【数学史】佐々木力を叩こう2《セクハラ》

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864132人目の素数さん:05/01/16 19:26:11
お前は女について何を理解しているんだ?
865132人目の素数さん:05/01/16 19:39:47
何も理解していないが、何か。
866132人目の素数さん:05/01/16 19:42:34
非常識なヤツだな
867132人目の素数さん:05/01/16 19:53:50
ということは、君は常識人かな。やっぱり。
868132人目の素数さん:05/01/16 19:58:56
無知の知
869132人目の素数さん:05/01/16 19:59:52
いやはや...
870132人目の素数さん:05/01/16 20:22:23
              _,......,,,_
               ,、:'":::::::::::::::::``:...、
           /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
          i::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
            !::::::::::::::::::::::;‐、:::::::::_::::::_::::';
         |::::::::::::::::::::::|  :: ̄      ``!
         r''ヾ'::::::::::/  ::          |
         l r‐、\::/  _,,、ii_;;_、    _,,,l、
         ヽヾ〈    ::= -r:;;j_;、`/ :;'ィ;7
          !:!_,、    :: ` ー  : |: `´/
         ,./ヽ |  、_  ::  ,: 'r' :i |:  /
       ,../ `ヽ;_  i | '"、_:::__`:'‐'. /
        / ``'ー 、_\  ! `::` ̄''`チ`シ
    /ー 、_    `\:、_ :: ` ̄/   なんかもう必死でしょ
   /     ``ヽ、   ヽ`'7‐--'゛    ここの住民
  /          `ヽ、 `/
871132人目の素数さん:05/01/16 20:33:55
>>863
まったくだ。学問的偉大さと人間性とはまったく無関係。

しいていえば、小利口な人はトラブルをさける処世術にたけた
常識人だったりするってことかな。そういう人は学問的にも
常識から踏み出せなかったりする。
872132人目の素数さん:05/01/16 21:31:41
少し違った視点から見てみないか。

東大出版会編集局長竹中英俊はコレクション数学史など、佐々木の本の
出版を積極的に推進してきた。
http://www.ajup-net.com/up02.html#12

佐々木が数学史コレクションの最初に書いているように、佐々木と同じ高校の
出身だ。この佐々木の序文の自慢は、東大出版会のシリーズとしては異様に異
彩を放っている。佐々木が
> 前スレ11: 異常に自尊心が肥大化した厚かましい人間
だという指摘は結構当ってるかも。だからその編集者を叩くのではない。岩井
君は糞本と言うが、出版の自由だ。

このスレでも晒されているが、2004年1月11日に、三部作完成記念という、佐々
木を賛美するシンポジウムがあった。主催は「社会的・政治的・思想的に抑圧
された人々」と連帯する団体だ。もし佐々木が停職教授なら、「抑圧する人」
を賛美していたわけだ。皮肉なことだが、竹中はなんと主催団体の幹事だ。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/about.htm

うさん臭い話だが、だから叩くのはまだ飛躍がある。しかし停職教授はこの時
すでにセクハラ全開バリバリで、しかも竹中はそれを知りうる立場にあったはずだ。

内部情報がないのでネットや本で入手可能な情報から推論してみた
(内部告発キボンヌ)(続く)
873132人目の素数さん:05/01/16 21:33:44
(前から続く)

事件はいつ起こったのか。同時に処分された片山は、2月に出張費二重取り問題を
報道され、6月に辞任している。セクハラ問題の調査が身辺に迫ったからではない
か。処分は12月だったから、処分まで6ヶ月以上かかったわけだ。こちらの事件の
被害者の申し立ても2004年6月以前だろう。

こちらの事件は、海外旅行に誘う=>拒否されて罵倒=>指導教官交代=>しつこ
くメール、と展開が長い。最初の「海外旅行」は春休みか夏休みがらみだろう。2004
年の春休みではその後の展開に無理がある。2003年の夏休みあたりか。

となると2004年1月は、すでに被害者は罵倒されて、多分指導教官の交代を願い出て
いた頃だ。研究室内部では皆が知っている段階だ。竹中はその加害者(??)を礼賛
するシンポジウムを開き、その後もコレクション数学史を出版し続けたわけだ。被害
者はたまらんな。

