【名古屋大学】多元数理科学研究科 [Chapter 8]

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13名大・多元数理の構造的なセクハラ疑惑
■セクハラ疑惑解明の為への最新版 (2005/06/12)■
□□□□□□□□□□□□□【■谷川晴美女史■】□□(九州大・数理◆疑惑の建部賢弘賞受賞◆1997.10)
◆名大◆多元数理◆□□□□□□□□□‖□■谷川女史が、名大・理学部数学科の助手へ(1991.4〜1998.3)
┏━━━━━━┓□□□□□□□□□□‖□
┃■四方義啓■┃◆構造的隠蔽工作◆□‖□■大沢の谷川女史への第一回目のセクハラ行為(1993〜1994.3)
┃★青本和彦★┃□──────>>□‖□◆疑惑のバークレー留学(1994〜1995)
┃■土屋昭博■┃□□□□□□□□□□‖□
┃■浪川幸彦■┃□□□□□□□□□□‖□□□□□□□□□□□□□□□□□■愛弟子■
┗━━━━━━┛【■セクハラ大魔王の大沢健夫★青本が名大へ呼ぶ(1991.4)】──────> ■吉川謙一■
□□□□□□□□□(◆疑惑の幾何学賞受賞◆2000.10)□□□□□□□□□(東大・数理◆疑惑の建部賢弘賞受賞◆1997.10)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□‖□■大沢の谷川女史への第二回目のセクハラ行為(1996〜1997)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□‖□◆仲介役◆青本和彦◆◇(1997.10 ■現:京都産業大学・理学部■)
★人物関係図★□□□□□□□□□□□‖□
□□□□□□□□□□□□□□【■吉田正章■】□□(九州大・数理)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□‖□■谷川女史が、九州大・数理の助教授へ(1998.4 から現在に至る)
□□□□□□□□□□(◇◆大沢健夫の谷川晴美女史へのストーカー疑惑発覚◆◇1998.4〜1999.7)
14[Chapter 5] 内の 672 : 晴美生霊神社:2005/06/15(水) 22:48:43
★ 晴美生霊神社(はるみいきりょうじんじゃ)
地下鉄名城線名古屋大学駅の東150メートルにある晴美生霊神社は、従六位蔵人(当時)
大沢健夫の度重なるセクハラのせいで、語るも恐ろしくまたありえないことながら、太
宰府に非運の流刑となった従五位少納言(当時)谷川晴美の生霊を鎮めるために少納言
の生霊を祀る社として創建されたものです。理不尽この上ない流刑のちに、恨めしさが
つのって物狂いとなった少納言の生霊が従六位蔵人のみならず、少納言を率先して受け
入れた太宰府従五位少弐(当時)吉田正章、闇のフィクサーとも噂された正四位蔵人頭
(当時)青本和彦、従四位少将(当時)藤原一宏などに取り憑いて、多元数理などにさ
まざまな災いを引き起こしたといわれています。鳥居のそばに「多元の乱勃発の地」の
碑も建立されています。この神社には、多元の乱のあおりで粛清され流刑となった者や、
多元幹部の無策のせいで崩された者たちの怨霊も合祀されています。清新さ漂う風格あ
る神社です。なお、この神社には、多元の乱等のA級戦犯、青本和彦・浪川幸彦・土屋
昭博・四方義啓(全員官位剥奪)は合祀されることは未来永劫ありません。地元では名
大御霊神社あるいは多元晴美神社とも呼ばれて親しまれています。

※名古屋大学駅から徒歩2分 ※境内拝観無料 ※問い合わせ先:晴美生霊神社宮司
15132人目の素数さん:2005/06/15(水) 22:48:50
心ある方々へ

