952 :
132人目の素数さん:2006/03/16(木) 16:16:44
いや、本の問題というか、
どの本も、まず、公理、推論規則、があって形式的体系、
ないし、推論規則だけ置いた自然演繹、ということで始まっていて、
というか、まず、無矛盾である、例えば、一階述語論理の公理系があって、それに固有公理を加えた形式的体系が無矛盾であるとか、無矛盾でない、ということを言ってるんですかね?
例えば、集めたい論理式の範囲がs0+s0=ss0とs0+s0=s0+s0だけで、s0+s0=ss0とs0+s0=s0+s0だけを、公理としておいて、形式的体系だ、とか言うことはナンセンス、ですかね?
> 一階述語論理の公理系があって、それに固有公理を加えた形式的体系が
> 無矛盾であるとか、無矛盾でない、ということを言ってるんですかね?
どの本にもそういうことは書いてあるはずなので、間違った読み方をして
いるのだと思うが。
>>952 数論始めるときは一階の述語論理の推論規則と公理は前提にするのが、
普通のやり方と思うが。
「無矛盾」の意味は矛盾式が決して導かれないということだから、
公理に矛盾式が含まれず、推論規則が存在しなければ、無矛盾なのは自明では?
>>941 基礎論は知らないけど数学は知ってるって人が対象なら、
>>545にあるようなモデル理論の応用を見せるとか。
Hilbertの零点定理は代数閉体の理論の量化記号消去と同値
(正規化定理を使わない)ってのは、代数やってる人には結構面白いかも。
ただ「基礎論がどのようなものか理解してもらう」というのとは違うか。
ナンセンスというか、べつにそういう「形式的体系」を定義しても
いいけど、意味が無いよ、ということだけでは
非古典論理上で「純粋数学」をしてる人ってどのくらいいるんですか?
ここでは取りあえず、何か形式的体系の(メタでなくオブジェクトの)定理群の持つ
驚異的な美しさや意外な関係や面白さを味わう事を「純粋数学」とし、
一階古典論理上のZFC(or BG)での「純粋数学」を「古典純粋数学」と言う事にします。
メタとオブジェクトの区別なんて相対的なものだけど、
そこら辺は感覚で(最もオブジェクト寄りとか)。
大分数学を曲解・矮小化してますけど、議論の簡易化のためという事で。
いわゆる代数・幾何・解析は「古典純粋数学」で、
大半の純粋数学者は「古典純粋数学」をやってると言えます。
一方直観主義論理+構成的集合論(or 圏論)という組み合わせも研究されているようですが、
その内容は「純粋数学」っぽくなく、メタ数学やら哲学やら計算機といった
話題ばかりが目に付きます(ネットで検索してみただけですが)。
その他のなんちゃら論理・なんちゃら集合論もどうもそんな感じです。
「古典純粋数学」とパラレルに「非古典純粋数学」が研究されててもいい気がします。
Euclid幾何とパラレルに非Euclid幾何があるように。
958 :
132人目の素数さん:2006/03/24(金) 15:32:27
age
960 :
132人目の素数さん:2006/03/25(土) 14:32:26
紀元前26000年に大亜細亜日本帝国が誕生した。西はウラル山脈から
東は日本列島まで、南はオーストラリアまで征服した。これが日本の原型である。
961 :
132人目の素数さん:2006/03/25(土) 14:41:13
1+1=2になるのはどうしてですか?教えて下さい
962 :
132人目の素数さん:2006/03/25(土) 14:54:17
突然の質問ですが、
AD//BCの台形ABCDにおいて、AB=6,BC=13,CD=5,AD=8のときcosBを求めよ。
この問題解ける方いませんか?
963 :
132人目の素数さん:2006/03/25(土) 15:19:30
スレ違い
964 :
GiantLeaves ◆6fN.Sojv5w :2006/03/25(土) 15:50:59
真である命題全体の集合Aを考えた場合
証明不可能な問題はAに含まれるの?
>>965 証明不可能な命題の集合と言う事?
