「その頃の数学だとブルバキという数学者のグループが
フランス語で書いた『エレマン・ド・マテマティク(数学原論)』
というシリーズ本がアヴァンギャルド的なもので、
その難しいフランス語のテキストを読むことが
自分が数学少年であることの証だと考えて
読んだりしていました。
ウルトラ抽象的なスタイルの数学が好きでした。」
まるで2chの数ヲタがいいそうな(以下略)
「私がやっていた数学の分野について言いますとね、
代数幾何学という高度な代数学の分野があって、
たとえば小平邦彦さんとか、広中平祐さんとか、森重文さんとか、
日本でフィールズ賞をもらった人はみんな代数幾何学なんですけど、
その隣接領域で代数群論というのがあるんですね。
それはクロード・シュヴァレーという人の書いた著書が
標準になる学問分野で、十九世紀のリー群論
(無限個の要素をもつ群の一種に関する理論)の変種
と考えていい理論です。その代数群論の一種で、
線形代数群の分類理論が私のマスター論文なんです。
それを書いたんですけど、それをやったところで
自分はどこかの大学の助教授くらいになって
それでいいんだろうと思ったわけです。
今だったらそれで上出来と思うかもしれません。」
まるで2chの数ヲタ(以下略)
「でも当時は青年の急進化の時代ですから、
私も科学とか数学の責任問題について
考えることを余儀なくされました。
(中略)そのころのヴェトナムへの爆撃は
兵士が直接危険を犯してやるわけではなく、
オペレーションズ・リサーチという数学の
理論を使って、攻撃目標をできるだけ
精確に攻撃するために空路まで定めて、
それでもって爆撃することが
一番効果的という考えに立っていました。
それで数学者の戦争加担ということが
問題になりえたんです。」
ORは日常的な目的にも使えるし、はっきりと役にたつよ。
こういうのは東大でも計数工学の連中のほうが得意で
数学科の連中なんててんで役に立たないんだ(笑)
「それで私はドクターに進学した時点で、
やはり本格的な学問は、数学という学問を
歴史的、総合的に反省する数学史だろうと
思って数学史をやることにしたんです。」
というより、純粋数学一筋の自分より
工学部の連中のほうがはるかに
世間では有用だという現実に
思いっきりプライドを打ち砕かれたため
以後の人生を、有用だがガサツな
実用数学叩きに費やしたなんてことは
あるまいな(笑)
>父親は建築大工の棟梁、
>母親は、若い時代は製糸女工、
>のち農業をしながら家事に従事していた。
>「今でも自分のベッドや本棚は自分で作ったものを
>使っていますが、小さい頃から大工仕事が得意でした。
>父親の仕事について回ったり、家の修理をしたりしていました。
>手先が器用だったので、父親は父の跡を継いで
>私が建築大工になることを期待していました。
>私自身も、父のもとで大工の徒弟修業をするか、
>兄のように工業高校に進もうと考えていました。」
大工になっときゃよかったのに(マジ)
数学者も数学史学者も所詮「余計者」である。