東大出版会は本郷の東大構内にある。編集者はあちこちの研究室に出入りするから非
公式情報だって入ってくるだろう。竹中が知らなかったとしたら佐々木と仲が良すぎ
て誰も教えてくれなかったのかもしれない。セクハラを知りえたのに、某団体の幹事
として高校の同窓生の佐々木賛美シンポジウムを開催し、一方で編集局長として本を
出し続けたのだとしたら、東大出版会の信用を地に落とす行為ではないか。

この話に納得したらあなたもいますぐ「もし佐々木がセクハラ教授ならば竹中は**」
と官製ハガキに書いて113-8654 東京大学出版会(住所不要)までご応募を。**は
「1降格」「2辞職」「3解雇」のどれかを選ぶ。正解者から抽選で100名様に絶
版予定(?)の「生きているトロツキイ」「学問論」「デカルトの数学思想」のサイ
ン本プレゼント、なわけはないか。

ネットでのご応募は http://www.utp.or.jp/ までどうぞ。

おーい岩井君、出ておいでよ。こんどは竹中を叩いてくれ。
874132人目の素数さん:05/01/16 21:42:09
>2004年の春休みではその後の展開に無理がある。

無理なんかねーよ。結論に合わせて「無理」をでっち上げるなバカ。
875132人目の素数さん:05/01/16 21:56:37
>>874
被害者はそう簡単に訴えるものでないし、指導教官の変更をホイホイとして
くれるはずもない。まして正式処分を決めるには嫌になるくらい時間がかか
る。「海外旅行」から「指導教官変更」「再度の嫌がらせ」「告発」「調査」
「処分」まで9ヶ月で終わるなんて不可能だ。そんなことも分からないとは
気の毒だ。
876132人目の素数さん:05/01/16 22:05:43
>>859
馬鹿?
877132人目の素数さん:05/01/16 22:07:31
黒木スレと佐々木スレがいっしょに
あがるのが笑えるw
878132人目の素数さん:05/01/16 22:34:54
>>873
>竹中はその加害者(??)を礼賛するシンポジウムを開き、
>その後もコレクション数学史を出版し続けたわけだ。
>被害者はたまらんな。

面白い視点だけど、ひとつ気になる点が。
2004年1月11日に開催された「加害者(??)を礼賛するシンポジウム」>>10
に「被害者」と推察可能な人が演者のひとりとして参加しているようにも思えるのだが?
これはどう解釈するの?
879132人目の素数さん :05/01/16 22:42:22
岡本拓司って反佐々木派なのか
880132人目の素数さん:05/01/16 22:56:04
黒木玄はたたかないのか
881132人目の素数さん:05/01/16 23:25:21
岩井くん、名無しになっても丸分かりですww
882132人目の素数さん:05/01/17 00:05:45
>>872
佐々木にも竹中にもまったく肩入れする気はないが、
どう考えても無理があるな。あんた、頭がおかしいよ。
883132人目の素数さん:05/01/17 00:32:43
>>882
岩井はそういうキャラだから
884132人目の素数さん:05/01/17 02:09:00
>佐々木と同類の馬鹿ならエセ数学者でも村上陽一郎でもサヨクでも何でも一緒くたに叩いてOK。
別の種類のバカである岩井洋は叩くの禁止.
885132人目の素数さん:05/01/17 04:11:08
>>884
数学ファソならそんな杜撰な主張をするなよ・・・
886関孝和:05/01/17 11:45:24
>>797
センスいい。傑作ですね。なかなか味わい深い。

> 「岩井」は 童貞ぃー!

それ、多分、正しいと思うよ。でもそれなら、なぜ消えたのかがイマイチ
わからない。そこで、ちょっとマルチでとりあえずの陽動作戦。ちなみに
俺は童貞さんではないからね。

> (だんまり だんまり!)

