817 :
132人目の素数さん:
柳瀬尚紀著『翻訳はいかにすべきか (岩波新書 新赤版 (652))』p.147
誤訳といえば、『ユリシーズ』からちょいと離れるが、著者がこれまで最も驚いた誤訳、と
いうか奇天烈訳にこういうのがある。
『アリストテレスの輪と確率の錯覚』(日経サイエンス社)という翻訳本で、著者がマーティン・
ガードナーだから手に取った。ルイス・キャロルの精細な注釈者でもあり、また熱心なジェイ
ムズ・ジョイス読者でもあり、かつまたジョイスについて面白い(しかしやや素人読者的な)エ
ッセイも書いている。
『アリストテレスの輪と確率の錯覚』の「はじめに」と題された冒頭。横組印刷だが縦書に
して引く。
「もう1つゲームが残っている」。
「エヌイだ。こんなやさしいものはない。ルールもないし、盤も道具もいらないのだ」。
「エヌイって」とアマンダはきいた。
「ゲームのないことさ」。
―ドナルド・バーソルメ、『罪な楽しみ』
不幸にして、米国における教育の研究によって、数学の、特に義務教育の最初の段階で
の主題の1つは、エヌイであることが最近明らかになってきた。(…)
818 :
132人目の素数さん:2008/06/25(水) 22:44:10
筆者もパーセルミの誤植を為出かした男であるからして、バーソルメについては言うまい。
それにニューヨークの書店でドナルド・バーセルミと発音しても、ドナルド・バーソルメと発
音しても、たぶん本は手に入るはずだ。
しかしエヌイには驚く。
ガードナーが引用しているバーセルミの短編は、アメリカ中のゲームというゲームを片っ端
からプレイしつくした男女の会話だ。筆者が原文にしたがって訳すなら、
「まだもう一つゲームがあるよ」
「なあに?」
「アンニュイ」と、ぼくは言った。「最高に簡単なやつさ。ルールなし、盤なし、道具な
し」
「アンニュイって、どんなの?」アマンダが今にも始める気で乗りだす。
「アンニュイってのはね、ゲームがぜんぜんないってこと」
アンニュイennuiは小さな国語辞典にも収録されている。バーセルミがEnnuiと頭を大文
字にしているのに惑わされたのか、なんだかわけのわからない「エヌイ主題」をでっちあげた。
むろん戯れにエヌイとしているのでないことは、この訳書の拙さから疑いようがない。