それなら一般には含みも含まれもしない
次スレ立てるときは「基礎論」という名前付けると
スレ違いの質問が多いから別の名前付けましょうか
数理論理学とかFoundation Of Mathematics とか
いずれにしても一寸ニュアンスが違うのが気になるけど
「メタ数学スレッド」とか?それもちょっと違うのかな。
最初に注意書きでもあればテンプレ嫁で済ましてもいいかもしれない。
>>966 直観主義でなければ排中律を認める
排中律を認めるならば全ての命題は真か偽かのいずれかである
よって{真である命題全体の集合}に含みも含まれもしない命題は存在しない
ゆえに直観主義以外においては証明不可能な命題は命題ではない
というトンデモ理論を見た事がある
>>967 テンプレきちんと読む奴がそれほど居るか、疑問だけどね
>>968 >{真である命題全体の集合}に含みも含まれもしない命題は存在しない
{.........}にそれ自身φもその否定¬φも含まれない命題は存在しない、
ということだろうかw
まあ真と証明可能の違いも、真と恒真の違いも考慮されてないから
どちらにせよ駄目だろうけどw
>>966 どうもよく分からないんですが、決定不能な命題は真ではないのでは。
ならば決定不能な命題は「真である命題全体の集合」には含まれないのでは。
「真である命題」とは当然「真であると決定できる命題」のことでしょ?
違うんですか?
>>969 > テンプレきちんと読む奴がそれほど居るか、疑問だけどね
まあ、読めと言い捨てるためにテンプレを書いとくという考え方もあるかと。
その集合はZF?ZFC?
973 :
132人目の素数さん:2006/03/26(日) 17:57:18
【ロボットは人間にはなれない】の証明はどこで読めますか?
「真である命題全体の集合」は公理的集合論では扱えないという事?
よくわからん
現存関連スレ
・数学板
数理論理学やりたいのになんで哲学科なんだよ!
非古典論理について語るスレ
ゲーデル不完全性定理
・哲学板
【必然】様相論理 Vol K【可能】
論理学学習スレッド
バカでも分かる論理学
数学の哲学 (Philosophy of Mathematics)
「数理論理学やりたい〜」スレの(スレタイはともかく)実際の使われ方は割とこのスレに近く、
このスレの次スレとして使えなくもなさそうな気もします。
新スレを立て、スレタイを変更するなら、
「数理論理学・数学基礎論スレ」と併記する辺りが無難かなと思います。
>>959 ありがとうございます。
どのようなモチベーションで研究されているのかもう少し調べてみます。
一年百六十五日。
証明不可能な命題ってのは{真である命題全体の集合}に入るか
{真である命題全体の集合}^cに入るのかが判らない命題
{真である命題全体の集合}
って
真である命題全体の集合
のことか
真である命題全体の集合の集合
のことかどっち?
「・・・の集合」て言葉と中括弧を重ねられると
「の中止を取り止める」みたいでわかりにくいんだけど
素人のおいらの理解
真である命題全部⊃証明可能な命題全部
偽である命題全部⊃反証可能な命題全部
真であり、かつ偽であるという命題はない
真であるのに「証明可能な命題全部」に含まれない、という命題がある
偽であるのに「反証可能な命題全部」に含まれない、という命題もある
真であるとか真でないとか言う言い分を公理と証明以外のものに
もとめるという感覚が理解できません。
証明できないけど真だっていうのは、たとえばどういうこと?
いや答えになってないし
「証明可能」というときは公理系(理論)を固定して
「その理論において証明可能」というように相対化しないと
正しい理解にはならないよ
「文Aを証明する公理形が存在する」という意味で
「Aは証明可能」というのなら任意の文が「証明可能」になっちゃうし、
「文Aを証明する無矛盾な公理形が存在する」という意味でも
1階論理で反証されない任意の文が「証明可能」になっちゃう
「真」の概念もそう
「任意の構造について真」とか
「自然数の構造Nについて真」とか
「ペアノ算術の任意のモデルについて真」とか
何についての真理のことを言っているのか常に自覚しないと駄目
ペアノ算術など、一定の条件を満たす無矛盾な公理系Tでは、
Aも¬Aも証明できない(算術の言語の)文Aが存在する
これが(第一)不完全性定理
すると、例えば自然数の構造Nは、ペアノ算術のモデルだけども、
「Nで真の文」と「Nで真でない文、すなわちNで偽の文」は
算術の言語の文すべての集合を2分割するので、
・AがNで真 (なのにTで証明できない)
・¬AがNで真 (なのにTで証明できない)
のどちらかが成り立つ
もちろんTと異なる体系T’では、証明できる文、できない文が
Tと異なってくる
例えばTに公理としてAを加えた体系T’を考えれば
Tで証明できなかったAが自明に証明できてしまう
それでもまた新たに、T’で証明も反証もできない文Bがでてくる
(T’が不完全性定理の条件を満たしていれば)
せっかくそういう説明しても
>>982のようなやつには理解できないと思うよ。つーーーか
理解を拒否される気がする。
そういうもんかな
ゲーデル文のアイデアを「感覚的」な(半分嘘の)説明で
説明したほうがいいのかもしれないけど
自分で半分嘘と思いつつ書くってのはどうも抵抗が
でもやってみる
文Gを、「Gは証明可能でない」と定義する
Gが証明可能だと仮定すると、Gの述べることは真だから、Gは証明可能でなく、仮定と矛盾
従ってGは証明可能でない、ゆえにGは真である
というか
>>982は、
「真でも偽でもない文が存在する」
という立場にコミットしてることを自覚してるのかな
(「真」の意味にもよるだろうけど)
>>989 言ってることはおおむねは分かってるつもりですよ。
つまりその「Gは証明可能でない」にあたる命題が、どのように
公理系を選んでも、自然数の体系を含む公理系である限り
体系内にできてしまうって話しでしょ?