この部分特にいいねぇ。俺も一緒に口ずさんでます。

了解してくれた?
887132人目の素数さん:05/01/17 14:49:48
つまり、「関孝和」と「岩井洋」は別人だけど、中の人は同じということですね
888132人目の素数さん:05/01/17 15:41:02
生涯童貞というのはニュートン、カントなど天才ならいる
佐々木は平凡な男だから童貞では無いと思う
生涯で性経験が数回ということは有り得るかも
889132人目の素数さん:05/01/17 16:35:06
>>888
いきなりまた、何ですか?
まぁ、たしかに、生涯童貞なんていうのはスゴイ人に限りそうだけど。。。
吉田松陰や宮沢賢治もそうらしいですなぁ。
890132人目の素数さん:05/01/17 16:40:33
ガロアはどうなんだろう?童貞のまま死んだのだろうか?
かなり気になってきた。
891132人目の素数さん:05/01/17 16:46:14
宮沢賢治は童貞だったの
892132人目の素数さん:05/01/17 17:00:51
ガロアは童貞ではないだろう。決闘の原因が女性を巡るものだとしたら、童貞のはずがないのでは?
893132人目の素数さん:05/01/17 17:58:02
チミたち童貞に興味があるやうだね。
それなら「童貞処女同盟」にだうぞ。
http://plaza.rakuten.co.jp/douteiark/

おっと、それから「日本童貞連合」もよろしく。
http://www.asahi-net.or.jp/~pd7s-wtnb/douren/
894132人目の素数さん:05/01/17 19:01:23
つまらん童貞論議なんぞ、やってないで本論にもどらんかい!
ということで、ガロアはやはり永遠の童貞に違いないのだ。
問題の女性とはプラトニックな関係が破綻したにすぎない。
そんなことは論じるまでもないだろう。
ようやく格調高い「数学史」の議論になってきたようだな。
895murofusianasan:05/01/17 19:43:59 ,
格調の高い議論はスレタイにそぐいません。
896132人目の素数さん:05/01/17 21:33:44
っつーことは、ノイマンなんかも童貞通してたら
ものすごいことになってたかも知れませんね。
897murofusianasan:05/01/17 21:41:43
通してしまったら童貞じゃありません。
898関孝和:05/01/17 23:15:21
西行法師ねっとに籠りゐて侍りしに、
童貞論議の初めあたりの行に答へて詠める:

花ならぬ 言の葉なれど おのづから 色もやあると 君ひろはなむ
899岩井じゃないよ:05/01/17 23:17:34
>>878
童貞で盛り上がってるところ申し訳ないけど、俺は岩井ではない。
区別がつかない香具師はまともに文章読んでないだろう。

>「被害者」と推察可能な人が演者のひとりとして参加しているようにも
>思えるのだが?

なるほど。事件の発生がこのシンポジウム以降かもしれないと言いたい
のだと思う。一見そんな気がするが、まずシンポジウムに名前を連ねた
外国人=被害者て推察は根拠薄弱だ。被害者は留学生というのも未確認
だし、佐々木研に2人いたら議論が崩壊するよ。

それに事件が昨年1月以降という可能性は低い。事件発生から「学生申し
立て=>決定」というプロセスが指導教官交代と処分の2回ある。これ
はどちらも結構時間がかかる。被害者は長い間我慢することが多い。最
初の被害ですぐに指導教官を相手に回して行動を起こすってのは結構向
こう見ずだぞ。単位と学位を向こうに握られている以上、何とか波風た
てずにやっていこうと思ってしまうんだ。次に大学側の調査や処分はす
ごく時間がかかる。指導教官代えるだけだって、月に一回とかの会議を
通さなきゃならないだろう。まして処分となれば手続きは膨大だ。最初
の事件が1月以降で処分が同じ年の12月なんてありえなーい。
900132人目の素数さん:05/01/17 23:27:35
>>878
>2004年1月11日に開催された「加害者(??)を礼賛するシンポジウム」>>10
>に「被害者」と推察可能な人が演者のひとりとして参加しているようにも思えるのだが?
>これはどう解釈するの?

加害者の特定は99%終わったとして、
入手できる公開情報から被害者を特定して議論するのは、
それこそリスキーなのでは?

