うわけだが
、数の感覚と長さの感覚はどうのように対応していただろうか。
106 :
132人目の素数さん:2008/12/17(水) 19:27:25
ではどこまでもこうしてどう対応していたかと、
まあ豆腐をきっていったら(1:1に)ぶちあたるところはあるの
かと考えていけば、もはやこの考え自体がなんらかの対応に基づいているものだと言う
わけで、考えは無限に続く。そうしてこの感覚の対応はいわゆる恣意的な結びつき、関
係に過ぎないと気づくのだが、恣意的な関係と言う言葉は、対応の、関係の存在を否定
するものではない。ここで否定されているのはつまるところ1:1対応なのである。数
と長さと言うことで言えば数え上げていく感覚の中での1、に長さの1、が同時に無け
ればならないと言う事だが、それは感覚が関係を持つことを前提としたものである。恣
意性と言うのは1のところに2があるのか3があるのかはわからないということだ。ずれ、
によって条件足り得なかったものが1:1対応であったとすると、それでも関係していた
その条件は何であろう。
感覚同士が必ずしも1:1対応を条件としないのならば、いったい何をして感覚たち
は対応しているのだろうか。
107 :
132人目の素数さん:2008/12/17(水) 19:32:26
仮にそれらを結び付けているのもまた感覚だ、と考えると、豆腐を切っていく過程でい
わば部分的ではあるがその感覚に名前を与える事が出来るだろう。あるいはその過程は切り捨てて
、まあその無限小数の包括をするとして。この場合それを行うものはなんであろうか。
数え上げていく感覚と、大きさの感覚を併せ持つ一つの感覚、つまり密度である。こう
して線が長さや数でなく密度から考えられるようになる、あるいは線は実在として密度であると
考えられると、前のような割り切れない矛盾と言うのは無くなる。
1が3で割り切れず紙の上で無限に長く続いていく級数はあっても、豆腐を切
って切っていく過程を部分的なこととして、密度をその全体としたのだから、われわれ
はその級数の全体を既に見たのだ、と言う事になる。これはいわば見かけのことを信頼
したと言う事だ。もしかしたら3が続いていく過程で違う数が現れるかもしれないとい
うアホな懐疑は無しにして、この紙に書いてある3の連続性が全てを表す、これは部分
ではなく閉じた全体であると。
108 :
132人目の素数さん:2008/12/17(水) 19:37:26
こうして作られる数直線は、数直線たちは、必ずお互いに対応する事が出来る。
1という数に2の長さがあるというずれがあっても、無限に密度をーつまりは数も
長さも持つものとしてまた実在としたのだから、そのずれは我々の恣意のものとして、
数直線としては1:1 対応しているのだと言う事が出来る。数と長さが違っても、
それは我々の有限、見かけがそう 見せているだけであり、数直線としては無限小、大において
1:1対応しているのだと。
こういう風に考えた時密度をみかけで判断できる線はないのか?と思えてくる。数え上
げていく事と長さの対応を、「見かけ上の1:1対応の問題」としたように、密度と数
直線も。そうして見かけの問題となると、密度と数直線の対応関係は再び数え上げてい
く感覚と長さ(大きさ)の感覚になる。そう考えた時それらを解決させるのは波である
。波と言う形も数直線と同様見かけ上対応しないものは無い。波においては密度は見か
け上で傾きを示し、円形からわかるように全ての密度を持つことが出来る。つまり大き
さの感覚だけで数直線的対応を得る事が出来る。そしてこの円形の波の数というのが上
記の級数と同様に、無限に続く数(大きさ、形)でありかつ包括できると考えるならば
、密度から数直線の実在を考えたように、振動の実在を考える事が出来る。この振動の線
はいわばバネのようなものになる。つまり数直線では見かけ状対応がわからなかったも
のを、伸縮と言う見かけ上の運動をもって対応しているものである事を示した。それを実在的
に言うならば、つまりバネである。バネ同士であればどちらかを伸ばしてやる事で「必ず」同
じ形をとることが出来、数直線と同様全て1:1対応可能であり、また自身の線(バネ
)であればどう切り取っても全体と同じものになる。
これによって数直線とは違った連続性を得る事が出来る。それを連続と呼ぶかはわから
ないが、途中で切れていても連続と呼ぶ事が出来るのだ。つまりそこはバネの頂点(あ
るいは逆)である、という事から。
109 :
132人目の素数さん:2008/12/26(金) 01:54:26
なんだこのブログモドキスレは?
