【名古屋大学】多元数理科学研究科 [Chapter 5]

このエントリーをはてなブックマークに追加
306訴え1
私が知るところでは、大沢先生が京大数理研(中野先生のところ)から
名大教授として異動された直後は単身赴任をなさっておられたとか。
単身赴任を理由にして、内部で「セクハラ行為もいたしかたない」という
世論形成がなされました。私は、「浄化」よりも組織防衛を第一におく
非常に男性中心的かつエゴイスティックな発想に怒りを覚えました。
幹部たちは、セクハラの被害者をバークレーへの留学によって隔離し、
事態の沈静化を計ったものと思われます。これが「便宜供与」による
「不正取引」であったのかどうかは判断が難しいかもしれませんが。
被害者は京大修士時代の教官が東工大に異動したので、東工大博士課程
に移ったようです。その後、被害者は名大助手になりましたが、
東工大時代のように「親切」に指導してくれる教官がおらず、
数学者として自立することの難しさに悩んでいたものと思われます。
そのような「甘え」は滑稽ですが、それはまた別の話でしょう。
307訴え2:2005/05/26(木) 10:12:41
こうした心理状況の中で出現したのが分野も近く「京大」という共通項
もある大沢先生で、被害者はこの大沢先生に頼ろうと考えるようになった
のではないでしょうか。それを「恋愛感情」と錯覚された大沢先生が
結果としてセクハラ行為に及ぶことになったものかもしれません。
それはともかく、バークレーへの留学から帰国した被害者は、
またしても大沢先生からセクハラ行為をうけた可能性が考えられます。
当時、被害者は「数学セミナー」に連載記事を書いており
その記事を見ると奇妙な文章がみつかります。

1996年5月20日「ここには書けないがとてもヤなことがあった」
1997年9月ごろ「研究生活にとって最重要な信頼関係が崩壊した」

がそれです(>>277 参照)。これが何をさしているのかは不明確ですが、
公開する雑誌に書く文章としては「異常」といえばいえます。
308訴え3:2005/05/26(木) 10:13:37
被害者はその後、建部賢弘賞を(年齢的にはやや無理にもかかわらず?)
受賞し、九大に異動します。建部賢弘賞は九大への「手土産」だったのかも。
こうした「経緯」は確実な事実に基づくものばかりではありません。
とはいえ、調査委員会を組織して調べ直す価値はあるものと思います。
今回の藤原先生の行為やその発覚を受けて以後の多元数理や名大当局の
対応の鈍さを見ると、そうした再調査に乗りだすことは、遺憾ながら、
望み薄だと思われます。また私は、大沢先生がその後、被害者に
謝罪されたとも反省されているとも耳にいたしません。
あまりにも残念な「事実」の群れを前にして、いたたまれなくなり、
私の知っていることや推察を書かせていただきました。

名大浄化のためのお役に立てば幸いです。