犯人探しのための情報をお寄せ下さい。
16[Chapter 5] 内の 306 :訴え1:2005/06/15(水) 22:50:51
★★ 重 要 証 言 1 ★★
以前の [Chapter 5] 内の 306 :訴え1:2005/05/26(木) 10:11:55
私が知るところでは、大沢先生が京大数理研(中野先生のところ)から
名大教授として異動された直後は単身赴任をなさっておられたとか。
単身赴任を理由にして、内部で「セクハラ行為もいたしかたない」という
世論形成がなされました。私は、「浄化」よりも組織防衛を第一におく
非常に男性中心的かつエゴイスティックな発想に怒りを覚えました。
幹部たちは、セクハラの被害者をバークレーへの留学によって隔離し、
事態の沈静化を計ったものと思われます。これが「便宜供与」による
「不正取引」であったのかどうかは判断が難しいかもしれませんが。
被害者は京大修士時代の教官が東工大に異動したので、東工大博士課程
に移ったようです。その後、被害者は名大助手になりましたが、
東工大時代のように「親切」に指導してくれる教官がおらず、
数学者として自立することの難しさに悩んでいたものと思われます。
そのような「甘え」は滑稽ですが、それはまた別の話でしょう。
17132人目の素数さん:2005/06/15(水) 22:51:41
249 :132人目の素数さん :2005/06/13(月) 02:40:08
「津川荒し」の知能はかなり低い。
やればやるほど、だれがやっているかわかるだけなのに。
ほれっ。
http://www.gifu-u.ac.jp/~tisiwata/seminar/ma_seminar.html
18[Chapter 5] 内の 307 :訴え2:2005/06/15(水) 22:51:44
★★ 重 要 証 言 2 ★★
以前の [Chapter 5] 内の 307 :訴え2:2005/05/26(木) 10:12:41
こうした心理状況の中で出現したのが分野も近く「京大」という共通項
もある大沢先生で、被害者はこの大沢先生に頼ろうと考えるようになった
のではないでしょうか。それを「恋愛感情」と錯覚された大沢先生が
結果としてセクハラ行為に及ぶことになったものかもしれません。
それはともかく、バークレーへの留学から帰国した被害者は、
またしても大沢先生からセクハラ行為をうけた可能性が考えられます。
当時、被害者は「数学セミナー」に連載記事を書いており
その記事を見ると奇妙な文章がみつかります。
1996年5月20日「ここには書けないがとてもヤなことがあった」
1997年9月ごろ「研究生活にとって最重要な信頼関係が崩壊した」
がそれです。
これが何をさしているのかは不明確ですが、
公開する雑誌に書く文章としては「異常」といえばいえます。
19[Chapter 5] 内の 308 :訴え3:2005/06/15(水) 22:52:38
★★ 重 要 証 言 3 ★★
以前の [Chapter 5] 内の 308 :訴え3:2005/05/26(木) 10:13:37
被害者はその後、建部賢弘賞を(年齢的にはやや無理にもかかわらず?)
受賞し、九大に異動します。建部賢弘賞は九大への「手土産」だったのかも。
こうした「経緯」は確実な事実に基づくものばかりではありません。
とはいえ、調査委員会を組織して調べ直す価値はあるものと思います。
今回の藤原先生の行為やその発覚を受けて以後の多元数理や名大当局の
対応の鈍さを見ると、そうした再調査に乗りだすことは、遺憾ながら、
望み薄だと思われます。また私は、大沢先生がその後、被害者に
謝罪されたとも反省されているとも耳にいたしません。
あまりにも残念な「事実」の群れを前にして、いたたまれなくなり、
私の知っていることや推察を書かせていただきました。
20[Chapter 6] 内の 108 :名古屋大学老教授より:2005/06/15(水) 22:54:50
今回のセクハラ事件を見ていて残念に思う。 理学部・旧数学教室を創設されて大黒柱であった
中山正先生(中山の補題で有名)は墓石内から、現状をどのようにご覧になってみえるのでしょう?
私の記憶が定かなうちに、一つだけ綴って於きたいことがある。
掲示板の記事を読んでみると、セクハラ事件が起った場所の記述がない。
事件発生場所は、理学部 A 館の 4 階であった。 現在の多元数理がある、理 1 号館ではない。
郵便局がある西側から理学部 A 館に入ると 『 建物が、くの字 』 に曲がっていることに気が付く。
この建物の 4 階の 『 くの字 』 に曲がっていた辺りの南側に 「 谷川晴美さんの研究室 」 がありました。
そこから東へ 3 部屋程離れた処に 「 大沢健夫の研究室 」 がありました。
隣は「 四方義啓の研究室 」 で、更に東へ 2 部屋程離れた処に「 浪川幸彦の研究室 」 がありました。
なお、この階の北側には大学院生の研究室とセミナー室がありました。
1995 年 4 月に多元の建物が完成した時には、大沢健夫は多元数理・理 1 号館の 3 階の一番奥へと
谷川晴美 (理学部 A 館 4 階のままで) から隔離された。
このセクハラ事件には他大学出身者である 青本和彦、 吉田正章、 浪川幸彦 (以上は東京大)、
四方義啓、 土屋昭博、 大沢健夫、 谷川晴美 (以上は京都大)、 三町勝久 (早稲田大) の関与が認められる。
名古屋大学出身者の梅村浩君、三宅正武君、谷川好男君、寺西鎮男君がセクハラの隠蔽工作に関与していない事を、
老教授として何より嬉しく思っています。
21132人目の素数さん:2005/06/15(水) 22:55:29
君も津川先生の下で21世紀の解析学の構築という偉大な仕事に参加しよう!
22[Chapter 6] 内の 198 :谷川のメールの発掘に成功!:2005/06/15(水) 22:55:50
ついに谷川のメールの発掘に成功!「I'm in danger」というタイトルだった。
教員全員と事務員全員に宛てたもので、

1)精神異常者にメールで脅迫されている
  (犯人は「九大には知りあいがいるから〜」とも告げたという)
2)警察に相談したが取りあってもらえなかった
3)外部の人には自分の住所などを知らせないでほしい
4)しばらく電話には出れないかも

などと書かれている。送信日時は1999年7月1日19時31分28秒。谷川が九大
に赴任したのは1999年4月だから、赴任後まもなくの時期ということになる。
このメールの内容からすると、吉田犯人説や三町犯人説は否定され、それに代
わって大沢犯人説が急浮上・有力化する。この犯人=「精神異常者」はなぜか
谷川にメールを送ることができ、さらにこの犯人は「九大には知りあいがいる」
と書いているようだ。谷川は犯人が電話番号を九大の知りあいに聞いてかけて
くるかも知れない、あるいは、住所を聞いてやってくるかも知れないと異常な
までに怯えている。もちろん、谷川にはこの犯人がだれかは明らかだったが、
理由があって書けず、「精神異常者」と(的確にも)表現しているのだと思う。
状況からして、犯人は谷川に異常な「愛情」をもつ大沢だと考えるのが合理的。

結論:谷川晴美へのストーカーは大沢健夫であろう。