演説したいんだろ。好きなだけシコらせてやろう。
111 :
132人目の素数さん:2008/12/30(火) 17:38:54
数学わかんない哲学者がすっかり活動停止
病気か?
事故か?
入院か?
死んだか?
早く零の発見嫁よ
新書にどんだけかかってんだよ
てか
数学わかんないならブルーバックスからやってけよ
彼なら巣である哲学板に帰ってしまったのではないかな?
113 :
132人目の素数さん:2008/12/31(水) 07:33:08
飽きたんだな
114 :
132人目の素数さん:2008/12/31(水) 08:05:27
負けただけだろ
115 :
132人目の素数さん:2008/12/31(水) 08:15:35
あんまり言うと哲学者が帰ってこれなくなるw
116 :
132人目の素数さん:2009/01/03(土) 01:45:26
帰ってきにくいですわw日記に書いてろ的暴走したまま放置でゴメン
忙しかったのと、先生に結論を提出したら間違い指摘されてへこんでた。
0の発見読み終えたけど、超越数の辺りはちょっとわかんなかったな。
この辺は多分他の本読まなきゃ駄目なんだろう。てかピタゴラスとユークリッド
の違いをはっきりしないと
現実にある/紙の上に幾何として、または(代)数としてある、というとこの抽象が
はっきり区別できないね。超越数は後者のどちらからでも数として表せないって事なんだろうか
117 :
132人目の素数さん:2009/01/08(木) 23:26:34
もともと哲学と数学は同じ絶対的真理だった。
しかし中世において遠近法やカントによって哲学の絶対的真理は不確実なものとなり、
絶対的真理とされる数学と区別される。
近代マルクス主義やフッサールやサルトルの現象学・実存主義で哲学も絶対的真理と思い込む人々が出てきたが
逆にアインシュタイン等により数学科学の絶対的真理が乱れ始める。
そしてFクライン、ブルバキや、
実存主義を退けたレヴィストロースやフーコー等の構造主義の登場で
哲学と数学は相対的普遍として再び合流←今ココ
森毅さんの「数の現象学」
ちくま学芸文庫で再販されるね
どんな本だろう
>アインシュタイン等により数学科学の絶対的真理が乱れ始める
イミフ
121 :
132人目の素数さん:2009/01/09(金) 18:35:29
情けないのう
もう来るなよ
122 :
132人目の素数さん:2009/01/20(火) 21:24:02
>>117 数学の基礎付けをめぐる論争をアインシュタインが実質的無内容だとみなして批判した事を指してるつもり?
それならば、論争の当事者たちの名前を挙げるのが適当だなぁ。
まあ、一行目からおかしいのはさておき。
123 :
132人目の素数さん:2009/01/20(火) 22:08:46
なんというアホスレ
124 :
132人目の素数さん:2009/01/22(木) 02:28:46
このスレの結論: 哲学やってるやつはアホ
数学よくわからない俺にもわかる真理がある。
哲学やっているやつはアホ
哲オタにいじめられたのか
言葉遊びにうんざりした。
哲学と言語学は難しいよ。
129 :
132人目の素数さん:2009/01/22(木) 15:30:33
文系とか理系ってそんな差があるの?