と前置きしておいて、ハイリスク・ハイリターン
いや、ハイリスク・ノーリターンを承知で、tentativelyに議論すると、
以下の可能性が考えられるんじゃないか。
大前提: 被害者は既に、加害者から十分な被害を被っており、極めて険悪な関係にあった。
1)シンポジウムが企画され、被害者が講演することケテーイ
 →シンポジウムは予定通り開催。被害者は内心嫌々ながら講演
 →被害者が耐えきれず、指導凶漢変更願いを出す
 →指導凶漢変更→以後の展開は報道されている通り
2)シンポジウムが企画され、被害者が講演することケテーイ
 →被害者が耐えきれず、指導凶漢変更願いを出す
 →シンポジウムは予定通り開催。事前に決まっていたことなので、被害者はやむを得ず講演
 →指導凶漢変更→以後の展開は報道されている通り
3)被害者が耐えきれず、指導凶漢変更願いを出す
 →シンポジウムが企画される
 →被害者は講演を拒否するが、「これをやらなければ、学位を与えないぞ」というメールを無数に送りつけられる
 →被害者はやむを得ず講演を承諾
 →シンポジウム開催
 →指導凶漢変更→以後の展開は報道されている通り
901岩井じゃないよ:05/01/17 23:28:01
もう一つだけ童貞談義を邪魔してゴメン。

>あんた、頭がおかしいよ。>>882

あんた、頭が悪いよ。今説明しよう。
あのヨイショシンポジウムは、たまたまネット上に記録が残っているが、
あれを企画した連中(竹中を含む)は普段から佐々木をヨイショしてた
と考えるべきだろう。ところで昔の本と数学史コレクションを比べると、
佐々木が最近めきめきと自画自賛力をつけてきたことがわかる。自画自
賛と今回の事件は無関係ではない。ヨイショされまくって気が大きくな
った結果が自画自賛であり、今回の事件でもあるのだろう。もちろん、
ヨイショして何が起ころうとも普通は責任はない。しかし東大出版会の
編集局長となれば話は別だ。そういう構図が見えないのが頭悪いってい
うの。

東大出版会の側から見てもいい。鳴り物入りで始めたシリーズの監修者
の不祥事は出版社にとって困ったことだ。内部的には言いだしっぺの失
点だ。それでも普通は交通事故みたいなもの、不運だったということで
おしまいだが、今回(停職教授=佐々木ならばの話だが)、「交通事故
だぜえ、予想不可能」と竹中が弁明して社内で通るだろうか。

お前がさんざんおだてた結果じゃないか、とか、あれだけくっついてい
て分からなかったのかよ、という冷たい視線が飛んでくるんじゃないか
な。二人の関係から見て、竹中が責任を逃れるのは難しかろうと言って
るわけ。奇妙なシンポジウムはとどめの一撃の証拠にすぎない。

それから、東大出版会は財団法人で、会長=総長。理事も東大の教官の
はず。この面々にすれば停職教授は大学に恥をかかせた不届き者。停職
教授=佐々木だとしたら、それと仲のいい編集局長の運命やいかに。
902132人目の素数さん:05/01/17 23:34:43
>それと仲のいい編集局長の運命やいかに。

東大のお役所的体質から考えると、
むしろ、こういう人の方が出世しそうだなw
突然、転向して、水に落ちた犬を叩くように、佐々木批判をはじめたりして。
「俺は騙された。世間一般に対するお詫びとして、
自戒も込めて佐々木を批判します」とか逝ってね。
で、みんな、竹中のひたむきな懺悔の姿に感動して、大出世を遂げるw
903岩井洋 ◆hEpdoZ.tHU :05/01/17 23:44:14
東北大学新聞1981年7月16日号からの引用
編集部:本日は佐々木さんが東北大学に在学された頃の東北大学新聞の情況をうかがい、今後の編集の
参考にさせていただきたいと存じます。ご入学の頃からお願いしましょうか。
佐々木:「最初に僕がどのような意識で東北大学の門をくぐったのかをお話しましょう。もともと僕は
理学部の数学専攻の学生でした。数学者になろうとして入学したのでいた。当時は安保闘争の空白期と
いってよい時期で、ある意味で今とよく似ている情況にありました。60年安保の時期には、日本共産
党が政治的にも思想的にも前衛であるといった神話は完全に崩壊していたと思います。しかし、左翼の
思想以外に希望を与えてくれるものがあったわけではありません。入学した1965年には日韓闘争が
あり、敗戦後の日本の資本主義が韓国に対して、再度食指を伸ばし始めようとしていた時期でした。」

