【数学史】佐々木力を叩こう《くだらねえ》

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303132人目の素数さん
佐々木力にきく
http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/sasaki.html

「はじめはエンジニアになるために工学部に行こうと
思ってたんですが、高校三年生の時に気づいたんです。
どうも理学部というところは勉強だけしてればよく、
数学をやっているだけで飯が食えるらしいということを
知ったわけですよ。とにかく数学をやって飯を食っていける
というのは私にとってはパラダイスのような感じでしたね。」

まるで2chの数ヲタがいいそうな台詞だ(笑)
304132人目の素数さん:04/12/20 14:25:30
「その頃の数学だとブルバキという数学者のグループが
 フランス語で書いた『エレマン・ド・マテマティク(数学原論)』
 というシリーズ本がアヴァンギャルド的なもので、
 その難しいフランス語のテキストを読むことが
 自分が数学少年であることの証だと考えて
 読んだりしていました。
 ウルトラ抽象的なスタイルの数学が好きでした。」

まるで2chの数ヲタがいいそうな(以下略)
305132人目の素数さん:04/12/20 14:26:35
「私がやっていた数学の分野について言いますとね、
 代数幾何学という高度な代数学の分野があって、
 たとえば小平邦彦さんとか、広中平祐さんとか、森重文さんとか、
 日本でフィールズ賞をもらった人はみんな代数幾何学なんですけど、
 その隣接領域で代数群論というのがあるんですね。
 それはクロード・シュヴァレーという人の書いた著書が
 標準になる学問分野で、十九世紀のリー群論
 (無限個の要素をもつ群の一種に関する理論)の変種
 と考えていい理論です。その代数群論の一種で、
 線形代数群の分類理論が私のマスター論文なんです。
 それを書いたんですけど、それをやったところで
 自分はどこかの大学の助教授くらいになって
 それでいいんだろうと思ったわけです。
 今だったらそれで上出来と思うかもしれません。」

まるで2chの数ヲタ(以下略)
306132人目の素数さん:04/12/20 14:39:37
「でも当時は青年の急進化の時代ですから、
 私も科学とか数学の責任問題について
 考えることを余儀なくされました。
 (中略)そのころのヴェトナムへの爆撃は
 兵士が直接危険を犯してやるわけではなく、
 オペレーションズ・リサーチという数学の
 理論を使って、攻撃目標をできるだけ
 精確に攻撃するために空路まで定めて、
 それでもって爆撃することが
 一番効果的という考えに立っていました。
 それで数学者の戦争加担ということが
 問題になりえたんです。」

ORは日常的な目的にも使えるし、はっきりと役にたつよ。
こういうのは東大でも計数工学の連中のほうが得意で
数学科の連中なんててんで役に立たないんだ(笑)
307132人目の素数さん:04/12/20 14:47:10
「それで私はドクターに進学した時点で、
やはり本格的な学問は、数学という学問を
歴史的、総合的に反省する数学史だろうと
思って数学史をやることにしたんです。」

というより、純粋数学一筋の自分より
工学部の連中のほうがはるかに
世間では有用だという現実に
思いっきりプライドを打ち砕かれたため
以後の人生を、有用だがガサツな
実用数学叩きに費やしたなんてことは
あるまいな(笑)
308132人目の素数さん:04/12/20 14:57:52
>父親は建築大工の棟梁、
>母親は、若い時代は製糸女工、
>のち農業をしながら家事に従事していた。
>「今でも自分のベッドや本棚は自分で作ったものを
>使っていますが、小さい頃から大工仕事が得意でした。
>父親の仕事について回ったり、家の修理をしたりしていました。
>手先が器用だったので、父親は父の跡を継いで
>私が建築大工になることを期待していました。
>私自身も、父のもとで大工の徒弟修業をするか、
>兄のように工業高校に進もうと考えていました。」

大工になっときゃよかったのに(マジ)
数学者も数学史学者も所詮「余計者」である。