952 :
132人目の素数さん:04/11/23 02:28:18
Σ[k=0,n](n-k+1)=Σ[k=1,n+1]k
となるって書いてあるのですが、なぜこうなるのでしょうか?
−kもkになってるし。
教えてください。お願いします。
>>951 俺も思ったたぶんそうだろうね
>>952 実際左辺をn=0、n=1、・・・って計算してみ?
なんもムズかしくないぞ
あれ、微妙に変なようだ
解いて下さい。
さっぱり一つも分かりません。
お願いします。
底辺AB=2、AC=BCとなる直角二等辺三角形ABCがある。
ABを2n等分し、分点を順にA_n=A、A_(n-1)、…、A_1、O、B_1、…、B_(n-1)、Bn=Bとし、∠A_(k)CB_(k)=θ_kとおく(k=1、2、…、n)。
このとき、lim_(n→∞)1/nΣ^n _(k=1)sinθ_kを求めよ。
956 :
132人目の素数さん:04/11/23 02:37:34
n+1、n、n−1、n−2になるんですが・・・。
958 :
132人目の素数さん:04/11/23 02:44:02
>>955 比で線分A_kB_kの長さは求められそうだ
あとは、対称性から線分A_kCの長さ=線分B_kCなので、
条件を絞れるっぽいな
>>958 左辺、右辺を具体的にnに代入して書き出してみれ
961 :
132人目の素数さん:04/11/23 02:47:06
代入するのは、Kではないんですか?
>>961 kは和を取るときの動く値なんだからkに代入なんて発言はとてもナンセンス
萩L号にもうちょい慣れたほうがいいぞ
963 :
132人目の素数さん:04/11/23 02:53:09
すみません、おもいっきり的外れな事言ってまし
−k+1、−k+2、・・・になるんですけど。
>>963 何を書こうとしてるのかサパーリだよ・・・
結論だけ書いちゃうと
Σ[k=0,n](n-k+1)=(n-0+1)+(n-1+1)+(n-2+1)+・・・+(n-(n-1)+1)+(n-n+1)
=(n+1)+(n)+・・・+2+1=納j=1,n+1]j
右辺は混乱避けるためにkじゃなくてjにしたからね
(・3・) エェー n-k+1=k'とおいて、パラメータをk'に取り直せばイイYO
kやk'みたいな変数の事を仮変数というNE
>>微分法と数学的帰納法を使わずに
難しすぎ
968 :
132人目の素数さん:04/11/23 03:04:16
親切にありがとうございます。でも
=(n+1)+(n)+・・・+2+1が納j=1,n+1]j
なるのかがわからないです。
>>968 (・3・) エェー (有限)和は順番を変えて足しても変わらないから
最後の方から逆向きに足せばいいYO
>>968 (n+1)+(n)+・・・+2+1=1+2+・・・+n+(n+1)
何故こうなるかって?
そうなるように自然数を定めてるからさ
>>937 悪問過ぎる
>>947 >>経験的、実証的な議論の蓄積の上に成立している。
だから、必ずしも間違いと言えない気が。。。
973 :
132人目の素数さん:04/11/23 08:59:13
定数ベクトルA★を用いて、A=A★×sin(kz-ωt)を決める。
このAの向きが、進行方向(z軸)に垂直である事を示す。
Z軸方向のベクトルとの内積をとるのですか?
どう考えたらよいでしょうか?
>>973 もっと他に語るべき事があるだろ?
後出しジャンケン糞して寝ろ
975 :
132人目の素数さん:04/11/23 09:47:10
>>972 経験的議論ではないでしょ。
現代数学が扱う問題は経験的事実を離れて、論理の蓄積による抽象一辺倒だから。
976 :
976:04/11/23 10:02:11
例えば、無限次元や非ユークリッド幾何は経験的議論とはいえないと思いますが。
>>947 > 4 ×ユークリッド以前の証明観と、現代の公理的証明観では大きな開きがある。
おーい、ユークリッドの証明観と、ならまだしも
ユークリッド以前とじゃ全然違うだろうよ
978 :
976:04/11/23 10:07:50
ぜんぜん違うなら×であってるでそ。
そこまで自信たっぷりに言われると
「大きな開きがある」の意味に自信がなくなってきた
980 :
976:04/11/23 10:23:56
使われてる論理にはさほど違いは無いから
大きな開きがあるでいいと思う。
遠まわしなイヤミむかつく
すまん
直球のつもりだったんだ
それで君の脳内が幸せになるならどうぞ
984 :
976:04/11/23 10:35:05
983は自分のレスじゃないです
確かに983は俺のレスだからな
とかしょうもない煽りを入れまくってるから
馬鹿認定されるんだろな
ってかユークリッド以前の証明観について述べよ、って
高校生大学生どころか、数学史の専門家しか
自信もって答えられないと思うんだがどうよ?
それにユークリッドって革命的な考えを生み出した人じゃなくて、
それまでの蓄積を集大成した人だろ。ユークリッド以前、が曖昧な希ガス
ユークリッドの証明観とユークリッド以前の証明観(たとえばタレスとかかな)
はほぼ同じと見てもいいかもしれない訳で。ピタゴラス学派の証明観なら
もう少し難しいが。
ユークリッドと現代の公理的証明観なら、基礎論の専門家なら違う、という人が
多いし、普通の数学者なら、ただ精密化しただけだ、というかもしれない。
そんなことはどうでもいい。そんなことより、
全然違うし大きな開きもあるから
○ユークリッド以前の証明観と、現代の公理的証明観では大きな開きがある。
が正解なんだな?
988 :
132人目の素数さん:04/11/23 10:45:23
「そんなことはどうでもいい」は
>>985に。だった。すまそ
>>使われてる論理にはさほど違いは無いから
全ての〜に対して、ある〜が存在して、と
ある〜が存在して、全ての〜に対し、の違いが
きちんと認識されていたか、非常に疑わしい。
アリストテレスでさえ、多少混乱していると思われる
議論があったりする。
一般にフレーゲ(19世紀〜20世紀初頭位かな)までくれば、
明らかに二つは区別されていると見て差し支えないんだが
992 :
132人目の素数さん:04/11/23 10:50:28
ユークリッドと現代の公理的証明観なら、基礎論の専門家なら違う、という人が
多いし、普通の数学者なら、ただ精密化しただけだ、というかもしれない。
どっちにしろ開きがあるじゃんプゲラ
誰も聞いていないのを承知で、頑張ってこのスレを埋めると、
公理というものに対する考え方が
ユークリッドからカントあたりまでは
「議論の前提となるアプリオリに自明の真理」
ガウスとか非ユークリッド幾何の人とか
「議論の前提となる、仮定、あるいは性質の組」
余り詳しくないが、ヒルベルトは単に
「論理式の組」とか考えていた可能性も。
その差は大きい、というのは事実でも明確な意味を持った主張でもなくて
単なる主観的な評価だからご自由に。
じゃ、スレの結論として
>>977は馬鹿ってことで。
てか折角良い議論になってきたのにあとわずかorz
997 :
132人目の素数さん:04/11/23 11:00:03
確かに、図形的性質によって意味付けされた(アプリオリな真理)ものと
群や環の公理のように性質の組として
考えられたものという区別はつけられるね。
あ、ポアンカレとかヒルベルトとかは
「無定義術語たちに対する相互関係の規定、つまり実質的な"定義"」
でもいいかも
999 :
980:04/11/23 11:01:46
だったら、中小学生の数学ですら
あなたは数学として理解できないことになる。
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