▽左翼思想以外に希望を与えてくれるものがないと思っている、その程度の馬鹿がブルバキ全部を大学
2年でマスターしたとかいう話もどうせ嘘でしょうね。それに韓国に資本主義の食指を再度伸ばすとか
言ってますが、戦前の朝鮮統治は大赤字でとても資本主義的成功を求めたものとは言えなかったという
のは常識ではないでしょうか。

佐々木:「このような時期に入学したものをとりまいていた思想情況はどうだったかと言うと、空白の
時期に良心的な学生たちが細々とサークル活動を続けている、といったふうでした。僕自身、「教育科
学研究班」という社会科学的なサークルにオブザーバーのような形で参加して、自分や日本の未来のこ
となどを考えていたわけです。」
904132人目の素数さん:05/01/17 23:59:08
>>901
編集者がヨイショしたせいで、佐々木の気が大きくなって事件を起こ
したと言うのか?

あんた、やっぱり頭がおかしいよ。精神鑑定受けたほうがいいって。
905岩井洋 ◆hEpdoZ.tHU :05/01/18 00:00:39
>>903に続いて
▽「教育科学研究」なんていかにも怪しげなサークルの名前ですが、しょせん佐々木の教育科学など
女子学生にストーカー&セクハラをする程度のことでした。フッサールの研究会だ反戦委員会だ色々
やってたみたいですが、いつ数学を勉強していたのでしょうね。

佐々木:「また、東北大学新聞という学内で唯一の ―その頃は民青系の第二新聞はありませんでし
た― 学生新聞が出ていて、学内のことなり、一般的な思想情況を知ることができました。僕は数学
者を目指していたこともあって、東北大学新聞が社会的問題に対して非常に鋭い分析をすることに、
何か自分には不可能なことをやってくれているような感じをもち、常に一目おいていました。
この東北大学新聞が翌1966年には東北大学新聞社として自立するようになる。民青系の人々が編
集権を奪おうとするのに抵抗して自立したものでした。ここに新聞社自立記念号があります。196
6年11月10日号です。「ふてぶてしいオプティミズム、あるいは夢想による武装」という見出し
の冒頭の論文がありますが、当時これを見た僕は何か自分と異質な世界を感性的に開示してくれたよ
うな気がして、それ以降はずっと注目して様々な論文に目を通すようになりました。学生が書く記事
だけではなく、中央の論壇で活躍中の人も寄稿してくれたりしていて、ともかく純白の意識で入学し
た宮城県の田舎出身の者の眼にはまったく新鮮な世界を開いて見せてくれているという感じをいだく
ことができました。」
▽真っ白なままでいれば良かったのに、佐々木はこの後真っ赤に染まりました。
皆様おひさしぶりです。徐々に亀レスしていこうと思います。
906132人目の素数さん:05/01/18 00:09:39
>>903
>左翼思想以外に希望を与えてくれるものがないと思っている、その程度の馬鹿
頭の良い悪いとは関係なく、あの世代の人は左翼思想に洗脳されやすかったんだ
と思うよ。思春期に受けたそういう呪縛からはなかなか逃れられないんだろうね。
まあ、だからといって非難を免れるものではないけれど。
907132人目の素数さん:05/01/18 00:18:15
学生時代というのは、失敗が許される期間ではあるからね。
その間に、左に傾くことがあってもいいとは思う。
昔なら学生運動、今ならNPOやプロ市民なんかが受け皿になるだろう。
それで、その閉鎖的なコミュニティーの中をよく見ればいい。
目が覚めるだろう。
大学に勝るとも劣らぬ、北朝鮮的な世界だよ。
そして、目を覚ました連中は卒業して逝く。
908岩井洋 ◆hEpdoZ.tHU :05/01/18 00:25:56
<「日帝は血に飢えていた」―1967年の反戦闘争>
佐々木:「日韓闘争のあと、67年になって有名な10月8日の羽田闘争があり、学生大衆に非常に大きなショックを
与えました。当時はいわゆる全共闘による急進的な運動が開始される前でして、学生たちはほとんど例外なく「日本の
掛け値なしの良心になろう」というようなきわめて健康な意識をもっていたと思います。」
▽セクハラ佐々木が持っていたこの頃の良心なんて程度が知れています。ただ何も知らない田舎者が流行に流されて、
そのまま思想的に洗脳されただけのことです。
佐々木:「当時の学生はまた読書家でした。三木清の全集などがでると、哲学専攻の学生でもないのに、買って読んで
いたほどですから。さまざまなものに開かれた健康な意識を学生はもっていたような気がします。羽田闘争にせよ、特
別の学生の闘いではなく、全国の意識的学生が少しずつ参集するといった感じでした。この闘争にゲバ棒とヘルメット
が初めて登場したといっても、強圧的になってくる警察から自分を守ろうとしてのことで、ヴェトナム反戦運動の意識
はほとんど平和主義的なものでした。」
▽この男は本当に子供なのですね。自己反省とかいうものを一切学ばなかったのでしょう。三木清については林達夫の
『共産主義的人間』の「三木清の思い出」から一行引用しておきます。
「三木清の純然たる独創は、彼の手をつけたあらゆる分野を通じてこの怪奇な書風ただ一つであったと私は今でも思っ
ている。」
>>904
竹中英俊は佐々木と高校大学大学院と同級でかなり信頼が厚かったようですね。『学問論』『生きているトロツキイ』
の2冊のトンデモ本の編集者もこいつです。佐々木と一緒にクビにするのが当然でしょう。
佐々木が本を出すにあたっては、勁草書房や御茶ノ水書房でも同級生人脈を活用していました。
909murofusianasan:05/01/18 00:41:01
こんなもん、作ってみた:

