こうした心理状況の中で出現したのが分野も近く「京大」という共通項
もある大沢先生で、被害者はこの大沢先生に頼ろうと考えるようになった
のではないでしょうか。それを「恋愛感情」と錯覚された大沢先生が
結果としてセクハラ行為に及ぶことになったものかもしれません。
それはともかく、バークレーへの留学から帰国した被害者は、
またしても大沢先生からセクハラ行為をうけた可能性が考えられます。
当時、被害者は「数学セミナー」に連載記事を書いており
その記事を見ると奇妙な文章がみつかります。
1996年5月20日「ここには書けないがとてもヤなことがあった」
1997年9月ごろ「研究生活にとって最重要な信頼関係が崩壊した」
がそれです(
>>277 参照)。これが何をさしているのかは不明確ですが、
公開する雑誌に書く文章としては「異常」といえばいえます。