130 :
132人目の素数さん:2009/01/22(木) 21:35:01
理系は基本的にロゴスの世界。
文系は基本的にレトリックとごまかしの世界。文科系の人が論理的に文章を
書いているように見えるときでも、巧妙に暗黙の前提条件をすべりこませ、恣意的な方向に議論を誘導する。また、
可能性の場合分けを検討するときにも自分の議論にとって都合が悪い選択肢を恣意的に除去し、「A案とB案しか
考えられず、A案は〜のような致命的な欠陥がある」と攻撃し、自分にとって都合の良いB案だけが「たった一つの
冴えたやり方」であるかのような議論をする。色々な議論をするときにその根底となる判定基準については情緒的に
ごまかし、自分の哲学が素晴らしいものである事を詐欺的にアピールする。
残念ながら、理系とて予算獲得の政治闘争に巻き込まれたときは上で罵ったとおりの文系的な悪癖を呈することが
しばしばである。本気で理系的誠実さを貫こうとすると、上で軽く触れた「議論の正しさの判断基準」:これ自体が
一種の哲学なのであるが、について踏み込まねばならない。しかし、理科系の人間はえてして自分の中の理性の世界を
言語で表現することが苦手である。そして、世間ではそれを「貧困な内的世界をもつ人物」と判断するのも仕方のないとこ
ろである。
\(^o^)/
文系も理系も色々、似てる分野もあれば似てない分野もある(というかもはや数学を使うか使わないか程度の意味しかないように見える)
ただここで文系と揶揄される文系っていうのは客観性や実証性に無頓着な一部の人たちのことってだけ
文系って定義のあいまいな用語を多用する。
それと、デリダも述べたように・・・とかw
本当に馬鹿みたい。
133 :
132人目の素数さん:2009/01/23(金) 22:11:50
数学をやってない、理解できない=文系でOK
数学を理解できるけど、文系好きな人は?
いや、だから学問としての文系が好きでもいわゆる文系人間ってことにはならないんだって……
面倒臭いから俺は揶揄としての文系なんて使ったりしないけど
136 :
132人目の素数さん:2009/01/24(土) 01:06:21
文系理系という分け方が皮相的なものだとは思わない。
自分がこの言葉を使うにあたっての定義は以下の通り。
理系:数学、物理、化学のいずれかを深く学んだことがあるもの。そして、これらの
学問が要求する論理的な思考能力を持ち、なおかつ自分が犯したかもしれない推論の
過ちが実証的に示される可能性に対する謙虚さを持つ者。趣味として文学が好きだとか
社会学が好きだとか言うことはこの際関係ない。
文系:上記に該当しないもの。たとえ物理や数学を専門的に学んだ経験があっても、特に
上で触れた『自分が犯したかもしれない推論の過ちが実証的に示される可能性に対する謙虚さ』
を持っていないものは文系である。意図的に生物学と地学はこちらに分類しておいたが、
それは彼らの思考や主張がしばしば教条的で、論理性を否定した議論がまかり通る事が多いという
観察に基づく。また、経済学などで論理的な議論が行われているように見えても、その論理的な
議論に紛れ込んでしまったかもしれないミスを検出するテクニックを内包していないならば
無謬主義と対抗勢力に対する罵詈雑言と権力抗争に陥ってしまうため、理系とはみなさない。
138 :
132人目の素数さん:2009/01/25(日) 01:16:57
未定義の言葉をいつまでもいじってても仕方あるまい
文系コンプの墓場
140 :
136:2009/01/25(日) 06:28:02
言い忘れたけど俺は文系
141 :
132人目の素数さん:2009/01/25(日) 06:54:32
文系と理系では、圧倒的に理系の方が頭が良いと思う。
しかし、そのためか、バカな奴を相手にしたり、下らないバカな問題を扱わなければならない時、
理系はとことん不器用だ。
なので、バカな奴を騙して下らないことに金を出させるような仕事や、
バカな女の下らない話し相手になるようなことが、理系は不得意。
結局、理系とバカな奴のつなぎ役として、文系が力をもってしまうことが多い。
妄想オナニーもそのへんにして朝飯でも食え
本来文系とか理系とかってのは日本だけの曖昧かつ多義的な概念で、例えば自然科学とか社会科学とかみたいな学問の総称ですらない。
2ちゃんでは数学ができない人=文系という定義が定着してるようだが、これはあながち間違いじゃなくて、日本の教育制度特に高校教育で、数学ができない人の救済措置としていわゆる文系コースというカリキュラムが存在してる。
つまり大多数の大衆は高校数学で挫折してるんだが、数学できないと大学入れませんじゃマズいということで、救済措置として文系コースを設け、私大中心に受験科目から数学を撤廃し、経済学部でも数学できんでも入学も卒業もできるという現状が成立した。
144 :
132人目の素数さん:2009/01/25(日) 22:20:19
>>143 つまり文系=おちこぼれということか
文系人間としてすごく納得いくわ。自分も物理がいやで文系に行ったからね。
おちこぼれの自覚があればいいんだが、全く無い連中が問題。
無定義用語をちりばめた駄文を量産しては森羅万象を語る。
いい加減にして欲しいな。
>>140はかろうじて「自覚がある分マシ」な部類か
147 :
132人目の素数さん:2009/01/26(月) 08:55:15
定義が厳密になされていないと話ができないってところが、
実社会では役立たずだと思われるんだけどな。
あと、相手の定義が明らかに間違っていたり、不十分だったりする場合でも、
それに乗って話を進めるっていうのも、理系の奴には無理だろうな。
でも、数学者は理系の中ではまだましだと想像するけどな。
定義が不十分だったり、曖昧な場合の数学ってのも、当然あるんだろ?