マルクス主義とは何?

唯物論の弁証法化に抜群のアジテーションとレトリック
社会、歴史、自然すべてをオールラウンドにこなしこれといった弱点がない
加えて、幾度と無く訪れた思想的危機をことごとく発展的に乗り越えた絶対的な適応力
現在もっとも世界情勢に影響を与えているイデオロギー界のチャンピオン

マルクス主義はありとあらゆる思想の中でもっとも制約が少ない実践的哲学
正統的解釈は一応あるがそれから大きく外れてもなんのおとがめもない ほぼ無法地帯
その状況で社会変革のための戦いを極限まで進化させたのがマルクス・レーニン主義

デカンショや現象論みたいに目次を読めば簡単に誰にでも知ったふりができるものじゃないんだよ
選ばれたごく少数の人間でしかイデオロギー闘争のリングには上がれない
サルトルの「マルクシズムは現代の乗り越え不可能な哲学である」は
あまりにも有名。

それが唯物弁証法、そしてマルクス・レーニン主義である。
910岩井洋 ◆hEpdoZ.tHU :05/01/18 00:48:33
佐々木:「僕が大学三年の時です。下宿でラジオを聞いていると京大生の山崎博昭君が亡くなった
というニュースが流れてきました。翌日川内キャンパスに行ってみると、闘争に参加していた学生
たちが報告集会をやっていました。25名ほどでしたでしょうか。10月8日の闘争は、マスコミ
によってはねあがりだとして非難されました。また共産党は当日赤旗まつりだとかで、フォーク・
ダンスなどをして遊んでいたにもかかわらず、学生たちに「暴力学生」というレッテルを貼りまし
た。僕は、ヴェトナムで社会主義者がアメリカに抗して命がけで闘っているのに、それに連帯する
学生を「暴力学生」呼ばわりするとは何ごとかと思いました。」

▽自分たちが安全な日本で学業を怠ってワーワー騒いでいることがベトナム人との連帯と勘違いし
ているおまえらも同類だよ、と普通の人間なら考えます。

佐々木:「テレビの司会者なども、学生の気持ちも判らないでもないが、平和な日本にゲバ棒を持
ち込むことなど言語道断という発言をしていました。報告集会での闘争参加者の話を聞いてみると
、悲愴感などまるでない、とても健康な意識で感銘したことを覚えています。」

▽自分は熱心に学生を指導していただけなのに、セクハラ呼ばわりするとは何事か。今回の事件も
そのように考えているのでしょうね。24年前からこの調子のままです。

佐々木:「それから数日後に向坂逸郎氏の「資本論初版刊行記念講演会」が川内記念講堂で行われ
ます。僕は岩波書店の記念版の『資本論』を買い読みましたが、その版を読み終えた最初の日本人
は書店関係の人を除けばひょっとして僕かもしれません。講演会会場では、理学部の同じクラスの
学生が東北大学新聞を販売していました。その新聞の見出しは、黒ベタ白ヌキの「日帝は血に飢え
ていた」というセンセーショナルなものでした。」