>「真でも偽でもない文が存在する」
>という立場にコミットしてることを自覚してるのかな
そうですね。そうなってしまいますね。
(これをやると直観主義へ行ってしまうんですかね)
これはこれで変な主張だなとは思います。だから
私は何かを主張したいというよりも、単純にわからないんで
とまどってるんですよね。
ただ、排中律を無批判に認めるべきでない(「排中律を認めるべきではない」
ではない)という直観主義の立場もそれなりに理解はできる。
(ただ、無力ではないかという批判には反論できませんが)
たとえば、真でも偽でもない文の存在を認めると、背理法が使えない
場合がでてくるわけですが、数学のすべてが壊れるわけではないし、
背理法を使わない証明がない場合で、背理法を使うのがあやしいような場合は
構成的に証明できるようになるまでの暫定措置だとも考えられる。
(まあ、それなら排中律を事実上認めているわけですが)
それに、あと、単に「真」を「肯定証明可能」と同義にするか
しないかの言葉の問題にすぎない気もしてきました。
ある一つの(固定された)モデルにおいて、真でも偽でもないような文は無い
(つまり命題の真や偽は何故かは知らないがどちらかに決まっている)
と信じてそう仮定するのが普通のsemanticsだと思います
ある体系(論理の推論規則と公理と数学の公理)で証明可能、
というときに「ある体系」を意識するのが重要なのと同じで、
どの「モデル」で真か、というのが重要です
そして全てのモデルで真である、というのを恒真と言います
自然数論や集合論だと分かりにくいので、仮に
たとえば有限群論の公理系が与えられたと考えましょうか
∀a∃b a・b = b・a = e
とかが公理です(有限性をどう公理にするのか知りませんがw)
このとき、群の位数は偶数である、はモデルによって真になったり
偽になったりします
一方で群の位数を(p^n)q、qはpの倍数でなく、
pは素数としたときに、位数p^nの部分群が存在する、は恒真です
直観主義にもKripke semanticsとかあるらしいんですが
勉強してないからしらないや
可能世界意味論とか言うらしいですが
さて、たとえば自然数論で言うと、第一不完全性定理の主張は
PAが無矛盾(つまり、証明できない文が存在する)なら
(まあ、我々は、自然数が矛盾概念であるかもしれないなどとは
考えないので、そうだと強く確信している訳ですが)、
通常我々が言うところの「自然数」をモデルにとったときは
「真」であるはずの文で、しかもPAから証明できない文が存在する、というのが
まあある程度正確な第一不完全性定理の主張です
ヒルベルト論理体系に基づく公理系自体が不完全なんだからその上にある自然数の公理が不完全でも仕方ないだろ
>>991 >ある一つの(固定された)モデルにおいて、真でも偽でもないような文は無い
>(つまり命題の真や偽は何故かは知らないがどちらかに決まっている)
>と信じてそう仮定するのが普通のsemanticsだと思います
つまり、それ自体が公理なんですよね?
>>993 古典論理の一階述語論理自体は、
あれ以外のもの(証明能力があれより強いもの)は考えられないので
論理体系が「悪い」んじゃなくて、やっぱ自然数論の「せい」なんじゃないですかね
>994
まあそうですね
実際に何らかの方法で真偽が確定するわけじゃありません
僕も最初に勉強したときには結構違和感持ちました
あの種の研究を最初に始めたのはTarsikiとからしいです
一年百七十日。
>>995 自然数数論云々はあくまでゲーデルが最初に自然数論を用いて不完全性を照明したという
歴史的背景によるものであって、チャーチとかは自然数論に持ち込まずに不完全性を証明してる罠
998 :
下妻物語:2006/03/32(土) 21:05:34
999
1000 円均一 〜
って、もう 寝よ っと。
基礎は睡眠にあり〜
ってなんちって
てへ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。