>>147 世間話なら無定義で無問題でも、契約書になると大問題だぞ。
つまり、実社会でも無定義じゃ不都合な場面ではきちんと用語の定義をします
仮に全て実社会で使われるのが全て無定義用語であっても、学問と実社会を混同するなよ。
粗雑な議論が文系脳だな。
>>147 未解決問題はあるけど数学の特質の一はは最も曖昧性とは対局の厳密性だよ。厳密性に関しては他の学問例えば法学なんかとは比べものにならない。少なくとも俺は曖昧な部分はないと思ってるけど、その証明はできてないので絶対的とは言わず相対的に厳密だと言う。
それに反して現実の人間社会や言葉は良くも悪くも曖昧だ。曖昧だからこそ良い面もあるけど、逆に曖昧ゆえに各人が手前勝手な自己流の定義や理念、正義を振りかざせる危険性も高い。
つーことは哲学とは現実の人間社会と同程度の厳密性をもった学問ですね。
床屋談義と哲学は同水準です。
哲学とかは美学や倫理と同じで小難しい抽象論かざして学問的な権威付けするより、各人が心の中に有するべきものだと思う。それでいいじゃないかと思うよ。所詮は解のない、結論の見えない問題を扱ってるんだろうから。
152 :
132人目の素数さん:2009/01/27(火) 17:44:46
>>147 理系でも工学は全然違うんだが。数学をツールとしてつかい、実社会の
問題を解く事を目指しているから。文系は理系に対する恐怖を持っているから
「応用の利かないアホ」というレッテルを貼って安心していたいんだろうな。
俺も文系だからよくわかるよ。
>>152 文系でも勉強をしろ。
医学部卒の俺ではプログラミングの美しさに惚れ惚れして理系に萌えだした。
つーわけで、統計学の勉強を始める予定。昔は単なる受験科目でパターン暗記で乗り切ったのに、いまでは呆け防止に役立てる野心すら持っている。
哲学板の数学っぽいスレに誘導されたことが何度かあるけど。
ざっと見て、1+1=2やら0.9999‥=1がどうこうといったレベルから、
いきなりゲーデルとかZFCとかいう話題にスッ飛ぶ様子は誠に壮観で、
痛快ですらあった。
おまえらバカなんだから
理系文系区別しないで全部勉強しろよ
156 :
KingGold ◆3waIkAJWrg :2009/01/28(水) 08:22:02
Reply:
>>152 よくわかるなら、国賊を日本から去らせる方法を教えてください。
>>152 ではお前さんは恐怖を感じているのか?
確かに文科系学生は数式に恐怖を感じるとはよく聞く。
概して人間は自分にとって未知のもの、未知の領域について畏怖と憧憬の念を抱く。科学技術には全く無知な人々も科学への憧れや畏敬だけは抱く。だが多くの人々は憧れや畏怖だけで、積極的にその領域に立ち入って体得しようとはしない。
それが俺には合点がいかない点でもある。
どうやら哲学者は試験期間のようじゃの