911岩井洋 ◆hEpdoZ.tHU :05/01/18 01:07:04
佐々木:「それを見たとき、テレビの奥様番組の司会者の「何も平和な日本で……」という
小市民的発言に、自己の存在が二重写しになって見えてきました。それまでは数学者を目指
して勉強し、教養書として、マルクスやその他の思想家の哲学書・歴史書・社会科学書など
は読んでいましたが、それでは駄目だという意識がきわめて鮮明になってきたわけです。そ
の新聞社の学友の闘争についての説明が大変印象的でした。彼は頭に包帯をグルグル巻き、
羽田の闘争現場の音があたかもジャズの世界のようだった、と言っていたのです。」

▽これだけならただ佐々木がノスタルジーに耽っているだけだからまあ許せますが、『学問
論』という佐々木最低最悪の糞本においては当時の自分たちの価値観こそが至上であるから
そのような意識を現代に復権させなければならないと居丈高に説教しているのだから、もう
最低です。即刻絶版にすべきです。いや、もうすぐ佐々木の本など全て某古本屋チェーンの
100円コーナーか廃品回収逝きになるのは目に見えていますが。

<ラディカリズムの高揚の中で>
編集部:その先鋭な闘争の意識が、いわゆる全共闘運動を形成して行くわけですね……。
佐々木:「いずれにせよ、その後、第二次羽田闘争、佐世保闘争を迎えるわけですが、学生
たちの意識はまったく明るく、健康だったと思います。東大闘争を先頭とする全国の学園闘
争は、それこそ勉強をするためだけに大学に入学した学生をも巻き込んで行きました。現在
の科学技術の見直しの動きも、東大の都市工学の大学院学生あたりから出てきたのでして、
僕は68年当時は大学4年生でしたが、そうした運動が問いかけたものは新鮮で、自分の学
問上の問題をも批判的に反省してみるようになりました。現在、僕が科学史科学哲学を専門
に勉強しているのも、このような思想の動きと無関係ではないでしょう。」
編集部:そういった急進主義的運動の風土の中での東北大学新聞をどうごらんになりましたか?
912132人目の素数さん:05/01/18 01:21:28
岩井洋 ◆ キタ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━ !!!!

今後の予定おしえて:
1.「第二段階」
2.まとめサイト
3.雑誌に投稿
913岩井洋 ◆hEpdoZ.tHU
佐々木:「東北大学新聞は、学生大衆の最も先鋭な意識を代弁すると同時に、高いレベルをも
保持していました。僕が感心したのは、たとえば、映評一つとってみても、政治主義的なもの
ではなく、学生がもっている日常的感性や、小ブルジョワ的な悲惨さを抉り出したものが多か
ったことです。その中の一つに、朝日新聞の東京本社が注目し、部分転載を依頼してきたこと
もありました。学生活動家といっても、完全に強い人間ではないわけで、さまざまな側面、た
とえば感性的レベルから、学問的レベル、そしてもちろん政治的レベルに至るまで、東北大学
新聞に学ぶべき点はたくさんありました。強く生きようと、日々自己と闘っている姿こそ、人
間の偉大な面でありましょう。
民青系の第二新聞がいくらがんばっても、とても勝負にはならなかった。僕は何も民青系の人
々を頭ごなしに否定するわけではありませんが、ともかく自分の頭で考え、自分の頭で判断し
て行く東北大学新聞社の方が一枚上であるとは常に認識していたことでした。
たとえば、急進的学生運動の時代おいても、またそれが沈滞して行く時代においても、自分の
座標軸をしっかり据えながら日本の思想情況を見てきたと思います。単純な急進主義に対して
も、しっかりした批判的な眼をもって見て行った。東京の論壇を追いかけるのではなく、自分
の足元から思想を組み立てるという姿勢、これが大事だと思います。学生運動の限界性をも知
りぬいて、労働者とも交流し、また目を国際的な方向にも向けていった。」
編集部:佐々木さんは、後には東北大学新聞の協力者として編集にも参与して行かれたようで
すが。